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日本の地政学的位置

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写真は富山県が作成した「環日本海諸国図」です。
これからの日本の進路を考えていくポイントとして、
地政学的な位置関係の把握って、きわめて重要だと考えています。
そういうことなので、許可をいただいて講演などで使用させていただくことにしました。
従来の日本を中心において、むしろ太平洋が大きい、南が下の地図ばかりの発想では
行き詰まってくるのではないか、という思いがあるのです。
そんななかで、いまは歴史についても
日本中心だけの見方ではなく、ひろい北東アジアの交流のなかで
日本列島の社会発展のプロセスを見直すべきだと思っています。
東北の歴史にいろいろと取材して、(っていっても個人としてですが)
この写真のような視点でみると、沿海州地域からサハリンを経由して、
蝦夷地(北海道)、さらに日本海北西部に至る沿岸伝いの海の道が見えてくる。
また、基本的には中国が、この地域の中でその文化発展の中心だったことは
火を見るよりも明らかであって、
中国に隋とか、唐とかという強大な国家が成立して、
この列島社会は、その社会システム、国家概念自体、法制度から、
文書主義による運営システムに至るまで徹底的に「直輸入」した。
それが遣隋使、であったり遣唐使だったのですね。
文字は日本社会では成立せず、中国から輸入し、
国を挙げて、文書主義にどっぷり浸かって、官吏として栄達するためには
小さいときから勉強しなければダメだ、というシステムを作ってきた。
奈良期の官吏が、こどもの勉学への態度を嘆いている記録があって
この社会では一貫して、この勉強主義が根強いことを
伝えてくれていました。笑えるけれど、本質的には
国の基本システムまでそっくり丸ごと直輸入したのだから、
「勉強して、身につける」しかない、という価値観がきわめて強い社会が出来上がった
ともいえるのだと思うんです。
こういう位置関係の中で、朝鮮は中国を宗主国として歴史的に奉じてきて、
一方、日本は「日、出ずる国の天子、日、沈む国の天子にいわく、・・・」
という、なんとも「礼を失した」スタンスを取ろうとしてきた歴史。
中華に対して、小華たろうと、大帝国に対して、小帝国たろうとしてきたのですね。
秀吉や明治〜戦前に至る各時代の妄想の根源に、こういう列島社会の隠れた願望が
根強く横たわっている気がしてなりません。
まぁ、言ってみればコンプレックスの裏返しなんでしょう。
そうしたコンプレックスが根本的にひっくり返ったのが、
西洋近代社会と、この東アジア世界が再会を果たした時期。
日本はとにかくも明治維新で近代世界に参入し、
一方、中国は事大主義の殻の中から脱せず、
結局、事実上の植民地に落ち込んでいったなかで、
いち早く「丸ごと社会システムを導入する」ことについては
歴史的に経験している分だけ、日本社会の方が近代世界への対応が素早かった。
まぁ、社会の規模と歴史文化が小さく、浅い分だけ、対応力も柔軟だったのでしょう。
というような歴史的な雑感が、この1枚の地図から
湧き出るようにいろいろ、浮かび上がってきます。
この地図を見ると、関東地域って言うのは、はるかに太平洋をはさんで、
アメリカと対面しているわけで、
首都の位置関係による国際感覚というのも、大きいかも知れませんね。
京都が首都の時期というのはやはりアジア世界とのつながりが濃厚。
みなさん、この地図、どんな印象を持たれますでしょうか?

ルーバーの効用

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最近の住宅デザインでよく使われはじめているな、と思えるのが
ごらんのような日射遮蔽用のルーバー。
いや、遮蔽と言ってしまうと違うかも知れませんね。
太陽光をコントロールするというのが基本的な用途であるのが
ルーバーだと思うのですが、室内光にいろいろな表情を生み出すための装置として
見直されてきているな、というのが実感でしょうか。
写真のような使い方の場合、室内に微妙な陰影が投影され、
時間の経過とともにいろいろ変化に富んだ光のデザインが現出する。
大体、設計者に聞くと夏至と冬至の太陽日射角度を想定して
その範囲内で、ルーバーの方向や角度などを検討する、という。
用としては、まことにその通りで、
夏至のきつい太陽光をその家の立地条件の中でやわらげ、
冬至の頃でも、やさしく太陽光を室内に引き込んでいくように考えるもの。
ただ、この写真のような様子を見ると、
格子模様が時々刻々と変化していく様がたいへん面白い。
考えてみると、日本の家屋って、格子を基本にした障子から
紙を透かした太陽光を室内に取り込んできた。
そういう生活文化的な伝統を、こういう外部ルーバーが今日、担っている気がする。
こんにちの北海道などの家屋からは、
障子やらの建具は減少の一途をたどっているし、和室自体も
存在しない率が高まってきている。
そんななかで、こうした外部ルーバーが
そういう部分の日本的感性を再生するような方向で取り入れられている気がする。
まぁ、必ずしも目的的ではない、
無意識的に意図されている、というような意味合いですけれど。
わたしは冬場など外での遊びが限られる生活を
強いられる、北海道で育ったものですから、昔から、
室内で、太陽光を意識させられるようなこういう陰影感への印象が強い気がします。
家の中で、ぼーっとして、ふと気づくと、
障子の格子模様を指折り数えていたり、
縦横斜め、と幾何模様のその連続性を、頭の体操のように楽しんでいた記憶がある。
そうした日常的感覚から、微妙な季節感を感じたりするのが
北国的な感性だったような気がしてならない。
こういうルーバーのデザインが今後、どういうふうに変化していくのか、
ちょっと、興味を持って移り変わりを見ている、というところなんです。
へんなところに興味を持つヤツだと、お思いでしょうか(笑)。

スクラッチくじ

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きのう、高速のPAで一休みしてなにげに
串焼きを1本所望したら、売り子のおばさんから
「宝くじ、やってみませんか」といきなりセールスされました。
わたし、自慢ではまったくないのですが、宝くじとか
ほとんど興味が持てないタイプなんです。
しかし、あまりにも、串焼きを手渡されたのと、セールスされたタイミングが
「ハイ」としか言いようのない絶妙さ、だったもので、
つい、やってみることになりました。
どうも、宝くじ、あんな悠長なのって、買ったこともすぐに忘れるタチなので
わたしはダメなんですけれど、
そういう人のためなのか、最近はスクラッチ式でその場で当否がすぐわかるんですね。
あいまいにVサインを送った感じだったのが、200円を2枚だけ、って、
2枚購入にされてしまって(笑)、こすってみました。
すると、「あら、お客さん、運がいいわ」とか。
聞くと、6つの数字をこすって出すと、
その数字の組み合わせで、当否なんだそうで、
わたしは1枚で6が3つ出たので、2000円、当たったのだそうです。
すぐにその場で、受け取った2000円からまた、1000円出して
「わかったから、じゃ、今度は1000円分、買います」
と、どうも、売り子さんの商売熱心さに申し訳なくなって再度購入。
まぁ、多少は、好奇心も働いていたのは言うまでもありませんけど(笑)。
で、結果は5枚のうち、こんどは8が3つのが1枚。
これだと500円なんだそうです(なんで?)。
ということで、都合、2500円のゲット。使ったお金は1400円。
なので、1100円の儲け、ということで、結構な小吉ぶり。
なんですが、これ以上は深追いいたしません。
一応ギャンブルは一通り経験はあるのですが、
競馬とか、パチンコとか、もう何十年もまったく全然興味を持てないし、
いわんや、宝くじなど、という気持ちは変わりません。
まぁ、初詣でで、おみくじを購入するのと同じくらいの気持ちですね。
「こういうので、運を使うとほかの人生で持ちたい運が損する」
というような信念を、なぜか不思議と持っているんですね。
たぶん、ひととおり経験してみての感覚なので、
これからも、変わらないだろうと思います。
でも、売り子さんには帰り際、
「おねえさん、ありがとう!」とエビス顔で感謝。
当初の「なにさ?、おばさん」言葉からは、ずいぶんな丁寧言葉に昇格(笑)。
たいへん、気持ちがいい、というような気分にさせてくれたので、
その意味で、ひとに感謝する、ということでしょうね。
宝くじなんて、それくらいに考えた方がいいと思います。
でもま、よかった、よかった。これで、またきっぱりとギャンブル、やめられます(笑)。

東北の桜前線

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きのうは久しぶりに仙台に入りました。
飛行機も久しぶりではあったのですが、さっぱり懐かしくはない(笑)。
まぁ、どうしてもくぐらなければならない通過儀礼ですね。
仙台では到着口のバスの乗車券売り場が撤去されていました。
最近、空港と仙台駅を結ぶ直通列車が運行開始したので、
どうやら閑古鳥が鳴いているようですね。
見ていても、乗る人はごくわずか。
まぁ、札幌、千歳でもバスは鉄道ができると商売にはならなかったようですから、
ダメなのでしょうね。
空港まわりの駐車場の状況はどうかと思っていましたが、
こっちも、あんまりたくさんの送迎車はありませんでした。
どうなのか、空港周辺ビジネスの変化ぶりは一興ですね。
午後から、伺った仕事先で、いきなり団子を出されました。
「???」という顔をしていたら、
「花見ですよ、花見」と、にっこりされました。
あ、そうかって、でもね、団子だけ食べて花見はないだろうが・・・。(笑)
ということで、しばしお花見談義。
そういえば角館で取材予定が入っていて、これが
外観にぜひサクラを掛けて撮影したい、という願ったり叶ったりの要望。
ということなので、スタッフ総出で撮影に行くことになりそうです(笑)。
「ジンギスカンも用意しておきましょうか?」
なんていう不埒な発言も飛び出しておりました。
しかし、ジンギスカンは最果て、北海道のお花見風物。
こっち、東北では正しく、お団子をいただくのが流儀、なんでしょうか?
ということで、ここからはわかんなくなってまいりました。
この花見にジンギスカン、の風習はやはり北海道だけなのか?
最近はジンギスカンのブームとかもあり、
東北以南にも、こういう風習は越境しつつあるのではないか?
昨年は北海道日本ハムファイターズが優勝もしたし・・・
って、それはまったく関係ないでしょうけれど(笑)。
どなたか、この点についてうんちくのある方、お知らせください。
そんなことで、事務所近くの仙台有数のサクラの名所、榴ヶ岡公園
ちょっと覗いてきましたら、もうやっていましたね。
サクラはまぁ、3分咲き程度。でも陽気も結構で、
なかなかの見頃という感じですね。
今週末が仙台は一番のピークではないか、というのがみなさんのご託宣。
聞いたら、仙台がむしろ東北でも一番早いくらいで、
たまたま出会った福島県の三春地方の方から聞いたら、
三春は、仙台が終わってからが見頃なんだとか。
そして、ゴールデンウィークに掛けての津軽弘前城まで、
東北の桜前線、これからが満開の春を迎えるところです。
本日は、速報版のサクラの便りでした。
っていっても、まだ、サクラ速報版なんて言えるのは北海道くらいでしょうな(笑)。
いずれにせよ、ゆったりとしたサクラの風景は心を和ませてくれます。

千葉家住宅〜東北住宅大賞優秀賞の家

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優秀賞: 国登録文化財千葉家住宅断熱気密補強
設計者:安井妙子((有)安井設計工房)
建築主:千葉満雄.施工者:シンタックホーム.所在地:奥州市
東北版のリプラン発行以前にはじめて取材した東北の住宅がこの家。
北海道の家って、西洋近代の導入、
住宅性能という側面からの日本家屋の見直し、という地点から
そもそもスタートしている、という現実があります。
こういう古民家風のたたずまいの住宅は、
北海道では、多くは寒さの問題から棄却されてきたのが大きな流れ。
そして、そういう住宅での息づかいのような生活ぶり、
暗く日本的な情念を育んだような空間性を持っていません。
そういう意味で、この千葉家住宅に初めて触れて、
目の覚めるような思いを抱いた次第です。
そしてこういう空間も、北海道が生み出した住宅性能技術で
暖かい空間に改変できるのだ、という現実のインパクトが強烈でした。
たぶん、本州以南のひとたちと感じ方が違うのだと思います。
取材当時から5、6年は経過しているのですが、
すばらしい温熱環境のせいなのか、ご高齢のお施主さんは一段とお元気そうでした。
建築というものの仕事とはなんなのか、
というポイントを深く考えさせられた住宅です。
こういう古民家的なたたずまいを深く愛し続けている人というのは多い。
実際に足を踏み入れれば、その素晴らしさに圧倒される。
そのデザインをできる限り活かしながら、
どうすれば未来に向かって持続可能なかたちで残していけるのか。
住宅建築に携わるものが今日
直面している課題にストレートな回答を明示した住宅です。
しかし一方で、建築への姿勢という意味合いで、新しい空間性を創造する、
という側面は、いわば「引き算」として、表現されています。
この住宅でも、屋根面の工夫など、裏側でいろいろと開発された手法が
伺えましたが、新たな空間創造というポイントへの視点が加わってきたならば、
もう一段、多くのユーザーの心を掴むのではないかと思った次第。
サスティナブルという現代のテーマが、建築の分野でみごとに花開いた事例といえます。
東北らしい、というテーマではもっともふさわしいとも思えました。
きのうのブログで健康を気遣っていただいた投稿をいただきました。
大変ありがとうございます。
おかげさまで、本日は目覚めもすっきりとして、
久方ぶりにさわやかな朝を迎えております。
どうも、ご心配をおかけいたしました。また、元気に書き続けますので、
どうぞ変わらずに、ご愛読ください。

温泉でまったり?

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ごく近場の小樽朝里の高台にある温泉に行って参りました。
とにかく体調が悪いので、温泉にでも入って
まったりと体を休めて、ごろごろしていようと考えたのですが、
どうも、このインフルエンザのしつこさは、半端じゃありませんね。
引き込んでから16日目なのですが、
まだまだ、ダメでした。
そろそろ、すっきり汗でも流せば好転するのでは、と
サウナに入ったり、水風呂に入ったりとしたのが、どうも。
湯あたりというか、どんよりと体が重たい感じがして、
鼻水が出てきて、咳き込むようになってしまいました。
まぁ、そうはひどくはない、というパターンですね、相変わらず。
ぐずぐずと、いつまでもとりついて離れないといういやらしさです。
なので、本日も早めに帰ってきて、湯の疲れと体調の調整で
家で、静養となってしまいました。
さてさて、いつまでつづくぬかるみぞ、こういうのに気をつけなければいけないのですが、
あしたからは、出張日程も入ってきている。
なんとか、体調コントロールしながら
無理をしないで、スケジュールをこなしていきたいです。
写真は久しぶりの、上げ膳据え膳で、そう多すぎない食事で
ゆったりといただいた夕食。
露天風呂からは、石狩湾のパノラマが楽しめました。
お風呂は、軽い感じで、ぬくもる泉質。
さぁ、ひと眠りして体調の管理をしなければ・・・。
ということで、内容のないブログで申し訳ありません。
あすは、元気になってもう少し内容のある文章を心がけます。ではでは。

Mac上で、Windows

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写真はわたしのノートパソコンです。
Macのプロ用ノートブックなんですが、
Intel社のCPUを使うようになってから、ずいぶん便利になっています。
ごらんのように、っていってもよくわからないかなぁ、
Macのデスクトップの上にWidowsVistaの環境もインストールしています。
以前までは、BootCampというソフトを使って、Windowsを起動させていたのですが、
それだと、いちいちMacとWinで再起動させて使わなければならないので
ちょっと面倒だったのです。
それで、最近、Parallels Desktop というソフトを導入してみたのです。
これだと、Mac上の1ソフトウェアという感じでWindowsが動作するので
大変シームレスに作業できるのです。
たとえば、プロ野球パリーグの試合はWindows環境では
4チームの主催試合がブロードバンド動画として放送されていますので、
このMac環境の中のWindowsで再生させながら、
Macのソフト環境で、仕事上のデータ処理を続ける、というように利用できます。
はじめは、こんな使い方では動画も遅くなったりするのでは、
と思っていたら、そんなことはなく、問題はありません。
MacとWindowsで、データを共有する場合も、
Windows側で、共有設定フォルダを登録すれば、可能になっています。
わたしの場合、外付けHDも共有させていますが、問題なく動作します。
同じデータを、両環境で使えるんですね。
ただし、今のところ、同時にデータ改変させるみたいなことはやっていません。
っていうか、必要がないのでやっていない、のですが。
 
Macユーザーからすると、いままで、Windowsソフトを使用するには
別に1台、使い方から慣れる必要があるPCを別に用意しなければならなかったのが、
そこそこハイスペックなMac1台ですべてまかなえるようになってきたのは大歓迎。
というようにやっていたら、今度は、
Mac上で、直接Windows用に書かれたソフトをインストールできる
っていう、ソフトができたんですね(驚き)。
日本語版がもうすぐ、5月には発売されるということなので、
また、購入してみようかと考えております。
ただ、どうなんでしょうか、システムと、かなり応答が頻繁なブラウザなどのソフトは
どのように動作するか、ちょっとわからないですよね。
でも、こういうソフトも考えられるようになってきたのは、
やはり同じ系統の、というかIntelのチップで、どちらのOSも
走っているから、というプラットフォームの統一が大きいのだと思います。
ということで本日は、久しぶりにパソコンネタでした。では、良い週末を。
きょうは坊主と、久しぶりに温泉にいってきます。
なので、明日の更新はすこし遅れて、たぶん、午後の予定。
どうか、悪しからず。ではでは。

多賀城碑文

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多賀城 京を去ること一千五百里
     蝦夷国の界を去ること一百二十里
     常陸国の界を去ること四百十二里
     下野国の界を去ること二百七十四里
     靺鞨国の界を去ること三千里
此の城は神亀元年(七二四年)歳は甲子に次る、
按察使兼鎮守将軍・従四位上・勲四等・
大野朝臣東人の置く所也。
天平寶字六年(七六二年)歳は壬寅に次る、
参議東海東山節度使・従四位上・仁部省卿・
兼按察使鎮守将軍藤原恵美朝臣朝、修造する也。
     天平寶字六年十二月一日
さて、本日は歴史探訪編です。
東北を歩くと、いろんなところでこの碑文と巡りあいます。
拓本が飾られているケースが多い。
奈良期にこの「日本国家」の最前線国家施設として多賀城が築かれたことがわかる。
当初はこの碑文、偽作説もあったけれど、
いまは正規の歴史資料として公認されています。
で、このなかに先日のブログでも触れた北方アジア沿海州の
「渤海国」について触れられている。
表記としては、靺鞨〜まっかつ〜国という民族名として記載されています。
当時の1里は約535mとされていたので、
この国までは、1600kmほど。沿海州のたとえばウラジオストックまでの距離と考えれば
おおむね符合する。
当時の国際感覚として、こういう国の正規機関の記録に
明記すべき国家として、認識していたということ。
それだけ、活発な交流が行われてきたということを証し立てていますね。
日本の歴史記述の中によく登場する奥州の名馬、
というものは、どうも、奥州で生まれた馬ではなく、
この渤海国から、輸入されてきた大型馬のことのようだという説がある。
沿海州ーサハリンー北海道ー十三湊もしくは秋田、というルートを
常に陸地を左手に見ながら、安心させながら馬を運んできたと想定されるのです。
かれら民族からすると、もっとも安全なルートを通って
もっとも繁栄した経済圏の最短の地域が、東北北部西岸だったのでしょう。
そこで、もっとも珍重された交易品が馬だったのではないか。
その馬を、東北北部のひとびとは
近畿を中心とする日本国家との交易の最有力商品として使った。
織田信長なんかも、大喜びしている記述がある。
なんていう、雄大な古代世界の交流の様子が、
古代人たちのこうした記述記録から、伺えます。
北方アジアと、列島北東部との社会の交流の様子、
もっと、深く知りたいものと念願しているところ。
朝鮮、中国との国際関係だけではない、
もっと多角的な視点というものをもたらしてくれるのでは、と思う次第です。
みなさん、いかがでしょうか。

秋田弁の圧倒的魅力

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先日、秋田でカラオケをやっていたとき、
圧倒されたのが、秋田弁バージョンの「大きな古時計」。
いやぁ、この説得力って、すごい。
秋田って、札幌といろいろ似ている部分があって、
冬の気候で似た雰囲気があるとか、女性の肌の色が白く感じるとか、
雪への感覚の部分で、おなじ日本海岸性寒冷地ということで、
親近感を持つのですが、
決定的に違うのが、言葉。
まぁ、北海道にも方言はあるけれど、どちらかといえば単語レベルで
まとまったイントネーションとしては基本的に共通語だと思います。
まぁ、多少はあるんですけれど、
北海道の人間はたとえば東京でも、それほど違和感なくしゃべる。
ところが、秋田のコテコテ言葉になってくると、
地元のみなさんは、そのままでは東京ではしゃべれないのだそうですね。
秋田美人として知られた女性作家、矢田津世子の書かれた文章を
読んだことがありますが、少女期に東京に移住して
言葉で、強烈なカルチャーギャップと劣等感を抱いたという記述がありました。
このあたりは、北海道の人間にはちょっとわからない部分。
北海道人は、むしろ「恥ずかしい」という感覚もなく、
そのまま、「なして、おかしいのさ? いいべさぁ」などと、方言を使いまくる感じ。
そういういい意味の(?)デリカシーのなさを持っています。
そこへいくと、やはり秋田のみなさんには恥じらいという奥行きがある。
でもまぁ、ディープに話してきて、酒でも回ってくると
「$%#”(’%$###あ?」みたいに、わかんなくなってきますよね。
まぁ、そういう席では、もう適当に相づちを打っておくくらいしか手がない。
そうすると、なぜかどんどんお酒をつがれる(笑)。
しょがない、って、飲んで二日酔いに悩まされる、というのがパターン(泣)。
というような秋田弁ですが、
なんとか、くだんのCDをインターネットの検索で発見いたしまして、
って、わたしはよくiTunesで、購入するのですが、
どうも、レコード会社によって、いまだに販売許可していないのですね。
しかたなく、CDを通販で購入し、先日到着しました。
で、たまに聞いているのですが、こりゃぁ、歌えるようになるのは至難ですね。
秋田弁のイントネーションから理解しなければならないので、
さて、どれほど、時間がかかるものやら、不明です。
歌手は伊藤秀志さんというのですね。
いろいろ、有名曲の秋田弁バージョンなので、メロディはわかるけれど、
節回しや、文節の切り方、つなぎ方、
ほぇ〜、という感じの難しさ。
スウェーデンあたりのひとが、シチリア訛りのイタリアの歌を覚える以上の大変さ、かなぁ。
先日も機会があったので、カラオケ、一度チャレンジはしたのですが、
あえなく、ボロ負け、という感じで討ち死にでした。
でも、まぁ、あせらず、がんばってマスター、できないまでも、
すこしは秋田弁の雰囲気の、さわりくらいまでは近づきたいと念願しています。
聞かされる方、勘弁してくださいね(笑)。ではでは。

解体工事

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最近、事務所のある札幌市西区山の手地区周辺では
いろいろな建設計画が進んでいるようです。
で、けっこう集積が進んでいる地域なので、勢い、建て替えや
土地の再利用というケースが多く、そういう解体工事が多い。
おもしろいもので、建築って、一度解体されてしまえば、
「あれ、ここに何、あったんだっけ?」とあっという間に忘却されてしまう。
というか、印象の薄い建物は解体されても、ほとんど気づかない。
最近は、コンクリートの建物を解体して、まったく違う利用途で
土地を再利用するというような工事が増えている印象があります。
それだけ、投資先を求めるマネーの趨勢が高まっている、
不動産バブル的な状況が、山の手地区のような場所にも
押し寄せてきたのかも知れません。
つい先日まで、会員制のスポーツクラブだった5〜6階建てくらいのビルが取り壊されて
今度は20階建ての高層MSが2棟、その跡地に建つのだとか。
取り壊されたビルだって、そんなに老朽化していたわけではなく、
まぁ、たぶん、投資不動産ファンドみたいなマネーによる
再開発型の「投資案件」になったのだろうなぁ、と推測されます。
ついこの間まで、札幌市中央区だけで起こっていた現象が
地下鉄からの距離もそう遠くないという立地環境から、
この地域もターゲットになってきているということなのでしょうね。
写真はどうも、以前賃貸マンションではなかったかな、と推測される建物。
どう考えても、解体してしまうのはもったいないと思える鉄骨造。
外壁にもタイルを使っていて、それなりに見栄えもしていたのですが、
まぁ、すさまじい状況で解体されておりました。
どうも、やはり、こういう解体工事は見ていると興奮してきますね。
無慈悲、というような形容がやはり適切。
お金の問題が最優先する、というようなあらがえないような迫力があります。
それ以外にも、どういうふうに建てられていたのか、
その素性が明確にわかるというような興味もわいてきますね。
ここでは、鉄骨構造だったわけですが、
こういうことも、建っている状態だけでは判然としない。
で、鉄骨の状態はどうだったのか、経年劣化の様子は・・・
などと、つい深読みしたくなるのは、こういう仕事の性でしょうか(笑)。
しかし、壊されて簡単に、何が建っていたか忘れられるような住宅や建築、
っていうのも、なんとも寂しいものですよね。
できれば再利用したいと、あとの時代のひとが思えるような建物を
いま、残し続けていきたいものですよね。
みなさん、いかがでしょうか?