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Replan北海道【特集】住み家さがしの秘密。9月29日発売

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さて昨日に引き続いて、当社新刊のご案内です。
当社の基幹雑誌である、Replan北海道の最新刊です。
今回、新しいテーマに取り組んでみました。
家づくりでもっとも初源的な部分、「どこに住むか?」というテーマです。
わたしたちが住まいを考えるは、なぜでしょうか?
住宅雑誌をやっていて、いちばん感じていることは、きっとそれは、
「シアワセになること」なのだと思っています。
ありがたいことに、現代人は自由にいろいろなことを選択できる。
そういうなかで、シアワセのかたちで、いちばんのベースになることが、
「どこに住むか?」ということだと思います。
そのときに、想像力の幅を、もっと広くしていくことが、
まったく新しい生き方との出会いになるかも知れない。
その選択の意味合いを、より深く考えていくことで、
より満足感の高い生き方を掴み取ることも可能なのではないか。
そんな主張も込めてみたつもりです。

2015年9月29日発売・2015年秋冬号・A4版
本体価格463円(税込:500円)

【特集】住み家さがしの秘密。
なかなか希望の土地に巡り会えない。そんな方には、
土地の探し方・探す視点を変えてみたり、
新築だけではなく、中古住宅のリノベーションを検討して、
自分たちが本当に豊かに暮らせる場所=「住み家」を探すことを
Replanは提案したい。それが今回の巻頭特集です。

全国的に増えてきた空き家が放置されるなどして問題視されている今、
空き家の活用も視野に入れた「住み家さがし」をしませんか?

さらに、家を持つなら考えたい住宅の価値についても、
サスティナブルな社会を見据えて家づくりに取り組む
お二人の建築家に寄稿いただきました。
Contents
●巻頭特集/住み家さがしの秘密。
●十勝で建てるなら、ココ! 2015
●連載 賢い人は気付いてる メンテナンスの大切さ
●新企画 暮らしを灯す
●新連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●暮らし豊かに。Re・home
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス3 <東京大学准教授・前 真之>
●新築ルポー住まいのカタチー
●連載・ STORY OF ARCHITECTURE
 vol.11 籤 HIGO
●北の建築家
 「SHOWAの家」 阿部 直人
 「素のいえ」 櫻井 百子

★Replan予約販売のお知らせ
9月15日~23日までにご購入された方は、
一部地域の方を除いて、29日までに配送致します。
Replan北海道版110号の書店発売は、9月29日です!
お申し込みは当社WEBでの通販コーナーで直売しています。
ReplanWEBからご購入いただけます。

Replan青森vol.2 新発売

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さて、発売日から2日お知らせが遅れましたが、エリア特集号のお知らせです。
住宅は、より地域に密着した作られようが求められます。
わたしどもでは、年に数冊、東北各県ごとのエリア特集号を発行しております。
ことしは、8月の福島に続いて、昨年も発行した「青森」の第2号を発刊しました。
とくに青森は、北海道のすぐ隣ですが、
住宅性能についての認識がまだら模様の地域。
大好評だった昨年に引き続き、最新の青森の家づくり、
その進化した姿を、みなさんにお届けします。
夏の暑さも、冬の寒さも、
青森で暮らしていくには、避けては通れません。
でも、住宅性能はさらに驚くほど発展しています。
寒冷地住宅の「知恵」は、こうした条件を十分にクリアして
さらにその上の暮らしの喜びを実現しています。

Replan 青森 vol.2  青森県の書店にて販売!
2015年9月15日発売・A4版/本体価格907円(税込:980円)

寒冷地である青森。その厳しい気候条件から、
住宅の性能やデザインは進化を続けています。
住む人が家に求めるもの、それは何より心地よさ。
その願いを叶えた住まいをご紹介します。

寄稿/青森で家を建てるときに考えるべきこと /西方 里見
実例/川岸の小住宅(青森市)、ブレンドの家(むつ市)、
田面木の家(八戸市)
Contents
◆巻頭特集
暑さも寒さも気にならない心地よい家

◆県内のビルダーが建てた
 青森の住まい・実例集 
◆【特別対談】北のつくり手 × 南のつくり手
◆省エネ住宅特集
◆青森にふさわしいリノベーション

本誌は、日本の寒冷地住宅雑誌として
北海道で出版を続けている住宅雑誌Replan北海道の姉妹誌。
日本の住宅技術を革新し続ける北海道では最先端技術が実現しています。
寒さを克服し、全室どこでも一定の室内気温環境が実現していて
健康そのものの冬の暮らしが実現しています。
そしていま青森でも、こうした技術を完全にマスターした作り手が
繊細な感性で、美しく快適な最先端の住宅を実現してきています。
この雑誌では、このような住宅実例・住宅企業を集中的にご紹介し、
ワンランク上の家づくりをご覧いただけます。
当社WEBでの通販コーナーで直売しています。
ReplanWEBからご購入いただけます。

蝦夷地総社・函館八幡宮、いいかも

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函館は、小さいときから好きだった街であります。
伯父が永く住んでいて、こどもができなかったことから、
姉であるわたしの母に、わたしを養子としてもらい受けたいと念願していた。
なんども言われ続けて、母も一度わたしに話したことがある。
わたしが頑強に「イヤだ、絶対に」と抵抗して沙汰止みになった。
伯父に申し訳ない気持ちもあったのか、
母はときどきわたしを連れて、函館に来ていた記憶がある。
そういう経緯であったか、前後はあるいは逆だったかも知れない。
見合いのようなかたちでわたしを伯父夫婦に会わせて、
その様子から、伯父が正式に「養子に・・・」と切りだしたのかも知れない。
まぁ、こういったケースは昔は多かったようだけれど、
いまとなっては、みんな亡くなっていて、確かめる術もない。
はるかな後年、母を連れて函館に来ていたりもした。
そんなことが記憶の底に沈殿しているのか、
不思議と函館のことが、好きになっている。

札幌が北海道の首府として開拓が進む前、
函館は、北海道の旧都であった歴史を持つ。
この函館八幡宮も、来歴を文安2年(1445年)、
亀田郡の領主であった河野政通が函館・元町に城を築く際、
城の鎮守として城域東南隅に八幡神を勧請したのに始まると伝えられる。
室町の世にまでさかのぼる来歴になる。
その直後にアイヌからの攻撃で河野氏が敗退したりしたそうで、
武神として八幡神が勧請されたというのも、さもありなんと思わせる。
そういえば、河野氏というのは、わが家の家系伝承にも名前が出てくる。
その後、寛政11年(1799年)東蝦夷を公議御料(幕府直轄領)とした
江戸幕府が社地に箱館奉行所を置くことになったため、
文化元年(1804年)、幕府の費用で会所町(現函館市元町北東部)に
社殿を造営して遷座、以後箱館奉行所は当宮を祈願所とし、
蝦夷地総社として崇敬した、とされている。
そういう意味合いでは、北海道神宮が造営された札幌に先んじて、
この地が北海道の中心であったというのは、歴史事実なのだろうと。
こういった来歴からか、外観風貌はまことに古格そのもの。
屋根のデザインが見るものを惹き付ける。
こういった趣味傾向は、北海道的なデザイン傾向ではなく、内地的。
北海道では積雪荷重を考えて、水平方向にはあんまり伸ばさないのが
一般的だと思うのですが、これでもかと水平が強調されている。

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正面から見る破風も、やたらヨコに長い。
北海道はほかの日本の「◎◎国」という概念で言えば
6カ国くらいに相当する面積なので
この神社は、道南国一の宮というようにみなしてもいいでしょうね。
社格、雰囲気とも、ちょっと北海道離れしていて
そういう意味でも、いかにも函館らしくて
ちょっと好きなスポットになりました。

高齢者夜間ドライブのストレス

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きのうは青森に出張でした。
月曜日のアポなので、ゆったりと日曜日にクルマで函館まで行って
若干周遊・宿泊してから、きのう月曜日に汽車で青森まで往復し、
要件を片付けてから、ふたたびクルマで札幌まで、という行程を組みました。
やはり移動コストと時間のバランスが、なかなか難しい。
地方間の移動では飛行機は割高になるので、最初にパス。
そうなると、JR利用か、クルマをからめてのものとするかの選択になる。
函館は大好きなので、あちこち移動して楽しめるクルマで行きたくなる。
日曜日が絡んでの日程としては、それはそれで良かったのですが、
帰りの札幌までの帰還が、夜に差し掛かってしまい、
約320kmのドライブは、やや堪え気味でありました。

わたしはクルマの運転は大好きで、
だから、東北での仕事の開拓期には、盛んに長距離移動を
こなしていたのですが、どうも最近は疲労感が出てきた。
どうも端的にカラダの右側、右腰と背中の右側に疲労感が集中する。
わたしの場合には、どうもエコノミー症候群的に症状が出る。
きのうは函館を出発できたのが、午後5時半過ぎ。
なので一般道走行ではなく全線高速を利用しました。
で、函館市内を抜けて、都市高速に乗って峠下〜大沼から高速。
八雲あたりで日が完全に落ちて、
そこからは夜間ドライブであります。
どうもこの夜間の走行というのが、非常に疲れを呼ぶようですね。
徐々に肩から背中にかけてコリが集中して出てくる。
八雲から室蘭までの間というのが、
1車線道路で、どうしても緊張するというのも関係する。
あんまりゆっくり走らせてくれないのですね、後続車への遠慮で。
休憩は、何回か取っていたのですが、短時間では疲れは取れにくい。
室蘭を抜けてからは2車線になるので、
気分的にはずいぶんラクになるのですが、
今度は「蓄積疲労感」が襲ってくる。
なんとかだましだまし運転して、最終休憩を苫小牧西の手前の
樽前山パーキングで取った後は、
ふだんから千歳空港までで、よく利用している区間になる。
そうすると不思議に心理的に回復してきて、
苫小牧東からは、まったく順調に走行しておりました。
やはり年齢的なこともあって、注意力への疲労集積が目立つようです。
確かに肉体的な疲労蓄積も半分はあると思うのですが、
それ以上に、精神的な緊張感が大きいようです。

これからは、日程をよく考えて長距離走行は
明るいウチにとしたいと思いました。
ふ〜〜やれやれであります。

贖罪意識から心情論に至る病

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知人の考古学研究者に瀬川拓郎さんという方がいます。
わたしの高校の後輩になるのだそうですが、
実に素晴らしい学問的な業績を上げ、また、著作も多くの人に読まれている。
その研究事跡について、わたしはたいへんリスペクトしています。
かれは、旭川博物館の「主幹」として勤務されていますが、
いまやアイヌ研究の第1人者といっても過言ではないと思います。
かれの「アイヌ学入門」という著作の前書きでは、こんな記述がある。

アイヌを単純に「自然と共生する民」と評価してしまうと、
交易民として生きてきたかれらの複雑な歴史の意味を
見失うことになりかねません。そもそも「自然と共生する民」は、
閉じた世界に安住してきた未開で野蛮なアイヌという
負のイメージを肯定的に評価するために、それをただたんに
裏側からみたものにすぎないのではないでしょうか。(以上、引用)

なにか、これまでモヤモヤしていたものがクリアになる一節でした。
先日も、敬服しているある学者の方と話していて、どうも
「アイヌ=自然と共生する民」という素朴な刷り込みに囚われていた。
そこで、瀬川さんの著作を1冊、プレゼントしたところ、
その実証性に満ちた論旨をすぐにご理解いただいたようでした。
近作「アイヌの歴史」では、

「エコロジカルなアイヌ像ではなく、宝を求めて異文化と交流しながら
激動の世界をしたたかに生き抜いてきたアイヌの歴史を提示したい。
このことは、アイヌの歴史に自然との共生を学ぼうとする態度を
否定するものではない。しかし、多くの場合のそれは裏付けを欠き、
「自然」破壊を進めてきた「文明」の贖罪意識や、アイヌを「自然」の一部と
みなすことで侵略を正当化してきた「文明」の贖罪意識といったものが
一体になった、心情論でしかないようにみえる。」
と、書いている。

さらに、夭折したアイヌ人女性・知里幸恵さんの書かれた
「アイヌ神謡集」の序文に触れて、
~その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、
なんという幸福な人だちであったでしょう。(以上、抜粋)~
こうした美しい文体から紡ぎ出される文学世界観が多くのひとに
前記のような贖罪意識から、無意識の前提として刷り込まれていった。
瀬川拓郎さんは、これに対して実証的態度で
「もちろん、
このような一切の苦悩から解放された楽園が実在したわけではない」
とハッキリと書かれている。
いま、多くの学者のみなさんと交流する機会があるのですが、
こういった非実証的な刷り込みに囚われている傾向は、
あらゆる領域の学問のみなさんに共通してあると思います。
どうも「いい人」でありたいがために、実証性を顧みない傾向が
むしろ学者さんの世界に広く存在するのかも知れない。
その弊害が、さまざまに現れてきていると思っています。

経済・軍事の要衝、尾張犬山城

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出張に出ると、やはり疲れがたまります。
1日寝ただけではやはり完全回復はせず、2晩寝てようやく復活感。
新住協の総会と言うことで、関係の深いたくさんのひとと、いっぺんに会える。
こういった会合のすばらしいメリットですが、
一方で、どうしても疲れは溜まり込まざるを得ない。
本日は土曜日なので、仕事関係は小休止で、
見学した古建築から、国宝・犬山城であります。

国宝だということなのですが、
本当は、織田有楽が作った茶室「如庵」のほうを見学したかったのですが、
なかに入れるのは月に1度くらいだそうで、今月は日程が合わなかった。
その日は茶を喫したりして、中に入られるのだそうであります。
もちろん、茶の作法なども身につけておりませんので
その点でもやや気後れ感はいなめないのですが、
まぁ、やむを得ない、ということで、代わりにこちらの国宝を見学。
国宝に指定されたのは、天守という城郭形式の端緒に近い建築という
意味合いが強いのだろうと思われます。
歴史的には、秀吉と家康が戦った小牧長久手の戦いで
秀吉が、小牧山に陣を敷いた家康に対抗して入った城であり、
1枚目の写真で小牧山が正面に対峙していました。
しばし、秀吉側の視点も得られた感を持てた次第であります。
なんですが、やはり城を実際に体験すると、
これは明らかに経済的な要衝の位置に建築されていることが実感できる。
日本有数の穀倉地帯である濃尾平野から、より日本全域への
広域交易可能な伊勢湾に向かっての要衝に立地している。
すぐ下を流れる木曽川の大河は、尾張の大動脈と言って過言ではない。
日々、物資の流通がこの大河を使って集積分散されたことは明白。
その上、東西の陸路・東海道のポイントにもなっている。

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いわゆる城下町が開かれていて
その街並みが観光スポットにもなっていますが、
この地の経済的な重要性が端的に理解出来ます。
あんまり調べてはいないのですが、
織田氏という存在は、信長の時代になって「兵農分離」が可能になった。
それまでの軍団編成が農民をかり集めた軍団だったのに対して
専門化した軍団を編成していたとされるのですが、
そのことは、経済力が背景として豊かでなければ不可能。
楽市楽座というかたちで、それまでの商業結社・座の権益を
武力で奪い取って「城下町」に権益を集中させることで、
それが可能になった。
そういった背景的な事実が、この城からは伝わってくる気がしました。
信長を輩出した「織田氏」というものが、
中世を通じて培ってきた経済力の実質が見える形になっている
そんな強い印象を抱いた次第です。

ドイツパッシブハウス基準クリアの意味合い

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きのう新住協総会から、無事札幌に帰還致しました。
最終日になって、ようやく名古屋らしい暑さは多少戻っていましたが、
それまではどちらかというと、肌寒いような天候で終始していました。
さて、総会の最終日は全国の会員からの事例発表。
それぞれに興味深い内容の発表だったわけですが、
最後の、木の香の家・白鳥さんの発表が注目されました。
白鳥さんは新住協の理事でもあり、若い年代の会員を代表するような存在。
東北大学出身で経営的にも先導的な取り組みをされています。

今回、自宅建築に取り組まれるにあたり
ドイツパッシブハウスの基準に合致した住宅を計画されたのです。
写真は、その熱的なシミュレーションを検討したプロセス。
よく、東北のプロのみなさんがこの基準に挑戦されるのですが
みなさん一様に、そのハードルの高さを語られます。
この白鳥さんの検討プロセスでも、
当初の、生活デザイン上の基本的な要望を満たしたプランでは
暖房負荷12.5kWh/m2、暖房用灯油使用量272リットルが
ただただ防御的なプランにしてなんとか基準をクリアさせたプランで、
暖房負荷5.0kWh/m2、暖房用灯油使用量106リットルとなっている。
灯油換算で、年間162リットル削減ということにはなる。
しかし15,000円程度の年間コスト削減、それも太陽熱・光利用など
よりエコロジカルな他熱源選択をすれば簡単に回収可能なコストのために
それこそ死んだようなプランを受け入れるしかない。
まぁ結局、基準を満たすためには、南面以外の窓をなくした
単純なボックスにしていくしかなくなってしまう。
そうすると、基準を満たすためだけに、
その「認定を取る」ためだけの家づくりになってしまう。
そうした自己矛盾と思えるようなプロセスが、表現されていました。
プロセスではドイツ側の方から、基準達成は
「そもそも、岩手県北上では、ムリですね」という指摘もあったとか。
日本では温暖地域しか、達成は難しいのが実際。
そういうことなので、北海道の大多数のみなさんは挑戦しようともされない。
「意味ないでしょ」というのが多数意見。
鎌田先生の発言でも、求めている方向性自体にはまったく賛同だけれど、
そもそもドイツと日本の気候条件の違いや、
ソフト上の気候条件についての判断基準への疑問提起もありました。
多額の「認定費用」を取って、住宅性能を担保する「認証」を与えることで、
より防御的な基準数値にならざるを得ない実態も語られていました。
ドイツは全国一様に、気温条件的には日本の「温暖地」であり、
仮にパッシブハウス基準をスウェーデンに持って行って当てはめると
「無暖房」レベルでようやく基準に合致するともされていました。

さて、このテーマ、
「住宅性能」についての今後の大きなテーマになりそうです。
パッシブハウスは、方向性は正しいけれど、
その地域、生活やデザインに似合ったものの追求というのが、
やはり自然な流れになって行くのではないか。
「原理主義」のような方向性では、やがて行き詰まるのではないのでしょうか?

新住協総会、そして北海道ガンバロー

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さて、きのうは名古屋の国際センターという会場で
新住協の総会でした。
昨年まで新住協(新木造技術研究協議会)はNPO法人でしたが、
今年の大会からは、一般社団法人に組織変更しての
はじめての総会であります。
新住協は、北海道の工務店の結集体と、東大を出られて
室蘭工業大学に赴任された鎌田紀彦先生との出会いが発端の組織。
全国ではじめて室蘭工大に「システム工学」を建築で研究する学部が発足し、
その先鞭を付ける意味で、先生が来道されたのです。
岩手盛岡の出身の鎌田先生が、この同じような積雪寒冷の北海道に来て
当時、北大の荒谷先生などが研究の端緒を開かれていた
寒冷地住宅の研究に立ち向かわれ、「高断熱高気密」の家づくりを
志を共有する北海道の工務店グループの協同を得て、
きわめて現場的に解決する道筋を探って行った。
この場合の「現場的」ということが、ものすごく大切な部分で、
工務店も、理論だけではついて行きようもなかったけれど、
鎌田先生は、具体的な施工プロセスを詳細に、それこそ「システム工学」の
視点から現場工程を観察して、そこから改善すべき問題点を抽出した。
だから、工務店の側も、「そうか、ここをこうすれば、間違いなく良くなる」と
深く納得することができた。
断熱材をタダ厚くしても、さっぱり効果が出なかった事実に対して
気密化施工の重要性を発見し、しかもその手順の細部に至るまで
実践可能な「技術」として工法開発していった。
たぶんこのプロセスは、やがてレジェンドになっていく事なのかも知れない。
しかし、わたしたちはまだいま、ここにいる。
まだまだ、この歩みは終わったわけではない。

北海道が発祥となって生み出されてきたこの革新は
次のプロセスへの踊り場で、いま、立ち止まっているかに見える。
きのうの総会でも、いま、高断熱高気密の工法革新の現場は、
本州地域の方に、その先端部分は差し掛かっているのかも知れない。
そしてそれは、北海道がその契機を生み出したことではあると思う。
懇親会の中締めで、北海道の工務店を代表して武部建設さんが
いみじくも、発言していたけれど、
いま「北海道ガンバロー」という雄叫びが必要なのかも知れない。
それがどのような「目指すべき地点」であるのか、まだ不明に見えるけれど
よりよい家づくり、人間環境の創造に向けて
立ち向かって行く必要があるのだと思う。
・・・多少、酔ってしまった夜でした。

新住協総会、前日名古屋入りはしたけど・・・

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これを予期して早めに名古屋に来たわけではないのですが、
どうも台風の直撃のようであります。
きょうから新住協の全国大会が名古屋を会場にして始まります。
ことしは「前夜祭」が行われないということを、
飛行期チケット予約の時にはわかっていなくて、
例年のように、それにも参加しようと、前日入りしたわけなのであります。
ということで、名古屋に来たのですが、きのうからすでに雨模様。
札幌からなので、あんまり天気のことは無頓着だったのですが
こっちにきてからどうやら台風が近づいているのだとわかった次第。
まことにうかつでありますね。
で、WEBなどで調べて見ていたら、
これはどうやら、その総会の開始時間がまるで直撃されるようなのです。
いまは市内中心部のホテルにいるわけですが、
雨脚は一向に静まる気配もなく、
むしろどんどんと激しくなってきている。
総会の会場まで歩いて10分ほどのホテルなのですが、
そこまでたどりつくにも、持参した旅行用の傘では
やや心もとないような、強く執拗な雨の降りようです。
テレビでは、東海地方各地で土砂災害などの報道もある。

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どうやら飛行機は今日の午前中は札幌便、欠航と発表されている。
そういう意味では前日入りは正解とも言えるのですが、
全国から集まってくるみなさんが、無事に到着できるのかどうか、
とくに北海道からきょう到着で予定していた方たちは、
たぶん、時間には到着、無理なのかも知れません。
9月初めの名古屋と言うことで、暑さには覚悟はしてきたのですが、
まったく拍子抜けするほどの涼しさ、というよりも
むしろ肌寒いとでも言った方がいいくらいであります。
着る服も、まさか長袖はいらないだろうと判断して
半袖しか持ってこなかったので、これではちょっと外を歩くのに寒いほど。
南北に長い日本列島、いろいろな条件の変化は見通すべきでしょうが
今回は、そこまでは見通しておりませんでした。
というような状況でありますが、
なんとか、全国のみなさんと情報交流に励んでいきたいと思います。

しかしまぁ、この状況では、ホテルから出歩くのも
相当に難儀しそうであります。
市内中心部なので、タクシーもとても捕まえられそうになさそう。
ということで、やや弱音気味の朝を迎えた次第であります。
みなさんの地方でも、十分お気を付けください。

雨、ときどきヘンな景色

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どうやら今年の夏は、そろそろ手じまいの感じですね。
北海道にしてみたら、まぁこんなものだろう、という夏でしたが、
本州地区では、ちょっと短い夏だったかも知れませんね。
わたしは、本日から新住協の全国総会が明日から行われる名古屋へ
出張移動するのですが、
あちらは、今日からの3日間とも雨模様という予報。
日程が決まった当初は、あのクソ暑い名古屋の残暑を覚悟していましたが、
どうやら、雨と言うことで、暑さも一服感が強そうであります。
怖いもの見たさが、なんだ、そうでもないな、みたいな
こころなしか、残念感も持っての移動になりそうであります。

雨と言うことでは、北海道も今夏はけっこうな降りようでした。
写真は、わが家が北面して立地している中学校のグラウンドの様子。
ある雨上がりの朝に、ブラインドを開けたら、なにやら、
熱帯の島のマングローブ林のような見慣れない景色が目に飛び込んできた。
いや、金閣のようなきれいな水面からの反射で
緑が2倍になって目に飛び込んできたワケなのです。
なにやら、目の保養をさせてもらっているような、儲けた気分(笑)。
やがて、この光景は、中学校のグランドの「地中排水管」の
許容排水量を超えた「集中的豪雨」で、ため池ができていると
アタマのなかで、了解事項が成立してくる。
数日前の朝のことで、前日は確かに大変な豪雨で、
わが家の排水ドレンパイプも屋上で泥などが詰まっていたので、
屋上がプール状態になっていて、
あわてて夜中にパイプの入り口付近を掃除して排水したりしていた。
どうも最近は天候がゲリラ化しているようですね。

まぁそういう日常の中の非日常が、
こんなみかけないような景色を垣間見せてくる。
水盤という景観装置って、日本人には水田耕作開始以来、
約2000年以上の長きにわたって感受性にきわめて馴染んでいる景色。
きっと、はるかなノスタルジーがこういう景色を見たときに
とっさに、なにかの情念のようなものを沸き立たせるのではないか、
そんな楽しい妄想を、ムクムクとかき立てられておりました。
ということで、本日はごく日常的なブログでした。
さて、それでは、本日から名古屋に向かいたいと思います。
全国の新住協会員のみなさんに、お会いできることを楽しみにしております。
たぶん、明後日以降のブログでご報告致します。
ではでは。