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住まいと環境 東北フォーラム2014総会

1724

きのうは、仙台市で表題のイベントに参加。
案内を受けてから、本人はとっくに参加申込みをしているつもりが
またまた、申込みをしていないことが窓口に来て判明。
ふたたび大失敗であります(汗)。
どうにも最近、歳のせいでこういう失敗が目立つ。
なんなんでしょうね、やはり記憶力が少しずつ衰えてきているのかなぁ。
やや心配なんですが、まぁおかげさまで優しく対応していただけました。

総会は、年度の決算・予算承認事項などを経て
記念講演として、東京都市大学教授の岩村和夫先生の講演。
先生は、ドイツに留学されて彼の地の建築思想に触れられ、
そのまま現地で結婚され、設計事務所も開設し
なんと住宅も建てられて、現在も使われているのだとか。
そういった経験から、いわゆる「環境建築」についての
深い知見を持たれています。
国の制度設計や、国策にも関与されています。
講演では、ヨーロッパの建築と人権の歴史をタテ糸にして
建築のあるべき思想性を語られていました。
まことにすばらしい卓見と、拝聴させていただきました。
ただ、先生はちょうど運悪く鎖骨を骨折されていて
痛々しいお姿で、残念ながら懇親会ではお話を伺えませんでした。
まことに残念でした。
日本の寒冷地住宅についても、その向かうべき方向性について
たいへん多くの示唆に富んだ達識をお持ちです。
また機会があれば、ぜひご意見を伺いたいと思いました。
写真は先生の講演の様子から、であります。

その後は会員同士の意見交換会、懇親会と引き続き、
活発な交流をさせていただきました。
さまざまな立場のみなさんと、いっぺんにお会いできる機会は
たいへん貴重だと思います。
結局は人間が最大の「資産」であることは社会の基本。
人が持っている情報が、多くの情報とめぐり会うことで
さらに有益な情報へと進化していくものだと痛感いたします。

さて、出張も長くなっていまして、
本日札幌に帰還する予定なのですが、
ところが、急遽靑森にも所用が出来て、飛行機から
列車での移動に変更。
朝早くの新幹線に飛び乗って、靑森でひと仕事したあと、
そこから汽車で、札幌に帰る予定。
もうひとふんばり、がんばりたいと思います。

里山集村の景観

1723

住宅の取材をずっとやってきていて
はじめは、個性主張型の現代的な住宅に強く興味を持った。
住宅を持つと言うことは、現代において「個人の自由を実現する」
もっとも普遍的に可能なことがらであることは明らか。
そのかたちをできるだけ克明にあきらかにして、
ひとつの「表現領域」を構成したいと考えた。
そういった可能性への探求は、住宅雑誌のなかで建築家の仕事を
積極的に取材して、そのエッセンスを掘り起こすことに繋がった。
家を建てる個人が、さまざまなプロセス、
主に設計者と対話しながら、どんなすまいを実現するに至ったか、
その一連の過程に強く興味を抱いたのですね。
このことは、基本的なスタンスとして持っています。
しかし、取材を進めていくウチに、
「なにげない」背景として成立している住宅群にも
強く喚起されるようになってきた。
北海道・東北の住宅を取材し続けてきて
自分自身が、根がらみニッポン人であることに気付いてきて
そのことの住宅表現を確認したくなってきた、ということでしょうか。
仕事の出張などの機会をとらえて、
日本各地の民家の取材探訪・探求を続けています。
それは主に歴史的古民家がベースだけれど、
現代の暮らしを包み込んでいる住宅のありよう全般に及んでくる。

写真は、里山の農家景観であります。
里山というのは、基本的な生産手段である田畑を平面の土地に造作し、
山裾に住宅の立地を求めるというスタイル全般を言うようです。
言葉自体、近代になって成立したようです。
しかし、この人間居住形態には、
歴史的な日本人のくらしようが明瞭に表現されている。
それは、縄文期からの採集生活の宝庫である森山と
弥生以降、受容した農耕生活が、バランス良く保たれているからです。
しかも、それらの住宅が寄り添うように集まって
「集村」形式でくらしが営まれてきた。
田んぼでの生産活動には、集団的営農労働が不可欠であり、
その基本的な生活基盤を実現させている。
このような集村形式では、気候風土条件に対しても
安全安心を確保することも可能だったことも窺い知れる。
季節風などから、おたがいの家屋をお互いが守りあうという
思想が、見るからに明確に示されている。
一見整然としてはいないような各家屋が不整合に並んでいるけれど、
いろいろな自然災害のありよう、季節風の悪影響に対する防御と
考えれば、その合理的な対応として見て取れる。
しかも、建築的には住宅は規格化されていて
どの家の部材も共通化していることが見て取れる。
これは、仕入購入するときに有利に働いたに違いない。
このような意味で、こうした住宅には
日本人の歴史的な生活合理性が明瞭に示されている。

「なにげない」住宅群の、こういった合理主義に
気付き始めてから、住宅への興味がよりいっそう深まってきたと思います。
結局は、ひとであり、ひとのくらしということが、
いちばん興味深いことであることに思いが集中してきた。
そんな気分がどんどんと深まってきている次第です。

皮膚科・耳鼻科・どっち科?

1722

あ、いきなり醜い写真で、恐縮です(笑)。
恥ずかしながら、わたしの鼻先のクローズアップであります。
吹き出物の治癒に当たっていまして、けさの状況。

場所がきわめて微妙な位置なので
なかなか治癒に時間がかかっております。
小さいときに母親から、片手を鼻周辺にかぶせるように示されて
「こういう場所にできものができたら、注意しなさいよ」と
教えてもらった記憶がある。
母親から伝えられることと言うのは、本当によく憶えているものだ。
きっと、その声音に至るまで、
母親としてのDNAレベルでの「刷り込み」なんだろうと思う。
で、人生これまで、幸いにしてそういうことはなかった。
ところが、中高齢になってついに、
その記憶が甦ってくることになった。
この鼻先のできもの、約1カ月以上でしょうか?
一進一退を繰り返してきました。
最初は耳鼻科に行って、抗生物質を処方された。
これは、効いたのかどうかよくわからない。
ただ、原因については鼻の内側粘膜部分での損傷、化膿であることは
自分的に納得していたので、その処方薬を飲みきった。
その原因には効能はあったと思う。
でも、表面の吹き出物は、なかなか病状が良化しない。
で、たまたまほかの部位の治療のために行った皮膚科で
見とがめられて、経緯を確認されて軟膏を処方された。
それから、日に数回、根気よく処方している。
ここ数日は、とくに気をつけて処方するようにしていたら、
けさはずいぶんと良くなっている。
(これでもずいぶん、良くなったのであります〜(笑)〜)
あともうちょっと処方を継続すると、完治しそうなところまできた感じ。
で、思い出すのが母親のコトバ。
場所が場所だけに、治るのにずいぶん時間がかかるのだよ、
ということであったのか、と気付いた次第。
考えてみると、他の場所と違って
こういう場所は、まさか絆創膏も貼りにくいし、
使用頻度はまことに多いのだということが身に染みてわかる。
どうしても日に何度かは鼻をかむ。
そうすると衛生に気をつけるとすると、物理的な刺激は避けられない。
まことにデリケートなんだなと、思います。
はるかに母親のありがたさに、感謝しながら
根気よく、完治までがんばろう。

北前船と日本資本主義

1720

北前船という江戸から受け継がれてきた
日本の交易ビジネス文化に深く興味を持っています。
この図表は、そういった調査研究のひとつの資料であります。
北前船というのは、<Wikipediaより>

江戸時代から明治時代にかけて活躍した主に買積み廻船の名称。
買積み廻船とは商品を預かって運送をするのではなく、
航行する船主自体が商品を買い、
それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。
当初は近江商人が主導権を握っていたが、
後に船主が主体となって貿易を行うようになる。
上りでは対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して
瀬戸内海の大坂に向かう航路(下りはこの逆)及び、この航路を行きかう船のことである。西廻り航路の通称でも知られ、航路は後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長された。

ということで、北海道ときわめてゆかりが深い。
というか、この交易は北海道の産品の移出が始まることで
より大きくなっていったビジネス。
司馬遼太郎さんの書いた「高田屋嘉兵衛」の物語などで
その当時の様子を知ることが出来ます。
しかし具体的な貸借対照表のようなものは見る機会がなかったのですが、
上のような図表を発掘(?)した次第。
弁財船と呼ばれる船は1艘で約1000両ほど建造費がかかったそうです。
でも、この1回の航海での貸借対照表を見ると
北海道に資材を持って行って販売したものの利益が60両ほどなのに対して
北海道から大坂に持ってきて得た利益は2181両以上になっている。
この経理内容からすると、
この1回の取引交易だけで、船の建造費まで償却してしまっている。
現在の貨幣価値に換算すると1億5000万円超の利益だったそうです。
こういう「交易活動」が江戸期〜明治期を通じて
活発に国内で行われてきた。
一番利益があったのは、魚肥としてのニシンだったそうです。
北海道側では、身欠ニシン生産のゴミとしての内蔵や尾ひれなどが
江戸期を通じて活発だった木綿生産の畑の肥料として
供給され続けていた。
それが大坂から畿内地域の木綿畑に広く販売された。
こうした船舶交易は、流通業ではなく、
海に浮かんだ総合商社というように言えるのだそうです。
船主、船頭には当然、船乗りとしての才能は要求されたけれど、
それ以上に、売買についての情報能力が重要視された。
そしてそれを基礎にしたビジネス交渉力が決定的だった。
確かに難破の危険とはつねに隣り合わせだっただろうけれど
身分制の桎梏の中にあった江戸期社会では、
稀有な上昇機会、いわばジャパニーズドリームとして機能した。
こうしたビジネスマンたちが、
その後の日本資本主義のベースの人材となっていった。
坂本龍馬などは、こうした「身分制度からのはみ出し」が
大きな魅力だなぁと思って海援隊などを創始したのでしょうね。
江戸期に男として生まれたら、
こんな生き方をしてみたいと思った人間はきっと多かったんでしょう。
今日に至る、日本人の北海道へのロマンの感情のもとには、
きっとこうした成功者たちの夢が反映している部分があるのだろうと思います。
生々しい数字に想念が広がった次第。

塩は本当に不可欠なのか

1718

昔から、塩について興味があります。
ご先祖様の中には、江戸中期に福山藩の財政政策の失敗のあおりで
零落した人物がいて、百姓一揆で打ち壊しにあっている。
その零落期に一時期、塩浜を営んでいた時期があります。
広島県鞆の浦・尾道の近く、瀬戸内海地域なので
赤穂の塩浜のように、基本産業として地場産業があったということでしょう。
わたしたちは、そのように製塩って、人間の本然に近い営みと思いがちだけれど、
一方でアイヌの人たちには
製塩の技術伝統の痕跡がそれほど見当たらないと思います。
以前、北海道の考古学の主要メンバーのみなさんの研究会合に
潜り込んで話を聞いていたことがあるのですが、
そこで素朴な疑問として、アイヌの人たちの塩事情を聞いたのですが
だれひとりとして答が返ってこなかった経験がある。
相手にされなかったと言うよりも、本当に研究されていないのでした。
かろうじて、「北東アジアの人たちは、岩塩を使っている」というような
場違いな意見を聞かされたほどでした。
佐々木直亮さんという方が、わたしのこうした疑問を
「食塩と健康」という本で研究されています。
インターネットで、そのあたりのことが公開されています。
以下、その部分抜粋。

日本の中で日本の伝統のある食生活をしている日本人の中で
食塩摂取が少ない人々がいることは一般的には考えられない。
しかしその中で北海道に住むアイヌ族は食塩摂取が少ない人々であったと考えられた。
昭和の初めアイヌ族の死亡に関する統計的観察によって、
和人とちがって、脳出血や癌による死亡が少ないことが認められていたが、
胃癌の多い日本に同じく住みながらほとんどアイヌには胃癌が見あたらない
という問題に取り組んだ並木正義はアイヌの食生活について調査・報告した。
すなわち、アイヌが食物の調理に際して用いた調味料は、
その昔は獣脂、魚油が主であり、和人との交流が行われるに及んで
塩も使用されるようになった。塩をたくさん用いて作る漬物というものはなく、
漬物に相当するアイヌ語すらない。それに干し魚や薫製にして塩を使わないなど、
食塩の摂取量が少ないというアイヌの食生活の特徴について述べた。

というような記述があります。
以前、塩の製法について製塩を営んでいる方から話を聞いたことがありますが、
その折り、海辺の民は海水から塩を作るのだけれど
そのためには大量の燃料が必要で
その「薪木」は、山の民から「交換交易」で入手していた。
その見返りとして当然、山の民に塩が供給されたのだそうです。
まぁ、人類普遍の法則的なことだと思っていたのですが、
どうもアイヌの人々、さらにライフスタイルを共有すると思われる
縄文の人々も、似たようであった気がするのです。
そのことは、農耕の結果、炭水化物は生産できたけれど、
それ以前の狩猟採集生活では自然に摂取されていた必要な塩分、ナトリウム分は
目的的に得るしかなく、結果的に製塩技術が高まったのかも知れない。
ただ、塩を作るというのは、
どうもあまり自然回帰的な行為とは言えない、
それこそエネルギーの大量消費がなければ出現しなかったに違いない。
人類社会にとって、銃や火薬の発明、原子力エネルギー利用にも似た
行為だったのかも知れませんね。
それに塩分が強くなると、どうも戦闘的になりやすい気もする(笑)。

どうも本日は、散文的ブログでありました。

家づくりの現場工程を科学する

1717

きのうは2日目の新住協総会。
全国の会員からの研究発表に対して、鎌田紀彦先生のコメントが添えられる。
古株の会員の住宅に対しては、かなりの深みの部分での突っ込みがある。
遠慮のない突っ込みなので、傍目にはハラハラもするけれど、
そういった遠慮のない姿勢というのが新住協の真骨頂。
そうなんですね、あくまでも「技術研究集団」というのが基本スタンス。

現在の研究領域で言えば、
暖房と冷房のベストバランスはどのあたりにあるのか、
というのがポイントになるのだと思います。
伝導で考えることが基本になる断熱と比較して
対流や輻射、さらに通風と言った視覚化しにくい領域での
「空気と温度のふるまい」に科学のメスを入れていかなければならないので
くっきりとした姿はなかなか見えづらい。
しかし、こういうことを論議しているのに
ある一定の理解領域がだんだんと明瞭になってくるのも事実。
このあたりは、「いごこちを科学する」というような領域でもあります。
そういえば、わたしどものReplan誌では
東大准教授の前真之先生の「いごこちを科学する」を連載中。
こういった領域での研究がどんどん進んでいくことを期待したいですね。
しかし、やはり鎌田先生の研究姿勢はまことに稀有。
全国の工務店が現場的に作っている住宅建築を
つぎつぎと俎上に載せて、実戦的なテーマにする。
そのうえ、いろいろと工法的な疑問やあやまりなど指摘を受けつつも
工務店の側もしっかりとそれに応えていっている。
よく「産学連携」といわれますが、なかなか実体が伴わないのが一般的なのに
新住協での活発なやり取りを見ていると
その究極的な到達地点だというように思えます。
しかしこのような産学の連携の姿というのは、
他にはまったくといっていいほどに見られないし、
また、アカデミズムの世界ではまったく評価もされません。
研究者の世界では論文発表は評価されても
こういった産学連携は、それを評価する基準すら持っていないようです。
鎌田先生が助教授から教授に推薦されたとき、
論文発表成果に替えて、実際的な活動を
特別に論文評価相当認定としたそうですが、
しかし、広くひとびとの幸せを実現するという点では
むしろ、後者の方こそが大いに評価されてしかるべきでしょう。

さて、当社の方の課題も見えてきて
いろいろと勉強になった新住協総会2014も、これにて閉会でした。
来年の開催地はまだ、未定ということですが、
また、先端的でリアリズムに満ちた住宅建築現場が
全国で活発に進んでいくことでしょう。
メディアの役割としても考えていかなければならないと思っています。
ではでは。

新住協総会2014

1716

きのうは新住協総会に参加しておりました。
仙台はずっと天気が悪く、きのうは1日梅雨のような天候。
年に一度の総会と言うことで、決算承認・予算承認事項があって、
その後、NPO法人から一般社団法人への衣替えに関しての論議。
組織体として、NPO法人には限界もあって
そういったことがらへの対応として検討されていると言うこと。
その後、鎌田紀彦先生による基調講演。
わたしも、いろいろな建築研究者の方のお話しを聞く機会が多いのですが、
先生のお話はまさに「システム工学」ということであって
日本の基本技術である「木造構法」に対して
具体的な手法、大工さんの腕先から作り出されていくプロセスについて
高断熱高気密住宅という目的に向かって
課題を抽出し、その具体的な解決方法を解明している。
このようなアプローチ手法をとっている先生はやはり特異な存在。
ふつうの建築工学の先生たちは、
どうしてもこの領域に踏み込んでは来ない。
というか、そういったことに意義を見いだせないのだと思います。
研究者としては、学術論文的な成果物がひとつの目標であり、
もっと進んで
「ひとびとの幸せ」を作り出すという目的に鈍感になりやすい。
実現された高断熱高気密住宅のふるまいには興味を持つけれど
ではどうやって建築をそのように実現するのかは見えてこない。
より重厚な断熱厚みを既存の建築技術と調和させながら、
どのように実利的に、コストパフォーマンスも考慮して
現場大工が実現できる技術として完成させるのか、
そういったアプローチ手法がさまざまに試みられています。
さらに、高断熱高気密住宅の実践者が日本の温暖地域に広がって
冷房の領域についての工学的研究が深化してきている。
そういったプロセスで生み出された技術知見を
具体的な各地での実践例報告では具体的にフィットさせているけれど、
そうした事例を題材にしながら、
先生からの解説では、具体的事例についての
「もっとこうしたら、良くなる」というポイントが挙げられていく。
そこで実戦的な知識とやり方が身についていく。
こういった技術研究団体というのは、まぁないと言えるでしょう。

懇親会も総勢240名以上という参加で
会場ははち切れそうな熱気に包まれておりました。
さて本日も、研究発表などが行われる予定。
体調を整えながら、最後まで参加したいと思います。

サイバー犯罪

1713

きのうは新住協総会の開かれる仙台へ移動。
わたしの思い込みによる手違いで、参加登録を失念していた(汗)。
ずうっと前に参加の案内が来ていて、とっくに参加通知を出していたと
思い込んでいた。
どうも、老化があぶないなぁ(笑)。
なんですが、なんとか前夜祭には潜り込むことが出来まして、
鎌田紀彦先生や、たくさんのみなさんと楽しく歓談させていただきました。
お話しが弾んで、すっかり食事を忘れていた。
どうもあぶない中高年ですが、きちんとホテルには帰ってきていました。
ということで、けさ起きたら、猛烈な空腹であります。
ハンパないので、朝食まで待ちきれず、ついコンビニおにぎり。

ということではありますが、
ここんところ、サイバー関係の話題が2題、続いておりますね。
ひとつは、例のPC遠隔操作による脅迫事件の被告による自爆事件。
それと、中国によるアメリカへのサイバーテロでの中国軍幹部の実名起訴。
中国の共産党主導による無軌道ぶりには
経済的な関係を重視せざるを得ないオバマ政権もさすがに堪忍袋の緒がほころんだ。
っていう微妙な状況であります。
一方で、南シナ海・東シナ海での傍若無人ぶりもあぶりだされて
どうも国際的に孤立が際だってきていますね。
アメリカだって人にどうこう言えるような立場ではないと思いますが、
一応は民主主義的な価値観に基づいての建前を取っている。
それに対して、中国の無軌道ぶりは常軌を逸している。
こういうならず者に近い隣人がいるわけで、
安倍政権による「集団的自衛権」についての支持の国際的な環境を作っている。
こうした中国に対して、日本のマスメディアの論調も大きく分かれてきている。
日本の国益重視の立場と、中韓両国への容認的な立場へと
ふたつの流れが明確になって来ているように思う。
国益と個人的自由の範囲決めは、たしかに難しいけれど、
さりとて、尖閣のいまの状況を考えれば、
中国はなにをしてくるかわからない。
たぶん、よりグレーな領域を狙って、仕掛けてくることは間違いない。
サイバー領域での暗闘なども、そういった仕掛けのひとつになり得る。
必要最小限の対応策、準備には必然性があるだろうと思う次第です。

で、一時はえん罪とまで言われそうだったPC遠隔操作による脅迫事件。
被告の致命的な自爆的再犯によって、
人権尊重の立場には、大きな失点になってしまったと言わざるを得ない。
こういうサイバー犯罪にとって、
大きな一里塚が刻印されたように思います。

さて、やや疲労気味ではありますが、
本日明日と、新住協総会、がんばって参加してきます。
<写真は無関係・神楽坂地下鉄駅のしゃれたベンチ>

似合いすぎのジャズカフェ

1712

土曜日午後の「神楽坂」で見掛けたジャズカフェです。
こういう無国籍文化が、キッチュなまんまで黄昏れている雰囲気(笑)、
やばそうであります。
で、ふとなにやら1950年代風の音楽が街に流れている。
振り返って、その音源の辺りを見回すのですが
どうもそれらしき発信源を確認できませんでした。
しかし、この写真の店、こういうたたずまいのままに
2014年の時空間に存在し続けているのは、いいですね。
バタ臭いけれど、オヤジっぽくて、
不良になりたくてなれないままに、善良仮面の下で
バーボンなんかに酔ってみたいと願っているような中高年の心情。
そういったないまぜのたたずまいが、そのままかたちになっている。
店の前の柱には、「ジャズライブ」のお知らせチラシが貼ってある。
なんという場末感。
でありながら、神楽坂というジャパネスクな街の名。
そういえば「神楽」なんだから、ジャズには縁もあると言えるのかも。
日々の肉体労働に疲れた体に、
独特のリズムとリリシズムで訴求していった黒人霊歌が
ジャズの成り立ちだと言われますが、
神楽というのも、日本的農耕社会での開放空間としての神社境内で
集ってくるひとびとに肉体表現の共感をベースにして
さまざまに「物語って」くれた文化現象だったのでしょう。
東京という、異文化を継続的に受け入れ続けた場所には
こういったバタ臭さを吸収する磁場があるように思います。

さて、本日からは仙台にて新住協の全国大会。
前夜祭から始まる3日間です。
で、そのあと来週早々火曜日には、住まいと環境東北フォーラムの
年に一度の総会。
ということで、わたし、しばらくの間は
札幌を離れて、東北その他にいる予定であります。
と思っていたら、ちゃんと出張中のお仕事も飛び込んできて
ずっとパソコンで通信しながら、進めなきゃならないようです。
ということで、8日間の予定で行ってきたいと思います。
やれやれがんばるぞっと・・・。

東京の「地方」探訪・神楽坂

1715

写真は、先週の東京出張の折に訪れた
住宅評論家・南雄三さんの「スケッチ展」の会場であります。
神楽坂というのは、地下鉄東西線で、飯田橋と早稲田・高田馬場の中間。
中沢新一さんの「アースダイバー」縄文期江戸地図によると
湾入してくる海に陸地が面しているような位置にある。
縄文の遺跡もあるようです。
わたしは、だんだん東京のなかの「地方性」発見が趣味化しています。
もともと東京に住んでいたことがあるのもありますが、
まことに現代的な資本主義文明が覆い尽くしているなかに
「風土性・地方性」がそこここに顔を出しているのが、面白く感じる。
本来の「地方」、わたしが住んでいる北海道、札幌は地方ではありますが、
地価や賃料レベルがあまりにも低いので
むしろ開発と大資本主義の勝手気ままな展開が顕著で
本当に鄙である住民たちも、むしろそういう「どこにでもある」共通文化性に
強く憧れる心理の方が強くなってしまう。
江戸期に、気候風土が温暖地日本とはまったく違う会津において
それでも小堀遠州流の大名庭園が造営され
華奢な建築が雪の重みに耐えきれず、
江戸期を通じて何十回と再建築され続けた、という事例がありますが、
そういった「都と同一化したい」願望の方が日本の「地方」には多い。
もと「都」である関西・京都、あるいはその周縁地域は別にして、
こういった風潮にあるのが、日本の地方の実態だと思う次第。
そういうなかで、むしろ東京の中では、
それぞれの「地方」というか「地域・街」が、本来の「地方性」を維持している。
たしかに交通移動の過程で見られる表面的な部分は
「どこにでもある」側面が強いけれど、
そのちょっと周辺部には、底堅い伝統的価値観が存在している。
そういった部分を発見するのが面白くなっているのですね。
わたしは中沢新一さんの「アースダイバー」は最近知って読み始めたのですが
ちょっと違うけど、よく似た気分を持った著作だとびっくりしている。

1714

で、神楽坂であります。
東京に居たときには、まぁ1度か2度、通りかかったくらいですが、
たぶん、料理屋さんで会食した記憶があるくらいですが
今回、南さんのスケッチ展と言うことで
街を感じさせていただけた次第であります。
なんといっても、会場の古い家がいい。
さすが南さんらしい選択であります。
でもまぁよくこういう古民家、昭和初期だそうですが
残っているものであります。
北海道では見掛けることもない樹木が、バランスよく縁取って
瓦屋根、真壁・塗り壁仕上げの外観を彩っている。
絵の素晴らしさも格別でしたが、
この雰囲気の素晴らしさにしばし、感嘆させられておりました。
たたずまいが、素晴らしいですね。
「神楽坂」という地名が、すんなりとカラダに入ってくる気がしてきます。