
さて、本日はReplan北海道、最新号のご紹介です。
本誌は26年前に創刊しましたが、
創刊号はリフォームの特集でした。
それまでの新築情報だけだった住宅雑誌の中で特異な存在でした。
100号、25年の歩みを超えて、ふたたび「Re-Home」という特集。
また、生まれ変わってもう一度、同じ地点に立ち返って発信したいと思います。
書店、コンビニエンスストアなど店頭で発売中。
ぜひ、お買い求めください。
【特集】部分改修からリノベーションまで Re・home
自分たちの家を持つなら、自分好みの空間で暮らすなら、
今よりもっと快適に過ごすなら、これからも住み継いでいきたいなら、
大規模なリノベーションで、部分リフォームで、
上手に建物を生かして手を加えれば、思い描いた暮らしは叶うのです。
case.01/築41年・戸建てのリノベーション
case.02/築26年・マンションのリノベーション
case.03/築10年・店舗のリノベーション
case.04/築22年・戸建ての減築リフォーム
case.05/築2年・マンションの部分リフォーム
Contents
●巻頭特集/ 部分改修からリノベーションまでRe・home
●Re・home 実例集
●ものづくりのチカラ 其の二
●エリア特集 オホーツクの住まい
●エリア特集 旭川で暮らす-住まい・暮らしの中で考える環境-
●New Building Report 〈新築実例集〉
●JIA 北海道支部住宅部会 2013年度住宅賞 発表
●連載・ STORY OF ARCHITECTURE
●北の建築家
「福井の家」 小坂 裕幸
「大屋根の家」 富樫 雅行
Posted on 12月 29th, 2013 by 三木 奎吾
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さてきのうで会社は通常業務を終了。
これでやや落ち着いて、あれこれを考えることができます。
と、早朝目覚めて雑感していたら、
あれこれ、やっていないことの数々が想起されてきて
朝から、あせるほどであります(笑)。
しょがない、忙しさで気が回らなくなっている部分がまことに多いと痛感。
ようやくにして部屋を見回して
カレンダーを更新しまして、そうしたらことし見に行って
感激した「洛中洛外図・舟木本」の大判印刷ポスターも発見。
ちょうどよい壁面の高さに貼り付けました。
お金持ちだったら、この絵、ほんとうに欲しいところなんですが、
まぁなんとも、どうしようもない(笑)
でも、なんと、DVDが発売になっているのですね。
さっそくAmazonでワンクリックしてしまいました。
こういった国宝でも、デジタル時代になって楽しみ方が広がってきた。
子細に観察していると、この絵はほんとうに面白い。
わたしは、少年時代マンガ家を志していた時期があり、
いま、ほんとうにマンガ原作者になっている現実があるのですが、
日本の美術には、マンガに向かう大きな流れが連綿と続いてきたと思います。
鳥獣戯画が嚆矢とされているのですが、
この「洛中洛外図」というジャンルは、
いわばニッポンの「大河マンガ文化」の精華といえるのではないかと
強く思っています。
マンガはその直感的表現力という意味で
日本文化のある特徴を明確にシンボライズしていると思います。
現代に至って、世界各国で日本のマンガは
人気が高まっているといわれますが、
これからのニッポンの文化資産としても、世界に通用する
もっとも可能性豊かなジャンルなのではないでしょうか。
さて、靖国参拝問題、安倍政権は中韓2カ国以外は
静観するだろうという見通しを持っていたようですが、
アメリカを始め、欧米諸国からの反応も否定的に出てきています。
これをむしろ奇貨として
靖国の問題を、日本として解決する方向に向かえないかと思います。
たしかに安倍首相がいうように、国家のために殉じたひとびとを
鎮魂する施設はあたりまえに必要でしょう。
しかし、靖国は、明治戊辰戦争での「官軍」側だけを祀ったことを
創始においている施設であり、
国全体のこうした施設としてふさわしいとはいえないと思うのです。
先般、日米2プラス2協議で来日したアメリカの2閣僚は
千鳥ヶ淵の戦没者墓園に献花したのですが、
そうした方向性が、この問題の常識的な解決策なのではないかと
思われるのです。
Posted on 12月 28th, 2013 by 三木 奎吾
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全国のお仕事されているみなさん、お疲れ様でした。
ことしもなんとか仕事納めの日にまでたどり着きましたね。
本当にあっという間なのですが、
カレンダーを見ると、確かにあと5日しかない。
わたしどもも、本日が仕事納めとなっております。
まぁ、創作の仕事にはこういう年末年始というまとまった時間は貴重なので
わたしは、いろいろ課題を持ってダラダラと(笑)
仕事を続けることになると思いますが、
対外的なことは本日までで終了であります。
というようなところに、安倍さんの「靖国神社参拝」のニュース。
わたしは、靖国参拝には批判的な意見を持っておりますが、
それは別として、また外交的なあつれきの高まりが懸念されるところ。
アメリカからの反応が出ていましたが、
この反応の意見に近いというのが、正直なところであります。
しかし、こういう考え方の政治家をトップとして政権を握らせているのは
この国の現在の「民意」であり、
国際社会の見方はどうであれ、このこと自体は、
いまの状況として、受け入れていくしかないのだろうと思います。
東アジアの状況に対して、このことがどのように展開していくのか、
注意深く、見定めていかなければなりませんね。
さて、写真はことし訪れられたなかでも
いちばん印象深かった、伊勢神宮外宮の参拝の様子であります。
伊勢については、わたしも大いに「参拝」には賛成。
国家神道というのは、戦前までの天皇の神格化という
そういった経緯から育っていった概念だと思います。
それには批判的ではあっても、
やはり、伊勢をはじめとする全国の神社や仏閣には、
素朴な日本人の「公共意識」が祖形として示されていると思います。
また、潜在的にヤマト朝廷とは異質な出雲大社も同時に尊崇している
こういった多様性をもった透明性のある存在は
日本的なるもの、のある本質を示しているのだと思う次第。
年に一度「初詣」くらいは行くのが日本人。
こういう民族的アイデンティティは大切にしていかなければならない。
さて、来年に向けての方向性も会議などで定まりましたので、
年末年始の時間を有効にすごしていきたいと思います。
Posted on 12月 27th, 2013 by 三木 奎吾
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きのうは、仙台からもスタッフが来て
おおむね全員集合での忘年会開催。
若いスタッフの発案で、食事の後、なんとボーリング大会(笑)。
やや腰に難がある身には、ちょっと恐ろしげな展開でありましたが
けさも無事、ゆるやかな腰回りの様子で、ひと安心。
無事にことしを乗り切って、みんなと来年を迎えることができることに
感謝の気持ちを抱いておりました。
しかしそれにしても、1年が早い(笑)。
ついこの間お正月だったと思ったら、もう師走。
忙しさというのは、どんどん加速していくものなのですね。
若いときには、カラダがどんどん成長していく時間感覚と
世間的な時間感覚との関係が特殊なのか、
あるいは、こっちの側がカラダも含めて
動作に機敏性が薄れていって
そのぶん、世間の時間感覚が早く過ぎ去っていくのか、
などと妄想が沸き起こって来るほどに違う。
さて、今週いっぱいで通常業務は仕事納め。
その後は、年寄りらしくだらだらと仕事を進めたいと思っています。
ことしも、もうひとがんばりですね。
Posted on 12月 26th, 2013 by 三木 奎吾
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アフリカでのPKO活動中の自衛隊が
国連からの仲介を受けて韓国軍に銃弾を無償提供したことが
官房長官を通して政府から発表された。
さらに自衛隊現地指揮官がテレビニュースに出て積極的にことの子細を明かし、
韓国の現地指揮官からは「感謝」のメッセージを受けたとも証言した。
このようなことの経緯からは、ある意図がないことはないだろう。
ある意味では、ひとつの「外交カード」ではあると思う。
それに対しての韓国側の対応は、かなり困惑している様子だ。
このリアクションの中に、いまの日韓関係の本質としての
韓国、朝鮮民族内部での深刻なアイデンティティの危機が
明示的に示されているように思われる。
かの国では、日本のアメリカ・連合国に対する敗戦の結果、
日本による占領支配が解かれ、国家が生まれたということに、
根源的アイデンティティ問題が大きく存在しているのですね。
やはり民族主義的な立場からすれば、
独立のために「戦った」ということが、「正統」という扱いになり、
やや疑わしさはあるとはいえ、金日成が正統とされるような
そういった民族主義が、
反共を掲げてきたと思われた韓国で、国を挙げて信奉されているとされる。
その対極に、戦前の「親日」的なひとびとが対置され
時間をさかのぼって断罪するというような愚行もまかり通っている。
そうであるとすると、
反共軍事独裁政権を樹立した朴正煕を父に持つ大統領も
たしかに、身動きはできそうにないだろう。
反日を声高に言い続けていくしか、かの国では政権維持もできそうにない。
東西冷戦の終結と共に、スターリニズムの終焉を確信してきた
世界の主要な思想潮流とは、やや違う価値観をもっているといわざるを得ない。
日本としての最善策の「国家戦略」としては、
こうした隣国の状況は静観し、あまり深入りせずにいるほうがいい。
むしろ、東アジアからの静かな離脱を考えた方がいい。
経済の付き合いはそれとして粛々と行っても、
外交的には深入りせず、というほうが安全保障上も賢明だろう。
首脳会談についても、とくに積極的に働きかける必要もない。
ただ、今回のような国連経由での支援要請に対して
それとして行っても発表すらできず、秘密にするしかないということでは、
まことに付き合い方は難しいといわざるを得ない。
秘密に援助するというのは、武器輸出の原則禁止の法律上もできない。
今回は、国連の要請があって「人道上の緊急性」から
例外的に実施したのであるから、秘密には出来ないのは当然だと思う。
あくまでも冷静な対応だろうと思うのだが、
さて、韓国ではこのことはどのように推移していくのか・・・。
<写真はまったくの無関係です(笑)>
Posted on 12月 25th, 2013 by 三木 奎吾
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きのうは休日ながら、
東京から知人の丸谷博男さんが来札してのセミナーということで
行って参りました。
とはいっても、会場はわが家からほんの2kmほどの近さ。
わたしの庭のような地域に来られていた次第。
飛んで火に入る、じゃありませんが(笑)。丸谷さんお疲れ様です。
丸谷博男さんは、OMソーラーの奥野先生のもとで、
その創成期からいっしょに取り組まれてきた建築家。
最近では、岩手県の大槌町で復興住宅の提案をされるなど、
行動的な活動を展開されています。
わたしどもの「東北の住まい再生」発行、記事掲載などで
つながりが深まっていた建築家です。
OMの理念に惹かれる人って、わたしも含めて同質性があるように思います。
で、そういった復興住宅への関わりの中から、
より高性能で低価格な「パッシブ住宅」への志向が高まり、
「そらどまの家」計画に結実していったようなのです。
端的に言えば、
「呼吸する家」
「総合的な断熱工法」
「調湿性のある材料と工法」
という3つのポイントでの家づくりを提唱しているのです。
その理念としては、まったく異存がない点ばかり。
まぁ意見としては相違点もあるのですが、
その目指している方向性としては、了解可能なのですね。
とくに塗り壁の現代的な再生、ということでは
大いに共感を持てるのです。
塗り壁仕上げは、戦後、「在来工法」という名前の「合理化工法」が
国を挙げて採用されたときに
きれいさっぱりと忘れ置かれていた日本建築の最重要要素。
室蘭工大の鎌田紀彦先生も、この点は指摘されています。
本来、塗り壁が「充填されていた」壁体内が空洞のまま、
その室内側からプラスターボードなどの新建材を張ることで
在来工法というものが、成立していったことは、
その時点の大量に作らねばならないという社会的要請を背景があったとはいえ、
合理化という名目の元に、
日本建築をまったく異質なモノにしてしまったことは事実。
優れた建築性能を有していた技術がそこでいったん収束させられたのは
大きな損失だったと思います。
その塗り壁の「調湿性能」や「放射性能」などを再発見して
現代住宅を進化させたいという思いには共感するものです。
なんですが、ことし65歳という丸谷博男さん。
メールなどでの活発な情報発信と全国、海外を飛び回る行動力
なんと、ことしは年間で200日出張なんだとか・・・。
まことにすごい。
人間の命の使い方、お手本を見るような思いで感嘆しております。
くれぐれも健康をお気遣いください。
Posted on 12月 24th, 2013 by 三木 奎吾
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わたしは、今年度、北海道建設部からの委嘱をうけて
「北方型住宅」の来年度以降のかたちについての検討委員会に参加しています。
北方型住宅というのは、北海道で開拓の初期から取り組まれてきた
このきびしい積雪寒冷条件の北海道で
日本人として、どのような生活の器がふさわしいのかと問い続けてきた流れの
現在の到達地点であると言えると思います。
そこには大きく性能の要件が不可欠なテーマとして持続的に取り組まれてきた。
そして多くの実践的な工法開発が行われ、
その果実は、日本にフィードバックされていきつつある。
居室全室が、均一な室内環境でおおらかに包み込まれ、
冬の暮らしが、けっして暗く閉鎖的なものではなく、
アクティブな生活を実現するためのベースキャンプのような
そういった安心と、開放感を生み出している。
そのような志向性を持って取り組んできたことをきちんと宣言し、
この「生活資産」を、自覚的に文化としてさらに高めていくことが、
これからの大きな課題になって行くのだと思う。
考えてみると、
日本人にとって、住宅というものはぬぐいがたく生活文化と
一体のモノとして認識してきたのだと思う。
そういった住文化を感じさせる単語としては、
「数寄屋」や、「京町家」などといった言葉が親しまれ、尊厳ももっていたと思う。
しかし、数寄屋というものは、茶と抜けがたく一体の文化装置、
といった響きに近く、そういう住宅を差す単語は
「京町家」が、かろうじてその雰囲気を醸し出しているのではないか。
しかし、そこには一般名詞しか存在せず、
そこで成立したひとつながりのことばが、独特の光彩を放った、といえる。
ひるがえって、この北海道の地は、
明治以降、日本人のこころから深い愛情を注がれてきた。
たぶん、その地名イメージでいえば、
この愛着はながく存続して行くに違いなく、
さらにいえば、四季変化が明瞭で、美しい冬の景観を有している
アジア最高の暮らし良さ、自然の豊かさが感受できる地域として
発展するアジア世界有数の好感イメージを
得続けても行くだろうと推測できる。
そのように考えると、この地で生み出された高断熱高気密住宅は
日本人全体にとって、大きな未来へ向かっての資産であることはあきらか。
「北方型住宅」というものが、果たしてきた役割は
大きな意味で、こういったことがらの基盤を作ってきたと言うことだと思う。
多くの先人の叡智と苦闘に踏まえて
さらにそれを発展させていくことが、わたしたちの大きな使命だろう。
そんな責任の大きさを自覚しています。
Posted on 12月 23rd, 2013 by 三木 奎吾
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けさ起きたらやや腰痛。
どうも腰の周辺が重い感じでして、
以前2度ほどやったギックリ腰の前兆に似た感じ。
ということで、用心のためにマッサージに行って参りました。
で、通常のマッサージをしてもらって
カラダからの声に耳を澄ませるようになっていくにつれて
これは、パソコン接触の時間が多いことから来る
眼精疲労〜肩こり〜腰痛であることがクリアに認識されてくる。
マッサージの整体師さんと話して、
「ここはどうですか」
「こっちのほうは?」
というような誘導尋問に身を任せて行くにつれて
「そうか、そうよ、そこそこ」
「う〜〜〜む、そうだよ、それそれ」
と、アナログ的に状況が把握できていくのですね。
こういうのはまことにわかりやすい。
で、パソコン接触の時間を計算していると自分でも驚く。
わたしの場合、よし、しょがない、パソコンを扱おう、と決めたのは、
大体、1993年ころであります。
その2〜3年前からワープロは仕事に利用するようになっていたので
まぁ、それほど敷居は高くはなかった。
世の中的にもWidows95が大騒ぎだったので、
こういうタイミングでパソコンをはじめた方は多いと思います。
で、インターネットが萌芽的に始まった時期でもあり、
こういうパソコンとの接触時間の拡大を受け入れていった。
それまでアナログで仕事をしてきて
それはそれで出来ていたことを、
パソコンを利用しながら再設計するようになってきたわけですが、
当初は、身体的にもどうなるんだろうかなぁと不安もあったのですが、
あのころから20年近く経過してきて
そういう顕著な現れ方というのは杞憂だったと結論づけていい。
最近はとくに老眼が進行していますが、
それも、加齢の影響がいちばん大きくて
パソコン利用が大きな負荷になったということは言えない。
ただ、やはり「疲労の質」は、似ていながら、やはり違いがある。
アナログ仕事時代には、
まぁこんな感じというあいまいさが許される部分があったけれど、
PC、デジタル時代になると、あいまいさのレベルが事細かくなったように思う。
こういう人間活動の変化は、
娘や息子たちの世代と自分を比較していると気付きますし、
たぶん、あとになって大きく社会的に研究されたり、
時代区分的に総括されたりしていくのだろうなと思います。
ひょっとすると、火を扱うようになったこととか、
食料が、農業によって生産獲得されるようになった人類的変化と
ある部分では比肩するような変化に位置づけられるかも知れない。
で、眼精疲労についても、
アナログとデジタルではどうも違いがあり、
たとえば運転するという人間動作は確実にアナログ的に疲労する部分があるけれど、
そのことはデジタル接触での眼精疲労に対しては
むしろ、癒やしに作用するのではないか、とか、
そういった直感的推論を持っております。
こんな「気付き」を得ると、今度は
そういうことを検索項目にして、だれか先人の思索はないかと
即座に調べたりすることも出来る。
こういうのは、やはりものすごい社会的変化ではありますね。
ふむふむ。
Posted on 12月 22nd, 2013 by 三木 奎吾
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って、みごとに無関係な写真画像であります(笑)。
ビデオリサーチという会社の実態と果たしてきた役割を考えれば
この「視聴率」のおかしさがよくわかるのですが、
なぜか、大手メディアではなかなか触れられる機会がない。
そんななかで最近のインターネットではこういうことについても
違う見方を読ませてくれるメディアがでてきている。
テレビ視聴率調査に詳しいリサーチ評論家の藤平芳紀氏というひとに
「ビジネスジャーナル」というメディアがインタビューしていた。
どうも体感実態からかけ離れた「視聴率」と、
実態としての録画視聴、スマホなのでの録画視聴などの調査がされていない
現実について、するどく迫っています。
<以下抜粋>
視聴率調査会社ビデオリサーチの背景を知る必要があります。
同社の創立以前、大手広告代理店・電通やテレビ局は
独自に視聴率調査を行っていました。
しかし、それでは信用性に欠けるということから、第三者機関による
視聴率調査を行おうということになり、
電通の吉田秀雄社長(当時)が主導的役割を果たし、
民放18社に加え電通と東京芝浦電氣(現東芝)が出資して
ビデオリサーチを設立したわけです。
ところが独立した第三者の調査機関であったはずなのですが、
現在、ビデオリサーチは大株主の電通が
支配的な経営を行うようになっているため、その意向を無視できないのです。
忘れてならないのは、視聴率というのは、
人々の番組の嗜好を測定する指標であると同時に、
テレビ局や広告代理店にとってはスポンサーのCM料金、
すなわちテレビ局の売り上げにかかわる重要な広告効果
の指標の1つでもあるわけです。
そういう視聴率調査に、CMは早送りで視る人が多い
「録画で視る」人の数を加味しても、彼らにとっては
意味のない調査になるのでしょうね。
「録画で視る人を視聴率調査する必要がない」という電通の意向が、
このシステムの導入を大きく阻害しているのだと思います。
一刻も早く、真のテレビの視られ方の尺度が確立されることを望みますね。
そうでなければ、ビデオリサーチは番組の視聴を調べるのではなく、
CMの視聴率を測定する道を選ぶことです。
実情に合わないテレビの視られ方を調べて、
「これがこの番組の視聴率です」とは言えません。
テレビという免許事業業界が、
ある特定の価値観によって統御されている実態が見えますね。
ゆがんでいるメディアを正常化させるためには、
この問題、避けては通れないのではないかと思っています。
Posted on 12月 21st, 2013 by 三木 奎吾
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いつも仕事していて、このふたつのことを
行ったり来たりしているのがわたしの「仕事」だと思っています。
で、ここんところ、ふたたび「生み出す」方に没頭しなければならないので
そういうときには、事務所から3分ほどの自宅の方が作業しやすい。
なぜかなぁと思っています。
やはり段取り仕事の場合には、
いろいろなひとの「組み合わせ」で考えることなので
通信連絡や、会話で仕事を進めていくことが圧倒的に多い。
そうすると、より通信手段などの利便性が高い事務所の方が合理的。
でも、そうすると「関係性」が煮詰まったりするので
集中力を高める必要がある「生み出す仕事」に大きな支障を来す。
そんなことなのかなぁと思ってはいますが、
みなさんはどうなんでしょうか?
仕事の質と環境要因、というようなことになると思いますが、
人間の知的集中力は、どのようにしたら最大化するのか、
というようなことは、創作少年であったころからの
密かな追求テーマでありました。
仕事生活では、圧倒的に「段取り系」の営業的フィールドだったけれど
でも節目節目では、「生み出す」仕事にも没頭してきた。
やはり「生み出す」仕事の方が、その後の発想には大きな影響をもった。
そういうことで、自分で仕事のための空間を2つほど作ってきて
いまは、最初のブロックの建物の方が「生み出す」のに適していて
木造素地表しの方は、コミュニケーション系になっている。
そういった意味ではハードボイルド系の方が創造系にはいいのか。
癒やし空間である木質系は、コミュニケーションにふさわしい、
っていうような推論は成り立つ。
まぁ、これはわたしの個人的な感覚なので、普遍化はしにくいけれど。
でも、集中力って、どうしたら高まるのか
どうも空間とアタマのなかの活性には、ある因果関係があると思われる。
この関係を自分なりに解き明かせられれば、
自分の矮小な「創造力」にパワーを賦活できるのではないか、
などと妄想をかき立てている次第(笑)。
今回の自分自身への環境付けから考えると
ひらめきや、邂逅には、ある焦燥期間が欠かせないようにも思う。
スイッチが入らないと、なかなか「エイや」という気分が盛り上がらない。
この「気分」が大切であるのには、気付いてはおります。
むむむ、なかなか奥が深いんですよね〜、これって。
Posted on 12月 20th, 2013 by 三木 奎吾
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