
さて、きのうの続きであります。
東日本大震災からの住宅復興は、いよいよステージが住宅建設段階。
津波被害の甚大さから、建築用地の整備が遅れ続けてきた。
ようやく、その状況にメドがついてきて、
仮設住宅から、そろそろ新築したり、災害公営住宅への移行を
本格的に考えはじめたところなのです。
もちろん、これまでにも自力で用地を確保し、自力再建された方も多いのですが
多くのみなさんは、公的な用地整備の進捗を待ってきた。
そういった段階で、さて、建築設計のプロたちは、
どのようにこうしたユーザーニーズに「寄り添った」提案ができるのか、
そういったことが問われていると言えるのでしょう。
より具体的な、「シアワセな暮らしのかたち」が求められているということ。
そんなテーマ意識の中で
JIA東北支部・宮城のメンバーの提案のなかから、
いくつかの設計プランに目が向かっていました。
「よく建売住宅のプランを相談される」という吉田裕一さんの
提案が、これです。コンセプトは
「住まい手の視点を重視したプラン設計。デザイン性にこだわらず、
限られた規模でも不便を感じることなく
使いやすさを追求した「住まう」ことのできる家」。




サブタイトルに「住まうという現実に寄り添った家」とあるけれど、
まさにそういった考え方に貫かれている。
それぞれはごく当たり前の生活上の使い勝手のことだけれど、
それらを透徹して見つめて、
限られたスペースの中に、上手に過不足なく落とし込むというのは
かんたんなプランニング作業とは絶対に言えない。
いわば生活合理性を突き詰めて、コンパクトに実現する、
そんな意識を感じさせてくれる、説得力のあるプランだと思いました。
そして震災以降のひとびとの欲求の根源に
こういった意識が芽生え、そしていま、
それが大きな流れになって来ているようにも感じています。
目を驚かすのがデザインではない。
ひとびとの暮らしの背景装置として、要所を押さえたプロとしての配慮。
そういったものこそが、真のデザインではないのだろうか
そんなふうな思いをしながら、この提案を見つめていました。
Posted on 12月 11th, 2014 by 三木 奎吾
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震災から3年半も過ぎ、ようやく沿岸の被災地では
住宅再建の用地が整備されてきて
本格的な住宅建築計画が進んできています。
地域の深甚な被害の現実に遭遇して
自らの職業的な倫理観から行動し続けてきたJIA東北支部のみなさん。
今回、JIA市民講座4
「JIA BOOK Miyagi 建築家が考える復興のための住まい集」発表会
というイベントが開かれ、
コメンテーターとして、招かれまして参加してきました。
当方も「東北の住まい再生」というボランティア情報誌を発刊してきた経緯もあり、
そういった流れからお呼びが掛かった次第。
被災地の集団移転地造成が進みようやく住宅が建ち始めている現在、
JIA宮城地域会では、自力で住宅などの再建をする人達のために、
会員が「自立再建者の住まい」をテーマとした住宅等の提案冊子
「JIA BOOK Miyagi.01」を出版しました。
そこで、市民の方々に
この冊子を有効に活用して頂くことを目的に発表会を行います。
という趣旨であります。
本のことについては、また追って触れていきたいと思いますが、
久しぶりに宮城地域会のみなさんとお会いして
活発に情報交換をさせていただきました。
やはり各地の生の情報を聴くことが出来て
有益な情報交換が出来ました。
発表会後には、またまた忘年会になだれ込んで、
久しぶりに夜中の1時過ぎまでの活発なお話し合い(笑)。
ということで、やや体調整備に時間を取られそうであります。
「JIA BOOK Miyagi.01」について、明日以降、
少し詳しく触れたいと思います。
Posted on 12月 10th, 2014 by 三木 奎吾
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冬になると、見てみたくなる光景があります。
札幌から約1時間ほど、道央道を北上すると
安田侃さんの彫刻が置かれている野外展示空間・アルテピアッツァです。
美唄の高速インターから3分ほどなので、
運良く好天に恵まれれば、ごらんのような静かな雪景色と遭遇できる。
このアルテピアッツァは、廃校になった小学校の跡地を
この地でで少年期を過ごした彫刻家・安田侃さんが
ノスタルジーを込めて、空間構成している場所であります。
以下、HPからの紹介文。
ここは、1人の彫刻家・安田侃(かん)が今なお創り続ける、
大自然と彫刻とが相響する野外彫刻公園である。
美唄市は、かつて北海道有数の炭鉱都市として栄えた。
1973年に最後の炭鉱の灯が消え、炭鉱住宅はひっそりと静かになり、
子どものいなくなった学校は閉校した。
それから時が過ぎ、イタリアで創作活動を続ける美唄出身の安田が、
日本でアトリエを探していた際、1981年に閉校した旧栄小学校に出合う。
その朽ちかけた木造校舎には、
子どもたちの懐かしい記憶がそのままに残っていた。
そして、校舎の一部に併設されていた小さな幼稚園に通う子どもの姿が、
彼の心をとらえた。時代に翻弄された歴史を知らず、
無邪気に遊ぶ園児たちを見て、彼は思う。
「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」。
それがアルテピアッツァ美唄誕生のきっかけとなった。
構想のスタートは、1991年からとなっています。
写真は、そのカフェスペースから周辺の針葉樹の森を見たところ。
このカフェは現在の北海道の標準的な断熱空間であり、
薪ストーブが、訪れるひとを迎えてくれる。
そうした居心地にくるまれた空間から、白く基本彩色された外部を
あくことなく、見続けられる。
この周囲の針葉樹はエゾマツのようであり、
濃緑の樹影に白く雪化粧が施されている様は、
北の自然の典型を垣間見せてくれる。
こんな美しさの中に、自分たちは包み込まれて生かされているのだと
今さらながらに、思いが至る。
暖かいコーヒーを飲んでいれば、なにもいらない。
ときどき、ふっと思い起こして訪れる、わたしの大好きな場所です。
Posted on 12月 9th, 2014 by 三木 奎吾
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きのう、ブログを書いた後、
降雪が激しくなったのですが、「出かけます」と書いた以上
やっぱり、ということで雪中散歩に行ってきて、無事帰還できました(笑)。
本当は、こりゃヤバいかも、と思ったのですが、
宣言したことで背中を押された次第。
さて、きのうのブログで札幌の気候的な地域区分について
内陸型の日本海側、という混合型に近いのではないかと書いて
そんなことから思惟を巡らすことがありました。
そこで写真のような光景についてのことであります。
このカメラ位置は札幌から石狩湾北部・石狩川河口方面を見たところ。
マクロで言うと、日本海に北西風が吹いて
海上の水分が北海道陸地西岸方面に降雪をもたらすのですが、
そのときに大量に、湿度が高く低温の重たい雲が発生します。
それが、写真画面の林のはるか奥に、黒っぽい雲として見える。
で、この黒雲が、さまざまな異形の形態を見せてくれる。
わたしは、札幌植物園に東北面した家で幼年期を過ごしていましたが、
ちょうど寝室のあった2階から見える光景では、植物園の木々の上を
この時期、こんな異形の雲たちが、行進していた。
だいたいが、ゴジラの横姿に思えたのです(笑)。
このこと、あんまり人に言ったこともなければ、
そういった質問を、教育を受けていたとき先生に投げかけたこともなかった。
でも子ども心に、この不思議な雲の造形を楽しんでいたのですね。
雲の形には、たぶん、いろいろな地形条件・気候条件が
そこに投影されているに違いないのですが、
そういった分析的な解剖は、あんまり聞いたことがない。
こんなふうな視覚記憶って、
その人間のある根源的な体験になっているに違いないけれど、
そして地域の共通言語に近いけれど、
共通認識には至っていないような気がします。
上に書いたような「科学的分析」も、今のところわたしだけの思い込み(笑)。
でも、そういえば「石狩湾低気圧」というような気象分析名詞すら、
ここ十数年くらいで根付いてきたコトバのような気もしますから
「地域気象学」みたいなものは、
まだ新しい概念の分野であるのかも知れませんね。
でも、とくに荒天時など、
この「ゴジラの暴れ回る様」は、まことにすさまじい迫力で
わたしの幼いこころに深く刻みつけられていたのであります。
長じてからは、しかし、この黒雲のことが無性にたのしく、
たまに再発見する度に、「やぁ、ひさしぶりだな」みたいな
いろんな思いを想起させてくれるのです。
こんな気持ち、ヘンかなぁ・・・。
さて、それではきのうの散歩道の雪景色から
2点ほど、写真を載っけておきます。


Posted on 12月 8th, 2014 by 三木 奎吾
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いよいよ寒さが厳しくなって参りましたが、
それでもまだ札幌、積雪はほとんどないので、足下は軽快。
ということで、きのうも散歩に出かけられました。
なんですが、ちょうど夜明け時点での気温は最低なので、
きのうの場合で零下5度ほど。
それは比較的にコンクリートジャングル化が指摘されている
札幌気象台の場所でのものなので、
北海道神宮のある中央区宮ヶ丘周辺では、もうちょっと低そう。
散歩の終わりに北海道神宮に参拝してくるのですが、
その手洗い場の様子が写真であります。
まぁ、気合いを思いっきり入れて手を洗ったのですが、
「心頭を滅却」する必要がありますね(笑)。
さすがにこの時期、散歩される方は数が大きく減ってきています。
わたしも、いつまで続けられるか、というところですが、
ことしからは、子どもの世話に手を割かれることがないので、
がんばって、続けられるまで出かけようと思っています。
そのうち、早朝の神宮境内で
中高年男性の行き倒れのニュースが流れるかも知れません(笑)。
まぁ、そうまでならないように適当にがんばろうと思います。

上の写真は、札幌の街から見えるジャンプ台、
宮の森シャンツェの様子です。
こういう雪のない寒さの状況に遭遇すると
札幌の街の位置関係、気候的な把握の仕方で、
一般的には「日本海側」という思い込みが強いのですが、
どうも少し違うかなぁとも思います。
というのは、ここのところ、函館から小樽など海岸地域から
空知地方などに雪が降っているのですが
札幌はやや拍子抜けするほどに積雪がないワケです。
さりとて、太平洋側と言うことでもありませんが、
やや「内陸型」的な気候区分を、日本海側という大枠に加える必要がある。
雪の降り方が、ニセコ方面や石狩北部・空知・上川ほどには
強烈ではなく、やや少ない内陸型なのかも知れませんね。
写真からの余談ですが、
そういえば札幌って、街中からジャンプ場が見える稀有な街です。
札幌の街のシンボルに、今後はジャンプ台も加えたら良いと思います。
本州から人が来たら、ジャンプ台に連れて行くことがありますが、
みなさん、そういえば非常に面白がります。
大型車両による除雪風景などといっしょに、大きな観光資源になるかも。
さて、そんなことを書いていたら、
やや降雪が強くなってきました。
でも、散歩、決行したいと思います。よっこらしょっと・・・・。
ではでは。
Posted on 12月 7th, 2014 by 三木 奎吾
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出版とか広告とか編集とかの仕事って
男女による偏差とかあんまりない職種に属すると思います。
どっちかというと、女性的な視点の方が有効な場合が多いかも知れません。
とくに扱っているのが住宅のことなので
生活のウツワという視点、ものの価値観の判断で女性の方が
感受性において、より細やかに感受できる部分があると思います。
そんなことで、わが社の場合には、
こういう仕事をスキな人と思って募集し続けてきた結果、
現在17名のスタッフのうち、男女比で言うと
男7人、女10人という構成になっています。
で、たぶん国策にもからんで、女性の活躍に注目が集まる中、
札幌商工会議所で、「札幌なでしこ表彰」という制度がスタート。
上の北海道新聞紙面画面ショットの通りなんですが、
そこにわが社が選ばれて表彰されたのです。
わたしは男性であり(笑)、ちょうど出張中だったので
わが社の女性スタッフ代表が表彰式で表彰楯を受け取って参りました。
なんか、うれしい(笑)。
表彰式は4日で、新聞などに発表されたのがきのう5日でした。
ほかに日本経済新聞でも記事が掲載されていました。

別にそういうことを狙ってきたわけではなく
普通の判断を積み重ねてきた結果なので、
こういうふうに受け取られることもあるのだなと、面映ゆい。
でもまぁ、教育には男女の性差はあんまりなくなってきているのですから、
本来的には日本の優秀な働き手として、
女性の果たすべき役割は大きくなって来ている。
北欧などでは、女性もフルタイムで働くことが当たり前化しつつある。
人口減少で、しかし社会の経済活力も活性化させたいと考えれば
ごく自然な流れなのだと思います。
で、この報道があってから、
なんと、銀行さん2行から「お祝い」をいただいてしまった。
こっちの方が、ちょっとしたサプライズでありました。
どうやって「お返し」をできるものか、
まったく不明でありますが・・・、う〜〜む。
でもまぁ、とりあえず、お祝いいただいて大変感謝しております。
ありがとうございました。
Posted on 12月 6th, 2014 by 三木 奎吾
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きのう東京から帰って参りました。
東京の気温は大体10度以上はあったのですが、
千歳ではさっそくマイナス気温。
まぁ本格的に冬が来たけれど、
でも札幌市内に入っても雪はまだ積もっていない。
寒いけれど、身ごなしは軽い、みたいな冬の初めであります。
さすがに帰って来てすぐは、疲れもピーク。
年寄りだけに、喧噪の東京は刺激はあるけれど、
やはり目に見えない疲労感は蓄積されるのではないかと思います。
東京では清澄庭園の庭を楽しんでいたのですが、
じっくりと1日そこにいると、パッと見ただけではない表情が見えてくる。
わたしはこの庭園、2回くらいは見ているのですが、
建物や植栽の遠近法が、実際以上に庭園の広さを際だたせていることに
恥ずかしながら、初めて気付かされました。
正直言って、東北以南の日本に多く存在する
「大名庭園」って、意味不明と思っていたのですが、
その美は、時間をかけて見ることで、理解出来るモノとわかった次第。
さらに、この管理された「自然」のなかでも
イキモノたちの息づかいを見ることもできました。
上の写真は清澄庭園でのトリたちの会話の様子と、
帰りに立ち寄った愛宕神社境内の錦鯉たちの元気ぶり。
管理されてはいても、面白い生態を楽しめるモノですね。
ただ、こっちに楽しむ時間的ゆとりは必要。


で、帰って来ての
札幌円山自然林でのリスさんの様子2態であります。
やはり驚きは、こういう、より自然に近い方が大きい。
でも、イキモノたち、それぞれに必死にいまを生きている。
かわいらしく、また、元気をくれるように思います。
さて、年末の慌ただしさですが、かれらに見習って
ことしから来年に向けて、するべきことに邁進したいと思います。
Posted on 12月 5th, 2014 by 三木 奎吾
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きのうは早朝に仙台を出て東京に移動。
建築家・丸谷博男さんが主宰する表題の会に出席です。
朝10時から懇親会の終了の午後20時まで、
長丁場の大会であります。
丸谷さんとは、東日本大震災への被災者支援活動としての
住宅情報支援誌・「東北の住まい再生」出版活動がきっかけ。
わたしどもの出版に際して調査を進めた、全国の支援の動きの中で
「そらどまの家」という被災者のために企画発案された住宅構想を
象徴的なイメージとして取り上げたのでした。
いわば住宅事業者の被災地へのメッセージ性をそこに感じた次第です。
その後、その進展にあわせて取材活動を進めておりました。
その「そらどまの家」の構想を基盤にして全国的な動きとして
エコハウス研究会という組織が立ち上がり
その活動が3年を超えて、全国でそうした事例も積み重なってきて
今回の全国大会になった次第。
そういう意味で、わたしどもも、関わりは当初からあったのですね。
建築家・丸谷さんは、吉村順三さんの流れを汲む東京芸大の
建築研究者グループを代表する存在。
吉村順三先生の門下生に奥村昭雄(東京藝術大学名誉教授)がいて、
丸谷さんは、そのさらに門下生。
奥村先生の「熱と空気をデザインする」という思想のもと、
熱と空気をコントロールして室内に快適な環境をつくりだす
OMソーラーの起動力として、自宅建築がその研究台になったのだそうです。
なので、「そらどま」というネーミングに、OMソーラーの流れを
イメージするのは、ある意味で自然。
わたしども北海道東北では、高断熱高気密が基本ですが、
OMソーラーについても、その理念には共感も持っている次第。

こういったキャラの丸谷さんのプロデュースする大会なので
会場も東京江東区の「清澄庭園・大正館」という施設。
さすが、東京芸大であります(笑)。
午前中の趣旨説明的な発表に続いて午後からは
全国各地での事例発表が以下のように行われていました。
1 ケアサービス三郷(埼玉県三郷市)
寺山建築工房・寺山実
2 重症心身障がい児対応生活介護事業所(静岡県清水区)
永田デザイン一級建築士事務所・永田章人
酒井信吾建築設計事務所・酒井信吾
3 三軒の「そらどまの家」に取組んで(三重県桑名市)
松田建設・松田貢
4 これから取組む木造事務所(愛知県一宮市)
菅原律子設計事務所+itiS・菅原律子
5 店舗併用住宅「石直」(愛知県名古屋市)
エアデザイン一級建築士事務所・大住篤志
6 京都サロン(京都府京都市)
松彦建設工業・松本良平 伊礼智設計事務所
7 自邸(愛知県一宮市)
安井聡太郎一級建築士事務所・安井聡太郎
8 片瀬の家(神奈川県藤沢市)
龍口元哉建築設計事務所・龍口元哉
9 呼吸する家の壁(東京都新宿区)
工学院大学工学部西川研究室
その後、詩の朗読を庭園の「涼亭」という迎賓施設で楽しみ
懇親会も盛大に行われました。
前日に続いてのパーティ。気持ちとしては酒量控えめですが、
ついつい、ついつい(笑)になりそうで、12月はコワいですね(笑)。
みなさん、ご自愛を。
Posted on 12月 4th, 2014 by 三木 奎吾
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きのうは仙台にて表題の例会・忘年会。
朝、すでに雪の降り始めていた札幌から仙台へ移動。
なんですが、まだそれほどの降雪はないのでしょうか。
天気予報にせき立てられるような出発でした。
仙台入り後、仙台オフィスのスタッフと情報交換。
で、仙台は1日中、雨の降り続く天気。
早い日の入りもあって、なんとなく街全体が師走ムードに入っていますね。
住まいと環境 東北フォーラムは
日本建築学会の吉野博会長が理事長を務められている
東北地域の住宅性能研究団体。
どちらかというと、大学などの研究機関のみなさんが会員に多い。
住宅メディアとしては、東北地域での住宅に関する情報の流れが把握できる。
ことしの事業活動の総括やら、継続案件の状況など
総体的に理解出来て有意義でした。
例会後、懇親の忘年会であります。
きのうは珍しく、2次会まで参加させていただき、
多くのみなさんと懇談できました。
やや、二日酔い気味。あんまりアタマが回転しません(笑)。
って、それほど変わりはないか(笑)。
写真は、仙台国分町の歳末風景。
ご存知のようにきのうから選挙に突入して、日中は時折うるさい。
2週間の短期決戦ですが、
慌ただしさと喧噪が交差していました。
さて、本日は東京に移動します。ふ〜〜、がんばるぞと。
Posted on 12月 3rd, 2014 by 三木 奎吾
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わたしの趣味生活の中で大きいのが古寺社探訪。
全国を旅していて、やはりその土地で、どんな神様が祀られてきたか、
そういう部分というのが、どうもその地域地域の基本旋律だと思う次第。
まぁ神様なので、特段生々しく伝わってくるモノではありませんが、
その地域の倫理観や、感受性のありかを示してくれる。
みんな同じように見えて、実は見ていると奥深い部分も感じてくる。
そういう発見があることが、無上にうれしくもなる。
で、福島というのはこれまであんまり宿泊機会がなかったので、
ホテルの人に、喜々として聞いてみた。
「この辺で神社と言えば、どこなの?」
っていう問いに、しばらくは全くの無言。
「え〜〜、福島に神社ってあるのかなぁ」
こっちこそ、え〜〜、であります(笑)。
で、早朝散歩前にインターネットで検索して、ここがと特定したのが
福島護国神社であります。
「護国神社」というのは、全国各地にあります。
きわめてエスニックな文化である神社というものの
ある一面をよく表している存在だと思います。
まぁ、創建はそんなに古くはないでしょう。由緒書きによると
遡ること約130年。当社の前身である招魂社は、
明治天皇の思し召しにより明治12(1879)年10月4日に造営されました。
戊辰の役に従軍した殉国者で相馬・田村・会津の招魂場に祀られていた御霊と、
西南の役に殉じた管内人の御霊が最初に合祀されたのがはじまりです。
それ以来、国難に殉じた御霊を合祀されてまいりました。
創建当時は官祭信夫山招魂社と命名され、
のちに指定官祭福島招魂社と改称されました。
昭和14年には内務大臣指定の官祭福島県護國神社となり、現在の名となったのです。
現在の社殿はこの時代の昭和12年に建てられたものです。
っていうことですから、新しい神様。
福島という町自体、明治戊申戦争のときに、会津を攻撃する政府軍の
駐屯基地になってからの街ですから、新しいのは当然なのですね。
そういう経緯があるので、福島県という県の名前も、この土地から名付けられた。
完全に薩長政府軍側の落下傘的な、占領軍総司令府ですね。
写真のように、まだ神域の樹木も熟成しておらず、
どこか人工空間的な印象がぬぐえませんでした。
なにより、神域の奥側に金網というのはいかにも不粋なのでは・・・。
こういった創建伝承を聞くと、むしろ会津の悲運というような
判官びいきにこころが向かっていくのは、仕方ないことかなぁ・・・。
さて本日は、早朝から仙台へ移動。
住まいと環境東北フォーラムの年末例会と、今年初の「忘年会」出席。
いよいよ、押し迫ってきてあとことしも一カ月ですね。
今月もいろいろとあちこちと出張が続きそうですが
体調管理に気をつけて、最後の月を乗り切りたいと思います。
Posted on 12月 2nd, 2014 by 三木 奎吾
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