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【住宅性能コミュニケーション、マンガがいいかも】

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表題のような作戦で、過去5年間にわたって、
合計5冊のマンガを青森地区限定で制作・出版していました。
わたしは20世紀半ばに生まれた人間なので、
テレビの創成期とかビジュアル系の文化が一斉に開花した時代を生きてきた。
ご多分に漏れず、マンガについても熱情を焦がしたヤツです(笑)。
中学校に上がった頃には、受け身だけでは飽き足らず、
友人たちの刺激も相互に受け合いながら、自分でも描いたりしていた。
いま思えば、はてどんなものだったかと記憶も定かではない。
というのは、父親が「こんなポンチ絵、許せん」と、
描き溜めた大量のマンガを家のボイラーで全部焼却処分した(笑)。
「こんなもので食べていけるわけがない」という親心だった。
あ、わが家は食品製造業を営んでいて大量の高温水が必要ということから
石炭よりもはるかに火力の高い「コークス」燃料のボイラーがあったのです。
で、素直な末っ子の少年は、その現実を受け入れてマンガ家の夢は諦めた。
・・・しかし、人生は不思議な糸が絡み合ってドラマになる(笑)。
還暦寸前になって、「マンガによる住宅性能表現」という機会がやってきた。
そういうことで、昔のマンガ少年たちを語らって、
「おお、やるべ」ということになった次第なのであります。
考えてみるとオヤジが取り組んでいたことも、冬場での安定した野菜生産、
そのための寒冷地での高温室内環境の実現だったので、
当時そういった建物を実現させる手段をあれこれ工夫・開発していた。
火山灰ブロックによる気密・密閉性の高い育成室とか、
北ガスに勤めていた叔父のアドバイスもあった、コークス燃料での
高温水循環のシステム開発などだったので、
「高断熱高気密」の技術要素に一生懸命取り組んでいたとも言える。
まぁ、地域を挙げて、そういうことが至上命題だった時代なのでしょう。

おっと、どうも横道に逸れてしまう(笑)。
そんな経緯から、マンガによる住宅性能の表現、コミュニケーションという
テーマに取り組んでいた次第であります。
この仕事については、全5冊を持って一段落したのですが、
(あ、実は「ボツ」になった1冊もありますが)
いろいろ同時進行的なプランも上がってきたところ。
わたしの基本フィールドはコミュニケーションの分野なので、
こういった住宅性能、住宅環境要因をどのように「伝えるか」がメインテーマ。
今後とも、このジャンルを発展させていきたいと考えています。
きのうもFacebookで若干情報発信したら、いろいろなアイデアやヒントも
多くの方から寄せられたりしました。
また、もっと若い世代、東大の前真之准教授なども、
本誌Replanでお願いしている連載記事「いごこちの科学」シリーズでは
マンガビジュアル表現に強い関心を持っていられる。
先生を見ていると今後のコミュニケーション活動に於いて、
こういったビジュアル要素は、もっと拡張して行くに違いないと思われます。
ということで、過去の作品ですが、チョコチョコと「チラ見せ」(笑)して、
みなさんの関心ネタに供していきたいと思っております。

【1958年ポートランド・札幌 日米姉妹都市児童画交換】

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先日のテレビ出演の時に、思い出さされた故事がありました。
わたしが小学校1年の時に、育った札幌市は当時、アメリカ西海岸の
ポートランド市と初めての国際姉妹都市提携を結んでいた。
当時は札幌の人口は約70万人ほど。
ポートランド市というのは、現在人口が65万人ほど。
市の方針として、人口増加を抑制し続けてきたということですが、
調べてみたら、当時は約40万人規模だったそうです。
この街は、シアトルやバンクーバーなどと連携して北米西部海岸都市圏を
形成しているのだそうで、なかなかユニークな計画都市として知られる。
緯度的にも移民都市としての街の推移的にも、札幌と似た条件があるようです。

で、1958年当時、札幌も姉妹都市提携ははじめてと言うこともあって、
市民交流的な活動も盛んに行われて
その嚆矢として、お互いの街の子どもたちの「児童画」を交換するという
いいアイデアの企画が持ち上がった。いつの時代も子どもの視線は純粋。
わたしの当時の担任の先生が美術が専門の先生でもあったので、
みんなに絵を描かせたのです。で、三木少年は考えて、
アメリカの街の人たちに見せるのなら、日本的な相撲の絵が一番いいと考え、
当時の栃若の全勝対決みたいな絵を描いて応募したら、特選に選ばれた。
子どもの時のことなので、背景についてはあんまり知らなかったのだけれど、
わたしの絵を含めて、合計106枚の絵が寄贈されたのだそうです。
当時冬季オリンピックが北米で開かれ北海道新聞社が取材で行くので
その記者さんが直接持って行くということになった。
この頃は、東京への飛行機への登場者名簿が
毎日地元・北海道新聞に掲載されたという時代。
はるかな北米の街との交流は、そういった人間くさいものだったのでしょう。

こんな故事について、札幌市の国際交流関係部局に問い合わせたところ、
写真のような資料が添えられて、メール返信をいただきました。
ポートランドの市長さんが、児童画に見入っている様子。
ああ、ちゃんと見てくれていたんだと、うれしくなってきた。
肝心の絵の所在については、さすがに「寄贈した」ものであるので、
先方に所在確認するというのは、礼を失する可能性もあるので、
札幌市としては、言い出しにくいということのようでした。
まぁ、それはそうだろうと思いますね。
やはり個人として、先方に問い合わせるしかないだろうと思います。
でもこういう記録から、いろいろなことがわかって楽しい。本当に感謝。
そんなことを話していたら、ポートランド市について興味を持っていた
旭川近郊・東川の藤井工務店さんからこの街についての本もいただいた。
少年期に描いた絵、やはり自分の人生として、再会してみたい。
そんな思いがジワジワと募ってきている次第です。

【家づくり最大テーマ 「どう暮らしたいか?」】

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きのう久しぶりに当社スタッフが制作した動画を再度、見ていた。
リンク先は以下。<クリックでYouTUBE動画再生します>

藤井工務店さんの動画「どんな暮らしがしたいですか」

旭川近郊・東川の藤井工務店さんのHPのなかの動画。
この動画、森の中、自然の呼吸のなかで暮らす様子が、
くったくのない子どもさんたちの表情から伝わってくる。
素晴らしい「暮らし」が実現されていて、ホッコリしてくる。
人間は生きていくために家を作るんだけれど、
そこで出来ることは、実はかなり大きいのだということが、伝わってくる。
自分(たち)が選択することで、次の世代を生きる子どもたちに、
そのこころを育てる場を作ることが出来るのですね。
北海道だからできる暮らしだ、とはいえるでしょうが、
環境要件をフルに引き出しているかどうか、ユーザーは鋭敏でしょう。

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わが社では最近、WEBの仕事がどんどん増えてきています。
注文住宅というのは、究極的には「どう暮らしたいか?」を
実現させるためのプロセス。
住む場所を選び、その条件の中でどんなふうに家族が暮らしていくのか、
その「想像力」が魅力的であればあるほど、豊かな住まいが実現する。
共感できる暮らし方や、生き方の実例を参考にしながら、
本当に自分にふさわしいかたちが像を結んでくるようになる。
その想像力をもっと豊かにする「暮らしの表現力」こそ家の作り手の生命線。
いま、各社のWEBページを見るユーザーの見方はそうなってきている。
対応して、住宅企業の自己表現の質もまた変わってきている。
そういう「情報制作力」について、住宅雑誌メディアが期待されている。
WEB黎明期当初のIT技術に強いとか、そこから検索SEO対策に強いだの
やれWEBマーケティングだ、みたいな選別眼から、
「伝える情報品質」の方に、大きな価値感が注がれるようになって来た。
とくに注文住宅企業のホームページというのは、
結局は、深く訴求するための「メディア」づくりだということへの気付き。

やはり「どう暮らしたいか」ということが、いちばん根源的な問いかけ。
家づくりのもっとも本質的な部分なのだろうと思います。
実際に丹念に住宅を取材するなかで、声に耳を傾けるしかない部分。
住宅メディアとしては、さらにセンサーを深掘りして行く必要がありますね。
久しぶりにこの動画を再度見て、Facebookでも紹介したら、
多くの作り手のみなさんからも共感をいただいた次第です。

【わたしの「履歴書」動画、本日からWEB公開】

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本日は、タイトルのようなことがありましたので、
その動画公開まで、ブログの更新を待っておりました。
なので普段からはやや時間が遅れておりました。申し訳ありません。
ということで、先般来、うるさいなぁと思われながら(笑)、
J-comさんの策略に乗せられて、自分が出る番組の情報拡散に
一生懸命に取り組んできておりますが、
ついに本日からWEBで公開されました。アドレスはこちらです。

札幌人図鑑・リプラン編集長/三木奎吾

この上のリンクは、You-TUBEに直接飛びますが、
札幌人図鑑HPの方では、毎日更新で公開されていくので、
きょうは一番トップにありますが、明日以降は徐々に順番が下がっていく。
そのなかで、右上「11月30日」という日付で探してみてください。
テーマソングを憶えるのが大変でした、ふ〜〜(笑)。

で、こういった動画は、考えてみるといい自己紹介になるということで、
昨晩、動画編集ソフトを自分ではじめてさわって作って見てみました。
まぁ、著作権とかの問題があると思うので、公開は控えますが、
最近は動画がビジネス的にも焦点があたってきています。
Apple社のiMovieというソフトでですが、
まぁなんとか、アタッチしてそれをきちんと保存まではできた次第です。
やってみるとなかなか直感的に扱えるものなので、
これから、自分で撮影した動画や写真をムービー化させたものとか、
そういった情報加工で、住宅をもうちょっと直感的に伝える工夫をしたい。
そのスキルをちょっぴり身に付けるという意味でも、いい刺激でした。
で、公開された番組動画をダウンロードしてくれるサービスもある。
それを自分のYouTUBEページに保存しておくと、
遠距離の人に自分のプロフィルをお届けすることが、簡単にできる。
これからは、自分のメールにそのページへのリンクを張っておけば、
遠距離の人に、フレンドリーにコミュニケーション可能かと。
住宅の情報についても、動画へのスキルが高まると、
いろいろに表現の幅が広がっていくと思われます。

ことしはわが社でも、WEBの方の仕事の伸びが大きくなって来ています。
住宅の情報について、とくに「注文住宅」というのは、
マニュアル化では解決できない、感受性要素が非常に大きい。
「より深い」情報伝達が必要不可欠なのだと思います。
そういう意味で、専門的深掘りメディアの雑誌企業がWEB制作には適している。
雑誌が豊富に蓄積している情報力が、住宅企業のオウンドメディア、
HPとかSNSページ制作などで、大いに役立つという認識が広がってきている。
そういった流れの中で、こういう動画にも、可能性があると思います。
たまたまの機会でしたが、今後に活かしていきたいと思っています。

【企業マシン管理者のため息 Macのお葬式】

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当社はDTPでの出版関連企業なので、パソコン、それもMacが多い。
その管理については主にわたしも含めた2名で対応しています。
もう一人の方は、どっちかというと会社全体のネットワーク環境を管理していて
Mac自体についてはわたしの方がより専門的。
スタッフは常勤18名に対して、Macは全部で30台弱くらいはある。
その他にPCも5台くらいはある。
ネットワーク環境での仕事なので、いろいろな役割を果たしている。
普段働いてくれている間は、最近のOS環境は安定しているので、
ほとんどトラブルらしいトラブルはなくなった。
考えてみれば、MacのApple社が成長していった最大のポイントは
OSにモダンOSのOS-X(オーエステン)が採用されて、
MicrosoftのWindowsよりも安定性が高まったことが大きかったように思う。
それ以前のMac-OSの頃と言えば、頻発する「爆弾騒ぎ」で、
管理者としては心の安まる暇がなかった。ああ、なつかしい(笑)。
まぁ、Apple社企業業績としてはiPhoneの成功が最大要素だろうけれど、
その技術ベースを提供したのは、Macでの成功だった。

で、久しぶりにスタッフからのSOS。
聞けば、ノート型のマシンで「液晶が半分くらいブラックアウトしてます」。
ということで用意している代替のMacにデータ環境を入れ替えさせて、
半分黒死しているヤツをどうしようかと考えた。
わたしどもは情報産業に属する企業形態でしょうが、
その環境の中では、こういったパソコンは生産ラインネットワークの
重要なワンピースとしてはたらくものだと言えます。
これくらい多数のマシンがあると、スペアとしてのバックアッパーも必要。
2008年製だから、いまは8年というそろそろ寿命かというヤツでしたが、
液晶が悪いだけなら、ということで交換修理を依頼した。
「大体、4万円くらい掛かりますよ」とのことでした。
たぶん、中古で買った方がまだ安いかもと思いつつ、修理依頼。
そうしたら、数日後「着手前にチェック中、全面的に黒死」との知らせ。
液晶交換の前にロジックボードをチェックしていて、
そこに腐食箇所が発見されて、局所洗浄チェックしたら、逝ってしまった。
起動はするけれど、画面は真っ黒なまま。おシャカ減価償却。
であればやむを得ない。修理は中断してもらって返品されてきた。
腐食の原因はよくわからないけれど、外皮にシミ、液体乾燥痕跡があったので、
それが起因しているかも、という診断見立てでありました。
「着手前でしたので、料金はいただきません」とのこと。

ということで、それでも解体すると
HDやメモリなど、とりあえずは活用可能な部品もある。
とりあえずの「お葬式」での臨終写真であります。
自分自身も年齢を重ねてきて、こういう老兵への思いが
ついこみ上げてくるものがあるのであります(笑)。
よく頑張ってくれた、という感謝の念をしっかり伝えて上げたくなる次第。
南無大師遍照金剛・・・。

【明治から平成へ 現代の「坂の上の雲」は?】

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司馬遼太郎さん本人としては可能な限り事実に即したと判断した結果としての
明治の総決算としての日露戦争に至る「坂の上の雲」を読み終えた。
明治は、今に繋がるニッポンという「国」のスタート。
それまで、江戸や大阪の町人や、各藩に所属するとしか自己認識がなかった
この列島社会の人々に、突然真空的な「国家」や「国民」が現れ出た。
それまでは寺子屋で自分の生きるよすがとしての
読み書き算盤は習っていたけれど、
明治になって、国家が国民に教育を施すという施策を打ち出し、
教育勅語をもって、国民であることの自覚を植え付けた。
それは世界に新興国家として認識を訴える大きな意志の元に、
多くの人々がほとんど無私の精神で国民であることを受け入れた。
明治はひとびとのそうしたピュアな思いの上に成立した。
癸丑庚寅〜きちゅうこういん〜以来、と明治の指導者木戸孝允が繰り返して
言っていたという弱肉強食帝国主義との遭遇の時代。
50年以上にわたった大動乱の最終的決着として、
国家防衛戦争として主観的には位置づけられてこの戦いはあった。
そしてバルチック艦隊への勝利として、作品は締めくくられ、
無私に彩られ、坂の上の雲を追った輝きのままに明治の終わりを
残照として浮かび上がらせて、この歴史小説は終わっている。
司馬さんの作品としては太閤記に似た虹色の終わり方だと思う。
秀吉の成功がそのまま毒になってしまった歴史と重なるような
その後の40年、この国が自己をコントロールできなくなったことについて、
書くことをためらったのか、司馬さんはそこに小説としては踏み入らなかった。

司馬さんの歴史小説では、やはり日本人を考えられるということが大きい。
わたしたちの骨身を構成しているものやことの始原や推移が見える。
だから、歴史を考えることは、そのまま現在を考えることに繋がる。
わたしたちが今日このように常識として考えていることは、
必ず先人の経験や合理的に判断した結果が反映されたもの。
作品を読みながら、しかし、常に現代へと繋がる部分を見ていた。
いまは、そのあとの1945年のカタストロフを超えてから71年。
アメリカという超巨大軍事国家による占領と、日本無力化政策によって、
これもまた、真空的な「平和国家」が継続してきた。
しかしいま、トランプ大統領という不確実要素が国際情勢の基底に出現した。
素人と言われる彼もまた、いまのアメリカの戦争は継続するに違いない。さらに
いまは基底としてのエネルギー爆消費文明、地球環境問題が迫り来る世界。
エネルギー消費の抑制が国家間争闘を超える大テーマだけれど
超大国指導者としてのトランプは、そっちの方向を指向してはいない。
癸丑庚寅〜きちゅうこういん〜以来、というのは、もう一方で、
明治の時代にはその輝きだけが見えていた「坂の上の雲」はしかし、
そういったエネルギー爆消費文明の受容のスタートでもあったのだろう。
どうやったら、こういう時代・リアリズムとしての「坂の上の雲」は描けるのか?
だんだんと現在状況へと、煮詰まってくる気がします。

【住宅「リノベ」が目指す社会性と性能向上】

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リノベという言葉は、なかなか定義が難しい。
リノベーションというコトバは「革新」というように理解されていて
どっちかというと、工業系的な進化という語感を感じる。
従来、住宅の改修を指すコトバとしては、リフォームが一般的だったけれど、
むしろ温暖地域で「まちづくりリノベ」というような使い方で
もっと幅広く社会的な広がりも感じさせる住まい〔方)の革新というような
そういった意味合いを「住宅リノベ」は持ってきている。
そのような温暖地域でのリノベについて、その作り手や施主さんの動向を
取材してみて、どちらかといえば建築社会学的な動きと感じた。
既存の建築に対して、その活用方法について
まったく異質なアプローチを試みて現代人の興味を向けさせている。
東大の松村秀一教授がよく、
「建築が廃棄されたり取り壊されるのは、その性能的要件からではなく、
社会的に利用価値がなくなっての場合が多い」と言われていましたが、
そこにどうも、この「リノベ」の核心的テーマはあるように思っています。

で、今回住宅金融支援機構では、フラット35リノベという金融商品を
実験的に打ち出している。
これはフラット35と比べても当初金利を0.6%引き下げるもので、
国策としても住宅の改修更新に対して、追い風を吹かせるもの。
そしてそのネーミングに於いて、「リノベ」がめでたく採用された(笑)。
若い世代のみなさんにとっては、既存住宅を購入し「リノベ」して
住み継ぐ方がむしろ有利だとされているのですね。
というような風が、温暖地域から吹いてきて、
多勢に無勢という感じで、北海道まで達してきて、
それではどうやったら、既存住宅を改修し根本的な意味でリノベできるか、
その手法開発が巡り巡ってきていると思われます。
無論、温暖地での住宅建築の「社会的価値再生」は大歓迎するところですが、
さりとて、寒くてもガマンして「こんなカッコよく暮らしている」みたいな
時代錯誤に引きこもるわけには行かない。
そこで「断熱リノベ」が大前提でしょう、というような返答が
きのうご案内した討論会セミナーの動きになっているのだと思います。
でも、北海道ではこれまでもすでに鎌田紀彦+北総研の研究成果として
住宅の下端、土台回りの外壁を剥がして、
土台の腐朽状況を確認して必要なら土台を入れ替えるなどの処置をし
既存の断熱材を活かして下端部分からの気流を留める
圧縮グラスウール充填による「リノベ」工法も地域として開発されている。
この工法では同時に耐震補強として必要な処理をして
その上から構造用合板でカバーリングを行っている。

今回さらに福島先生が、新たなチャレンジをはじめられた。
もっとローコストに出来る方法はないか、という志向性。
一方では、より根治的に改修する手法も探求されている。
今回のセミナーはそういった流れを踏まえてのものと思っています。

<写真は無関係の北欧住宅風景>

【断熱リノベ・これからの施工方法は? 】

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北海道科学大学教授・福島明さんが指導されて、ことし、
北海道仁木町の既存住宅で外壁重ね張りスタイルの「断熱」リフォームを行った。
従来は、結露被害が起こるからと忌避されていたスタイル。
じゃぁ、どんな工事をしたのですか、という現場見学会には参加できなかった。
そうしたところ、時宜を得たイベントのご案内。
この工事についての詳細を福島先生から発表され、
あわせて建築家・山本亜耕さんがいま行っている札幌市西区山の手での
減築・耐震・断熱リノベ工事についての工事内容の発表も行われる。
こっちでは、既存の材を生かして使うのに、解体工事の困難さを指摘されていた。

断熱リノベ、性能向上リノベについては、
いま、住宅金融支援機構でフラット35リノベという新しい金融支援が出て
既存ローンと比較して0.6%安いという金利優遇が図られている。
そういう意味では、事業者側の関心は高まっているけれど、
肝心の工法では当然、よりコスパの高い工法開発が求められている。
そのカギになるのが、福島先生の発表だろうと思われます。
また、山本亜耕さんからの鋭いツッコミも期待できそう(笑)。
いろいろな意味合いで、テーマが煮詰まっているセミナーだと思います。
ぜひ多くのみなさんの参加をオススメいたします。
セミナーでは山本さんがはじめにリノベ事例紹介をして、
その後、福島明先生が、問題の断熱リノベの詳細説明をされますが、
講演終了後、徹底討論会が40分間予定されています。
「ホントに大丈夫なんですか?」など、素朴な疑問大特集の予感。
以下、セミナーの概要です。

【これで良いのか断熱改修】
断熱リノベーションのこれからの施工方法とは?
福島明教授×山本亜耕先生講演対談
ソトダン21オープン研修会・忘年会
○ 日 時 平成28年12月8日(木) 午後2時から5時まで
受付開始 午後1時30分から
○ 会 場 エルプラザ札幌 3階ホール (札幌市北区北8条西3丁目)
○ 定 員 70名
○ 受講料 一般 2,000円 (同一社2名以上からは1名1,000円)

なお、当日はこの研修会の主催であるソトダン21の忘年会も兼ねています。
もっと講演者に突っ込んで聞いてみたいという場合には、
お酒を飲みながらの「チョー徹底討論」会場も準備されているとのこと(笑)。
こっちは参加費6,000円でバスでの送迎までついているそうです。
(会場は、市内南区の真駒内。帰りも送迎してくれる)
あ、もちろんわたしも徹底討論に興味津々で、参加させていただく予定です。
申込みは、ソトダン21事務局(担当/土田)
電話0133-73-9598 FAX 0133-73-9590
メールアドレスは shidayachi2727@gmail.com
以下のPDFに内容の詳細がありますので、ご覧ください。

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【明治日本と民の無私・奉公〜「坂の上の雲」】

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ようやく大長編、それもあんまり好きではない近現代史ものでしたが、
司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」、読み終わりました、ふ〜〜。

読後の感想は、やれやれ長かったであります(笑)。
Kindle版なのに5400円もするという全8巻構成。
読む進めていくうちに、近現代の戦争の連続の歴史に対して
いかに自分がそれを知ることを忌避してきたかが、わかった。
現代の支配構造とも具体的に繋がってくるので、
いまを生きているひとたちの利害関係が即座に直結してくることから、
やはり踏み込みにくいのだということがよくわかる。
司馬遼太郎さんは、第2次世界大戦での従軍経験があって、
その敗戦に至る戦争指導に対しての強烈な反感をカラダに持っている。
であるけれど、明治国家、日露戦争までのそれについては
それこそ「坂の上の雲」を目指していた少年国家として
愛惜の念を持って語っていると思います。
士農工商という身分制度が固定化されていた江戸社会から、
少数の士族階級のなかで、それも薩長の少壮士族たちが領導する
明治維新が成立して、明治国家が生まれ出た。
そのことは、大航海時代以来の欧米社会の「発展」が帝国主義段階に至り、
とくにアジアでは陸軍的侵略として、ロシアの南下膨張との対峙が
非常に大きな、地政的な基本的国際関係として存在した。
他の欧州各国は、海軍的あるいは経済侵略的脅威であったのに対して
対ロシアにおいては、より死活的な陸軍的脅威だった。
維新首脳部の少壮士族たちは、そういう圧力の中で近代「国家」を作った。
かれら「列強」の弱肉強食的で生々しい帝国主義国家間争闘が
基本的な国際ルールという環境条件の中で明治国家のスタートがあった。
帝国主義国家と、それ以外の支配略奪される地域という国際関係しかなかった。
白人種が支配することが当然の「公理」であった世界。
そのなかで国家体制の大転換、封建支配から「国民国家」へと
ふつうの人が国家の成員であると自己認識し、はじめて日本人であると思った。
戦争の記述が大部分だけれど、そのなかに印象的なシーンがある。
宮古島のふつうの5人の人々がバルチック艦隊をはじめて発見したことを伝える
決死としか思われない「奉国」、国家に対する国民の義務として
石垣島までの往復という数日間の決死行で伝令行動をはたす件がある。
そしてこれを「国家機密」であると言われ、その後数十年も箝口しつづける。
家族・妻にも言わなかったとされていた。
帰路、生存帰還が絶望的になり、遺さざるを得ない幼い子どもと妻のことを思い、
ただただうずくまってしまった男性の事実の記述がある。
こういうところから、近代国家日本は生成されてきたという実感に打たれる。
そういう民のさまざまな「無私」から始まったということが胸に刺さった。

【テレビメディアとの関係・自分史】

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きのうは自分史にスポットを当てる地元ローカルテレビ番組の放送。
自分のことを聞かれるという経験は初めてだったのですが、
番組パーソナリティを兼務する福津京子さんのリードに乗せられて、
楽しそうにしゃべくっている自分がテレビの中にいました(笑)。

みなさんはテレビに出た経験はありますか?
日本人とテレビって、戦後の力道山プロレスの時代から
いわば「大衆社会化状況」の象徴的なものとしてあったと思います。
日本でのテレビ放送は、1951年GHQの要請により電波監理委員会メンバーが
視察のため渡米。アメリカから3人のコンサルタントが来日。
軍事戦略のひとつとして占領国でのテレビ放送利用を
重要視していたアメリカの圧力によりスタートを切ったとされる。
で、1953年からNHKから放送が開始された。
ということなので、63年という時間が経っている。
わたしの年齢はほぼそういった時間と重なっている。
当初はもちろん、街頭テレビとして力道山のプロレスがブームを牽引した。
そういう創成期にはもっぱら受け止めるメディアだったけれど、
放送内容が多様化するにしたがって、「テレビに出る」ということも
どんどんと大衆化していったと思います。
わたし自身のことで言うと、小学校5年、10歳くらいの時、
ですから1962年当時に、札幌の街中の小学校だったこともあり、
NHKローカルで、子どもたち出演の討論番組のようなものに出たのが嚆矢。
たぶんNHK札幌に比較的近いということで小学校に協力要請があって
それに応えて出演したのだろうと思います。
高校3年17歳の時には、学生運動をやっていてアジ演説していたけれど、
その様子を映画研究会の友人が番組に編集してNHKに売り込んだらしく、
なんの事前予告もなく、その様子が「高校生の政治運動活発化」というようにして
NHK朝のニュースワイドみたいな番組で流されてしまった。
それまで親には「どうも学生運動しているみたいだ」と疑われていたのが、
どうにも動かぬ証拠映像として、食事しながらいっしょに見るという
なんとも居場所のない状態になった記憶がある(笑)。
逃げ出すように学校に出掛けていった。
で、星霜を経て、住宅雑誌リプラン創刊当時・28年前1988年には、
雑誌の宣伝のために「TVリプラン」というオリジナル番組を制作運営していた。
そちらの方で主に宣伝をやっていたけれど、
結局、住宅番組と言うことで番組内容まで全部引き受けざるを得なくなって、
その番組継続は制作企画進行が物理的にムリになってしまった。
その後、地元TBS系列HBCの昼ワイドショーで、住宅情報コーナー番組として
そのコメンテーター、番組企画運営などをさせてもらった。
ほぼ月一回程度の頻度で、実例住宅映像とわたしのコメント解説という
そういった番組を都合3年くらい継続していた。
テレビは即応性が要求される世界なので、コメンテーターには自在性が不可欠。
いい経験をさせてもらったと思っています。
どうしてもやや、テンションを上げ気味に対応する必要がありますね(笑)。
ということで、自分とテレビ54年の付き合いだなぁと少し感慨に浸っていました。