本文へジャンプ

1952年北海道入植者の家

きのうの続きです。
わたしが生まれた年、1952年に北海道に開拓入植したひとの家です。
この2年前の北海道人口が430万人弱という時代です。
太平洋戦争では一般も含めて約200万人が戦死し、
戦後、660万の日本人(当時の日本の総人口の約9%)が帰国してきたといわれています。
戦争が終わって7年目という時期ですが、
人口が少なく、未開拓の土地が多く残されていた北海道に
この写真のような「開拓入植者」が来たのでしょう。
必死な生存への祈りのようなたたずまいが伝わってくる気がします。
こういう記録写真も、北海道庁には残っているようです。
屋根は茅葺きであり、水平も垂直も取れていないことが
写真からも見て取れる。
たぶん、入植者自身が建てた「小屋がけ」に近い住居ですね。
この写真だけ見れば、縄文の頃とそう大差はない。
いやむしろ、土壌を掘り下げたりはしていないことを考えれば
先住のかれらよりも劣悪な住環境であったかも知れない。
左手、そとの日だまりの中に家族の姿が見られる。
小学生とおぼしき、学生帽の少年と少女、その母親か。
開拓とはいっても、条件の良さそうなあらかたの土地は
すでに開墾されていたので、やや山間の土地とか、
寒冷条件の厳しい根釧原野などに入植していったのでしょう。
こんにちからは考えられない筆舌を超えた労苦があったと思われます。

もちろん、貯えもない状態で
こういうなかから、わたしたちの父母たちは
勇敢に前途への不安と戦い続けてきたのですね。
それにしても、ドアもなく、開口部もない住まいで、
まことにすごい暮らしを生きてきたものだと感じざるを得ない。
少子高齢化とか、先行きへの不安が
日本全体を覆っている現状ですが、
ふと考えてみれば、こういう状態からまだ、60年程度なんですね。
命を繋いでいく住宅、
その重みがひしひしと胸に迫ってくるものがあります。

北のくらしデザインセンター
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

コメントを投稿

「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」

You must be logged in to post a comment.