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夏休みの子どもたちと紙芝居

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毎日のように早朝の散歩を続けていて、
北海道神宮神前広場では、ラジオ体操が行われています。
通常期間は比較的高齢の方たちが中心なんですが
子どもたちが夏休みに入って、真ん中に元気よく参加している。
わたしは、体操時間はパスして散歩するのですが、
終わって帰りに再度、広場周辺に来てみると、
毎朝、子どもたちに元気に紙芝居を見せ聞かせている方がいます。
子どもたちって、なんでも正直なので、
やっぱり面白いから聞いてくれているのだと思います。
まったくのボランティアで続けていると言うこと。
お題は、大体日本昔話のようなお話しで、
それこそ誰が聞いても楽しいような、そんなお話しです。
まぁ、市原悦子さんの「日本昔話」シリーズのようなのを
紙芝居の実演で、朗々と読み聞かせていらっしゃる。
毎日、その様子を見ていると、こっちまで心があたたかくなってくるような
そんな気持ちで眺めさせていただいています。

こういうの、いろいろな意味で素晴らしいと思います。
まず、子どもたちに心を込めて、
民族的な心情のありかを、人間の肉声で伝えていくということ。
どうしてもどぎつい表現で、笑いや興味を引こうとする
テレビメディアの商業主義とは、まったく違う、
それこそ人間的なコミュニケーションが成立している。
想像力が、北海道神宮境内の杉木立のなかに広がっていく。
場の力もあって、子どもたちにはいかにも夏休みを実感できる。
そして読み伝えていく高齢者の側でも、
毎日、子どもたちの元気そうな顔と毎朝出会えるというのは、
無上の元気を受け止められる行為。
第一、大きな声を出してお話しすることは、健康増進につながる。
また、大きな生き甲斐にもなっていく。
きのう、読み聞かせしている女性とちょっとお話しして
「素晴らしいですね」とお伝えしました。
他の方から、こどもたちにお菓子プレゼントなども寄せられたそうですが、
「そういうのは、教育上、どうなのかと」というご意見。
まったく同感ですね。
子どもたちと高齢者のコミュニケーション、
このようなかたちで作られていくことには、大きな可能性もありそう。
石器時代から縄文という時代が成立したことの画期的な意味として、
常に体力的な敏捷性が極限的に要求されて、人間の加齢は
そのまま社会的不適合であった狩猟生活だけでなく、
縄文土器の発明によって、食生活が大きく変革されて
海の幸、山の幸を定住して採集享受できるようになったことで、
人間の寿命が飛躍的に長くなった。
高齢者の生きてきた「知恵」が次世代に受け継がれていくようになった。
そういう人間の交流が保障された社会が実現した、とされるそうです。
そんな意味からも、現代に於いて実現できた高齢化社会が
さらに人間の可能性を高めていくことができるとすれば、
こういった小さな交流、コミュニケーションこそが、
本当の意味で、きわめて大きな部分なのではないかと思います。

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