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個人主義的住宅の行方〜1

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きのうの、「集村・散村・郊外型住宅」の続きです。
現代の日本で一般的に建てられている「郊外型住宅」の行く末はどうなっていくか、
というテーマであります。
昨日は、ある「散村型戸建て農家住宅」のたたずまいを
現代の都市近郊に数多く建設される一般的な戸建て住宅の
ひとつの祖形ではないかと推論したわけですが、
やはり大きな違いは持っているでしょう。
ただ、住まいようとして、自己完結性という部分では、一番似ているように思う。
現代住宅は形としては集住的ではあるけれど、
昔の集住である「集村」で一般的に存在した宗教的一体感演出装置のようなものはない。
したがって、コミュニティというものが、
地域に根ざして存在している、という感覚は
都市、および近郊住宅地の現代人はほぼ持てない。
そういう意味で孤立的であり、他者に対して閉鎖的なライフスタイルが一般的。
都市にそのような歴史経緯があればまだしも、
人口急増した地域では、そういったコミュニティはまず機能していない。

そうだとすると、
なにをよすがや規範にして、現代人は住宅を注文しているのか?
古民家を取材すればすぐにわかるけれど、
伝統的な住宅とは、おおむね規格住宅的であり、
間取りとしては、農家、都市住宅、どちらも、
一定の法則性にしたがって建てられている。
柱や梁の寸法、畳の大きさなど、規格寸法の合理性がすべてに優先している。
日本人が最高に優先してきたのは、合理主義なんだと知れる。
しかし、現代に多く建てられている住宅は、
規格自体、「世界にひとつだけ」の「独自工法」に走ってすらいる。
それはまだ、住宅企業選択のひとつと考えてもいいけれど、
古民家が等しく持っていた、ライフスタイルの共有性は放棄している。
(ように感じられる。)
古民家が、神棚と仏壇という神聖空間を必ず装置していたのに、
現代住宅では、そういった「家」意識は希薄になっている。
このように建てられる住宅に、
時間を超えた「普遍性」は、あるのだろうか?
この疑問から、長い間、解放されたことがないのであります・・・。

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