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夏ばっぱ、カッケー!

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一昨日から仙台に入っています。
雑誌の取材であちこちを飛び回っている次第ですが、
東日本大震災からの復興は、なかなか住宅再建までの状況にほど遠い。
国の大方針について、いまに至るも
政府側の大きなメッセージは結局、なにもないまま、
ということは、現行の法規に則して坦々と、
その法令を「一生懸命に」遵守して、定められたプロセスをたどるという
「復興方針」が現場では貫徹している。
仕事をしていたのだな、という方針段階での痕跡の無さぶりに驚かされる。
あまりの「基本方針」の無さに、あきれるしかない。
これならば、震災時、国家意志決定者・総理大臣などいなくてもよかった。
なぜ、民主党議員たちは、震災時に菅直人を支持し続け、
その後の「民主党代表選挙」でも、かれをそのままにしていたのか?
震災復興・原発事故対応という仕事を、市民運動の口先だけ男に任せ続けた。
その罪はやはり重すぎると思う由縁です。

「おまんま食べさせてもらってきた海が
たった、1回や2回、へそを曲げたからと言って、
あぶないから、海から離れて暮らせ、と言われたって、
そんなことは、できねぇ・・・」

っていう津波に遭遇し体験した立場の人間の重い言葉を、「あまちゃん」で、
宮本信子さん演ずる「夏ばっぱ」が語りました。
これはたしかにドラマであり、フィクションの世界なのですが・・・、
やはりこのドラマは、必然的にこういう問題に突き当たるわけで、
「どんなふうに・・・」とハラハラしていたところだったのです。
わたしは、それなりの説得力を、かれ、クドカンの書いたセリフから
まっすぐに受け止めさせていただきました。
確かに現実よりも、架空の街・北三陸は被害は軽微だったのだけれど・・・。
で、このセリフ以降、宮本信子さんの演技に色気が漂ってきた。
アキちゃんのセリフではないけれど、
まことに「カッケー!」のであります。
この言葉、ずっと震災以降、みんなが内語として持っていた言葉だと思います。
現代の社会の、安全絶対第1主義とでも言えばいいのか、
たしかにその考え方は崇高で気高いものであることは理の当然です。
しかしその人命第1主義だけで、国家運営、基本方針にまでして行っていいのか。
そもそもそのような考え方で、この列島社会で、
あるいは、地球という星の上でひとびとは生き続けてきたのかどうか?
生きられ続けてきているのかどうか、多くの人が内語として
「やっていけるのか」という
大きな疑問を持ち続けてきていると思う。
それは、そうだけれど、だけど・・・、
という現実主義がやはりムクムクと起き上がってこざるを得ない。
歴史も生業も、暮らしも、ずっとそこにあった人々に
安全最優先、ひとりの命は地球よりも重い、という考えを押しつける現代社会。
このズレ行き、この問題が実はいちばん大きいのですね。
「復興」というのは、清濁併せて人間社会を再構築するもの。
人間に対する「哲学」が、やはり問われざるをえない。
生業の再創造、高台移転、地域社会の再構築、豊かな関係性の確保、
いま東北は日々生々しく、いろいろなことに
現実にどうするかというと問題として、直面させられていると思います。

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