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函館「電撃」日帰り旅

2400

さて坊主も帰ってしまって、今度は秋に
娘が帰省するまでは、しずかな暮らしようであります。
なんですが、せっかくの休みなので、今回ふたたび函館へ。
札幌から函館までだと、いまは一般的には道央道高速を使います。
ただ、これだとエラい遠回り320km以上になるので、
なるべく最短距離で向かうルートをいつも考えています。
で、最近は札幌市西区山の手のわが家から、小樽方面に高速乗って
朝里で下りて、そこから山道に入って毛無峠へ。
そこから赤井川村〜倶知安へと抜ける道を走る。
国道5号線を南下して、黒松内から道央道に乗って、
大沼公園インターまで一気に南下するというコース選択。
こっちだと、おおむね270km未満。
まぁ50kmくらいは短縮できるコースであります。
だいたい4時間程度で走行できます。
きのうはこのコースを7:3くらいの割合で運転を夫婦でシェア。
朝5時に出て、帰って来たのが大体21時半。
移動に8時間で、函館滞在は8時間半程度。
そのほかにも函館市内の移動はあるけれど、距離はごくわずか。
「疲れたら、ビジネスホテルにでも泊まるか」
と出掛けたのですが、結局は完全走破いたしました。
おかげさまで本日は、やや重たい朝を迎えていますが(笑)、
幸いにして雨模様の「休息日」になりそうであります。
ONとOFF、きっちりと切り替える過ごし方。

函館では今回は、
西部地区を中心に歩きながらの散策が中心。
まずは谷地頭温泉で、朝風呂を堪能して運転疲れを取り、

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イギリス領事館、函館区公会堂、旧相馬家住宅、古民家そば店、
北方民族資料館、函館文学館、高田屋嘉兵衛資料館、ラッキーピエロ五稜郭店
などをてんこ盛りで見て回っていました。
こう書くと、すごいパワフルな行程でありますね(笑)。
どうも歳を考えないで、突っ走ってしまいます。
まぁ、元気な内に動き回る楽しみをこなした方がいいのか、
わたしの場合には、個人的に人文的なコトの方が興味が持てるので、
やはり函館のような、歴史的な積層感が楽しい。
ただ、今回駆け足で西部地区を歩いてみたのですが、
完全な「観光ゾーン」と化してしまって、
こういう街のありようというのも、さてどうなんだろうと、
疑問も持たされました。
あちこちで空き家になっている住宅などが増えていて、
たしかに「生活の場」としての街並みからは大きく遠ざかっている。
こういった街が、ほんとうに永続していけるのかどうか、
エトランゼとしての視線と、また少し違う見方を感じた次第です。
まぁしかし、本日はゆっくり人類史の読書でもして
のんびりしていたい、と思っています(笑)、ふ〜〜〜。

お盆休み・人類学の読書

2397

さて、お盆休み、みなさんいかがお過ごしですか?
わたしは、本日は遠出してくる予定ですが、
一昨日Kindle本で購入した1冊を読み進めております。
著者の西田正規先生という方は、筑波大学の人類学教授ということ。
出版社は講談社で、「学術文庫」なんだそうですが、
読み始めてみると、本当に読みやすく書かれていて
やはり、本当の知識人とは、姿勢が「科学的」で平明であると
いまさらながら、再認識させられます。
Kindleでの内容紹介では以下のようなダイジェスト。

霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活。
不快なものには近寄らない、
危険であれば逃げてゆく
という基本戦略を、人類は約一万年前に放棄する。
ヨーロッパ・西アジアや日本列島で、
定住化・社会化はなぜ起きたのか。
栽培の結果として定住生活を捉える通説は
むしろ逆ではないのか。
生態人類学の立場から
人類史の「革命」の動機とプロセスを緻密に分析する。

という内容の本なのであります。
わたしの歴史好きのひとつの興味分野である、
巨視的な人類史での最適な1冊のように思われます。
先生のお教えでは、現生人類に先行するさまざまな人類を
すべて含め、おおむね500万年の長きを生きてきたけれど
現生人類にほぼ集約された、つい最近の約1万年前になって、
「定住」革命をはじめた、とされています。
人類史のスパンで考えると、まさに一瞬に近い中で
人類は「文明」的な暮らしようを始め、いまもなお、
その激しい生活革命のまっただ中にあるのだとされている。
わたしの仕事の専門領域である定置的な住宅など、
長い人類史で考えると、高々500世代内外で積み重なってきた
生活環境装置に過ぎないのだと、明瞭に知らされます。
誰にでもわかるように、わたしたちには、DNA的に刷り込まれた
「感覚」領域があって、そこでは太古からの祖先の
体験記憶が刷り込まれているのだと思う。
そういった感覚が、では現在の定置的な住宅という
「最新」の装置・環境の中で、どのように決定因子としてふるまうのか、
そんな強い読書動機を掻き立てられています。
・・・それにしても、電子書籍はまことに便利であります。
基本、家にいる間はkindleで読むのですが、
外出時にも、iPhone6+で、連携して読み続けることができる。
こういう読書勉強環境というのも、人類史上の奇跡的なことのように
思い知らされる次第であります。
また、現代の最高水準の知見を、
大学外でもこんなかたちで社会人学習が可能になっている。
よく言われるように、歴史は各時代ごとに研究は
「専門化」が進んでいるのですが、
その「通史」としての理解は、わたしたち凡人に可能になってきている。
まことに喜ばしい環境を人類は創造してきていることかと、
感動の思いが募って参ります。

お盆休暇、家族の時間

2396

さて、2週間ほど帰省していた坊主が東京へ帰還。
なぜこんな13日に、と思うのですが、
なにやら予定が詰まっているのだとか。
帰省していても、友人たちとの交友で家にいるのかいないのか、
っていう状態なので、ふだんと特段違いはないのですが、
そこはかとなく存在感があって、楽しい(笑)。
きのうは父母とも会合で遅くなったのですが、
帰宅後、待ちかねたように
「腹減った・・・」。
時間はもう11時過ぎだったのですが、
カミさんは大喜びで、スパゲッティ2人前を作ってやっておりました(笑)。
まぁまぁ、よく食べてくれる。
若いのが、バリバリと食欲全開の様子って、
見ていて、爽快感があってわたしは、大好きであります。
で、2週間中、ほとんどできなかった会話を。

今朝は、朝1番の飛行機なので、
家族で新千歳空港まで送っていきました。
お盆休暇で混雑を心配して、やや早めに出ていったのですが、
幸いまだ、それほどの混雑はありませんでした。
7時半前後ですから、混み合うこともない時間なのでしょうね。
子どもが2人とも家を離れて、
家族がいっぺんに会えるということも少なくなってくる。
しかし、そういう一緒にいる時間って
ごく平凡で、普通なんだけれど、
そのふつうということが、たいへんうれしい。
これから、そんな暮らし方が続いていくのだろうなと
親としての時間を楽しんでおりました。ふむふむ。

鎖国と憲法9条

2393

写真は、先週土曜日の札幌市内・狸小路の様子。
あちこちにできている待ち合わせ場所などでは
中国・台湾・欧米などからの観光客のみなさんが占拠しています。
いまや、全国的にどこでもこうした光景が普通になってきた。
日本って、この列島社会形成期においては、
間違いなく、東アジア世界でのフロンティアの地であっただろうと思います。
世界で新石器時代だったとき、この列島では、縄文時代が成立した。
他地域では依然として狩猟採集が基本だった時代に、
海岸線地域での漁労と、照葉樹の森が育んだ木の実の採集で
「定住」生活が可能になった稀有な地域だったのではないかと思います。
他の地域では、定住はすなわち農耕だったのだろうと思いますが、
ちょっと違う発展の仕方をしたのは間違いがない。
そういった時代から、大陸地域で農耕が本格的に発展し、
同時に不可欠になった「文字」記録や、「政治機構」が相対的に
「進化した文明」として、列島社会に一気になだれ込んできた。
歴史で言えば、弥生という輸入された生産様式、文明が、
ひとびとの「移住」にともなって、この社会を覆っていった。
この列島に古い時代に定住した人々を、はるかに上回るかたちで
どんどんとフロンティアが流入してきた社会なのだと。

そういう基本の社会であるのに、
ヤマト国家が成立して以降、なんども断絶を志向する流れもあった。
白村江での敗北での国家的緊張がその最初だったと思われます。
かならず、唐・新羅の連合軍はこの列島を攻撃してくるに違いない、
そんなふうに極度の緊張が走ったのだろうと。
こうした民族的な体験は繰り返され、最終的に
江戸期にいたって「鎖国」という特異な対外路線を日本は歩んだ。
その直前期までの戦国乱世への反動だったのか、
あるいは秀吉による東アジア国際関係の破壊が、選ばせたものか、
結果として、日本は一国平和主義を選択し、
基本的には進歩がもたらす戦乱や、その可能性から離脱した。
長崎の出島から、海外の動向を例外的にのぞき見てきた。
そういう日本の姿勢は、しかしペリーの黒船でもろくも打ち砕かれ、
列強による植民地支配への恐怖が一気にこの社会を覆い尽くす。
明治の開国から第2次世界大戦まで、
こうした鎖国体制から世界に目覚め、その反動から結果としての
他国への侵略行為と言われてもやむなき事態を惹起した。
そして結末としての原爆投下、アメリカによる占領。
日本は、今度は占領国による大きな強制を受ける。
それがいまの憲法であり、9条ではないのだろうか。
この国は放っておくとアメリカをも脅かす国家であり、
対外的侵略に走ると、占領国であるアメリカが決めつけ、
現行憲法というかたちで、大きく規制をかけたものであることは明らか。
そして国際政治バランスに於いて、永続的に従属関係から逃れないように
国内的には9条で縛りをかける一方で核超大国アメリカの軍が
「安全保障」を提供してきた。こういう桎梏のなかに日本はある。
わたしは、この体制はしかし、そう不幸なものではないと思っている。
そしてまた、良くも悪くも、
日本人が憲法9条に持つイメージは、鎖国と似た部分があるのだとも思う。
憲法、そして9条が持っているユートピアのような思想に
いつまでもくるまれていたい、という希求自体はよくわかる。
しかしいまや、アメリカの超軍事大国体制も、そのままの存続は怪しい。
日本の戦後の「平和」は、誰が見ても米軍の駐留が源泉で、
残念だけれど、憲法や、9条を他国がリスペクトしたからではない。
その虚構が崩れたとき、世界のだれも憲法9条を保障する体制はない。
ロシアによる白昼公然たる侵略、領土獲得行為。
中国による南シナ海、東シナ海でのふるまいを見れば明らか。
そのことが、黒船ペリーのようなかたちで、
ふたたび日本とその正当な権益を襲うことがないか、きわめて疑問。
少なくとも、政治がこういう国家の安全保障を
冷徹に論議しないというのは無責任きわまりないと思います。

ゴルフ筋肉痛&まさかの目眩

2395

きのうはあるゴルフの会合でした。
わたしは付き合い程度で、大体年に3〜4回程度。
まったく練習もしませんので、まぁなんとかついていける程度。
そういうことなので、すぐに筋肉痛などを発症します(泣)。
暑い中、その上練習不足での筋肉痛、という本日であります。自業自得。
まことにお恥ずかしい次第であります。
なんですが、きのうは暑さに負けてなのか、
ちょっと目眩を感じていて、フラフラもしておりました。
朝は家でしっかり食べて出たのですが、
昼食はゴルフが終わってお風呂に入ってから、軽食程度。
で、そこからコンペルームでのにぎやかな団欒。
考えてみると、ほとんど栄養補給のないままでの
運動後の過ごし方だった次第。
しかし、主観的にはそうは考えが及ばず、
どうもアタマがクラクラするなぁ、なんか、おかしい。
というように、不安がもたげていました。
疲れきっていたので、帰ってからもそのままベッドに。
5時頃に帰って来てから夜8時過ぎまで仮眠。
で、カミさんが帰ってきて心配してくれて
遅めの晩ご飯を食べたら、すっかり元気回復。
こういう当たり前のことに気がつかない方が、あまりにうかつ。
で、サロンパスを貼りまくって本格的に爆睡して
ようやくブログを書けるまでに(笑)、回復して参りました。
本当は、もうすこししっかりしたテーマで書くべきでありますが、
無理せず、日記風の内容でアップ致します。
あすからは、もう少し中身のある文章を心がけますので
本日はこれにて(笑)、ではでは・・・。

高田屋嘉兵衛さんと日ロ緊張緩和外交

2391

なんか愛嬌を感じさせる肖像画に描かれた高田屋嘉兵衛さん。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」に素描が描かれた北方交易の成功者です。
1796年28歳の時に、それまで船頭として業界経験を積んだ後、
独立起業して資金を集め、独自に北前船を仕立てて航海を成功させ
事業家としてスタートを切った。以来、順調に事業を拡大させていた。
かれが活躍していた時代は、まさに日ロ関係の緊張時期と符合する。

きのうまで紹介した津軽藩の斜里での越冬大量死は1807年。
この前後には、たくさんのロシア船による北海道周辺での
騒擾事件が頻発しています。
まさに日本の安全保障がきびしく脅かされる事態が起こっていた。
こういった緊張の時期は同時に幕府による蝦夷地直轄時期でもあり
伊能忠敬や間宮林蔵などの活躍時期でもあった。
近代的測量術で正確な地図を残し日本史に名を残す伊能忠敬さんは、
自分一代で養子に入った家の経済を繁栄させてから
それを50歳になってから引退し、そこから測量術を学び
さらに自費で北海道の測量を行ったのだそうです。
そのようにまでかれを突き動かしたものとは、国の危機を
ただしく受け止めて、いまなにが必要かと考え
ロシアとの緊張が高まっていた国土の北辺、蝦夷地の正確な地図を
早急に作成しなければという、民族的使命感だったのでしょう。
多くの市井の日本人が、国の安全保障のために
自分の意志で立ち上がっていた時代だったのだと思う。
日本にとって北海道という地域は、単なる一地方ではなく
なにか、近代国家樹立のための象徴性を持った地域だったのだと思う。
そうした先人の思いは、深く受け止めていかなければならない。

ちょっと横道に逸れたけれど、
こういった日本国家の北辺、領土未確定な地域で、
日本とロシアの間で強い緊張状態がある中で、
1812年、高田屋嘉兵衛さんは、国後島沖でロシアに拿捕連行される。
司馬遼太郎さんの小説ではかれはその時、
自分一個で日ロ外交を成功させたいと考えて行動したとされている。
度重なる日ロの摩擦の結果、松前で獄に入っていたロシア軍人、
ゴローニンの釈放交渉を、自ら拿捕されたことを奇貨として
自分で外交交渉まで一民間人ではあるけれど、意志したと。
確かにかれは幕府の御用も受けている立場もあるので、
まったくの門外漢とはいいきれないけれど、
事実としては、この交渉が成功したことで、日ロ関係には進展が見られ、
緊張の緩和がもたらされた。
こうした日本人のふつうの安全保障感覚が大いに機能して、
今日のこの国土領域の状況が生成されてきていることを
わたしたちは、しっかりと認識しておくべきではないのかと思います。
いまの時代の、「憲法9条」で平和が維持できるという考えと似たように
江戸の時代も、自ら鎖国し、外国とは交渉しない、
国内平和主義でやり過ごしていきたいという事なかれ主義が
主流だったのと思う。しかし、現実はそうは甘いわけはない。
このような多くの民間人も、危機を正しく認識して行動していた
そういう歴史の上に、いまの平和もあるのだと思う次第です。

北海道防衛にかけた民族的な思い

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きのう、幕末に北海道オホーツク斜里での海岸線防備に配置された
津軽藩の越冬防備が、1発の銃弾を放つこともなく
無惨に寒冷気候に敗北して、実に28%という越冬生存率だった
事件について書きました。
この事件、わたし的にはすごく重たく受け止め続けていた事件です。
司馬遼太郎さんの紀行文で初めて知ってから
ずっと北海道と日本の関わり方の基本にある事件だと思い続けていました。

しかし、書いてみて、
このいかにも犬死にのような惨たらしい死も、
日本人の北海道防衛という大きな戦いの中の1つなのではないかと
そんなふうに思えるようになって来ました。
江戸幕府は、この事件の存在を隠し続けたようですが、
それは、対外的に自国の弱点をさらけ出すことになると考えたのかも知れません。
司馬遼太郎さんは、そのままストレートに
寒冷な気候に対する日本家屋の鈍感さ、
科学的姿勢の欠如に、その本質を見たのだろうと思います。
わたしもその点はまったくその通りだと思いますが、
しかし一方で、そのような遅れた日本家屋の性能的劣悪さは
南下膨張を続けるロシア側からすると、
冬期間の大きな日本の弱点として明確に戦略に組み込まれるに違いない、
そんな危機意識があったに相違ないのだと思います。
この国家的屈辱経験から、その後継国家である明治国家が
必死に北米・アメリカの進化した住宅性能を取り入れようという
国家意志に反映されていったのではないか。
そして、さらに北海道開拓使から北海道庁に至る支配機構が
永続的な意志として、住宅性能向上を持ち続けていることに
つながっているように思えるようになったのです。
そういうひとつの起点として、この幕末の津軽藩の惨事は
重大な意味を持ち続けてきたと思えるのです。
国防という重大なテーマがあり、
その上で植民政策の大きな条件整備として、
住宅への、質的な向上努力が必須となっていった。
そんなことを、考え続けております。
いずれにせよ、無惨に死んだ、津軽藩の先人たちに
深く、リスペクトの思いを持つものであります。

江戸末期北辺国防、津軽藩の悲劇

2390

戦後70年の首相の声明がアジア近隣諸国から注目されている。
その原案とも言うべき、答申案が首相に提出されたという。
そこには、幕末・明治から戦前に至る国際情勢も触れられているそうです。
この時期は、まことに苛烈な欧米列強による植民地獲得競争の時代であり、
明治の開国前後、いま、わたしが住んでいる北海道は
ロシアに併合される可能性も非常に高い地域と、少なくとも日本側では
そういった認識が、危機意識として高まっていた。
現にいまも、北方領土はロシアによる実効支配という現実がある。

幕末、こうしたロシアによる膨張政策の最前線として
江戸幕府は、諸藩に蝦夷地防備の命令を発した。
日本海側地域や、太平洋側地域は、
松前藩支配の時代から、海岸地域に「場所」という
漁業権益領域が設定されて、日本の実効的支配が密に点在していたけれど、
オホーツク海側は、もっとも国防的に弱い地域だった。
1807年に幕府は、それまで「宗谷」警備に配属されていた津軽藩に対して
オホーツク海側の「斜里」場所への転身を命じた。
津軽藩からは百人が派遣されたという。
現地に到着したのは、7月29日。これは旧暦なので、いまでいえば、
9月1日に相当する時期だったようです。
到着後、すぐに冬になり、想像を絶する寒さに見舞われた。
Wikipediaで「過去の気温変化」と検索すると、
以下のような推定グラフがあった。

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もちろん、観測データはないので、
さまざまな手法を使った推定でしょうが、江戸期を通じて
世界的にも寒冷気候にあたっているようです。
1800年代初期はいったん大きく下がっている様子もあり、
この年、1807年の冬は相当に厳しい寒冷が
想像以上に早くやってきたものかも知れない。
たぶん、藩士たちはロシアがすぐにでも上陸作戦を展開するかもと
強い緊張感を持って現地に赴任したに違いない。
かれらは数軒の木造家屋に宿営することになったが、
その家屋は、寒冷に対して無防備そのものの小屋がけだった。
秋がないままの急な冬の到来で、食料の確保も十分ではなかったのか、
寒冷な中で、野菜不足による「壊血病」が蔓延した。
壊血病とは出血性の障害が体内の各器官で生じる病気。
ビタミンCの欠乏によって生じる。
ビタミンCは体内のタンパク質を構成するアミノ酸の1つである
ヒドロキシプロリンの合成に必須であるため、これが欠乏すると
組織間をつなぐコラーゲンや象牙質、骨の間充組織の
生成と保持に障害を受ける。
これがさらに血管等への損傷につながることが原因である。

ロシアによる銃弾以上の恐怖である「無断熱・栄養不足」が
かれらに容赦なく襲いかかった。
翌年の春になるまでに100人の内、徒歩で宗谷に向かって
消息を絶ってしまったものも含めて、実に72人が命を落としたのだという。
実に生存率、28%。
藩士・斉藤勝利が「松前詰合一条」という書物を記録として残した。
しかし、幕府はこうした事実を公開せず、
また、原因の究明も行われなかったのだという。
「松前詰合一条」を戦後、東大前の古書店で北海道の学者さんが、
入手して、はじめてこういう事件が明るみに出た。
この事件、当時の情勢も含めて、
まことに深く迫ってくるものがあると思っている次第です。

アイスモナカ大戦争

2385

きのうのブログは、久しぶりに状況・政治ネタになりました。
いろいろなご意見の方が書き込みされてくるので
お答えしている内に、ずいぶんFacebook上でやり取りになっていました。
それぞれの趣旨をお互いに参考にしながら、日本の安全保障の問題、
論議が高まっていって欲しいものだと念願しています。
くれぐれも罵りあうようなことにはならないように、冷静に考えたいと思います。

さて、クールダウンであります(笑)。
ことしの夏、わたしのマイブームはアイスモナカであります。
北海道でも気温・湿度とも上昇してきて
ここんところは、毎日1コは、モナカを食しております。
かならず1コと決めています。
どうしてももっと食べたくなるのですが、
必死で自分にリミッターを発動させております(笑)。
で、何十年ぶりに食べてみて、
それぞれの企業によって、相当違いが出ている。
いっぺんに食べ比べてみたい気持ちを必死になだめて、
毎日1コずつ、評点をアタマのなかに整理してきております。
各社とも工夫・味付けにしのぎを削っているのですが、
わたしが感心したヤツが写真の森永製。
モナカというヤツは、中身のアイスクリームの旨みはもちろんですが、
冷涼感に大きく関係するのは、「ぱりぱり」感だと
見定めておいしさを追求している。
写真のように、アイスの中にチョコを埋め込んで、
いかにも、パリパリとした口当たりを演出している。
今のところ、食べ比べている中で、こういう仕掛はこれだけ。
そしてもうひとつは、包んでいる皮ですね。
持ち応えも関係しますが、この皮の食感・旨みも
アイスモナカの最高の醍醐味であるかも知れません。
森永製は、この各ポイントで研究開発努力の姿勢が
わたし的には、一番感心させられております。
この他にも、赤肉メロン味や、あずき味など、まさに垂涎です。
もうひとつ、「食後感」というのも大きいポイント。
アイスクリームって、食べた後、甘味がいやらしく舌に残ったりする。
これがいやで、飲み物で流すというような経験が多かった。
この点でも、最近のヤツは研究開発が進んでいるように思います。
食べ比べていて、いまのところ、そういう強い欲求は感じません。

さて、きょうは、お昼の後にするかな、それとも
夕ご飯のデザートにしようか、と、ワクワク想像しています。
チョー楽しい夏の日々であります(笑)。

朝日と産経の「対話」気運

2387

朝日新聞の「誤報」問題・記事取り消しから約1年が経過した。
この問題をずっと追求して、朝日新聞に誤報を認めさせ、社長退陣という
状況をリードしてきた産経新聞の阿比留記者による、
元朝日新聞記者でこの件の当事者である植村元記者への
産経新聞として初めてのインタビューが行われ、
現在、WEBや紙面で発表されています。
インタビュー終了後の阿比留記者のFacebookでは、
植村元記者の家族への嫌がらせ行為に対して、
そうした行為を止めるよう、厳重な注意喚起が行われていた。
植村元記者の言論活動に対して、批判を加え論難するのは
これは大いにあるべき言論の自由だけれど、
行為主体者ではない家族に対して、嫌がらせ的な行為を働くのは、
弁解の余地なく不当だと思います。
こうした注意喚起をしっかり発言するというのは、言論人として
言論空間での批判・反批判を実りあるものとしていくためにも
絶対に、怠ってはならない部分だと共感を持ちました。
その上で、産経新聞上でインタビューの記事が掲載されている。
「産経も当初、記事で間違っていましたよね」という部分など、
かなり率直なやりとりが交わされていて、これは国民の冷静な
判断にとって、きわめて有意義な記事だと思って読んでおります。

ひるがえって朝日新聞と毎日新聞その他、地方新聞の一部では
安保法制論議について、冷静さに欠けた誌面づくりが続いている。
世論調査で4割近いといわれる賛成の立場の人間など、
まるでいないかのごときで、場合によっては非難の対象になっている。
むしろ、メディアによる安保法制反対の扇動という状況。
Twitterで反対派への疑問をつぶやいた芸能人が「炎上」したとか。
先日の毎日新聞の「経済的徴兵制」というメルマガトップ記事には、
さすがにギョッとさせられたりもしました。
なんでも、経済の厳しい状況の中、若者の仕事が少なくて
「やむなく」自衛隊に入らざるを得ない状況がある。これは、
経済的な「格差」から導き出される事実上の「徴兵制だ」という。
こんな荒唐無稽な発言をセンセーショナルにトップ記事にしていた。
そもそも国の安保論議では、政権として脅威を具体的に説明することは
周辺国と無用の外交問題に発展する可能性があることが自明であり、
そういう状況で政権側が詳述しにくいことをいいことに
さも現政権が「望んで戦争したがっている」など、
常軌を逸した暴論で、冷静な声をかき消そうとしている。
法の字句通り、戦争を抑止するための自衛の現代最適化が
この法制の本質以上でも以下でもないのではないか。
この間の安保法制論議で論議になっている点は2つだと思う。
1つは、集団的自衛権の行使を容認した憲法解釈の是非について。
2つめは、激変してきた日本の周辺環境についての対処法。
1つめについては、字句通り憲法を「学問的に」みる憲法学者とは、
現代語を「正しい、正しくない」と振り分ける国語学者みたいなもので、
かれらには、現実の国際情勢のなかでの判断はしようがない。
他国の軍事状況の進展は、かれらの研究領域には発想自体がない。
これは優れて、政治が論議するしかない問題だと思う。
2つめの周辺国家との緊張関係について、各新聞社は誌面を通して、
冷静に国民への判断材料を提供すべきだと思う。
仮想敵側は攻める側であり、防衛側の想定を超えた作戦を普通は考える。
であれば、想定のすべてをあきらかにすることは
いま日本の安全について責任を持っている政府の側としては
きわめて難しいだろうと思う。
であれば、メディアでもこうしたテーマで国民論議を提供すべきだ。
安保上のこれこれこういう事態のとき、
具体的にわれわれ日本国民としてはどう判断すべきか、
第4権力とすら言われ、自由であるメディアが考えるべきだと思う。
「憲法を守っていれば、きっと周辺国家の軍隊は攻めてこない」と
思考停止して、嬰児のように駄々をこねるのではなく、
どうすれば日本の安全保障が担保されるのか、具体論を考えて欲しい。

こうした最近の言論環境の中で、
植村元記者と産経が、きちんと紙面で対話しようとしていることは
評価してもいいことだと思います。
朝日と産経という2つのメディアが、相互にリスペクトを持ちつつ、
もちろん、机の下では相当の小突き合い(笑)があっても、
きちんと論議することが、日本国民にとってきわめて有意義だと思います。