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劇的な地形〜北海道様似・エンルムチャシ

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アイヌの人たちにとって「チャシ」には砦とか、宗教的空間とか
いろいろな意味合いが込められていると聞いています。
北海道日高・様似町にある写真のエンルム岬、エンルムチャシは
まことに地形自体が劇的で、スピルバーグさんが宇宙人との遭遇場所にでも
想定しそうな、実にスピリチュアルなたたずまいを見せている。
こういった地形でいちばん印象的なのは
函館の街と函館山の関係が想起されます。
もうちょっと人口集積地に近かったら、江ノ島のようでもあるかも知れない。
あるいは、厳島神社も、こんな山体を見せて
ひとびとの宗教心を刺激していたのかも知れません。
そもそも、岬(ミ・サキ)という言葉は原日本語的な言葉だそうで
縄文以来、この列島に住み着きはじめた人々が
豊かな海岸地形を見せるこの列島の自然の中でも、
特異的であると認識し続けてきた、いわば民俗的精神性のゆりかごのよう。
このようにパノラマで見ると、あきらかに岩礁的な島嶼に
砂州がつながっていった地形の成り立ちが明確です。
この砂州を通って山にたどりつくと中腹くらいまではクルマで上がれる。
最後の急坂ではカミさんに代わってわたしがハンドルを握りましたが
それくらいの緊張感は強いられる。
その「駐車スペース」にちょうど良い場所から
ジグザグに「登山道」が頂上に向かって据えられている。
途中、何回か休息しながらでなければ、一気には上がれない。

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ようやく上がりきると、ほんの少しの平面がある。
たぶん、10坪程度とおぼしき箇所。
写真を撮るにしても「引き」が取れないので、
肉眼では海の上から360度を見晴らせるのだけれど、
上の写真のような左右範囲がギリギリという状況であります。
風が強烈なので、アイヌの人々はたぶん、風よけに棒杭で砦状に
囲ったのだろうなと、容易に想像できる。
上がってくると、自然地形を活かした「物見」やぐら的な使用目的かと
想像力が追いついてきますね。
さぁ、どんな意味合いがあったのか、
砦というのは、そのものズバリではあるでしょうが、
そのような「戦争状態」が常態的であったのかどうか、
いろいろに思いをはせていた次第であります。
ふ〜〜む。

【歴史的な「地形」変動への興味】

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きのうから連休が明けて、仕事が再起動であります。
どうも連休ボケのアタマになっていて、ようやく回転しはじめた(笑)。
こういう句読点も大切だと思うのですが、
仕事が始まってみると、ペースが戻って来てうれしい、っていうのは
悲しいサガであるのでしょうか、(笑)。

さて、写真は江戸期の林子平が上梓した北海道と青森県北部の古地図。
この地形そのものは、現代的な地図とは大きく違って
いわば、移動メモのようなもので、「どこからどれくらいかかる」
みたいなことがたくさん書かれている。
正確な地図として意識して表したものではないようです。
しかし、現代のわれわれが経験している「地形認識」と
歴史時代においてその時代人が見ていた地形には、
大きな違いがあるといわれています。
北海道にはいわゆる和人による文化的痕跡、
文字資料といえるものが少ない。
「歴史」というのは、基本的に信頼するに足る「文字資料」が
基底に存在して初めて成り立つもの。
日本史のあけぼのにしても、魏志倭人伝という中国王朝の記録に
依拠しているわけです。倭国の位置についても
どうも古地図的な解析が必要なのではと思っています。
わたしは、自分の住んでいる札幌について
その歴史的経緯をもっと知りたい、先人の知恵にもっと学びたい
と長きにわたっての願望を持っているのですが、
考古的知見としてはこの地は「石狩低地」と呼ばれてきた一帯だそうで、
いまの苫小牧から石狩市にかけての平野部分は、
少なくとも20万年以前には広大な海であったとされています。
それはいいのですが、たとえば札幌についても、
たくさんの沼沢があった地域で、小さいときに遊んでいた北大や
植物園にも、そういった地形痕跡があった記憶がある。
それとアイヌの人たちの移動手段としてのカヌーなどの交通を考えると
いつ頃まで、太平洋側苫小牧周辺から札幌地方まで
「水運」移動が可能であったのか、が知りたい。

っていうような妄想から、逃れられずにおります。
どうもまだまだ、連休ボケのようで申し訳ありません(笑)。

源平争乱と平泉政権の時代

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連休前半はあちこちと遠出したのですが、
さすがに疲れが出て、やや体調を崩してしまいました。
年齢相当に、あんまり疲れないような
休日の過ごし方を心がけなければなりませんね。

そういったことではやっぱり読書が一番でしょうね。
3カ月くらいかかっていた講談社選書メチエの
「平泉〜北方王国の夢」弘前大学教授:斉藤利男著を
ようやくにして最後まで読破いたしました。
小説とは違い、歴史研究書なので、内容が濃く、しかも
最新知見が随所に表出していて、まことに興味津々でした。
あとがきにも記載がありましたが、
最近の北海道や平泉周辺での考古学的な発掘が進展してきて
さまざまに学会の研究に反映されてきているようです。
これまでの奥州藤原氏への見方に大きな膨らみが出てきています。
基本的には、中国王朝に対する「渤海」国のような位置に
奥州藤原氏・平泉政権は日本中央政権に対して立っていたという認識。
基本的には朝貢関係ではあるけれど、
ほぼ外国であり、日本国の政争とは局外中立の立場であったこと。
繰り返し、平家側や院政側から政治的に味方に引き入れようという
政治工作が盛んに平泉に提起され続けていた様子が明示されている。
源平争乱の時代の政治状況認識のなかでは、
頼朝と関東の武家軍団は、出現当初は反乱集団であり、
朝敵として認識され、そのように扱われていたのにもかかわらず、
まったく予想も付かない形で、平家軍団を完全殲滅してしまったこと。
勝てば官軍そのままに、政治的立場が大転換したこと。
そういった予想外の事態の結果、平泉側は
いわば政治的に予測を誤ってしまった、という見方のようです。

わたしの積年の念願、北海道と日本歴史の交差点として
この時代が、いちばん接近遭遇に近いという確信を
抱かせられる思いをした一冊でした。
しかしまだ北海道側では、文書ではなく考古遺跡事物から
推論を働かせていく、というのが現状です。
その意味で、最新知見を網羅してリニューアルした
旧・北海道開拓記念館を改名した「北海道博物館」展示に
大きく期待して見学して来たいと思います。
これまでの研究成果が、相当突っ込んで解釈変更されていると
噂では聞き及んでおります。・・・楽しみであります。

「宰相」の本然は経済運営

2168

「宰相」という言葉について。
安倍政権についていろいろな批判や非難があるのは、
そもそも自由主義社会というものの健全性を表しているので
あってしかるべきだし、そういう意見も貴重だと思います。
しかし、東アジア2カ国と国内の朝日新聞をはじめとするメディアの
必死のネガティブキャンペーンにもかかわらず、
国民は2度3度にわたって国政選挙で大きく信任を与えているのも事実。
政治信条として、安倍晋三氏が右派的な志向を持っているのは
事実だろうし、それはそれとして論じるのは普通だと思います。
わたし自身も、靖国神社については同意しにくい部分がある。
しかし、日本国民の選択はそういったレベルを超えて
かれの「経済重視」という姿勢に共感を持っていることが大きい。

そもそも「宰をふるう」という言葉が
「宰相」という言葉の実質だと言うことを、想起しなければならない。
漢字なので、古代中国に発祥する考え方だけれど、
宰という言葉には、そもそも食べ物を切って、
民人が食べていけるように采配するという意味が込められている。
それに対して皇帝権力は、基本理念を示すのでしょう。
その「皇帝的権力」では、現代では中国とごく少数の例外を除いて
基本的に人権と自由主義・資本主義を基本理念としている。
そこはしっかりと定まっている時代、現代に於いて
民主的に選ばれる「宰相」の本然は経済運営なのだということです。
そして民は、食べていけることが保障されるのであれば、
他の点を問題にして、宰相をどうしても変えろとは決して言わない。
本質的に、現代の政治が基本に考えるべきことはここしかない。
安倍さんは、どうも前回の政権失敗からこの点を大きく学んだのではないか。
アベノミクスが成功しているのかどうか
今後とも経済が好転していくのかどうか、けっして定かではないけれど
少なくとも、経済最優先の姿勢は国民に明示してきている。
民主党側、あるいは朝日新聞をはじめとするメディア側は
この点について、まったくアイデアがない。
先日も批判したけれど、孫崎亨とかいう人物に至っては
「清貧の思想」を持って日本は生きていこうなどと高言していた。
まことに「付ける薬がない」感を、深く実感させられた。
たぶん、安倍さんの政権を本格的に打倒しようと考えるのであれば
民主党を中心とする勢力はこの国の経済運営についての、
あらたな価値観と運営方針を示さねばならない。
この「食べていくこと」の前では、
「きれい事」はまったく無力だと思う。
きれい事だけを言うのであれば、共産党と相違はなく
最近の共産党の伸張は、このことを証明しているのではないか。
時代はいま、
きれい事を言う「いい人」を求めているのではなく、
清濁併せ飲んででも、ひとびとが食べていけることを最優先する
そういった「宰相」を求めているのだと思う。

わけありアスパラ?

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みなさん、GWまっ最中であちこちお出かけでしょうね。
こんなに暖かく好天に恵まれるのは、記憶にないほどの北海道です。
ということで、なるべく郊外を散策して過ごしております。
そういった行楽客を狙って、農家の野菜直売ショップが
メイン道路脇に出店しているのが多く見られますが、
わが家もこういうのに弱い。
ちょうど、最近の大根やキャベツの品薄・値上がりぶりもあって、
ついクルマを停めて見入っております。
きのうも、札幌近郊・当別から日本海側・浜益へと向かう道すがら、
とあるショップに引き寄せられておりました。

で、越冬キャベツの中玉が200円、
アイヌネギLサイズ1束360円などを購入したら、
なんと品薄の大根、1/2をタダでプレゼントしていただいたりした(笑)。
ということで、もっと買い入れようとした矢先、
発見したのが、この「わけありアスパラ」450円なり(笑)。
「曲がっていたり、キズがあったりします」と但し書きが申し訳なさげ・・・。
まぁ、ちょうど陽当たりがこの場所が最高のようで
実にまぁ、気持ちよさそうに、ぴくりともせずに寝入っている。
あやうく動物と気付かずに手に取ってみたくなるかも(笑)。
春眠真っ盛りという風情で販売容器に嵌まり込んでいる次第です。
左手にはふつうのアスパラも売られているので
きっと時機を失したアスパラが安く売られていて、早々に売れてしまったのか。
この販売容器の大きさ、場所柄が実にいい居心地なんでしょう。
我関せずと悠々たる様子であります。
「この時間には、いっつもノンビリしているんですよ(笑)」とのこと。
どうもネコというヤツは、室内空間でいちばん気持ちいい場所をよく知っている。
わたしたち、住宅取材する側でも、ネコを飼っているお宅では
かれらの生態観察がいちばん効果的なんです。
「お、そうか、ここがいちばん気持ちいいんだ」とすぐに知れる。

ということで、1日、ハッピーな気分をいただきました。
ことしの好天の北海道のGWを象徴するような光景ですね。

ヒグマに襲われ続けた寺・様似等澍院

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北海道静内の「二十間道路」観桜のあと、
足を伸ばして、襟裳岬まで遠出してきました。
途中にあるのが、様似の等澍院〜とうじゅいん〜であります。
文化元年(1804年)、江戸幕府の蝦夷地統治および
アイヌ教化政策の一環として建立された
「蝦夷三官寺」の1つとして日高国様似郡に創建される。
当時仏教を信仰していなかったアイヌの居住地域に立てられたために
檀家もおらず、幕府から年間100俵の禄米などを
支給されることで寺を維持してきた。
ところが、明治維新によって保護を失うと急速に衰退、
明治18年(1885年)に廃寺に追い込まれる。
その後、明治32年(1899年)になって再興され、
以後国道建設などで場所を移転をしつつ、今日に至っている。
ということなのですが、
わたしも初めて訪れた次第であります。
歴史の書物で、ヒグマに寺が繰り返し襲われている様子の
絵双紙などが紹介されていたのを見ていた記憶があります。
うかがったところ、なんと住職さんにご案内していただけました。
写真で見る外観の通り、ごく最近建て替えたのだそうです。
歴史的な「三官寺」とはいっても、宗教施設というのは
その後は自立的に運営していかなければならない。
天台宗という、歴史好きのわたしくらいしか宗派名も知られていない寺院の
経営、運営はさぞかしご苦労の多いことと思います。
くだんのクマが繰り返し襲ってきたというのは本当で
クマたちは、大きな法事などで香がたくさん焚かれていると
「お、きょうはたくさん食い物があるな」とばかりに
めがけて襲撃してきていたのだそうです。
そういうこともあって、当初の山の上の方の立地をやめて
浜に近い場所に移転した。しかしそこも、国道の開通のために
敷地を移転せざるを得なくなって、
いまの国道から100mほどの高台に移ったと言うこと。

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なんですが、襟裳半島特有の強烈な浜風で、建物の劣化が激しく
建築としては、繰り返し再建されてきたようです。
200年前の建築の面影は、護摩法要を行う護摩堂の柱梁程度しか残っていない。
本尊と向かって右側の弁財天像がかろうじて創建時のものだそうです。
「人口減少で、いま建て替えなければ、二度と再建できない」
という思いから、数年前に建て替え新築したのだそうです。
「天台宗、といっても檀家さんもほとんど名前も知らない(笑)」ということで、
比較的にポピュラーな浄土真宗や真言宗などとは親近感も違うそうです。
宗教も、結局はビジネスの要素が大きいのだと思いますね。

ま、旅の合間に思わぬ歴史のお勉強にもなって
たっぷりとお話しもうかがえて、ありがたい体験でした。
ということで、護摩法要への祈願お札を納めさせていただきました。
ありがたく、合掌。

GW観桜の旅、静内・二十間道路

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きのうの連休初日、好天に誘われて
日高地方、静内の「二十間道路」へ観桜にでかけました。
札幌からは、おおむね2時間半ほどのドライブになりますが、
カミさんと交互に運転するので
けっこう長距離になっても、あんまり気にならずに遠出しています。

北海道内の観桜スポットとしては、
この「二十間道路」の規模の盛大さは、ちょっと隔絶しています。
二十間道路は、和種馬の大型改良のために
明治5年に黒田清隆が進言し、静内町(現・新ひだか町)から
新冠町にまたがる地域に開設した御料牧場のための行啓道路。
皇室を迎えるための迎賓館建築・龍雲閣まで
直線で7㎞、幅20間(約36m)にわたって両側に
約3,000本にのぼる樹齢100年のエゾヤマザクラなどの並木が続きます。
雄大な日高山脈を背景とした景観は
わが国で類を見ないスケールとして知られています。
わが家では、ここのところ連年、クルマに乗ったまま観桜できる
年寄り向きの観桜スポット(笑)としてありがたく通っています。
スケール感はハンパなく、まことに北海道的な観桜スポット。
ただし、開花時期にはすごい人出、ラッシュになるので
早朝4時に札幌を出発して、到着したのは午前7時前。
おかげさまでゆったりと見ることができたのですが、
朝の内なので、つぼみが開ききっていない花もあるのだそうです。
また、朝日の当たる側と当たらない側があって、
昼間のように満艦飾の輝きは見ることができません。
写真は、並木の真ん中近くでT字に交差する枝道の様子。
周辺には出店などもあって、一番にぎやかな場所。
ということで、早朝の適度な賑わいのなか、楽しんで参りました。

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で、馬産地の春らしく
周辺の牧場ではこの春に誕生した子馬たちが
それぞれ母馬と寄り添って草を食んでいました。
やはり同じ哺乳動物の情愛に癒やしを感じますね。
サクラとともに、こういった景色も一緒に楽しむことができます。
GWにこんな景色を楽しめるなんて、
まことにうれしいことしの北海道です。

戸建て住宅指向の行方

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さて、本日は連休の初日。
特段の予定もせず、ノンビリとしながら、
連休明けの準備に勤しんでいきたいと思っています。

戸建て住宅新築についての悲観論がかまびすしい。
国の政策として、国交省は新築住宅重視政策から、
中古住宅市場活性化、流動化の方向に大きく舵を切ってきたといわれる。
しかし、日本では常に「景気対策」として
住宅持ち家需要への喚起が繰り返し、行われてきて
いまもその新築需要促進、体系としての持ち家有利な税制制度などの
市場へのプッシュ効果の趨勢は根強いものがある。
人口態様などを見ても、将来的な姿として、
住宅は余っていくことは間違いないけれど
実際に、現代的な快適性基準を満たした暮らしようが可能で
しかも、エネルギー消費が少なく将来とも有効に活用できる
そういった住宅ストックは、一体どの程度存在するのかと考えると、
はなはだ心もとない。
そのうえ多額の費用を掛けて間取りなどの使いにくさに耐えてまで
必ずしも効果の明確でない既存住宅リニューアルを行うよりも
新築住宅を手に入れた方が、合理的であると考える方がより自然で、
今後ともしばらくの間は優勢なのではないかとも言える。
たぶん、供給側と市場管理と政策誘導の中央省庁の思惑とは別に
このような「ユーザー動向」が、すべてを決定するのだろうと思われる。
こうした考え方は、若年層においても同様と見られ、
依然として、新築戸建て住宅がメインカレントとして
存続していく可能性は高い。

そういった傾向が変わっていくとすれば、
このような生活合理性判断に訴求していく既存住宅市場の質的変化が
最重要と思われるけれど、
そのような市場変革の芽は、まだ萌芽に止まっていると思う。
住宅市場では、誰に聞いてももっとも合理的な設備選択と言える
「太陽熱給湯」が、日本でまったく市場性を持たなかったように
市場導入時点での流れのようなことが大きい要素も占める。
そういったことも含めて、どのように市場が変化していくのか、
じっくりとウォッチしていかねばならないと思います。

NHK朝ドラ「まれ」と能登

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すっかりNHK朝ドラ「まれ」にハマっております(笑)。
っていうか、例の不朽の名作「あまちゃん」以来、
どうも、NHKの朝ドラ戦略に完全にやられておりまして、
前作の「マッサン」も必ず視聴していました。
で、いま放送中の「まれ」にも、完全没入状態であります。
原作脚本は篠崎絵里子さんという方で、
わたしは、最近マンガ作家も兼ねているせいか、
そのストーリー展開、人物設定、キャラ造り、ドラマづくり、などなど、
すべてに興味津々で、まことに楽しいドラマだと思います。
基本的にはご当地ものというNHKの鉄板路線で
あまちゃんで投入された、ちょっと前の時代、ここ20年くらいの
短時間経過ストーリーものですね。
青春群像が下敷きかと思えば、なにやら親子3代の「美味しんぼ」的確執も
重要なドラマのタテ糸になりそうな予感。
そして登場人物の多重的ドラマ構成が、テンポ良く
まことに、重厚感あふれる人情喜劇が展開されている。
大体、1週間を通したストーリーをつないでいく手法はこれも
NHK的鉄板路線、というか、当たり前の構成でしょう。
ですから、土曜日の大団円・クロージングに向かって
金曜日の展開はアップテンポで、目が離せない。
ダメ父の典型を演じている大泉洋さんの味が格別ですが、
あまちゃん的な3世代の女優さん配置も、
主演の土屋大鳳さん、常盤貴子さん、田中裕子さんと
それぞれのキャラが際だっていて、これも楽しめる。
これはやはり幅広い客層を狙っての、鉄板的路線選択の結果なのでしょう。

ご当地もので、いまは能登が舞台ですが、
やはり今の日本の大問題・地方と東京との関わりが
主要なテーマだろうと思われます。
わたしはちょうど、去年から北陸に縁づいて2度ほど旅しているので
各シーンにどれも馴染みがあって、
ごく最初の「塩田」については、そうか、やっぱりここに着目したかと
シナリオライターさんに共感を抱きました。
わたしもはじめて能登に行ったとき、物語の塩田経営者のような方と
いろいろ面白くお話しした経験があり、
塩田や塩釜なども見せていただいた経験がある。
写真は能登の棚田ですが、どのシーンも能登を感じさせてくれます。
どうもこういう「ふつうのニッポン」に、
いまの日本人の思いが来ているのではないかと思います。
情報が極端に共有化されてきている社会の中で
こういった「地方」での暮らし方について、
いま、日本人は深く考えはじめているのではないか。
そんな期待感を持って、没入している次第。
元気のいいまれちゃん、ニッポンを勇気づけて欲しいと思います。

花より団子の宴のあと

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札幌の花見の名所として、よく円山公園が挙げられるのですが、
札幌にいて、毎日のようにここを散歩している人間からは
この評価が、まったく信じられない思いをしております。
まぁ、写真のようにサクラの木はないことはないのですが、
さりとて、たくさんのサクラの木が群生しているという場所ではなく
わたしなどは、まったく興味を惹かれる場所ではありません。
まことに残念ではありますが・・・。で、

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連休の中日、本日は仕事でありますが、
いつものように北海道神宮境内周辺を散歩していて、
異常なほどのカラスの多さと、生ゴミの臭気がただよっておりました。
どうやら、花見の宴の翌朝の光景なのであります。
東京の繁華街の朝の屈強そうなカラス群とは、少し違いますが、
やれやれという状況で、朝の爽やかさは感じられません。

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そうなんですね、札幌の円山公園は
「花見」の名所ではあるのですが、サクラの名所とは言いがたい。
ようするに、花見と言っても「花より団子」の宴会名所なんですね。
けたたましく市の清掃車が行き交っておりまして、
また、早朝から花見の場所取りをされている方たちもいる。
看板に書いてある期間、5月6日くらいまでは、
どうやら、こんな状況が続きそうなのであります。
そういえば、全国の花見の名所で野外バーベキュー、
ジンギスカンをやってもいいです、という場所は、
そんなには多くないかも知れませんね。
そういう希少性で札幌の「花見の名所」になっているのでしょうか?
まぁそういった楽しみも結構だとは思うのですが、
こういう臭気が漂っている場所では、散歩はツライものがある(笑)。
サクラの開花が早くて、GWと重なったことで、
こういった状況が目立っているのでしょうか、どうも
例年以上に、カラスの騒擾が大きく聞こえる次第です。