本文へジャンプ

縄文期八戸・是川遺跡「社会」の豊かさ

いまから13000年ほど前に日本列島ではじまった縄文時代。
それまでの狩猟・移動キャンプ生活主体の社会では
平均年齢も若く、活動的でなければならない環境だったのに対して
木の実などの採集、一部では植物の栽培などもはじまり、
より定住的な暮らしになっていったとされている。
高齢者が生き残っていくことが出来る社会になって
「言い伝え」であるとか、知見した知識の「伝承」が可能になり、
社会発展にとってもっとも肝要な「文化」が形成されていった。
日本列島では、ちょうど寒冷期が終わって温暖期を迎え、
照葉樹林帯が広く列島全域を覆うように広がっていった。
その森が、ゆたかな木の実をひとびとにもたらし、
栃の実やドングリなどの木の粉からさまざまな食材を紡ぎ出す生活が
この列島社会に広く広がっていった。
土器というのは、このような植物性食品を主体にして食生活を営んでいくときに
必要不可欠な「煮炊き」のための必要具として発達した。

縄文時代の遺跡は八戸市一帯に広がっている。
八戸地域自体、縄文あるいは石器時代にさかのぼっても
きわめて暮らしやすい地域だったことが明瞭に示されている。
しかしそうしたなかでも、この是川遺跡の出土状況、保存状況はすばらしい。
最近展示館の整備が進んだので以前から一度は訪れてみたいと思っていました。
是川遺跡は、明治の初め頃から発掘整備が進んだのですが、
大地主であった、泉川さん兄弟が篤志の方だったことで
その発掘品の拡散が防がれて、
総体としての「是川縄文文化」全体が集中的に、まるでタイムカプセルから
いま、時空を超えて寝覚めたように見ることができるのです。
きのう、朝から要件のあった昼前まで、たっぷりと見学させてもらいました。
しかも、ボランティアの説明員の方の親切で詳細な説明も聞くことも出来て
縦横無尽に、その知見を得させていただきました。
とくに高齢者の知恵が社会発展の礎になったのではないかという卓見など、
ほんとうに深く学ばせていただいた次第であります。
農耕による食料生産が始まるまで、「社会」の発展はなかったのではないかという
そういった常識が、実は日本列島社会では
それ以前の縄文社会においてすでにそれが実現していた。
そんなきわめて印象的な学習をさせていただいたと思います。
これから、その得られた知見を整理していきたいです。

<写真は、国宝になりそこなったといわれる名作土偶>

Comments are closed.