さてふたたび函館市の東側海岸線にある「志苔館」探訪記の続篇。 この志苔館のさらに東側約10kmほどに明治になって造営された「石崎地主海神社」がある。この神社の「末社」というようなカタチで「御霊」神社が祀られていて、そ […]
Posted on 5月 4th, 2024 by 三木 奎吾
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さてふたたび函館市の東側海岸線にある「志苔館」探訪記の続篇。 この志苔館のさらに東側約10kmほどに明治になって造営された「石崎地主海神社」がある。この神社の「末社」というようなカタチで「御霊」神社が祀られていて、そ […]
Posted on 5月 4th, 2024 by 三木 奎吾
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1968年になって志苔館下の国道278号線の拡幅工事で、3つの大甕に入れられた膨大な量の古銭が見つかった。古銭はその相当部分が出土後に盗難にあったとされるけれど、残った枚数だけでも37万4千枚にものぼり、これは日本国内で […]
Posted on 4月 30th, 2024 by 三木 奎吾
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さてGW中なのであちこちの出没記事が入ってしまうので、テーマ記事も休み休みになっていますが、ふたたび道南・函館市内の「志苔館」について。 わたしとしては南北朝の争乱の結果、この函館の海岸段丘高台にいわば「亡命陣地」的 […]
Posted on 4月 29th, 2024 by 三木 奎吾
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きのうなにげに函館市内に残る中世城郭「志苔館」遺跡参観の記事を書いたら、けっこうな反響があって驚いています。建築と関連しての歴史探訪、そこそこ多くのみなさんの関心を惹くのだなぁとあらためて気付かされた次第。「道南十二館 […]
Posted on 4月 27th, 2024 by 三木 奎吾
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道南の観桜旅ですが、わたしとしては歴史数寄の血がどうしても騒ぐ。北海道人だけれど、道南・函館はいろいろな日本史との交流が確認できる場所が多いのですね。 以前にも来訪しているけれど、いまは函館市志海苔町にある志苔館を再 […]
Posted on 4月 26th, 2024 by 三木 奎吾
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わたしの年代は日本の戦後社会が起動していく1960年代が青春期。最初の東京五輪に向かって社会が大きく変貌していく時代だったけれど、それは同時に「モータリゼーション」が一般化して行く過程でもあった。わが家は食品製造業で札 […]
Posted on 4月 21st, 2024 by 三木 奎吾
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この家は江戸期に「日本書紀」を徹底探究した本居宣長の家系が暮らしていた家。三重県松阪市の城郭公園のなかに移築保存されている。以前は街中に建てられていたのだが、明治末期に大火が松阪を襲い、そのとき先祖の本居宣長さんが日本 […]
Posted on 4月 13th, 2024 by 三木 奎吾
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加齢してくるとだんだん仏教などの世界に近づきたくなる(笑)。いま「家整」しているカミさんの実家には仏壇があるので、仏道の初歩の初歩くらいは修行している般若心経を諳んじているわが身としては(笑)、行く度にお詣りいたしてい […]
Posted on 4月 11th, 2024 by 三木 奎吾
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古事記という書物は、日本人と日本文化にとって基盤的な文献であるけれど、原文は漢文によって書かれているので、そのまま読むということは一般人には困難。 〜天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神。次高御産巣日神。次神産 […]
Posted on 4月 6th, 2024 by 三木 奎吾
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さて1日、友人の葬儀の話題になりましたが、本日から中世の伊予松山城塞の話題に復帰。 この湯築城は豊臣政権成立期に中央権力によって「地域権力」としては終焉した。家系としては同族とみなせる播州英賀の「三木氏」も同時期に織 […]
Posted on 3月 30th, 2024 by 三木 奎吾
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