
写真は、日高管内・むかわ町富内地区の点景。
この地域では、水力発電施設を誘致して
その発電された電力でもって
地域の住宅のエネルギーをすべてまかなおうという
「オール電化住宅」の先駆けのようなことを
当時の村長さんが発案したと言うことなんだそうです。
地域のエネルギーを総合的に考えようという発想。
まぁ、工事が難航してその夢は実現することがなかったそうですが、
発想としては面白いものですね。
そんな様子を写真に納めた次第です。
この渓谷美は、なかなかなんですが、
どうもことしの紅葉、これくらいが一番の色づきぶりという感じですね。
夏場、日中と夜間の寒暖の差がそれほどでもなく、
木々の色づきが、今少し不足のままで終わりそうであります。
そういう中では、日高管内の山奥と言うことで、
この近辺は、札幌周辺とは違ってややマシといったところ。
さて、本日は、早朝に起きてちょっとこれから遠出の予定です。
行き先は、札幌からずっと北の方と言うことで、
あしたの更新では、その話題に触れられるかどうか、
っていうか、遠いので、途中で断念せざるを得ないか
微妙(笑)、なんであります。
なんとか、あした、写真付きでご報告できるように頑張ってみます。
ではでは。
Posted on 10月 24th, 2010 by replanmin
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北海道には「国宝」は、縄文時代の「中空土偶」しかありません。
国宝って言うのは、時間の経過が必要であって、
作られてから数百年経たないと、必要要件を満たさないのだそうで、
そうすると、北海道では文字記録が残る時代特定は
なかなかないでしょうから、
国宝が少ないのはやむを得ない要素もある。
第一、長い歴史年代で、農業生産よりも狩猟採取型経済だったので、
人口も少なかった。
なんですが、
そうではあっても人間の営みはあり続け、
モノを作り続けてきた積み重ねはあった。
みごとな中空土偶は、このブログでも紹介しましたが、
なにげない土器にも、手業のみごとさは十分に感じられる。
最近、農業も自然破壊のひとつである、という議論がある。
日本で言えば、弥生以降の基本的食料生産手段なわけですが、
そうなると、縄文までたどりついて、
その社会がたいへんエコロジカルで、
自然に背かない、ライフサイクルを実現していた、という考えですね。
しかし、どうなんだろうと、考えさせられますね。
北海道では、縄文から続縄文、さらに檫文と、
時代が変化していった歴史なんですが、
その時代の様相を見ていると、交易活動が盛んに行われている。
狩猟採取型の社会でも、
基本的に、農業生産型社会との交易が必然になっていた。
アイヌ期になってくると、
もっと明瞭に、それまでの住宅様式が一変して、
竪穴から、平地住宅に変わった。
それは、日本社会から「鉄鍋」がもたらされて、
もう、土器とかまどという装置が食確保の手段として不要になった、
っていうような社会「発展」のプロセスが見て取れるのです。
また、狩猟採取の対象も、
たとえば、ヒグマなどは、純粋にその肉を食べるという対象としては
危険度も高く、そう必要とは思えないのに、
盛んに狩猟されている。
それは、日本社会のような先進社会に対して、
「熊の胆」という非常に高価に売れたから
というのが要因になっているようなんですね。
そういった日本側との交易の権利を巡っての
各部族間の戦いというのも、激しかったようです。
アイヌとは違うけれど、
古代東北で、日本政府側が、
夷を制するに、夷を持ってするべし、
っていう分断政策をとったのは、そういう条件が大きかったからだと言われる。
狩猟採取型の経済構造は、
けっして平和的で、環境に対して調和的だった、
とは一概に言えないのではないかと思います。
縄文の土器などを見ていても、
その手業のみごとさに、むしろわたしたちと同根の
考え方とか、希求を感じられます。
やはり、人間、そうは変わってはいないのではないでしょうか。
Posted on 10月 23rd, 2010 by replanmin
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写真は、北海道上ノ国町の夷王山の中世遺跡復元ジオラマです。
長年のテーマ領域で、調査を進めているのですが、
中国側の王朝記録に、「蝦夷千島王」という朝貢記録があり、
その人物に、どうもこの中世遺跡の主である勢力・人物が
どうも擬せられてきている、ということなんですね。
この中世遺跡は、登ってみるとわかるのですが、
その位置からは、北方の日本海に対して眺望の利く位置にあたっている。
上ノ国の南側の松前では、ひたすら
南方の日本社会との交流という側面だけに考えが集約されている
そういった意識を感じますが、
ここでは、むしろ、北方との交流、交易というものを考えている。
アムール川河口地域とサハリン島は、
一衣帯水であり、活発な交流が中国王朝側資料からも明白。
サハリンは、希少な野生動物・クロテンが獲得できる
狩猟採集社会でも、最上級の交易品を手に入れることが出来る地域だった。
というように認識されていたのですね。
元の時代には、直接支配あるいは間接的な支配が行われてもいる。
で、北海道島は、もちろん日本本州社会との関係が強いのだけれど、
一方で、日本社会に対しての交易品は
むしろより北方の、サハリンやアムール川河口地域との「交易」品が
日本社会側への最大のものになっている。
歴史年代を通して、日本社会側が求めたものは変化したようですが、
基本的にはこういった構図が続いていた時代が長い。
この遺跡の主は、十三湊などでの「北方交易」で
栄えていた安藤氏ではないかと思われるのですが、
このような北方ルートで、中国王朝側と接触を図っていた可能性が高い。
こういった北方交易は、
自然動植物への狩猟採集獲得品が主体であり、
近代経済社会では、その価値観が低下している存在なので、
なかなかその実像をありありと想起することが出来ないけれど、
一貫して、日本社会側でもその交易産品に対する希求心は
根強く存在し続けてきた。
狩猟採集の経済、というものを学ばなければ
もうすこし、リアルな歴史感覚にはならない部分があると思います。
この写真のジオラマをじっとみていると、
そんな思いがわき上がってきます。
しかし、最近の中国側の膨張意識を見ていると、
琉球奪還、とかまで言い始めているようなので、
こういう朝貢記録をタテに、
「北海道も・・・」とまで、言い始めるかも、
っていうように思われて、ちょっと不安な気持ちもしてきます。
まぁ、そんなことを言い始めたら、
朝鮮半島全域まで中国である、ということのほうが
歴史的事実としてはたくさんありますが・・・。
東アジアの世界、なかなか難しい歴史が繰り返されてきたと思います。
Posted on 10月 22nd, 2010 by replanmin
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【巻頭特集/店舗併用住宅】住まいの中の距離感
独立を機に
建て替えるなら
住まいと職場が一体になった店舗併用住宅を考える時、
そこには一般住宅よりも多く、さまざまな課題が生まれます。
どんな住まいにしようか
店舗デザインはどういうコンセプトに
どちらを優先させるべきなのか
快適な住環境であるのはもちろんのこと、
さらに、仕事をする場としての機能やデザインも大切。
「職」と「住」のバランスが取れていてこそ、
魅力的な「店舗併用住宅」が完成するのではないでしょうか。
そんな微妙な距離感を、見事に具現化した3例をご紹介します。
■リフォーム分野
国土交通省の住宅向け施策・長期優良住宅先導事業にも採択された
NPO法人新木造住宅技術研究協議会(新住協・事務局=仙台)の断熱
耐震リフォームについて、その内容と、補助金制度の説明などを記事と
してリプラン的に統括します。
■特集「暮らしをデザイン」
シリーズ第3弾は番外編。五蔵舎・岩野社長(秋田県)が別冊の企画で
対談した劇作家の倉本聰氏との出会いや富良野の自然、寒冷地住宅
研究の聖地・旭川探訪など、北海道の住宅文化や思想に触れた旅の
感想をReplan編集長がインタビューします。
10月21日から東北の書店・コンビニ(首都圏は特約店)で発売しています。
ReplanWEBからもご購入いただけます。
Posted on 10月 21st, 2010 by 三木 奎吾
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中国という国の共産党支配のメカニズムというものは
これまであまり報道されてこなかったと思います。
毛沢東・周恩来の時代の五人組とか、
文化大革命とか、ああいった時代には
それなりにメカニズムがかいま見えた時代があったと思いますが、
鄧小平の時代で、ほぼ安定を得て
その後の、現代に繋がってくる政権交代には
たとえば江沢民から、胡錦涛政権へというような変化の
内部要因はよく見えない部分で来たと思います。
そう思っていたら、突然、「太子党」と「共産主義青年団(共青団)」
というような共産党内部の党派構造が情報として出てきた。
日本の共産党でも、指導者の交代には
一気に世代を飛ばして、中心軸を決めて
その周辺でのバランス調整というような人事を感じるけれど、
中国共産党でも、そのような手法が行われているようだ。
けれども、「太子党」というような呼称が存在すること自体、
いかにも中国的腐敗の源泉のような響きを感じる。
文化大革命期を経て、その時点で権力階級を構成していた
共産党と軍の上層部が、「安定団結」を最優先させたのでしょう。
なによりも人脈コネを最優先する構造を固定化させた。
それに対して、共青団というのは、
伝統的な「科挙」を経てエリートに仲間入りできるという
テクノラートの語感、響きを感じる。
いずれにせよ、こういった「上層階級」内部での話し合いとか、談合などで、
国家運営が図られてきた、というようなことではないかと思われる。
現在の世界情勢では、
中国は国家独占資本主義そのものであり、
複雑にゆれ動く政治と経済の状況の中で、
比較的に「機動的に」対応可能な政治権力構造である、という側面がある。
内需を起こす、というここのところの世界経済への対応策でも
そもそも土地がすべて国家のものであるということを
武器にした大胆な政策を打ち出すことが可能。
そういった状況だったのではないかと思います。
さて、そういうなかで、内政的な大テーマであった、
胡錦涛後継者が、習近平という人物で固まった、ということがニュースで流れた。
こういう内政問題があって、はじめて尖閣諸島問題も
理解できるカギが見えてくるのかも知れない。
日本にとっては、大きな影響を受けざるを得ない
アメリカと並んでの、大きな関係のある国の内政メカニズムであり、
メディアは、もっと突っ込んだ取材をして欲しいと思う。
これだけ、世界にとって大きな経済的存在になってきたのに、
依然として、「独裁国家」である、という国なんですね。
そういう存在と、あるときは仲良くしたり、言うべきことはハッキリ言ったり、
やっていかなければならない。
であるならば、その国の政治決定メカニズムを
もっと、正しく認識しなければならないだろうと思います。
Posted on 10月 21st, 2010 by replanmin
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さて、鵡川の町です。
いまは広域合併になったので、むかわ町ということになったそうです。
北海道でもこの地域はアイヌのみなさんがたくさん住んでいた地域。
地名のむかわというのも、ムカワベツというアイヌ語から来ています。
アイヌ語の「ムカ」(水が滲み出す)、「ムカプ」(ツルニンジンがあるところ)、「ムッカ・ペツ」(塞がる川)など、様々な説があるそう。
なんですが、もう一方のししゃも。
こっちもアイヌ語語源で、
susam(スサム、語源はsusu(スス)=柳・ham(ハム)=葉とされる)に由来する。アイヌの伝説に拠れば飢えに苦しんでいたアイヌを哀れんだ神が柳の葉を流したところそれがシシャモになったということ。
そういった地域ですが、
なんといっても、ノーベル賞を取られた北大・鈴木先生の実家があることで、
一気に町の名前が全国区になった。
で、写真は鈴木先生の実家の様子。
まだ新しい建物で、鈴木先生のお兄さんが
家業を継いで頑張っているお店です。
すっかり有名人になった、そっくりのお兄さんが
ご高齢にも負けず、元気にお店の中で
声を張り上げて、ししゃも大使のようになって
そのおいしさを宣伝されておりました。
さすがにいろいろ、「研究熱心」なご実家のようで、
しょうゆに工夫を凝らしたものとか、お店の中には
こだわりが一杯という感じであります。
しかしまぁ、建物の方はド派手な感じで、
キッチュさがすごい(笑)。
ひとにししゃもの良さを伝えたい、という気持ちが
そのまんま、建物を覆い尽くしている感じがいたします。
ここまで来ると、迫力になっていて
美感云々というのも、なにか野暮な感じがしてくるから不思議。
さすがにパブリシティが行き届いているので、
店内は、ひとでごった返しておりました。
地域の元気、話題に大いに盛り上がっていただきたいと思います。
Posted on 10月 20th, 2010 by replanmin
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きのう書いた「富内」地域は
ちょうど、北海道の過疎地域の先駆けのような存在で
鉄道で町が作られ、その鉄道が廃止になって
それではどうやって町が存続していくか、という試行を
夕張などの産炭地と同様に行ってきた。
写真は、宮沢賢治の設計を表現した
「涙ぐむ目」というテーマの花壇。
鉄道の駅に対して北面の傾斜地に、南側の日当たりのいい位置に
造作されています。
駅舎と鉄路と、対比的に置かれていて、
その存在感の残照が、何かの思いを伝えてきます。
駅と鉄道がなくなって、
集落に中心的存在意義が失われ、
そうすると観光的な方向から、人を集めようという方向になるのは
誰が考えてもそうなるものなのでしょうね。
この富内でも同じで、
その観光の目玉として、テーマパーク的なものとして
宮沢賢治の紡ぎ出した文学世界に着目して
その発露として「北のイーハトーブ」というものをめざした。
なぜそういう考えに至ったのか、
その脈絡はよくわからないけれど、
町民の中から出たアイデアだったようです。
いまは、このイーハトーブはパークゴルフ場になっていて、
周辺の建物、文学世界の資料館とおぼしき建物も
パークゴルフの待合い的な使われ方をしているようでした。
義母は、宮沢賢治のファンであり、
そういうことで、ここをぜひ訪れてみたいと考えたようです。
「なんで、北海道に宮沢賢治なんだろう」というのは
そういった経緯のようなんですね。
宮沢賢治という人は、
死後に、その文学活動に対して
評価が大きくなっていった人。
社会の芸術文化嗜好って、世に連れて変化していくものだと思うのですが、
明治以降、「共通日本語」というものの創出の必要性もあって
日本では、「文学」というものが活況を呈し続けていた。
そういったなかで、多くの才能発掘努力が継続され、
宮沢賢治のような才能も着目されたのだと思います。
日本人の表現活動のひとつの形ではあったのでしょうが、
それにしても、岩手という地名をエスペラント風にイーハトーブと言いかえる
というような時代感覚が、新鮮な世界観として受け入れられたのでしょうか。
死後はるかな時代になって、その世界が大きな観光資源に考えられた
というのは、確かにすごいことだと思います。
しかし、一方で
地域との関連という意味では、どうにも腑に落ちません。
ごく一部でしか、宮沢賢治とこの街が繋がるというのは
思い至らないのが、現実でしょうね。
複雑な思いを感じながら見ていた次第です。
Posted on 10月 19th, 2010 by replanmin
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北海道むかわ町に統合された穂別町ですが、
そのなかにも、さらに奥地に「富川」地区という地域があります。
ここは、昔は鉄道が通っていた町だそうで、
「富川線」という路線だったそうです。
現在では、千歳からの連絡バスが一日一本だけ通っている
そういった集落になっています。
写真は、廃線になった「富川駅」の様子。
駅は、廃止になったときに住民会議の結果、
モニュメントとして残されることになり、
現在でもその鉄路が200〜300m程度残されており、
その上には、汽車も乗せられていました。
駅舎は、現在延命工事中のようで、基礎から上部が離されて
基礎部分の補強が施されているようでした。
駅舎には、運用中の当時の運賃表が残されており、
東京までの運賃も表示されておりました。
これから、放って置いたら、
日本は急激な人口減少局面に突入していきます。
現在の不景気はその序章の始まりなのかも知れません。
人口減少は、地域間格差を激しく伴って進行するという予測。
そうなると、北海道の山間地などは
その地域を維持していくような方策は見いだしがたい。
こういった地域のようなケースが今後、たくさん出てくる可能性がある。
しかし、今現在なら、まだ地域首長の決断などで
違う可能性もありえると思います。
経済的な「特区」申請などで、地域に活力を生み出す方法はあり得るのではないか。
そういった激しい論議が起きて欲しいけれど、
現状は、ただ衰退の予感にうちふるえている状態。
そういうなかで、ここんところ、
北海道新聞では、中国・香港資本、あるいは個人の投機目的での
北海道への投資の動きを伝えています。
ニセコ地域での大規模リゾートの計画だとか、
札幌市内のマンションへの中国の個人投資の動きなどです。
その同じ資本家が、北海道内の山林を購入している
っていうような情報も掲載されていました。
中国では、国内市場にお金が過剰流動していて、
国内での住宅投資が2件までと制限されてきて、
そのうえ、中国国内では権利所有期間が70年と決まっているのに、
日本の不動産は「永久に」持っていられる、ということで、
人気が高まってきている、ということだそうです。
とくに北海道は、一昨年だかに公開されたラブストーリー映画の舞台になったことで
地域人気に拍車が掛かっていて、
どうも中国マネーの流入が進行していきそうですね。
どうも対比的な動きが同時に
起こってきているようで、
今後の日本が、どのようになっていくのか、
不透明になってきていると思います。
Posted on 10月 18th, 2010 by replanmin
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鵡川であります。
きのうは義母とカミさんとで
義母が見に行きたいと行っていた宮沢賢治ゆかりの
北海道内の土地探索に出掛けましたが、
そこは最近、鵡川町に統合された
旧・穂別町の奥地。
ということで、見学後、
北大の鈴木先生のノーベル賞受賞後、すっかり便乗で有名になった
鵡川町と、ししゃも探索に向かった次第です。
鈴木先生の一件は、また後日書きますが、
ここはなんといっても、ししゃもであります。
ししゃもというのは、アイヌ語で柳の葉という意味のさかなで
回遊魚で10月頃からこの地域で獲れる。
まぁ、昔から北海道の人にはなじみのある魚なんですが、
今回の鈴木先生の受賞で、一気にご実家のししゃも屋さんが有名になり、
わが家でも、どうせいくなら、となった次第です。
で、国道沿いですが、
小綺麗なそば屋さん「大みや」というのがあって、昼食に食したメニューです。
上が、ししゃも天丼とそばのセットメニュー。
下が、ししゃも天ぷらとざるそばセット。
であります。
カミさんだけは、別メニューでししゃもをパスしておりましたが、
わたしは上のメニューを食べました。
<まぁ、それぞれボリューム満点だったので、みんなで分け合って(笑)>
このししゃも、魚体が大ぶりで、オスのようでした。
メスは卵を持っているので、それがいいという人も多いのですが、
味覚はオスの方がはるかにいい、
しかも魚体が大きい方が、味わいも深い、ということなのだそうです。
で、さっそく食したワケですが、
さすがにうまい!
こんなにおいしいししゃもは確かに初めてであります。
天丼は器が皿状で、底の浅い容器ですので、
ごはんもちょうど良く、ししゃもの味を楽しむには最高でした。
みんなで食べたので、わたしはそばは温かいほうにしましたが、
そばもそばで、なかなかのおいしさ。
聞いたら、地元ではこの時期、
ししゃものすしまであるのだそうですね。
一夜干しのものくらいしか食べたことがありませんが、
この天丼を食べたら、これはいいかも、と思えましたね。
やや遅い昼食でしたが、
全員、お腹いっぱい、満腹三昧状態でございました。
Posted on 10月 17th, 2010 by replanmin
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ここんところ、腰にドーンとしたハリが出たり、
頭痛やらなにやら、
体調不良のオンパレードという状態でございました。
で、なかなか原因がわからないなぁと思いつつ、
何となく気分が鬱々としておりましたが、
腰のハリがいよいよ辛くなってきたので、
よく行っている、って言っても半年に一度くらいですが
マッサージ屋さんに行ってきました。
たどりついた頃には、けっこうな腰の状態で、
以前2〜3度やった「ぎっくり腰」寸前状態。
ここまできて、「そうかこれは、目から来る肩こり、腰のハリなんだ」
と、今更ながら気付いた次第であります。
そういえば、ここんとこ、デスクワークが多くて
パソコン画面とにらめっこしながら、
うんうん、とテキストをひねり出す日々ではありましたね。
「きてますね、これは、けっこうですよ」
というご託宣。
かなりこっていると言うことで、
マッサージと鍼灸治療と言うことになりました。
電気を通す鍼灸って、
はじめてやってもらった次第ですが、
これがなんとも気持ちがいい、
「こりゃぁ、たまらんわ」であります。
リズミカルに、電気刺激が左右交互に合計10箇所くらいのツボを
刺激していってくれます。
そのうえ、遠赤外線照射で、刺激してくれているスポット
背面側ですが、じわ〜っと、ここちよさが包み込んでくれる。
考えてみれば、
一番最初にマッサージさんのことを思い起こすべきだったんですが、
どうも最近、血の巡りが悪いのか、
こういうことを思い起こさない。
治療が終わって、からだを動かして、辛さはだいぶ治まっておりました。
で、本日は、
ここんところの雨模様が一転しての青空、の天気そのもののように
想念も、前向きになって参ります。
からだはまだまだ、節々にぎこちなさはありますが、
柔軟体操とか、ぎっくり腰からのリハビリを思い起こして
体をいたわっております。
やっぱり、歳を考えながら、やっていかなければなりませんね(笑)。
さぁ、がんばるぞ、っと。
Posted on 10月 16th, 2010 by replanmin
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