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くりやま老舗まつり

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きのう、好天に誘われて
ようやく体力が回復してきたカミさんの母親を連れ出して
外出しようと出かけました。
大して当てもなく、「北の錦」ブランドの地酒で知られる栗山の小林酒造に
向かってクルマを走らせました。
何度か、その敷地内にある「そば店」で食事したことがあり、
久しぶりに外食で、そばを食べたくなったのであります。
しかし、かみさんの母親の元気回復が目的なので
出かけられるかどうか、様子を確認してからということなので、
事前にはなんの計画性もなかった次第。
札幌は基本的に東西南北それぞれの地域で、その先の方面地域から
ひとびとが流入してきた歴史があって、
なんとなく、そっちの方向が地縁もあっていいのではないかと想定して
栗山を選択したわけであります。まぁ当てずっぽうですね(笑)。
で、のんびりゆったりクルマを走らせて、
景色が春色に変わっている様を満喫して栗山の町に近づいてきたら
なにやら、クルマの駐車ぶりがハンパなく多くなってくる。
そこらあたりで、カミさんがiPadで調べたら、
なにやら、「くりやま老舗まつり」というイベントが開かれている事実を発見!
「そうか、それでか・・・」と、ようやく事態を把握。
でもせっかく来たのだし、なんとか近づきたいと交通整理のお巡りさんに
車椅子での利用者が同乗している旨を伝えたら、
親切に車椅子専用駐車場に案内してくれるという思わぬ展開に・・・。
ありがたく善意に甘えさせていただいて
たいへんな人混みの中を小林酒造の敷地内の駐車場へ。
歩く以下の速度で進入できて、無事駐車。
車椅子をセットして、カミさんの母親を乗せ
場内を1時間以上あちこちと見て回ってきました。
母親にしてみると、本格的に車椅子に乗っての「観光」ということ。
ふだんよりも低い目線で、しかも突然降って湧いたような大群衆の中に突入、
という事態であります(笑)。
ひとに酔って疲労が大きくなるのではないかと心配しましたが、
どうやら本人は大喜びして、表情もぐっと明るくなっていく・・・。
あれをみたりこれをみたり、
その間も、みなさんが車椅子の当方に大変親切に接してくれるので感謝一杯。
道の悪い場所などでは、親切に車椅子を持ち上げてくれたりまでしてくれる。
中国の人たちが感激する日本の公衆マナーの素晴らしさを実感しますね。
<以下、老舗まつりの小林酒造の方の内容です〜本日まで開催>

第26回 北の錦 酒蔵開放 イベント予定
* 国の登録有形文化財 北の錦酒蔵群の一般開放
年に1度きりの酒蔵一般開放。昨年は2日間で2万5千人を動員しました。
一定時間おきに専門ガイドによる酒蔵案内もございます。
* 酒蔵 味の屋台
・厚岸の漁師さん朝入れの焼きカキ、礼文島の船泊漁協から新鮮ウニ!ホッケ!など海鮮焼きコーナー。愛別町からキノコ鍋、くりやまコロッケ、酒粕ジンギスカン、酒粕ラーメン、炭焼き鳥、名物の天そば、きらら街道のおむすび、おでん、栗山物産コーナーもさらに充実。敷地内に屋台がズラリ並びます。もう、すごいです。
* 北の錦無料試飲
*しぼりたての新酒(名物うすにごり酒)が瓶詰される前に、皆様に一日中無料で振る舞われます。おかわりも自由ですが、自分の酔いと相談して節度をもってお願いします(笑)  あと、有料試飲もあります。
*名物『うすにごり』、『新酒しぼりたて』、『新酒の大吟醸』
* 杜氏の甘酒コーナー
* 北の錦販売コーナー

というような次第であります。
まぁ、わが家は母親孝行が思わぬほどの大成果になって
おまつりとそこに参集されたみなさんの暖かさに触れられて、
本当にありがたい1日を過ごさせていただきました。
まことに感謝、であります。
お近くの方は、素晴らしいイベントでしたので、ぜひ足をお運びください。
と、感謝の印に、宣伝くらいはご協力させてもらいます(笑)。

夏時間のはじまり

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札幌もようやくにして市内では雪がほとんど姿を消して
朝など、ひとぞれぞれで散歩するみなさんの姿が見えるようになって来ました。
別に冬の雪のある時期でも散歩は出来るようなものですが、
やはり足許が軽快にならないと気分が盛り上がってこないし、
やっぱり朝の冷え込みは日中とは全然違う厳しさなので
やはり、時期は雪解けを待って、ということになりますね。

ということでいつから始めようかと思っていた早朝散歩、
本日から再開致しました。
始めた頃から一貫して、ダイエット・冬場の運動不足解消が
大きな目的だったのですが、ことしはそういう部分はおかげさまで、
達成されていまして、精神的にゆとりがある(笑)。
わたしの自宅からクルマで5分ほど走ると北海道神宮の境内なので、
そこの駐車場が参拝者の場合、早朝は無料で利用できる。
なので、散歩の〆には必ず神さまに感謝のお賽銭を奉納して帰ってくるのです。
散歩は、境内周辺の散歩道を巡るもので、
大体35分から40分くらいの距離。
人間、習慣性の強い動物だと思いますが、
わたしの場合も、判で押したように同じコースを巡ってくる。
どうもいつもの道を通らないと、気分的に落ち着かない部分が出来る。
で、散歩後、時間的に運がいいと午前6時の奉納太鼓を体感できる。
神宮門前に据え置かれた太鼓を神職さんが叩くのです。
これが、五臓六腑に染みわたる波動を伝えてくれて
「おお、あたらしい朝だ」と、カラダが蘇る。
っていうような日課を楽しむくらしが、わたしの札幌での「夏時間」。

なんですが、さすがに散歩道には写真のように
至る所に雪の堆積がみられていて、
夏の運動靴では、まだまだ滑りやすい状態であります。
ただ、冬靴にしたとしても、やはり雪がある以上、
歩きにくさは残るのは仕方ないでしょうね。
さて、これから11月の終わり頃まで、
たっぷりと夏時間の自然とのふれあいを楽しむ暮らしを
過ごしていきたいと思います。

電器量販店に、USBケーブルがない

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のであります(笑)。
まぁお店はヤマダ電機だったのですが、
きっとどこの店でも大差ないのでしょうね、品揃え。
あ、誤解されると困るので、説明すると
USBケーブル自体の販売は行われているのですが、
そのなかで一番一般的だと思っていたヤツが店頭になかった、ということです。
USBケーブルとは言っても、いくつか種類がありますよね。
そのなかで、一番一般的な接続部分がやや平ぺったい、
USBケーブル登場初期から、普通に流通していたタイプが両端についているヤツです。
ああ、説明が難しい(笑)、写真を参照してください。
たまたま、最近、パソコンの整備作業が進んで、
廃棄せざるを得ないノートPCなどから、データ保護の意味もあって
ハードディスクを回収していて、
それを再利用できるように「ガワ」だけ買ってきて、外付けのデータ移動用HDに
しようとしていて、数台分の接続ケーブルが足りなくて
ガサゴソやっても出てこないのでやむなく買いに行ったのです。
売り場には、両端が違う形状のタイプは多く売られていた。
一番多いのは、「ABタイプ」というもので、片側は通常の平ぺったいヤツで、
片方が真四角っぽい形状のB型と言われるタイプのもの。
で、その次にはたぶん、デジカメでよく使われる小さい接続部分とAタイプの形状のもの。
その他、「これ、どんなデバイスなのかなぁ」と驚くような見たことないのもある。
ふむふむ、と勉強にはなるのですが、
探せど探せど、「A-A」という一般タイプがなかったのです。
業を煮やしてお店の人に聞いたら、在庫を調べてくれて
結果、「そういうタイプの需要がなくて、商品在庫はしていません」ということ。
まぁ、驚くわけですが、仕方ない、それが現実だと知った次第。
この様子では、あと少ししたら、希少価値が出てくるのかも知れないと
想像も巡らせられるほどであります。
パソコン、スマホ、デジカメ、タブレットなどなど、
機器デバイスは増え続け、データもソフトも変化し続けてきていますが
肝心のデータの保護、移管を常に心がけていないと
こういった足許から、危機が来る可能性もあるかも知れませんね。

ちなみに、消費税アップ後、
はじめて家電量販店に足を運びましたが、ものすごい閑散ぶりで、
店内にはほぼ派遣の店員さんしか見当たりませんでした。
まぁ、平日の午後という時間帯でもあるので
通常もこんなものなのかも知れませんが、
「こんなんでいいのかなぁ」と実感させられました。
さて増税後、みなさんの足許の景況感はいかがなのでしょうか?

隙間の「みえる化」

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写真は青森市浪岡にある古民家の縁側。
雨戸を閉じているのですが、その隙間から春の陽光が床面に透過している。
ちょっと不思議な美しさを放っていた。
わたしには、そのように感じられてなりませんでした。

高断熱高気密住宅のことを中心的に扱っている雑誌発行者ではありますが、
別にだからといって、吉田兼好の、あるいは、徒然草的な世界が
まったく嫌いだ、というようなわけではない。
先日、伝統木造のひとたちと接触したときに
こちらがわを射すくめるような視線のなかに、
このような日本的わびさび精神を全否定しているに違いない人種だ
というような断定的な光を感じたのですが(笑)
そんなことはまったくありません。
むしろ高断熱高気密住宅という日本の木造技術の進化を経て
なお、徒然草的な精神世界はどのように可能かと、
いつも考えているように思っている。

だから、こんな思いがけない素材と陽光の一瞬のふるまいに
捨てがたい美を感じて、立ち止まってしまうのを禁じ得ない。
ただ、このような戯れてくるような美におぼれるのではなく
それを科学的に捉えて、柔軟に対応していきたい。
こうした美が否定されていく、とまで捉えるのは自由だけれど、
ちょうど障子の紙が、圧倒的な現代文明によってガラスに置き換えられたように
住宅性能という技術を使って
あらたな世界のなかでの価値観を見出していくべきだと思う。
まさか、方丈記のような山奥での庵暮らしを
現代に生きるふつうの人々に説き、そのライフスタイルを強制はできないだろう。
この写真のような住宅に暮らした日本人の生き方の光景は、
いまはもちろん失われていくだろうけれど、
そこで感受した美であるとか、
心象風景での「隙間」のような空気感自体は、
つぎの空間ステージで、どのように活かしていくかと考えるべきだと思う。
木造住宅の隙間が持っていたある精神作用、
日本人的なこころのひだ、というようなものを
どんなかたちで次の世代に渡していったらいいのか、
隙間の「みえる化」のようなことが、必要だとも思えた次第です。

東北と「黄金」

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写真は先日、東京の博物館で見掛けた気仙地域の歴史展示より。
金鉱りの歴史についての展示なんです。
金という希少金属は、人間の歴史において、
かなり決定的な要因になったに違いないのに
それが通り過ぎてしまうと、忘却される人類的体験記憶でしょう。
リアス式海岸地域というのは、
日本の歴史の中でも特異的な発展をしてきた地域だろうと思うのですが
そのなかでも黄金産出に伴っての特殊性が大きかったのではないか。
きのうは「津軽地域」を歩いていたのですが、
津軽というのも、発展の仕方がかなり独特だと思う。
それとの対比でも、気仙、リアス式海岸地域もかなりの独特さ。
ことばの異質感は、どちらも日本語の語彙との距離感がハンパない。
そういう部分に、今日までもしっかりと残滓が残っていると思う。

いわゆる日本という文化は、基本的には縄文的な
漁労+森からの採取という生活様式をベースにして
それに「ムラ」社会を生み出した共同生産体制としての
コメ生産社会様式が重層していったものだろうと考えられるのですが、
やはり、それとはまったく異質に近い金属発掘型の社会というのも
日本には多様に存在していたと思われます。
日本歴史では、前九年後三年合戦の合間に、この地域政治勢力を
清原氏が攻めたという記録が残されている。
東北は各地で独立的な発展を遂げてきているけれど
やはり東北の中央権力は、奥六郡地域か、仙台平野地域に存在した。
そことは、陸路での交流はあまりなかったに違いなく、
また、河川による交流も大きな川が存在していないので
たぶん、北上川河口地域から海路で交流していただけなのではないか。
そういった交通の隔絶性が独自の発展の要因にもなった。

さて、黄金であります。
東北が日本史と交錯するときに一番のキーワードは
やはりこれなんでしょう。
清原氏による軍事的なこの地域の征服を経て
東北中央権力は黄金産出地域の支配権を確立して
その経済的利益を集中させることができた。
王朝政府側も、坂上田村麻呂以来の直接的軍事支配が
どうしてもうまくいかない現実の中で
安定的な黄金の日本中央、畿内地域社会への導入を優先して
奥州藤原氏という、のちの鎌倉幕府の政体のモデルになるような
「独立権力機構」の存在を容認した。
奥州藤原氏も、遠のみかどとしての多賀城国府を尊重し、
年貢負担などの最低限の日本国家への従属義務を果たし、
強い自治権力の構築を実現させていた。
こういった日本史、東北史のなかで、
さて黄金産出産業は、どのような経緯をたどっていたのか、
つまびらかにしてくれるような歴史研究者の仕事を探したりしていますが、
なかなか前途の遠さを感じてきている次第であります。

この東京での展示も、
まるで偶然のように飛び込んできた情報機会。
じっと目をこらして見入ってしまった次第であります。
ふ〜〜〜む。

駒ヶ岳

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きのうは札幌を出て青森までの出張。
青森までは列車を利用することが普通であります。

学生時代以来、
この函館本線はずいぶん利用させてもらっている。
で、函館に近づくと豊かな山容を見せてくれるのが駒ヶ岳。
わたしは、岩見沢市のとなりの栗沢で生まれ、
3歳から札幌で過ごしていたので
「大きな山」というのを見て育たなかった。
そういう人間にしてはじめて見初めた大きな山がこれでした。
日本列島を北上してきて、北海道に上陸してはじめにある
大きな噴火を感じさせる山容を持っているのがこの駒ヶ岳。
まぁわたしの場合は、
北海道を札幌から南下していって、
羊蹄山は千歳回りの列車からは見えないので
本格的な独立火山という山容をはじめて感じさせてくれた存在なのです。
駒ヶ岳は、上部が噴火で吹き飛んだ富士山型。
その男性的なフォルムで惹き付けられる。

人間の感覚というのは不思議なもので、
大きな山というのには不思議なパワーを感じる。
日本という国は、自然崇拝的な神道がベースにあると思うのですが、
それは、国土が火山列島であり、
大きな山というものが、民族の共通体験として大きかったのではないかと
そんな風に思っています。
春の穏やかな陽射しの中で
久しぶりの対面を楽しませてもらった次第です。

クッションフロア(CF)床の張り替えDIY〜2

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さて、上の写真がクッションフロア(以下CF)を剥がした後の様子。
被覆されているCFの下から、肉に似たコンクリート土間床が露出する。
てっきり平滑かと思っていたら、
筋状の凹凸が施されているように見えます。
なにやら、筋肉のスジを思わせるかのようですね。
CFはこの面に対して、接着材で固定されていたのでした。
カッターでの裁断は、はじめはなんとも頼りなく、
「これホントに切れているのかな」
という不安が先立ってくるものでした。
で、徐々に右手で切るのと同時に左手で「剥がす」ようにしたら、
施工の感覚が見えてくるようになりました。
頼りないプラスチック製の「物差し」を当ててやっていましたが、
「まっすぐに切る」というのは、予想以上に難しいことに気付きます。
金尺を買って使用した方がいいだろうと思いますが、
そこまでの準備はしていませんでした。
何度もラインがずれて、微妙にカーブしてしまう・・・。
力加減が難しいのと、下地のコンクリート面が平滑ではないことが
影響してくるのだろうと思われますね。
本当は最初にカットラインをきちんと直角を出して線描してから、
その線に沿ってカットすべきでした(反省)。
でもまぁ、素人DIY、なるようにしかならない、
覚悟を決めて前に行くしかない、という開き直りであります(笑)。

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で、カットし終えてから、
見てみると案の定、やはりきちんとした直角ではない、
不定形の四角形形状に切断面がなってしまっていた(汗)。
そこに購入してきたCFを当てて形状通りにカットしようとしたのですが、
これもまた難しいワケです。
1辺はなんとかまっすぐっぽいけれど、それに交わる次の辺は
微妙に角度がずれているので、
いったん大きめにカットしてから、細部は微調整をしていった。
接着は、施工性を考えて両面テープを使いました。
接着剤だと、扱い方が難しすぎるように思われ、
やり直しもラクそうだと思った次第。
大きさは大体1.2m×0.8mくらいの大きさなので、
テープはCF裏面にタテヨコそれぞれ4〜5本を張り巡らせました。
それを一気に、
後先考えず気合いで切断面にあわせ、すぐに押さえ込む。
で、不安だったのですが、
案ずるより産むが易し、ということでまぁまぁ、という感じであります。
しかし、よく見てみるとやはり切断面縁辺部は
ジグザグのラインで、隙間は大きかったりなかったり、という
ふぞろいのリンゴたち状態(笑)。
でもまぁそれも「手業の味わい」と強引に納得(笑)。

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できあがって椅子で、状況を確認。
床面としてのふるまいは問題は感じない。
まぁあきらかに色柄は違っているのだけれど、
この辺は、妥協してもらうしかない。
で、このあと、隙間をシール材で仕上げまして、完了致しました。
本日、出社してくるスタッフの評判やいかに、
っていうところですが、
わたしは本日早朝から出張であります。
帰ってくるのは早くても明後日の予定。
留守中、顰蹙を買うことになるのか、賞賛につつまれるのか、
不安いっぱいの旅立ちであります(笑)。

クッションフロア(CF)床の張り替えDIY〜1

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わが社事務所の床は、基本的にはクッションフロア(以下CF)にしています。
CFというのは素材は塩ビのようなもので、
防水性や耐久性に優れている、という特徴があって、
住宅ではよくトイレや洗面といった部位に使われています。
今回、その事務所のCFの一部が回転椅子による摩擦を
ほかの場所とは段違いレベルで繰り返しストレスを受け、
たわみ、穴あきなどの症状を呈しておりました。
こういった場合、CFのその部分を除去し、部分張り替えという補修が可能です。
補修を要する面積は、ほんの1㎡×2程度。
それで工事見積もりを頼んだら、8万円強の見積金額。
むむむ、まぁ、プロに頼めば工事としては確かにかかるのは、仕方ない。
でも、経費節減を考えてきて、これは容認できない。
ということで、わたしの趣味もあって、
日曜大工での補修に挑戦することにしたわけです。
ちなみに今回の関連支出総額は6000円ほどなので、
コストパフォーマンスは高い。
中小零細企業、どんなことでもやっていかなければならない。
でも、久しぶりの挑戦です、胸の鼓動がハンパない(笑)。
で、まずは材料の物色、購入。同時に工事アイデアの確認をかねて、
TOSTEM運営の「スーパービバホーム」へ。

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こちらのお店では、「生活館」というコーナーと「資材館」とに別れ、
資材館のほうは朝早く6時半からやっている。
まぁ大体はこっちだろうと目算して、8時過ぎに出かけた。
なんですが、CFは探しても見当たらず、店員さんに聞いたら、
「生活館」での取り扱いで、9時開店ということ。
でも、それまでの40分ほどで、必要な工具・備品を品定めできたので
たいへん有意義でした。
基本的な工事の仕方はインターネットで調べていたので
大型のカッターナイフ、万一CF張り替えでは対応できない場合を考えて
より簡便な合板90cm角×2も購入。
それらの接合手法としての接着材や、両面テープを購入。
ほどなく生活館がオープンして、目的のCFを発見購入。
やはり同じ色柄のものはないので、近似したヤツをかなり大きめに購入。
必要があれば、今後劣化した床補修に備える意味。
で、写真のようにロール状になるのですが、
ここで右側の棍棒のような機材から、梱包材として
薄いサランラップがくるくると巻き付けられる。
ちょっと驚かされた次第。
ふむふむ、いろいろ勉強になりますね(笑)。

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で、いよいよ、作業開始。
取り替える部位のCFをカッターナイフで切り剥がし作業。
素人仕事、それもはじめて挑戦なので、
段取りがよくわからない。
本当は正確な寸法取りが必要とは思いましたが、
金尺すらないし、たとえ正確に採寸できたとしても、
そのようにカットできるかも不明だったので、
成り行き任せで、切り取りました。
やってみると、定規を当てても、その通りにはなかなか直線カットの
力加減、コツがつかめない。
やりながら、すこしずつ感覚ができてくる、という
DIYの醍醐味そのままであります。
「そうか、これくらいなんだな」
と悟りをもとめる求道者のごとき心境になってくる(笑)。
なにか、一期一会の修行のような気分が立ち上ります(笑)・・・。
直線的に切り取りながら、CFを持ち上げたりして、
「切る」と「剥がす」を両方同時にやるのがコツのようですね。
で、ようやく写真のように、切り取ることができた!
左は、購入してきたCFです。

長くなるので、続きはあしたのブログで・・・。

江戸期の村社会

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陸前高田のことは今回の津波被害からの復興の状況を見つめ続けてきているけれど、
当然ながら、彼の地には独自の歴史が積み重なっている。
そんな展示会が東京であったので見学して来た。
そのなかに、「大庄屋・吉田家」のことが取り上げられていた。
古民家建物という興味もあるけれど、それとは別に
江戸時代という時代は、武家が確かに権力は握っていたけれど、
実際の経済運営は、庄屋層や都市の商人たちが担っていて、
そういった様子について大きな想像力を持っていないといけないと思う。
そんな様子をうかがい知る資料を見ることができた次第。
陸前高田の村は、江戸時代、伊達藩領だったけれど、
この地域の行政・財政の地方行政については、
この吉田家が、すべてを担っていたとされている。
その行財政の様子は、詳細な「定留」という記録文書に記載され続けてきている。
そのなかには、詳細な日々の行財政の様子が坦々とつづられている。
税として納められた詳細なものの記録など、
その背景としての気候風土条件などが匂い立ってくる。

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陸前高田は、震災にも残った松が有名になったけれど、
江戸期を通じて、地元民がこれらの松を防砂林として植え続けてきた。
今日に残る絵図面に、民家群を守るように描かれた松並木がある。
記載では、ある農業生産者が植え始めたと書かれているようです。
そういえば、はるか日本海側の庄内地方でも
日本一の富豪と言われた本間家が、永年、防砂林を整備したことで
豊かな米所として、庄内は名声を博していったということだし、
生産力向上を考えれば、だれもが思い至る事業なのだろうと思う。
そういった「防砂」を目的として植えられた植生が
やがて、地域のプライドにもなっていくあたり、
ひとの仕事というものの本質的な部分を感じさせてくれる。

新年度のスタート

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新年度を迎えて、さまざまな変化が訪れております。
当社ではこの4月から大卒の新社会人が2名、スタッフとして加入しました。
大きな会社であれば、「入社式」とかあって、
いろいろなイベントもやってモチベーションを高めるとかあるのでしょうが、
中小零細出版業としては、創業者であるわたしが会社を、
あるいは社会の中での会社の置かれた位置などの話をじっくりとする、
そんな機会を設けてみました。
で、本日は中小企業家同友会の「合同入社式」というのがあって、
そちらに参加してもらっています。
小さい会社に入ってくれたのですが、
社会の中で生き抜いていく、働くという意識を強く持って
自分の仕事に真正面から取り組んでいって貰いたいものだと思っています。
しかし、若い人のいちばんの仕事は、そこなのだろうとも思います。
自分が選び取った社会の中のひとつの領域に対して
「真正面から取り組んで」いくというフレッシュな姿勢を見せることなのではないかと。
会社や自分の体験をお話しながら、
わたし自身も、日頃とは少し違う、大きな視点からの見方で再構成している
そんな自分に気付きます。
それこそが、新しい可能性に気付くきっかけになると実感。

一方で、家族も大きな変化が訪れて、
息子は東京の方の大学に進学。
あわただしく決定し、引っ越しまで時間がない中で
ようやくきのう、入学式。
カミさんが出席して、当面の暮らしようも環境が整えられました。
まぁ何十年か前、わたし自身も同じような経験をしたワケで、
いろいろな思いも持つのですが、
子どもたちは子どもたちでそれぞれに歩んでいく道がある。
一方で、送り出した親の側も
大きく環境は変化せざるを得ないことに、いまになって気付く(笑)。
子どもたちという大きな存在が不在になった大きな家、という空間に
まずは慣れる必要がありますね。
それが空洞感になるのか、あるいはすぐに忘れていくものなのか、
2人のこどもを送り出して、はじめて味わう思いです。
さてとりあえずは、「仕事に真正面から取り組んで」いきたいですね。

<写真はほぼ無関係の江戸東京博物館の額絵>