

写真はことし訪問してきた古民家の中でも
ひときわひしひしと臨場感を感じていた播州福崎の「三木家住宅」の様子。
遠い縁戚とおぼしき家系の住宅でしたが、
おかげさまで福崎の町の公的管理になっている建物です。
まぁ、勝手に縁があるというように思っているだけなのですが、
印象はやはり独特であり、強く際だっている。
300数十年以前の建築と言うことで、ことし本屋部分の保存修理作業が終わって、
ようやく一般公開されるようになった。
上の写真は紹介パンフレットからの転写で、
同じ建物内での方向で、軸組構造に還元された様子と仕上げられた様子。
こういった軸組の様子はいつも見ていますが、
現代の断熱気密化された状況で見ることが多いので、
たまにこういった素地の軸組だけをみると、その素寒貧さに驚かされる。
300年間、そう大きな腐朽もなく残ってきたのは、
建築時の素性の良さを感じさせてくれます。
よく、軸組の段階を確認される建て主さんが、その美しさに打たれて
「このままにして欲しい」というような気分になることがあると聞かされる(笑)。
だいたいが男性だそうです。
意志的で簡素な構造が、なにか心象を揺さぶる部分があるように思います。
わたし自身も、小学校のころに家の新築工事の機会があって、
毎日、学校の帰り道、仮住まいの方の家に帰る前に、
こんな骨組みの様子を見学することが無性に楽しかったことを思い出します。
すっかり大工さんとも仲良くなったのですが、
その大工さんの「道具」を見させてもらっていて、ふと触れた途端に
雷鳴のような大工さんの声がとどろき渡って、
「さわったらダメだ!絶対!」と譴責された記憶がある。
軸組にはどうもそんな記憶が刷り込まれていて、
自然に折り目を意識するような気分が起こってくる。
そのときの大工さんに、いまだに尊敬の念を持ち続けている自分がいます。
叱ってくれて、ほんとうにありがたかったと、繰り返し思い続けています。

こういう軸組の隙の無さに比較して、
塗り壁下地の「木舞」部分は雑駁なおおらかさを感じさせられる。
この福崎三木家では一般的な竹小舞ではなく、
雑木のサクラや樫などで組み上げられているということ。
その樹木なりに婉曲した構造の様子が、
不思議と深く、印象にも残るように思います。木組みの様子って、
どこか森を歩いているような心象・気分が包んでくれるのかも知れませんね。
わたしは、こういう様子に強く惹かれるタイプであります。
Posted on 11月 6th, 2017 by 三木 奎吾
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一昨日、高齢になってきた義理の母の誕生会をした。
ことしで89才になっている。
同居家族もいて、できるかぎり家事も自分でしたりもする。
高齢なりに悩みもあるけれど、健康面はおおむね良好。
しかし最近、意識がややしっかりしなくて、カミさんに愁訴してくることがある。
そんなことなので、先日参観してきた「運慶展」の図録を持っていった。
義母は教師をしていた経験もあり、知的興味関心は強い。
ただ、ふつうの文字を読むカタチでの読書は、
そういう興味の持続力は衰えざるを得ないだろうから、
より即物的な写真映像の迫力、その芸術的訴求力のほうが効果的ではと思った。
で、3,000円で購入してきた図録を「見聞かせ」してみた。
さすがに東京国立博物館の「展示会図録」なので、
被写体作品はそれこそほとんどが国宝級レベルであり、
しかもその撮影写真も当代一流のカメラマンが技術をそそいだ一流品。
それらの写真だけでも数百点にも及び、
表現力、訴求力はまさに現代ニッポンの粋と言って過言ではない。
そういった「素材」を使って、彼女の知的好奇心に徹底的に訴求してみた。
運慶さんの生きた時代を適時、説明に入れ込んだり、
知りうる作品群の情報の数々を話し込んでみた。
そうしたら、徐々に彼女の目に力が籠もってきたように感じられた。
一枚一枚、丹念に写真に見入って、感動する様子が伝わってくる。
やがて、いろいろな「質問」を投げかけてくる。
やや聴力にも衰えが見られるので、声を大きくして話してあげる。
そんな会話をしながら、民族の誇る才能である運慶さんの力を実感する。
丹念に、力強く造形された作品群の訴求力は、
やはりわたしたち日本人には、強烈な同質性で迫ってくるものがある。
美しいモノを美しいと、かわいいものをかわいいと感じる感受力。
時代をはるかに超えるその日本人的なるものが、共感力で迫ってくる。
そんな気分を義理の母と共有することができた気がした。
高齢化時代、なにかを強く感じながら生きるということが、
だんだんと求められてくるように思います。
人間にはこころというものがあり、その健康性が不可欠。
そのとき、知的好奇心を高めるような表現が求められていく気がする。
民族の宝と言える芸術作品群には、そういう力があると思う。
あえて3,000円という金額を書いた。
しかしこの金額には、まことに価値があるというリスペクトの思いがある。
さすがに民主国家・ニッポンだといつも感動しているのです(笑)。
ビジネスの視点から考えてみるとき、いつもこの「廉価」ぶりに驚愕する。
この「運慶展」は先日、20万人を突破したと報道されていた。
そのうちの10%のひとたちがこの図録を購入したとして、
20,000×3,000円=60,000,000円。
たぶん撮影料とか、素材の搬入費用などは国立博物館事業として
国費が投入されることでしょうから、編集し企画構成し、印刷管理する
そういったプロセスのビジネスなのだろうと思います。
こういう国費投入には大いに賛成したい。
民族の共有資産としての芸術の価値はまことに稀有なものだと思います。
わたしはそういう仕事なので、受託主体をチェックしているのですが(笑)
ほとんど主要マスコミメディアが受注している。今回の運慶展は朝日新聞社。
その報道傾向には異論もある新聞社ですが(笑)、この図録は
すばらしい仕事だったと思います。率直にいい本でした。ありがとう!
Posted on 11月 5th, 2017 by 三木 奎吾
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ZEH施策は、国の省庁では経産省、国交省、環境省の3省が連携している。
住宅政策としては、国の大きな取り組みの方向性といえるでしょう。
衆議院選挙の結果を受けて政治の側の枠組みが見えてきて
補正予算や来年度の「概算要求」策定が進んでいる様子が伝わってきています。
そのなかで枠組みの特徴として3省の「役割分担」が示されていました。
以下のような内容とのこと。
●経産省〜将来のさらなる普及に向けて供給を促進すべきZEH
より高性能なZEH、建て売り住宅・集合住宅
●環境省〜引き続き供給を促進すべきZEH
注文住宅、集合住宅〔低層)
●国交省〜中小工務店が連携して建築するZEH
ZEH施工経験が乏しい事業者に対する優遇
●国交省〜さらに省CO2化を進めた先導的な低炭素住宅
ライフカーボンマイナス(LCCM)住宅
というように大きな枠組みが提示されていました。
これらの申請手続きの共通化として、省エネ性能表示(BELS)の活用、
関連情報の一元的提供などが、謳われています。
こういった表現を見ると、
これまでのZEH施策は環境省が受け持つことになって、
経産省と国交省は、より開拓的な分野に傾注していくというように
読み取ることができるのではないかと思います。
従来は「縦割り」行政とか言われましたが、
ZEHについては、役割り分担・連携での政策推進が目指されている。
興味を持つのは、国交省が「ZEH施工経験が乏しい事業者に対する優遇」を
打ち出していることです。
周囲を見渡してみて、ZEHには企業間の温度差が非常に大きい。
積極的な事業者がいる一方で、引いた対応の企業も多い。
その状況が「固定化」されてきている実態がある。
そういった非対応の企業群に対して、どういった施策が打ち出されていくのか、
見ていきたいと思います。
まぁ基本的にはいろいろな「誘導策」として、
補助金などが用意されることでしょうが、引いている企業群の真意を
よくみて、その実態に即した施策が打ち出されることを期待したいところです。
一般的な誘導施策では解決しにくい要因が、この対応にはあると思います。
アメとムチではなく、もうちょっと違った行政的アプローチがあるのではないか。
ここ数年のZEH施策を見ていて強く感じている次第。
むしろ「ZEH施策に関しての疑問ポイントの整理整頓」を
行政の側でどのように「吸い上げていくか」という方向性もありではないか、
そんな考え方を抱いているところ。どうなっていくか、注目ですね。
<グラフはZEHビルダー登録数推移>
Posted on 11月 4th, 2017 by 三木 奎吾
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きのうは北海道の建設部・建築指導課が推進する「きた住まいる」の諮問会議。
ことしも数回の会議に参加することになりました。
わたしはNPO住宅110番というインターネット上での住宅相談サイトを
運営しているので、その立場で、いわばユーザー視線で意見を述べる立場。
昨年までで戸建て住宅についての施策の方向は決まってきたので、
今年度についてはさらに、既存住宅の性能向上その他の問題がテーマ。
とくにそのなかでも「集合住宅・共同住宅」が大テーマで浮かび上がっています。
世界的にも、パッシブハウス運動なども主に戸建て住宅がテーマ。
ドイツでも、既存のレンガ造の集合住宅が圧倒的多数であるけれど
その「高断熱高気密化」は、非常に難しい問題だと、
ドイツの国交省のような省庁の人間からも証言を聞いたことがあります。
ちなみにドイツは圧倒的多数が石造集合住宅であり、木造戸建ては
ごく少数派の金持ちのためのものという市場実態。
既存石造ではそもそも断熱を付加する方法がなかなか開発できない。
ことし初めに高性能な繊維系断熱材が北洲さんから紹介されていましたが、
それもドイツでのレンガ造建築への外断熱というニーズをにらんだもの。
ただし、ドイツでも普及にはまだまだ時間がかかるということでした。
また、集合住宅では「気密測定」がそもそも大変難しいと言われます。
室蘭工大で鎌田紀彦先生の助手を務められていた鈴木大隆氏の
経験談を聞く機会がありましたが、その難しさを述べられていました。
気密確保ができなければ、断熱性向上作戦も得に描いた餅。
また耐震や断熱の性能要件にしても、棟単位での性能なので、
戸建てとは、かなりの相違があって基準の共通仕様化はしにくい現実。
また業界構造として、デベロッパー・設計者・建築業者のどこを対応主体とするか。
まことに数多くの難題が伏魔殿のように立ちはだかっている。
国の住宅施策でも、こういう難しさは同様であり、
たいへん立ち後れているのが現実なのですね。しかし誰もがわかるように、
共同住宅が住性能向上の本丸であることは間違いない。
そういった市場構造に一石を投じる役割が北海道から振られた次第。
なんですが、これまでの諮問会議では以下のような例もあった。
住宅リフォーム、リノベについて国の諮問会議などでは
あまりにも市場の利益代表が多すぎて、会議を開いても
「規制改革」ではないけれど、一歩もその岩盤が破砕できなかったものを
風通しのいい地方政府・北海道では着地点を見出し「北海道R住宅」を生んだ。
いま全国のリノベーション施策の好例としてこの「北海道R住宅」は機能している。
その論議の様子を見学していた国交省の役人さんたちが、
「どうしたら、こういう論議に発展できるのか驚きました」という感想を語っていた。
想像するに、国レベルの諮問会議などでは
論点整理すらしにくいように各利益代表主張が提起されるのだろうと。
改革されないことでの利益があり、それを擁護する岩盤規制固定派がいる。
それに対して地方である北海道ではそういう利益代表がきわめて少数。
一方では産学官の距離感が相対的に近しい関係にある。
それこそユーザー利益ファーストでの論議構築がしやすいし、
また、地方なので現場感覚が論議者相互で共有化されやすい。
きのうも、難題なりに論点が整理・整頓されてもいっていた。
北海道地域は住宅についての「世論」が比較的に深く共感されやすい。
なんといっても、寒冷地としての共通体験に根ざした現実的な解決策を
みんなで論議しやすいという「地域性」がある。
そう、これは寒冷地なりの「資産」であるといえるのではないでしょうか。
Posted on 11月 3rd, 2017 by 三木 奎吾
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出張で各地にいくときの楽しみに、地神めぐりがあります。
その記念に「神札」を買い求めるのがわたしの数少ない趣味コレクション。
神社ばかりではなく仏閣の方も楽しませてもらいますが、
やはり八百万の神々とお会いできる神社が面白い。
一昨日、埼玉県さいたま市を訪問していてはじめて、
この氷川神社に参拝させていただきました。
紹介文その他を読んでいて、非常に興味をそそられた。
どうも明治天皇としては、江戸・東京に遷都されて以降、
この氷川神社に対しての尊崇の念を何度も表されてきたそうです。
武蔵国というのは、現在の埼玉県と東京都、さらに神奈川県北部を指す。
関東という地域は日本史では、後進開発地域であった。
日本人としての歴史時間で言えば、北海道と同じように
近畿地域におかれた政権中央から、開発すべき地域と考えられてきたのでしょう。
古代での関東の中心地域は「毛野国」といわれた、
上野、下野(群馬・栃木)地域だったとされている。
その地方王権はヤマト朝廷との繋がりも深かったとされているけれど、
浅間山や榛名山の噴火などで支配地域が被災し衰微したのだと思う。
そういったなかで、ヤマト朝廷側の王族が埼玉県地域に入り、
その中心的聖地として、この氷川神社を維持してきたと思われる。
京都を離れて江戸・東京に移転してきた明治帝としては、
その家系伝承を踏まえて、見知らぬ地での先祖崇拝意識から、
この氷川神社へのリスペクトを表現してきたのではと思う。
「大宮」という地名は、一般名称であり、
たとえば一の宮とか、三宮とかの名称と似ている。
これらの順番は、各地の神社の「位階競争」の結果を表現している。
この埼玉県の大宮というのは、実はこの「氷川神社」を表す地域名称。
なので、地名の故実からいえば、さいたま市という名前は腑に落ちない。
いろいろ地域の歴史のことが理解出来て、面白い。
謹んで参拝させていただいていました。
Posted on 11月 2nd, 2017 by 三木 奎吾
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3日間東京、さいたまに出張していました。
きのうお昼過ぎに仕事がおわって、上野の国立博物館で「運慶」展を。
いやぁ、高校までの美術の教科書でしか見ていなかったのですが、
その実物の量感と存在感に圧倒されました。
わたしはどっちかというと、彫刻作品は苦手のほうです。
その上、宗教っぽいのは身体感覚をもてない。
そういうことで、仏像の類にはほとんど興味を持っていませんでした。
まぁ円空さんはまったく別物とは思っていたけれど。
宗教が芸術の巨大なパトロンであることはわかるけれど、
その宗教的体験のあれこれがわからなければ鑑賞の予備知識をもてない、
っていうようなことには、どうも理不尽さを感じる。
そんな思い込みが強いので、仏像などの作品鑑賞には興味がなかった。
そういうなかでは、「運慶」という個性だけには惹かれるものがあった。
そんなことで足を向けてみた次第。
行ってみたら、「入場待ち時間20分」とかいう長蛇の列(!)
会場に入ってからも、わたしが東京国立博物館の見学に来たなかでも
1−2を争うような大混雑ぶりでした。
最初のコーナーの「運慶のデビュー作・大日如来像」のあたりは混雑でギュー詰め。
こんなに日本人に人気だと言うことをはじめて体感させられた。
そういった大混雑ながら、見ているうちに徐々に
運慶さんの実作品を間近で見続けていると、やはり圧倒されてくる。
そんな気分が「国宝・八大童子立像〜1197年頃制作、金剛峯寺蔵」で爆発した。
すごい、感情移入の洪水が一気に押し寄せてくるようでした。
この展示コーナーになってくると、やや隙間もあって
この八大童子さんたちとまるで対話できるほどの距離感で見ることができる。
木像の眼には水晶が嵌入されているそうですが、
そのリアリティに満ちた人間的表情の数々に圧倒されておりました。
こういう作品を造形した運慶さんとごく親しく会話している気分に浸れる。
かれの感受性は現代人とまったく違いを感じさせない、リアリズム。
「童子」というだけあって、表情にかわいらしさがあって、
作家としての運慶さんの内面が深く感じられる。
通常はこういう仏像作品は所持する寺院などで、宝物として奥深く収蔵され
一般に見ることなどはまずムリでしょうが、
その息づかいが伝わってくるような近距離でふれあえるのは、ありがたい。
彫刻というモノ、仏像というものへのわたしの先入観念が一気に破砕された。
運慶さん、ほんとうにありがとうございました、という気持ち。
半ばほどには、平家によって灰燼に帰した奈良の再建に取り組んで頼朝を動かした
「重源」さんの国宝座像とも近距離で対面した。
日本歴史の中でも、その仕事でもっともリスペクトさせられる人物の
リアルな表情を見ることができて、まことにこころも洗われる思い。
ほかの仏像作品が運慶さん的リアリズムとはいえ宗教造形であるのに対して
この重源さんの像は、かれの息づかい、人間性まで感覚させられる。
日本仏教がながく民族に根付いてきた魂魄のようなものが伝わってくる。
武家の世がどういう意味合いを日本社会で持ったのか、
まさにまざまざとした「日本のリアリズム勃興」。
その人間的な生きた実相が体感できた気がしました。 面白かった!
Posted on 11月 1st, 2017 by 三木 奎吾
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写真は外壁左官仕上げの江戸期から存続する古民家。
先日、函館まで遠出した帰り道、
ニセコの道の駅でひと休み&野菜買いだしした後、クルマを走らせたら
ちょうど前方を「左官屋」さんのトラックが走っていて、ずっと追走していた。
ニセコから札幌までは約100kmくらいはある。
結局途中何回か、見失ったりはしたけれど、渋滞などもあって、
最終的にはほぼ同じ道程を走っていたのです。
トラックに書かれた住所を確認すると、札幌市西区の左官屋さん。
要するにかなりの遠距離だけれどニセコ周辺の現場からの日帰りということ。
知人の旭川の左官屋さんもかなり広域に、たとえば札幌周辺や帯広などでも
頼まれれば日帰り日程で仕事しているのだという。
そういえば小樽の工務店さんの葬儀でかれと会って、
その日は小樽に泊まってあしたはニセコ方面で現場仕事すると言っていた。
旭川からニセコ、片道250kmくらいにはなる。
新建材による家づくりが一般化して左官業が衰退しているけれど、
それでも仕事はあり、対応する業者さんは過酷な労働環境を余儀なくされている。
そんな知人に聞いたら、こんな現実と言う。
「旭川では左官の職業訓練校がなくなって一気に人手不足が加速した。」
以下、先日の建設業界の状況ヒアリングより。
「60才過ぎてから職業訓練校に入ってくるようになっている。」
「リフォームなどで仕事があったとしても地方では行けない構造・状況になってきた。
地方では工務店すら存続できなくなってきて、街にしか工務店がなくなる。
で、地方で仕事があってもだれも仕事に行きたいとは思わない。」
「地方では公共事業でも入札不調が常態化してきている。」
北海道は人口減少速度も速く、「課題の先進地」の状況がある。
しかしこういった現実はたぶん、全国で同時進行している。
このような人手不足で建設業周辺の事業存続は危機的状況になっている。
それこそ70代の職人さんが屋根板金作業にあたっているのが現実。
頼む側、工務店経営者の方が工事事故を心配せざるをえない状況。
職人さんがいざ仕事を辞めてしまえば、即、地域製造業が立ち行かなくなる。
そもそも後継者のなり手がいないという悲鳴があちこちで聞かれる。
であるのに、事業継承にはさまざまな規制による困難がある。
地元銀行調査では北海道の8割の中小企業で後継者がいない、対策がないという。
きのうの読売新聞朝刊で、与党の政策方針決定として、
中小零細企業の事業承継について、18年度から10年間の時限で
事業承継優遇政策を緊急避難的にはじめるというアナウンスがあった。
現状のバカげた税制などを見直し、事業承継をしやすくするとの趣旨。
制度が変化すれば、経済現場からも呼応する動きがでてくる可能性がある。
これは半歩前進ではあると思う。経済の現場は中小零細企業が支えているのだ。
政治はこういう論議をまじめにやってほしい。
経済の構造が現場で機能しなくなる前に、しっかりと現状を見つめた施策を
大いに打ち出して欲しいと思う次第です。
よく「宰相」の宰というのは民に食物を切り分ける意味と言われる。
政治の要諦は、国民が将来どうやって暮らしていけるか、
「経済をどのように運営するのか」が、まずは第1なのだと思う。
いま必要なのは古色蒼然の「保守・革新」対立イデオロギー選択ではない。
Posted on 10月 31st, 2017 by 三木 奎吾
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ZEHをめぐっての市場動向の実態をヒアリングする機会があった。
住宅市場では、いまはある分水嶺の時期なのかも知れませんね。
「あそこのZEHはここが欠点」
「光熱費ゼロにはならないですよ」
「屋根にあんなもの載っけて構造的にどうなのか?」
「電力会社はそのうち買電しなくなりますよ」
「台風も大型化してきて、大丈夫だろうか」
あるZEH推進派ビルダーさんが営業対応していくと、
それ以外のメーカーなどからのこうした反ZEH営業攻勢が大きいという。
顧客の争奪戦なので、このように現場ではなっていくのでしょう。
毎日のように「営業作戦会議」が開かれて、
あの顧客の場合、こう言ったら考えが変わったとか、こっちになびいたなど
日々リアルなオセロゲーム的やり取りが行われているようです。
これまではZEH推進派に対しては「スルー」という対応が多かったのが、
より積極的に「反ZEH化」してきているような実感を持つのだという。
「国策」的上から目線への反感というのもベースにはありそう。
総じてユーザー側から「ZEHの方がいごこちがいいから」という声は少ないとされる。
ZEHの基本的訴求ポイントが人類的視点での省CO2の側面が大きく
そういった問題テーマと、建て主さんの人生計画の反映である家づくりの間に、
意識としての乖離感が払拭しきれない。
人生の場として住宅は、生々しく具体的な「家族の幸せなくらし方」の装置。
一方でZEHは、生活設計方針レベルの話のようでもある。
たとえば高断熱高気密化には、寒冷地ユーザーであればそれは当然視できる。
いや寒冷地に限らず、寒冷地以上にお寒い室内気候に現実にさらされて、
より高断熱住宅を求める需要は温暖地でも大きく拡大している。
ヒートショックの啓蒙は政府の仕掛けもあって、かなり進んでいるようです。
一方でZEHは、そういった感覚可能な事柄とはやや違う。
ZEHにしたから、目に見えて暮らしが楽しくなるということとは違う。
お金の問題であるとか、省エネへのユーザーレベルでの対応の問題。
どうもそんな平行四辺形的なすれ違いが発生しているように思われます。
そう考えると、たしかに建築とか住宅というのは「感覚可能」な事柄が大部分。
空間という事象を扱っているので「どう感じるか」が主要なテーマ。
どちらかといえばわたしたち住宅メディアも、そういう人間の感受性をあつかう仕事。
このあたりの微妙なズレがなかなか払拭されないというのが現状か。
推進派のビルダーさんに言わせると、
多勢に無勢感をいつも感じさせられるのだそうです。
主観的には1:9くらいで反ZEH派の方が多数派ということ。
国策としての住宅政策、行く末はまだまだ見通しにくいようですね。
Posted on 10月 30th, 2017 by 三木 奎吾
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そろそろ木枯らしのようになってきた北海道の名残の紅葉。
きのうは朝早くのドタバタもありましたが、無事に函館・香雪園に遊ぶことができました。
よく「京都嵐山の紅葉にも負けない」というようにいわれるスポット。
わたしは、ごく自然で素朴な黄色や薄い紅葉でも大好きなんですが、
カミさんは「いや、違うっしょ、紅葉は真っ赤じゃなきゃ」という派。
どうもハッキリ白黒を付けたいようなのですね(笑)。
そんなモミジの真紅を求めての遠出であります。
この香雪園については何回かブログで紹介してきました。
函館の経済がはなやかだった時期の先端ファッション業・京呉服商さんが、
京都の庭師たちを招いて贅を尽くした庭園で北海道で稀有な花鳥風月文化。
京都的美意識こそが江戸〜明治期までの先端ファッションであり、
その精緻は花鳥風月的感受性にあったのでしょう。
北海道で花鳥風月的感受性は、たとえば建築については
そこに建てられた数寄屋造り建築は、そのままの繊細さでは通じにくいけれど、
その美意識について、大きくは異論はなかったのだと思います。
そういった京の美意識を「伝える」目的でこうした庭園を造営したのでしょう。
わたしたちは大好きでちょこちょこと訪れるのですが、
紅葉シーズンはなかなか来られる機会がなかったのです。
今回は香雪園のHPを確認して、ちょうどいい季節に出掛けられた次第。
で、写真のような真紅の饗宴があちこちで炸裂。
日本人として、こういう花鳥風月的心象で受け止める色彩感覚は無条件にいい。
カミさんの様子を見ていると、まさに桃源郷をさまよう旅人(笑)。
わたしは植物についてあんまり知識はありませんが、
やはり樹種の選定や、その育成の仕方、
管理や手入れによって、モミジというのもまったく違う色合いを見せるのか?
あきらかに自然状態のモミジ種とは違った輝きを感じる。
京都嵐山というような京文化では、こういった植物管理テクノロジーにおいて
人類最高レベルの進化を遂げてきたと言えるのでしょうか。
最近は日本の「盆栽」文化が海外で受容されはじめているということですが、
もうすこし勉強しなければと思い至った次第であります。
そういえば、北海道ではこうしたランドスケープデザインはまだ未発達。
庭をつくる文化に乏しく、敷地内空地は冬の物理的堆雪スペースとしてしか
認識されてこなかった部分があろうかと思います。
まぁ堆雪の結果、繊細な樹木管理ができにくくなるのはやむを得ないのですが。
日本の住宅は、こうした「庭や植栽」との「交歓性」が重要なファクターだった。
温暖地の建築家は「視界透過率」を重視し低レベルな単板ガラスを上位とする傾向。
そこに高性能な3重ガラスが介在したとしても、この民族的花鳥風月交歓性を
どう高断熱高気密的に受容していくべきなのか、
日本の住文化発展には欠かせない視点なのだろうと思います。
こちらのリンクをクリックすると、画面が風にそよぐ動画をYOU TUBEでご覧になれます。
Posted on 10月 29th, 2017 by 三木 奎吾
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いやはや、われながら呆れた。
本日はカミさんと恒例化している週末ドライブにて、
函館方面・香雪園の紅葉見物に早朝、といっても2時半に出掛けました。
一般道でもと思いましたが、この時期峠道での雪を心配して
高速道を一路南下しました。
函館まで片道大体300kmくらいです。
夫婦交代で運転するので、まぁそうは苦にならない。
で、おおむね2時間経過でトイレ休憩と思い、室蘭を過ぎた有珠山PA停車。
ちょっと早いかなと思ったけれど、個室の方へ。
ふだんはわたし、ウェストポーチに財布を入れているのですが、
今朝は軽快な服装でお尻の方に財布を差し込んでいた。
当然、トイレでは邪魔なので取りだして「置いた」。
・・・やや、沈思黙考。きざさない。
しょがないということで、身繕いしてトイレを出てカミさんの待つクルマへ。
出なかったけれど、なぜか腰つきも軽く乗り込んで、発車。
高速道路に出て一路函館方面へ驀進。
ふと、あまりの腰の軽さにお尻をさすってみる。
おお、であります。
さてここでどうすべきか、まずは助手席のカミさんに非常事態を伝え、
高速道路の管理者への連絡を頼む。
なんですが、「NEXCO」が夫婦ともなかなか出てこない。
「えっと、なんだたっけ、ユニセフ、いや少し違うなぁ、そうだユネスコ・・・」
う〜〜ん、なんか違う。いいから104で聞いてみろ・・・云々。
ようやくNEXCO東日本へ連絡して事態を伝えた。
で、最短の出口・虻田洞爺湖ICでいったん高速を下りて反対方向へUターン。
有珠山PAを通り越して室蘭まで返ってから、再度Uターンして有珠山PAへ。
この間の経過時間がおおむね1時間。
祈る思いでくだんのトイレへ直行。
「おおお、あった!」
・・・こういう失敗は、ほとんど人生で記憶がない。
トイレから出てカミさんと歓喜の抱擁(笑)。
早朝時間であんまり人出が多くなかったことが幸いだった。
まさに早起きはトクだと再認識。
こういう安堵感がいかにハンパないモノか、思い切り実感させられました。
そうすると不思議と・・・盛り上がってきた。
ということで、1時間後に仇を取ることができました(笑)。
まことに悪運の強さであります。
みなさん、くれぐれも忘れ物にはご注意を。
写真は最近の札幌円山公園のオシドリたち。かれらの名誉のため
けっしてトリ頭の意味でこの写真を載っけたとは、類推されませんように(笑)。
Posted on 10月 28th, 2017 by 三木 奎吾
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