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【エアコンによる空気暖房と喉の痛み】

最近の北海道住宅では暖房選択になかなか悩むところです。
基本的には空気暖房ではなく、輻射熱暖房の方が健康にもいいとされてきた。
札幌オリンピック前年のプレ大会の時に、選手村で大容量のエアコン暖房が
敷設されていたけれど、北欧の選手たちから不評で、
「こんな健康によくない暖房なら大会参加を拒否する」とまでいわれて、
当時、このような問題が起こりうると考えていた暖房メーカーの
輻射熱パネルが急速に普及したことがありました。
この事実が北海道での暖房にとってかなり決定的な要因になって、
北海道では基本的に輻射暖房が主流になった経緯があります。
その後、オール電化住宅で蓄熱暖房が急速に普及したのも、
それが輻射熱源としての暖房形式だったことで、
体感的に「カラダを暖める」機能性に於いて優れていたことがありました。
しかし3.11以降、電気ナマ炊きという批判が巻き起こって、
徐々に世代交代が進んで、いまは、コスト的にもっとも安価な
エアコン暖房を選択するケースが増えてきたと思います。
わが家の場合もいろいろな暖房を体感するべく、組み合わせて使って、
わたしの自室、といっても12坪ほどの大きな空間ですが、
ここではエアコン暖房を選択して稼働させています。
ただ、コンクリートブロック外断熱の駆体なので、
その「蓄熱性」に期待して、夜、就寝前にはエアコン運転を停止して
寝ることを普段は習慣づけていました。
どうしても空気暖房方式では過乾燥になってしまって、
とくにノドをやられるケースがあるとわかってはいたのです(泣)。
しかし、年末年始時期家を空けることが多かったので、
留守中にも連続運転をして放置していて、それを忘れて寝たりしていた。
で、1月2日になって、急にノドの不調を来してしまった。
あまりにも急な喉の痛みと言うことで、インフルエンザも疑いましたが、
5日になって行ったかかりつけ医さんの見立てで
最近はやっているというノド直撃型の風邪ということ。
で、クスリなど処方していただいていたのですが、この暖房については
懲りずに見過ごしてしまって、連続運転のまま過ごしてしまっていた。
夜、いくら寝ていても喉の痛みがなくならない。
ということで、ようやくこの過乾燥問題に立ち戻って気付かされた次第。
本日出張中の仙台のホテルで過ごしたのですが、
就寝前にエアコンを停止して、寒さには毛布の重ねで対応して
9時間ほど就寝しましたが、無事、クスリの効果も出て、
喉の痛みの症状は現在は劇的に緩和されました。
まぁそろそろ快方に向かう時期でもあったのでしょうが、
このエアコン空気暖房について、もっとその問題点を考えなければと
いまさらながらに気付かされた次第です。
もし連続運転させる場合には、どのような対応をすべきか、
加湿器設置などが効果的なのかどうか、
撹拌される空気暖房なので、その設置位置など工夫も不可欠だと。

空気撹拌型の暖房方式は、輻射熱暖房に比較して
やはり湿度・健康管理の点で、大きく立ち後れているのではないか?
輻射型暖房はパネル設置などで高額費用にはなりますが、
健康を考えたときには、より高品質な暖房と言えるのではないか。
そんなことを考えはじめております。

【本日今年初出張ですが、やや波乱含み(笑)】

さて本日は、ことしはじめての出張であります。
仙台にて要件があり、朝一番にてフライトの予定で札幌出発。
この時期、どんなことがあるかわからないので、やや体調もイマイチでしたが、
7:50発に対し6時前にカミさんと同行してクルマで出発。
夜明け前の時間ですが、結構なクルマの混みようでした。
ところが、ふとガソリンメーターを見てみるとほとんど残り少ない。
なんとか、祈るようにして高速を移動し千歳を下りて無事満タン給油。
で、カミさんと別れて空港到着。
さっそくANAカウンターに行ったら、手荷物預けが長蛇の行列。
なかなかチェックイン機械にたどり着けない。
ようやく人混みを掻き分けて機械で入力。
わたしは大体、バーコードを印刷した書類をかざして行うのですが、
なんどやってもエラー表示。
やむなく「予約番号」入力を試みた。
しかし、2−3度試みても毎回エラーになる。
時間は迫ってくる。やがて、アラートがちょっと違うことに気付く。
どうやら、この利用便にトラブルが発生して、予約の発券ができないという表示。
で、人混みの中にANAの人を探して、質問。
そうしたら、機体の整備に時間が掛かっている旨のお知らせ。
で、そこで諸連絡のためにiPhoneをいつもの胸ポケットに探す。
ない、ない。
忘れてきてしまっているのです。
で、やむなくMacを立ち上げて、メールで連絡を入れる。
一方、機体整備の方は2−3度の状況報告の時間が変更されたあと、
最終的にキャンセルが確定。
そこから長蛇の列に並んで、ようやく次便、11:20に予定変更。
iPhoneがないのは、かなり致命的な行動障害になる。
時間が出来たことで、カミさんのケータイと「公衆電話」で話せて
iPhoneを空港に持ってきてもらえることになった。
というような状況を過ごしつつ、現在新千歳空港におります。
さて、ことしの初出張、混乱状況でのスタート。どうなりますか、
乞うご期待であります(笑)。ふ〜〜、風邪っぽさもあってか、アタマが痛い。

<写真は道頓堀のシンボル的な店頭POP。ANAへの当て付けではありません>

【北海道での「無断熱・寒い家」体験】

北海道では地域を挙げて「暖かい家」という生活文化に
開拓期以来、一生懸命になって挑戦し、邁進してきた歴史だったと思う。
今日「日本列島」とわたしたちが地図的に認識している空間世界で、
ひとり北海道島だけが、日本国家史からつい最近140数年前まで
取り残され続けてきたのは、ひとえにその寒冷という冬期条件が
日本民族生活文化を超えるものだったことによる。
まずはなによりも、この厳しい寒冷気候に対して生存を保障してくれる
住宅の進化が求められ、追究されてきた。
そのプロセスでは実に多くの試行錯誤が繰り返されてきたけれど、
そういったいわばフロンティア的な活動が、
地域として、止揚されて現在の住宅生産文化を生成させている。
その過程で、「寒い家」というものは多く解体廃棄されつづけ、
使用されながら、なお現在もあるという住宅は実はあまりない。
長く人間がその住宅を愛し続けるということがあって
はじめて「古民家」という存在は保ち得るけれど、
北海道ではそのような、いわば「愛着を持てる」古民家はきわめて例が少ない。
愛着は例えあったとしても、その厳しい寒冷が存続を許さなかった。
今日でも少数派として、断熱概念の少ない家は賃貸住宅などで存在するけれど、
断熱概念がない家はただ廃棄された。そういう家はほとんど残っていない。

どうしても先端的な住宅とか、性能技術を取材することが多いこともあり、
そんなふうに思っていたけれど、先日栗山町で小林酒造さんの
古民家住宅を訪れて、その認識を改めさせられた。
つい数年前、先代ご当主のかたが亡くなられるまで住まわれていた家が、
無断熱の数寄屋的高級住宅として、いまは喫茶コーナーなども設けられ
一般に見学可能なかたちで公開されている。
酒造家として成功され、本州地域で一般的な宏壮な邸宅を建てた。
数寄屋的な贅をこらして建てられていた様子がわかる。
数十室もある大邸宅だけれど、冬期の寒さは言語に絶する世界だったと、
この家で成長された娘さんである女性から聞いた。
冬の間、ほとんど足を踏み入れることのない部屋を紹介して歩く
そういう「オプションツアー」を挙行することがあるそうだけれど、
参加者は全員ダウンジャケットに、靴下を数枚穿き重ねるという
完全防寒体制でチャレンジするのだと言うこと。
そういう覚悟もなくふらっと立ち寄っただけだったので、遠慮しましたが、
こういう「北海道の寒い家」という体験は、
北海道人もほとんどがいまや、忘れ去っているし、
本州以南から来られる方も、断熱され暖房が行き届いた住宅体験しかない。
そういった意味では、貴重な住宅事例ではないかと思い至った。
ほんの少し写真のメイン居室を見せていただいたけれど、
内部インテリアは、日本人の成功者として贅を尽くした豪華さ。
しかしたった1〜2室見せていただいただけで
なによりの贅は「暖かさ」であるということに圧倒的に気付かされる。
まことに貴重なタイムスリップ感覚が味わえる存在だと思いました。
ことしも厳寒の2月時期には多くの住宅関係者が
北海道の先端的住宅事例を訪れられる機会が増えますが、
そんなときに、こういったオプションツアーもいいかも知れません。
東大の前真之先生などにもオススメしたいとイタズラっぽく考えた。
ブルーな熱画像の美しさもいいかも(笑)。

【住宅リノベーション感性の1200年積層都市・京都】



わたしの高校同期の友人たち、リタイヤするひとも増えてきた。
で、そうすると結構な数の人間が京都への長期滞在型の旅に出掛けている。
どうしても北海道で暮らしていて、満たされなかったものを探すように
出掛けていく人が多いのです。
年賀状をもらったある友人は、昨年35日間も京都滞在していたと書いている。
出版不況が叫ばれているのに、中高年向けの旅行雑誌が創刊するとか、
どうもそういったニーズが沸き上がっているのかも知れません。
わたしたちの年代では、マスメディアの支配が強くそこでは、
戦後の支配的な空気は欧米的な文化への拝跪であって、
その文化体制にずっとアタマの先からつま先まで貫かれた人生だった。
そういった人生哲学に対して、なにか満たされないものがあって
京都になにかがあるのではないかと志向するのでしょうか?
それとも、北海道という人文の希薄な地域での暮らしで
常に人文文化性に対して欲求不満のような状態を持っているのでしょうか?
どうもよくわからないまま、でも行ってくるとなにか足りなかったピースが
見つかってくるような気分がするのだと思います。

まぁ、わたしも高校時代にヨーロッパの旅を経験して、
帰ってきてから無性に奈良・京都を旅したくなって、巡ったことがある。
無意識のうちに、日本的伝統とか感受性の系譜に憧憬を持つ。
この点では、アメリカの大量破壊が京都には及ばなかったことに
感謝しなければならない。
京都ではいまだに「前の戦争」というのは応仁の乱だと聞かされる。
794年に都が造営されてから、1200年以上の時間経過があり、
途中何度も内戦によって灰燼に帰したけれど、
そのたびに復興を成し遂げてきた歴史を持っている。
そういう「積層感」はどうしても北海道には希薄ということなのでしょう。
それぞれの時代の先端的な感受性が表現された建築が
繰り返された破壊・焼失を超えて現代にマッチして再建され遺っている。
日本人的感受性が連続したかたちで積層している。
いま、住宅に於いてもリノベーションということがテーマになりつつあるけれど、
京都の街は、まさにリノベーション感性の積層そのものだと思う次第です。
出江寛さんは、こういった感覚について「沈黙の美」といわれた。
これからの日本は、高度成長とか拡大発展という概念よりも、
いまあるものを大切に長く使っていく社会になって行くのだと思う。
1200年以上、古いモノと新しいモノが混淆しながら調和を見せてきた
そういった考え方で住宅建築も長期的存続を目指して行くべきなのでしょう。
そのための「多くの日本人が納得できる」デザインや発想のエッセンスは、
たぶん、京都の街で目を凝らせば、たくさん見えてくるのでしょうね。
<写真は、下鴨神社にて>

【大阪住吉「大社と長屋」拝見&全国神札集】



まぁ、わたしのブログの読者のみなさんは、大阪でこの周辺を
話題にすることで、主な目的地はおわかりいただけるでしょうね。
年末、京都・聴竹居取材の方は管理される組織もあり公開もされているので、
見学の予約や写真撮影の許可、発表についての了解なども
許諾していただいてのことでしたが、
同日には、京都から大阪に移動することで、時間があれば、
立ち寄って、外側からだけでも見ておきたいと思った次第です。
・・・ということで無事、チェック出来た次第。
やはり関西圏、あちこちに安藤忠雄さんの建築を見ることができます。
きのうの本福寺・水御堂のような大物ではありませんが、
十分に雰囲気は味わわせていただきました。
1976年2月竣工ということで、相当の時間経過しているけれど、
コンクリート表面は艶のある光沢を放っていました。

で、新年準備に大わらわの商売の神さま、住吉さんです。
っていうふうに思い込んでいましたが、縁起などをみると、
そういう強いいわれはないのですね。大阪を代表する神社と言うことで
無意識のうちに商売繁盛の神さまと刷り込まされているのかも。
本殿は住吉造で4棟が並び、いずれも国宝。
本殿が4つもあるという神社ってあまり聞いたことがない。
住吉造の社殿は、切妻造、妻入とし、屋根は反りがなく直線的で、
屋根上には千木と鰹木(かつおぎ)が乗り、
内部は手前と奥の2室に区切る点などが特色ということ。
本殿は4棟とも檜皮葺きで、柱などの軸部と垂木、破風板を朱塗り、
壁を白(胡粉)塗りとする。社殿周囲に縁を設けない点も特色。
現存の本殿は江戸時代末期の文化7年(1810年)の建立、
建築形式は千木の形式などを除き古式を踏襲している。

ちょうど初詣の準備作業まっただ中で、
盛大なお賽銭スペースが設けられていました。
200万人が参拝するということなので、いったいどれくらい賽銭は集まるのか、
×100円としても、2億円ということですが、むむむ、下世話すぎますね。
わたしは、いつもの「神札」コレクション購入させていただきました。
ちなみに一番上の写真は、わが家の神棚に飾っている神札集。
このほかにも、会社の方にも同数くらいはあるのですが、
どっかに行ってしまわれた神さまもいる(笑)。
そのひとつひとつに、鮮明に記憶が蘇って参ります。
少なくとも、そういう「御利益」がありますね。ありがたいと。

【安藤忠雄・淡路島「本福寺」水御堂】


きのう元旦は、久しぶりカミさんが腕によりを掛けた手料理持参で
義母に成長した孫の顔を見せたりの、ノンビリした休日。
帰宅後、いただいた年賀状を見てからわが家の年賀状を作成、
年賀ハガキを購入してきて即印刷仕上げ、書き込み、投函。
ことしは年末旅行でようやく年賀状にたどり着けた次第。

っていうことですが、
徐々に年末関西圏建築歴訪の様子をアップしたいと思います。
本日は、よく雑誌で目にしていた表題の建築。
設計― 安藤忠雄/安藤忠雄建築研究所
竣工― 1991年
敷地面積― 2991m²
延床面積― 417m²
構造― RC造
規模― 地下1階
受賞― 第34回建設業協会賞
平安時代後期建立の真言宗御室派の寺院で淡路四国第59番霊場。
境内からは大阪湾が一望できる。
六月になると、約2000年前の地層から発見された大賀ハスが
大輪の花、夏には大きな蓮池一面に色とりどりのスイレンが開花。
蓮池の中心に下降階段があり、その先に本堂・・・という概要。
木造の寺院建築の裏手に花の小径のような回遊動線をつくり、
やがてそれがコンクリートの壁が造形する動線に変化していって
視線が一気に開放されるのが、コンクリート製の蓮池。
ここらあたりの動線設計は、体感的にもここちよさを感じさせられる。
そこから動線は折り返されて、蓮池を大胆に割って、
そのほぼ中心線に沿って地中に導かれていく。
胎蔵界に入っていくかのような、あるいは曼荼羅内部に没入するような
そんなイメージが沸き上がってくる行動心理の動線ですね。


たしか、雑誌で初めて見たとき、
この蓮池がこの建築のテーマだろうなと思った通りの体感でした。
建築の目的である本堂と仏像は撮影不可ということですが、
この上の写真の中間位置で、参拝者は劇的に遭遇させられる。
たぶん導入階段と、本尊との向きは同じだろうと推測されました。
その辺も計算と配置が建築的と強く感じさせられる。
まっすぐとか規則的曲面とか、非常に動作体感が「建築的」に意識される。
寸法・向きとか長さとか、そういうものの規則性がカラダに伝わってくる。
本堂ではわたしは真言宗が宗旨なので、家族とともにありがたく読経。
宗教空間体験としては、まことにシンプルで、
こう来るだろうな、という仕掛け方は非常に明瞭にその目的性を見せる。
そういう意味では、予定調和的なリズム感があって好ましい。

安藤忠雄さんは、こうした宗教建築が実に似合っていると思います。
ただあまりに似合いすぎているかもと、一抹の疑問も。

【伊弉諾〜イザナギ〜神社参拝】

みなさん、あけましておめでとうございます。
本年も当ブログは欠かさず書き続けますので、よろしくお願いします。

さて、大みそかに札幌に帰還しましたが、
最終日は淡路島にて安藤忠雄・本福寺コンクリート伽藍を見学など、
旅の締めくくりの建築探訪を行っておりました。
で、これも驚かされていたのが、古事記神話のイザナギさんを祀るという
伊弉諾神社という古社であります。祭神は2柱。
伊弉諾尊(イザナギのみこと)
伊弉冉尊(イザナミのみこと)
両神は日本神話の国産み・神産みに登場する、ということなんですが、
皇祖神・天照大神を生んだ夫婦ということなので、
日本の神社信仰にとっては、その淵源に近い神社と言うことになる。
写真の本殿は三間社流造で、幣殿と屋根で連結される。
1882年(明治15年)に禁足地であった御陵の上に建てられたもの。
神社としての位階は高く、一品という極位になっている。
天安2年(858年)8月から仁和3年(887年)8月までの30年間を扱う
『日本三代実録』で無品勲八等から一品の極位へ一足飛びに
神位を進めるのは、この時期に正式に皇祖神の最近親者とされたためとする。
まぁ、このあたりはファンタジーの類のことなのですが、
さりとて、まったくの根拠のない説話とも言い切れないのでしょう。
古社としての由緒正しいものをそれなりに持っている。
詮索はそこそこにせざるを得ませんが、まことに楽しくお目出度い。

で、境内には樹齢800年から900年と推定の
兵庫県指定天然記念物の「夫婦の大楠」が祀られていて、
御神木とされているようであります。
2本の楠が幹の部分を共有して、成長してきた姿を見せていて、
これはたいへん神々しいお姿でありました。
イザナギ・イザナミの神話の真贋はよくわかりませんが、
この神木の様子を見て、多くのひとびとが、神話中のこの夫婦のことに
神社の縁起を求めたものでは?、そんな想像が沸き起こってくる。
なによりも夫婦円満は平和の礎、霊験あらたかだと思われました(笑)。
ことしもみなさまのご多幸を。

【南国土佐高知・ひろめ市場は楽しいぜよ】


四国をあちこち見て回る年末の旅後半2日間。
きのうは、南端の高知県までの旅であります。
40数年前にも、四国の道中ではカツオのタタキを食べまくっていた記憶ですが
やはりそこは敬意を表して食べたいなぁと。
高知と言えば、昼間っから地元の大人たちがカツオなどを酒菜に、
酒盛りをしているというこの「ひろめ市場」が面白い。
お城の近く、街のど真ん中で子どもたちもたくさん集まっている場所ですが
きのうも盛大にテーブルを独占して忘年会もどきの宴会グループも。
南国らしいオープンさで、エトランゼとしても愉しさの輪に入りやすい。
テーブルが空いたら、すぐに席を確保して代わる代わる
「カツオのタタキ」「サバの焼き寿司」などと、買い求めてきて食事する。
こういう垣根の低さ、オープンさにはたいへん惹かれます。
北海道でも、釧路など港町の市場では「のっけ丼」を、
市場の真ん中のテーブルで食べるという文化はありますが、
ここまでオープンな食遊空間というのは体験したことがない。
いま、東京暮らしの息子もいたく感激しておりました。
で、カツオのタタキであります。

カツオのタタキといえば、サッと表面に焼きを入れて
肉身は赤々としたお刺身状態という料理ですが、
その「焼き」にこだわっているということの実演を見ていました。
なんと、稲ワラで火を点けて、それで皮表面を焦がすのが、
高知らしいのだそうで、なんとも豪快な煙りっぷり。
店の中なのでガラスで仕切ってはいますが、焼き場での豪快な調理ぶりが
パフォーマンスとしてふるまわれている。
この炎の盛大さが高知の人たちの胃袋を刺激するのでしょうね。
「おお、おおお」であります(笑)。

さて年末もいよいよ押し詰まって参りました。
本日は12月31日、大みそかであります。
ことしも毎日更新、365日ブログを休みなく書き込むことが出来ました。
途中、若干の入院などもありましたが、
それは念のため、用心を期してであり、
大きく健康を損ねることなく、一年を過ごすことができました。
スタッフをはじめ,多くのみなさんのおかげと感謝しております。
来年も、ブログはライフワークとして毎日更新を心がけていきます。
本日、最後の淡路島・伊弉諾〜いざなぎ〜神社参詣訪問を済ませたあと、
北海道に帰還して新年を迎え、さらに書き続けます。
このブログにお付き合いいただき,深く感謝申し上げますとともに、
来年もどうぞよろしくご愛読のほど、お願い申し上げます。
みなさまのご多幸を祈念いたします。

【鳴門うずしお、激寒風初体感】


年末の関西圏の旅、ことしは海を渡って四国へ。
北海道の人間には四国というのはまことに縁が遠いのですが、
その分、初体験できることもある。
わたしは、ほぼ全国各地を巡ってきていますが、
そのわたしも四国は、就職が決まった広告会社での予備研修として
社長を横に乗せてレンタカー移動の運転手を経験したのです。
おおむね1週間、社長のお供をさせられた。
まぁクルマの運転は、学生時代に実家での休暇時期の労働体験で
たっぷりと経験していたので、その辺は平常心だったのですが、
勝手のよくは分からない就職先の社長のお供なので、
気苦労をいきなりたくさん体験させられたのであります。
社長にしてみれば、この男、どんなヤツでどう使えるものかと
目踏みする意味もあったに違いありませんね。
一番最初に「社長、絶対安全運転でさせていただきますので、よろしく」と、
宣言してから運転した記憶があります(笑)。
社長のコトバの速射砲に対しての先制攻撃を仕掛けたワケ。
泊まり泊まりで営業接待のようなこともしていました。
広告の仕事は対人的コミュニケーションが骨格だと植え付けられた。

っていうような記憶があるのですが、それ以来、
四国はまったく縁が遠い地域になって、
今回初めて淡路島を通ってのレンタカー移動での四国上陸。
そういえば、この学生時代体験以来、レンタカー移動が
わたしの人生ではたいへん多くなっていったものかも知れません(笑)。
いまはカーナビがあるので、どこへでも移動がラクですね。
で、今回ははじめての「鳴門うずしお」体験であります。
うずしおって、どうやって「見物」するのか、
それすら想像できなかったのですが、高速道路の架橋の下部を利用して
うずしおの真上に来て、上から見下ろすのですね。
それもうずしおが生まれて成長するプロセスもウォッチできる。
ただ、架橋の下側で鉄骨の骨組みには外皮がなく吹きさらし。
そこを吹きすさぶ寒風は、行ってみて強烈さに気付かされます(泣)。
遠目ではのどかな冬の陽光のなかでありますが、
その体感の落差に驚かされました。
ということで、昨年もチョコッと瀬戸内海側をドライブ移動したのですが、
今回は徳島に宿泊して2日間、四国をウォッチしたいと思っています。

【ニッポンPOPアート炸裂の大阪・道頓堀空間】

年末の旅路3日目であります。
きのうは今回の大きな目的だった「聴竹居」を取材見学してきました。
これは昭和初期の建築家・藤井厚二が建てた自邸。
よく日本の環境建築の萌芽的事例として紹介されている建築です。
わたしどもとしては、今年いろいろな経緯のあった、
「環境建築」をめぐっての北と南との意見交換の一環として
この建築の取材が欠かせないと判断して、取材してきた次第です。
天皇ご夫妻も訪れられたというこの建築について、
今後、誌面などでテーマ構成していきたいと考えています。
追って、徐々に触れていきたいと思います。

で、その後は大阪に移動しておりました。
2日間は京都文化に触れていたのですが、
一転して、対照的な大阪、それもコテコテのなんば、道頓堀です。
昔、いまから45年前くらいに大阪にいた兄を訪ねて
母親と旅したときがあり、そのときに道頓堀・くいだおれで
食事した経験がある。
そのときのことがいつも去来する、ある原体験のようで、
今回、家族とともにその空間に身を置いてみたくなったのです。
あの当時にも、道頓堀をはさんでグリコの看板はあったのかどうか、
記憶は定かではないのですが、なんでも1935年には装置されていたそうで、
もうすでに80年の歴史的POPアートだといえるでしょう。
今この地を再訪してみると、その圧倒的劇的空間がさらに拡大している。
12月28日という御用納めの夜と言うこともあってか、
たどりついた瞬間から、ニッポンPOPアートの雰囲気が充満している。

道頓堀をはさんで両眼でちょうど、「仮面女子」という
インディーズ女性アイドルとして日本初のオリコン一位、
さいたまスーパーアリーナ単独ライブ15000人動員を達成したという
「最強の地下アイドル」が、路上ライブを行っていた現場に遭遇した。
なんとも異常な劇空間ぶりであります(笑)。
わが家の息子はすっかりグリコのランナーポーズを繰り返すし、
大音量でのライブステージ、それを応援する追っかけのひとたちの歓声など、
まさにニッポンPOPアートの最前線を感じさせてくれる。
街を行き交うひとたちも多国籍空間化していて、
この日本が誇る空間パワーが不思議な魅力で世界に訴求しているさまが
まざまざと体感できました。
というなかでしたが、久しぶりに訪れたので、勝手が分からず、
なんと、この仮面女子さんたちのステージの後ろ、彼女たちの後ろを
場違いな通行人として横断せざるを得なかった。
一瞬のとまどいはありながらも、躊躇なく通り過ぎていましたが、
どうもこの劇的空間性への参加気分が高まっていたものと思えます(笑)。