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江戸期のデザイン窓

さて、きのう遅くに仙台から札幌に帰ってきました。
最終便近くの便だったのですが、
飛行場に着いたら、同じANAのその次の便について
「到着地千歳地方、悪天候のため着陸できない場合には羽田に行きます」
というアナウンスをやっている。
仙台はきのう夜には一時天候が崩れるという天気予報でしたが、
まぁ普通の天候でしたし、千歳はあんまり良くないのか?
と思っていたのですが、一方、わたしの乗る便については
そういうアナウンスがない。
それって、千歳がこれから集中的に天気が崩れると言うことなのか?
っていう、オオカミ少年の大声が響き渡っておりました。
で、問題なく到着した千歳は多少の霧雨程度。
まさに空振りのオオカミ少年だったわけです。
どうも最近、行き過ぎの「リスク情報過多」傾向が蔓延していますね。
社会的な情報に対する許容力の限度の低下で
発信側の過対応が目立つのではないかと思われます。

おっと、テーマがずれていく・・・(笑)。
一昨日のテーマの続きなんですが、
そういえばきのうも大きな開口部について書いている。
ここんところ窓の話題が多くなっておりますね。
写真は偕楽園・好文亭でのものであります。
2つの建物を繋ぐ渡り廊下があって、
そこの内装の様子なんですが、画面左手に窓があり、
やわらかな採光が得られていて、周囲の木質空間を絵のように描き出している。
使われている素材も正直な本物素材ばかりですので
視覚的に、充足感をもたらせてくれる。
で、もっと近寄ってみると

わたし、こういう工夫の窓は初めて見た次第。
この建物自体は近年の再建築なわけですが、
それでも基本的なデザインについては、復元を基本にしているはず。
また案内でも、この窓について解説していましたから、
江戸期に造作された窓であることは間違いがないと思われます。
三角屋根で屋根がかけられ、しっかりと軒の出も取られているので
基本的な雨についての防御性は考えられている上で
ここでは葦とおぼしき素材をタテに組み上げて
通風性と視覚性をギリギリに実現した窓を創造しています。
下側には、蝶番のように工夫した「板戸」が装置されているのですね。
で、こちらにも内側に葦が使われている。
万が一、軒の出を超えて激しい横殴りのような雨が来た場合には
この下の板戸で遮断するようなのです。

現代ではガラスが広く高層ビルに至るまで建材として使われるわけですが
ほんの150年前くらいまで、
建築はそういう素材を想定してこなかった。
そういう化学的な製品が存在しないという制約条件の中で、
あらゆる知恵と工夫が「建てる人間」にとって不可欠に必須とされていた。
しかしそういう素材的条件背景、社会的条件背景のなかで
それもたぶん、この時代の中での最高級建築創造の場で
まことに、清々しいばかりに知恵と工夫が実現されていると思いました。
江戸期には木を使った「からくり」というものも大盛況だったそうですから
手間をかければ、こういう開口部も工夫する工学的知識レベルだったのですね。
で、最近よく思うのですが、
こういう知恵って、素材が豊富になってきて
むしろ、どんどん鈍磨してきているのではないか、という不安。
最近の「社会の需要不足」って、こういうものづくりの
知恵と工夫が、末端まで消え去ろうとしていることから来ているのではないかと
そんな思いに駆られてきているのです。
奥行きのある知恵と工夫がそこに確認できれば、
まだまだ旺盛に、高齢者からの需要も引き出せるのではないか。
大量生産システム的な創造物には驚きはなくなってきたけれど
こういう制約の中での知恵と工夫には、
まだまだ率直な感動要因があるのではないでしょうか?

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