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夏の夜のバーベキュー

当社ではなぜか、ときどきバーベキュー大会を行っております。
駐車場スペースが9台分あって、
それを囲むように植樹しているので
なんとなく夏になると、やりたくなるのであります。
駐車場なので、入り口側にクルマを3台でも並べると
そこから事務所側は内部的な外部になる。
きのうの札幌は夕方から夜にかけても暑くなく、涼しくもない気温で推移。
そういうなかで外気にふれながら炭火を囲んでの簡単料理。
なんですが、わたしの役回りはおにぎりの制作。
しかし、きのうはちょうど午後、仕事の打合せが入っていて
ずっと作業に取りかかれず、
わたしが制作できたのは結局、途中で坊主の昼食に消えた3個を含めても
8個程度しか出来ませんで、残りの1升近くのお米はカミさんが握ってくれました。
申し訳ない次第。
ところが、その埋め合わせにと思って、
夕方出掛けられた買い出しでは、スイカと焼きそばを購入。
スイカはなかなかの美味で、比較的好評。
で、宴半ばでは、野菜を炒めつつ、焼きそば作りに精を出しておりました。
都合、12人前を作ったのですが、
まぁ、集まったのは20人ほどなのですが、まぁほかに肉を食べているので
これくらいでちょうどいいはず。
炭火の鉄板焼きと言うことで、調理と食事のペースがなかなかにいい。
出来上がる先からみんなが列を作ってくれる。
作る先からなくなるのであります。
なにか足りないなぁと思っていたら、自分が食べていないのであります(笑)。
そんなこんなで楽しく息抜き出来た次第であります。

やっぱり建物を計画するときに
こういったイメージは大切ですね。
庭木や緑がそこそこに装置されていると、こういうパーティを「したくなる」。
最近、茶についていますが、茶もその建築的環境を考えていると
「したくなる」モノのような気がします。
それと同様に、現代の「寄り合い」であるパーティなんかでも
「したくなる」雰囲気の計算は不可欠なのでしょうね。
この建物は事務所なワケですが、
なんとなく、こんなふうに寄り合えたらいいな、というイメージは持っていた。
以前にはにぎり寿司を振る舞うための室内でのパーティもやりましたが、
空間を考えていくときに、主要用途以外にもこんな「遊び」の要素も
仕込んであると、奥行きがある空間が出来るのではないでしょうか?

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古建築の塀デザイン

今回の取材ツアーで、ある発見をしました。
写真は、福島県いわき市の小名浜北方の「中之作」地区に残る古民家の塀。
たいへん美しい古建築で、
造り酒屋さんの伝来の重厚なたたずまいでありました。
で、その塀は下の方が石積みで固められていて、その上に土台的な横架材が渡され
そこから木造の上部が組み上げられています。
その上に長期耐久性を考えて屋根も架けられているのですが、
その屋根が浮き上がって掛かるようなデザインになるように
ごらんのような「欄間」が造作されています。
非常に繊細なディテールといえますが、さらに、
その欄間にはちょうどバッテンに木格子が嵌められていました。
その端部は釘で固定されていましたが、しかし格子が組み上げられる交差点では
金物は使われず、きちんと木の組み合わせによって仕上げられていました。
大工仕事と言うよりも、腕のいい建具職人さんの仕事のように感じられました。
このようなデザインでの古い時代の職人技なのですが、
さて、用としてはどういうことなのか、
庭の植物や本屋建築、さらには塀の屋根構造の水分からの長期耐久性のために
通風を確保させるのが一般的理解でしょうが、
なにかもっと奥行きのある性能要件であったのかも知れないなぁと、
想像を巡らされていた次第であります。
そんな発見があった後、
こんどは、そこから南下すること約100kmの水戸偕楽園のなかの古建築
「好文亭」の塀も見ました。

バッテンの木組みの間隔に違いはあるようですが、
デザイン的には同じような外観の仕上げになっております。
ということは、どうも、こういう塀上部のデザイン仕上げは
一般的に広く行われていたのでしょうね。
こういうのに、まったく知識がなく
不勉強だったなぁと思わされたのですが、面白く見せていただきました。
こういうディテールへの職人的な忠実さは
日本人の感覚から生み出されてくるモノなのか、
その繊細な感受性の発露に、驚くような印象を持たされた次第であります。
外観的に見たら、この通気用途の空洞が、塀で囲まれた内部の庭に対する
ワクワク感を「垣間見せ」ていると思うし、
緑のグラデーションが、微妙な不連続と連続を外に対して見せるので
その建築的空間の美を、より引き出させる演出的装置になっている。
ふむふむふむと、やや圧倒されるような思いを持った次第です。
すばらしいなぁ・・・と。

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七夕の仙台

七夕の時期に仙台にいることは、今回がはじめて。
あんまり人混みって好きではないので、無意識に避けていたモノか、
であります。

なんですが、今回はたまたまそういう次第になって、
朝、散歩に出てみると、
早朝から楽しげな来訪者のみなさんがキャッキャと盛り上げている(笑)。
まぁまことに屈託のない素朴な楽しみ方で、こちらも釣り込まれます。
一方で、よく見ていると
街中で七夕の飾り付けの仕事をしているみなさんに遭遇いたします。
確かに夜通し飾り付けをしていると衛生上も良くないだろうし、
いったん仕舞い込んで、朝になって再度飾り付ける方がきれいでしょうね。
たぶん、真夜中のうちにいったん片づけて、早朝また飾り付けるのでしょう。
こういう「美」を維持するには、それなりに費用が掛かってくる。
先日のいわきでの取材があったので、
「企業の地域貢献」っていうことに目が行っておりますが、
この仙台七夕の飾り付けも、各企業が宣伝費として負担している部分が多そう。
飾り付けには、おおむね各企業のロゴマークが印字されていて、
それらが整然とした統一感を演出している。

で、駅前まで来てみると
こんどは大勢のみなさんが集まっている光景。
それとなく様子を窺っていると、
どうもボランティアのみなさんで、朝から集まって
駅周辺に散らばっているゴミの類を清掃しようとされているのですね。
まぁその横には、酔っ払ってゴミと共に横たわっているような人もいて
まぁほほえましいというか、なんというか(笑)。
しかしこういう活動が、華やかな七夕が維持されていくためには不可欠なのでしょう。

ひとの裏側で役に立っているひとたちの存在を
仙台の七夕に取材させてもらった次第です。

東北太平洋側沿岸部の建築文化遺産

新住協の仲間で、若手の設計者である豊田善幸さん。
福島県いわき市で設計活動に携わっています。
ひょうひょうとした雰囲気のある方で、さわやかに人生を楽しみながら
いいもの、美しいものへの感受性の部分では、なかなかに硬派な部分も持っている。
東日本大震災勃発時には、
福島第1原発にももっとも近い知人のひとりで、心配しておりました。
事実一時期は、奥さんとふたりで会津地方に避難もされていたのですが、
その後、すぐに放射線量が低レベルで推移しているいわきに戻って
旺盛な「復興」活動をされています。
被災地域らしく、設計のリクエストも多く抱え込んでいて、
たいへん多忙な毎日を過ごされています。
で、そんななかで、いわき市の小名浜のすぐ近くの漁業地域である、
「中之作」地域の歴史的建造物群が、軒並み取り壊されていく流れに抗して
踏みとどまって、よいものを存続させていこうと活動しています。
「東北の住まい再生第3号」では、この「中之作プロジェクト」について、
寄稿的な紙面記事でも紹介いたしました。
ただ、わたし自身はいわきを訪れる機会はなかったのです。
今回、「地域安全学会」の発表会があったので、機会を見つけて
豊田さんのこの動きも取材させていただいた次第です。

いわき市太平洋側沿岸部の被災状況などを案内させて貰った後、
2件の歴史的建造物を案内していただきました。
この中之作地区には、古くからの網元や造り酒屋さんなど、
地域の景観を形成してきたような重厚な建築がありました。
そしてそれらの多くは、古くはなっていたけれど、
しかし地震や津波の被害はきわめて軽微で済んでいたということでした。
ところが、地域全体に対する「復興支援」として、
古い建物の「解体費用」の公的支援が一円的に実施されました。
それも期日を区切っての「申込み受付」という形になっていたので、
「そういうチャンスがあるのなら・・・」という心理が働いて、
存続させることで地域景観が守られていくような、多くの建築が取り壊されていった。
今回の「地域安全学会」でも鈴木浩福島大学名誉教授が指摘されていましたが、
もともと過疎が進行していた問題を放置し、日本の近代社会がうち捨ててきた地域が
今回の地震と津波に襲われた。
そこから「復興する」というのは、
どのように復興するのか、その思想はどのように構築すべきなのか、が
民族的な大問題として、本来論議されるべきなのに
そこがすっぽりと抜け落ちながら、事態が進行してしまっている現実がある。
そういう現実が、この中之作地域でも進行してしまっていた。
この活動を進めながら、このなかでも建築歴史的にも意義の高い建物を
ついに自らの自宅兼用事務所として買い取って、
修復作業に取り組み始めている建築があるのです。
この模様については、氏のブログページでも紹介し続けています。
中之作プロジェクト

写真は、「清航館」と名付けられたこの建物の2階のハレの間の
床の間・違い棚の様子であります。
なんと、床柱や棚の小口に「螺鈿細工」が散りばめられている(!)。
螺鈿細工は中尊寺金色堂で施されているのが著名ですが、
このいわきには奥州藤原氏の姫君がこの地の海道平氏有力者に嫁入りし、
その経緯を伝えるような、中世臨池式庭園が残されている「白水阿弥陀堂」があり、
そういった文化的素性もなにか感じられるようなたたずまいであります。
このような、生活文化としても継承されてきた東北太平洋側沿岸部の文化的遺産が
いま、考える時間もなく取り壊され、
うち捨てられようとしているのが現実の進行でもあるわけなのです。

さて、わたしたちは、
どのようにこうした事態に対して行くべきなのか。
先述した鈴木浩福島大学名誉教授の指摘から、
どのような「文化復興」をしていくべきなのか、
もっと骨のある復興論議が盛り上がっていくべきではないのでしょうか?
そんな思いを強く持った取材でした。

フラガールのゆかり

やはり行って、聞いてみないと分からないことが多い。
昨日の続きで、「地域安全学会」のセミナーに参加。
前日は多くのセクションが同時並列的に行われるという散文的な会合で
どれを聞いていいのか、よくわからないまま、資料をあとで読んでみて
「あぁ、そういうことだったのか」というのが実態でした。
少ない時間で数多くの発表をこなすためのギリギリの作戦だったのでしょうか。
一方、きのうは型どおりの「基調講演」が2本行われて、
そのあと、パネルディスカッションが行われ、パネラーの各自の発表後、
ディスカッション、というわかりやすい進行でした。
で、そのなかに、スパリゾートハワイアンズの発表もありました。
え、なにそれ、でありましたけれど、
お話を聞いて、なるほどと了解できた次第。
というのは、このスパリゾートハワイアンズというのは、
常磐炭坑の会社が、その企業延命策として取り組んできた
後継事業だったのだということ。
炭坑があいついで閉山していかなければならなかった時代を迎えて
5万人の人口を支えてきていた企業として、
その「地域を守る」ために地域密着の姿勢を強化して
そして生き残ってきた企業なんだそうです。
なんでも、炭鉱を掘っていたら、副次的に温泉も湧出してきて
それが川に流れていたので、その川にみんなが入っていたのだと言うこと。
であれば、ということから、後継事業として温泉観光にかけたのだという。
「東北にハワイを作る」という当時の社長さんの取締役会での発言に
当時の取締役会は度肝を抜かれ、ひと言も発言なく承認されたのだということ。
そしてそれは、徹底した地域貢献の結果、成功していったのだそうです。
仕入業者さんの選択に当たっても、徹底的に地場企業に発注して
そういうことから、馘首せざるをえなかった炭坑離職者に職を与えたかったらしい。
そんな企業姿勢は地域のみなさんに自ずと伝わって、
地域の人たちが大いなる「営業マン」に変化して、
地域を挙げての「地域興し」的なランドマーク企業、
常磐ハワイランドが誕生したのだそうです。
そしてそれから半世紀を経てふたたび、
東日本大震災からの立ち直りのために、
フラガールのみなさんを先頭にして、地域復活のためにたたかっているのだそうです。
地域の元気を発信するために、彼女たちが出来る
フラダンスを全国に披露しながら、震災復興に立ち向かっていった・・・。

まったく知りませんでした。
名前を聞いてはいたけれど、そういった企業の出自を持ち、
そのようなポリシーで運営されてきた企業であるということも知らなかった。
まことに地域と一体化した企業理念に深く撃たれる思いです。
右肩上がりではない時代にあって、
企業という存在が、どのように生き続けていくべきなのか、
そのひとつの考え方を明確に指し示していると思いました。
すばらしい。
これからは、フラダンス、あだやおろそかには見ていてはなりませんね。

<写真はいわきの並木を飾っている椰子の木。なんですが、
この木はすこしいじめてやらないと大きくならないんだそうです>

非常食と日常生活

きのうから、福島県いわき市で行われている
「地域安全学会」の東日本大震災フォーラムに参加しております。
まぁ、いわきということで旧知の方の近況も知りたいし、
その活動の取材と言うことも念頭にあってという次第。
地域安全学会、というのは聞き慣れない組織なのですが、
参加して聴いていると、まことに幅広い領域での研究が行われております。
応急仮設住宅の研究から、被災者の行動分析まで、
ふだん聞き慣れない情報を聴くことが出来て
大変、新鮮な視点を提供していただいています。
そんななかで・・・。

非常食についての研究発表まで行われておりました。
大震災や、大きな自然災害などうち続いている日本社会ですが、
そういったなかにあっても、非常食というのは
やはり、熱しやすく冷めやすい日本人気質のまま、
いま、大量に「期限切れ」の事態に直面している。
非常食の「期限」はおおむね5年程度のものが多いそうです。
メーカーによっては、
期限切れになる1年前に「下取り」して、
世界の「飢餓地域」に流通させる仕組みに取り組んでいる会社もあるそうです。
さらに期限切れを前にして、1年前や半年前などの
タイミングでそれをユーザーに告知までしているのだとか。
一方で、
「喉を通らなくて、食べられない・・・」という声も多いそうです。
非常食が、ふだん食べている食品ではなく、
それこそ「ストック用」であるということが、阻害要因だというもの。
写真は、三陸海岸の漁業関係の会社が取り組んでいる缶詰め。
漁という、これも不定期性・非連続性の生産活動を
獲れすぎたときに非常用ストックとして利活用させているのだそうです。

そういえば、きのうお話を聞いた限りでは、
いわき市の小名浜漁港などで活発な水揚げが始まり、
築地などでも、そのままの産地表示で
高値で売買されるケースが増えてきているそうです。
もちろん安全基準は満たされ、確保された上での出荷。
まことに喜ばしいと思います。
いわきは、放射線量もきわめて低レベルで推移していて、
原発被災地からの避難者のみなさんも、気候風土が似通っている都会と言うことで
多くの人が集まってきている。
活気に満ちているなぁと言うのが、実感であります。

ジャズのある豊かな時間

昨晩は、アメリカから帰ってきていて
あちこちでライブをこなしているジャズマンの笹島明夫くんを聴きに行きました。
で、会場は、これも高校の先輩に当たる建築家・豊島守さんのオフィスビル最上階の
ライブスポット・KENNY BURREL。
顔を出してみると、これも懐かしい人たちばかり。
また、初対面の人とも簡単に親しくなれる雰囲気。
出掛ける寸前になって、ちょっとしたトラブルがあり、
会場に滑り込んだのは、スタートの直前だったので、
親しい友人たちとはあんまり会話を楽しめなかったのですが、
まぁ、かれらとは、いっしょにいるだけでも
いろいろなコミュニケーションになっているので、目線でも会話できる。

笹島君のお母さんは最近90歳になって、
介護付きの施設に移られたのだとか。
そのような話題を耳にするケースがあちこちで散見されます。
私たち自身も還暦を迎え、
親の年代も当然ながら、元気であればそういった状況になってくる。
高齢化時代というのは、
でも、元気な中高年、という存在も大量に生み出している。
笹島君の演奏は、相変わらずエネルギッシュで、
ときに繊細に、ときにパワフルに、
ギターって、こういう音色も出せるのかと驚くような
いろんな表現の階調を響きだしてくれていました。
でも、よく聞いていたら、口からまるで打楽器のような音も発していて、
「おい、笹島、最近打楽器も始めたんだ(笑)」であります。
ジャズって、その演奏者たちの個性が感じられてくるモノですが、
きのうは、パワフルなピアノの板谷さん、
叙情的で、抑揚の効いたベースの重松さんとカラフルな色模様。
なかでもドラムスの館山さんは、
本当にバラエティ豊かな音をさまざまに聴かせてくれていました。
気がつくと途中では、スティックをさまざまに替えていって
繊細なリズムから、乾いたリズム、重厚なリズムと多彩な音空間を作っていく。
終いには、アフリカンな音色が響いてきたな、と思ったら
なんと、手で直接ドラムスを叩き始めている。
それも指を立てて強く叩いたり、指をまとめてやわらかく叩いたりと
音の豊かなグラデーションが万華鏡のように響き渡ってくる。
そんな豊かな音の時間空間が、肌にここちよい気温の札幌らしい夏の夜を
彩ってくれておりました。

会場提供者の豊島さんは、きのう東京出張で
終わり近くの閉演1時間前くらいに懐かしい顔を見せてくれておりました。
ちょっとしたインスピレーションもあったので
あるご案内も差し上げたところ、すぐに乗ってもいただけた。
まさにジャズって、コミュニケーションが一気に進むチャンスを作ってくれる。
それ自体がコミュニケーション的な音楽であり、
同時にそういった雰囲気を提供してくれるものなのだと思わされた一夜。
わたしは本日早朝から出張が入っているので、
直来の時間が始まっていて楽しげな雰囲気に後ろ髪引かれながら、
カミさんに迎えに来て貰って帰って参りました次第。
あぁ、楽しかった。ありがとう、笹島君。

生き物たちのたたかい

カラダが散歩になれてきて
すこぶる体調が良くなってきております。
やっぱり人間は動物なので、ふつうに身体感覚が呼び覚まされている必要がある。

で、散歩を心がけていると
身の回りでの自然動物たちへの見方もやや変化する。
写真は、毎日歩いている北海道神宮境内で
ほぼ毎日のように遭遇するキタキツネであります。
わたしは、かれらを見るとすぐに
エキノコックスの病原菌のかたまり、というパブリシティが
頭をよぎるので、交流することはありませんが、
たくさんの人たちが可愛がっているようで、
ふとした目線のしぐさを見せると、餌をくれると思って近づいてきたりします。
わたしにはその気がないことを段々理解してくれて
「距離感」がだいたい確定してくる。
エゾリスとかも多くて、だいたい人間には大人気であります。
そんなふうな自然動物との相思的な関係に気付いてくると、
いろいろな変化にも敏感になって参ります。
きのう、事務所駐車場に着くと、なにか、カラスが騒がしい。
どうしたのかなぁと気になっていましたが、
その後、デスクから正面の窓を見たら、
植え込んでいるカツラの木にカラスが止まっている。

そんなに高さの高くない5〜6mほどの木なので、
カラスのような大型野鳥がハネ休めするには、違和感がある。
ふだんはこの木に長く止まっているということはない。まぁスズメ程度。
どうもかれらの世界で何かが起こっているようなのです。
で、観察していると、やや離れた上方の電線の上でカラスが2羽騒いでいました。
このカツラの木の中のカラスを気遣っているのか。
カツラのカラスを見てみると、どうもハネを気にしているしぐさ。
で、なかなかカツラの木から離れていかない。
どうも、なにか事故に遭ったかで傷ついているかのようなのですね。
そうしてみていると、やや離れた位置から警告のような鳴き声を周辺に聞かせている
カラスどもは、どうもこの傷ついたカラスの関係者。
巣立った後の、この傷ついたカラスを見守っている親カラスかも知れない。
なんていう、想像も沸き起こって来る次第。
カラスという種族とはあんまり仲良くしたくないほうなのですが、
まぁ、こういう窮鳥には多少は情けも感じる。
ややうるさいくらいのことなので、我慢してやろうかと思っておりました。

で、仕事を片づけていて、
ふと気付くと、あのカラスの姿が見えない。
傷は癒えないまでも、飛んで行くには可能なほど体力が回復したモノか、
そうかそうか、と安堵しておりました。
で、用事があってクルマに乗って出掛けようとしたところ、
くだんのカラスとおぼしき死骸が、車道路上に展開していたのです。
一部、内蔵も露出しているような状況から判断すると、クルマにでも刎ねられたか。
当社駐車場から10数メートルほど離れた場所。
「・・・むむむ」という次第ではありましたが、
要件の約束時間も迫っていたので、そのまま外出し、2時間後帰って来たら
その死骸も、片付けられていました。
あのカラス、ではないかと思うのですが、
どのような経緯で、あのような最後を迎えてしまったのか、
ただただ想像するしかありません。
まことに生き物の世界、万物流転・諸行無常の思い、迫ってくる次第。
畜生ながら、こころのなかで合掌いたしました。
この変わらない日常の世界は、実は
まことに厳しい生存競争と掟が支配する世界なのだと思い致されます。

普通の国になるには

わたしは1952年の生まれです。
この年の4月には日本はサンフランシスコ講和条約が発効して
一応は国際法上は、7年間の占領期間を経て日本は独立した。
戦争に負けたのだから、仕方がないのだけれど、
その後の日本って、アメリカの傘の元で生き延びてきた国家であることが
世界の中での基本的な位置関係。
イヤだけれど、アメリカの属国的存在であるという認識からしかスタートのしようはない。
それが冷厳な現実なんだけれど、
国内だけの動向で見ていれば、どうもその視点を忘れがちになる。
アメリカによる占領支配の痕跡は、いったいどんなところにあるのか、
今日では、そういった視点すらなかなか見えにくい。
けれど、ある国が多くの犠牲を払ってある国をコントロール下に置いてから
その「コントロール権」を簡単に、平和的に手放したりするだろうか?
歴史の必然で言えば、そういったことはありえないだろう。
国内でいがみ合う前に、こういう冷静な分析に踏まえてから論議した方がいい。
ただ透明な言論のなかで、そういうことが可能なのかどうかはわからないけれど。

世代論で言えば、わたしたち世代は、真空的なこういう空気の中で
しかしアメリカ的な「民主主義」の仮構的自由の世界を生きてきた。
日本という歴史時間は確かにあるけれど、
その民族としてのアイデンティティ・正統性に対して
懐疑的であることをあらかじめ押しつけられる社会。
無意識のうちに、日本人的であることを否定的に考えてきた空気感の中にいた。
与えられた「自由」は、本然的な意味の「自由」ではない。
あらかじめアメリカの世界支配体制の中での、
その範囲を決して超えてはならないなかでの「自由」だった。
戦争に負けた国民がふたたび立ち直るとき、
普通であれば、「なぜ負けたのか」という自問自答からスタートすると思うけれど、
アメリカは、そういった基本視点をも簡単には許してこなかったと思う。
事実、戦後の論壇や政治の場面でこういう論議はほとんど聞かれなかった。
このように形作ってきたアメリカの日本社会に対する戦略の骨格部分は、
現在の日本社会のすべての「既得権益層」に、その痕跡はあるのだろうと思う。
そのなかでもマスコミというのは、世論を形成するという意味で
こういった支配体制の中で、もっとも有用な存在であることは明白。
わたしたち日本人は一見自由に見えるけれど、しかし、
真綿のような「支配体制」の中でしか、世論も持てないし民主主義も行使できないのだ。

で、こういうような現実を、わたしたち世代は
無自覚なまま、次世代に「引き継いで」いかなければならないのだろうか。
どうしていけばいいのだろう?
たぶん独立的な、「普通の国」的な志向はつぶされ続けるだろう社会、世論支配の中で
本当の意味での「日本の道」を考えて行くには、どうすればいいのか?
軍事的にはスーパーパワーとしてのアメリカの支配体制のなかでしか
わたしたちの生きていく方向性はない。
たまたま、軍事的な徹底的敗北を喫したこと自体は、
世界史的に見て、そう恥じることはないのだろうと思う。
一方、冷静になって、アメリカの世界戦略はどうなっていくのか、ということを
踏まえていく必要性は高いだろうと思う。
そしてアメリカの戦略的方向と、対極的な国家運営は日本は現実的にできない。
なんといっても、わたしたちの国には駐留米軍が存在しているのだ。
あれは日本を守るというのは建前で、いつでも「占領を回復する」装置なのだ。
アメリカから見たら、対中融和的な、日中基軸的な方向性に
田中角栄が、そう見えるような動きを示した途端に
一気につぶされてきたのが、現代日本にとってのかなり大きな歴史の教訓とも言える。
そこからアメリカもその植民地的国家社会に推奨(?)している
「権力腐敗」の告発、という価値観を主にマスコミを使って発動され、
「政治と金」というタブーの極大化を強制され、
その末に今日の官僚中心的な、日本の権力構造がある。
また、今日の「嫌中・嫌韓」的な世論というのは、やはりアメリカにとって
そうであったほうが、かれらの世界戦略からして有用性が高いと判断しているのだろう。
アジアは、分断的にしておきたいのだろうと思う。

まぁ、考えてみれば幕末・明治以来、私たちの日本という国民国家社会は
常に、こうした「欧米的価値観」と向き合いながら、
薄氷を踏むように、世界のなかでの生き延びる道を考え続けてきたとは言える。
そういう視点を、わたしたちはふと数十年間、忘れていただけなのかも知れない・・・。

都市の緑面積の拡大を

仙台は戦争で空襲を受け、
市の中心部が焼け野原になってしまった。
東京の代替都市としての計画があったことで、
アメリカの空襲計画の重点的なターゲットにされた。
そこから都市計画をやり直して、中心街に大きな通りを確保し、
その通りにケヤキの並木を植え続けてきた。
司馬遼太郎さんが仙台について書いた文章の中に、
仙台市の地域計画に与る行政担当者が、
伊達家以来の「残すべき伝統・地域性」について悩んでいるという記述があったけれど、
いま、この夏の暑い時期に仙台を訪れると、
「杜の街」という素朴なコンセプトが実現していて、
都市空間として、なかなか秀逸ではないかと思える。
そんな街の雰囲気がほんのちょっとした小空間にも及んでいて
写真のようなちょっと古めのビルなんですが、
街路樹を工夫して2階のベランダまで一体化したような緑が覆っている。

そこには、こんな小径が実現していて
緑の高さも、人間が行き交うギリギリに設定されているので
光合成が生み出す生物的呼吸感が、歩くひとにも迫ってくる感じがする。
ビルの1階は店舗群で、ときおり打ち水も心がけているようで、
そういったここちよさを売り物と心得ているかのようです。

ひるがえって札幌の街ですが・・・。
残念ですが、ふさわしい写真はありません(笑)。
札幌は街を離れれば、ゆたかな緑の環境が自然に近い感じであるのですが、
そういうことにアグラをかいて、都市緑化については
どうもあんまり熱心ではなかったように思う。
確かに冬の除雪のことを考えれば、並木は「邪魔者」という考えも
わからなくはないけれど、
その対応は、文化的とはとても言えないのではないか。
札幌市の中心街では、「並木道」というような奥ゆかしさの感じられる道が存在しない。
北大構内の「ポプラ並木」も、先年の風台風で無残な姿になってしまった。
大通公園もほかの日本の大都市の公園の杜の景観とは比ぶべくもない寂しさ。
雪祭りイベント会場としての使いやすさ優先で、
この夏の時期のカンカン照りに、ひたすらさらされる広場空間になっている。
こういう潤いの無さでは、
独自な精神的文化は育つことがないのではないかと
そんなさみしい思いをずっと感じ続けています。