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がんずき、ごちそうさま!

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写真は先日、訪れた水沢近郊の古民家再生住宅でいただいたおやつ。
「がんずき」っていうんですね。
お住まいのおばあちゃんが作ってくれていた手作りおやつでした。
地元の味、っていうことのようですね。
見た感じはごらんの通りですが、まぁ、黒い蒸しパン。
インターネットで調べたら、作り方が出ていました。
黒糖、牛乳、たまご、蜂蜜、重曹、小麦粉、お酢、を
まぜまぜして蒸し器で蒸したおやつです。このへんでは、
がんずき、とか、がんじきと言われている昔ながらのおやつです。
上にのっているのは黒ゴマです。もっちりしたあまり甘くなくて、なつかしい味です。
っていうことのようなんですが、
わたしはこういうおやつのようなものには、作ろうという意欲がわかないタチでして、
ただひたすら、研究吟味することもなく
パクリパクリと、ありがたくお腹に納めさせていただきました。
食感は上の説明の通りですね。
甘みも抑えられていて、いくらでも食べられそうな飽きの来ない感じ。
お茶うけにぴったりですね。
こういう、いかにも人が作った、という感じの手作りの食感を味わうって、
やはり、しみじみと伝わってくるものがありますね。
出来たてほやほやではないけれど、
まだすこし、温もりが残っているようなほの暖かさ。
そのお宅での時間の印象を膨らませてくるものがあります。
ということで、名前だけ聞くと、
雪の上を歩いていく大型草履かぁ、と聞き違えそうでしたが、
って、そりゃぁ、かんじきですよね。
あにはからんや、口中にさわやかな甘みが広がりましたです。
ごちそうさまでした。
インフルエンザ、なんかしつこいヤツです。
なかなか、鼻水が完治しません。
相当に重症だったのでしょうかね。
しばらくは、様子を見ながらになりそうです。
今朝もまだ、小雪がちらついております、札幌。
春はまだまだ、先になりそうな今日この頃です。
でも、新卒さんが出社してきたり、人の出入りもあって、やっぱ、新年度ですね。

平泉の風景

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写真は平泉中尊寺の山道から北上川のほとり、
昔、奥州藤原氏の居館があったとされる場所を見下ろしたところ。
右手の山は、このあいだ触れた束稲山です。
こうやってみてみると、北上川の水利によって
京都や関東などの諸地域との物資のルートが保たれていた様子がわかります。
奈良期に大仏に金箔を施すのにたぶん、奥州の金箔が使われ、
このルートが重要なルートになり、
義経の時代にも、「金売り吉次」が活躍したように、
東北は、なによりもこの金の産出によって特徴づけられたのだと思います。
現在でも、金の字のつく地名が多く残っていますね。
こうした東北に対して、関東の武装開拓勢力、源氏の武士団が
権力争いに介入していったのが、前九年・後三年戦争だったのでしょう。
たぶん、そこに大きな利権のニオイをかいで
あわよくば勢力を拡大しようというのが源氏の連中の狙いだったのでしょう。
で、この合戦の結果、平泉を首都とする奥州藤原独立政権が誕生する。
この武権の成立によって、奥州は他地域からの介入から免れます。
東北はまた、一方で「北の海道」によって
沿海州の民族とのつながりが密接だったようです。
西南日本は、中国との貿易立国型の国づくりを志向する傾向が強いのに対して
「渤海国」とのアジア北方の交流は、相当のものだったのではないかと推測できます。
鎌倉時代に描かれた時事絵詞に、北方の「金髪・異形」の人物が
遠江で、山賊の一味として描かれたイラストがありましたが、
秋田や十三湊などの東北北西岸から、北海道、サハリン、という
比較的安全な海路による交流は相当に根深かったと思われるのです。
そうした富も、この平泉の藤原氏によって統括され、
きわめて独立性の高い国家が出現したのではないかと思うのです。
日本の歴史の中で、敗者側としてはたぶん一番近い歴史時間である
この東北地域の権力のありよう、経済のありようなどに
強く引かれている、昨今であります。
負けた側の歴史もまた、掘り起こせば起こすほど興味が強くなってきます。

手業の残る建物

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先日の東北住宅大賞で伺った古民家再生の家で、
たまたま、屋根の縄組などのデザイン表現について質問したのですが、
断熱気密化工事をしながら、いかに縄組のような手業を延命させていくか、
しばし、その技術について話し合ったりしました。
やはり、まったく以前の状態を復元するのは
とくに縄の色合いであるとか、木材との調和など、
大変難しいものがあるので、既存状態を維持させながら、
その上側にあらたな断熱気密層を新設して、それと既存縄組を調和させる、
という手法を採用した、ということでした。
ここで、デザイン、ということについての考え方が
ふたつに分かれるものなのかなぁ、という印象を持った次第。
まぁ、言ってみれば、「デザインを作る」という考えと「デザインを活かす」という考え。
そしてもっと言えば、デザインっていうのはなんなのか?
現代的なガラスと鉄、コンクリートで自由に造形するデザインと
不自由な素材で、その素材のもつ親和力のようなものを組み合わせていこうとするデザイン。
前者の方のデザインは自由にいろいろな感情や思いを呼び起こせるだろう、
という表現としての自由度が高いと思われているのが現状。
多くの専門家はそのような方向でものを見ているのではないかな、と。
けれども、住宅を使っていく側、ユーザー側としては
かっこよくまとめられたデザイン空間と、
たとえば日常で写真のようなエッジの部分を持った建築では
抱きうる愛着のよすがの量や、雰囲気において隔絶感がある。
いま現在で言えば、木造で作られた古建築は相当長い世紀にわたって
「愛着」というものが延命し続けていくのは確かだろうと信じられるけれど、
たとえば、あたらしくできた六本木の新シティなどは
今後も量産されるだろう新技術建築の洪水の中で「愛着」を存続させられるのか?
どうも、疑問に思えてならないのです。
北海道の例で言えば、赤煉瓦の北海道庁建物は幾世紀も保存されていくだろうが、
隣接している現在の鉄筋コンクリートの庁舎は
だれも存続すべきだと声を上げないだろうと言うこと。
いまでも、赤煉瓦は「白華」現象が出てくる「生きている」感じがあるけれど、
近代コンクリートの自由造作建築は、陳腐化スピードが格段に、速い。
というような雑感を抱いた次第なのです。
最近はむしろ、写真のような茅葺きの屋根を現代に再生利用しようという
エコロジカルな考えの方が、どうも
現代人の心を掴んでいるのではないかなぁと思われる部分もあります。
しかし、縄という不定型な素材で、人間の編む、結ぶ、という手業だけで
建物を作り上げていく、って、
考えてみるときわめて「贅沢」な家ですよね。

日ハム、本拠地開戦!

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むむむ、勝てませんね〜、ふーっと。
開幕してからきのうまで、1勝2敗2引き分けと、もやもやの続く
我が北海道日本ハムファイターズ。
小雪舞い散る、氷雨のなか、翌日にはまた沖縄に帰る娘と、坊主、わたしの
毎度の応援隊、ことし初のそろい踏み声援参戦です。
わたしも娘もインフルエンザ開け、坊主の声もイマイチという
チームとともに、わが家の健康状況ももう一歩という中でしたが、
力の限り、小さい声ながら熱心な応援を繰り広げてまいりました。
で、わたしは野球から帰ってきてからも、薄野で送別会2次会出席予定という
気がかりな予定も入っているという、複雑な状況でした。
さて、試合はダルビッシュくんの成長ぶりが伝わってきた試合。
自責点のつかない先制点を許すも、くさらず後続を断ち、
その後も、出会い頭の高め初球を和田選手にスタンドに持って行かれましたが、
要所は、きれのいい直球で三振の山を築いていきました。
じっと我慢しながら、見方の援護を待ちながらの熱投が続いていました。
ダルビッシュくんよりも、応援しているこっちのほうが、攻撃陣の決定力不足に
ストレスが募っていましたが、
自分を見失うことなく、粘りの投球を続けていました。
なかなか、えらい! 随分、成長したものだなぁ、と感心してみていました。
淡泊な攻撃が繰り返されて8回まで、ついにゼロ行進。
あとの予定もあるし、どうしようか、と帰り掛けたら、
なんと、9回裏でついにたまったストレスがちょっぴり、解消!
なんとかつないで作ったチャンスに、新人金子洋平君がフェンス直撃弾で応えてくれました!
その後も、ボテボテのピッチャーゴロをなんとか内野安打にしたひちょりくんの激走で同点!
ここまで来れば一気!!! との期待までは叶わず、でしたが、
わが家応援隊は、座席シートにUターン。
しかし、その後は決め手を欠いて、結局、またもや引き分け。
こういうの、どうなっているのか、
6試合で3引き分けって、ちょっと前代未聞なのではないでしょうか。
なんか、いまひとつ、目覚めきっていない寝ぼけ状態で戦っている感じがします。
どうも、これは3月のスケジュールが影響している感じ。
って、ヒルマン監督が悲鳴を上げていたけれど、
3月は合計25日、遠征に出ていたというようなんですね。
ほとんど、札幌で腰を落ち着けて戦うことができていない。
開幕も土砂降りと強風の千葉で、2引き分けスタート。
すぐに翌日から大阪・関西遠征。
きのうも、大阪から朝、札幌に移動してきて、即ゲームなんですね。
相手はアウェーなのに、前日移動してきて休養も充分。
どうも、去年のチャンピォンとして、ハンデ戦にさせられているような
強行日程がチームを襲っている最中なんですね。
本日も、きのうのナイターから休む間もなくデーゲーム1時開始!
そして、ようやく帰ってきた札幌も3日間だけで、ふたたび仙台から福岡へロード。
日程を見ると、どうも、4月10日からの札幌での6連戦まで、
選手のみなさんも、体調管理が難しいスケジュールが続きます。
まぁ、いきなりの試練を迎えているというところですが、
そう考えると、なんとか「負けず」に、3引き分けというのは
コンディショニング最悪の中で、選手は出ない活力のからぞうきんを
必死で振り絞って全力で戦っている、といえそうです。
こういうときは、とにかく元気を出して
眠っているような体が、はっと、目覚めるような若手のハッスルプレーが欲しい!
その意味では、金子洋平君の思い切りのいいスイングは
見ていて、みんなに元気が出たパフォーマンスでしたね。
でもまぁ、まだ全然、焦る必要はありません!
しぶとく球に食らいついていく、粘りのある野球で乗り越えましょう!
頑張れ! 北海道日本ハムファイターズ!

能代の家〜東北住宅大賞優秀賞の家

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優秀賞:能代の住宅
設計者:納谷学・納谷新(納谷建築設計事務所)
当地で高校時代まで育ったという設計者の実家の住宅です。
この家でも、大賞の家と同様に「入れ子状」の構造が試みられています。
外皮は無機性を感じさせるような印象ですが、
2階部分の採光窓の連続が、ユニークな室内空間を生み出しています。
この家でも、主たる居室部分は内側の入れ子状部分に集中され、
それをぐるっと囲むように回遊動線的な空間が回っています。
その内部は可変的な建具で仕切られていて、
冬場には動線もきわめて小さくて済む居住空間が展開しています。
この障子のような建具を開放していけば、夏場の開放的な生活空間が広がっていきます。
プラン・デザイン的にきわめて秀逸な作品です。
この設計者の家は、東京でもオープンハウスの機会があったので
見に行ってきたりしました。
このブログでも、そのときの印象を書いたのですが、
この入れ子状のスタイルというのは、設計者の手法なのか、
どちらも、外周をぐるっと囲む手法が試みられています。
こういう手法を採用することで、いろいろな面白い空間を生み出していけるのだなぁ、
と思った次第です。
<なお、この家についてはリプラン東北版で追って掲載予定です。>
ここんとこ、悪かった体調もおかげさまでだいぶ、回復。
心配していた坊主も、ついに鼻水が来まして、お医者さんに見せたりしたのですが、
こちらも、軽い風邪、ということで、治まっております。
でも、北海道は、まだ春遠し、という寒さが続いております。
みなさんも、ご自愛ください。

歴史になっていく死・植木等

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植木等さんが死にましたね。
諸行無常、というような言葉が想起される気持ちです。
まぁ、新聞の紙面でも各紙、たいへん大きな紙面を使って報道されていますから、
何も書き足すことがあるわけではありませんが、
少年期から青春期にかけて、かれの醸し出すギャグ世界の中で
「なんとなく、未来は明るく感じていた」
時代の空気のゆりかごで育った世代としては
そうか、こうやって、あの時代感が歴史になっていくのか、という淡々とした心境になります。
そのことになにか、新鮮な感覚もともなっています。
どういう感覚なのか、いま、という時間、言葉にできない時代の空気感が
たっぷりと詰まっていた時間が、いつの間にか、ピンナップされて
もう歴史時間になったのですよ、と告知される、という感じ。
植木等さんは、ああいう演技を全力で走りきって、
晩年には、また違った渋みも感じさせながら、鬼籍に入っていった。
ちょうど、網野善彦さんの歴史書をずっと、読み続けているのですが、
戦後のあの時期に花開いた元気いっぱいのああいう明るい未来賛歌って、
日本の芸能史の中に、たぶん、書き込まれていくのでしょうね。
映画からテレビへの「芸能」の中心軸の大きな変動の時代の最先端で
植木等や、おおくのギャグマンたちが才能を開花させた。
芸能って、たぶん、人間存在の根源的な部分で
ある共感を紡ぎ出してきたものなのだろうと思うのです。
田植え仕事の中から、猿楽のようなものが生まれ、
そういう人間の楽への欲求のはけ口としての祭りや、歌合いというような民俗の場で
明日への生きる活力のようなものになっていったんだろうと思います。
そういう系譜を書物の中でたどりながら、
そのなかに、あの植木等も加わっていくんだ、という驚きです。
なんか、要領をまったく得ていないブログですね。
まぁ、お許しください。大ファンだったもので・・・。
こういうのが「年を取っていく」ってことなんですね(笑)。 合掌。
<写真は無関係です。>

天井換気窓〜東北住宅大賞の家

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この装置をなんと名付ければいいのか、
考えた末にこう付けてみた次第ですが・・・さて。
って、この写真は天地左右は間違っておりません、これが正しい方向。
なんか、見たことのないような道具立て、配置ではありますよね。
こちらの家は、先日の東北住宅大賞で拝見したお宅です。
構造的にコンクリート造の内殻と、それを包み込むような木造の外殻になっています。
で、この写真はコンクリート内殻の上に上って、
下に向かってカメラを向けたところなんですね。
なので、ここに写っている窓は、コンクリート内殻天井からの換気を用とした装置。
断熱性能を考えて、素材にはポリカーボネートを使用しています。
このコンクリート内殻を囲い込むおおらかな木造の外殻との間に
ゆったりとした空気層が設けられていて、
冬場には外気との中間領域的な装置になり、
夏場には、日中、過取得した日射熱を屋外に放出させるとともに
相対的に気温が下がる時間の外気を
コンクリート内殻に「蓄涼」させる働きをするのです。
このように装置することで、主たる居住スペースであるコンクリート内殻の
温熱環境を、パッシブにコントロールする、という住宅なのですね。
なのですが、実はこの階、というかロフト部分で天井高さもある場所、
上がっていくのが、なかなかスリリング(冷や汗)。
別に高所恐怖症というのではなくて、はしごで登るのがどうも・・・。
ちょっと金物がゆるんでいて、ぐらついていたりしていまして(怖)
体重増加を気にしている当方としましては、
春からの運動量アップを堅く心に決めさせていただいた契機になった次第(笑)。
上がってみると、住宅性能がよくない建物にある上階の温度上昇も見られませんでした。
ということで、住宅性能的にもいろいろな試みをしているチャレンジ精神の豊かさ、
という側面からも、今回の大賞受賞となった住宅です。
この住宅については、また触れていきたいと思います。
きのうは一応、半日様子を見ながら会社に出てみましたが、
「インフルエンザ」と話すと、みんなにさっと、引かれてしまいました。
まぁ、無理もないので、そうそうに要件を片付けて家で静養。
タミフルは5日分、出されていますが、症状としては今朝は80%以上回復。
もう大丈夫だと思います。
と、思ってなにげにパソコンで見たら、植木等死去のニュース。
わたしたち年代にとっては、ちょっと格別のお笑いスーパースターだったのですが、
もう80才を超えていたそうですね。
老齢になっての、渋い脇役もいい味を出していたと思います。
かれについては、葬送の意味で別に書くことにいたします。
まだ病み上がりのボケ頭は、充分クリアではないので・・・。ではでは。

タミフル飲みました!

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前日からまたまた熱が上がって38度を超えてきました。
わたし、痛いのと熱にはからきしでして、
って、それ以外でもダメなものはダメなんですけれど、
熱は38度を超えるようになると悪寒でふつうには生活できない。
という絶不調の中、会社で要件だけ片付けてさっそく病院へ。
睡眠時無呼吸症で受診している先生を訪ねました。
月曜の朝と言うことで、病院は受診待ちの人で超満員すし詰め。
そんななかでしたが、先生がかかりつけと言うことで
順調にインフルエンザ検査、血液検査とすませられて、
午前中一杯覚悟していたのですが、比較的早く受診できました。
「インフルエンザです。けっこう重篤な数値も出ています。」
という宣告。まぁ、そうだろうなぁとは思ってましたが。
「タミフル、使います」
来ましたね。話題騒然のヤツです。
わたしは壮年でもあり、情報を知った上で服用するのですから問題はない。
それより、薬を使用しないでこういう体調がグズグズと続くのが困る。
ということで、お願いいたしました。
やっぱ、熱が高いと一刻も早く寝たい、というとこですが、
精算や、薬局でも時間待ちが長い。
やっとの思いで薬を受け取って、家に帰って服用し、そのままふとんのなかへ。
服用後、ひと眠りして目覚めたら、かなり症状は改善されておりました。
ただ、まだ熱はあるので、食欲とかまったく起きてこない。
なんとか口に合う果物などで夕食をすませ、ふたたびタミフル服用。
結局、一日中寝ていたのですが、ひと眠りごとに体調はみるみる改善してきます。
だいたい2〜3時間ごとに汗を掻いて、下着や寝具を取り替えたりするのに起きるのですが
どんどんよくなっていくのが実感できます。
ということで、本日朝は、結構さわやかな朝を迎えております。
熱は平熱まで下がっていまして、のどの炎症や鼻水も止まっています。
どうやら、このインフルエンザも山を越えたようです。
ありがとう、タミフル(笑)。
最初、空き腹で服用したせいか、想念が早送りされるような印象は持ちました。
こういう副作用が、精神的に不安定な時期の若年のかたには
異常行動を取らせるものなのかも知れないなぁ、と思った次第。
ただ、このように副作用情報がしっかり伝えられていれば、
少なくとも成人には、問題はないと判断はできると思います。
今回は人体実験結果をご報告させていただきました。(笑)

道庁の中古住宅への取り組み

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北海道庁という組織は、たいへん面白い取り組みを行ってきています。
というか、その前身といえる北海道開拓使の時代から一貫して
「あたたかい寒冷地住宅」についてその普及啓蒙活動をしてきているのです。
いち早く洋風デザインが取り入れられたのは
ストーブやガラスといった素材に似合う空間と言うことから取り入れたものかも知れません。
それまでの日本家屋にはストーブという暖房装置は存在せず、
ひたすらいろりの火による暖房、煙による暖房が日本家屋のスタイルだった。
そういうなかにアメリカの寒冷地住宅スタイルが
お雇い外国人技師たちの住まいを中心として、建てられるようになり、
見よう見まねで日本人もそのスタイルをまねしたのですね。
そういう「暖かい住宅」というものが、北海道開拓にとって、
不可欠な技術であると、北海道庁は考え続けてきたのです。
わたしが北海道から東北以南の地域に取材などで出かけるようになって、
このことはむしろくっきりと明らかに見えてきました。
「他の地方公共団体では、暖かい家を考える部署もない・・・」
ということに否応なくぶつかったのです。
北海道が基本的なスタンダードを定めたものに立脚して
国土交通省などはいろいろ断熱基準、次世代省エネ基準などを
策定してきていますが、それ以外の公共団体は
こういう住宅の技術について、まったく無関心だと思います。
せいぜい地場木材消費という観点からの取り組みが散見される程度。
道庁では、どこにどのように釘を打ったらいいか、まで把握して
各種マニュアルなどが整備されています。
北海道では、産業政策のような範疇を超えて、
基本的生存条件が住宅の性能向上に深く結びついているということですね。
そういう道庁が、昨年実施した「中古住宅流通促進策」の
社会実験の様子が、写真の2点です。
いま、道庁では、新築住宅に次いで、中古住宅をいかに性能向上させるか、
いろいろな施策を検討しています。
中古住宅を再生させて、新築住宅よりも相対的に価格が安くて
しかも、道の住宅性能基準測定結果を販売の資料としてきちんと添付させようとしています。
昨年販売された物件では、中古再生住宅が次世代省エネ基準をクリアしています。
価格も何とか。周辺立地の中で新築物件の80%程度で供給できないか、
いろいろ検討が加えられているのです。
道の取り組みについては、http://www.kita-sumai.com/
まで、ごらんください。
さぁ、週が始まりましたが、どうにも熱が下がりません。
こりゃぁ、病院直行ですね、仕事片付けて。むむむ。

雪割りもできない絶不調

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今週末は、週初めから引き込んだ風邪がわが家で猛威を振るっています。
まず娘、そしてわたし、つづいてカミさんと、無事なのは坊主のみ。
ここんところの過密日程の疲れが一気に押し寄せた感じ。
どうしようもありませんね。
家で、なるべく静養しているのですが、すっきりしない。
熱はそうたいしたことはなく、食欲もあるのだけれど
って、こればっかりは落ちたことは滅多にないんですけど(笑)、
のどの痛みや、グズグズ感が全然抜けません。
札幌では、だいたいこの時期、冬の間に居座った雪が堅い氷状になっていて
家族総出で、ツルハシやら金属スコップなどを使って
「雪割り」をして、一刻も早く春が来るようにするのが一般によく見られる光景。
この週末などは、かっこうの雪割りサンデーなのですが、
ちょっとやってみたら、さっそくのどに痛みが来て、
「ありゃ、やべ」っていう感じで、絶不調を痛感しております。
ことしは最後に来た、ドカ雪の時に、長期出張だったことが響いて
家の前は、周囲と比較して格段の残雪ぶりなのです(汗)。
先日は家の駐車スペースで車が雪にハマったりしています。
そんなことで、やむなく断念。でも、おあつらえ向きにシトシトした雨模様。
堅い雪を柔らかくしてくれていまして、
見ていると、かなり堅い雪の面積が減少しているかのようです。
神様が、あわれんで、いい天気をプレゼントしてくれたのでしょうか?
こういう心配って、北国での戸建て住宅特有の心配なのですが、
面倒と考えればこんな面倒なことはない。
でも、四季折々の通過儀礼、季節感を知らせてくれる季語のようでもあります。
その年、その年で、いろいろ雪の降り方が違ったり、
融け方も違っているものなので、印象がそれぞれに濃いもの。
こういう通過儀礼を経てくるから、春の感じ方が
もっと、楽しく印象深くなる、そういう効果を持っていますね。
そう考えれば、北国らしさをもっとも感じる大切な季節感。
まぁ、ことしはメッチャ忙しかったなぁ、と振り返るような
お恥ずかしいような、わが家前の残雪ぶりです。
なんと、ゴタクをこねようが、ちょっと悲惨な状況ではありますね。(涙)
ちょっと情けない、北国の春、の様子でした。