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庇が出ちゃった建築家?

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きのうのブログへも、思わぬほどの大反響をいただきました。
自宅のマズイところ、公開するのが珍しかったのか、
木製サッシ愛好家の建築家の友人からも、原因はこういう事だよ、のような
ご指摘もいただいたりして、たいへんありがたかったです。
で、日本の住宅建築では、
軒の出や庇を「余計なもの」として、シャープさを協調するのが
モダンでアバンギャルドで、「いいデザイン」とする傾向が強いという
わかりやすいけど嘆かわしいというご意見も以下のようにいただきました。

●建築家の藤島喬さんからは、
〜木製サッシは、外壁表面より10cm奥で、傷みがない。庇の役目。
歳とりと共に、屋根庇が大きくなる設計となります。〜
〜巾木なし、戸枠なし、窓枠なし、窓はガラスだけでスッキリと。
本州では、雨戸無し。これらは、ノンディティールと言って、先覚者は篠原一男。
憧れたものですが、今の若手建築家は、無しが主流。〜
●白江龍三さんからは
〜「庇が出ちゃった建築家」と言うと、旬が過ぎた建築家を指すそうです。
経験を重ねると庇を出さざるを得なくなるが、
庇が出るデザインをするとメディアが取り上げてくれなくなったり
受賞できなくなったりで、“終わった”建築家になってしまうからだそうです。
メディアをはじめ表面的に建築を論ずる人たちの認識が間違っている。〜

まぁわたしどもは、そのメディアの一員ではありますが(笑)
作り手とユーザーとの中間で、よい建築への共通理解を
願っている立場と自分自身を規定しているつもりです。
新奇性が耳目を引くというのも、あらがえない現実でもありますが、
伝統的な作られようの建築の美しさも素晴らしいと思っています。
デザインでももっと伝統デザインを蘇らせて、
しかも「斬新」という切り口を出せる建築家って、現れないものでしょうか?
っていうのが、密かな願いでもあります。
きのう、たまたま早朝6時からのBSのNHKを見ていたら、
京都の「唐紙」文化のことを番組で紹介していました。
日本建築の室内への光の取り入れ方という環境条件の中で
室内インテリア文化として、
襖に表具する紙の表現文化が沸き立った様子です。
直接的な昼光ではなく、畳などをバウンドしてくるやわらかい光に
版木から紙に印刷されて、四季や時間の変化に応じて、
驚くほどに表情を変える雲母〜きら〜を塗った襖を紹介していました。
こういった微妙な空気感を感受する「建築文化」は
まことにすごい奥行きのある世界だと思いました。
軒の出や庇で、外光をコントロールしてなお、斬新で驚くべきデザインを
過去の日本人は生み出し続けてきていた。
その文様デザインは、もうこれ以上は生み出せないというほどに
多様に、日本人的感受性を表現しきったと言われていました。が、
こういう唐紙文化をモダンな表現と友に現代に蘇らせる作家もいるそうです。
そんなデザイン的挑戦をするようなことが、
若い日本の建築家から、動きとして出てこないものかと・・・。

写真は水戸偕楽園・好文亭。

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