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【建築探訪へ復帰/金沢城「石川門」】

 しばらく全国各地の建築探訪紀行を休止していましたが、本日から徐々に復帰していきたい。仕事での経験からやはり住宅・建築を見ることがわたしの最大の数寄なので、パソコンのなかに保存されている膨大な写真類情報量から、そこで思っ […]

【日本人的詩心と音楽性・5-7語の旋律とは?】

 だんだん加齢してきて、仕事人生にも一定の区切りがついてきて、自分が生きてきたなかでいろいろと疑問に思ってきたことへの「探究心」がすこしづつ頭をもたげてきている。  きのうサイモンとガーファンクルの名曲「冬の散歩道」につ […]

【三木城干殺し戦後、秀吉の経済復興➡「金物」産業勃興】

戦国期の武将たちは戦争指導だけを行っていたのではない。軍事とは政治の極限形態ではあるけれど、政治にはその基礎構造としての経済への透徹した着眼がなければならない。この畿内から西国、中国九州へと向かう東播州の交通の要衝地であ […]

【織田と毛利、東西対決最前線「三木城」攻防戦】

 東播磨の要衝・三木城をめぐっての三木合戦は、天正6(1578年)5月5日から天正8(1580年)2月2日にかけて行われた。ここまでの播磨地域をめぐる政治軍事情勢では、畿内地域を押さえて安土城の築城にも手を付け始めた信長 […]

【2年間を掛けた三木城「干殺し」兵糧攻め】

 戦国時代ものが好きだというのは、いまや日本人に刷り込まれている歴史観だと思います。国民作家と言われた司馬遼太郎が、この時代を国盗り物語とか新史太閤記などで大衆的人気を絶対的なものとしたことが、たぶん大きかったのでしょう […]

【戦国末期、織田家・秀吉軍部隊と三木城】

Screenshot[/三木城跡]  さてアメリカ大統領選は時差の関係もあり、帰趨の情報はまだ発信されてこない。そういうことなので、ブログ記事としては代わりに、いまなにかと話題になっている「兵庫県」で縁の深い「三木城跡」 […]

【昭和天皇の神島上陸・戦艦長門でご進講 南方熊楠-7】

 さて南方熊楠の自邸を6回ほどのブログ記事で見て来たのですが、そういう南方が日本史のスポットライトを浴びたのは、生物学に造詣を深められていた昭和天皇が、南方熊楠の学問追求を知って、紀州を訪れてかれから直接「進講」を受けら […]

【瓦土塀と木壁のデザイン風合い 南方熊楠邸-6】

 本州地区の古建築、古民家などを見ているとときどきお目に掛かるのが、写真のような瓦入りの土塀。初めて見たのは熱田神宮に織田信長が桶狭間合戦の勝利祈願をして、それがみごとに成就したのでお礼として奉納したとされる「信長塀」。 […]

【アマテラス「自然崇拝」と南紀の風土 南方熊楠邸-5】

 写真は、南方熊楠邸のなかの「書斎」周辺の様子。わたしが南紀に強く惹かれるようになったのは、記紀伝承での神武東征譚にどのような空間的な「蓋然性根拠」があるのだろうか、という探究心からでした。そこから難波から迂回して神武帝 […]

【108年前、大正初期の南紀・田辺市の街区と現在】

 南方熊楠さんの自邸探訪その2であります。こちらの敷地はおおむね400坪ほどで、江戸期に紀州藩の「支藩」であった安藤氏の城下町というのが街区の由来。旧邸で質問にお答えしていただいた女性からの伝聞では、南方家というのは、こ […]