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縄文のヴィーナス

7615.jpg
これ、歴史民俗博物館のエントランス正面に展示されている造形。
でも、これ、現代彫刻ではないんですよ。
実際に4000年から5000年以前のわたしたちの祖先が造形した「作品」なんです。
って、ちょっと信じられない。
・・・・
ということで、インターネットで調べたら
最初に「縄文のビーナス」と呼ばれた
山形県西の前遺跡で出土した土偶(重要文化財)は
あまりにも現代的な造形の土偶には驚かされます。
この土偶は頭部には紋様が見られませんが、衣装を纏っております。
この衣装と見られる腰部に文字と思われる紋様が描かれております。
縄文中期4000年前に制作されたものとされております。
っていうような次第です。
まぁ、ここに書かれている文字のようなモノも
きわめて興味深いものとはいえると思うのですが、
こういう形態を生み出す造形家としての芸術的感性に深く打たれます。
芸術というのは、日々の暮らしのなかでの余剰のような部分、
もしくは豊かさの発露、というように一般的に理解されるだろうと思うのです。
生きていることに対する賛歌のような思いが
芸術的な表現に人間を駆り立てるのではないか。
こういう表現物を生み出した社会や、その個人に対して、
たまらない愛着を覚えてしまいます。
日本的な感受性の系譜の中に
こういう作品を持っているというのは、誇らしい。
日本人が生きてきたことの記念碑的な作品ですね。
こういう作品を生み出した背景としての縄文社会というのは
おととい触れた三内丸山の暮らしぶりに理解できるように
非常に完成度の高い豊かさを持った社会だったと言えると思います。
文字は別としても、こういう表現物を生み出すほどに
文化レベルがきわめて高い社会であったことは疑いようがない。
日本社会は、何回か、
海外からの刺激によって変容した社会だと思います。
近くは欧米的価値観のまるごと受容。
古くは文字の導入、律令国家、仏教文化の受容などなど。
その都度、日本的にそれを受容し、
「日本的」と、今日、わたしたちが表現するような
独自文化として発展させる能力を持った社会だと思うのですが、
どうも、弥生の先達としての縄文社会も、
弥生を大きく包み込んで受容した
発達した社会的感受性を持った存在だった気がします。
弥生的な、東アジア世界の受容は、
このような作品を生み出した縄文によって可能だったのですね。
深く立ち止まらされるような作品に、
出会ってしまった思いがして、たまりません。
北のくらしデザインセンター
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