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【古代豪族古墳石室 死後のインテリア空間】


北関東というのは遺跡群のけっこうな宝庫。
昨日、予定の合間の時間ができたので、生来の考古の研究にと
「埼玉県立歴史と民俗の博物館」を駆け足で見学してみた。
展示の中でつい見とれてしまっていたのが、
埼玉県秩父郡皆野町大字金崎字大堺3号墳の再現「玄室」の様子。

人間は生きている間、いろいろな空間を体験する。
多くの場合は伝統に従った住空間とその生活文化にくるまれて過ごす。
そして死を迎えると、墓に葬られることになるけれど、
権力を握った人間は、その死を荘厳に飾り立てたくなるものなのでしょう。
またその権力を継承する肉親者にとっては、
その死者の死を飾ることで自分の権力の正統性を証し立てようとする。
そのような初源的で非民主的な死の装飾は現代では
「唯物論」に由来するとされる「社会主義」国でむしろ平然と行われている。
毛沢東はその遺体が永久保存され北朝鮮でも同様にされている。
こうしたことひとつをとっても「科学進歩」からもっとも遠い
異様な権力であることが明らかだがWHOのように目の不自由な連中も多い・・・。
横道にそれた。人類発展のある段階まではこうした墓制は理解出来る。
で、面白く思うのはそういう古墳を造営する建築的な立場。
その墳墓をどう建築し、どうデザインしたのか、
そういう立場で考えてみて、遺された遺跡は示唆に富んでいる。

ここでは、というか、わたしが知見した限りでは
おおむね石材でそれらが構成されている。
古代蘇我氏の途中経過古墳とされる明日香村「石舞台」を実見すると
永遠の「終の住み処」として炭素年代的な石材で構造が構成されている。
「天井・屋根」まで巨石で構成されている。
あのような巨石構造は、その動員された人力を思えば圧倒されるけれど、
こちらの埼玉秩父の古墳では、床には砂利石が敷き詰められ、
壁の1面は細かい石材がまるでレンガのように積み上げられている。
一方で正面は地元で産出される平板状の緑がかった1枚岩が嵌められている。
どうしてこのようなインテリア構成に至ったのか、
作り手、施主にヒアリングは不可能(笑)だけれど、
はるかに後世のわれわれからすると、そのモダンな感覚に圧倒される。
展示物として照明も配置されているので、
たぶん創建時、建築として作ったときの雰囲気、
感じたであろうインテリア空間性を再体験することができる。
明日香の石舞台が土盛りされなかった古墳なのだとすれば、
古墳では土は石室構造が出来上がってから被覆されたものに違いない。
なのでこの石室空間を造営建築した人物たちは明るい太陽光採光条件下で
空間体験しながら作っていたのでしょう。
建材としての石の各種取り合わせ、その水平垂直の配置など、
いろいろ思念し宗教的カタルシスを意識しながら作っていったに違いない。
やや「建築」取材に似た空間体験を感じ続けておりました。
たぶん、この空間はステキだと思う方は多いのではないだろうか?

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