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「見える化」と幸せ感

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いつのころからか、「見える化」という造語が交わされるようになって来た。
どうも感覚としては、中央省庁の役人言葉にルーツがありそうです。
Wikipediaでは、

広義には可視化と同義だが、狭義には可視化されづらい作業の可視化を指す経営上の手法として、一部の人が使っている言葉である。学術的な用語として確立した言葉ではない。

とされていて、記述には続けて問題点も指摘されている。

目的意識を持たずに「流行っている」「何となく効果がありそう」で
見える化を行っても、現場に負担を強いてリソースを消費するだけで、
成果が上がらないことが多い。
目的を持ったうえで「その目的のためにどの作業工程の何を見える化し、
その結果からどのような対策を打つか」までを
考えてから行うことが望ましい。
また、業務の今まで把握されていなかった知られざる部分を
見える化によって把握し、改善を講じるということは、
言い換えると「今までの業務のやり方は駄目だった」と指摘することでもある。
そのため、事前の関係者間による調整が十分でないと、
円滑に改善できなくなる恐れがある。
現場のマインドなど自己申告による主観的な値を数値化しても、
目的を意識したバイアスがかかってしまい客観的な判断材料にはならない。
そのような点から「『見える化』を唱える論者が、
往々にして『見える』とは何かが『見えていない』
あるいは『見ようとしない』」といった
他の多くのバズワードと同様の問題点を抱えているという指摘も存在する。

というような次第であります。
まぁ、あんまり日常語とも言いづらく、
だんだんビジネス的には使われるようになって来た言葉でしょうか。
住宅の世界で言えば、写真のような使われ方が一般的。
これは先般来紹介した「エネマネハウス」での定点観測データ。
いわゆるHEMSというようなものでしょうが、
どうもこれって、省エネのための省エネだけのもの、
というような感覚が根強く感じられて、
研究検証用としては理解出来るけれど、
一般日常アナログ的生活感覚には、まず、縁遠く感じる典型。
だから個人としての人間の幸せになるのかといえば、
確かに「利益」にはなる可能性がある(何々が過剰だから節約しようとか)
けれど、それは「トクする」ということであって、
「しあわせになる」ことではないように思わざるを得ない。
ちょっとこのあたり、微妙だけれど、
生活心理と、社会管理者意識とのせめぎ合いで
後者の側の押しつけが目立っているなぁと思う次第であります。
もちろん、その研究成果を否定するものではないのですが、
わざわざHEMSの機械を自分でお金を掛けてまで設置するか、
といわれれば、微妙ということです。
一般的にはどうなんでしょうか? 疑問を持っています。

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