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【歴史好きにも未知だらけの関西ニッポン】



難波京、という日本史上のエポックがあった、ということ、
この大阪の歴史博物館に来るまでほとんど知識がなかった(泣)。
古代の「都」という概念では、大王が住まうところという意味合いが強く、
その「座所」は点々と移っていったという認識だった。
そういうなかに大阪平野地域でも仁徳などの座所はあったという理解。
ようやく奈良に至って、本格的な中国式の条里制都市が営まれた、
というような理解がわたしが学習した40-50年前の常識だったと思う。
王城と都市が一体となったものが実質的「都」だという認識。
そういう時代からもう半世紀も経っているのだから、
歴史理解常識も大きく変わってきてもいるのでしょう。
もう一回小学校からの「日本史教育」を受け直してみたいと思う日々(笑)。

たしかに大阪地元ということで
やや肩入れしている部分はあるでしょうが、
実際に「大極殿」とか、「朝堂院」とかの比定地が発掘され、
復元もされている。(大阪城ともそう離れていないのは面白い。)
なんといまは高速道路の主要ポイントになっている。
時代は変わっても「要衝地」であることには変わりないということか。
やはりこの40-50年で飛躍的に各地で考古的発掘が進展して
文書主義的な行き詰まりを大きく打開するようになってきたのでしょう。
それが、インターネットという知の共有化も進んでくることで
大きくダイナミックな進展が起こってきているということ。
そういう意味ではわたしのような歴史好きには面白い時代になって来た。
北海道島の歴史考古でも、興味深い説が数多く発表され、
アイヌの歴史、みたいな学究も進んできているように
各地域ごとで多様な探究が爆発的に進んでいる。
そもそも歴史というのは、多様性そのもので進展するものなのでしょう。
たとえば、現代という時代を一個人が一刀両断的に「理解」するのは
気の遠くなるような大事だということはすぐにわかる。
過去においても、複雑な社会が時間の経過とともに推移してきたので
混沌とした「事実」と「痕跡」は積層していくものなのでしょう。
「大極殿」「朝堂院」などが比定されたとしても、
必ずしも「都」といえるのかどうか、権力の質も考えなければならない。
最近の教育では、知識の「詰め込み」には力点を置かず、
自ら「考える力」の涵養に務める方向に変わってきているとされている。
「どうしてこうなるのか」について学ぶ側で討論したり、
仮説を立てて検証していくという「学習」に変化しているようです。
そんな様子を見ていて、やはり再度小学校からやり直したいというのは(笑)
さて、わたしだけの思いでしょうか?

【札幌の年間積雪量は6立法キロメートル超】


さてしばらくは北陸などのみなさんには申し訳ないほど、
やや小雪であった札幌ですが、ここにきて大雪です。
本日は目視で約30cmくらいは積雪深度があったようで、
早朝6時前から7時過ぎまで、約1時間半ほどたっぷり除雪作業。
やはりシーズン終盤に向けて、帳尻はしっかり合ってくるようです(泣)。

先日の日本建築学会・地球の声委員会見学の折、
中国南部揚子江よりも南から来ていた留学生の平(ピン)さんという女性。
たまたま、帰りのクルマで同乗できたので、
いろいろ楽しく会話をすることができました。
お国はまさに南国で、雪なんかもちろん見たことがないそうです。
また、中国全国としても積雪の地域はごく限られていて
中国人社会として、積雪への感受性はほとんど持っていないようでした。
そこで出てきた質問です。
「サッポロには1年間でどれくらいの量の雪が降るのですか?」
ということで、積雪量の計量単位を説明して、垂直方向で約6m超であると説明。
これは世界の都市の中でも飛び抜けて巨大であること、
そもそもそういう積雪地域に人類は「都市」を作らなかったけれど、
明治政府以来、日本社会が取り組んだ北海道開拓という超長期国家プロジェクトで、
対ロシアの国防の観点からもそれが推進されてきたことなどを
ときどき英語も交えて説明していた。
しかし、どうもわれわれ日本人と受容する感受性ポイントが違うようだ。
どうも彼女は、積雪するその雪の「総量」単位を明確にして欲しいようなのです。
そこで同乗していた建築家の照井さんがやおら、スマホを扱いだした。
「えっと、札幌の平均降雪量は平年で約6m。それに面積が1,121 km²、
掛けていくと、え〜〜と」
ということで出てきた答えが
「約6.2までは良いんだけど、その単位が立方キロメートル・・・」
という笑顔ながら、驚愕の表情であります。
「え、立方キロメートル? それって、」
「そうです、タテ1km、ヨコ1km、高さ1kmの立方体が6つ以上」
「タテヨコはわかるけれど、高さが想像不能(笑)」
というような結果が出て、ようやく平(ピン)さんからニッコリ了解してもらえた。
東アジアでの国際理解、一歩前進であります(笑)。
帰ってきてから、この「立方キロメートル」という単位をなんとか感覚的に、
いろいろ考えてみるのですが、なかなかいいイメージがない。
換算データでは、お米にすると330億石以上ということ。
江戸時代の全国のお米の生産高は3000万石といわれていた。
1石というのは、おおむね人間が1年間に食べるお米の量とされている。
なので、雪をお米に置き換えると江戸期の人間が1000年以上、
食べ続けられる量に相当する・・・、
う〜〜む、なんかよくわからない。
でも、さすがに白髪三千丈の国の人であります。ポイントが違う(笑)。

【劇的な世代差 大変容進行中のニッポン】

昨年の秋の総選挙以降、現状変更の要素が少ない日本民主主義ですが、
そういうなかで行われた先般の「沖縄県名護市長選挙」。
各種選挙でも最近聞いたことがない76.9%という高い投票率ということで、
たいへん注目度の高い選挙だった。
上のグラフは地元テレビ局のOTVが調査した世代間投票傾向分析。
よく拡散されているグラフのようですが、くっきり世代差が表れていて驚いた。
現職だった稲嶺さんは、米軍基地の辺野古移設反対派で、
それよりも身近な市政を訴えた新人・渡具知さんに敗北した。
投票者数は37,524人。
▽名護市長選開票結果    
20,389 渡具知武豊 無新
16,931 稲嶺進 無現
選挙結果はそのままの民意ということですが、
若い世代、50代までとそれ以降の世代間で
まことに明瞭に投票先がくっきりと傾向が分かれている。
ふつうの世代間相違であれば、もうすこしグラデーションを示すだろうに、
世代ごとで、あまりにも真逆の傾向があらわれた結果。
これが全国的な世代間傾向とまではただちには言えないでしょうが、
それにしてもこれまでの「常識」が大きく変わってきていることは明白。
わたし自身は60代なので稲嶺さん支持傾向の大きい世代に属していて
その年代の「気分」は良くも悪くも腑に落ちる部分がありますが、
やはり若い世代の判断には、そこにどういう「社会変化」が見られるのか、
大いに知的好奇心をそそられると思っています。
投票率が高くなれば、若い世代の意志がより大きく結果に反映される。
この「民意」の傾向は大いに解読し続ける必要がある。

よく言われるのは既成メディア世代とインターネット世代の意識差。
高齢世代では朝日新聞とかNHKとかの情報に盲従するのに対して
若年世代ではそういうステレオタイプの情報摂取をしていない。
端的にはYahooトップページのニュースで情報を取捨選択している。
インターネットポータルでは、報道はユーザーのクリック数が
反映されて上下順が変動していくとされている。
いわばユーザーニーズによって、朝日であろうが産経であろうが、
情報の受け取り方にマスのメガ意志が反映される。
ふつうの感覚がふつうに表現されるといった方がいいのかもしれない。
そこには「こうであるべきだ」という教条的ドグマは入り込みにくいのだ。
もうひとつ感じるのは「保守・革新」という仕分けの固陋さ。
いまの世界で、北朝鮮のような狂気の独裁国家があるなかで、
あの国は仕分けで言えば「革新」の側というのが常識的理解でしょう。
この一点だけで「革新」という側は国民大多数の支持は得られない。
コトバの常識的意味合いで、革新という仕分けが無価値になっている。
北朝鮮によって革新の方が狂気に近いという民の常識が育ってきている。
これまでは若者は「革新的」という潜在的刷り込みがあって
その仕分けでは現状は「若者が保守化している」ということになるだろう。
そういう状況を「なげく」というスタンスを取るひともわたしの同世代には多い。
しかしそうではなく、若者が人類史的に未来的であることはいまも不変なのだ。
むしろ、既存の「仕分け」の側に間違いがあるということではないか。
たぶん、朝日新聞などの既存政治的メディアの情報の作り手は
ここの認識で、相当に「守旧派」になってしまっている。
既存メディア側は、一度こういう民意の大変容を謙虚に考え直したらどうだろうか。

【がんばれ、地元情報で大雪とたたかう福井新聞】

37年ぶりの豪雪に見舞われている福井県。
ふだんの年では考えられないほどの積雪深に市民生活がマヒ状態という。
福井市で16日現在77cm、平年比513%だという。
同じく札幌市は63cmで平年比83%。平年比がハンパない。
国道8号での道路渋滞で動かなくなった車列の映像は生々しかったのですが、
また、今週も大雪が予想されているという。
北海道は毎年のように積雪が、たとえば札幌では6mを越すし、
ニセコ地区では軽く8mを超えているようですが、
こちらでは常態なので「備え」があり生活インフラが脅かされることはない。
そういう雪国として、北陸の暮らしのたたかいにエールを送りたい。
しかし平年比5倍を超すという事態は想像を超えるでしょうね。
そんななかで、インターネットからの情報で
地域新聞社・福井新聞社の地域情報発信のニュースにふれた。
「全国ニュースと地元紙、この記録的大雪を
どのような視点でとらえて伝えたのか」という視角からの情報。
<以下、やや長文ですがYahooニュースからの要旨抜粋>

〜2月5日朝、同3日から降り始めた雪は福井市にどんどん積もり始めた。

 
地元の福井新聞社は、雪に慣れている福井県民は積もり方を見ながら
早めに行動すると予測。午前10時15分には福井新聞ONLINEで今後の大雪に
警戒を呼びかける気象情報を掲載。 「これはただごとではない」

 
その後も目に見えて増えていく積雪に、同社編集局はそう感じた。
午後からは公共交通運休や積雪などのデジタル情報発信を随時続けた。
翌6日、福井市内では1日に50センチを超える激しい降雪となり、
除雪が追いつかなくなった。この日午前から国道8号で動けない車が出てきた。
午後からは立ち往生した車列の様子が全国的に報じられ始め、
福井市の積雪は五六豪雪以来37年ぶりに130センチを超えた。
そういうなかで、福井新聞デジタル版では
2012年本格的にデジタル有料サービスをスタートしてから初めて、
同日から紙面イメージ無料公開に踏み切った(16日現在継続中)。
「雪捨て場やごみ収集の情報は、地元の人しか読まないでしょう」と
スタッフはいう。メールやSNSによる要望の多かった渋滞交通情報の発信を、
できる限りに応じようと判断した。
自分たちも「同じ大雪の中で生活する県民」という視点と、
五六豪雪当時にはなかったSNSの活用が生活密着の情報発信につながった。〜

まことに地域密着での機敏な対応に打たれます。
さらにその姿勢を強く感じさせられたのは、全国情報がいっせいに
国道8号の渋滞について「ほぼ渋滞解消」と報道した時点で
地元県民向けには不適切とスタッフが判断したこと。
〜われわれまでが『ほぼ解消』と報じたならば、地元県民は
『解消した』『間もなく解消』と解釈し、国道8号へ向かうかもしれない。
その結果でどのような悪影響が起きるか、と考えたのだという。
「顔が見える地元新聞社の責任。

当事者にとってのニュースを伝えるのは
地元紙だけだと感じた。一層県民視点で報じたい」
福井新聞の大雪報道はまだ続いている。〜

伝える内容は違うけれど、メディアとしての情報発信の本質の部分で
深く感じさせられるものがありました。
こういう暮らしへの想像力をしっかり持ち続けていきたい。

【環境住宅とは「いい居心地」の探究】

日本人は北海道に集団移住するようになってから
住宅というものの意味についてより深く考えはじめるようになった。
明治以前にはごく局所的にしか、この列島北端の島には日本人は
住んでいなかったのは、日本社会の基本である米作に適していなかったから。
そういう土地に経済的魅力を感じていなかったということでしょう。
長い積雪寒冷期を持っていて、夏場の気候安定期が短い。
なにより、民族的な住宅技術である木造構法には
寒冷気候への対応力がほぼ考えられていなかった。
その日本の住宅建築技術が、多くの先人たちの努力で革新されてきた。
明治の革命政権政府は、北海道への移住を勧めるために
多くの「補助金」を支給したとされる。
その魅力に釣られて移住した人々は、しかしあくまでも「出稼ぎ」根性で
開拓期の社会混乱の中で「一旗揚げて」その郷里に帰還する気分だった。
なので、補助金を与えて永住的住宅建設資金を出しているのに、
建てられた「住宅」は、ごく間に合わせの仮設的小屋ばかりだった。
司馬遼太郎さんの北海道住宅についての取材記述によれば、
そうした小屋で火事が多発したとされる。
それは単に火の不始末だけであったかどうか、という側聞を書かれていた。

そういった経緯まであったように、
北海道では官民を挙げて、この地で人が住み続けられる住宅に
情熱が注ぎ込まれてきたと言っていい。
今日でも「北方型住宅」とか、「きた住まいる」といった
「地域住宅施策」に社会背景的根拠があるというのは、北海道だけでしょう。
積雪寒冷という気候風土条件から自由な居住環境を実現する
「環境性能」努力を、150年以上北海道地域は続けてきた。
世界でもこうした寒冷対応住宅技術は、北欧や北米などで
この数十年において実現された「環境技術」であることは明白。
日本中央の無関心とはまったく別の地平で、北海道は北欧や北米と連携し、
「環境性能技術」を創造してきたと言えるでしょう。
寒冷地で「断熱気密」工法開発努力が重ねられたことが無視されたりする
そういうことには、強い違和感を持たざるを得ない理由です。
結局、住宅がもとめるものは、住む人を安定した環境でつつむこと。
いま、温暖地域でも冬の寒さ、夏の暑さへの室内居住環境対応が
ごく常識的に求められるように変化してきている。
できればそういったみなさんに、あるオピニオンを持った住宅情報を
ぜひ提供していきたい、そんな思いで関西版やWEBマガジンの展開などで
拡散していきたいと思っています。
写真は大阪中心部梅田の大きな書店での「Replan関西」陳列の様子。

【都市居住のニッポン的原風景】


写真は大阪歴史博物館で展示されていた「中世都市」のジオラマ。
農耕が基本の社会では多くの人間は生産手段・農地に縛られる。
しかし、その生産物は「交易」を通して流通される。
基本は「農的共同体」としてのムラ社会が人間の「まゆ」だったのが、
それ以外の生き方として、伝統的「海民」とともに、
交易商業に専門的に携わる生き方というのもあったでしょう。
都市とはそのように生成されてきたのは間違いがない。

現代の住宅というのは、いくつのルーツがあるのでしょうが、
この「都市居住」というカタチが、ある原型であることは間違いない。
あくまでも「道」に対しての関係性が大きい部分。
中世都市では一般的に交通上の要衝地に立地した。
そういう立地要件から防衛的な土塁や塀で囲む形式が多かったとされる。
街割りは、道路に対して短冊状に土地利用が仕分けられた。
2枚目写真の「街割り」を見ると、それぞれ、
「銭屋」「薬屋」「唐物屋」「魚屋」「米屋」「武具屋」というような
主要商品ごとになっている。
銭屋と、武具屋というのが、都市の店舗として一般的だったというのが
なにごとかを感じさせてくれる。
銭屋というのは、両替や金融というような必要に対応していたのでしょう。
以下、Wikipediaからの引用。
〜銭見世(みせ)、銭両替(りょうがえ)ともいう。
銭の売買・交換をすることによって手数料を得る小資本の両替商。
中世より、替銭・割符と呼ばれる為替の前身にあたる物を扱う
「替銭屋」・「割符屋」と呼ばれる商人が存在した。また、
土倉と呼ばれる倉庫兼金融業者の活動も活発であった。
さらに、戦国時代に入り全国の金山および銀山の産出が増大するにつれ、
山師の持ち込む金銀地金の精錬、鑑定および売買を行う
金屋および銀屋も現れた。後世の両替商はこうした業者が
両替の分野にも関わるようになったものと考えられている。〜
こうした「都市」の機能から交易決済の貨幣は基本的生業。
また、これは明らかな戦争・軍事産業としての「武具屋」。
権力争奪闘争が剥き出しの武力によって行われた時代、
その道具としての武器は大きな産業であったことは間違いがない。
しかしそういう店が、魚屋や米屋と暖簾を並べている光景も
わたしたちの祖先は普通の日常性として見ていたのですね(笑)。
現代社会からは、このような「暴力性」は基本的に排除されたけれど、
そのことの方が歴史的には珍奇なことだというのも事実。
「オヤジ、この刀は人をよく斬れるか」
「そうですね、これもいいけど、こっちの方はもっとですよ」
「こっちの方は、もっと簡単にぶった斬れますよ(笑)」
「そうか、にしても高いな。オヤジ、試し斬りはできるか?」
「そりゃぁ・・・、う〜む、わかりました。罪人をなんとか都合しましょう。」
みたいな怖ろしい商売会話が成立していたのかもと、
しばしブラックユーモアの世界に浸らされてしまった(笑)。
街割りの様子から「暮らし方」への想像がさまざまに沸き立ってきて興味深い。

【風邪の猛威とLINE利用でたたかう】

この冬はことのほか、スタッフの間で風邪が流行中。
インフルも2-3人かかっていましたが、年明けから
お腹に来るタイプですっかりやられたスタッフもいました。
で、いっしょに仕事しているカミさんがついにダウンしまして、
きのう、ようやく連休明けの病院に連れて行けました。
どうも呼吸困難的な様子が出ていて、息が苦しげ。
お医者さんの見立てでは肺炎にまではなっていないけれど、要注意とのこと。
栄養補給と安静を心がけて睡眠第一と安静にしております。

そんなカミさんですが、夫が言うだけではなかなか言うことを聞いて
普段から病院に早めに行こうとはしない。
わたしはムリせずガマンしないタイプなのですが、
カミさんはけっこう溜め込んでガマンするような傾向がある。
一計を案じて今回はそんな様子をLINEで子どもたちに知らせたら、
みごとに反応して姉弟でいっしょになって心配してくれる。
もっぱら発信は娘からで、坊主からは「病院」というひと言のみ。
でも、それでカミさんには十分すぎる言葉掛けのようで、
おとなしく家族の言うことを聞いて病院に同行してくれました。
老いては子に従え、ということわざがありますが、
まことに言い得て妙なのだなぁと,思い至ります。
幸い投薬の効果はさっそく表れてきているようで
けさはだいぶ、普通っぽい体調のように思います。
わたしも今冬は鼻風邪みたいな症状が2度ほどありましたが、
すぐに医者からクスリをもらうタイプなので、悪化は未然に防いでいる。

まだまだ、寒さは続きますので、
みなさん体調管理にはくれぐれもご注意ください。
ということで、本日は身近な話題で失礼いたしました。

【モンゴル遊牧民のPV付き現代住宅】


先日の関西出張時、見学できた「民族学博物館」の一展示。
きっと日本民族に特化した展示内容では、という想像とは違って、
さすがに「万博記念公園」のなかにあるだけあって、
世界の民族についての博物、というまことに広範囲な展示館でした。
こういった展示内容とは知らずに来た当方の勘違いなのですが、
そうなると、各民族での「住まい」への対応の違い、
歴史的感覚の違いなどが面白くてこれも夢中にさせられておりました(笑)。
展示はやはり、衣食住という人間の基本に絞っているので、
そういう意味で、相違と共通性がうかがえます。
で、最近のわたしのテーマ・人類史研究で未経験の非農耕の暮らしに
一番近縁性がありそうなモンゴル・ゲルに惹かれていました。
「遊牧」というライフスタイルは、狩猟採集ではなく、
一種の農業形態というように見なせるのでしょう。
〜天然の水,草を求めて定期的,周期的に移動しながら
家畜を飼育する粗放的な牧畜形態。一般に放牧形式がとられ,
一定期間定住して牧草が乏しくなると新しい土地へ移動する。
移動方向は,ツンドラや乾燥地域では水平移動が行われるが,
高山地域では山と谷の間の垂直移動がみられる。
家畜は地方によってさまざまであるが,牛,羊,やぎなどが多い。〜
<以上、コトバンクよりの引用>
主要な「生産品」は乳製品となるそうですから、農業の一分野でしょう。
しかし、農業一般の「定住」ベースではないので、
住宅という概念で考えるとかれらの移動住居というのは、
そのルーツは狩猟採集時代、石器時代以来の住文化を
ある部分では継承しているのではないかと類推させる。
そんな先入観で見ていたのですが、展示されたゲルには、
先端的な衛星放送アンテナや太陽光発電装置などが付設されていた。
こういった現代エネルギー装置の導入が目覚ましいということ。
「木製の格子を広げて地面に立て安定させてフェルトで覆う。
入り口から入って右側に台所があり女性の座とされる。
反対の左側が男性の座とされる。」と説明されていました。
空間デザインとしては、フェルト越しの柔らかな光環境、
構造の木格子が基調を構成していて、
ほぼ円形の間取り感覚もあって、むしろ未来的デザインを感じた。
エネルギーの面でも、こういう非都市的、非定住的な暮らし方を
現代的エネルギーは大いにサポートする面があると気付かされた。
移動性と居住性との接点として、興味深い住居形式だと思います。
それと「男の座、女の座」というのは朝鮮民族とも共通し、
日本とも連関性が高いと思われます。
広さも現代の夫婦を基本とした関係には適度なサイズなのかも。
この骨格構造の格子の寸法規格を今度調べたいなぁ・・・。

【新千歳と仙台、空港で感じるにぎわい差】

仙台から帰還しました。
金曜日から日曜日の3日間の旅程で各種取材、訪問活動。
いろいろ取材もあったので、そういう報告もまとめますが、
今回は飛行場のにぎわい、とくに新千歳空港の混雑ぶりがハンパなかった。
相対的に仙台の方は乗降も非常にスムーズでした。
折からさっぽろ雪まつりシーズンということもありましたが、
新千歳出発ロビー階の混雑ぶりはまさに異常な状態。
団体のみなさんなどが広い通路部分に並んでいたりするので
ヘタをすると「足の踏み場もない」ような状況が現出していました。
利用客もまことに国際色豊かで国内線路線だというのに、
日本語の話し声は少数派というような印象。
国内線旅客利用では2016年段階で、千歳は約1873万人で
羽田の約6494万人に次いで国内2位ということだそうです。
一方で仙台は速報値で約294万人。
羽田はご存知のように空港機能は実質2つにわかれていて、
しかもそれぞれで乗降口が千歳の3−5倍くらいある感じで、
たくさん歩かされるけれど、スムーズには「通過」できるように思う。
それに対して千歳は、乗降口が20くらいしか整備されていなくて、
とくに最近のLCの乗り入れ増加で爆発寸前ということなのでしょうか。
羽田に対して30%くらいの乗降客があるのに、
インフラ環境としては、かなり整備の遅れが目立ってきた。
参考にしたのは2016年段階データからのものですが、
その後の中国客の個人旅行の増加、国内線の利用増加を考えると
いまは、羽田の4割くらいまで伸ばしてきているのではと思います。
そうした点では仙台は、その千歳の1/6程度の利用ですから、
やはり地域観光客吸引、振興という面では、ややさみしい。
東北の「玄関口」というようには仙台は機能していない面もありますが、
震災復興需要もおおむね一区切り付いてきたことを考えると、
本格的に地域への吸引策を考えていかなければならない。
民営化プランが進行中ということなので地域を挙げての振興努力に期待。
千歳の場合、ショッピングモールとしての魅力も持っていて
旅客以外の利用者もたいへん多いとされている。

わたしは比較的に多くの地域の空港を利用することが多いので
こういった地域差を日頃から肌で感じさせられる次第です。
で、きのうはカミさんが迎えに来てくれたのですが
彼女はやや風邪気味。
もう1日休みがあるので、看病しつつ休養に努めたいと思います。

【ランチの店選びで考えること】

先日、大勢のみなさんが札幌に来られた際に、
昼食のお店を選ぶ必要があった。
でも、十数人でしかもどういう年齢構成かもわからない初対面の方が大多数。
またこちらで費用を負担して「招待」する性質の会食でもない。
要するにワリカンでのランチであります。
でもその「案内役」であるので「選択判断」だけは必要という難しい設定。
ということから、東京からの来客だったこともあって、
庶民的な「札幌中央市場」場外で北海道の海産やいろいろお店が選べる
そんな地域にご案内し、各自にお店の選択肢を示すまでに留めました。
でも、一応コーディネート役として内心では決めているお店があって、
「この周辺に海鮮からラーメンまで店が選べるので、
1時間チョットランチ自由時間にしますので、いったん解散」
とアナウンス後、
「でも各自1000円負担でコスパの良い、手握りの寿司を食べたい人!」
と「この指とまれ」したら、なんと大多数の10人になった。
このあたり、呼吸はむずかしい部分があります。
せっかくの海産生鮮が人気の北海道サッポロ「中央市場」なので、
もっと豪華に「うに丼」みたいのを食べたい人もいるし、
そうではなくお腹いっぱいになる店が良い学生さんもいるワケですから、
案内側では、なかなか特定できないけれど、
最上と思われる選択肢は提供せねばならない、
そのギリギリの選択肢提供手段・方法でもあったのですね。

お店に人数も確定させて事前に連絡しておく方法もあったけれど、
そういった事前準備はもちろんできにくい状況。
なにより全行程の案内のほうが主眼でそっちの準備で忙殺もされていた。
ということで、普段からときどき個人的にも立ち寄っているお寿司やさんに
この10人で立ち寄ることにした次第でした。
最近はお寿司屋さんもすっかり回転鮨が主流で、
のれんの掛かった「お寿司屋さん」では値段がわからないので敬遠する。
幸い、この行きつけの店はネタも目利きがしっかりしていて
シャリがよくその上でコスパに優れていて、安心できるのです。
でもみなさん、どんな寿司が出てくるのかとチョット不安そうな表情。
店主が発注を受けてそこから全部手握りで作っている様を
じっくり見せられてから各自にご覧のような「大盛り寿司ランチ」が出された。
このほかに貝の「お吸い物」が付いてきます。
ネタとシャリのハーモニーはもちろんですが、
やはり寿司って、おいしくて見ての美しさを楽しみたい。
また、いつ握ったかもわからないようなのも食べたくはない。
さりとてランチでそう高額になるのは、庶民にはツライ。
そういった諸条件からは、
この内容で1000円は、そこそこ「民主的」なのではないかと。
食事後、いっしょに会食した方から
「ホントの値段からの差額分、三木さんおごっていただいたのですか?」
というご質問もいただきましたが、まったくの誤解。
みなさんの表情を見て、案内人としてほっと安心を得た次第でした。