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北海道の住宅政策史

写真は、このあいだから探していた写真であります。
いろいろな仕事があって、あちこち飛び回っていて、
立ち止まって、自分自身の興味分野まで整理整頓するというのは
どうしても作業できなくなっています。そのうち、いつなにがあったのか、
何に興味があったのか、すら忘れてしまえば、
ただただ、日々の日程と実務に追われるだけになってしまう。
まぁ、心していなければならないですね。

で、わたし、たまたま北海道から始めて住宅雑誌を作っていて
北海道、さらには総括的に住宅の歴史みたいなものに興味は深くなります。
いまのところ、断片的に遺跡巡りをしたり、程度のことなんですが
それでも、そんなことに興味と若干でも時間を持てるだけでも
ありがたいことだと感じている次第です。
そんななかに先日、といっても追われるような日程の中で
日にちも忘れていたのですが、昨年9月14日に
このブログでも良く登場する「北総研」の研究発表会があり、
そこでのスライド発表に出ていた住宅なんです。
説明テキストの通りなんですが、
北海道って、その自治体発足時点からずっと、
「どうやったら、この北辺の大地で住んでいけるのか」
というテーマに取り組み続けてきた自治体なんですね。
ほかの自治体の方と交流したり、国交省のような国の機関とも
接触する機会がありますが、
このような「継続的意志」を保有し続けた自治体はありえない。
司馬遼太郎さんが生きていれば、きっと興味を持ってくれたに違いない。
でも、司馬さんはもう亡くなっている。
そんな思いがあって、まぁ、たまたまこういう位置にいることから
自分のライフテーマなのかなぁと思っている次第なのです。

前置きが長くなって、そっちのほうにずれていく(笑)。
まぁブログなので、許してください。
で、この写真であります。
説明文の通りなのですが、
当時の北海道庁の発案で、こういう「模範家屋」設計競技があり、
多くの「応募作」が寄せられて、めでたく受賞した住宅なのですね。
設計プラン競技で、その大賞作を実際に建築したという経緯。
写真は、その報告会で写されていたスライドを収めたので、
画質は悪いですが、Photoshopのお陰でなんとか見られる。
いろいろな想像力が沸き上がってきますが、
まずは「農家住宅」の設計競技であったというポイント。
その前年の北海道の人口は236万人程度の時期で
基幹産業としての農業人口の増加策が求められていた証でしょう。
開拓者として入植したいけれど、
そもそも北海道でなんて、住めるのですか?
というのが多くの人々の実感だったのでしょうね。
建物としては、窓面積が非常に少ないなぁというのが印象。
屋根は切妻の一部が切り取られたような外観。
2階の外壁に柱が見えていることから
真壁と考えれば、在来木造工法を採用していたものと思われます。
玄関前にはたぶん、雪対策として風除的に下家がかけられています。
暗くてよく見えませんが、玄関は引き戸だったのでしょう。
1階の窓には上げ下げ窓がつけられています。
当時を考えれば、最先端の
気密が確保される手段だったのではないでしょうか。
暖房は石炭ストーブだったのでしょう、
煙突装置が外に突き出すように見えています。
外壁の木の張り方はタテ張りを採用しているのは防水面での配慮か。
採光面と、暖かさの確保の妥協策として
2階にはドーマー突き出し窓がありますね。
デザイン的には、この部分がウリ、だったのでしょうか(笑)。
屋根はトタン葺き。

こういう資料が北総研や北海道にはあるんだ、という
発見が得られたということで、
わがライフテーマに一筋の光明のような気がした次第であります(笑)。
もちろん、まったく時間的ゆとりはなく、
まだまだ、もくろみの段階ではありますが、
徐々に、探索を深めていきたいものだと考えている次第です。
読者のみなさんから、大いに情報をいただければありがたいです。

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