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空き家問題は賃貸住宅問題

2040

先日も触れた「空き家問題」ですが、
内容を見ると、いろいろな側面が見えてくる。
以下、総務省の発表データからの抜粋。

空き家757万戸の内訳をみると,
「賃貸用の住宅」が413万戸で空き家全体の54.5%を占め,
「売却用の住宅」が35万戸(4.6%),
別荘などの「二次的住宅」が41万戸(5.4%),
世帯が長期にわたって不在の住宅や取り壊すことになっている住宅などの
「その他の住宅」が268万戸(35.4%)となっている。
平成15年と比べると,
「賃貸用の住宅」は45万戸,12.3%,
「売却用の住宅」は5万戸,15.3%,
「その他の住宅」は56万戸,26.6%増加しており,
特に「その他の住宅」が大きく増加している。
一方,「二次的住宅」は9万戸,17.5%減少している。

というようなことであり、
賃貸住宅の空き家率というのが、たいへん高くなってきている。
空き家問題の基本は賃貸住宅であり、
同時に「持ち家」の空き家率もそれとは率は少ないけれど、
急激に増えてきているということ。
そんなふうに把握できるのだと思います。
ちなみに賃貸住宅の総数・空き家率の推移は以下のようになっている。

2041

これまでわたしは、戸建ての注文住宅に基本的にシフトしてきたのですが、
もうちょっと広く住宅全体を見てみると
賃貸住宅というものがどうなっていくのかが、
かなり大きな問題だと認識できた次第。
20%近い賃貸住宅が「空き家」になっていて、
その経営問題が大きな社会問題になっていなかった、
ということ自体も興味を持たせられる。
しかし、経済活動そのものである賃貸住宅経営というものが
今後、どのような推移を見せていくかは、
日本人の「住意識」にとっても肝要な問題。
NHK朝ドラ・マッサンの大阪での賃貸住宅の考証をみていて、
かつての日本の賃貸住宅は、かくもステキな住環境を提供していたのかと
目を見張る思いでしたが、
それに対して、いま提供されている賃貸住宅のありように
かなりの革新要素が発見できるのも事実。
たいへん興味深いと思っております。

わたしの1枚の絵 「ピエロ」

2029

本日はふとした絵画についての随想であります。

わたしは多感な(笑)高校生時代に、
いま、考えるとふしぎな思い込みをしたり、行動を取ったりしていました。
そしてそのひとつの思い込みの結果、
パリに行って、その念願を果たしていました。
というのは、「ピエロの絵を1枚持つこと」でした。
少年時代になぜそんな妄想に似た思いを持ったのか、
いまは、どうしても思い出すことが出来なくなっています。
可能性として考えられるのは、情緒的に「新左翼」にかぶれていたので、
あの当時の高名なフランスの哲学者、
たぶん、サルトルやボーボワール、カミュなどの書いた文章の一節
なかでも、もっとも可能性が高いと想像しているのは、
惑溺的に読んでいたアンリ・ルフェーブル「美学入門」などに
「ひとは、ピエロの絵を1枚は持っているべきだ」みたいな言葉を見つけて
たまたま巡ってきたヨーロッパ旅行の機会に
それを実行したものかも知れません。
で、そういうことなので、絵画に対して本質的に知る由もなく
「モンマルトルで絵を売っている貧乏な絵描きから購入する」
という、一種の固定観念を持って、
この絵を、そのようなプロセスで購入したのです。
旅行後、東アジアの片隅の高校生のあやしげな英語と、
彼の地のフランス人の不確かであるに違いない英会話取引きの結果が、
本当に箱入りで国際小包で送られてきたのを見たときには
ある格別な思いを成就させた気分を持っていました(笑)。
それ以来、45年以上にわたっての人生で
この絵は、わたしと常に同伴してきた次第です。

人が絵を持つと言うことに、それほどの意味はないでしょうが、
それなりにわたしは愛着を持って、見続けてきたと思っています。
なんですが、子どもたちは、
わたしの持つこの絵があんまり気に入ってはいないみたいです(笑)。
坊主に至っては、どうやら「ピエロ恐怖症」っぽい。
まぁ、病理にまでは至っていないようですが、
気分としては、ピエロに対して違和感を持っているようです。
ピエロ恐怖症っていうのは、わたしも最近知ったのですが、
ピエロという存在自体が発生した2000年以上の歴史過程で
常にあったものではあるでしょうが、
最近の精神病理学の発展の結果、病理として認定されたモノでしょう。
なので、こうした趣味嗜好が子どもに受容されてはいかないようで、
この絵は、わたしの人生終了とともに廃棄されるのが自然の流れ。
でも、モンマルトルの丘でのあやしげな取引は
いま考えても面白いなと思うし、よく裏切ることなく
梱包して送ってきてくれたものだと、
この絵の作者であり販売者であった「Julia」と署名のあるひとに対して、
感謝の気持ちは、いまも変わらずに持ち続けています。

命がけで(笑)友人新年会へ

2036

きのうの札幌は、ついにやってきた大暴風雪の1日。
朝から仙台のスタッフから千歳がマヒ状態で、飛行機がダメ、ということで
振り替えて新幹線と汽車で北海道へ移動する旨の連絡もありましたが
午前中の札幌は、まぁまぁの天候で推移しておりました。
ところが、午後から夕方に掛けて、
ほぼまったく視界の利かないような大暴風雪状態に突入。
ところが、きのうは夕方から高校同期の友人たちとの新年会。
これはムリかなぁと思って電話したら、
なんと20人ほどがもう集まっている、ということ。
まぁなんと、命知らずの連中かなぁと・・・(笑)。
で、是非もなく、出かけるためにわが家の前の除雪から開始であります(泣)。

2037

通常であれば、4車線道路の通りに出て、
タクシーを待っていましたが、
なかなかやってこない。
というよりも、クルマ自体、普段の2割くらいしか走っていない。
本当はカミさんに送迎を頼もうと思っていたのですが
彼女からは、強烈なダメだし。
「こんなブリザード、クルマの運転なんてとんでもない」とのこと。
まぁ、まことにその通りの状況であります。
タクシー待ち、10分以上で、これは諦めるか、無線で呼ぶか、と
思っていたら、ようやく1台の空きタクシー。
そこから普通15分で着く道を倍以上かかって、ようやく会場到着。

2039

ということで、雪国の同郷人たち、元気いっぱいであります。
もうなにも考えずに(笑)、アルコールがどんどん進みます。
でもまぁ、3時間ほどして、徐々に現実と立ち向かうべく、
ふたたび帰り道に・・・。

2038

やや、暴風も和らいで家の前まで戻ったら、
ちょうどカミさんがえんやこらと除雪中。
まことに頭が下がる思い。
一緒になって雪かきで酔い覚ましであります。
どうしても除雪ぶりは、やややっつけ気味にならざるを得なかったのですが、
終わった頃に、市の業者さんによる力強い除雪車が来てくれて
盛大に除雪していってくれました。
ということで、札幌地方、この冬一番の大暴風雪でしたが
わが家は,無事、切り抜けられました。ひと安心であります。
きょうは、これから、ふたたびの除雪挑戦であります。よしやるぞ!

ホッキの押し寿司

2033

本日は、地域の食ネタであります、ご容赦を(笑)。
わたし、魚介類というか、いや、貝類にはまったく目がありません。
そうですね、貝には目はあんまり見えたことがない・・・、
というダジャレではなく、本格的に大好物であります。
そのなかでも、北海道にいてシアワセと思わされる代表選手が
なにを隠そう、ホッキ貝であります。
たぶん、相当小さいときから食べているだろう、地域の味であります。
最近は輸送技術が進化しているので
気軽に回転寿司で、全国的に人気のメニューでしょうが、
やはり北海道で食べるのが、格別だと思っています。
一度、友人が女将をやっていて和食に定評のある旅館で
「あんたさぁ、ホッキ食べなさいよ、石狩の砂浜のヤツ」
と出されたホッキの、独特の風味、くさみにノックアウトされたことがある。
って、食あたりではありません。
食べ進むウチに、自分が生まれ育ってきた
「土地と海の匂い」のようなものが
口の中いっぱいに広がって、しばし、瞑想にまで陥ってしまった・・・。
そうか、おれが育った土地は、こんな土地柄だったんだ、と
明瞭に立ち上ってくるDNA的な邂逅があったのですね。
ホッキのこと、好きはずっと好きだったけれど、
そういったことまで思い起こさせてくれる食材だと気付かされたのです。
考えてみれば当たり前で、
札幌の土地が日本海に繋がっていて、土壌から染み出す水が
石狩湾に流れ込み、その砂浜に生息しているホッキたちが
そのエキスをカラダ一杯に溜め込んでいるのでしょう。
「地元の漁師さんから直接仕入れている」と彼女は言っていたけれど、
きっと丁寧に手取りして採取したヤツであるのかも知れません。
旨みはもちろん、そんなところまで感じさせてくれる
土地のソウルフードではないかとリスペクトしている次第。

先日、ふらりと立ち寄った苫小牧の「みなと寿司」。
噂で聞いていた「ホッキの押し寿司」を食してみた次第であります。
酢飯もあって、臭みのようなものはまったく感じないのですが、
上に載っけた半透明な「コンブ」と酢飯に仕込んだガリやゴマの風味。
渾然一体となって、口の中で踊る様子が、たまらない。
またひとつ、大好物発見の至福の一瞬を味わっておりました。
苫小牧市港町2-2-5 ぷらっとみなと市場内 電話/0144-34-0575 
・・・でした。宣伝料はもらっていませんが(笑)、
チョー美味かった!

空き家を活かす持続可能社会へ

2028

先日NHKが「空き家」問題の特集番組をやったそうです。
あいにく見なかったのですが、
空き家率、ということが政府から発表されるようになって、
そして政府の税制改正で相続税が上げられることもあって、
既存の住宅の利用率の向上に政策的重点が置かれるようになってきた、
そういう流れを受けてのことと思います。
空き家問題は人口減少とか、社会構成の問題などが
からんでいるテーマなので、非常に大きな変化の時代に
差し掛かってきたと言うことを、端的に表しているのだと思います。
しかし、人口減少自体は、日本だけの問題ではなく、
世界同時的に起きていることであって
それと、資本主義的な利益の最大化主義とのせめぎ合いの中で
次の社会は、どのようになっていくのか、いくべきなのか、
空き家問題というのは、そういう文脈で考える必要があると思っています。
人口減少社会では、
スマートシュリンク、「賢くたたんでいく」というような思想が
今後の社会政策ではきわめて大きな命題になっていくでしょうが、
住宅問題が、その一番大きなメルクマールになっていくのは自明です。
日本がこういった局面で、経済成長との調和をしっかりできながら
上手に乗り切って行ければ、その先には安定的で
持続可能な社会が待っているのかも知れません。
知恵と工夫が試されていく局面ではないかと思います。

そんなことを考えていて、
ふと思い出したのが、欧米社会では当たり前に存在しているという
古建材のリサイクル品を委託展示販売代行する「サルベージショップ」。
「ローマはギリシャの建材で作られた」、というような言葉もあるそうで
日干しレンガを中心に、建材のリサイクルというのは
そういう連綿とした伝統を持って今日まできている。
写真は窓の展示場所を撮影したもの。
さまざまな住宅を構成していた窓が所有者から展示販売されている。
気に入った窓があれば、ショップの仲介手数料を加えた金額で取引される。
DIYの伝統が強固に根付いていてのことでしょうが、
空き家問題にも、持続可能性社会の思想が反映していくべきだと
そんな思いを感じていた次第です。

ことしも恒例 新年の健康診断

2035

わが社では、毎年1月の年明けに
健康診断を行っております。
きのう、朝から受診して参りました。
去年も健康には留意してきたつもりではありますが
どうもことしは年末から正月に掛けて食べ過ぎていたようで
ある程度の体重増は覚悟しておりました。
休日の月曜日に温泉施設で体重計に載ったら
82.5kgとなっていて、ちょっと唖然。
おおむね78kg台を昨年1年間は維持していたので
ちょっと驚愕の体重増であります。
ということで、少し節食と、検査日前日は晩飯はもちろん、
昼飯も抜いて、体重調整を図りました(笑)。
われながら姑息かなぁ、とは思ったのですが、
昨年1年間はずっと78kg台だったので、
検査の先生により正確な1年間の動向をお伝えするには
すこし調整も必要と判断した次第であります。
その甲斐あって、検査では体重は80.4kgという結果に。
それでも昨年の78.5kgよりは2kgのアップ。
どうもこのあたりは、年末年始の多食が正直に表れてしまった。

診断結果では、この肥満気味に関わる
血液検査でのいくつかのポイントが指摘されましたが、
その他、気質的な部分ではまったくの健康体というご託宣。
医者の先生からは、まぁ体重増気味なので
気長にダイエット努力を続けてください、ということだったのですが、
「保健指導」に該当してしまったので、担当女性から
ゆっくりと食事と運動について、説諭を拝聴させられておりました。
でもこういうご指摘をいただくことは、たいへんにありがたい機会。
日常生活の留意事項をあらためて再確認させていただき、
肝に銘じさせていただきました。ありがとうございます。

でもまぁ毎度ですが、あのバリウムだけはきついなぁ(笑)。
下剤を飲んで、しばらくの間、繰り返し
個室にて孤独に、苦行に堪えておりました(笑)。いやだ。

人間社会発展と人ひとりの創造価値

2031

以前に一度ブログで書いたことがあるのですが、
昨年夏にふと訪れた国立科学博物館で初めて知った知見。
「日本の累積人口」という指標が示されていました。
累計って、約5~6億人だそうです。
約12000年くらいと推定されている「縄文時代」で
縄文時代前期:620万人
縄文時代後期:1500万人
前期と後期に分けるのは、概算の把握を難しくするので
2100万人が、12000年にわたって生息していたといえる。
以降、同様に、
弥生時代(約1500年):2380万人
奈良・平安時代(約500年):1億540万人
中世(約400年):8490万人
江戸時代(約270年):1億790万人
明治・大正時代(58年):4490万人
昭和・平成時代(89年):1億2620万人
っていうように把握することが出来る。

例を縄文時代について考えると
平均寿命について、いろいろに考えられるでしょうが
粗々に30年と想定すると、12000年の間に500世代くらいの
更新があったのではないでしょうか。
この間に縄文の祖先たちは、どのようにこの列島社会に
生活文化の蓄積をもたらせたのか、って考えるのが楽しくなってきた。
同様に、それぞれの時代区分において、
日本列島社会がどのように変化したのかをあきらかにできれば、
人間社会と個人の営みとの相関関係、
人ひとりの「なせる仕事の総量」のようなものが推定できないだろうか、
っていうような妄想を抱いております。
こういう風に考えると、すぐにわかるように歴史発展には
「加速度」というようなものが付いているのだと思います。
先人の為した仕事の総量の上に立って、
次の世代はそれを前提にしながら、新しい「価値」をこの社会に
積層させて行っているのだと知れる。
そして、まったくつながりのない個人によって
こうした進歩発展が担われているのではなく
すぐわかるように、主に血脈とか家系というような形で、
まさに「世代更新」しながら、こうした営みが永続してきている。
ある人間の抱いた「夢」とか「理想」というようなことも
人間社会の大きな発展要因として、ことを動かしていく。
大きな「流れ」のなかで、自分一個の為すべきことについて、
「累積人口」と社会発展というように把握することで
いろんな新しい知見を得られるのではないかと、妄想しております。

ニシン・ラッシュ期の合理主義

2030-2
2030

きのうNHKテレビドラマ「マッサン」の舞台としての
ニシン番屋建築、北海道開拓の村に残っている
「青山家漁家」のことを書いたのですが、
そうしたら、たくさんの北海道・東北の建築家のみなさんから
わたしのFacebook宛てに書き込み・投稿をいただきました。
だいたい、わたしの元投稿には建築写真が掲載されていなかったのに
わざわざ、外観写真まで投稿していただいた(汗)。
まことにみなさんのご協力に感謝申し上げます。
見に行った建築の写真はきちんと整理整頓しておかなければと
深く反省しております。
で、きのうようやくすこしづつ整理を行っておりまして、
最近では8年前に、くだんの建築について写真を撮っておりました。
そこで「発掘」された画像を見ていて
断片的に、いろいろな想念が沸き上がってきました。

江戸期から昭和初め頃まで、
北海道西部海岸地域では、ニシンの群来に湧いていた。
いまではその残滓が、遺された建築として見るしかないのですが、
網元としての親方連中の成功ぶりはハンパなかった。
ニシンは綿花生産のための「金肥」として
日本各地の畑で使われ、いわば繊維産業のコメとして重要な資源だった。
この建物を建てた青山さんは、刺し網漁での漁法技術革新で
巨万の富を得たとされています。
こうした成功者たちは、明治開国以降、横浜などの貿易に
新たな活路を見出していったと言われています。
で、こういう漁業産業の労働力として
本州各地から「やん衆」といわれる労働者が集められた。
かれらの宿泊機能は、こういう建築の大きな機能要素だった。
写真はいろり空間外周に造作されたベッド空間と、
いろりそばでの食事のための食器セットです。
それぞれに「立って半畳、寝て一畳」のような
日本人の得意な合理主義精神が際だって発揮されていて、
見ていて、清々しいまでの気分を起こさせてくれます。

マッサンの舞台背景〜北海道古民家

2027

NHK朝の連続ドラマ「マッサン」、年が改まって
いよいよ北海道との絡みが始まって参りました。
昨年末より、だんだん視聴率が下がってきているとか、いないとか、
ヤキモキさせられるのですが、
北海道民なので、ぜひこのドラマ、ヒットして欲しいと
心から念願しております。
ドラマは、主人公たちが北海道余市での自立に向けて
サントリー創業者との別離という
いちばんセンシティブな部分に入って行かざるを得ないのですが(笑)
その先には、北の大地での雄渾なドラマがある。
で、正月はじめには、前振りのように
ニシンで栄えた大型漁家建築が舞台にもなっていた。
漁家の親方には、風間杜夫さんが扮していて、
あの2枚目俳優さんが、豪放な役を演じていて色気がありましたね。
あの大型漁家建築は、北海道開拓の村に保存されている建物です。
トイレは外に別棟で建てられていて
マッサンが酔っ払った翌朝、用便すると、視線の先に霧が見える。
そしてそこから清流の存在を発見し、さらにピートも見つけるという
いろいろな展開の起点になっておりました。
たぶん、北海道以外の人にはあんまり馴染みがないと思うのですが、
風間杜夫さんと出稼ぎ人たちのドンチャン騒ぎの舞台にもなりました。
わたしは、何回も見ている建築なので、
ワクワクさせられていました。
さすがにホンモノの大型漁家建築なので、
わたし的には、画面に重厚感が漂っていたと思うのですが
みなさん、どんな印象を持たれたでしょうか?
 
さらに予告を見ると、ニッカの余市の建物群なども
たっぷりと紹介されるようですので
こういう北海道の古民家建築の素晴らしさについても
大いに興味を持っていただければ幸いです。

で、写真ですが、たくさん写真を取っていたのですが、
パソコンのどこにあるか、まったく不明(笑)。
なのでとりあえず、私の大好きな三笠の「炭坑住宅」の写真を使いました。
PS
ブログを見ていただいた西方里見さんから、
この大型漁家建築の外観写真をご提供いただきましたので、
許可いただいて転載させていただくことにします。
西方里見さん、ありがとうございました。

2027-2

雪あかり

2026

数日続いた暴風雪、札幌ではそれほどの被害はありませんでしたが、
みなさんの地方ではいかがだったでしょうか。
きのうは朝からの除雪で、あらかた片付いて、
うずたかい雪山があちこちに出現しております。
道路幅はほぼ半分程度になっているので、
渋滞が市内各所で発生しております。
冬真っ盛り、というところですが、
最近の雪かき続きで、やや体力消耗気味でして、
詠嘆的な気分になっております(笑)。
やはり、疲れがたまってくると、受動的になってくる。
また、同時に退嬰的な気分も高まるので、
子どもの頃の感受性に戻る部分があるのではないかと思っています。

いまの北海道の住宅は、基本的には寒さから解放された暮らしが
可能になっているのですが、
子どもの頃はずいぶんと躁鬱的であったと自分で思っています。
数年前に、そんな昔のくらしを彷彿とさせる建物で、
タイムスリップしたように、そういう気分が思い起こされた。
ちょうど、こんな写真のような雰囲気。
断熱材の入っていない駆体と、ガラス板1枚の窓越しに
ひたすら見続ける外の景色。
無惨な冬の光景がそこに広がっているのだけれど、
ひたすらに春を待ち続けていた。
鬱々としてくる気分の中で、夢想するように春を待っていた。
こういう写真の光景からは、ひたすらに凍えた室内に
まるで冷気のように雪あかりが差し込んでくる、というイメージが強かった。
ところが、現代では、そういったイメージが遠くに消え去ってしまった。
冬だからと言って、鬱病っぽい精神状況に追い込まれるようなことから
すっかり、解放されて暮らしている。
いま、同じように外を見ても、かなり考え方は積極的に変化した。
わたしが生きてきた20世紀中葉から今日までずいぶんと激しい変化だったと思う。
そう気付いて、たとえば子どもたちはどんなイメージを持つか、
聞いてみたくもなる。
連休の中日、そんな想念が湧いてきています。