判官っていう官名からは多くの人は義経のことを想起すると思うけれど、北海道人の場合、もうひとり開拓判官・島義勇のことも想起する。 北海道神宮本殿入り口の正面向かって左手には、かれの銅造、「開拓三神を背負った」姿がある。 […]
Posted on 5月 26th, 2024 by 三木 奎吾
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判官っていう官名からは多くの人は義経のことを想起すると思うけれど、北海道人の場合、もうひとり開拓判官・島義勇のことも想起する。 北海道神宮本殿入り口の正面向かって左手には、かれの銅造、「開拓三神を背負った」姿がある。 […]
Posted on 5月 26th, 2024 by 三木 奎吾
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北海道草創期の古写真再発掘シリーズ。 現在の北海道庁赤煉瓦庁舎は、札幌の観光コースの定番と言える存在。実際上の実務部門がそこにあるワケではなくその後ろ側のコンクリート建築に機能は移転しているので、いわばランドマークと […]
Posted on 5月 25th, 2024 by 三木 奎吾
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わたしの札幌の高校時代の友人たちには「屯田兵の子孫」という存在もいる。いまの札幌市西区役所のあたりには屯田兵の指揮所のような建築があったとも言われている。また、隣接して「琴似神社」があって、屯田兵のなかの宮城県出身者が […]
Posted on 5月 22nd, 2024 by 三木 奎吾
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どうもこういう北海道初期の写真には、心が反応してしまって、とらわれてしまう。 わたしの家系は祖父の代の時、大正の初年ころ広島県の福山市周辺地域から一家を挙げて北海道に移住してきた。その事実を物語ってくれる写真などは存 […]
Posted on 5月 21st, 2024 by 三木 奎吾
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先日来、わたしのMacデータ中の北海道の古写真類の整理作業も行ってきていますが、そのなかに先般深掘りしていた「中世の武家の北海道移住痕跡」〜函館志苔館・小林氏居館シリーズと関連しそうな古写真を発見しておりました。って、 […]
Posted on 5月 20th, 2024 by 三木 奎吾
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道南十二館という北海道島の歴史の中で、どうも縁遠いなぁと感じ続けていたテーマについてたまたま探訪の機会が得られたことで、いろいろな側面を見て来られた。 このコシャマインの戦い以降、有名なシャクシャインの乱などへと、北 […]
Posted on 5月 9th, 2024 by 三木 奎吾
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さてアイヌの人びとが明確な戦闘目標対象として「道南十二館」の志苔館攻撃に立ち上がったのが、コシャマインの戦い。松前藩の史書「新羅之記録」の記述では、総数1万にも上る攻撃軍が300の守備兵の志苔館を襲ったと書かれる。動員 […]
Posted on 5月 8th, 2024 by 三木 奎吾
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北海道島の歴史でアイヌ民族と道南十二館という鎌倉〜江戸期の日本社会由来の「武家勢力」の確執、騒乱は繰り返し勃発する。はるかな後世人である北海道人にとっては、避けては通れない歴史の局面だけれど、明治以降の近現代が深く直接 […]
Posted on 5月 7th, 2024 by 三木 奎吾
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わたしはこれまで北海道の歴史については、基本的に明治以降の北海道開拓と日本社会からの殖民、そのための最大のテーマであった「日本住宅技術の寒冷対応」ということが基本認識でいた。 たぶんこのことは住宅に関連する人間であれ […]
Posted on 5月 6th, 2024 by 三木 奎吾
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昨日、ようやく環境にやや落ち着きが出たので、懸案になっていた「道南十二館・志苔館」の小林氏についての論考を再開した。予定があってカミさんと十勝へ往復することになっていたので、大急ぎになってしまって文章の「校正」までとて […]
Posted on 5月 5th, 2024 by 三木 奎吾
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