
最近、東北をはじめ各地の「住宅マーケット」というものを
仔細に調査し続けているように思っています。
戸建て注文住宅というのがわたしどもの基本フィールドになるのですが、
住宅というのは当たり前ですが「土地の上に建てられる」。
したがって、地域性というものが不可欠な要素を構成する。
日本中、それこそ個別的でない住宅地域というのはあり得ない。
みなそれぞれに抜きがたい個別の違いを持っている。
そのうえで、次にどういう家を建てるということを考えるようになる。
こういった諸事情の複合的な結果として「住宅市場」が構成される。
この住宅市場を分析して、情報を創造していくのがわたしたちの仕事。
その過程では思わぬことがらが、決定的な要因になっていることに
ふいに気付いたりするようなこともまま、ある。
そんな日々を過ごしていて、
ひるがえって自分の本来のベース、北海道・札幌について
視線を変えてみるというようなこともある。
この地では明治の開拓期以来、積雪寒冷という自然条件への対応が
アプリオリに存在し続けてきた。
瓦屋根みたいな華奢な日本住宅文化はまっさきにダメ出しを食らった。
軒先に発生した氷柱をたたき落としたら、
この瓦屋根がもれなく滑落してきたのだとされる。
日本の伝統というモノがまったく通用しない、ということから
北海道では否応なく「フロンティア」として立ち向かうしかなかった。
そういう試行錯誤の結果、高断熱高気密という技術安定に至り、
まずはこのことが基盤を形成した。
一方でこの1年、南幌町での地域工務店+建築家の住宅展示場を
地方自治体の北海道が大きく支援するというような
まったく他地域では想像もつかないような事例ができたりする。
積雪寒冷という条件を克服する過程で
北海道庁や、その外郭団体・北総研などの研究開発が
地域の工務店・ビルダーを広範に巻き込んでいわば
「住宅運動」的に盛り上がってきたことが、
こういった未曾有のような事態も環境整備してきたとはいえる。
実際にこうした工務店組織が協力しなければ、
高断熱高気密技術の進展、開発はあり得なかった。
このような「住宅市場」というのは、やはりかなり「先進的」。
公的機関がこうした地域の作り手を直接にバックアップするのは
まず、例がなかなかないだろうと思われます。
そして、こうした先進性から生み出される技術だけではなく、
「住文化」というのはどんなものになっていくのか、
いまはそういったフェーズに移ってきているように思われてならない。
Posted on 3月 17th, 2019 by 三木 奎吾
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仕事の関係から、わたしはいまは2拠点で暮らしています。
まぁ仙台が多いのですが、札幌とそれ以外地域とに半分ずついる。
考えてみれば、多拠点で仕事しているので当然ですね。
頻度の多寡はあってもずっとそういう仕事生活を選択してきた。
こういうスタイルを続けてきたのには
やはり移動コストの劇的な低下ということが要因として大きい。
とくに飛行機移動が大きくコストダウンした。
トータルで考えれば20〜30年間スパンで半減以下ではと思う。
それとビジネスホテルというものの普及発展も大きい。
東横インとかルートインとか、そういうビジネスホテルスタイルの一般化。
それによって旧来の「シティホテル」というものは衰退したけれど、
「宿泊可能ベッド総数」は劇的に増えてきたのではないか。
さらにインターネットの普及によって、
全国どこにいても常時接続環境がおおむね担保されたことも大きい。
インターネット普及初期、常時接続できるということから
どこでもLAN配線されていた東横インによく宿泊した記憶がある。
人間環境というものが、移動手段のコストダウンがあり、
「つながる、対話する」手段が多様に実現できた。
いまどきは移動するクルマの中から社内会議に参加することも可能。
さらにビジネスホテル的ライフパッケージの習慣化が同時進行した。
建築家の倉本龍彦さんの文章でホテルのシングルルームの思想、
というか、人間生理のパッケージ化機能という解説を聞いて
膝を打って同意させられたことがあったけれど、
まさに全国どこでもそれなりに「充足」できる体験共有化が進んだ。
たしかにスケジューリングは面倒な面があるけれど、
そういったものにもそれこそインターネットが便利な環境を
提供してきて、簡便な予約調整機能が実現している。
そういう現代人の経験値蓄積が与ってか「2拠点生活」というような選択も
人間の暮らし方として一般化する可能性が言われている。
とくにリタイヤしてからの暮らし方ではそういうのもありだろう。
すでにそういった暮らし方をしている友人も出てきている。
どうなるのだろうか、しかし全体はまだ不明だと思う。
こういう時代になってしかし、住宅というものの価値感は
いったいどのように変化して行くのだろうか、とは思う。
わたしの場合も、やはり札幌の拠点に戻ったときには
安息というか、より深い眠りに容易に落ちていく感覚がある。
移動が日常化してその環境が進化していくほどに
むしろホームグラウンド・自宅の価値が高まる可能性も高い。
自宅にいる時間の幸福感というものが、より深く感じられるのだ。
さらなる幸福感の深化のためにそこに投資が行われる、
そういった可能性もあると思われる。
人間環境の総体的変化がどういう展開になるか、オモシロい。
Posted on 3月 16th, 2019 by 三木 奎吾
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きのう朝から、っていうか深夜から
Facebookがアクセス不良になっていた。
わたしは多くのみなさん向けにブログ情報発信しているのですが、
その基本的拡散ツールとしてFacebookを使っている。
毎朝、文字数1000以上のコンテンツを作成して、きのうもアップしようとした。
そうしたら、キャンナット。Facebook表示にすら異常に時間が掛かる。
WordPressからの投稿連携も機能していませんというアラート。
やむなく早朝のアップを諦めて仙台に出張に出掛けた。
新千歳空港に着いた11時半くらいの段階でようやくアップさせられた。
わたしがサイト不良をチェックしたのが早朝3時頃でしたから
都合7−8時間、WEB上のひとつのコミュニティが機能不全を起こしていた。
その後、丸1日程度の時間が経過していますが、
Facebook側からは今回の事故の原因について発表がない。
途中、早い段階でたぶん数時間後、
「これはサイバーテロではない」というアナウンスがあったとされている。
現在のFacebook利用者は全世界で22億人というように言われる。
かなり広範な「情報インフラ」が事実上、特定の私企業によって担われている。
このような現代世界は、アメリカのクリントン政権によって
かなり恣意的に作られてきた世界だと思います。
同時進行で、クリントン政権は日本の経済成長バッシングを行い、
その「構造協議」によって日本は独自のOS開発も事実上放棄させられた。
現在の米中貿易戦争に先行した世界史的事実だと思います。
生きている時間の中で、あのような軍事を圧力基盤にした恫喝を
目の当たりにしたと思ったけれど、
基本的な安保を依存させられた環境であってみれば、
あの当時の日本の対米交渉結果はやむを得なかったでしょう。
その後、アメリカではITが巨大産業化していった。
その結果、いまの「GAFA」と言われるIT独占企業群による
情報世界上での私企業支配が公然と行われてきている。
しかし、こういった状況ははたして永続性が担保できるのか、
きのうの状況を見ていて強く疑問を持たされた。
とはいえ、ほかにどのような選択肢もなく、情報は握られ続けるしかない。
現代の権力は情報という分野で全世界がほぼ単一の帝国主義的支配。
まぁ比較的に民主的な外貌をもってひとびとに接してきているし、
政治権力からも民衆からも一定の批判があって、監視機能は機能している。
かれらはアメリカ企業であり、それなりの民主主義を持っているが、
今後ともそうであり続けるのか,担保は心許ない。
そういう世界に対してより悪い権力操作の権化のような
中国共産党独裁国家体制下ではもっと悪質な運用がされている。
こういった情報世界のインフラについて
どう考えていったらいいのか、世界史はふたたび難しい問題と
やがて正面から向き合わざるを得なくなるだろう。
そういった怖れの予感を感じておりました。・・・
Posted on 3月 15th, 2019 by 三木 奎吾
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この時期は札幌で地元建材商社さんが一斉に「展示会」を開催。
寒冷地仕様、省エネ志向の建材などについて
ユニークな建材が出品されるという北海道マーケットなので、
東北地域をはじめ、全国の工務店ビルダーさんが札幌に研修に来られます。
北海道は日本の中ではいちばん寒い地域なので
住宅技術についてやむなく寒冷対応、省エネ技術が高まらざるを得ない。
そういった当たり前の「競争」が日々革新されている。
北海道は他の世界の寒冷地、北欧北米、さらにロシアなどとの
いろいろな交流が盛んで、そういう北方圏住宅技術についての
相互交流も活発なので、自然に日本における「窓口」にもなる。
以前、ドイツの住宅政策担当者一行が全国を回ってから北海道に来られて
「ようやくふつうの会話が成立する(笑)」というような発言もあった。
ヨーロッパでも同様のようで、北欧地域が開発した寒冷地技術が
ドイツ・イギリスなどの中欧地域に拡散しつつあるのが現段階。
ただ、影響可能な人口規模で見たら、
北欧には⒌−6億のEU地域があり、北米カナダには
アメリカという人口2−3億の地域が存在しているけれど
日本単体では1億程度に留まらざるを得ない。
なので、こういった寒冷気候対応住宅技術はロシアや、
中国北東地域、韓半島地域さらには南方アジア地域
などへの拡散努力も今後は必要になるでしょうね。
北海道庁が最近ロシアとの住宅技術交流にも取り組んできていることは
今後の技術拡散、影響力拡大にも意義が高いものと思います。
で、日本国内からもことしはこれまでよりもたくさん来られている印象。
その時期の話題の住宅、建物に見学に来られるのですね。
きのうブログで書いた棟晶さんのモデルなど、
数多くの事例に来場されますが、当社にも多くのみなさんが見学に。
こういった応接を通して情報交流の機会が生まれるので
たいへん重要な接触機会だと思います。
わたしたちが地域として取り組んできた住宅技術革新、それをふまえた
空間デザインの変化、進化について総体として見ていただくのは
たいへん重要なことだといつも思っています。
写真のような10名ほどのご一行様が福島県から来られた。
情報交流では北海道のマーケット状況の他に、東北地域の状況も交えて
活発に意見交換させていただきました。
とくに今回のみなさんは若い「2代目、次世代のビルダー」が中心。
今後の地域の中での生き残りをどうしていくか、
非常に敏感に感じ取っている様子が伝わってきました。
大いに「協働」していければという思いを強くした次第です。
Posted on 3月 14th, 2019 by 三木 奎吾
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さてシリーズっぽく紹介してきた札幌のビルダー・棟晶さんの
「新住協プロトタイプ2.5×6間」タイプ取材ですが、
拙ブログを見て「ぜひこの建物をみたい」という希望を寄せられた
宮城県大崎のビルダー・高橋建設・高橋社長がきのう来札されたので、
ご案内する名目でわたし自身も2.5×6間空間寸法の体験の
いい機会と考えて訪問してきました。お忙しいなか、
お付き合いいただいた棟晶・斉藤さんありがとうございました。
ということで、わたしがいちばん気になっていた空間に
みんなで座っての空間いごこちチェックであります(笑)。
<図面左の赤⬇部分スペース>
斉藤さんのお話では、当初は食堂と見立てていたスペースとのこと。
しかしやや寸法が足らない感じなので、鎌田紀彦先生から
家事室スペースに用途変更指定が来て、
壁にも奥行き60cmのテーブル板を嵌め込んだということでした。
でも実際に大の大人が3人で入り込んで見ましたが、
奥行き80cm超ほどのテーブルを挟んで対面していて、
そう大きく違和感は感じられなかった。
本格的に対面型の奥行きの狭めの定置座椅子を双方に配置して
テーブルを70-75cm程度に収めれば、
コンパクトな食卓、現代茶室、茶の間という用途利用に
ムリはないと感じられました。食堂店舗で見られるボックス席感覚。
むしろ、人と人の距離が親近感を増幅させるような印象を持った。
その場合、奥の壁に嵌め込んだ面板は60から45程度にカットしたい。
最近のドンキホーテなどの商業店舗でも狭さが
大きく意味を持ってきている現実を見ると、
住宅でも広さ拡大追究に見直しがあってもいいように思われた。
これも最近、わたし自身が住宅面積が2人で83坪から
2人で25坪弱にコンパクト化した体験からも有効と感じる次第。
この食に関わる住まいの「コアスペース」の感覚を受容すると、
残余の2.5×6間寸法の空間が、たいへん機能的と感じられました。
住まいのなかでの空間の密度にほどよいオンオフができて
狭さと広さにメリハリ、コントラストが効いてくると気付く。
狭めの空間にも人の心理にプラスに働く面があると。
考えてみればこれは戦国期に千利休さんが試してきたことでもある。
茶を喫し、食をたのしむ空間として日本の寸法感覚は進化した。
そういえばちゃぶ台円形テーブルなどの合理的空間感覚も
日本人は民族性として持っている。
上の写真は対面しているキッチン側から撮影しましたが、
手前側には配膳可能な平面も確保されているので、
食の空間としての機能性は十分に満たされているといえます。
で、そこが決まると、他のスペースは想像以上に広く感じる。
図面左側2階の⬇部分は子供室想定の個室2つですが、
こっちも両方向から使える収納家具造作を挟んでほどよいスペース感。
面積的には「約4.2畳大」ということですが、ベッド・机が入って
ちょうどいい感じに収まりそうですし、
反対側の夫婦寝室との間には階段を取り込んだ開放空間が広がる。
前回体感できなかった空間スパンが、少人数でしっかり確認できました。
聞いたら、さっそく売却が決定もしたそうですし、
いろいろな反響も出てきているとされていた。
新住協鎌田先生はいま4間4間プランに集中されているそうですが、
さぁ、ユーザーと市場はどう判断するのか、
興味が深まってきております。
Posted on 3月 13th, 2019 by 三木 奎吾
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写真は宮城県大崎市内での新築住宅事例から。
県産の杉で柱梁が構成された木質たっぷりの家でしたが、
なんと、写真のように丸太の柱の1本には
ごらんのように縄が巻き上げられていた。
施主さんは大工職の方で、各所でモノづくりマインドが感じられたのですが、
そのなかでもまことに驚かされた光景でした。
実はわが家でも新築した28年前、
1階から3階までの「螺旋階段」を鉄製で作って玄関吹き抜けに立てた。
1階部分は踏み板はなくて、2−3階部分を上下させる機能。
で、1階部分には鉄の柱が剥き出しにあらわれることになる。
他はコンクリートブロックと木質内装なので、
ややハードな印象をあたえることに配慮して、
その鉄柱の印象を緩和させる意味で「縄で巻き上げた」。
このプランを提案された設計者からは
「アルバー・アアルトの作品でこういうのがありまして・・・」
ということだったけれど、
そのときは、アアルトさんって日本趣味が相当強いんだと思った。
アアルトは北欧フィンランドの代表的建築家としてとくに北海道では
なかば神話のような作り手として伝承されてきている。
そういう欧米文化圏の人間にとって、
こういった縄を柱に巻き上げるという営為の根源的動機が不明だと思った。
日本人であれば注連縄文化があり、縄になにか仮託する精神性が存在する。
だから、アアルトは同時代かちょっと前の芸術家たちが
大きく日本文化に傾倒していた流れから、いわば憧憬から
こういった柱への縄被覆を思い至ったのではないかと想像したのです。
最近、絵画の鑑賞をしてきて西洋社会の日本文化への衝撃は
相当のことだったことを知るようになったのですね。
たぶんメンタルとしては日本人の縄というものへの精神性にリスペクトし
インスピレーションとして空間に配置してみたくなったのではないでしょうか。
日本はロシアの軍事力に圧迫され続けてきた北欧人には
日露戦争でロシアを叩き潰した事実から親日の気分があるとも言われます。
そんなことどもが、宮城県北部の住宅取材時に
一気にアタマのなかで再生されていた(笑)。
ここでは柱は県産の野太いスギ材であり、素材同士の馴染みもいい。
ただし、愛ネコたちがじゃれつくらしく、ところどころほころんでもいる。
そういう風情も、しかしなかなか心に伝わる空間の個性になっている。
縄って、視覚に入ってくると「手ざわり感」がハンパなく伝わる。
空間を「引き締める」効果がたしかに強い。
先人たちが神聖空間に対して縄でデザインしてきたのには
強い郷愁感がそこにあるということなのでしょうか?
縄は人類が自然に手を掛けて作り出した原初的素材でもある。
わたしたちには縄文という燦然と輝く文化伝統もある。
作り手のメンタルを持った施主さんと会話が弾んでいました。・・・
Posted on 3月 12th, 2019 by 三木 奎吾
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CO-LIVINGというのだそうです。
複数の住宅間を移動しながら暮らすというスタイル。
定額で複数の家に住めるコリビングサービス「ADDress」が
2019年4月に登場、会員受付開始というアナウンス。
空き家や古民家、別荘など使われていない物件を活用して
コストを抑え水回りやキッチンは快適に利用できるようリノベーション。
シェアハウスと同様に個室が用意されており、
リビングなどの共有スペースでは、ほかの会員や地域住人との交流も
楽しめるようになっている。物件にはサービスアパートメントや
ホテルのようにアメニティや家具はそろっており快適な空間としてケアされる。
2019年4月から、5カ所の物件でADDressのサービス第1弾を開始予定。
月額4万円からの定額で、共益費もコミコミで、どの拠点にも住める
というコリビングサービスを提供していくとのこと。
この新アイデアビジネスを立ち上げたのは佐別当隆志サンという人で、
2017年からは内閣官房シェアリングエコノミー伝道師として任命を受け、
シェアリングエコノミーの普及・啓発にも携わっているという、
公私全面で「シェアリングエコノミー」にどっぷりと関わっている人物。
<以上、TechCrunch JapanというITメディアから要旨抜粋>
どうもいまのところツッコミどころ満載なんですが、
アイデアとして、地方の空き家対策に悩んでいる政府側として
こういった動きが広がっていくことは歓迎なのでしょう。
わたし自身も最近は頻繁に札幌ー東北・関東の往復生活であり、
こと仕事については、どこででもノートパソコンがあれば基本的には
事足りてはいます。いわば仕事では在宅ワークというか、
移動と仕事連絡はシェアすることが可能とあると思っています。
よく朝の会議に移動中の車内から参加することもしている。
重要な案件に限らず、スタッフと日常的コミュニケーションも取れる。
通信とIT化の進展でこういった環境が得られていることは事実。
ただし、どうしても育成とか教育とかの仕事は難しい。
そういう部分の「仕事」環境についてはやはり定点的な
習熟していく環境というのがある程度は必須だと思います。
人から聞く、見て憶える、刺激を受けるということは
やはり集まって顔を見ながら話すことから始まるでしょう。
IT系企業や考え方の最大の弱点として人的継続性については
やや疑問が多いのではと感じています。
・・・わたし自身はまだこういった仕事のシェアリングレベルで
あれこれと試行錯誤している段階。
一方で住宅では2拠点居住というムーブメントについて先般触れた。
このような「シェアリング」の動きが早晩、
「いちばん重たい」住宅マーケットにも影響してくる可能性はある。
しかし、前段で触れたように「ツッコミどころ」は多い。
この主導者の方は、そもそもシェアハウスで知り合った女性と
結婚されたとかで、こういう暮らし方に「愛着」を持たれている様子。
そういう愛着と、その土地、その地域、オリジナルな空間という
住生活本来の「愛着」がどう折り合いがつくのか,つかないのか、
注意深く見ていきたいと思います。
Posted on 3月 11th, 2019 by 三木 奎吾
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別にわたしはネコの愛玩趣味は強くはないのですが、
娘はずっと愛ネコ家で「ピーチャン」と名付けたヤツと共生している。
ときどき一時的同居をするけれど、
ネコには「一宿一飯の恩義」という概念はないらしく
こっちにそのようなそぶりを見せるかわいらしさは持ち合わせていない。
唯我独尊、自分というモノに非常に素直に生きている。
わたしの方は多少は愛情も感じてはいるけれど、
あちらの方は、まったくそういうそぶりも見せてくれない。
生暖かいような微温的空気感がそこにある。
そんなことなので、どんなネコとも仲良くなって会話しているような
岩合光昭さんの「世界のネコ」たちの様子映像には
心底、強い憧れを感じさせていただいている。
できればかくありたい、でもピーチャンからは冷たくされる(笑)。
という不条理な関係がわたしのネコ族との現状。
最近は取材先でペット類との遭遇が頻繁であります。
個人的な印象ではすごく増えてきているように感じますが、
どうなんでしょうか。
写真はつい先日、その家の空気感の完全な支配者に収まっている
ネコ2匹の生態であります。
下の写真の方のヤツはかなりの老齢ということらしく、
ほぼ体を動かす意欲を喪失したようなヤツ。
もう一方の方は、他人のわたしが来ているのにもかかわらず
堂々と大の字でひっくり返って腹をまる見せで寝ている。
つくづくネコというのは我が道を行くなのだなぁと。
同じペットでもイヌの方はやたらとコミュニケーションを取ってくる。
動物種として、こうまで違うモノかと感心させられる。
まぁしかし、徐々にこういうふうにネコへの関心が
高まってきているのは、
かれらの「魅力・魔力」に徐々に陥らされてきているのか(笑)。
不安ながら、そのダークサイドに目覚めつつあるのかも。
岩合さんにならないように、ときどきホッペを叩いております(笑)。
Posted on 3月 10th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 「都市の快適」研究, こちら発行人です | No Comments »

山形であります、そばであります(笑)。
わたし、山形蕎麦との出会いはけっこう衝撃的で
はじめて山形を訪れたとき、昼食にある企業の社長さんに連れ出され
どこへ行くのかと農村風景の中を走って、とある農家に入った。
とくに看板の類もなく、社長さんは囲炉裏端に腰を下ろした。
やむなくわたしも追随して腰を下ろした。
それからやや経ってから、老婆が腰をかがめながらやってきた。
二言三言、社長とぼそぼそと話した後、
去って行ってそれからやってきたのが、「板そば」だった。
そこに漬物の類が数種類置かれて添えられていた。
わたしは、蕎麦というと東京での蕎麦体験がいちばん多かったので、
ほとんどノドで味わうというような食べ方が身についていた。
しかし、置かれた板そばはハンパないほどの分量に見えた。
ちょっと気が遠くなるような気分になって箸を運んだ。
おお、であります。
汁にちょこっとつけて一気につるつる、という具合ではない。
なんといっても、歯応えがしっかりしていて、
咬むほどの固さがあって、もぐもぐすると口の中で蕎麦が
独特の味わいの深みを演出してくる。
なにやら、どこそこの土地の質感が伝わってくるかのようだった。
そこに合いの手で漬物が、口中をさっぱりさせる。
さっき感じた土地の感じとはいったいどこのことなのか、
というなにかの探究心、探訪心のような心理で箸を進める。
わからない、見たことのない土地感覚だと知れる。
それにしてもこの板そばの分量には圧倒されていた、けれど、
徐々にそれが少なくなっていくほどに、
むしろ別れの切なさが募ってくるように思われてくる。
漬物も残り少なくなっていって、哀愁が襲ってくる・・・。
っていうような出会いでありました(笑)。
最近、ちょこちょことお邪魔する機会ができてきて、
先日街中のお店で「板そば」さんと再会であります。
今回はまことに味のかおり(ヘンな言い方ですが)に特徴を感じた。
なんと言えばいいのか、歯で感じる風合いとでもいえるのか。
聞いたら山形を代表するそばの品種「でわかおり」なんだそうです。
いやはや、奥行きのある味わいで圧倒されていました。
ということで、本日は住宅ネタはひと休みでありました(笑)。
あした以降、またマジメに住宅ネタに復帰します!
Posted on 3月 9th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: おとこの料理&食 | No Comments »

先日密集地域での住宅建設のキモになる窓開口について書きました。
優秀な設計者はカーテン遮蔽なしでも成立する窓開口計画を練るべき、
というご意見を紹介させていただいた。
それは近隣への配慮として、あとからその地に参入する側として
当然わきまえているべき「マナー」であるとも思われました。
しかしこういった外部視線との敏感な「バトル」について
かなり過激な意見というのもある。
「この窓、外を見たら近隣の人と目線があったりすることありそうですね」
「・・・ありえますね。」
「どうなのかなぁ?」
「でもね、そのタイミング、ばったり出くわしたときにどうするか」
「え、どういうこと?」
「そのファーストコンタクトが,実は勝負なんですよ」
「そのときに、何食わぬ顔で平然と自然にふるまっていると
相方の方から遠慮をしてもらえるようになる」
「先方の方で先に窓の遮蔽としてカーテンなどを付けるようになる」
「こちらの方はカーテンなしで遠慮せずに生活できる」
「このあたりが、密集地域でのギリギリのサイレントバトル」
・・・というような趣旨の話を聞いたことがあった。
なにやら自然的な動物界での「生存競争」、過酷なオキテ
みたいなものを感じさせられる意見。また、一種のブラックジョーク?
見られてしまうことを受容した上で、自分の自由生活領域を拡大させる
というような「効果」は得られるのかも知れません。
限られた自分の敷地・建物内での自由の枠を拡大させる、ということ。
たぶん人類が都市集住という生存スタイルを主に選択するようになって
それ以降、こういった条件下での生き残り作戦として
このような心理ゲームバトルを戦ってきたのかも知れない。
そこでの格闘技的な「心得」がこういったコトバに凝集しているのか。
また日本人はこういった視線とか、音漏れとか
そうしたことについて意図的な鈍感さを文化ともしてきたのではないか。
襖1枚程度か,それ同等くらいのうすい音のダダ漏れ環境で
「聞こえなかったことにする」「見なかったことにする」
っていうような生活文化の部分があるように感じます。
いわば「お互い様」というような心理部分。
もちろん住宅設計や建築に於いては、あくまでも建築的に
このことをコントロールするべきというのが大原則ではあるでしょう。
少なくとも注文住宅においては、ただただ相互のカーテン遮蔽だけに頼るのは
避けたいモノだと思いますね。
Posted on 3月 8th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング | No Comments »