
住宅の模型や図面って、
現代では、いろいろ素材が揃っていて、
わかりやすく、「空間想像物」を取引していますよね。
で、その想像の内容について、
設計の契約を交わしたりする。
ある個人が想像したものを、他者にわかるように伝えて、
それをもとに「契約」にまで至るのですから、
考えてみれば、お互いの「想像力」に大きく依存したビジネスです。
それだけではやはり不安だから、
模型や図面が、必要になってくるものなのでしょう。
東京博物館の常設展示で、
こんな写真のような展示に遭遇いたしました。
制作年代はいつ頃のことなのか、
詳しい説明文を読む時間がなかったのですが、
使用されている紙の古び具合からは、
江戸期くらいの感じかなぁと、勝手に想像しておりました。
江戸期だとすると、こういった模型に使える「固い紙」というものが
なかなか貴重品だったようにも思えますし、
また、造作の丹念さなど、昔の人の息づかいまで伝わってくる感じがいたします。
そして、こういう模型を大事に残してきた家系の
なんというか、重厚な奥行きの深さも感じられますね。
きっと、愛着を持ってその建物を思ってきた
そういう気持ちのようなものも伝わってくる気がします。
毎日のように、住宅にからんだ仕事をしているわけですが、
先人のみなさんと、もう少しで会話できそうな気持ちも起こってきます(笑)。
「この玄関を入るとね、こういう空間になっていてね・・・」
っていうような、昔の人の建築への愛情が、
口をついて出てくるような、そういう想念に襲われた次第。
Posted on 5月 11th, 2011 by replanmin
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最近、大学では東京大学卒という方たちと
よく接触している気がいたします。
みなさん、さすがなほどに頭の回転がよく、
すばらしい見識を持たれたみなさんばかりであります。
わたしのような私立文化系男が、
なぜこういう事態になっているのか、よくわからないのですが、
そんなことから、表題のようなことを考えております。
考えてみると、日本の近代国家形成と、
日本の教育体系の整備は、表裏一体の関係で推進されてきている。
明治維新と同時に、教育勅語が発布されるのは、
ことの表と裏の関係のように思われる。
しかし、それって、高々150年くらいのことであるのですね。
突然、日本人がこの教育制度によって変わったのだろうか?
それ以前の社会と比べて、どういう変化があって、
プラスとマイナス、両方を見てみなければならないのではないか。
もちろん、近代国家と教育というのは
不即不離であるのは、どうも明らかのようです。
教育の機会均等・優勝劣敗が用意されなければ、
近代的な産業というのは、そもそも存立の基盤を失ってしまうのか。
教育の歴史と考えても、江戸期までの町人層のための寺子屋教育と、
武士を対象とした教育は明確に違っていただろうし、
では、江戸期の町人・庶民の教育レベルは
ほかの欧米諸国に比較して、どうであったのか、
そういった比較研究を行っている人っているのだろうか?
まぁ、普通に考えると、
明治期以降の教育制度のことが、教育の歴史ということの
本格的な解明すべき部分なのだと思います。
やはり、ヒエラルキーの頂点としての東大の存在と分析なくして
この部分は語れないのでしょうね。
そして日本の近代国家としての成功の要因は
やはり、教育の成功に負うところが大きかったのでしょう。
そういう近代国家と教育の関係の見事な相関関係を
体制として多くの近代化志向国家も追認して、
今日のような世界競争体制が築かれてきている。
やはり、進歩と未来はこれからも教育に掛かっているのか、どうか。
しかし、教育のあり方っていう論議も
これからは、相当に煮詰める必要があるのではないか?
均一性よりの独創性の涵養はどうすればいいのか、という視点が
やはり、決定的なのではないかと思われてなりません。
独創性という意味では、
必ずしも、既存のヒエラルキーが有効だとは思えない。
なんか、わけわからないブログになっていますね(笑)。
やっぱりテーマが大きすぎる、当たり前か(笑)。
まぁでも、そんなことをずっと気にかけ続けております。
Posted on 5月 10th, 2011 by replanmin
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いやぁ、なかなかにしぶとい。
先月中旬から末にかけて、出張が2週間続きはしました。
しかし、その後、連休に突入して
おおむね体を休めている日々が続いているのに
腰痛がいっこうに解消いたしません。
マッサージにも行って、そのときはまぁまずまず。なんですが、
腰は重たくて、どんよりとした雰囲気が抜けませんね。
まるでことしの北海道の天気のようであります・・・。
って、書いていて思い出す事柄が・・・。
そうでした!
すっかり忘れていたけれど、
わたし最近、2mほどの高所から転んだことがあるのでした。
そうです、事務所の植木の冬囲いを取り除いていた作業中、
ちょっとした高所で、作業後、ジャンプして下りたところ、
カラダの運動不足からか、寄る年波からか、
転げてしまって、一回転したことがあったのでした。
そのときに、そういえば、右足の側面を打撲したような痛みが走り、
腰も、右側の方をコンクリート路面に打ち付けたことがあったのです。
思い起こせばあれは、4月30日のことでした。
いやはや・・・。
しかし、そのときは、まぁ痛かったけれど、
我慢も出来たので、心配もしていませんでしたが、
確実な高齢化は、こういうちょっとしたことを見逃してはくれないのでしょうか。
そうか、それ以来、
なんか変だ、なんか変だ、と思いつづけていたのですが、
打撲症状が起点にあるようですね、これは。
ブログ書きながら、こういうことを思い返すというのは
一種の自己分析効果なのか、なんかおかしい(笑)。
いやぁ、あきれたボケなのかも知れませんね。
そうとわかれば、なにか、対応の仕方はあるかも知れません。
なんか、恥ずかしい限りではありますが、
まったくみなさんには関係のない、個人的な物忘れの公開ですね、こりゃ。
ブログを読んでくださっているみなさんには、大変申し訳ありません。
そうかそうか、それでは・・・。
Posted on 5月 9th, 2011 by replanmin
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連休も終わっての週末ですが、
札幌でも市中の桜が一斉に満開になっております。
東北の各地の桜、ことしはどうだったんだろうかと思いますが、
以前テレビで、福島県のしだれ桜の様子が放送されていましたね。
ことしの桜は格別のものがあっただろうと推察します。
よく日本以外の国の人には
どうして桜を花見としてまで愛でる文化が存在しないのか、
という文化比較を聞きますが、
どうも明確な考え方がないように思います。
というよりも、日本でどうしてここまで文化的に根付いたのか、
そっちの分析が必要なのでしょうね。
で、わたし、いつも思っているのですが、
日本の景観の中の「民家」のたたずまいとの対比的な側面についてです。
日本の民家は、おおむね木造で建てられ、
しかも屋根はその多くが茅葺きであった。
そうした自然素材そのままで推移した場合、
民家の景観としては、ほぼ日射による炭化が進んで、黒っぽくなっていく。
そういう都市景観、民家集住景観のなかで、
モノクロームが基調になっていく。
この背景の中にあって、一斉に咲き誇る桜の群舞のごとき景観の鮮やかさは、
ひときわひとびとの心情に対しての訴求力が強かったのではないか。
秋田の角館の桜を思うとき、
そういった情景がアタマをよぎるのですね。
こういうイベントのごとき、一斉性というのも
なにやら日本人の心性を明確に表しているとも言えますね。
ともあれ、桜の下で、カミさんと寒さに震えながら、
海苔巻きなどをパク付きながら、とりあえず、お花見しておりました。
Posted on 5月 8th, 2011 by replanmin
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けさ5月7日の朝日新聞WEB版によると、
平泉の仏教浄土思想に基づく一連の建築群が、世界遺産に指定される見通しということ。
おめでたい話題だと、思います。
今回、前回08年の申請と、そう大差のない
内容であったものが認定された背景には、
未曾有の大震災からの東北地域の復興に対しての配慮があったとは思います。
しかし、それを越えて
これまでの地元のみなさんの粘り強い努力がようやく実を結んだものと思います。
この決定をきっかけにして、
東北の魅力をさらに高めて、国内景気の浮揚にも繋げて欲しい。
不幸を、これでもかと経験してしまった地域が
どれだけ立ち直っていくか、
それが日本の復興にも繋がっていくのだと思います。
今回のユネスコの決定には、そんな世界の希望が託されていると感謝すべきでしょうね。
そうした暖かい思いを、活かせていくことが出来るか。
問題は、これからの展開に掛かっていると思います。
平泉の、日本歴史における位置は
これまで、必ずしも最重要と目されてきたわけではない。
日本歴史は、基本的には畿内地域での権力争闘、
さらに、関東平野の利権を巡っての血みどろの土地争奪戦争が基本の流れ。
「国家」という権力史観が、そういう認識のはじめに存在する。
「日本はひとつである」というイデオロギーであり、
そういう史観から、中央での動向こそがすべてにおいて決定的だと考えるようになる。
まぁ、知らず知らず、誰でも同じような考え方をするものでしょう。
ただし、変化は辺境地域に於いて決定的に起こる。
日本の歴史が、畿内地域中心から、関東平野に移ったとき、
その変化というのは、土地を巡っての剥き出しのリアリズム、
この土地は俺、わが家のものだ、という権利をそのまま保証する体制ができた。
こういう強い「封建制規範」の存在が日本史の特徴だと思う。
そしてそういう律令国家体制とはまったく異質な権力構造を
準備していたのが、平泉の体制であり、
治外法権的に畿内政権とのバランスを取っていた日本とは別個の王権だった。
平泉を、日本国家がユネスコに推薦する論理、というのが
わたしにはよく想像できなかったのですが、
「仏教浄土思想に基づく一連の建築」という整理の仕方をしていました。
まぁ、それ以外にはなかなか論理構成が出来なかったのでしょう。
文化的には、平安王朝文化がそっくり移植されたものであったと思います。
写真は「毛通寺」の臨池庭園ですが、
こういうスタイルは、同時代の平等院鳳凰堂などに似たスタイル。
そしてそれは、確かに末法思想によると言えます。
しかし、平泉の特殊性はむしろ、
日本国家権力中枢に対して、「外交」的に併存した王権が
かつて、日本の一地域にも存在した、という事実の方だと思います。
そのことが、頼朝の権力構想に於いて
大変大きな参考になったという事実の方が、
平泉の、日本歴史に於いての最大の価値なのではないかと思います。
言ってみれば、「地方分権型・分散型国家構想」の選択肢のひとつとして
シンボル的に、位置させるのがふさわしいと個人的に思っています。
Posted on 5月 7th, 2011 by replanmin
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なかなか最近、散歩に行くような心のゆとりを持つことが出来ません。
で、運動不足であることは火を見るよりも明らか。
そうすると、肥満状態が少しずつ、すこしずつ、
マイクロキログラム単位とはいえ、
ゆっくりと確実に、毎日毎日、進行してきております。
まことに日々の積み重ねというのはすごい威力であります(泣)。
ということの結果、
身体中のあちこちが、悲鳴を上げてきております。
仕事はデスクワークが多いし、
それ以外では、クルマの運転時間が長い。
常に一定に近いカラダの姿勢になることもあって、
カラダのこりと痛みが、けっこうなレベルにまで高まっている状態。
起き上がるのにも、やや腰にハリが走るようになっています。
痛いのは、腰から背中、足の膝周辺、太ももと
身体中に重たい荷物を背負い込んだような状態。
で、きのう、連休にもかかわらず開いているマッサージ屋さんに行ってきました。
約1時間、マッサージしてもらったのですが、
一朝一夕には解消しないようであります。
アタマから足まで、さわられるすべての箇所が痛い。
「こりゃぁ、最近でも1,2を争うコリですね」
と、驚かれておりました。
<というのは、かれらの営業上の常套トークなのでしょうが>
ここんところ、スケジュールがハードではあったので、
そういう反動からなのか、
それとも、と考えるとやはり、運動不足と肥満ですね、明らかに原因は。
体重計は、これまでの最高記録を更新し続けていて
腰にも、やはり負担は来るものと思われます。
反省して、すこしカラダを動かそうとは思っていますが、
さてさて、どうなっていくことでしょうか?
写真は、先日の「建築研究所」庭先の、ハナミズキ。
美しい名前通り、美しい花を咲かせていました。
北海道ではほとんど見かけない花ですので、見とれておりました。
Posted on 5月 6th, 2011 by replanmin
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写真は江戸情緒の残る向島の一角の住宅前。
東京の下町って言うのは、
いつころから、現在のような街並みになってきたものか、
戦争末期には大空襲を受けて焼け野原になったのでしょうから
それ以降、密集した街区の現在のようなものになったのでしょうね。
その原型は、戦前からの街割りであったのか、
くわしくは知りませんが、
下町情緒を感じさせるものに、写真のような「鉢植え」があります。
江戸って、開発当時は
京都のような蓄積された文化は希薄な街だったことは確か。
浅草寺周辺だけがやや都市化していたような状況だったところに
武家の政治中心地が開かれていった。
で、各大名家が競って、庭園を造成することに血道を上げていた。
庭園都市、とでもいえるような都市景観を目指していたのでしょうか?
江戸幕府の都市政策はどんなものであったか、
知るよしもありませんが、
残された大名庭園と、その職人文化化とでもいえそうな関係にあるのが
こうした鉢植え文化なのではないだろうかと夢想しています。
下町の街割りは、現在の状況を見ると
京都の町家とは少し様相が異なっている。
町家と言うよりは、長屋文化というようなものなんでしょうか?
鉢植えには、賃貸住宅の中でも緑を楽しみたい、
というような希求性を感じる次第です。
で、こういった鉢植えが街中に連続しているのは
強い日射しのなかでも目を楽しませ、安らげてくれる。
京都の町家群の、整然とした格子窓の連続性の美もいいけれど、
江戸下町の大衆性を感じる、こういう景観も
これはこれで、なかなかに楽しいと思います。
Posted on 5月 5th, 2011 by replanmin
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さて連休の初日、
少しは骨休めしないと、ということで
カミさんと、旭川博物館を目指してドライブ。
北海道の北の方の場合、まだ新緑という季節ではないのですが、
まぁ、ところどころに新芽の見える木々もあり
気が早く開花した花々も散見されます。
で、なんで、旭川市博物館なのかというと、
副館長を務められている瀬川拓郎さんの
「アイヌの歴史」「アイヌの世界」などの著作を読んで強く興味を持ってです。
旭川市博物館の沿革は、
「昭和43年から平成4年までは「旭川市郷土博物館」の名で旧偕行社(現中原悌二郎記念彫刻美術館)にて運営されていましたが、平成5年より旭川大雪クリスタルホール内に移転し、現在に至っています。
常設展示室は上層・下層の2層構造になっており、上層階には北海道を代表する先住民であるアイヌの人々やそれ以前の古代の人々、または明治以降屯田兵として入植してきた和人たちなど各時代の住居を復元移築しています(竪穴式住居・チセ・屯田兵屋)。併せて当時の生活用品などの貴重な資料を数多く展示して、私たちに当時の人々の暮らしぶりを忠実に伝えてくれています。
また、下層階では「北国の自然と人間のかかわり」をメインテーマに自然と人文系の資料を展示しており。ここでは旭川とその周辺の地質、地形、気候、生態系及びその形成過程を詳細に知ることができます。
さらに、特別展示室、郷土学習室などにおいて特別展や様々な体験学習を開催しており、楽しみながら旭川の自然や歴史を学ぶ機会を設けておりますので、みなさんも是非お立ち寄りください」
って、いうことであります。
はじめて行って見た次第ですが、展示テーマが
はっきりと明確にアイヌ史にフォーカスしているのがわかり、
歴史時間経過を縦糸にしたその見方が鮮明だと感じました。
こういう北海道内の博物館では、どうしても「日本歴史」という見方で
明治期以降時期を中心にした考えが多くて、
それ以前は、まるで未開の社会というような見立てが多いなかで、
きわめて出色だと思います。
そういう意味では、瀬川さんの研究の足跡が感じられて
非常に、興味を深くさせていただいたところであります。
瀬川さんの研究って、
考古学的な知見と、そこをベースにした想像力のバネが素晴らしく、
生き生きとした北海道島の歴史時間を鳥瞰させてくれます。
アイヌの研究、文字記録以前の北海道の様子を知るためには、
たいへん、オススメの博物館ですね。
Posted on 5月 4th, 2011 by replanmin
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今回出張は浅草周辺におりました。
一定の時間いると、様子が分かってきて面白さが増してくる。
朝の散歩でも、あれ、あの辺にはどんな風景があるんだろうか
っていうような興味が湧いてきます。
そんななか、見つけたのがご覧のような料理店。
どうも「ねぎま鍋」を商っているようなのですが、
ランドマークとして、大きな木製樽を店の入り口上部に据え付けている。
表側は、真壁の木造構造の柱と梁が表されていて
壁は漆喰とおぼしき塗り壁。
1階部分は防犯とデザインを両立させた木格子窓。
こういう伝統的なデザインの中に、木製樽は、
ひときわ目立つように半分は通りにはみ出させている。
下町風情を表現するような玄関前の植栽も、らしくて味がある。
どうもこういう風情に弱い。
2階建てなのか、まさか3階建てではないでしょうが、
白壁の中にある窓が独立的で
なかで、どういうふうな空間演出になっているのか、
やや興味をそそられます。
きっと、江戸期から明治大正昭和と、
変遷を経ながら、生き残ってきたようなデザインの重厚さが感じられます。
先日の駒形どぜうではないけれど、
こういう江戸情緒を感じさせてくれる店構え、
なかなかに渋くて、強く興味をそそられた次第であります。
「ねぎまかぁ・・・」
と、食欲も刺激されて、またの機会を探っているところです。
Posted on 5月 3rd, 2011 by replanmin
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さて、土日と2日間休みが取れたので
ようやく原稿整理などの作業に着手できました。
でもまだまだ、たっぷり溜まっているので
連休中は楽しくお仕事、ということになりそうです(笑)。
で、今後のキーワードになっていくと思われる
「LCCM」であります。
説明していただけた建築研究所・村上周三先生によると
欧米のCO2削減目標は、ひたすら運用時のCO2に着目して
その削減から、マイナス化を考えるのに対して
日本が打ち出した「ライフサイクルカーボン マイナス〜LCCM」では、
住宅の建築時の材料、建築工程から
最終的な住宅としての廃棄時点でのCO2発生量もトータルで
マイナス化させようと考えたプロジェクトと言うこと。
そういう考え方から、
国のプロジェクトとしては大変珍しく
断熱材にはグラスウールが使用されています。
大体、判で押したように外張り断熱が採用されていたのですが、
やはり、省CO2を考えていけばある意味、当然の帰結とも言えるでしょうか。
グラスウール工業界は、大歓迎のようです。
ここのところ、住宅エコポイントの影響や
こうしたプロジェクトでの採用と、追い風が吹いている状況。
ただし、大震災で主要な工場が被災してしまったのですが、
ようやくそれも復旧できてきたそうで、
一時の品不足を解消して増産の体制が整いつつあると言うことです。
さて、きょうは連休の谷間の仕事日。
大いに頑張って見たいと思います。
しかも、夜にはキャンディーズ・スーちゃんの追悼宴会という
不謹慎な会合が予定されています(笑)。
ったく、なにを考えているのか、ですが、謹んで、
いそいそと行こうと考えております。
Posted on 5月 2nd, 2011 by replanmin
Filed under: 住宅性能・設備 | No Comments »