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茅輪〜ちのわ〜くぐり

1365

きのうから東京に来ておりますが、
なんでも札幌の方が暑かったと言うことだそうではありますが、
避暑にやってきた、というわけではありません(笑)。

その前日、7月1日、いつものように北海道神宮に朝、お参りしていたら、
なにやら門の前で多くの人がぐるぐると、なんべんも回っている。
いつもの静寂はありません。
なにごとかと思って見てみたら、表題のようなことなんだそうです。
萱には古来、病疫を祓うという言い伝えがあり、
その輪をくぐることで、健康長寿の験があるのだという神事なのだそうです。
そういわれると素直に信じて、多くの善男善女がくぐっておりまして
もちろん、そういうことにはきわめて素直なわたしも、
言われた作法通り、くぐっておきました。
これでことし後半分、健康で過ごせると思うと、さわやかな気分であります。
神社というのは、
いろいろなことを考えて、ひとびとの参詣を促すのがビジネス。
まことにご同慶の至りであります。

さて、きのうは東京都内で数カ所を訪問しておりました。
久しぶりにはじめて訪問する会社もあって、
昔の広告営業マン時代を若干、思い起こしました。
まぁ、ふだん札幌ではクルマで移動しているのですが、
一応、面倒ながらもブレザーくらいは着るので
やや年齢を感じ始めているわが身には
だいたいが歩きの東京での移動は、この時期、なかなか大変です。
そういうなか、いつの時代にも、営業マンさんたち、みなさん頑張っている。
ある訪問先で待っていると、そんな頑張っている営業マン氏を発見。
まことに誠意をみなぎらせた風情がこちらにも伝わってくる。
要件を終えて、最寄りの渋谷駅までと思っていたら、
帰りも同じ時間になったので、話しかけたら同道もしてくれて、
「あ、こっちです。あ、電車はこっちの方が便利ですよ」
などと、初対面なのに親切に道案内もしてくれました。
いやぁ、若さはすばらしいなぁと思わされました。
これから東京での営業マンは厳しい季節になりますが、
その分、仕事が終わったら、楽しくビヤガーデンなどもいい。
昼間の汗が、一気にクールダウンしていくのど越しはたまらない。
なにごとも人生の大切な1ページだと思いますね。
こちらも、茅輪〜ちのわ〜くぐりで、神さまも付いてくれている(笑)。
健康にはまだ、自信もあるので頑張りたいと思います。

竹の家

1363

沖縄では、あまりふんだんには木材は採取できない。
本土のように、高い山もないので、針葉樹が生育していない。
今回取材してみて、改めて沖縄のこういった特異性を思い知った。
冬という明確な季節区分がないので、
「年輪」が形成されず、
樹齢というものの価値尺度がないのだという。
そんなことから、建築材料には昔から、琉球石灰石を加工成形した
ブロックがよく使われたりしている。
沖縄本島でもこうした状況なので、
離島地域ではもっと木材資源が少ない。
そんなことから、それ以外の建築材料を使うことになる。

竹という素材は、
東アジアモンスーン気候地域に普遍的に存在するそうで、
おおむねイネの分布地域と重なるのだそうです。
ただし、北海道ではほぼ自生していることはない。
本州地域ではこれを使って壁の塗り壁下地を作りますが、
沖縄では、伝統的家屋でこのようにまったく建材そのものとして利用される。
まさに蒸暑地域らしい素材だと思います。
屋根には厚く断熱性の高い萱などを葺いて
その下は、希少な木材で構造を造作してから、
床壁天井を竹で編むように作っている。
屋根で太陽日射を出来るだけ遮り、
その下では、通風を最優先にして造作している。
実際にこのなかにたたずむと、外気温対比でマイナス3℃くらいの
涼感が感じられます。
たぶん、屋根の断熱が効いているのも大きい。
こういった住宅は何回か見ているのですが、
居住性はほんとうによく考えられているなぁと感じます。
仕掛けられた「自然温度差」が、空気の流動を促しているに違いなく、
室内では、床下地面からの気化熱による蒸散を感じます。
エスニックな住まいは、自然の摂理を謙虚に利用させていただいている感じが
たまらなく心地よいと思えます。
住宅性能、考えているのは、むしろ、伝統的な住まいであったりしますね。

Replan北海道101号発売

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さて、本日はReplan北海道、最新号のご紹介です。
書店、コンビニエンスストアなど店頭で発売中。
ぜひ、お買い求めください。

 

【特集】小さい土地、小さい家
「小さな」土地に建つ家と、延床面積が「小さな」家。
小さいからこそ、さまざまな工夫が施されていたり、それが暮らしの豊かさに
つながっていたり。空間を巧みに生かした建築家住宅をご紹介します。

今号でご紹介するのは、「小さな」土地に建つ家と、延床面積が「小さな」家。コストを抑えられる、というメリットがあるのはもちろん、小さいからこその工夫が施されていたり、小さいことが暮らしの豊かさにつながっていたり、それぞれに魅力的な空間が広がっています。たとえ小さくても、思い描いている暮らしはカタチになる。可能性は大いにあるのです。

小さい土地/エム・アンド・オー、ヒココニシ設計事務所、豊田設計事務所
小さい家/北海道建築工房、DIDA DESIGN STUDIO、サルワタリ・アトリエ

Contents

●巻頭特集/ 小さい土地、小さい家
●自然の力を住まいに取り入れる
「パッシブ」ってなんだろう
●NPO住宅110番とReplan北海道が被災地の子どもたちに贈る100のメッセージ
Replan北海道100人スマイルプロジェクト贈呈式レポート
●New Building Report
●くらしの演出家たち 16・17
●リフォーム特集
●新連載・ STORY OF ARCHITECTURE
●北の建築家
「HTAS1101」 名古屋 英紀
「HOUSE NY」 日野 桂子

人間と職業

1361

歴史などを知るほどに、現代という時代の不可思議さを認識します。
わたしは、日本という社会のなかで
北海道と東北地域で出版業、
それも住宅に関連する領域を中心にして生きているのですが、
そういう職業について、
別に親はなにも関与はしていなかった。
まったく自分の自由意志で、こうした仕事を始めて
30年以上を生きてきたのですが、
最近、そもそも職業ってなんだろうかと立ち止まって考えることがあります。

人間社会って不思議で、
たとえば、イスラムの都市、フェスでは、
人口がおおむね30万人規模が長く維持されてきたそうで、
どうしてその数なのかという,ひとつの理由に
人口社会規模が、そのサイズであれば、
自然的状態でそれぞれの人間がその類的存在の中で、
優位的機能性を発揮しうるからだ、
という説を聞いたことがあります。
30万人くらいの多様性があれば、それぞれ個性を発揮して生きる、
ということが人間社会全体として可能になる、という説。
この考え方が頭に残り続けているのですが、
そういうふうな考え方で見ていると、
北方日本の北海道・東北での「地方中核都市」はおおむねその規模。
旭川、帯広・十勝、函館、青森、盛岡、秋田など、
大体その人口規模が維持されていることに気付く。
そういった人口規模のなかでは、
多様性を持った人間の可能性が、おおむね納まって居場所があるということなのか?
こういうことの研究って「社会学」というようなことになるのかどうか。
きっと、人間存在って言うのは、
類的な、あるいは社会的な関係性で生存していく、
アリやハチのコロニー、社会に似たような面を持っていると思います。
そしてこれまでは、人口拡大の方向だけが社会の規定要因であった。
30万人というコロニー社会はひとつの単位にはなっていただろうけれど、
国という規模では、一貫して人口拡張が大前提で考えられていた。
そうすると、人間の可能性の「拡張」が可能であった。
「職業」というものも、そのようななかで多様化してきたけれど、
さて今後は、このことはどうなっていくのか。
すでに、「技術の伝承」ということが
難しくなっている職業領域が増えてきている。

休日の一日、
ごくなにげない買い物や食事作り、その準備などにかまけながら、
そんな妄想が膨らんでおりました。ふむふむ・・・。

リーグ戦で全員勝ち越し?

1360

どうも密かに期待している事態が現実化寸前であります。
それは、プロ野球パリーグで起ころうとしています。
「リーグ戦」というのは、そもそも
そのなかで優勝劣敗を決めるものなので、
どこかが勝てばどこかが負けて、
勝ち負けというのは同数になるのが、当たり前というゲーム。
そういう競技において、
こういう「ありえないこと」が、いまや実現寸前になって来たのです。
まぁ、それはセパ交流戦というシステムが生み出した産物なわけですが、
これは笑える珍事態だと、密かに「ことあれかし」と願っているのであります。

きのう終了時点現状では、パリーグで負け越しているのは
わが北海道日本ハムと、オリックスバファローズの2チームだけ。
しかしその2チームとも、負け越し数はそれぞれ1と2。
もし、きょう両チームが勝つと、
その時点で、パリーグでは負け越しチームはオリックスだけ。
そうなると、わが日ハムと西武が勝ち負け同数で並ぶので、
日曜日の結果でどっちかが「負け越す」確率は高くなりますが、
日曜日に、オリックスが勝ち、日ハムー西武が引き分けると、
これが実現してしまうのです。
きっと、この「大記録」、笑える記録として長く記憶に残るのではないかと。
で、その確率ですが、
きのうの両チームの勝ち方を見ていると
かなり勢いを感じる。
きょうも負け越し組2チームは勝つ方の可能性の方が高そうだと見ています。
そうなると、日曜日にこの大記録?にリーチがかかる。
まぁ、「日本中が大騒ぎ」にはならないでしょうが(笑)、
ワクワクしながら、ことあれかしと期待している次第であります。
こういう事態は、セリーグ側のふがいない現状を表しているわけですが、
こういう事態を生み出した「交流戦」について、
セリーグ球団側からは、廃止や縮小への意見が強いそうです。
プロのスポーツでのことなので、
興行的な部分での事情というものもあるとは思うのですが、
このままその論議を続けていると、
「負けるから止める」みたいな、負け逃げを際だたせるのではないかと
他人事ながら、密かに危惧させられます(笑)。
こういったパリーグの拮抗状態と、セリーグの精彩の無さを見ると、
どうもコミッショナーさんの役割、
こういったところにメスを入れたりすることの方が
大きい意義があるのではと思ってしまいますね。
ぜひ頑張って欲しいものだと思います。
事なかれ主義を世間にまき散らすのではなく、ファンに「面白い野球」を
提供する「番人」のように颯爽と活躍して欲しい。
というところですが、
こういった事態の渦の中心は、わが北海道日本ハムファイターズであります。
ここのところ、最大10あった借金がみるみる減ってきている。
素晴らしい!
きょうもあしたもあさっても・・・って、あさっては試合ないか(笑)
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!!

住まいの「気品」

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写真は、沖縄・美ら海水族館に隣接する民家園から。
「地頭代の家」という住宅の正面からのたたずまいです。
沖縄の伝統的な家には、「ヒンプン」と呼ばれる外部自立壁があります。
これは、一般的にはこんなふうにいわれている。

琉球建築の民家における典型的な様式のひとつで、門と母屋との間に設けられる「目隠し」をいい、中国語の屏風(ピンプン)に由来するといわれている。「魔除け」という役割もあるが、通りからの目隠しと、南風が屋敷へ抜けていくように設計されているという。

なんですが、
わたしには、「家格」を表現して、
住む人の人格などを表すと同時に、「かくあれ」という
いわば教育的な、人間の生き方を教え諭すような表現に受け止められる。
世間から帰って来て、そこで世俗的な関係から遮断させられ、
内省的で、心静かな空間に身も心も戻す、
そんなふうな「暮らしの精神浄化装置」のように思えてならない。
まぁそれが、「気品を持ったたたずまい」ということに繋がる。
家というものに、ある精神性を込めていた時代を
わたしたち現代は、記憶として持っている。
しかし今建てられている住宅を振り返ってみれば、
「気品」という精神性概念がいかに欠如しているかを痛感する。
残念だけれど、そういう気分がどうしてもぬぐえない。
わたしは、住宅について取材している人間だと自己規定していますが、
その取材には,当然ながら、空間的なばかりではなく、
時間的な幅も持っているべきだと思っています。
現代の最新知見を家づくりに生かすのは当たり前だけれど、
そういった精神性についての部分は
なかなか論議されることが少ないのだと、なんとなく気付き始めています。
それはきっと「現代」という時代が、
大量生産・大量消費を前提として、資本主義が世界を席巻している
そのような時代を映し出していることを表している。
そういう時代に、少なくとも100年以上、いや、基本的には
永遠にその「家」が続いていくように祈念して建てられるような
「祈り」のような概念は想像しにくいのかも知れない。
歴史的な住宅を見続けてきて
その根底には、そういった「家の永続への祈り」が普遍的にあると確信します。
きっとそういったものが、
「気品」のあるたたずまいとして、
いわば生き抜いていこうという人間の知恵として、
そのまま表現されているのだと思われるのです。
社会全体が、資本主義的競争に勝つことを目的にしたものになって、
日々の株価の動きに一喜一憂するようなものになっているなかで
こういった建物を見ると
雷に打たれるような思いがいたします。
さて、ひとが幸せに生きるとは一体なんなのでしょうか?

ひとを呼ぶ木陰

1358

きのうは、札幌のオフィスに宮城県の工務店さまご一行が来社。
行ったり来たりしている身にはやや面はゆい面もあるのですが、
お迎えして、最近の北海道の住宅事情などをお話ししておりました。
なんですが、小型バスを仕立てられたご一行様、
わが社のアプローチの木陰でしばし、たむろしている。
どうもきのうは日中暑かったので、
木陰にみんな吸い寄せられていくのですね。
その上、帰られる暖になっても、ご丁寧にみなさんもう一回、
その木陰でゆったりされている。
その木陰を生み出しているのは、2本の「カツラ」の木。
10年ほど前に植え込んだときには、高さも2mくらいしかなかったのですが、
今や、6m以上になっておりまして、
枝がどんどん伸びて、お隣にかかる部分は伐らせていただいたりしている。
まぁ、管理している方はハラハラもする存在なのですが、
でもまぁ、みなさんご了解はいただいている。
こういうふうに訪ねてこられるみなさんには、ほっとする空間にもなる。
オアシス、という言葉がぴったりだと思うのですが、
緑が元気にしている様子は、
その豊かなグラデーションや、枝振りの見事さ、
風がわたっていくすがすがしさなど、
人間の五感をここちよさヘと誘う要素に満ちあふれているのでしょう。

ちょうどアプローチはこの緑の屋根を伝って,玄関ドアに至るので、
見た目にも、心理的にも、よきナビゲーター役を果たしてくれている。
緑という,誰もが癒される存在を活かして使うのは
家づくりとか,建築を考える人間には不可欠な要素だと思います。
どんなにステキな家でも、緑の衣装がまとわれていない建物には
なにか不完全な部分を感じてしまう。
これまで見てきた心に残る建築や住宅には、
やはり、かならずと言っていいほど緑との共存での映え、という要素があった。
京都の名所旧跡で、緑の衣装のない建築ってほとんどないと思う。
とくに日本文化では、緑はきわめて重要な位置を占めるバイプレーヤーなのでしょうね。

さて、そういうカツラの木ですが、
いまや成長しすぎて、「これ、30mにもなるんだよ」と
知人たちから脅かされております。
いまのうちに「成長点を止める」ようにしていないと庭木としてコントロール不能に
なってしまいかねない。
しかし、6m超の樹高なので、さてどうやって刈り込むか、
頭を悩ませてもいる次第です。
ふむふむ、さて困ったなぁ・・・。

ナゾの四字熟語〜「請勿打鼓」

1357

いつも散歩する北海道神宮の本殿の門脇に、大きな太鼓があって、
毎朝6時には、神職さんが出てきて
時報のように太鼓を叩いてくれます。
これが楽しみでして、なるべくその時間に間に合うように行きたいのですが、
なかなか都合が合わないことが多い。

この太鼓というのが、
打たれるとその鼓膜の振動が、近づいていると強烈に響いてくる。
まさにはらわたを波打たせてくれるのですね。
あ、これってわたしの皮下脂肪の厚さのせいなのかなぁ(笑)。
やや恥ずかしい・・。
でも、この全身を打たれるような感覚は、一度味わうとクセになる。
神さまが鉄槌をくれているようで、ありがたいのです。
で、どうも密かなファンが多く、寄り集まっております。

さて、そのありがたい太鼓なんですが、
よくみると、文字が書いてありまして、右側のようなんです。
その2文字目、勿〜たぶん、ふんと読む〜の意味がわからなかった。
そこで調べたら、勿というの文字には、禁忌的な意味があるそうです。
〜〜するな、というような意味なんだそうです。
勿来の関〜なこそのせき〜というのは、古代の蝦夷の国と、関東を分ける関だったのですが、
その勿というのは、ここを通るな、来るな、という意味だと言われるとおりなんですね。
そうすると、勿に「請」をつけているのは、
ものを頼んだりするな、依頼心を断て、というような意味になるのでしょうか?
そういう心を込めて打つ太鼓、ということになるのかなぁ。
なかなか、謎を秘めて心を試すような4文字熟語で、
毎日、その謎が頭のなかを駆け巡っている次第。
だれか、この謎を明解に解き明かしてくれないかなぁ・・・。

古参PCユーザーとIT進化

1349

きのう、中学校時代からの親しい友人とある機会があって話していた。
かれはそれこそMacの創成期からの個人ユーザーで
いまでも家と職場とで何台もMacを使い続けている。
けれど、Facebookなどのサービスは利用していない。
「個人情報を軽々に渡してしまうのは、どうも・・・」という意見。
「友だち5000人超」などと自慢げなひととは
いまや、人種的な違いも感じさせられる。
それと、Macについても、いまだにPowerPCチップの「G4」を使い続けていたりする。
Macが業界標準のインテル製品チップに移行してからは
それまで購入してきたAdobe製品のアップグレードにも付き合わなくなっている。
それで、きのうある仕事を頼まれたのだけれど、
それもかなり古い環境で制作したデータを渡された次第。
こちらは、そういった仕事がメインなので、ある技術情報をお知らせしたりしたが、
なんとなく、彼が抱いている疑念というか、わだかまりはよくわかる。
PC革命の第1世代であるひとびともそろそろ老年期を迎え
「技術進歩」というものとの距離感をかみしめ始めている。
「わかるけど、それはどうなんだろう?」という疑念がぬぐえないのですね。
わたしなどは、相当にこういった技術変化について行っているかも知れないけれど、
技術を覚えさせられることには少し、疲れを覚えてもいる。
体の中から、新しいことへの「あぁ、またこういうのかよ」という
内語が沸き起こって来ることを抑えられない。

結局、何度目かの欧米主導の「技術革命」のはじまりから安定期への移行期に
いまわたしたちは、世界史的に見ているのでしょうが、
あまりにも変化のスピードが速すぎて
人間の柔軟性の側で処理しきれなくなってきているのかもしれない。
パソコンの発明はすごい人類史的な事件だと思うし、
それは、人類の向かっていく方向性をあきらかにしている事象だと思っている。
けれど、その道筋は、もっと柔軟なものであるべきなのではないか。
そんな思いを、共有させられたと言うことです。
さてまぁ、そんな中高年のため息などは吹っ飛ばしつつ、
「友だち5000人」の人たちが、
イニシアティブを取っていく社会に、本当になるのでしょうか?

<写真は、創建140年の北海道神宮境内の「開拓神社」社殿>

夏至の好天・好日

1356

この時期は、北海道はさわやかさに満ちた好天が特徴。
しばらくジメジメが続いていましたが、
きのうは1日、すばらしい好天に恵まれておりました。
この調子で、本来の北海道らしい季節を楽しませて欲しいものだと思います。
写真は、朝の散歩のときに遭遇した北海道神宮境内に棲んでいるリス。
かれらは生存のために捕食活動に余念がないのでしょうが、
人間との接触領域での行動で、好感度が高い。
ネズミに近い動物だけれど、
ネズミは嫌われているのに、かれらはあの独特の動作が好感を呼ぶのか、
まぁ嫌いな人はあまりいないようであります。
北海道神宮は、人工物が森の中に調和しているので、
こうした野生小動物には生きやすいのでしょう。
しばしの間、カメラを通して遊んでもらっていました。

ここしばらく休日と言っても完全に休みという日は少なかったので
やや、体力が落ちてきていましたので、
きのうは意識的に「なにもしない日」と決めていました。
そんなふうに思っていたら、
もうかれこれ35年くらい前に購入して、
わが家でも一番古株の冷蔵庫がおシャカになっておりました。
先日から、ややコンデンサーの音がうるさいかなぁとは思っていたのですが、
ふと気付いたら、どうも冷凍庫の中に入れていたものが
融けだしていて、その雰囲気に気付いた次第。
中のモノを片付けて、丁重に冷蔵庫としての寿命の完遂に感謝していました。
わが家では、壊れないモノは買い換えたりせず、
必要に応じて、大型のものに主役は譲らせつつも、
バイプレーヤーとして、頑張ってもらっていました。
キッチンの主役冷蔵庫の位置は、もう30年も前に譲っていましたが、
その後も、2台目・3台目の冷蔵ストックとして現役だったのです。
さすがここまで長寿命になると、一瞬、修理しようかなぁとも考えましたが、
ここまで古いと、電力使用量も大きいタイプでしょうし、
二の足を踏んでしまいます。
第一、修理と言っても部品供給があるのかないのかも不明。
たぶん、ない確率のほうが高そうであります。
そんなことで、きれいに中を掃除してやって、
役割を終えた戦士として、処分の仕方を考え始めております。
こんな休日の過ごし方も、いいかなぁと思っておりました。