本文へジャンプ

「交易」ってなんだろう?

最近読んでいる本、網野善彦さんの「日本の歴史をよみなおす」。
わたしは、乱読するというよりも
どちらかというと、特定の方の本を徹底的に読み続けるというケースが多い。
歴史や歴史小説というわたしの趣味世界のホームグラウンドでは、
若いときからずっと司馬遼太郎さんがメインの世界に没頭し続け、
その後、っていうか、ここ5〜6年でしょうか
司馬遼太郎さんが亡くなってからは、この網野善彦さんに惑溺しています。
とはいっても網野善彦さんも2004年に亡くなっています。
司馬遼太郎さんは歴史文学作家であり、
網野善彦さんはれっきとした歴史学者、という違いはあるのですが、
どちらも一貫して、「日本」を全身全霊で考え続けたひとだと思うのです。
そのアプローチの仕方は違いがあるけれど、
このふたりのアプローチの仕方の総和の中に、リアリティがあるのではないかと。
そんな思いで読み続けております。

で、いま読んでいるなかで、「貨幣経済」のことが出てきます。
いまわたしたちは、日々、この貨幣を中核的価値観とする世界観の中にいるわけですが、
考えてみれば、貨幣は日本社会に根付いたのは、
高々、1000年ちょっと。
それ以前からも、いや、人間社会発生と同時に「交易」は存在していた。
たしか、わたしが習った日本歴史では、和同開珎とかの
ヤマト朝廷が試作した貨幣のことが教えられた記憶があるけれど、
この本の中では、日本の朝廷や歴代の権力構造は貨幣鋳造の意志を
それほど持っていなかった、とされています。
それに対して、主に平安末期に大量に「宋銭」が
日本社会に導入された様子が詳述されている。
宋から朝鮮を経て日本に交易された宋銭が、
朝鮮近海で船丸ごと発見されたりしているそうですね。
そのような「貨幣経済」は、中国を中心とした経済圏に入ろうとする意志を持った勢力、
平清盛などの平氏政権を嚆矢として、足利義満などが挙げられるのでしょうが、
そうした政治勢力が繰り返し日本の権力機構の中で力を持ち続けたとされている。
不勉強だったのでわからないのですが(笑)、
貨幣って、いったいどういう成立条件があれば、活発に流通するのか、
その成立条件がイマイチ理解できていません。
網野善彦さんも、経済論自体はあんまり得意ではないようなのですが
日本社会と貨幣、ということの解明って誰か、取り組んでいるのだろうか?
貨幣の必要性っていうのは良く理解は出来るのですが、
原初的な貨幣、もしくは代替物〜日本では米や絹布などが多く使われたようですが、
それらの交換比率の設定などはどうなっていたのか?
貨幣が存在しない段階では、そもそも交易ってどのように行われてきたのか?
人間社会発生と同時に、交易活動は行われてきたわけで、
そのルールって、なんだったのだろうか?
たぶん、その変形の形態が戦争だったことはよくわかるけれど、
そういう力関係のなかで、バランスを取りながらも交易活動自体は行われてきた。
そういうあたりで、最近、思考がループし続けております(笑)。
誰か、一気にこの悩みを解決して欲しいものだと思っています。
以前、考古学関係の発表会で、素人の素朴な疑問として
北方民族は「塩」は自力では生産できないはずで、それはどのように得てきたのか、
また、それは考古的に研究されているのですか?
という質問をした経験があるのですが、
どうも要領を得た回答は得られなかったのです。
まことに、「交易」ということは奥が深いなぁと思わされている次第。

写真は、そういう民俗的疑問を表徴するような(笑)
時代に大きく取り残されたような「店舗」であります。
でもまぁ、きわめてノスタルジックで、大好きであります。

Comments are closed.