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マック、この手で来たか・・・

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わたしが生きてきたのは、コミュニケーションの領域。
もちろん住宅が基本のシフトゾーンになるわけですが、
その関わり方はあくまでも、コミュニケーションの部分と思っています。
で、社会へのこういった見方・関わり方からすると
いま、いちばん興味が湧いているのは、
ご存知のマクドナルドさんであります。
いっときはずいぶんと寵児のようにもてはやされていたのに、
さっぱり閑古鳥状態になったそうで、
そういった企業が、どうなっていくのかというのは興味が強く湧いてくる。
社会と企業との接点で、いまの立ち位置を深く考えて
どのように企業メッセージを発するかというのは、
まことに面白い領域なのであります。

で、どうやら写真のような作戦で
「巻き返し」を図っていきたいようなのであります。
マクドナルドのPOP広告で、いきなり「北海道」強調の引き。
このPOPデザインからは、見るものには「北海道」がいちばん強く伝わる。
で、次の瞬間、「え、マックで北海道?」という疑問が来る。
「だって、マックってそもそもアメリカの食文化じゃないの?」
っていう疑問が襲ってくるはず。
というのは、しかし、わたしのような年代のおじさん発想かも。
若者たちにとっては、マックって、
いまはそういう食文化性メッセージも持っていないかも知れない。
ま、その辺はきっと周到な調査の結果があるのでしょう。
で、「北海道」ブランドというのは、日本の食文化の中で、
ほとんど基底的な刷り込みに近い定番中の定番。
デパートの催事でも困ったときには北海道ブランドが使われる。
・・・まぁ、北海道以外の地域でのことですが(笑)。
その定番パワーを、この場面・状況で持ってくるのは?
という疑問を持った次第であります。
ここで考えられるマックの戦略としては、
1 苦しさ紛れで、定番パワーにすがった
2 これからは、「地バーガー」路線を進める
というふたつのものが考えられる。
まぁたぶん、2は考えにくいので、1のほうが確率は高そうですが、
ひとつの脱出口としては、2の方向性も魅力的なのではないかと、
函館ラッキーピエロ大ファンとしては、思う次第。
全国一律の、それもなんちゃってアメリカ文化路線は、
食文化市場ではとっくに賞味期限切れであることはあきらか。
であれば、全国をこまかくエリア分けしたマーケティング展開も
面白いのではないかと思うのであります。
どうなんだろうか? と、勝手にマーケティング作戦を妄想した次第。

あ、念のため申し上げますが、
もちろん、わたしとマックにはなんの関係もありません(笑)。

木造住宅、わたしの原風景

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わたしは1950年代に幼少年期を札幌の街で過ごした人間です。
3歳までいまの岩見沢市栗沢町上幌で過ごしていましたが、
満3歳になるころには、いまの札幌市中央区北3条西11丁目に移転した。
その当時の街割り、住戸の建てられ方は各戸おおむね60坪ほどの敷地に
写真のような三角屋根の木造住宅が建てられていた。
わが家はある住宅デベロッパーの建売住宅だったそうだけれど、
整然と区画された条丁街区の北東側角地だったからか、
ある程度「商家」仕様のものだったらしい。
東側には北大植物園があって、道幅50mほどの石山道路が走っていた。
この石山道路という名前は、札幌開拓期にさかんに切り出された
建築資材・石山軟石を札幌市内に運搬したことが由来とされる。
それには馬車が利用されたようで、その馬たちの馬糞が
風に乗って人々を難渋させたという「馬糞風」という言葉が交わされていた。

周囲には写真のような建物が、ゆったりした建物間隔ではあっても
そこそこ密に建てられていた。
こどもたちは、その建物と建物の間の空隙を走り回って遊んでいた。
条丁間を通る道路幅員は30~50mはあって、
間もなく始まるモータリゼーション前のそこでは、
子どもたちが、各条丁街区ごとに族集団を形成して、
ときたま相互のケンカが発展し、石合戦まで行われる戦場にもなっていた。
ちょうど舗装道路になる前で、道路には砂利石が敷き込まれていたのだ。
今で言えば、おそろしい子ども同士のケンカだ。
石合戦というのは、戦国期の武田軍団の戦法にも見えるから、
日本の新開地である北海道・札幌では、民族的な野生が
この当時まで余韻として残っていたのだと思う。
ともあれ、そういった少年期の背景として、
この写真のような住宅群が、わたしの脳裏には原風景の街並み、
木造住宅というもののノスタルジーとして刻印されています。

いまも、こうした建物が周囲に鉄筋コンクリート多層階のマンション群が
建ち並ぶなかに点在して残されている。
外壁は木の板が「下見板張り」で張られて、
それらが自然な風化作用で表面が黒く炭化する表情を見せている。
この炭化の様子にも、たぶん厳密には風土的特性があるのではないかと
ふと、そんな想像も起こってくる。
それくらいわたしには「風土」というか、似つかわしい原風景として
特異な感覚がそこから立ち上って来る。
ほぼ均一な壁と反対に、屋根は原色的なトタンが葺かれていた。
そして半年にもなる雪の季節には、
白い背景の中にコントラストも鮮やかにシルエットを見せてくれる。
かたちはそれぞれ、いろいろだったけれど、
街の印象は、こうした建物が主旋律を演出していた。
雪という天与の美しい背景の中で、
それなりの「街並み」という美を創り出していたように思う。
こういう原風景を持っていることをシアワセだと思っています。

木の実をついばむ冬の鳥たち

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北海道は、爆弾低気圧が東海〜関東〜東北と移動してきて
最後に道東方面で停滞して発達し、
オホーツク沿岸地域などが、マヒ状態になっておりました。
しかし北海道は広く、札幌を中心とする道央地域では
大雪が降ったのは月曜日だけで、その後比較的落ち着いた天候。
こういうときは、なにやら申し訳ないような気分になります。

そんな気分でいるときに、
窓の外を見やると、なにやら喧噪が聞こえてきた。
2階に位置するわたしのデスクの前には、赤い実のなる木があって、
どうもその木にたくさんの鳥さんたちが群集まってきている。
その数は、十数羽ほどの群来。
すぐ目の前で、なにやらかしましく騒いでいるのであります。
しばらくの間、十分ほどでしょうか、
盛んに盛り上がっておりました。
まぁお目当ては冬の間の栄養確保であるようで、
赤い実をかわいらしくついばんでくれている。
しばし、その様子に見とれておりました。
こういうときに、鳥の名前を知っていると楽しいのにと思います・・・。
カラスよりはだいぶ小柄だけれど、スズメの倍近くの大きさ。
ちょっと調べてみたけれど、どうもツグミのようであります。
以下インターネット「北海道札幌の自然」さんからの情報。

冬になると群れで日本全国に渡ってくる野鳥の代表選手といえば
ツグミという野鳥かもしれません。
このツグミという野鳥、秋(10月上旬頃から)になると、
繁殖地であるシベリアから、日本全国に渡ってくるそうですが、
市街地のナナカマド街路樹などのあるところにも来るということ。
で、このツグミは、渡来当初は群れで確認され、
山地の木の実などを食べ、この木の実がなくなって来ると、
次第にバラバラに分散していくのだそうであります。

この小さなカラダで遠くシベリアまで
長躯旅を続けていく連中なのですね。
野生の躍動感をたっぷりと見せつけてくれて、
一服の清涼感をみるものに与えてくれるなぁと。
パソコン画面を見続けて疲れた目をしばし楽しませていただきました。
元気に旅を続けて貰いたいものだと思います。
おお、こっちもそろそろ出張の山がやってくるのだった・・・(笑)。

<その後、コメントがあり、
この鳥さんは、ヒヨドリだということです。訂正致します。>

ふと疑問。ふとんと毛布の上下関係論

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ときどき、書斎的な仕事が集中してくる時期があります。
根を詰めて、論理的あるいは説明的な構築をしなければならない時期。
そういうときには、会社からも近い元事務所でもある自宅書斎で呻吟。
いわゆる「創作」的な仕事というのは、なぜか「行き詰まる」(笑)。
で、よく「ゴロッと横になる」。そうすると、ベッドが必要になる。

ということで、本日はふとんと毛布の上下関係。
ちょっと飛躍して無理矢理感ハンパないかも知れませんが、お許しを(笑)。
わたしは生まれてから半分、30年間ほどは
いまの羽毛ではなく、綿のふとんにくるまれておりました。
そういうころには、毛布というのはカラダに直接触れていた。
その上に綿の布団が乗っかっていた。
で、30数年前頃に、ふとんが羽毛布団に変わった。
ちょうどわが家を新築した当時にも当たっていたので、
家中高断熱で、羽毛布団だけでずっと過ごすことが多かった。
その後出張が極端に増えてきて、旅先の布団も羽毛が多くなったけれど、
寒い時期になると、出張先ホテルでは夜の寒さに耐えられなくなってきた。
そこで「あの、毛布ください」と頼んで、掛けて寝る機会が増えてきた。
そのころから羽毛布団の下に毛布を掛けるか、
それとも羽毛布団の上に掛けるか、考えるようになった。
当初は、それ以前のように中に入れる掛け方をしていたのですが、
どうも具合が良くない、違和感が増してきたのですね。
羽毛布団の肌ざわり・寝心地に慣れたせいなのか。
で、一度、羽毛布団の上に毛布を掛けてみた。
そうすると、羽毛布団の体感と毛布の保温性がマッチして
まことにちょうどいいということに気付いて、
以来、ずっと上に掛けるようにしている次第。
ただ、なんとなく体感的にそうしているだけだったので、
世間常識的にはどうなのか、あんまり知識がなかった。
自分はちょっと常識的ではない特殊な寝具利用習慣なのではないかと、
内心ちょっと不安なまま、ここ30年間以上過ごしてきていた(笑)。

こういう「ちょっと自分は違うのかなぁ」感の疑問解消には
インターネット情報というのは、まことにちょうどいい。
で、わたしのような疑問を持っている人も多いことを知りました。
いろいろな情報を総合すると、やはりわたしの体感は常識的なのだそうです。
羽毛布団では、毛布は上にかけた方が合理的とのこと。
長年の喉の奥の支障が解消したような、晴れ晴れ気分であります(笑)。
日本人の寝具が羽毛布団の登場で大きく変わったことが
こうした生活習慣の変化を生んだのでしょうが、しかし、
こういった変化は、情報としてあんまり拡散はしていないと思われますね。
閑話休題のテーマでした。 さて、書斎仕事、集中するぞ!

古代ヤマト王権 各地支配者への威信財授与

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年末に行った中国地方の旅、
家族にガマンしてもらって、出雲大社隣の博物館を駆け足で見学。
で、この島根県立古代出雲歴史博物館での展示からであります。
この博物館、おおむねの展示については撮影が許諾されています。
きっと、大いに拡散して欲しいと言うことを願ってのことなのでしょう。
古代の出雲大社本殿の模型など、わかりやすい展示に工夫している。
そのなかで、きょうは古代ヤマト王権から出雲の支配を授権された
首長の「威信財」の様子についてであります。
キラキラしたる装飾性について、かなりこだわっていた様子がわかる。
権力を行使する人間の「神聖性」主張がわかりやすく伝わってくる。

日本に成立した古代の「神聖王権」では、
各地域の実質的支配者、首長に対して中央王権の側から
さまざまな「威信財」授与が大きな政治的意味を持っていたとされている。
古代の「権力機構」は、その正統性について、わかりやすいかたちを
求めていたのだろうと思います。
なぜ自らがひとびとの上に立って、支配命令することが出来るのか、
その説得の意味で、キラキラしたものというのが、
この時代、もっとも「神聖性」を訴求できたのだろうと思われる。
ヤマト王権に先行した出雲の分権的な権力機構は、
銅剣や銅鐸を贈ることで、その地域での権力の装飾性を高めたのだと思う。
吉野ヶ里遺跡でも、その地域の権力者は、
金属加工の専門集団や、陶器生産の専門集団などを
自らの権力機構の主要なパートとして利用していたとされる。
弥生式農耕、コメ生産には労働集約化と金属製農具の利用が欠かせなかったことを
このことは明瞭に表していると思える。
出雲王権からヤマト王権への「国譲り」故事には、
この金属加工技術での、銅製品から鉄製品への変化の側面があると思う。
このジオラマの説明では、
「6世紀後半、太刀や馬具がもっともきらびやかだった時期の
出雲西部の大豪族の装いを、出雲市内古墳の出土品から復元しました。
身につけた冠や太刀、馬具などは、いずれもヤマト王権への奉仕に対して
与えられたもので、かれが出雲西部で最高位の豪族であることを
ヤマト王権が認めるものでした。」と、されていた。

さまざまな考証を経て、こういったジオラマ制作はなされているのでしょう。
はるかな時間を超えて、支配や権力という営為について
まざまざとなにかを伝えてくれていると思って見ていました。

どうやらドカ雪到来、むむむ

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さてさて、きのう東京、関東圏で大きなニュースになっていた
「大雪」ですが、きょう明日は北日本、とくに北海道直撃ですね。
こういう太平洋岸を爆弾低気圧として通過するヤツは
札幌、道央圏は案外影響が出ないケースが多いのですが、
今朝5時前の段階でそとを確認したところ、
ついにことし初めての「ドカ雪」到来のようであります。
でもまぁ、いまのところの目視では20cm〜30cm程度の積雪ではないかと。
ただし、この雪の降りようではかなり長時間、降り続きそうです。
たぶん、きょうから明日いっぱいまで除雪に追われると思われます(泣)。

そういうことなので、
ブログをゆっくりと構想して書き綴るのは、本日は自重して
雪国人としての業に従って、従順に雪とふれあってきたいと思います。
別にそんなに仲良くはしたくありませんが、
「お〜〜い、遊ぶべ〜〜」と呼ばれている以上、
覚悟を決めて、どうせならにこやかに対応したいと思います。
でも、昔、20年くらい前に
この時期に道東道北の各地を取材で行脚していた経験があります。
5〜6年続いていたのですが、どうしても大雪に遭遇しました。
一度など、それこそ猛吹雪の中を雪中行軍。
中標津から弟子屈までの夜間通行で、中標津を出発したら、
すぐにその道は「通行止め」になったなかを走った。
いや、走れずに、道路脇のポールを1本1本確認しながら
「止まったら、吹きだまりで助からなくなる・・・」とノロノロ運転。
幸い、カメラマンとのふたり旅だったので、
お互いを励ましながら、恐る恐る走行した。
30数キロの道のりですが、途中、すれ違った対向車は1台のみ。
道の半ばほどにシェルター状の「防雪」トンネルがあり、
そこでのビバーク、緊急野営すら考えたのですが、
しかし吹雪の状況から考えて、こっちの装備も不安で、
しかも緊急用の食料も持っていなかったので
そのまま、再度トンネルを抜けて吹雪の中に突入したのでした。
やっとの思いで弟子屈の街の灯がおぼろげに見えたときには
生まれて初めて、命の危機からの脱出感を味わった次第。
出発が午後6時頃で、当日宿泊予定の温泉のホテル到着は午後9時半頃。
とっくに食事時間は過ぎていたのですが、
残り物を食べさせていただいて、お風呂に入って
ため息を腹の底から絞り出していましたが、
疲労感、その残留感がなかなか抜けなかった(笑)。

まぁ、北海道にいれば、年に1回か2回は、
こういうドカ雪はかならずやってくる。しょがありませんね。むむむ。

2016冬本番、雪本格化

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小雪傾向をブログで書いておりましたが、
ついに本格的な冬、降雪が札幌にもやって参りました。
折しも札幌雪まつりのシーズン到来でもあります。
やっぱり雪の量は、シーズンを通せばそう大きく変化はないのでしょう。
ここまでの小雪に感謝し、これからの雪に対処していきたいと思います。
本日は、関東・東京でも大雪の知らせですが、
みなさん、気を付けてください。

ということですが、
写真は隣家がことしから導入された除雪機。
新築の25年ほど前当時にはわが家もロードヒーティングでの
融雪をしていたのですが、
やはり石油価格の高騰もあって、やがて断念。
どう考えてもサスティナブルな選択とは言えませんでしたね。
いまは雪の日にはおおむね1時間半程度をかけて、自宅と事務所の除雪を
手作業で行っております。
健康維持の面ではたいへん好都合とはいえ、
やはり除雪が続くと身体中のあちこちから悲鳴も上がってくる。
ここ数日の除雪作業でも、もうすでにカラダが痛い(笑)。
みなさん同じ悩みを抱えられていることは明らか。
そういうなかで、こうした除雪機購入というのもひとつの手段。
ただ、除雪機は自宅程度の面積ではもったいない。
わが家は事務所スペース50坪ほどの除雪も必要なので
検討しているのですが、その場合、近いとはいえ、300mほどの
距離があるので、機械の運搬をしっかり考えなければならない。
あのノロノロの動きで往復600mというのも非現実的。
さりとていちいち自動車への積み下ろしも
考えるだけでも面倒くさい、う〜〜む、というところ。
で、その上、除雪機ってメンテナンスが大変。
最大の難敵は雪の中にある石などの機械破損原因物。
カミさんからその経験者の話を伝え聞いて、躊躇しているのです。

しかし、高齢化の進展を考えると、
このまま、体力勝負というのも辛そうであります。
きのうは豪雪地帯の三笠の親戚を訪ねましたが、
雪との戦いには除雪機は必要不可欠という状況。
・・・というような雪国らしい悩みは、変わりなく押し寄せてきます。
お隣さんもわが家前の一部にもこの除雪機出動してくれています。
「どうせだから・・・」というお申し出なのですが、
それもそれで恐縮してしまいます。
悩み多く、雪との戦いが続く札幌の冬であります。

シメのさっぽろラーメン横丁

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先週金曜日には、札幌の住宅関係団体・ソトダン21のセミナー。
東大准教授の前真之先生、札幌の建築家・照井康穂さんの講演でした。
それぞれに興味深いテーマの講演で、また追って触れたいと思いますが、
年明けで「あけまして」というあいさつの集中特異日。
会う人会う人、みんななので、すっかり楽しい会合になってしまい、
わたしはほとんどの会合では1次会で失礼するのですが
なんと、ふと気がついたら2次会にまで参加しておりました(笑)。
まぁ別に気絶していたわけではないのですが、
ついつい、という昔の「ノリ」が出てしまった次第。

で、そうなると、2次会終了後も勢いがついてしまって、
昔のススキノ逍遙クセが出てしまいまして(笑)
「あの店はどうしているんだろうか?、お、ここはあったはずだよなぁ」
などと「酒場放浪記」を勝手に自己演出しておりました。
三つ子の魂百まで、といいますが、
どうにもこういうのには困った次第であります。
で、数軒のお店を「ハシゴ」、といっても空振りが多かったのですが、
その後、歩き疲れてお腹が減って
ついつい寝る前にも関わらず、「シメのラーメン」を食べたくなった。
こういう店選びの逍遙もなにか懐かしい。
年齢とともに、アブラギッシュ系の味付けはカラダがつらくなってきて
「とにかくあっさり」系を探し求めるのですが、
なかなかそういうのは絶滅危惧種になっている。
どうしても目立たないあっさり系はPR効果が薄くて、
ギトギトアブラギッシュ系の跳梁跋扈であります。
そんななかで、「弟子屈」というお店がなんとか目にとまった。
ここは、たしか、わが家の近く西区にもお店があった。
で、いちばん「とにかくあっさり」系とおぼしき塩ラーメンを。
「あの、麺は柔らかめで・・・」
これに店特製のコショーをたっぷりとふりかけて、すすらせていただいた。
考えてみたら、食事会では最初の乾杯をさせられて以降、
ほとんどお話しばっかりで、食べ物はごくわずかしか食べていなかった。
そこにたくさんのお酒が胃の中に流し込まれて
お腹はずいぶんとつらい日だったようなのです。
そういうなかには、この塩ラーメンはなかなかやさしい。
こうやって深夜に食べてしまうと翌日不調のことが多いのですが、
きのう1日、そんなことはありませんでした。
久しぶりの夜中のシメのラーメン、ごちそうさまでした。

中国経済危機、チャイナリスク炸裂

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年初来の中国経済危機が、いよいよ危険水域になって来たのかも知れない。
折しも、きょう16日にはAIIBの発足式典というのがあるそうだけれど、
そこに習近平が姿を見せる。
どういったメッセージを出すつもりなのか、
ほぼ破綻の様相を見せている「共産党による株式市場管理」について、
世界は大きくその余波を受けている。
その責任者として、収拾への道筋のプランが提示できるのか。
この間、株式市場運営で不透明な操作を繰り返す共産党支配には
中国人自身がまったく信用していないことがあきらかになった。
なりふりかまわぬ株価維持への資金供出に対して
中国の株式市場はひたすら売り圧力をかけている。
まさに自業自得のような局面に立ち至っている。
さらに窮していけばそもそも「売る」行為に対して厳罰でも科すのではないか。
共産党独裁であれば、そういった選択肢さえ繰り出す可能性がある。
そんな危機を生み出し、世界経済にも危機を波及させている中で
どうしても顔を出さなければならないこの場で、
中国独裁政権の「指導者」は、なにを語るというのだろうか。
リーマンショックはまだしも、民主主義で信認された指導者が
市場に立ち向かうことを明確にして、危機離脱のために対応した。
そうした「資本主義の構造から来る危機」には、
これまでも何度も歴史は遭遇し、経験値を積層させてきている。
しかし歴史は皮肉にも、共産党独裁のまま経済発展した国に
こうした危機という「本格的試練」を課しているようにみえてならない。
こういった危機に習近平政権は対応力があるのだろうか。
市場原理がそこに働けば、困難であっても、市場自身が
自律的再生の道を探るようになる。
しかし共産党独裁権力では、悲観的にならざるを得ない。

どうやら人類史がなんども経験してきたような
「中国国家の破綻」が、ふたたび生起しようとしている可能性もある。
あってほしいとは考えないけれど、
東日本大震災を経験して、どんな歴史的大事件、大災害も
起こるべくして起こるのだと身をもって知ったことも考えれば、
いま、そういった歴史が歯車を回す局面なのかとも思う。
こういうことは過去にも起こったのだし、
そういった教訓に踏まえれば、その必然性はあるのだ。
どんな大津波が襲ってくるか、
未曾有のことが起こりうるけれど、そこまで考えてムダではないような
そんな事態が進行している可能性がある。
日本史で、中国の「革命」によって、日本がどのように影響を受けたか、
そういった経験値を再考してみる必要がある。
古代には、大量の「難民」が、日本列島にやってきたことがわかっている。
秦という地名は、京都太秦に残っているし、
朝鮮からだけれど、百済からは王族も含めて集団移住で
関東に入部したとされている。
中国の動向から世界は波乱の様相を強めてきていると思います。

<写真は無関係。直島のパビリオン建築とおぼしき建物>

無事、健康診断クリア!

2692

きのうは、やや緊張気味に健康診断へ。
運動不足とおいしい食事、年末年始の会食続きの結果が
どのような診断結果になるか、不安いっぱいで出掛けた次第。
星旦二先生のお話しを聞いてから、
「世界中では、やや小太りで良く動けて、体温高め」というのが、
健康長寿の表れである、ということを信じることにして
あんまり気にせず、食事にもこだわらない生活を続けていました。
そういうことなので、一般的な「医療」体制の側からは
重箱の隅をつつくような指摘が出ることを覚悟はしていた・・・・。

結果としては、まったく予想通りの結果でありました。
体重は対前年比1kgほどの増加。
その結果が血液検査での数値のいくつかに影響して
「健康」の範囲から若干の幅、2〜3%程度の割りでオーバー。
その範囲でも、お医者さんからは「可能性がある」というようなお話し。
神妙には聞いていた次第ですが、
わたしとしては星旦二先生のピンピンコロリ健康を目指して
こういう重箱の隅みたいなことは気にしないで、元気に体を動かし
健康に食欲を増進させ、バランスの取れた生活をしたいと思います。
ご忠告ありがとうございました。
・・・なんですが、年々あの「バリウム」検査がきつくなってきました。
わたしは20代末に「胃潰瘍」で入院した経験があります。
胃カメラも辛いのですが、バリウムもきわめて辛いのであります(泣)。
はじめてバリウムを飲まされた当時は「下剤」もいただけなかったことがあり、
体内であの液体が硬化してしまって、排出に往生したことがある・・・。
それ以来、直後にしっかり下剤を飲んでいるのですが、
きのうはどうやら効き過ぎのようで、1日、トイレの近くで過ごしていました。
結果、体力をだいぶ消耗したようで、早々に爆睡・沈没していました。

この「胃潰瘍」については、
その当時お世話になった病院で退院の時に、主治医の先生から
まっすぐに目を見つめられながら、暗い声で
「潰瘍は、かならず再発しますから・・・!」っていうような
地獄の底から絞り出すような「強・暗示」にも似たお言葉をいただいた。
そのお話しを聞いたとき、
「おいおい、ようやく退院って言うときに縁起でもない」と
強い違和感を医療側の姿勢というものに感じたことがあります。
で、強く「絶対に胃潰瘍は再発させたくない」と決意致しまして、
おかげさまで、その後35年間ほど、この胃潰瘍とは無縁の状況です。
自分で制御できないようなストレスは一切溜めないように意志を固めた、
っていうことが大きいと思っていますが、
機縁をもらったその時の先生には、今はむしろ感謝しています(笑)。

っていうような次第で、ことしも定期健診クリア。
で、帰って来たら、写真のようなおいしいイチゴが待っていました。
住宅関係の情報通、宮城の酒井さんからのプレゼントであります。
農家も営んでいる酒井さんのうれしいお土産。
まことに楽しくいただきました。ありがとうございました!