
先日来、なにげに投稿した「床下暖冷房エアコンの設置位置」記事について
たいへん多くのみなさんからの閲覧がありました。
上のスクリーンショットは、投稿翌日の閲覧数ですが
下のスクリーンショットは3日後のFacebook上の「リーチ」数。
ついに10,000を超えまして、関心の強さを感じました。
また、これも日頃からの興味テーマであるZEHについての昨日の投稿にも
たくさんのコメントが寄せられて、それへの対応返信投稿の方が
はるかに本文を上回っておりました(笑)。
とくに、早稲田大学創造理工学部建築学科教授の
高口洋人先生からは、欧米のZEHについて詳細なご教授をいただきました。
以下、要旨です。
〜EUの政策はEU本部で基本方針が決定され詳細は各国が決める。
ZEHの目標値も何を含めるのかも国によって異なります。
大元の法律は2002年に制定されたEUのEPBDという法律。
エネルギー性能の可視化とその提示の義務化を主眼として
ZEB/ZEHの制度化を2020年までに求めています。
つまり各国政府には10年の余裕があった。
日本では2014年の閣議決定が表面的には最初。4年遅れている。
実績ベースなのか設計値なのか? というのはある種の神学論争ですが、
EUが設計値としたのは、対応が新築に限られるという現実的な対応。
EPBDの既築建物の評価も半日程度のウォークスルーでの簡易的な算出。
もっともこの数字と実績値が大きく違うと問題になっています。
アメリカの場合は、建築基準も各州で違いますし面倒なので
実績値で揃えたという印象ですが、投資家が信用するのは実績値なので、
ZEHを市場圧力で普及させるという方針が徹底している。
日本の定義では、NearlyZEHで75%削減。
創エネ義務化ではありませんが、実質的に断熱強化だけでは達成が難しい。
設計となっているのは、確認できるのが確認申請時なのでなっているだけ。
実績値となると所管が変わるという縦割り行政もあるので議論されていない。
いずれにしても「省エネ偽装」的な問題もいずれ起きるでしょうから、
実績値ベースの議論も徐々にされるようになると思います。
しかし研究者の目からすると、パッシブデザインをまず徹底して、
負荷を減らした上で足りない分を創エネで賄う順番に当然なると思うので、
自然志向の設計となんら矛盾しないと思ってしまいます。
PVは板とコンディショナーとケーブル類なので、よほどシンプル。
デザイン的に気に入らん! というのは分かりますが、
ニーズがあればこれから新しい素材やデザインがどんどん出てきますから、
それなりに解消される問題だと思います。〜〜(以上)
という、わたしの書いたテーマを掘り下げた詳細解説的な投稿をいただきました。
まことに、ありがたいご教授と感謝申し上げます。
さらに、経産省のZEHロードマップ検討委員会委員の
九州のエコワークス代表・小山貴史さんや他のみなさんからも多数のコメント。
いずれもわたしの本文以上にはるかに中身が濃い(汗)。
こういう「世論」が起こっていくのは、住宅業界にとって
たいへん意義が深いのではないかと思っています。
ぜひ、わたしのFacebook投稿へのコメント類を参照願えれば幸いです。
Posted on 8月 2nd, 2016 by 三木 奎吾
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図表は国のZEH関連資料を整理していて抜粋したもの。
アメリカやEUが大きく政策としてカジを切ってきている中で、
日本の政策当局が焦りを募らせてきた背景を知ることができる。
そもそもの「ZEHの定義」を詳細に見ると
それぞれで微妙に異なっていることがわかり、視点の違いもわかる。
とくに欧米間で、対象とする「段階」に違いがある。
アメリカではエネルギー利用の「実績値」が評価基準なのに対して
EUでは日本と同様に設計時の「想定値」としている。
また、家庭内でのエネルギー消費の対象として、
アメリカは暖冷房・換気・給湯・照明・家電・調理と全て対象にしているのに、
EUは暖冷房・換気・給湯・照明で、家電・調理(厨房)は除外されている。
どちらの条件設定でも日本はEU基準の方に近い。
あらためて見てみると、2020年という目標年も
世界共通の年限であることが再確認できる。
ただし、アメリカは2008年に、そしてEUも2013年に基準設定したのに
日本は、2015年と時間的に大きく出遅れ、
いかにも「大急ぎ」で取り組んでいる印象が強い。
しかも欧米では「ZEH READY」、すなわち「創エネ」については
機器のさらなる性能進化を促して、設置を必ずしも必須にしない方向。
欧米では太陽光による「創エネ」は必須でないケースが多いのに
日本ではまず太陽光発電設置ありき、という政策誘導になっている。
こうした施策を受け入れる国民意識でも違いが大きい。
お上というものへの感覚も、欧米と日本では違いが大きいと思う。
日本では江戸という時代が涵養したとされる
国民性としての「従順さ」があるけれど、
欧米は主権在民的民主主義が強固で、個人主義が優勢だと思う。
ただし、民主主義らしく決まったことへの真摯さには強固。
たとえばトランプさんが本当に大統領になったら、
かれの志向性からして、この目標の遵守にどこまで真剣か、
TPPへの対応を見ていると、より個人重視型の政策志向が強まるのでは。
こうして比較してみると、アメリカの「運用時の実績」評価に共感を持つ。
この制度設計であれば実際としてのエネルギー削減の方に真摯であり、
一方の日本では、省エネよりも「創エネ」の方でカバーしようという志向が
どうしても見え隠れしていると言わざるを得ない。
またEUの決定構造は不明だけれど、設計時の想定値評価という基準は、
日本国家の財政制度の「単年度主義」による制約という
側面が強いのではないかと思われる。
アメリカのような「運用時の実績」では、複数年度にわたっての
予算執行が不可欠になる点で、日本には似合わないとされたか。
アメリカは長らく省エネに不熱心とされてきたけれど、
取り組むとなったら、けっこう本気になるモノだと思い知らされる。
など、いろいろな想像を持たされる彼我の相違ですね。
Posted on 8月 1st, 2016 by 三木 奎吾
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どうも食あたりのようで、体調がイマイチ、思考が集中できずであります。
本日は、住宅ネタはお休みします。悪しからず。
こんなときには、家族LINEが気が休まってよろしい。
っていうことで、話題は「ポケモンGO」であります。
・・・余談ですが最近、北海道内民放テレビ局の地元番組を見ていたら、
さかんにこの状況を「ポケモン」ブームと呼称していた。
・・・わたしですら、なんか違うのではと思って見ていましたが、
番組の内容自体は、やっぱり「ポケモンGO」のことのようでした(笑)。
インターネット時代、情報や言語の拡散スピードが速くなっている時代、
地方放送局という存在も、なかなか付いていくのは大変だろうと思いますね。
でもまぁ、「ポケモンGO」は親世代のわたしにはサッパリ内容不明。
「世田谷公園にミニリュウが大量に出るらしくて」
「大の大人が昼間っからごった返してる」
「深夜でこんな感じ(上の写真)だから●おかしい」「きもっ」
っていうような状況だそうであります。
で、なぜか、こんな書き込みが・・・。
「父さんやったら強そう」
「めっちゃ歩くし笑」
「たしかにwww
まえに散歩中にリスみつけてたから
ポケモンもたくさん見つけそうだな( ˙-˙ )」 「そう笑」
わたしとしては、なぜわたしが「強そう」なのか、サッパリ不明。で、
「なんで父が強そうなんだ?」と聞いてみた。
「( ˙-˙ )父よ、ポケモンGOはリアルに歩いた距離でレベルが上がったり、
歩き回ってポケモンを探したりするゲームなのだよ」
「( ˙-˙ )たくさん歩く人が、たくさん強くなれるゲームなの!」
・・・「おお〜〜、理解。わたし父、最強」と腑に落ちた。
まさに老いては子に従えであります(笑)。
で、遅れて参加のカミさんから、
「母はまだポケモンしてる人みてない」というツッコミ。
「会社に居ないし、移動は車だし、
今仕事で十勝走ってるけど牛ばっかりで人歩いてないし」
「( ˙-˙ )なるほど…それは見なそう」
というような書き込みで、ほのぼのとした気分ゲットでした。
Posted on 7月 31st, 2016 by 三木 奎吾
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本日はお馴染みのZEH(ゼロエネハウス)情報であります。
どうもわたしのZEH情報発信は、反ZEHアジテーションだという
声なき声(?)が聞こえてきております。
東大・前真之准教授から、トランプ大統領候補のアジ演説と対比した
「トランプ三木」という、わりとお気に入りネームもいただいた(笑)。
が、感謝こそすれ、筆鋒はいささかも影響を受けません。
一昨日も札幌市内である住宅研究団体の会合があって、
講演者の方から会場全体に対して質問が提起され、
「ZEH、好きですか? きらいですか?」という一問一答。
会場の答は、圧倒的に「大っ嫌い」というものでした(笑)。
で、わたしにその後発言の機会を振られたので、お答えしたのですが、
ZEHに対しての違和感を解読すると、
どうも表題のようなことが、突き当たってくるのです。
多くの住宅生産者は、自身のいろいろなマーケティング努力の結果、
ようやくにして個別のユーザーと住宅計画を共同するようになる。
景気が悪くなれば、建て売りのような販売形式にも手を出すけれど、
基本的には建て主さんの思いを汲んだ「注文住宅」受注を目指している。
建て売りは土地の仕込みやら原価の前倒し発生もあって、
ギャンブル性が高く、経営としては注文住宅がいちばん安全率が高い。
基本的には建て主からの注文を極力反映した注文住宅という
「受注生産製造業」なのだと思います。
そこでは自然素材のすばらしさのような志向性が語られあっている。
その会話プロセスで、住宅生産者がZEHについて語らねばならない。
自分自身が本当にそう思えていることしか、相手を「説得」できないのは自明。
どうもZEHへの違和感はそういった場から沸き起こって来ている。
一方で経産省という国の組織は、
「国策」を業界に「指導する」という思惑を持って住宅業界に関わってくる。
エコカー施策推進というかれらの「成功体験」からすると、
製造業に対しての業界全体の方向付けに自信も持っているのだと思います。
ただし自動車メーカーは基本的に工場ラインでの生産管理に基づく製造業。
そこでの生産商品は、事前に入念なマーケティング調査をするとはいえ、
基本的には工業製品として市場に出荷される。
こういう業界と受注生産製造業とでは自ずと生理的構造に違いがある。
このあたりの相違について、経産省側ではどんな作戦を立てているのか、
いまのところは、どうもエコカーでの体験の後追いというイメージが強く、
大手プレハブメーカー寡占化を通しての市場コントロール指向がみえる。
まずは太陽光発電ありき、という基本的方向性では、
家づくりのポリシーの部分で、あまりにもメカ志向が強すぎて
「自然派」の家づくり志向という多くの住宅生産者の方向に寄り添っていない。
ただ「トランプ三木」とは揶揄されてはいますが、
わたし自身はできれば常識的なクリントン派でありたいと思っている(笑)。
こういった違和感をほぐして、本来のエコロジカルな目的に叶う
ZEH推進の方向性をぜひ共有していきたいものと思っています。
大きな流れの中で、よりよいZEHのかたちを考えていきたいですね。
<きのう発信したブログは1日未満で5000人近い人にリーチ。
エアコンという身近な機器が、高断熱住宅に熱源採用されて、
多くの温暖地のみなさんの興味のきっかけになっている実感を持ちました。>
Posted on 7月 30th, 2016 by 三木 奎吾
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写真は先日取材してきた函館市内での地元ビルダー・渋谷建設さんの
ZEHモデルハウスの床下エアコンの様子。
エアコンは筐体上部から吸気して、熱交換して筐体下部から
「暖冷気」を送出する仕組みになっているので、
この設置方法では、1階の空気を吸気して、今の時期だと冷気を
床下に対して吐き出していく。
そうやって冷やされた空気が床下に貯えられ、
それが送出風をエンジンにして「換気ガラリ」から上階に対して
「送風」されて居室である1階の気温を降下させていく。
冬場であれば「暖気」は上昇気流となって上階に供給されるけれど、
冷房運転の場合は、あくまでも「送風」によって上階は冷房される。
肝心なのは、エアコン筐体を囲うように床面レベルで「ふた」がしてあること。
こうすることで空気の流れに志向性が明瞭に与えられている。
ただし夏場の冷房としては、この位置の他に階段上部などに
もう1台冷房用のエアコンを設置して冷房を行うということ。
冷房の効率としては、そっちの壁面設置のほうが効率は高い。
この写真とは違って、1階床下空間「ピット」内に
完全に筐体すべてが置かれている場合、
吸気も床下空間のそれを吸い込んで、冷気を送風することになる。
この場合には、やがてショートサーキットを起こす可能性が高い。
冬場の「暖房運転」では、それでも上昇気流効果の方が高いだろうから
十分に運転が機能すると思われるけれど、
冷房運転では、完全な「床下ピット設置」は運転効率は高くない。
こういったメカニズムについて一昨日、仙台で鎌田紀彦先生に
くわしくご教授いただき、ストンとようやく納得できました。
本州地区の新住協のビルダーさんたちは、
こうした「エアコン暖冷房」について、実証研究を繰り返してきている。
いまは、さらに進んでダクト式のエアコンでちょうどいい小型機が出てきていて、
それで熱交換された暖冷気を、1階床下と2階床下・1階天井間のピットに
「送風」して暖冷房した空気を、それぞれガラリから
室内にゆったりと流動充満させる方式に進化してきている。
こうした進化したエアコンの使い方について、温度環境測定を
東大の前研究室の協力を受けて、測定してきているということでした。
最近注目が集まってきているエアコン暖冷房の手法開発、
これについては、北海道だけではなく全国的な知見の蓄積に
大いに学んでいく必要があるのだと実感させられました。
Posted on 7月 29th, 2016 by 三木 奎吾
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2日間、仙台への出張でした。
やはりわたしには通常業務の他に建築や住宅の鑑賞、取材は必須です。
きのうの午前中に用件をあらかた片付け、以前から見学したかった
宮城県北東部の登米の表題の建築見学へ。
この建物、隈研吾さんの日本建築学会賞受賞建築です。
思った以上に遠くて、仙台市内から片道で70〜80km超。
う〜〜む、隈研吾作品なかなか手強い(笑)。
隈さんの作品は、北海道十勝の大樹町の「メムメドゥス」以来、
あちこちと見学させていただいております。
ことしは国立競技場設計で伊藤豊雄さんを押さえてプランが採用された。
外観についての隈さんの説明を以下抜粋。
〜町のほうから能楽堂を見ると、スギの間伐材を使ったルーバーに。
かすかに向こうが透けて見えるという感じをつくっています。
ルーバーは角度とか光の状態によって、完全に透明になったり、
板状のものに見えたりと、見方によって全然達います。
時間によってまったく変わって見える物質性、要するに
写真では伝えきれない物質性というものがルーバーにはあります。
たいへん魅力的で、このあとルーバーが頻繁に出てきます。〜
っていうことだそうです。
いろいろな隈さんの作品でも特徴的に使われている。
今回の国立競技場には、北海道カラマツが大量に使われるとも聞いた。
設計意図として屋外型の能舞台を作りたかったということで、
周辺の山からの森の気配のなかにぽっかりと能舞台が浮かんでいる。
それを際だたせるのに、ふつうは「白州」という白い砂で仕上げるのに、
ここでは「黒い砂」を使った、ということでしたが、
昨日行ったときには、乾燥して白っぽい砂になっていた(笑)。
平面的には、主要な「見所」という屋内鑑賞室が能舞台と正対している。
その左側に「黒い砂」を敷き込んで段々になっていて、
段の縁をステンレスのフラットバーで押さえてスパっと切り、
ちょうど水面が滝のように流れ落ちているようになっている。
まことに緊張感を感じさせる見せ方であります。
能舞台の屋根仕上げは、東京駅にも使われて話題の地元の玄昌石。


「浮かんでいる」ようにしたかったということで、
普通は「幕板」で覆う舞台の下が開放されている。
能舞台というのは、一個の「楽器」だと言われるのですが、
その所以があきらかになっていて、大変面白かった。
ごらんのように、大きな甕がいろいろな方向に向かって口を開いている。
この上の「舞台」を能の役者さんが「踏み鳴らす」ことで、
いわば太鼓の面のようになって、発生した音響が各方向に伝わっていく。
こういった設計仕様が施されているのですね。
いろいろ面白い発見もあった楽しい建築鑑賞でした。
Posted on 7月 28th, 2016 by 三木 奎吾
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図表は年少(14歳まで)、生産可能年齢(15-64歳)、高齢者(65歳以上)の
北海道での各区分別の人口動態の年代推移。
高齢者の人口自体は、2015年の155万人から2035年の165万人と
そう大きな増加はないと予測されている。
大きく減少するのは生産可能年齢で、2015年の324万人から
2035年には、240万人と率にすると26%減少する。
こういった人口減少はいまの政府の努力目標の進展推移にもよるけれど、
確実性の高い未来像として、経営的には予測しておかねばならない。
しかし一方で、AI化の進展や産業ロボットの普及、
さらに限度を区切った労働力移民の導入などで、
日本経済市場・社会の労働力不足は底支えされる可能性も高く、
日本のGDP自体は現状維持+若干の成長という蓋然性は十分にある。
さらに今後の社会では「高齢者」という区分けが、
そのまま「非労働力」とは単純に決められないのではないかと想像される。
健康な高齢者からまだまだ働きたいという希望が湧いてきている。
いずれにせよ、高齢化社会を乗り越えようとする日本人の知恵は
希望的に見ることも大いに可能ではと思われます。
なんといっても、戦争のどん底から奇跡の復興を遂げた社会なので
そうした「復元力」は大いにあり得るだろうと思われます。
住宅の側から、このように描かれ得る未来において、
さて、どのような住宅の形が求められるようになるか、
その想像力を磨いておくことは、大いにやる気を引き出すテーマ。
そうでないとすれば、高齢化という人類が向かっている方向は
ただただ滅亡への道であるという、悲観論をしか生まないと思います。
そういう未来に於いての「魅力に満ちた」住宅のイメージとは、
さてどんな形のモノが想像されていくのでしょうか?
間違いなく家族数は決定的に少なくなっていく。
直感的には、これまでの「伝統的住宅価値感」=子育てのためのイレモノから
より「パーソナルな価値感」に寄り添うような住まいの魅力が
求められるようになるのではないか。
また違う見方では、その「価値感」とは現状求められている価値のなかから、
ある要素がより強調されていくことになるのではないだろうか。
たぶん、すでにそういった未来的価値感の萌芽はユーザー心理の
発露の中に、すでに顕れているものなのだろうと思われます。
きっとその要素に気付くか、気付かないかの違いしかないのでしょう。
日々の取材の中で、そういう未来からの「ささやき」を
丹念に「聞き取って」いきたいと思います。
ただ、それはよりエネルギー縮減型になっていくことだけは間違いがない。
Posted on 7月 27th, 2016 by 三木 奎吾
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上の図は、北海道での住宅と高齢化社会の推移を表現したもの。
すでに大きな意味での「縮減」は起きていて、
こういった数字を見てさっそく事業領域の縮減、撤退という考え方もある。
実際にここ10年で北海道では建築事業者が35%減っている
というデータも出ています。
しかし一方で、それに「対応」できているかどうかこそが
一番大切なことであることも明確になって来ている。
繰り返し、こういった予測は出てくるのですが、
時間は徐々に進行していくので、対応の仕方によって
生み出されてくる現実には、大きな違いが出てくる。
やはりこういった数字を見て、
生き延びて行くには、どういう志向性を持って対応すべきを考えるのが
なすべき王道であることは間違いない。
そういった考え方でよく見ると、人口減少スピードと世帯数減少には
かなりの落差があると思えます。
人口は1995年前後が上限値で569万人であるのに、
世帯数はその上限値は2010年前後の237万世帯となっている。
2030年を見てみると、
人口は468万人でピークの1995年から約18%の減少率。
一方、世帯数の方は、211万世帯でピークから11%の減少率。
世帯数の方の縮減率がなだらかに推移すると言うことが見て取れる。
住宅というモノの求められる機能として、
こういった変化がどのように働いていくか、
そういった想像力も大いに働かせる必要があるのではないかと思います。
そういえば、住宅は戦後以来、まずは量的な問題であった。
ハウス55計画などによって「大量生産」型に国の施策自体がシフトしていた。
その趨勢が住宅業界の「構造」をも規定してきたのでしょう。
そういう社会的ニーズについて想像を巡らせてみると、
やはり「質への転換」ということは第1に思い浮かんでくる。
このテーマ、いろいろ面白そうなので、継続とします(笑)。
本日は仙台出張であります。
朝イチ便なので、本日はこれにて失礼。
Posted on 7月 26th, 2016 by 三木 奎吾
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写真は、洞爺湖の風景です。
ご多分に漏れず、中国語ばかりが聞こえる観光地であります(笑)。
今回は金曜日に札幌を出て函館にクルマで出掛けた次第
途中は住宅見学と意見交換会、その後懇親会で久しぶりに2次会まで。
で、土曜日に函館からの復路も長距離ドライブ。
往復おおむね600kmの行程。
その結果はやはり結構、体力的に疲労が来るようになってきた。
昨日は、けだるくて1日ゴロゴロとしておりましたが、
どうも回復力というのが、落ちてくるモノなのでしょうか。
以前、5〜6年前までは1日600kmくらいは平気だったのですが、
クルマで疲れが出てくる距離が、加齢と共に短距離化してくる。
わたしは、モータリゼーション普及と人生が重なっている年代。
小学生くらいの時に父の始めた食品製造業の配送トラックがわが家に来た。
兄などが運転する助手席で同乗するようになり、
助手席に乗っているだけでも、運転カンは養われていたと思います。
そんな環境でクルマを空気のように身近なものに感じていた。
18歳になって運転免許が取得可能になった途端に免許を取って、
学生時代から運転免許を活かしたバイトもしてきた。
札幌市内の道であれば、タクシードライバーも勤まるくらい土地勘がある。
そんなわたしなのですが、さすがに年齢とともに続かなくなってきた。
長時間、長距離、加齢の条件間の因果関係について
どういった科学的解剖学があるのか知りませんが、
自分自身ではやはり相当の因果関係があるように思われる。
昨年末には家族旅行で神戸〜四国〜広島周辺〜出雲〜兵庫県
っていうような長距離移動をしていましたが、
家族旅行のように楽しい同乗者がいて会話しながらというのと、
ひとりで運転するというのは条件も違いがありそう。
なにせ、丸1日、ものうい思いで過ごさざるを得なくて、
このあたりの因果応報感を体感させられていました。
まぁだんだん、無理は利かなくなってくるということでしょうね。
本日はまだ回復途中に付き、住宅ネタお休みでした。失礼。
Posted on 7月 25th, 2016 by 三木 奎吾
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函館からの帰途、途中の伊達市で札幌から汽車で来たカミさんと合流。
久しぶりに、洞爺湖周辺をドライブして帰って来ました。
で、伊達市での昼食時、立ち寄ったお店で
結構なお庭に面した席に座ることが出来ました。
こういう庭池って、京都などの寺社の庭など鑑賞するのは別として、
自分自身で作りたいみたいな興味はそう強くない方なんですが、
さすがにやや疲れがたまってもいたので、
ながめていると、やすらぎが得られる感じがしてきます。
なんでしょうね、水辺というのは生態系の豊かさを保証するみたいな、
回生感が巡ってくるような印象がある。
そこにいのちが宿りやすいという進化の過程に「経験した」
無意識の生命記憶が働くのでしょうか?
で、たのしく食事したあと、
池の周囲に巡らされた縁に座ってまどろんでみた。
そうしたら・・・


たしかに「いのち」の息づかいが聞こえてきたではありませんか(笑)。
こっちをにらんでいるようなガマガエルの置物。
さらに奥の低灌木の木陰には、なんと二宮金次郎の像まである。
で、目をこらしてみるとほかにも、カエルは青蛙や岩場のカエルと種類豊富。
対岸の池の畔には、茅葺き屋根の民家のような置物もある。
どうやら池のまわりに、石の置物の発する生命感が満艦飾なのです。
しばし、その遊び心いっぱいぶりに「回生」する思い。
お店の庭池なので、わかりやすいテーマ、こどもも楽しめるテーマで
お客さんを楽しませたいという気持ちの表れなんだろうと思われました。
全体としては風情の感じられる佇まいながら、
そのディテールでは、ユーモアたっぷりっていう、
こんな庭池つくりの愉しさに触れると、きっかけとしては
わたしなどにも興味が湧いてくるように思いますね。
まぁこういう置物は、たまに店舗などで見る程度でいいですけど(笑)。
Posted on 7月 24th, 2016 by 三木 奎吾
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