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日本の都市計画

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100年の大不況というように喧伝されている。
日本一の好決算を上げていたトヨタ自動車が、
一転して、史上最大の赤字幅を計上する事態になって、
「政府紙幣の発行」というような論議まで出てきていますね。
まぁ、そういう論議はいいとして
こういう転換期に、もっと考えなければいけないのは、
根本的に「日本の都市計画」ではないかと思うのです。
モータリゼーション革命は、
日本の都市を変えてしまったと思うのですが
その結果として、各地の地方都市では中心地空洞化という現実が止まらない。
しかし、いま、トヨタが赤字になるという
モータリゼーション社会がかつて経験したことのない
壁にぶち当たっているなかで、
モータリゼーションを暗黙の基本政策としてきた
これまでの産業政策を一から見直すべきではないのかと思うのです。
旺盛なクルマ消費に合わせるかのように政府は道路を造ることに血道を上げ
より遠隔地からの交通整備網を拡充させることを
「国策」として追求してきたのが、これまでではないでしょうか?
しかし、だからこそ石油が投機の対象になり、
金融商品として、この現代の中枢部分を機能不全に落とし込んでしまった。
そうした金融の危機は危機として解決しなければならないけれど、
そのプロセスで、次の時代についての方向性論議、
どのような社会をめざすべきか、という論議が出てこない。
オバマさんは、なんとなく方向性としては環境的方向を打ち出してはいるけれど、
精神的なメッセージであって、まだ明確には見えてきていない。
自動車産業は、さてどうなっていくのか、
当面の産業政策から言って、
この産業を自然に任せれば廃墟と化し、アメリカの社会は相当のダメージを受ける。
だから、必死になって救済を図っていくだろうけれど、
次の時代が、過去のモータリゼーション社会の向上パターンとして
想定するのならば、さてそれはどうなんだろうか?
いわゆる「環境に優しいエネルギー」を使って、
依然として、大量生産・大量消費型社会を維持していくのだろうか。
そういう形になれば、
いよいよ、地方都市の中心部の地盤沈下は避けられない。
果たしてそういう方向で考えた方がいいのだろうか?
先日の函館出張で、市電を利用してみた次第です。
市電は、歩いて生活するサイズにはぴったりな移動手段だと思いました。
で、車窓から眺められる商店街の様子は
まるで、ひと時代前の都市生活のスタイルを思い起こさせるものでした。
で、浸ってみると、まことにローエネルギー。
函館という都市中心部は、この市電というインフラに依拠している。
確かに時代的には古いパターンだけれど、
過不足なく機能する部分はある。
そしてそれ以上に、この市電沿線の都市のありようにも驚かされる。
驚くほど古い建築が、たくさん集積していて、
どのように改変すべきか、方向性も見いだせないまま
いわば社会的に、放置されてきたに等しいように思われました。
このような都市を、どう活用し、進化させていくべきなのか、
モータリゼーションの流れのままにではなく
こうした都市構造についての前向きな論議を考えるべきではないのでしょうか?
いわば、2050年くらいの未来スパンで、
日本の現状の都市をどのように活用していくのか、
そういう論議を起こせば、産業政策としても、有益ではないのでしょうか。
まぁ、日本的なニューディール政策の大きな柱になるし、
世界が目指すべき、省エネで省CO2な社会のモデルにもなりうる。
既存地方都市中心部については
大規模な借り上げ政策をとって、政府が集中管理し、
それを低額な賃貸料で若年層に開放させることで、
あらたな生活文化の創造に役立てる、くらいの政策はあってしかるべきではないか。
政府紙幣の発行などという、
あるいは定額給付金のばらまきなどという「政策」論議では
この国・社会の沈没を招くと危惧します。
北のくらしデザインセンター
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