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絵画文化のはざま

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写真は浅草寺の手水天井に描かれた龍の図。
龍は水に関係するモノとして描かれているのですね。
以前から思っているのですが、
日本の絵画と欧米絵画の描かれるキャンバスの違い。
両方をいっしょに見る機会があると一目瞭然なんですが、
欧米の有名絵画って、大体はキャンバスに描かれるのに対して
日本の場合は掛け軸とかふすま絵というのが主流。
欧米では壁を固定的に飾るという考え方なのに対して、
ちょっと違うように感じるんですね。
なぜなのかなぁと、思い続けている次第です。
どちらも住宅を飾る基本的な装飾であることには変わりがない。
そういう意味で、家を考えるときに不可欠な要素なんです。
まぁ。基本的には顔料の違いと言うことにはなるんでしょうが、
どうも、それだけではない、美術に対しての考え方の違いを感じる。
日本では、狩野派とか、「絵師」と呼ばれるように
「職人」の一種のような考え方をしているのに対して
欧米ではどうもはじめから一個人としての個性表現として
「芸術家・作家」というように認識されてきたのではないかと思うのです。
それから、欧米では基本的に個人能力に存在価値を見いだすのに対して
日本では、集団的な組織的な存在として認識されている。
東大寺の金剛力士像から始まって
狩野派とか、法人的な制作集団が「受注」する感覚に近い。
個人と言うよりも、家とか集団への帰属性が高い。
食料生産の基本が、狩猟採集の要素も持っている社会と、
集団的労働集約によってしか食料を生産できない社会の違い。
そういう部分が、美術の世界にも反映しているように感じます。
逆に言うと、日本の「職人」というものへの畏敬の念というのは
そういうものづくりへの独特な賞賛であったような気がします。
まぁ、個人主義が育った社会と、そうではない社会の違い。
なので、職人としてあくまでも建築装飾のなかで
その職分を守って、職人に徹するというような思いも感じる。
この写真のように、ごく庶民的な多人数が集まる場所で、
その職分に忠実に伝統の枠をしっかり守る、というような姿勢を感じます。
津軽でねぷたの絵師をやっていた棟方志功が
東京で絵を学んで、作家になったように、
そういう個人の明確化が近代・欧米の美術と言うことなのでしょうか。
棟方さんが東京で美術を学んでいるときに
芸大卒の下宿の奥さんが、かれが襖か障子に描いた絵を捨てた、
という話が伝わっていますが、
このあたり、そういう違いを象徴しているのかも知れない。
そういう意味で、日本の近代以前の残された美術に
欧米人の方が反応したというのは、やはり興味深い。
残された歴史的建築中の美術から、世界標準的な部分を探す、っていうのは
案外面白い楽しみでもあると思われます。
っていうような流れで見ると
こういう絵に、いろいろな思いがしてきます(笑)。
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