
きのうは久しぶりにわがチームの戦いをテレビ観戦。
ここんところ、仕事の方がチョー忙しいのと
チームも負けが込んでいて、精神衛生的に辛くて
テレビでの観戦も自重しておりました。
かなりの重症のファンでありますね(笑)。
野球なんで、勝ったり負けたりするのは当たり前なんですが、
やはり負け続けてくると、
日常生活もあるので、どうやって精神状態を維持するか、
ひとそれぞれでしょうが、わたしの場合、情報遮断という
まぁ、我ながら子どもっぽい自衛手段で対処しております。
こういうのは、本当の意味ではファンではないとは自己批判しつつ・・・。
なんですが、
ついに監督の進退記事まで出てしまっておりました。
で、どういうことかなと思ったら、
そういったチーム成績とは関係がなく、
どうも、監督自身からの申し出のようで、
ことしの成績にかかわらず、年当初から、退任したかったようです。
かれに託されてきていたミッションとの関連で、
燃え尽き症候群を心に抱いていた、ということ。
どんな局面でも笑顔を絶やさず、
選手個々に対する配慮を十分に感じる采配で、
きっと「育成」ということをチームから相当に強く申し渡されてきたのだと思う。
そういうなかで、結果がすぐに出てくる選手もいれば、
そうではない選手も抱えて、
本当に、睡眠薬がなければ寝られない状況が続くのでしょうね。
梨田監督になってからのファイターズ、
まずは、ダルビッシュの完全本格化が第1に上げられますね。
そしてそれに続く、武田勝・ケッペルの本格化。
外人投手ですが、押さえから先発への配置転換に成功したウルフの活躍。
そして、投手個々の適性を見極めての救援投手陣の整備。
武田久の守護神抜擢とその成功。
左のセットアッパー、宮西君の成長。
今期救援投手陣の充実ぶりは、まさにすばらしい。
捕手出身の監督として、投手陣はまことにすごい成長を遂げた。
野手陣でも、糸井・陽・中田というように外野の陣容を育ててきた。が、
今シーズンは、まさにチームの核になってきた田中賢介のケガによる脱落が大きい。
とくにことしは、守備の要の金子誠選手が体力の衰えから
若手や、外人内野手の補強でまかなって闘ってきている。
戦力として考えれば、田中賢介の脱落はかけがえがない。
球団でも生え抜きの田中賢介は、本当の中心と考えてきたのでしょうね。
二遊間が臨時的な陣容では、思ったような野球は難しい。
たぶん、この精神的重圧が梨田さんには厳しかったことと、思います。
二遊間をどうするのか、
田中賢介が厳しくなったらどうするのか、という
チームにとっては数年先と思っていたことが、早すぎる形で出てしまった。
まぁ、そんなことを考え続けながら毎日野球をやっていたら、
睡眠薬どころか、精神疾患でも発症しかねません。
そういったなか、
きのうは打てない打線で、綱渡りのような試合。
二遊間、とくにセカンドの「助っ人」の守備不安による
緊張感に満ちたハラハラの戦いぶりでしたが、
なんとか、この「特別の日」の戦いに勝利した。
これから、ある意味では重しが取れた状態で、
のびのびと野球が出来るのか、
あるいは、緩慢なプレーが続出するのか、
やっぱり、手に汗をにぎりながら、応援しなければなりませんね。
深く反省しながら、頑張ります。
・・・あ、でもきょうは、講演会だった!
頑張れ、梨田監督!
頑張れ北海道日本ハムファイターズ!
<写真はまったく話題とは無関係な津軽富士・岩木山です>
Posted on 9月 16th, 2011 by replanmin
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あした16日に、以下のような要領で講演会を行います。
「いま考える北のライフデザイン」
〜和風トラディショナル×SAPPOROスタイル〜
夏を旨とする本州以南に対して独自の発展をしてきた北海道の住宅、
これからどこへ?
●主催:(社)北海道建築士会札幌支部
参加申込は下記まで(参加費無料!)
女鹿建築設計事務所/TEL.820-6520 FAX.820-6521
E-mail:CQA02432@nifty.com
●開催日時:平成23年9月16日(金) 18:00開場 18:30~20:00
●会場:内田洋行北海道支社内イベントスペース「U-cala(ユーカラ)」
/札幌市中央区大通東3丁目1番
っていうような次第であります。
なんか、地元で講演するのって、はずかしい(笑)。
そのうえ、パンフレットには今どきなのに、
経歴書きまで載っかっております。
わたしはススキノとか、ほとんで行きませんので、影響はごく軽微。
まぁ、ほとんど逃げ場はありませんね(笑)。
でもまぁ、しかたない、やります。
講演用のパワーポイントデータは、いろいろ推敲を重ねて
当日その時間になるまで、変わっていくことになりそうですが、
おおむねのアウトラインは固まっております。
住宅について、そこに住み続けてきている人間の立場に立って
地域性や、生活文化と人間の暮らしと住宅、という見方です。
なので、歴史や考古的な迫り方から、
人間の暮らしの入れもの、というふうに考えて、
そこから、今日的な北海道での住宅のありようを探ってみたいというもの。
SAPPOROスタイル、については、
これから、みんなで一緒に考えていきませんか、
という意味合いの方が強いのですが、
まぁ、迫ってみたいなと考えています。
建築の専門家、そういう教育を受けていない人間で、
でも住宅の雑誌を発行し続けてきて、
その継続してきた、動機のような部分なのでしょうか?
自分自身ではよくわからないのですが、
結局、人間の暮らしがものすごく興味深くて
その入れものから、それぞれの生きてきた痕跡が見えてくる。
住宅に住んでいる人に取材するように、
過去の住宅にも触れてみて、感じ続けることがあると思っています。
っていうようなことで、
本日は、ご案内でした。よろしく。
<写真は、北方民族の住まいです>
Posted on 9月 15th, 2011 by replanmin
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会社社屋のシンボルツリーとして植えてある
ヤマボウシ。
ことしは、新緑から夏の白い花とずいぶん楽しませてくれています。
いい香りがたちこめていまして、
それに吸い寄せられるように、昆虫たちのコロニーも
あんまり歓迎できないものも含めて(笑)、
いろいろに出来ております。
きのう朝、ふと気付いたら、
ハチがいろいろな種類のヤツが飛んでおりまして、
かれらは、この香りが好きなのか、
その根源である樹液が気持ちいいのか、
大きくは仲間である、アリたちといっしょになって飛行しています。
大型のヤツでは、クマバチはよく見ていたのですが、
なかにどう猛で知られるスズメバチも1匹発見。
近隣のどこかに巣があるのでしょうが、
あんまり来ては欲しくない、出来ればご遠慮したいところですが、
まぁ、様子を見ているしかないですね。
で、そんなことでヤマボウシを凝視していたら、
なにやら、実のようなものを発見。
サクランボのような形状なのですが、
ごらんのようにイチゴのような表面でもある。
とりあえず発見したのが2つだったのですが、
右側のヤツは、何かの虫に食われて裏側は空洞になっております。
暑い暑い、といっていた今年の夏も、
こんな証拠品を見ていると、やはり秋に近づいてきている。
ほんの小さな植栽スペースですが、
このヤマボウシばかりではなく、ことしは
2本植えてある「カツラ」がズンズンと大きく成長して、
立派な樹影を見せ、そして大きな木陰を作ってくれています。
お隣さんに若干枝が伸びていっているのですが、
いまのところ、この木の緑や木陰を楽しんでいていただけているようで、
そういうお隣さんに感謝しています。
これから毎年、その生長にあわせて適度な剪定などの
メンテナンスを心がけていかなければならないなぁと
思っている次第。
「ほっておいたら、すぐに大きくなるよ」
って、知人からは忠告されておりますが、
木の成長を楽しみながら暮らしていけるっていうのは、
なんとも本当に楽しい限りだと思っています。
この木の実のように、ときどき、はっとする体験までさせられる。
家庭、と日本語では言うわけですが、
家には(ここは事務所ですが)庭がやはり似合うなぁと思いますね。
願わくば、このようにメンテナンスしている庭付きの
しかも性能がよくて、メンテナンスもきちんとされているような
そういう住宅は高値で取引されるような住宅マーケットに
なっていって欲しいと念願します(笑)。
Posted on 9月 14th, 2011 by replanmin
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先日青森に行ったとき、やはり足が向いたのが三内丸山です。
ほかのどんな建築や住宅よりもやはり見たい。
っていうことで、しっかり見て参りました。
で、建築に関係しているのに、隣接した美術館には
行きませんでした(笑)。
どうも喰わずきらいなのか、近代的な建築には積極的な興味を持てない。
っていうか、少ない時間を考えた場合、
思い出すこともなかった、というのが正直な感想です。
でもまぁ、ことしはあと何回か、青森には行く要件があるので
そのときには、そちらにも見学の足を伸ばしたいと思います。
で、どうしてももう一回行きたい、と思うのは
この写真の「大型竪穴建築」を体験したい、ということなんですね。
前回までは一眼レフカメラではなかったので、
今回は、愛機になってきた一眼レフで、場合によっては
印刷原稿にも使えるような写真として収めてきた次第。
いまから4000年から5500年前に、
この建築は建てられているワケですが、
規模が壮大であります。長さ32m、幅10mというから、
面積が320平米。100坪近い大空間であります。
で、柱も梁も栗の木で、ごらんのような豪快な架構です。
わたし、実はわが社の新築の時に、
この空間のイメージがあって、こういうプリミティブな建築を
思い立って、検討を進めたことがあります。
掘っ立ての柱の存在感はものすごいものがある。
もうそれだけで、相当の精神性を空間体験として伝えてくる。
で、これが4000年から5500年前のひとびとからのメッセージなんですね。
これはもう、ただただ、立ちつくして身に浴びるしかない。
そんな思いを感じさせてくれる空間です。
はるかな時間を超えて、
こういう空間の意味を考えてみるのですが、
さてどういうことだったのか。
小さな竪穴住居群も存在することから、
一般的な意味の住宅ではなく、公共的な意味合いが強かった建築なのか?
集会施設や、宗教的催事のための施設、
それらの複合的な使用目的の施設、などなど、考えられるのですが、
こういう「社会」を前提に考えなければ想像できない施設が
縄文の時代に成立していたワケですね。
さらに、三内は亀ヶ岡遺跡などとの相関性もあることでしょうから、
縄文という時代は、一体どんな時代であったのか、
弥生の末裔の社会である今日とは、
かなり違った様相の社会性が現に存在していたのです。
その時代の空気の豊かさに、呆然とした昂揚感を抱く次第です。
Posted on 9月 13th, 2011 by replanmin
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最近、お米の売り場に敏感になっております。
ほとんどのひとがそうだろうと思いますが、
ことしの新米が無事に出荷されるのかどうか、
みんな固唾をのんで見守っているというのが現実でしょう。
政府による検査が行われている中で、
放射性物質の検査を通って、市場に出荷されていくのですから、
その正否に、関心が集中せざるを得ないのは当然といえば当然の事態。
いまは、早場米が出荷され、スーパーなどで見る限り、
福島県のお隣の、茨城県産米も出荷されているのを確認しました。
写真では千葉県産も出荷されていますね。
これから、福島も含めて東北地方のお米が出荷されてきます。
市場では、早々と昨年までのお米が売り切れてきていて
食べ盛りの息子がいるわが家でも、
10kgずつの袋で購入しているのですが、
前回購入、たぶん、10日前くらいですが、
そのときには10kg入りのお米は購入できず、5kg入りのものを2つ、
購入しておりました。
値段も、そういった思惑からか、
上昇を続けているようで、不安心理を掻き立てさせられる。
テレビ番組で「東北の食材は・・・」と話したひとのことも
話題になっている昨今。
石巻出身のある書籍編集者が、歴史関係の高山宗東さんという方を
口説き落として「いま、東北の歴史を考える」という本を出版された。
その本を寄贈いただいて、時間のない中で読み続けています。
北海道に生まれたわたしにしてみると、
たとえば、会津が受け続けてきた受難、日本の中央政府が
東北に対して向けてきた歴史的事跡の数々は、
深く、胸を痛めることばかりで、
この無知を恥じ入るばかり、という思いがしてきます。
とくに維新前後の薩長政府の東北への敵視・蔑視は目に余る。
しかし、伝統的に日本と東北の関係はこのような側面があったとも言える。
坂上田村麻呂以来の受難を、東北は受け続けてきた歴史。
ほんとうに、今回のコメ騒動、
大山鳴動してネズミ一匹になってほしいものと願っている次第です。
Posted on 9月 12th, 2011 by replanmin
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写真は弘前城であります。
弘前は、明治以前の城郭建築がそのまま存続された稀有なお城。
司馬遼太郎によると、日本七名城に数えられている。
現在でも、弘前市街区を形成している中心であり、
市役所とかの施設もこの周辺に存在していて
津軽地方の中心地としての求心性を誇らしげに見せてくれる。
で、お城って、日本人にとってどういった存在であり続けてきたのか
そんなことを思いめぐらせることが、ときどきある。
江戸時代までの日本人にとって
城郭建築というのは、
基本的には軍事力を持ってその地域の民衆を支配していた
権力の象徴であったことは間違いがない。
そのはじめにおいてはそうだったことでしょう。
ただし、津軽の場合は、
戦国期において津軽為信が、南部氏からの独立を宣言して起こした
蜂起に、民衆の広範な支持があったと想定され、
基本的には下克上の権力争奪だったけれど、
その内部に、民族独立運動的な側面もあったに違いないと思われます。
そういう意味で、少しニュアンスが違っているかも知れません。
津軽の殿様の明治初年でのふるまい、
公共的な資産として提供を申し出たことなど、
民衆と権力者との間に、ある契約的な概念があった可能性がある。
ともあれ、そういう経緯でこの城郭は存続し、
市民に愛され続ける資産として、現にここに存在し続けている。
愛着という意味合いでは、弘前城には強いものを感じます。
建築的に見たら、
重厚な石垣による強固な基礎が力強い。
そして、鉄筋コンクリートと見まごう木骨+しっくいという
重厚な壁、そして、自由自在にデザインされた和小屋による屋根。
それらのバランスと、傾斜角度などで構成されている。
たぶん、デザインは屋根の秀麗さが基本になっている。
で、こういった要素が渾然一体になって、
長く日本人に根付いた建築様式美を体現し続けてきた。
きっと、日本人の基本的なDNAにブックマークされているに違いない。
っていうように思うのですが、
さてこのあたりは、だんだんわからなくなってきた。
現代でも、高校生の修学旅行ではこうした日本建築美は
刷り込むように教育の一環で行っているけれど、
若い年代のみなさんの中には、伝わっていくのかどうか?
よくわからないなぁとは思っております。
やぼったい、あったらもん、っていう心理があるのかも知れないなぁと
最近、思ってきております。
ただ、ここしばらくは団塊の年代が「毎日が日曜日」という
境遇になっていって、歴史がブームになりそうな雰囲気があるので
こういう様式美への感受性は維持されるだろうと思います。
Posted on 9月 11th, 2011 by replanmin
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先日、わが家の裏のお宅の表札が替わっているのを発見。
というか、なにやら、工事が入っていて
引っ越したあとのような雰囲気であったので、確認したのです。
なにやら、所有権の移転があったようだ、ということ。
で、それっきりで、情報は特段なかったのですが、
ちょうど見えられた町内会敬老会募金の担当役の方から、
経緯をお聞きすることが出来ました。
どうも、やはり所有権の移転があって、
その売買金額も噂情報ですが、お聞きできました。
たしか、こちらのお宅は新築はある最大手工業住宅メーカーで
いまから30年前くらい。
その後、一度20年前くらいに売買があって、
中古住宅として、前の所有者のご一家が入居された。
その後、7〜8年前に大規模な増改築工事をされていました。
その工事の時、わが家の外壁と同じような金属板で施工され
工事を請け負った会社の方が、あいさつにも見えていました。
で、最近、こういった売買が再び成立したというのですね。
ちょうど、日本の住宅の中古流通が諸外国と比較して
極端に少ない、というデータと向き合っている時期でしたので、
そうかそういう事例もあったっけ、と思い出した次第。
また、先日行った網走でも、やや郊外の山地のなかに
緑の豊かな環境の中の住宅街を販売した会社の説明を聞いていまして、
そこでは、海外の住宅地のように、
デザインも長期的な豊穣感にあふれた三角屋根・木質外壁という
整ったデザインが採用されていて、
20年経った今日でも、販売時点の価格を上回って売買が成立している。
そういった情報を得ております。
やはり、的確なユーザー選択はあるのだ、という例証でしょうか。
不動産としての中古住宅の価値というものが
土地だけでしかありえない、という
住宅文化としてはまことに貧しい日本の現状に対して
そうではない現実も生まれつつあるのだとうれしい思い。
ちょっとこのテーマ、
引き続き、追求していきたいものだと考えております。
<写真は、環境省エコハウス・美幌の家>
Posted on 9月 10th, 2011 by replanmin
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きのうは仙台の事務所に出て、連絡事項その他を片付け。
なんですが、少しゆっくりと朝、ホテル近くの朝市へ。
仙台駅西口からすぐのところに横町のようにあるのですね。
わたしは、食品製造業の家で育って、
市場というのは身近にあったことから、
そういった雰囲気が大好きであります。
ごくまっとうなものを商っているひとたちとの会話というのは
たいへんたくさんのことを教えていただける。
また、東北らしい食材を目にすることも多いので、
北海道にはないなぁと思いながら、
「これどうやって食べるの?」と聞くのは勉強になる。
一番はやはり、POPを見て目を引かれたヤツ。
どうなんでしょうか、ニュースでは震災後の漁の様子を流したりして
「三陸」と書かれていると目が行きやすくなっている。
食べることが復興に繋がるのであれば、とすぐに想起されますね。

これ「とうがん」と読むのですね。
夕顔というのは先日はじめてみたのですが、
食べ方はほぼいっしょなのだそうであります。
北海道ではほぼ見かけるようなことはありませんね。
煮付けたりすると聞いたのですが、
ときどき料理屋さんで、あんのかかった料理で食べた記憶が
あるような、ないような・・・。

赤カブは、好きな食材のひとつ、
っていうか、わたし、ほとんど食べられないものってないのですが(笑)
これは大好きです。
で、「青森県産」って書かれているので、
あのあたりが多く出荷されているのでしょうか?
やっぱり、酢で締めた料理を思い起こしますね。
さっぱりして、おいしそうであります。

ご存知、福島いわきといえばメヒカリ。
いわきで地元食材として初めて食べましたね。
このパッケージには原産地表示がされていませんでした。
あるいは、いわきという地名を出すと敬遠されるかもと言う
そういった心理が働いているのか?
ちょっとにわかにはわかりませんが、
そういう情報が瞬時にアタマを巡るのは、やむを得ないのでしょうか?
ごく自然に、「あ、うまそう」って思えるようになりたい・・・。

で、今回いちばん勉強になったのは
この「枝豆」でありますね。
新潟は枝豆文化の最先端地域ですが、
東北各地も負けていない。
山形の「だだちゃ」は有名ですが、
「あれは、ブランドを作ったのだよ。仙台ではこういうように呼ぶの」
「たべてごらん、おいっしいから」
っていうことでありました。
あぁぁ、ビールが飲みたくなってきた(笑)。
食べ物見ていると、仕事を忘れそうであります。
Posted on 9月 9th, 2011 by replanmin
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きのうは、1日宮城県、岩手県の被災地を回っておりました。
何度か、訪問しておりますが、
今回は住宅関係の企業を中心に歩いた次第です。
気仙沼、北上と回って、最後は石巻へ。
石巻の中でも、それこそすぐそこが海という
もっとも津波被害が甚大だった工業地域の中心地です。
広大な敷地の中に、さまざまな工場施設が点在しているのですが、
お伺いした事務所建物も、1階部分は構造のみを残して流失。
2階はかろうじて壁と天井が残っているという状況。
津波水位は10m近かったということで、
工場施設も壊滅的な打撃を受け、
ふたたび操業できるのかどうか、
普通であれば、事業停止もやむを得ない状況だったようです。
ご存知のように、国の施策では事業者に対しての支援は、
補償というものはありません。
被災しても事業用途の資産については、保険支払もほとんどない。
不動産賃貸のアパートで、住んでいる借り主は補償金を受けられるけれど
そのオーナーは多くの場合、建て替える資金を保険では受けられない。
契約内容によるということで、
津波、という保証項目に同意しているかどうかで別れるのですね。
まぁ、大体において、そのような状況になっている。
そうすると、再建しようと考えればその必要資金は、現実的には
ほとんどすべてが銀行からの新たな借入ということになる。
新規投資に近いような工場設備への投資。
それも、被災した多くの取引先を抱え、
その資金回収もメドが立つかどうか、検討するゆとりもないなかで、
事業をどうするという、待ったなしの経営判断が迫られる。
幸いにして、従業員のみなさんからの犠牲者はなかったということですが、
その家族には、多くの犠牲者も出ている。
本当に考えるだに恐ろしいような状況が一気に来る。
そういうなかで、再建するという選択をして、
そこから半年、いま、必死の努力を日夜続けられています。
まだ、事務所には電話も通じてはいない。
インターネットもまだ接続できる環境にない。
こういう厳しい状況の中での経営者の決断には、
本当に、深く敬意を抱く次第です。
やはり、一番大きな動機は、従業員の雇用を守る、
という1点だったろうと推察いたします。
多くの市内企業が閉鎖や休業のやむなきに至っています。
被災した多くのみなさんは、努力する場も喪失してしまっている。
これから生活を再建したいと考える多くのみなさんにとって、
雇用の場が確保されている、ということほど貴重なことはない。
すべては、生きていくための収入基盤があってこそ、なのです。
しかし、かれらの生活を守る企業経営は本当に待ったなしの状況の連続。
取引先の支援や、従業員の頑張りがあったとしても、
円高とか、市場環境の悪化などの不可抗力も襲ってきたりする。
わたしは零細企業ですが、同じ経営者として
本当に頭も下がり、深く心を打たれる気がいたしました。
あくまでも自己責任という事業経営の絶対局面を生きながら、
それでも従業員の日々の仕事の場を確保して、
それこそ戦場のような半年を経過してきている。
まったく先が見えない状況の中でも、前を向いていく姿勢に
自分自身も、なにができるのか、という
深い内語と対話するような時間を過ごさせていただきました。
<写真は、仙台空港。もうすぐ電車も再開とか。ですが、この事業主体も宮城県からの大きな資金支援を受けなければ再開できなかったそうです。>
Posted on 9月 8th, 2011 by replanmin
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きのうも雨が降り続いていた札幌市内。
前日は自転車で通学して、きょうも自転車で行くと言っていた坊主すら、
結局は断念せざるを得ないほどの降りよう。
で、朝はクルマで送ってやったのですが、
その帰り道、わが家から500mほど西側を流れている
2級河川・石狩川水系「発寒川」の様子をふと見ると、
とんでもない様相を見せているではありませんか!!
そのときは、カメラも持っていなかったので、
その後、会社に出るときに立ち寄って撮影したのがこの写真ですが、
そのときは、もっと激流が逆巻いている状態で、
まさに豪雨の激流、という状態でありました。
周辺の住民のみなさんも、不安そうに川を見に来ている方が多く、
これは、もう少し雨量が増したら、
警戒、そして場合によっては避難、というような状態。
写真の真ん中のあたりに橋がありますが、
まぁ、まだ隙間もある状態でしたが、こういうのは時間の問題。
ハザードマップを確認する必要性を感じました。
本当に万が一、あふれたらどうしようか、という不安。
わが家周辺では、
この発寒川土手がやや高くなっているので、
ここがあふれると、たぶん、扇状に濁流が広がっていくものと推測されます。
ちょうどこの写真の周辺が扇状に広がる地形の先端部分。
写真中央に段差がありますが、こういう段差が数カ所
この下流にかけて見られます。
わが家は、「山の手」という地名通り高台にはなっているのですが、
この川の扇状地地形が基本なのです。
わが家建築の時、基礎や地下を造作するために3m以上掘削したのですが、
そのような河川扇状地の地形を確認することが出来ました。
で、場合によってはあふれかえった水は流れてくる。
わが家から下手に向かって、琴似・八軒といった低地があるので、
そっちの方角に水が流れていくだろうという推定。
30年前には、いまのわが家があるところから
東側2kmほどの「二十四軒」という場所に住んでいましたが、
ススキノで飲んでいて帰りが朝になって、
タクシーで帰ってくる途中、以前の川を暗渠にした場所が
ふたたび川になってしまって、
大きく迂回せざるを得なかった、という体験記憶があります。
まぁそんな雨の中で酒を飲んでいたのですから、のんきな話ですが(笑)。
また週末には雨が予想されているので、
万が一のことも、しっかり考えておかねば、と思った次第。
なんですが、いま、わたし再び旅の空で、
仙台にいて札幌を心配しております。
今朝電話したら、札幌、晴れ間も出ているようですね。ひと安心。
Posted on 9月 7th, 2011 by replanmin
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