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【日清戦争帰還兵の感染症水際作戦史】


新型コロナ禍によって世界は大きく変容させられている。
GDPの大幅下落、日米で約30%、EU圏で40%という記録的四半期経済失速。
このような変動には社会的起因もあると思うのでやがて検証は不可欠。
むしろそうした要因の切開のほうが、人間社会に意味が大きいと思う。

しかしこうした感染症がいかに人類史に関わっていたか、
歴史から学ぶカタチで多くの知見が徐々に発掘されてきて興味深い。
8月下旬、NHK-BSの「英雄たちの選択」で日清戦争からの復員兵さんたちの
「感染症対策」について、それを取り仕切った後藤新平の戦いが放送されていた。
以前、奈良時代の光明皇后の「サウナ風呂」下賜での衛生思想普及努力や
大正3年の「結核予防善悪鑑」という民衆への衛生教育をブログでも書きました。
歴史というものの本質、先人から人間への愛が伝わってきた。
歴史には「人間の思い」が込められているけれど、愛も確かに存在する。
そういった意味で、新型コロナ禍でのこうした日本人の事跡の「発掘」は
まことに深い共感を持てるし、その「戦いぶり」に激しく感動する。
どうやら、歴史関係のテレビ番組制作スタッフにもそういう思いがあるようで、
発掘されたこのテーマについても、グイグイと引き込まれてしまった。

日清戦争は明治以降の歴史、国民国家生成の過程で
欧米列強、とくに超軍事大国ロシアと隣接する日本の地政学的位置から
まさに世界史的な動乱として勃発した戦争。
北海道の開拓の進展とも状況としてリンクしていたものだと思います。
日本にとって北海道の開拓とは、対ロシアの平和の戦い最前線でもあった。
国内戦争である西南戦争と日露戦争では北海道の屯田兵も出兵した。
この日清戦争でも動員命令は出て出征したけれど、
国内で戦争終結の報に接して、戦地に赴くことはなかったとされる。
帝国主義世界情勢の中で、剥き出しの国家間戦争という歴史局面で、
一方ではおそるべき「感染症」が戦地で蔓延を見せ、そこからの復員に際して
国内での感染蔓延を防ぐために「水際対策」が待ったなしで必要になった。
記録では「これはひとつの戦いである」と記されてもいる。
日本史のなかでもまったくはじめて遭遇する極限的緊迫状況。

写真は、この大量復員兵を瀬戸内海の小島で「隔離・除染」した様子。
危険ゾーンと、防疫ゾーンにきれいに仕分けする防疫施設建築動線設計。
画面下の方から施設に入る兵隊さんが、装備品とカラダで分けられた動線を進み、
カラダのほうはお風呂や消毒で除染され、装備品は蒸気による
新構想の「除染装置」を駆動させて除染させている。
そして防疫されたゾーンに移動させることで施設を出られるようになっている。
防疫除染を集中管理する建築とシステムでの「ひとつの戦い」。
日本社会は、この感染症蔓延危機から正しく離脱することができた。
こういう「防疫」についても日本は欧米を正しくキャッチアップして
当時の世界最先端防疫システムを誇っていたドイツ帝国皇帝が
この日本の防疫除染の成功を褒め称えたとされている。
人道主義をベースにしなければ構想しにくいこのようなシステムが
まさか、極東の新興国・民族に可能だったことに驚いたのでしょう。
領導した後藤新平は、緒方洪庵・大阪適塾系の実学で鍛えられた人物であり、
大阪的市民社会の「公衆衛生」思想が日本を救ったと番組では推論されていた。
人間への愛情に即した「思想」が背景になければ除染防疫は成立しがたいのでしょう。
番組では第2次大戦での中央集権システムでの大量戦死が対比されていた。
まさに歴史が教えてくれるモノは本当に深い。

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