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なんちゃって有楽町エセ場末エスプリ

1841

こういう種類の趣味ってどういうことなのか?
場末感っていうカテゴリーに弱い。

きのうは青森から新幹線で東京に移動して2件ほどの用件。
で、ちょうど終わって疲労困憊感ハンパない気分でいたら
ケータイが鳴って、知人から情報交換のお誘い。
まぁタイミングが良かった(笑)。
で、品川から有楽町に移動して、「場末、場末」と移動(笑)。
東京でのサラリーマン生活時代、
いまから35年も前のころの刷り込まれた記憶がフラッシュバックするのですね。
人間って、すき間とか、暗がりとか
そういう環境に弱いということなのか、
それとも、昼間、手ざわり感のない大都会の無機質さに
やや神経が疲れて、赤提灯的なおぼろげさに
神経を浸らせたくなる、ということなのか、
とにかく心理的整理整頓には、写真のような空間がわたし的にはふさわしい。
なんですが、こういう店も最近は
「なんちゃってノスタルジー」みたいなのも多いようであります。
きのうは、「ふらり飛び込み」感性みがき挑戦篇。
有楽町サラリーマン歴数十年の知人の言では
この手の店で本当に古くからやっている店って、案外ないのだそうで、
きのう、ふらっと入った店も、
なにか、しっくりこない、若者がひとりで切り盛りしている店。
やや神経質そうな対応で、おいおいどうしようかなと考えたけど、いいかと。
まぁこっちも疲れているので、いちいちハラも立てないのですが、
どうも勘違いしているっぽい。
かれのなんちゃって「こだわり」最優先のような店で
客側にあれこれと口出ししてくる。
「なんちゃってノスタルジー」の押し売り感ハンパない。
どうも東京はこの手のニセモノに事欠かない。
しかしそういうのを楽しむというのもありなので、おとなしくしていた次第。
まぁこっちは疲労困憊ふらり飛び込み一見さん。二度はない一期一会。
あんまり批評的になるのも、めんどくさいので
かれの勝手にして貰っていたのですね。
だいたいこの手のエセ場末エスプリって、地酒を置いているけれど、
たまたま、沖縄の泡盛を置いてもあった。
ついこの間、宮古島でおいしくて臭み感のつよい
美味い泡盛を飲んできたわけですが
置いてあるのは「これでダメなら泡盛あきらめろ」みたいに書いてある
「飲みやすい」泡盛、っていう次第。
おい、そんなんだったら、エラそうな口上や口出しをするな、と言いたくなる。
っていっても、「内心で」であります(笑)。
あくまでも、「神経質そうな」方には、スルー気味に対応が肝要。
だいたい、一昨日もたっぷりの夕食で食べきれなかったくらいなので、
食べ物はほとんど箸が進まなかった。
まぁ、味も言うほどこだわっているとは思えないものでした。
したがって、本格的に情報交換最優先のいっときでした。

まぁそうは期待もしていなかったけれど、
突然飛び込み飲食店、大ハズレ。
◎◎さん、ゴメンね、フィーリング飛び込みに付き合わせてしまって(笑)。

札幌ー青森ー弘前ー東京都内JR移動

1840

さてきのうはふたたび青森県での仕事。
今回は弘前で講演を頼まれての出張ですが、
その後、本日明日は東京に移動して何件かの用件を片付けます。
ということで、最初と最後は決まっている。
JRで札幌から弘前まで行って、青森か新青森に引き返して
翌朝、新幹線で移動して、帰りは羽田から飛行機で札幌まで帰る。
これはなんにも問題はない。
ただ、青森もしくは新青森ー弘前の往復がなにやらわかりにくい。
乗車券チケットを見てみると、札幌ー東京都区内であれば
そのルートはどう通ってもいいとなっている。
考えられるルートとしては、新幹線が基本だけれど、
書かれているルートには「奥羽本線」も明記されている。
期間は7日間なので、「途中下車」も可能になっているのですね。
というような条件の中で、当然のようにコストパフォーマンス優先で
費用のムダを省くことを考える。
JR北海道では「北東北フリーキップ」というのがあって、よく利用します。
札幌から青森・岩手・秋田の北東北一円のフリー移動可能な切符。
なので、そういったチケットとの比較検討をするのですね。
で、そういう旨、より有利なチケット購入について、
よく相談購入させてもらう北海道内の最寄りのみどりの窓口に行ったら
先方からは、「よくわからない」というお答えでした。
特急料金は別にして、青森もしくは新青森ー弘前間の移動については
この「乗車券」のみでいいのかも、というあいまいな情報なのです。
わからないまま、「乗車してから車掌に聞いてください」というのが結論。
まぁ迷うところですが、しょがない。
で、きのう函館から新青森までの特急の車掌さんに聞いても、
結局わからなかった。
新青森というのは「奥羽本線」の途中駅なのですが
どうもそれすら知らない車掌さんで、
ひとつ手前駅の「青森」で特急を乗り換えろと言う。
言われるままに、青森で乗り換えたら、今度の奥羽本線の車掌さんは
「乗り換える必要ないっしょ(笑)」というあっけらかんとした答え。
でもまぁ、その車掌さんに事情を話してチケットを車内販売してもらいました。
結論としては、やはり東京移動が基本で経由するルートは新幹線ならば、
弘前まではまったく別途の「盲腸」的な往復という解釈に。
なにやら、コストパフォーマンスを考えるよりも
適法なのかどうかの方も怪しまれるような状況なのですね(笑)。
別にわたしが悪だくみをしているのではなく、
鉄道キップの整合性がどうもわかりにくくなっているのです。
まぁ混乱の元凶は、「新青森」と「青森」なのでしょう。
新幹線駅が新しく別駅になったことで、利便性と運賃設定において
運賃と特急料金体系がきわめてわかりにくくなっているように思います。

車掌さんから、新青森ー弘前間の「往復キップ」を購入し、
でも、弘前からの帰りは「青森」まで行くのですよ、と再確認したら、
「あ! そうだったね、う〜ん、そしたら往復割引は使えないのかなぁ??」
と、ゴニョゴニョ。
そこでこっちが最後の一発で
「あ、わかった、じゃ、乗り越し精算するわ」
という案を出したら、
「いいね、それ」
というなにやらFacebookのような答え(笑)。
ふたりして、親指を突き立てるポーズでシェア。
でも不安は残っていて、最後青森駅で夜10時ころに駅員さんに
乗り越し料金を申請して「90円払ってください」と
言われて払うまで、一抹の不安を持っていたわたしでした(笑)。

この地域の状況に精通していないみなさんには、
イマイチわかりにくいブログであることを、最後にお詫びします。

竹の文化と北海道

1831

本州地域の建築を見て回っていて
それが北海道と決定的に違うと感じるのは建材としての竹。
植生限界の関係で、気候的に本州以南地域で多い、
孟宗竹や真竹などは北海道では自生しておらず
一般的には「根曲がり竹」しか見ることがなく
建築材料として使用される文化が育たなかった歴史的経緯があります。
写真は、本州地域で一般的に見られる夏用の建具に使われた竹。
このように「節」の部分を寄せ集めて
独特のリズム感を見るものに与えるデザインを創造していた。
建具のデザインって、わたしは幼少期からの人間に与える
視覚的影響力が強いだろうと思っています。
自分の少年期には、畳の目を数えたり、
障子の格子模様を目で見て、タテ横ナナメというように目を遊ばせて
なにかの知覚情報を得ていたことは確実だと思う。
このような「日本的」というイメージを構成する
重要なバイプレーヤーが、北海道には存在していなかった。
たぶん、北海道で育った人間には
こういった部分での喪失感があることはいなめない。

いわゆる竹という植物は、
ササと本来は区別が明確ではないそうですが、
イネとほぼ重なるような地域植生だということです。
イネの植物繊維をより集めた生活雑具なども
ある時期までの北海道ではありえなかっただろうと思っています。
しかし北海道移住民であっても
イネ、コメだけは執念を持って育成に取り組んだ。
最初期のコメ生産成功者には、明治天皇から直々に慰労があったそうですが
まことに「日本人」でありたいというDNA的な思いを感じる。
そういった努力に比べれば、
竹製品に対する北海道人の態度は、まことにあっさりしている。
そういったDNAについてはみごとに喪失に鈍感だと思う。
まぁ、ないものはしょがないべ、というところ。
代わりに、根曲がり竹については、
よく竹の塀囲いとして利用されていた様子を目に焼き付かせている。
幼少期、北大植物園の隣接地に住んでいたのですが
塀囲いとして根曲がり竹が編み込まれていた。
まぁもう時効でしょうから暴露するけれど、
近所の悪ガキたちは、その根曲がりの下の部分を
時間を掛けて1本、また1本と折っていって、
やがて、獸穴のような入り口を造作して
周辺の草で被覆して秘密の探検ルートにしていた(笑)。
ご丁寧にその下側の土も掘り返したりの土木工事付き。
そのような建築的被害はあったのではありますが、
いま考えてみてもあれはいいデザイン景観であったと思います。
だれか、北海道の建築家にあのデザインを再構成してほしい。
おおお、と犯罪意識を伴って感嘆する北海道の中高年はいるハズです(笑)。

どうも文化とはかなり縁遠い話題になりましたが、
北海道人の竹文化への態度について
日頃あれこれのことを思っている次第であります。

キンキの塩焼き

1824

さて、土日の二日間、
しっかりと籠もって、ひたすら新規PPTデータ作成に集中。
今回はテーマからしてまったく新しい分野に挑戦しているので
テキストも、画像・映像も、すべてがおNEWバージョン。
たまにこういう挑戦をやってみると、
いろいろな考え方がリフレッシュされて、
自分自身でも新しい発見に出会えて面白い。
でも世間では札幌マラソンやら、あたらしいスポットのオープンなど
ゆく夏を惜しむかのような賑わいですね。
気晴らしも兼ねて、そのスポットでアルバイト中の坊主を
クルマで送ったら、マラソンのための交通規制が始まっていて、
渋滞に巻き込まれまいと、大急ぎで市中心部を離れました。
都合60年ほどこの街と付き合ってきましたが、
「祭り」のかたちは変化してきていると思わされますね。

さて、写真は気仙沼の料理屋さんで食したキンキの塩焼きであります。
ことし食べた食事の中でもかなり感動した逸品なんですね。
毎日のように人間は食事していくわけですが
四方を海に囲まれたニッポンは
魚類のあじわい方に、独特の食文化を作ってきたと思います。
北方でとれるキンキはわたし、いくらでも食べてきたと思いますが、
久しぶりにゴロンと出されて、箸を進めるウチに
その素材の旨みの醍醐味に完全にやられてしまった。
いろいろなサカナを出されている末に、まさにゴロンとまんまの塩焼き。
まぁ、不意打ちっぽく、素材ゴロンという作戦。
やっぱりこういう潔さ、シンプルさにはかなわない。
まったくノックアウトされてしまっていました。
量も多くて、1尾食べたら満腹でほかのものを食べられなくなった。
料理人というのは、
素材のすべてを見て、どう料理したら
おいしく食べられるかを考え続けているのでしょうが
ニッポンくらい、
魚類の種類が豊かに食卓に上る食文化の国もないのでしょう。
そういうなかでも、素材の旨み、それ自体で直球勝負という、
そういう選択を料理人にさせるのは、なかなかないかと。
気仙沼でしたが、材料は靑森で取れたものと料理人さんは言っていました。

これを食べながら、
料理人さんと酒を酌み交わしまして、
その鮮やかな「配球」に、降参させられていた次第であります。
こんな一期一会の味に、また出会いたい。

講演PPTデータ制作没入

1827

貴重な土日の制作期間で、火曜日の弘前での講演資料と格闘中。
お盆前の7日に急に振られた案件なのですが、
1カ月もない期間で、最近取り組んでいるテーマについてお話ししたら
すぐに反応されてしまった。
で、かんたんなレジュメのようなものを沖縄出張中、というか、
沖縄までの都合5時間ほどの飛行機の中で構想として大筋をまとめたものを
作って送って、了解もいただいた次第。
しかし札幌に帰還後もすぐに十勝に出張で、時間が全くない。
ということで、今週はたいへん楽しい週末なのです(泣)。
いつも雑誌の原稿執筆で、いろいろなみなさんを追い込むのが
「編集長」としての大きな仕事です(笑)。
言ってみれば編集というのはS的な立ち位置ですが、
自分で案を出してまとめていくというのは、まことにM的。
まさに身もだえするような恍惚の世界であります(笑)。
いや〜〜、やれやれ。

まぁ個性としてのわたしというのは、
どっちかというと、原稿創作者に近いのだと思っています。
編集という作業は、情報にとって、一種の産婆さんのようなもので、
社会との接点で、知的生産物出産工程の管理者。
まぁプロデューサーという便利な言葉がありますが、
そういった存在だと思います。
これはこれで、他力本願な部分が大きいので、
作者へのなだめ、褒め、せき立てなどなど、
あの手この手で、作者を追い詰めていくのにはストレスも伴います。
一方、なにもないところから何かの知的生産物を創出するひとは、
「なにかがどんどんと湧きだしてくる」という
「狂」的な創造的心理状態を、どのように自分に仕掛けていくかというのが
もっとも大きな部分であります。
「なにかがどんどんと湧きだしてくる」状態というのは
あらかじめ追い込み方が決まっているわけではありません。
環境要件と、自我要件の両面から、
自分自身を攻め上げていくような、そういう作業であります。
で、おおまかなあらすじ、総体的な鳥瞰的把握を準備段階として
一定期間の日常生活のリズム感の中で揉み込んで過ごし
たとえば今週の土日、というような「出力期間」を設定して
心静かに淡々と、まとめあげていく、ということになります。
なるべく、心が乱されないように、
日ハムの試合結果とか、朝日新聞のこととか(笑)
なるべく考えないように情報遮断して、取り組むのですね。
ま、ムリなんですけど(笑)。

ということで、
ふ〜〜、よっしゃ〜!と
カラ元気を振り絞ってがんばりたいと思います。ではでは。

金沢21世紀美術館〜透明な壁のいごこち

1830

写真は、さすがに北海道ではお目にかかることがない
SANAA(妹島和世さんと西沢立衛さんによる日本の建築家ユニット)の
「金沢21世紀美術館」であります。
ことし、はじめて見る機会を作って行ってきた次第です。
さすがにこのユニットの建築は、どちらかというと温暖地に建てられていて
寒冷地では実現しないのではないかと思います。
まぁ十和田にはあるのですが・・・。
これは公共建築であり、
地域のひとびとの同意があるのであれば、省エネという観点ばかりが
主要な建築評価基準である必要はないだろうとは思います。
ドイツパッシブハウスでも開放的な開口部が
自然に求められているように、洋の東西を問わず
このようなデザインがある普遍的な欲求を表現していることは間違いがない。
こうしたデザインの成立は、周辺環境にもよるでしょうが、
この金沢の立地の場合には、市の中心地の緑地のなかにあり、
十分な視覚的ここちよさを、訪れるみなさんに提供していると思われます。
わたしには構造のことはあんまりわかりませんが、
RC造でここまで外壁の量が少ない建築が成立する驚きが大きい。
まるで外にいるかのような透明な壁が外界と内側を仕切っているけれど
その仕切のガラスはきれいな湾曲を見せていて、
その厚み仕様はどうであるかは確認していませんが、
ペアガラスでもないことは容易に知れる。
訪れた時期は5月下旬だったのですが、ガラス面の床端部には
巨大であろう空調設備による冷房風がガラス面に吹き上げられていました。
この建築での人間の皮膚感覚的体感の「いごこち」は、
もっぱら設備が担わされることになっている。
地元の建築家からも「いつまで持つか」という議論もあると聞く。

結局、ガラスで壁を作ったことによって増幅される室内側の寒暑条件は、
力づくの冷暖房コストの注入で「解決」させるしかありえない。
わたし自身未確認ながら、この美術館の年間冷暖房光熱費の開示はされていない、
という、ある信頼できる方からの情報もあります。
さらにメーカーの保障も取れない「シール」つまりコーキング接着材を頼りにする
「ガラス接合建築」のメンテナンス費用は今後、大きな問題にもなり得る。
第一、エネルギー危機が進行していって維持コストが巨大になっていったとき
そのコスト負担に将来社会がほんとうに納得するのかどうか?
・・・しかし今のところ、訪れるひとは多く、
口コミ的な評判は概して好意的なものが多いようです。
ある空間概念イメージに挑戦的に取り組むことは
建築の、あるいは人間環境の進歩発展にとって意味は大きいでしょう。
しかし建築はどんどんダウンサイジングされていって、
そういう「挑戦的な建築」であっても、日本中どこにでも建てられていく。
そうだとしたら、こういう建築が
最小限度に近いメンテナンスで延命していけるような具体的な手法を、
そこに建てた人間の「責任」として考え出す必要は
あるのではないだろうか。
美しさを感じながら、同時にそういったあやうさを受け取っていた次第です。
美しければそれでいいのだろうか?

朝日新聞よ、再生に立て

1833

きのう朝日新聞による文春の広告掲載拒否のことを書きましたが、
引き続いて、週刊新潮についても、広告掲載拒否があったそうです。
週刊誌という、朝日新聞社からすれば
取るに足らないとでも思っているメディアでしょうが
今回の一件について言えば、どう考えても週刊誌の書いたもの勝ちでしょう。
広告掲載拒否という手法を朝日は使ったわけですが、
これも稚拙な対応と言わなければならない。
誰がどう考えても、報道の自由への干渉を言われても仕方ない。
いまの朝日の経営陣、レベルが下がっている。

わたしは、朝日新聞のことを嫌いではありません。
戦後日本社会の中で大きな役割を果たしてきた存在だったと思っています。
細川政権・羽田政権末期には、わたしは
小沢一郎による強引な権力ゲームについて批判的な意見を書いて
朝日新聞に投稿し、掲載されたこともあります。
ふつうの市井の市民の声がきちんと掲載されるシステムがあり、
それが表現される大きな場所が担保されているということに
ある清々しさを感じた経験を持っています。
それは朝日新聞というメディアが、戦後民主主義にとって
大きな役割を果たしてきたという具体的な体験でした。
数年前に、朝日新聞に自社としての出版物の1ページ広告を掲載したときには
出版に生きるものとしての内心の充足感も持ったりしていました。
そういった朝日新聞へのリスペクトの気持ちは持っている人間です。
そういう人間だからこそ、朝日新聞には報道の自由について
それを大きく担保する姿勢を貫いて欲しい。
それがたとえ、自社にとって不都合な事態であっても、
朝日新聞には、正々堂々とした挙措を期待したいのです。
先日の従軍慰安婦についての誤報の開示は、
苦しかっただろうけれど、真実を正面から受け止めようという
そういった姿勢を感じ、批判しつつも、そこからの立ち直りを期待していました。
しかし、いまの朝日の社会への対応はダメです。
文春も新潮も、たしかに朝日の報道傾向とは違うメディアですが、
日本の論壇、ジャーナリズム社会では重い役割を果たしてきたメディアです。
文春に至っては、田中角栄金脈研究という戦後史に残る
メディアと権力との角逐の主人公になった歴戦の雄。
それに対して、ただただ暴力的な「広告掲載拒否」では
格好の攻撃手段を与えるだけです。
こういうケンカでは、文春や新潮の方がはるかに上手でしょう。
まったくの小児病的な対応であって、
大メディアとしての矜持のない対応だと思います。

まず朝日は、せっかくの「記事取り消し」決断をムダにせず、
そこから巻き起こった事態について、正々堂々と
海外記者クラブにでも編集長や社長が乗り込んで
朝日新聞の立場、考え方を世界にアピールすべきであって
臭いものにふたをする、批判を暴力的に封じ込めるというのは
まったくの下の下の策です。
まさか、朝日新聞のメディアとしての自殺は見たくありません。

誤報を謝罪しない朝日新聞の危機

1825

朝日新聞が、週刊文春の広告掲載を拒否したのだそうだ。
わたしはあんまり週刊誌というのは読者ではありませんが、
もと文春編集長だった、花田紀凱さんの産経新聞での記事
「週刊誌ウォッチング」によれば、
『週刊文春』(8月28日号)
「朝日新聞よ、恥を知れ!『慰安婦誤報』木村伊量社長が謝罪を拒んだ夜」
というのが、どうも件の号であるようです。
しかし、花田紀凱さんの記事では他にも
 『週刊新潮』(8月28日秋風月増大号)
「全国民をはずかしめた『朝日新聞』七つの大罪」
 『週刊現代』(8/30)
「日本人を貶めた朝日新聞の大罪」
『週刊ポスト』(8・29)
「朝日新聞『慰安婦虚報』の『本当の罪』を暴く」
 『フラッシュ』(9・2)
「エラいぞ、朝日新聞!(怒)『従軍慰安婦問題』誤報検証を検証する」
というようなことのようで
ごく当たり前の反応が、他のメディアから朝日新聞に
集中砲火のように浴びせられているという状況のようです。
花田さんによると各紙とも内容は大同小異だそうですが、
文春ではこんな記事表現もあったのだそうです。

「唯一『文春』が加藤清隆氏(政治評論家)が最近、
本人から聞いた話として木村社長の肉声を。
ある勉強会で加藤氏が
「朝日はちゃんと謝った方がいいんじゃないか」と言うと、
木村社長、こう繰り返したという。
 「歴史的事実は変えられない。したがって謝罪する必要はない」
・・・歴史的事実を、朝日がねじ曲げたのではなかったか。」

というようなことのようです。
各紙のなかで文春だけを広告掲載拒否したのは
こんな流れがあったからなのか。
大きな国際問題にまで発展してきた自社の誤報について
「記事を取り消します」という一文で済ませた上、
他社も間違えていたとか、間違いは本質には関係がないと書き飛ばして
人類的な問題である戦争時の性の問題一般に問題を拡散し
その問題の最大当事者として、依然として日本を断罪する姿勢を示している。
どうしてこういうプロパガンダ姿勢を正当化するのか、
理解に苦しむ。
新聞事業者では、ことの発端を書き続けてきた産経新聞や読売新聞は
朝日に対して批判的な見解を紙面で表現しているけれど、
その他の新聞は、事実報道のみに徹しているように思われます。
そういった報道機関のなかで比較的に自由な論調の週刊誌がほぼ一斉に
批判の声を上げているのは、正常な国民感覚を表現していると思います。
広告掲載拒否というのは、
メディアとしてはある意味では、他社の表現の自由を制限する行為であり、
批判を封じ込めるものといえる。

朝日新聞は、いま、最大の危機に瀕している。

<追記:広告掲載拒否はきょう28日発売の「週刊文春」(9月4日号)であり
「朝日新聞『売国のDNA』」という記事が掲載されていたとのこと。追記訂正いたします。 写真は「青の池」>

高温重空気と、中温軽空気

1839

日本列島は南北に長い。
シチリア島からストックホルムくらいまで移動しているのでしょう。
宮古島的な住宅が向き合っている問題を聞いたあと、
今度はごく常識的な顕教的断熱重視の世界へ。
北海道の工務店グループ・アース21の定期的な例会出席のため
きのう十勝地方に入りました。
この例会では、いつもたくさんの住宅事例を見学いたします。
8軒の住宅見学した後、
さらにスライド発表での住宅事例も見て、
たっぷり満腹、寒冷地住宅の世界であります。
沖縄では、外気温35度で湿度90%を考えるワケですが、
保湿している水分量がハンパなく、
これは「重たい空気」感の世界と、まさに実感させられます。
一方、北海道十勝は外気温25度以下で、湿度は腫れの場合は40%程度。
ご存知のように、空気中の水分量は気温と密接な関係を持っている。
そして住宅の性能を考えていくときに
室内・壁体内の水分コントロールは南北とも不可欠要件です。
このような様相の十勝の空気は、まさにスーパードライな陽光世界。
汗を掻くというような人間皮膚の蒸散作用はほとんどなく
しかもバス移動では窓を開けて走行すると、
さらに体感気温は低下していく。
札幌から十勝までの移動で途中、もっとも気温が低い占冠周辺では
気温は11℃まで下がっていた。
半袖しか持ってこなかったことを悔やむほどの冷涼感。

この時期のニッポン、
全国的には沖縄でも体感するような蒸暑が一般的。
基本的にはこういった空気感が日本的共通認識では支配的。
しかし十勝でも、蒸暑のかけらのような季節感を惜しむように
「納涼花火」には、20万人もの人出があるのだとか。
なにやら、気候的な冷涼さを大勢が集まることで
人為的に「蒸暑」を感じたいとでも思っているかのようであります(笑)。

広島の土砂災害

1823

写真は、昨年11月15日付でアップしたブログの写真とほぼ同じもの。
http://kochihen.replan.ne.jp/blog2/?p=10074

文末に土砂災害などの危険性はどうなのか、
みたいな記述をしていた。
なんとなく不安を感じるような「土地開発」だという直感を持っていた。
ことしは日本各地で大雨のもたらす災害が相次いでいます。
たいへん不幸なことですが、
このような開発行為についての危険性が、明瞭になったのだと思います。

しかし一方で、日本は歴史的にも
土砂災害って言うのは繰り返し経験してきているのだろうと思います。
広島地方の「神楽」では、「オロチ」という魔物が登場するのですが、
あれは有用資源としての山の木を切り尽くして皆伐された山の土砂が
一気に山崩れになる事態に対して、
民間伝承的に経験則を伝えてきていることなのではないかと
そんなふうに思われてなりません。
長く農業土木が盛んに繰り返されてきた雨の多い気候を持つ国土。
テレビなどで山崩れ土砂災害の様子を見るに付け、
そのような印象を強く持たざるを得ません。
北海道でも道北の方では大きな土砂災害被害が出た。
つねにどこでどのように、こうした被害が発生するか
日本列島の中で、安全と言い切れる場所はないと言えるのでしょうね。
まったく予測はむずかしい。