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奥のおそ道・冬の東北

やられました!
きのうは午前中で会議が2本あって、
それがようやく終わった後、
スタッフと合流したら、
「東北道、止まってますね」の無情のお知らせ。
そうなんです、きのうは仙台から東北南部地域に本格的な降雪。
東北ながら、関東よりも雪が見られなかった仙台に
数センチの積雪だったので、心配はしていましたが、
それにしても、この程度でかよ〜〜〜、であります。
北海道の高速であればちょっと考えられないのですが、
ちょっと降ったら、すぐ通行止め、なんですね(泣)。
しかし、泣く子と天気には勝てない。
小食を心がけている昼飯を済ませた後、
ふと、新幹線で・・・とも心をよぎったのですが・・・、
まぁやむを得ない、ということで国道4号線をクルマで南下開始。
カーナビでは福島まで80kmくらいなんですが、
仙台市内のバイパスを抜けるまでは順調にスイスイ。
まったく意識せずに走行しておりましたが、
名取川を超える橋のあたりで渋滞に。
まぁ覚悟はしていたのですが、このあたりは「あれどうしたのかな・・・」
っていう気楽な思いでおりました。
ところがここから、待てど暮らせど、さっぱり走れない。
時間的にはこの渋滞突入が午後1時半くらい。
カーナビでは高速利用から切り替えて一般道通行では残り71kmという表示。
そこから午後4時直前まで、およそ2時間半かけて
走行できたのは「残り68km」であります(泣)。
おい、2時間半かけて3kmかよ〜〜。
ノロノロ、停車・・・・・、ノロノロ、停車・・・の繰り返し。
ようやく高速開通を知らせるiPhoneでの表示を確認して
国道を離脱して、獣道のような間道を抜けてなんとか
「村田インター」まで到着。
なんですが、途中では降雪状態では危険、という道路も多く、
起伏の激しい道路で、ツルツル路面なので、時間がかかる、かかる。
高速入り口直前でも大渋滞に巻き込まれ、結局、時間は5時直前。
そこから福島市内のアポイント先に到着したのは5時45分でした。
トータルで、抜け道を通ったので大きく距離オーバーでおおむね90kmを
4時間以上かかったわけですね。
まぁそれでもアポイント先で暖かく迎えていただいたので、
涙が出るほど、感謝感謝であります。

難所は国見峠あたりのようなんですね。
それと、宮城県南部の仙台までの高速は、カーブが多すぎます。
あれでは冬の降雪には弱いのは道理ですね。
地形的な問題なのか、用地取得上の問題だったのか、
まぁ、泣けてきますね。
高速に乗ったら、走っているのは半数以上が大型トラック。
無料ということもあるけれど、
やはり復興関連による資材の物流が旺盛なことが実感されますね。
さてきょうは、福島でがんばるぞ、っと。

<写真は一昨日見た、仙台駅での気温・太陽光発電だかなんだかの装置。寒い!>

日本人と「思想」

司馬遼太郎さんの対談集を読み続けています。
そのなかで強烈に印象に残ったお話。
明治初年の「廃仏毀釈」の顛末であります。
日本人というのは、思想とか強固な宗教観とかは持てない国民性なのか。
徳川幕府の体制が終焉し、明治の新体制になって
不完全ではあったけれど革命が成就した。
西郷隆盛は、明確に時代が変わったということをひとびとに明示するために
なんとしても徳川慶喜の首を上げたかったけれど、
慶喜はなんとしても賊軍の汚名を感受すべきでないと思い、
巧妙に逃げ回った。
やむなく、新政府はその矛先を会津に向けて、徹底的な殲滅戦を行った。
それが明瞭な「革命」を、イメージとしても完遂させた。

そういう世相ではあったけれど
新たな国家体制として、天皇を絶対君主とする体制が生まれた。
そこで、仏教を排斥して神道に一本化しようとした。
いわば、文化大革命を推進した。
そのときに、奈良の古刹、日本仏教のひとつの大元締めともいえる
興福寺ですら、それまで拝み続けてきた木製の仏像を壊し、
あまつさえ、それを燃料にして
坊さんたちが風呂に入った、というようなことがあったそうです。
千年以上の伝統と格式を誇った強固な「思想」が
なんのこだわりもなく、きれいさっぱりと焚き付けにされてしまう。
そのことに、司馬さんは日本人の本質をまざまざと見たというのですね。

こういうことは、わたしたちの社会で本当に身近に見られる。
きのうまで営々と牢固なものとみなされていたことが、
簡単にひっくりかえされ、顧みられなくなる。
極端から極端へ、大して痛痒も感じずに転変していく。
日本では「思想」のようなものはそのようにしか扱われてこなかった。
考えてみればその通りで
日本国家創設にしてから、中国の「律令」を輸入したに過ぎず、
長く中国からさまざまな思想を輸入し続けてきた。
それが明治になって、中国から欧米に輸入元が代わっただけで、
基本的には思想はすべて輸入してきた歴史なのだ。
だから、こういうドラスティックな変化にも「柔軟」に対応する。

現代でいえば、マスコミの姿勢などを見ていると
このことはもっと明瞭に理解できる。
マスコミは戦前に置いてはヒステリックな戦争肯定が基本姿勢だった。
それが敗戦とともに、大して痛痒もなく、一夜にして
平和主義に大転換していった。
そういった社会が続いてきて
目先のことばかりに右往左往する国民性を拡大し続けている。
マスコミが主導するような論議が続く限り、
骨太な転換は期待できないのではないか。
この状況はどのように突破できるのか、なかなか先が見えない。

Macようやく環境復活

きのう、ふたたび札幌を離れて
現在は仙台に移動してきております。
今週は土曜日までこちらでいろいろな取材やら、会議やらであります。

なんですが、うれしいことにようやくパソコン環境が復活です(笑)。
先週の水曜日・25日にAppleのピックアップサービスで
前のMacBookProが「製品交換」となって送られていって
遠隔地の札幌であるにもかかわらず、
新しいMacBookProが到着したのが、土曜日28日午後1番。
当初の話だと、「到着を確認してから送付します」ということでしたが、
大変素早い対応でした。
で、ひきつづきサポート、それも「シニアアドバイザー」という方たちに
電話を通したサポートを受けることが出来まして、
すぐに日曜日から青森出張が入っていたので、途中中休みはありましたが、
土曜日から日曜日にかけて、いろいろ対応していただいたのです。
まぁ、なかなか一進一退の局面が続いていましたが、
外付けのHDに保存していた「Timemachine」でのバックアップデータ自体は大丈夫だったのです。
ただしそのデータ、Timemachineのソフトからは起動しなかったのです。
通常であれば、これを立ち上げればなにも考える必要はない。
これがダメであれば、データの健全性が疑われ、危険が伴うので、
迂回して安全重視で環境の再構築を試みていた次第なのです。
画面では再現できないのですが、写真のような「移行アシスタント」ソフトから
回転アイコンの部分に表れていたアイコンが
Timemachineバックアップのデータだったのですね。
はじめはTimemachineが動作しないことから、
無理もないのですが、この画面の状態をサポートの人も正しく判断できませんでした。
それが正常なバックアップデータではないかと、ようやく気付いて、
そこから移行アシスタントを使っていくと、
バックアップデータを個別に選択して「移行」させることが出来るようになったのです。
ここで最初は危険だと思い、「アプリケーション」だけを移行させたのですが、
それでは、それまでに蓄積していた「環境」が復帰しない。
たとえば、WEBブラウザが保存していた各サイトでの入力情報などが反映していない。
わたしは出張が多いので、航空会社のサイトで直接チケット購入していますが、
その会員データなどが消えてしまっているのですね。使えない。
で、元に戻って、移行のメニューでは
「ユーザー」となっているデータに、そういった情報が入っています、
というアドバイスをあらためて受けることが出来ました。
はじめて聞く情報であります。
そうなんだ、最近のMacはそういうソフトウェア構造になっているんだ、であります。
でもまぁ、これを実行するのには多少、危険が伴います。
これまでの推移からして、Timemachineバックアップが正常に出来ているかどうか、
確信を持てないからです。
ここでひっかかったのが、今回からAppleのパソコンにはOSのメディアが梱包されていないこと。
これまでのように万が一システムが不調になっても、
OSメディアから起動させて環境を復活させれば、とはいかないのワケなのです。
やはりこれが大きいので、ユーザーが自分でマシンを管理することが難しくなっている。
おおむねこれで間違いがないだろう、と判断できる場合でも
それを実行するのに、バックアップ・担保できる手段がなくなっているのです。
なので、やむを得ずAppleからのサポートを受けるしか、方法がない。
電話でのサポートには時間も掛かるし、
第一、状況を正確に伝達すること自体もなかなか難しいと思います。

でもまぁ、月曜日に青森から帰ってくるのが少し早められ、
時間的なゆとりが多少確保できたので、多少は危険があったのですが、
「ユーザー」の復元を行って見ました。
そうしたところデータの損傷もなかったようで、無事に移行を完了させられました。
1月5日以前の環境が完全に戻ってきて、
マシンとOSは最新のものへと移行が出来たという次第であります。
この間、ずいぶんと回り道をさせられたのですが、
終わってみれば、新しいMacについてのUNIX部分の仕様なども
否応なく勉強させられて(笑)、多少は理解できるようになりました。
災い転じて福となせたのではないかと、いいように考えようと思っています。
しかし、起伏はありましたが、Appleのサポートはたいへん親切で
しかも手厚く対応していただけたことは感謝しております。
このあたりのメーカーとしての信頼感は、わたしのなかで大きくなりましたことは
記しておきたいと思います。
ありがとうございました。

ロードヒーティング

北国では冬の経済活動を雪が妨げる部分があるのは当然です。
まぁ一方で、雪のおかげで寒さがそれ以上進行しない、
いわゆる放射冷却が軽減されるとか、
断熱材として機能するとかの側面もあるのは事実とはいえ、
やはり、交通とか物流の阻害要因になることは避けられない。
ことし、大豪雪に見舞われている岩見沢の知人の様子などみると
「経済活動4割減」というように書かれています。
とくに雪が道を狭くして、交通に時間がかかって移動と物流がマヒするのが
どうしても大きな問題ですね。
そういったことから、ロードヒーティングというのも一案ではある。
わが社の前の駐車場でも敷設しているのですが、
年々高騰する石油の値段から、徐々に考えを改めてきております。
北海道などでは気温が低いので
たとえば北陸地方や東北地方でよく見られる
廃温水などを道路に流して融雪するというようなタイプは計画できない。
温泉地などで、その使用後の湯水を道路に流すというのはよくみられる。
ただし、車での交通にはいいけれど、
人の通行には、とくに気温が低下したときなどは危険も伴う。

まぁ、北海道ではハナからそういうのはムリ。
そうすると、石油エネルギーを燃焼させて温水を作り
その不凍液をパイピングして路面を融雪する、ということが一般的。
しかし、この経費は石油の値上がりとともにだんだん大きくなってきている。
それに心理的に、地球を温暖化しているだけのような気分があって、
罪悪感に似た心理にかられるのですね。
そういうことと、経費削減ということから
数年前からわが社ではやめております。
写真は青森市駅前のロードヒーティングなんですが、
見ていて、なんとも微妙な心理に襲われてきます。
エネルギーはきわめて大切であり、
そういう利用途としては、どうも十分には腑に落ちていかない。
利便性とエネルギー利用の関係性ということですが、
なかなかに難しいものがあると思います。
しかし、札幌では十数年前にある友人が先頭に立って、
スパイクタイヤをやめてスタッドレスに社会全体として移行した経験があります。
あの体験を思い起こせば、
利便性とエネルギーの問題も、あるカギが見えてくるのではないか。
そんな思いがしております。

氷柱のある街の風景

歳を取ってきて
何でもない風景が、妙にこころに訴えてくるようになる。
もう50年近く前のころの札幌の街のことが
こころを駆け巡るようになってくる。
この季節になると、無性に氷柱に覆われた建物を思い出す。

いまは、住宅関係の仕事をしている関係から
この氷柱は、ダメな住宅の典型例として
インプットされているのだけれど、
もちろんそういう認識は住宅にプロとして関わっている人間は
当然持っていなければならないのだけれど、
一方で、こういう風景に思い起こす痛切な身体感情もある。
窓から氷柱を触って、それを微妙に動かしながら、
下の落とし場所を狙いを付けながら、それを落としていく楽しみ、
そんな身体記憶がまざまざと思い起こされる。
今考えれば汚いけれど、
氷柱でウイスキーのオンザロックを作って、
親が寝静まった時間、未成年なのに楽しんで飲んでいたりもした(笑)。
どうして氷柱ができるのか、
それと家が寒いこととの連関を知るようになったのは
恥ずかしながら、この仕事に就くようになってからなのだ。
自然現象に対して、それを科学的に把握できるようになるまでには、
やはり理性的な判断力が求められるのだろう。

いま、氷柱は敵だ、
というように理性では思っているのだけれど、
一方で、この写真のような北国的な建物の困難の表現にも
どこかで、そこに暮らす人間のにおいを感じる部分がある。
なにか、痛烈なあるものをさらけ出しながら生きている、
そんな感覚が立ち上ってくる。
全く氷柱のない住宅、建築はすばらしいけれど、
こういう氷柱とともに生きている人間性にも
限りないこころの「流れ」を感じざるを得ない。
なんともおかしな思いですね(笑)。

「平清盛」いいね!

兵庫県知事さんから
「画面が汚い」という指摘を受けたNHK大河ドラマであります。
わたし、歴史好きなのに、しばらくは大河ドラマ見ておりませんでしたが、
ことしは坊主とともに見始めております。
県知事さんの意見もわからなくはないのですが、
しかし、あえてああいう画面演出をしていた意図はすぐに理解できました。
日本に天皇権力による中央集権国家が成立したのが
天武による壬申の乱を経たあとというのが通説。
672年のこと。そこからようやく律令体制という形式がスタートしたと思われる。
で、この清盛の時代、1118年〜1181年のころには、
450年近い年月が経過しており、
完全に制度として疲労し、
京都の都の荒廃ぶりはすさまじかっただろうと思うのです。
こういう王朝国家の経済運営というか
税金の取り立て体制と、その使い道がどんなものであったのか、
詳らかに明らかにした仕事は読んだことがないのですが、
そのころの庶民にしてみれば、ひとびとを稲作農業に
強制的に従事させるのが基本政策。
でも、そこから逃げ出す人が多かったとされている。
公地公民というのは、後世のわれわれからすると、
土地の権利関係からするとなにかいい制度のように思うけれど、
民にとって見れば、土地に強制的に縛られる制度、
一種の奴隷制度に近かったのだと思うのです。
そういう体制のトップに天皇が存在し、摂関家藤原氏などが、
税収を、あまり公的とは思えない使途で使っていたのではないでしょうか?
こういう財政経済的な側面からの歴史研究って、
わたしの不勉強もあって、あんまり見たことがない。
でも結果としては、そうした公地での農作業から忌避して
逃散する大衆の存在が大きな問題になっていくし、
むしろ、大寺社や摂関家などに新規開拓した農地を寄進して
経済的解放区としての「荘園」を作る流れがどんどん加速していた。
国家の経済運営末端という存在から、
自由になった方が「まだマシだ」、と考えるひとが増えていった。
一方で、そうした逃散民たちは人口の調整装置としての都市、
都になだれ込んでいったのだろうと思います。
そこで治安が大きな問題になっていったのが現実の姿だろうと思うのです。
また、政治運営の側でも公的なシステムが機能不全を来して、
令外の権力運営組織形態として、「院政」というものが存立基盤を持った。
その権力を維持するための「暴力装置」として
武士が重要度を増していった。
たぶん、京都の治安維持がかなり切迫した問題になっていたのだと思うのです。
このドラマ以前の平安期、八幡太郎義家が、
都周辺で、武名を上げていたという記録文での記述があって、
大きな戦争もない中で、どこで武名を上げるんだろうと不思議だったのですが
たぶん、そういう治安維持での出動機会が多かったのだと思います。
で、このドラマでは、
そういった治安の不安な雰囲気が良く出ているなぁ、
という新鮮な興味を強く持った次第なのです。
王朝国家の映像と言えば、きらびやかな映像が第1印象として想起されるのですが
そういう固定観念をぶち破ってくれていて
まことに痛快な気分がしてきます。
考えてみれば、その後の源平の争乱期って、
こうした民衆の動向と、社会の雰囲気が基底にあっただろうことは
ありうべき想像力の自然な流れだと思うのです。
そういう意味で、兵庫県知事さんとはやや、受取りかたに違いがあります(笑)。
いいんじゃないでしょうか、
知事さんの思い込みなど、どんどんぶちこわして
新鮮な清盛像を造形していって欲しいと思っています。

青森への出張

ここんところ、青森への出張が増えております。
札幌から青森へ行く、となると
なかなかいろいろに検討することが多い。
仕事でいくのですから、費用対効果でパフォーマンスを求める。
で、まずは飛行機での移動が時間的には短時間と考えられる。
なんですが、1日3便、それも千歳ー青森はJALだけなんですね。
出発時刻は11:10 13:25 18:50というもの。
到着はそれぞれ、11:55 14:10 19:35。
この場合、札幌から千歳までの移動、約1時間も必要。
さらに青森空港から市内までのバス約30分も計上しなければならない。
そうやって計算すると、所要時間はおおむね2時間半。
それに時間待ちや、アポイント時間との調整も発生する。
で、コストは往復で、38200円プラス空港までの交通費往復だと
札幌ー千歳で2400円。青森の駅ー空港往復は1120円。
以上合計、41720円となります。
一方、JRの場合、片道は5時間20分ほど。
料金は往復で、17300円になります。
ううう〜〜〜む、であります。
それと、青森へのフライトは2回ほど到着できなかった経験があります。
冬の荒天時には、たいへん厳しい状況になったりするのですね。
時間的には確かに早さはあるけれど、
JRは時間をいろいろに選べるということと、なんといっても
便利のいい、駅に着くということも考え合わせると、
どうも、どう考えても飛行機は費用対効果に見合わないのではないか。
そういう結論から、いつもJRを利用しております。
北海道からすぐとなりの県なのですが、
仙台や東京に行くよりも飛行機では事実上、コストがかかる。
JAL1社の独占ということが、こういう現実を生んでいる。
まぁ競争の激しい路線では儲けが出ないので
こういう独占路線で稼ごうというのは自然に理解できるのですが、
利用者側からは、納得できるものではないと思っています。

まぁ、北海道内では
札幌ー釧路は同じくらいの時間がかかるので、
そう考えれば、青森出張、まぁ、こんなコストパフォーマンスでも
仕方ない、っていうところでしょうか?

どっさり中古パソコン

写真はきのうのわたしの事務デスクの様子。
L字型にレイアウトしているのですが、
その右側はみごとに中古Mac・パソコンの大展示会です(笑)。
メール程度でいいや、っていうようにはならない。
やはりそこそこの環境を構築しないと
仕事にならないので、朝は5時過ぎから
「あ、あれはこう使えるんじゃないか、そうだ」
みたいに、社内に眠っていた中古のマシンをメンテナンスも兼ねて
あれこれやっておりました。
一番左は、とりあえず環境的には「そこそこ」っていうeMacであります。
しばらく、って1年半くらいリタイヤしておりましたが、
久しぶりに起動して、やや興奮気味(ようするに音が大きい)ですが、
まぁまぁのレスポンスで、メールや書類作成に活躍しております。
右端は、最後のPowerMacG5という、DTPのメインで活躍していたマシン。
つい先日まで、慎重に使っておりましたが、
やはり徐々に老朽化して、頻繁に固まっていたものです。
まぁそれも、過酷なCPUの酷使などが原因でしょうから、
クリーンに初期化して通常的なデスクワークマシンとしていますが、
そういう用途の機械としては、これはまったく問題ない。
まぁ、モニタはかなりレガシーなやつですが、贅沢は言えません。
で、G5本体の上に乗っかっているのは、
先日グラフィック系が昇天した初代Intel MacBookPro。
これも、ついつい愛着があって、ターゲットディスクモードで立ち上げて
1月以前までのデータストッカーとして。外付けHDの役を果たしております。
で、まん中のWinノートPCもこの際、メンテしております。
わたしのような初老の年代にはこれらのマシン、
それぞれに生かしようがあって、なかなか捨てがたいですね(笑)。
ようするにケチなんですが(笑)、
しかし、もったいない、という気持ちは大事だと思います。
アップルやPCメーカーは、どんどん新しい機種に換えさせたいでしょうが、
できる仕事を見つけてやるというのも、何となく楽しい。
「快適」とはいえないけれど、
そこそこには仕事の生産性はあります。
どんどんゴミにしていく、というのにはもうやり切れなさがあると思う。
そんな気分で、古いマシンと付き合っております。

でも早く来ないかなぁ、新しいマシン・・・(笑)。

オールドMac・オールドボディ

きのう夕方、やや不安定になっていたMacBookPro
ピックアップサービスで送られていきました。
さて、不安定ながら最新のMacが、交換されることになると
手元に残っている空いているマシンは
いまや、勤続8年近いオールドマシンばかりであります。
「こっちはまだ少しマシかな」というレベルでの取捨選択。
あれこれやって、ようやく仕事もできるという状態です。
まぁ、やむを得ませんが、なかなかつらい。
一応、各種バックアップやら、
環境の移行、その他はなんとかやったのですが、
どうなっていくのか、ここ数日、暗中模索が続きそうです。

一方、身体の方も
メンテナンス時期ということで、年の初めの恒例、
健康診断であります。
こちらもMac以上にオールドぶりが亢進してきている(泣)。
残念ながら、昨年よりもすべての数値が悪化している。
ただし、まだ病気のレベルには達していない。
ギリギリ踏みとどまっている、というところ。
お医者さんからのご託宣では
許容体重に対して、現在の私の体重は10kgほどのオーバー。
それがすべての諸悪の根源ということです。
運動不足と食欲の過多。
これさえクリアすればいいのですね。
どうも最近、カラダのことを顧みる余裕が持ちにくくなっている。
そういう精神状態であるときこそ、
一歩踏みとどまって、自省を怠らないようにしなければならない。
まぁなんとか、生活の大改造を行っていきたいと思います。
Macが手元にくるのが来週早々の予定。
早いと、今週末ということですが、まぁそれは無理っぽい。
その辺をスタートラインにして、どちらも正常化を計っていきたい。
そういう思いを強くさせられた次第であります。
さて、がんばるぞ、っと。

パッシブハウス選択も、最強は経済原則

きのうは午後から、PVソーラーハウス協会さんのセミナーに参加。
会場では先日、「秋田美人」コラムでご意見をいただいた
秋田のNさんとばったり遭遇。
「わざわざ、秋田から参加なんですか?」
「ええ、パッシブハウス基準クリアのリフォームに興味があって(笑)」
「あれまぁ、すんごい勉強熱心」
っていうことでございました。
まあ、いろいろ情報交換を出来て、これも有意義に。
でも、基本的には秋田美人の研究仲間。そっちが一番盛り上がる。

なんですが、それは置いといて(笑)
セミナーの中心テーマである、ドイツパッシブハウス基準クリアのリフォーム。
札幌の「棟晶」さんが建設した物件です。
施主さんからのリフォームの要望は
「家を綺麗にして。予算は500万円で」という至極一般的なもの。
それに対して、高性能リフォームを説得していくのに、
写真のような明確なコンセプトを提示したということなのですね。
既存の住宅の熱環境性能をもとに
そこで必要な暖房用コストを割り出したら、
今後住んでいく可能性が高い35年間で2100万円掛かる計算になった。
その内訳は、言われるままに行うリフォーム費用が500万円+
35年間に掛かる暖房費用がなんと、1600万円。
(ほえ〜、でありますが、年換算すると45万円前後。確かに北海道では
それくらい掛かっている住宅も多いのです。)
一方で、高性能住宅に改修すると得られる補助金200万円を入れて
パッシブハウス基準クリアのリフォームを行った場合には
35年間の暖房費は40000円で済んで、建設費を入れても
1904万円で済む。
しかも快適な住まいが得られる。
どうしますか、というプレゼンテーションを行ったということなんですね。
まことにわかりやすい。納得ものです。
ドイツパッシブハウスの伝道師のような役割を果たされている
森みわさんなども、大きく関わって実現させたプロジェクトです。

まぁ、こういうわかりやすさは
・北海道という寒冷地であること。
・工事のコスト削減努力が徹底されていたこと。
というふたつの条件が満たされていた、という側面が大きい。
出来上がった建物は、壁厚が400mm以上というもので、
確かに敷地にゆとりのある北海道だから実現できたというのはある。
しかし、コンセプトとしては、全国等しくひとびとの基本的な欲求に叶っている。
そんな思いを強く持った次第です。

PS
きのうのブログ、どうも不安をあおってしまったかも知れませんね(笑)。そういうのが本意ではありません。Appleさんは良くしてくれていると思います。バックアップのTimeMachineは昨日、無事終了しました。私の場合、仕事のデータをいろいろ全部積み込んでいたので、それを(120GBありました)別のディスクにコピーしてバックアップ後、軽くしたMac本体データを「TimeMachine」でバックアップさせまして、都合18時間くらいで終了させられました。これで、環境移行としては準備は出来た次第。あとは、新品到着を待つばかりです。
ブログの更新もバックアップ用のMacで行っていくので、どうぞ引き続きご愛読を(笑)。