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400-500年代・東国日本のムラ

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柵に囲まれた内部に、居住用の建物や、農作業の小屋などが
幾棟か配置され、作業場としての広場で、女性たちが臼と杵で脱穀作業をしている。
農作業用の馬が飼育されていて、
水くみ・運搬しているひともいる。
柵の外側には、各種の農園が広がっていて、
畑作業を行っている人々が点在している。
道路は、必要なあぜ道が各職場に向かって延びている。
住戸はおおむね茅葺きで、方形が主だけれど、
円形とおぼしき平面の小屋も多い。
っていうような、生活風景を活写したジオラマです。
身を寄せ合って暮らす、ムラとしての共同体の生存の基本形。
庶民の暮らしって、たぶん、この5〜6世紀のころの関東地域の暮らしと
そう大きくは違わない形で、ごく近い世紀まで続いてきたものでしょうね。
この写真の中で、社会的な交易の痕跡を考えると、
まぁ、馬や農機具・鉄器などになるでしょう。
このムラで生産された食料を交換材料にして、
権力機関を通してか、あるいは自立的商業手段を通してか、
必要なそうしたものを入手していたのでしょう。
こうした農業生産活動には、生活の羅針盤としての暦の知恵が必要であり、
権力はそういう祭祀を司る、宗教を管理下に置くことで、
権力としての正統性を維持してきたのでしょうか。
こうした農業生産を基礎とした経済単位としての
ムラが、各地に成立することで、開墾が広域に進み、
大きな権力も存在可能になっていった、ということでしょう。
歴史というものは、わたしたちの先人が同じようにものを感じ、
同じように考えただろうと推測しながら探求する楽しみを与えてくれます。
そしてその結果が、いままさに生きて存在しているわたしたちに連なっている。
このような営みの中で、
愛し合い、悩み、苦しみ、よろこび、悲しんできた人間の暮らしがある。
そう考えると、たとえば、コメの生産って、
年に一度の収穫と考えたら、
まだ、日本の歴史年代では2000回と、繰り返されてはいない。
そもそも、そういうコメ生産様式が社会の基本になったのも
まだ、それほど悠久のことではない。
って、いろいろな想念が次々と湧いてきて、
とどまることを知らなくなってしまいます。
さて、きのうも建築家イベントを開催。
バス見学会を含めると、10回目ということになります。
参加者は、そう多くはないとはいえ、切れずに続いています。
また、現実の住宅依頼レスポンスも、増えてきています。
実際に会って話すのと、一方では同時にWEBでもコミュニケーションが進行している。
現代のビジネスって、こういう両方で進行していくものですね。
なにより、根気を持って取り組むことが肝心。がんばるぞ、と。
北のくらしデザインセンター
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