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家の危機を救う「おウチ博士」あらわる

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昨日土曜日、面白いキャラクターを発掘しました。
Rinnaiさんからイベントへの協力依頼があり、
お子さんたちが多く集まるイベントということで、
子どもたちの「つかみ」のいい、
住宅関連のショーとキャラのリクエストが寄せられました。
で、検討の結果、このキャラをご提案、採用された次第です。
きのうのショーでは札幌市が開発運営する住宅団地
「ウェルピアひかりの」で活躍する
ゆるキャラ「ぴかりん」とのコラボが実現しました。
この「おウチ博士〜オウチハカセ」は、
実は、太陽を挟んで反対側にある惑星から来ました。
太陽を挟んで正反対に位置するので、絶対に地球から見ることはできない。
反対側なので、地球の逆さまで「球地〜きゅうち」(Q地とも)という名前。
この星は、位置がまったく正反対になっただけで、
気候や環境条件はほぼ地球と同じ。
でもかの星では、地球よりも家の中が暮らしやすい環境が整っている。
それは「家と環境」への社会教育が進んでいて
人間が幸せに暮らせる環境の実現のための知恵が社会にあるのです。
この「おウチ博士」は、そうした「球地」星の家の知恵を
わかりやすく地球の子どもたちに知らせる役の、正義の使者。
そのおウチ博士が、2020年の断熱義務化を迎える日本に
「宇宙環境機構」からの使いとして、未来を担う子どもたちに正しい知識を
知ってもらいたいと、この地球・ニッポン国にやってきたのです。
普段はなにげない日常生活を営んでいますが、
家に関するイベントや施設で、こどもたちが集まってくれるような
機会があると、どこからともなく現れて、
住まいの大敵、断熱不足や結露被害・健康被害をやっつけるべく
子どもたちといっしょになって、住まいの危機と戦っていくのです。
そのお披露目、第1回がきのうのRinnnaiさんのイベントでした。
このおウチ博士の存在をいち早く知った当社では、
独占的にその活動を取材するお約束ができています。
さあ、正しい断熱知識を広めるおウチ博士の活躍をごらんください!

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っていうのは、まぁ、真っ赤なファンタジー(笑)。
誰にでもわかる、それこそ子どもにもわかるファンタジーなんですが、
きのうの密着取材を通して得た感触では
悪の手先、家の中のエネルギーを爆使いさせる悪役
「エネルギバク」の跳梁跋扈で「ぴかりん」が危機に陥ったのを見て
それまで見るだけだった子どもたちも、怒りに燃えて見事に立ち上がり
必殺「高断熱高気密ブロック」をエネルギバクにぶつけ、撃退しました(笑)。
この手に汗握る戦いの後、おウチ博士と子どもたちはガッチリと勝利の握手。
すばらしいカタルシスのクライマックスを迎えることができたのです。
ショーの終了後も、子どもたちはおウチ博士と別れを惜しむように交流。
鼻先のねじを回すとひげとまゆ毛が動くギミックに、かわいく喜んでいました。
という次第で、これはどうやら手応えがあった。
今後、かれのキャラクターを活かす活躍の場が広がっていくかも知れません。
期待しつつ、みなさんからの反響を待ちたいと思います。

東北フォーラムなど合同研究会in札幌

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この時期は北海道・札幌、さまざまな学会や団体などの大会が
開催されて、宿を確保するのも大変という時期になります。
梅雨のうっとうしさを避けて、1年でもいちばん爽やかさを感じる北海道は
そういう「需要」の最大の受け入れ先なんでしょうね。
ということで、きのうは東北から、住まいと環境 東北フォーラム、
岩手県のDotプロジェクト、信州からは、信州の快適な住まいを考える会
という本州地区のみなさんが北海道で合同研究会であります。
北海道の住宅を調査されている東大・前准教授とスタッフのみなさんも
参加されていますので、多種多様なメンバー構成というところ。
北海道の「ソトダン21」がホスト役になっています。
わたしは東北フォーラムの会員でもあり、ソトダン21にも参加しているので
いったい、どこのメンバーですと申し上げればいいのかと思っていたら
会場に着いたら、「ゲスト」という曖昧な位置づけ(笑)。
きのうはメインの講演として、北大の羽山先生による
「健康と住宅」についての基調講演がありました。
その後の参加者からの質疑や会場内での議論などもあって、
まことにディープな話題が飛び交っておりました。
その後、各会からのそれぞれの活動報告があり、
午前1時スタートから、ようやく3時半過ぎになって、休憩ブレーク。
旧知のみなさんとのご挨拶だけでも、まったく時間がありませんでした。
こういうときのちょっとした情報交換が貴重であります。
・・・なんですが、そこでわたしは会合自体からは離脱しました。
実は、本日、アクセスさっぽろで行われるRinnaiさんのイベントで
子どもさんも楽しめるように企画した住宅性能のステージショーがあり、
そこで札幌市のウェルピアひかりのという住宅団地の、マスコットゆるキャラ
「ピカリン」と「お家博士」とのコラボショーがあって、
わたしは重要な役回りを果たさなければならない。
その下見、リハーサルに立ち会うために一時離脱したのです。
たぶん、この模様をあした、ご報告することになると・・・。

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で、リハーサル終了後、合同研究会に復帰。
場所を札幌ファクトリーアトリウム内のレストランに移しての懇親会。
90人以上の参加と言うことで、
なかなか参加されたみなさんと、ゆっくりお話しできません。
いつも本誌に執筆をお願いしている東大・前先生にも
会が終わってからようやくお話しできたほどでした。
まぁ、先生もあちこちで参加者のみなさんに捕まっていましたから
無理からぬところではあります。
ということで、本日はこの合同研究会は2日目で、
当社が担当した「住宅見学ツアー」もあるのですが、
わたし自身は、「ゆるキャラショー」の方でのタスクを果たします。
ちょっと目が回り気味ではありますが(笑)、
なんとか頑張っていきたいと思います。ではでは・・・。

住宅性能重視=ミニマリズムデザイン?

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さて、「鎌田紀彦と愉快な北海道の作り手たち」シリーズの最終見学地。
新住協の北海道最古参メンバーといえる三五工務店さんの
「フラッグシップ」モデルハウスであります。
2回にわたって見てきた住宅は、いわゆる「意匠性」という興味軸よりも
住宅性能、室内環境コントロールを追求するタイプ。
それはそれで、別にあり得ることなのですが、
ではそもそも住宅は、皮膚感覚センサー的生物を入れておくだけの装置なのか、
っていう根源的な問いかけも導き出されてくる。
住宅は、なによりも「暮らしのイレモノ」であり、
そこにはいろいろな興味や生き方を持った生身の人間の暮らしがある。
そうしたひとびとに提供する価値感には、やはり「こころ豊かに暮らす」要素も
もっとも根源的な部分として存在するのだと思うのです。
ひとの「癒やし」は、きわめて複合的な要素を持っているのだと。
その家に暮らす人にとって、その場所での暮らしが
楽しく愛着を持って営まれていくように考え、作って行く営為も、
住む側から作り手に求められる根源的な要求でしょう。
そうしたとき住まいという空間は、どのような形、表現を持ちうるのか、
そういったことへの感受性は、作り手に常に突きつけられているのだと思います。
本誌Replanが、あえて鎌田紀彦先生に東北版の次号から
「Q1.0住宅デザイン論」執筆をお願いしている興味テーマでもあります。
住宅性能を誰よりも考えてきた先生だからこそ、
デザインの重要性を、いちばんリスペクトされていると確信しているのです。

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一方で、最近の住宅デザインの主流的なものは、ミニマリズム。
定義するとすれば、
「建築・美術・音楽などの分野で1960年代に登場した,
装飾的要素を最小限に切り詰めた簡素な形式。」というもの。
シンプルモダン、「シンプルこそが素晴らしい」という価値観。
現代は物質文明に毒されてモノが多すぎる、情報が多すぎる。
だから物を捨ててシンプルに生きよう。とでもいえる流れ。
建築家ミース・ファン・デル・ローエは
「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)
と言う言葉を残していて、以降の建築に大きな影響を与えていると言われます。
シンプルでミニマルに、簡素で無駄がない、という価値感でしょう。
ある意味では、日本的な侘び寂び(わびさび)にも通じていて
そういったデザイン論と、住宅性能重視ということは、2重写しにもなる。

しかし、果たしてそうなのだろうか?
それがすべての「解」なのだろうかという疑問も強く湧いてくる。
このモデルハウスが3番目の見学施設だったというのは
今回の見学会のテーマから考えても正鵠を穿っていたように感じました。
壁厚みは350mmという重厚な断熱性能を確保し、
木製の窓サッシも4重ガラス入りと性能重視だけれど、
大きく開放的な開口部、暮らしの演出としての素材の吟味、
土間や吹き抜けといった空間装置の面白さなど、
そこで感受できる環境から「いごこちの良さ」を引き出す努力が見えてくる。
住宅建築という手段を通して、ひとのシアワセを探求するデザイン。
そういった本質も垣間見えてきた住宅見学でした。

NEDO太陽熱給湯暖房・実大実験in札幌

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鎌田紀彦先生と愉快な北海道の作り手たち、第2弾であります。
この建物は、NEDOの補助金を使った実験住宅。
札幌地元の大洋建設さんが建てたものであります。
大洋建設という名前の語呂からなのか、太陽熱を利用したもの。
導入当初はブームのようになっていたけれど、
なぜか、日本では太陽熱給湯がそれほど普及してこなかった。
原理的には単純で壊れにくく、実用性は高いけれど
最初の市場導入段階での「訪問販売」手法が、商道徳的に反発を受けたのか、
技術そのものはいいものなのに、日本ではあまり進化しなかったのです。
しかし太陽光発電がエネルギー変換効率が15-20%と言われるのに対して
太陽熱給湯は、効率は50~70%にもなると言われています。
家庭全体でのエネルギー使用の60-70%にもなる暖房と給湯のエネルギーを
大きく削減するための技術探求になるワケなのです。
その技術のReチャレンジ的な動きとして、
経産省・NEDOの補助金事業として、全国で太陽熱利用の住宅が7軒建てられ
この建物は、北海道札幌という寒冷地での実験として採用されています。
断熱的には板状断熱材フェノマボード135mmの外断熱と
吹込断熱を105mm軸間に充填しています。Q値的には0.7レベル。C値は0.3。
太陽熱利用の他に、
・真空断熱材の実験的利用
・日射熱のダイレクトゲイン利用
・暖房効率を高めるため「ダブルスキン」と呼ぶ温室空間で暖めた空気を
エアコンに吸気させ、さらに高効率にさせる工夫
・2階には26度で融解するPCM床材を採用
などの設備的な実験装置を装備させています。

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こうした設備機器での環境的なふるまいは、
設置されたセンサーなどで一元的にデータ管理されています。
ちょっとした設置箇所の変更や、アイデアを加えても
「へんな実験はやめてください」と
即座にNEDOから言われてしまう(笑)のだそうで、実施主体ではあるけれど、
国費の事業としてはモルモットのようにさせられもするようです。
現状ではあきらかに過剰設備のようで、
夏場には大量にできる給湯温水を廃棄するしかないのだそうです。
鎌田先生からも、北大の荒谷先生が採用された太陽熱給湯のことにふれられ、
「夏場にお湯ができすぎて、そのライフスタイルが身についてしまって
暖房の方にもっと温水が必要になる冬場に困ってしまう」
というきわめてアンビバレンツな事態についての指摘もありました。
季節の変化や、住む人のライフスタイルなどに
どのように最適化させるのか、そのところの「調整知見技術」的なことが
いちばん重要なポイントというところでしょうか。
外部の設置状況については、いろいろな意見が飛び交いました。
「もうちょっと、人間的なデザイン処理が・・・」っていうのが一般的意見ですが、
設置角度自体は、やや大きめの「庇」として悪くはない。
その下に配管が剥き出しというのは、どうなんだとかの声も。
「ポンピドーセンターみたいな表現もあるから、正直でむしろいい」
など、相半ばしているというのが実践者たちの声。
ただ、これは実験住宅なので、施主さんの立場の意見はどうか。
こういうのを好む人もいそう、とは思うのですが、
さて現実的に、毎日こういう外観の家に帰りたいかどうか。
配管剥き出しのような家で、奥さんが耐えられるのかどうか、わかりません。
これからの「スマートシュリンク」の時代に、たくさん必要になる隣地との空隙を
計画としてどのように実現するのかというのもポイントかと。
さまざまな意見、発言が交差して、カオス状態になっておりました(笑)。

鎌田紀彦先生と北海道の愉快な作り手たち

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先週の「北海道ビルダーズ協会」発足パーティに引き続いて
現在仙台在住の鎌田紀彦先生が、ふたたび札幌に来られました。
新住協メンバーの建設した「Q1.0住宅」の見学会、発表会であります。
午前中、朝9:30から、発表会が終わったのが16:30という長丁場。
会員が取り組んでいる実際の住宅の現場で、
その場でチェックポイントを発見し、すぐに活発な論議が始まる。
会員からの質問、疑問提起、先生からのツッコミなど、
常にライブにテーマが展開していくので、
見逃せないし、まことに興味津々だらけで進行していきます。
北海道の作り手のみなさんは、遠慮なく勇猛果敢(笑)に
先生に質問、疑問をぶつけていくので、すぐに白熱していくのですね。
もちろんリスペクトが基本マナーであることは言うまでもありませんが。
先生の現場主義的な発想は、こういった意見交換、議論が
その土台になっているのだと思います。
きのうのそんな模様を、何回かに渡ってお伝えしたいと思います。
本日は、1軒目の現場で話題になった「厚い外皮」の件であります。

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1軒目は、大鎮キムラ建設さんの「札幌版次世代」のトップランナーの家。
ドイツパッシブハウスに刺激を受けた前札幌市長の上田氏が
数値基準を決めて記者会見をするなど、独走したもの。
なんですが、あまりにも根回しのない動きだったので
それまで高断熱高気密住宅に取り組んできた工務店は、
どっちかというと、遠巻きにしてみているうちにあれよあれよと
進んで行ってしまったというモノであります。
ただ、全国的には政令指定都市の市長が記者会見まで開いて
発表したということから、建材メーカーなどが大急ぎで
その基準に適合する建材の開発を決定したという側面もありました。
大鎮キムラさんは、新住協メンバーのなかでもこの動きに
敏感に反応されて、札幌市が開発している住宅地の一角に
モデルハウスもオープンさせています。
トップランナー基準はQ値でいうと0.5レベルになるので、
ご覧のような断熱の厚みになっています。
4寸角の軸間にGW120mmを充填し、その外側に付加断熱が240mm。
で、詳細に検証したら断熱厚みがさらに必要となって、
内壁側に発泡プラスチック断熱材を30mm追加したという構成。
というところで、さっそく現場での意見交換会。
ある会員から発泡プラスチック断熱材の位置について
付加断熱の一番内側に、壁全体のGWの真ん中近くに入れた方がいいのでは、
という意見が飛び出しました。
ネタばらしで言うと、この現状の位置は、基準を満たすには
もうちょっと断熱が足りないかも、ということが見えた段階でプラスした
という経緯も明かされた次第なのですが、しかし、
GWのなかに発泡プラスチック断熱材をサンドイッチする断熱構成というのは
「そう言われてみれば工法的に、なかなか合理的」
という議論展開になっていきました。
さらにふと、「この壁、申請上での壁芯はどこになっているの?」という声。
建築面積を割り出す基準線がどこになるのかというのは、
これだけの壁厚みになってくると、かなり重要な要素になってくる。
「えっと、付加断熱の中心線としています」との答え。
というところで、さらに議論が白熱。
どうやら、確認申請を審査担当された「建築主事」判断だったようですが、
本来、国交省の基準判断とは違いがある、訂正を申し入れた方が、
という先生からのアドバイスもありました。

やっぱり現場に来て、そこで気付く多くの要素が
住宅建築にはものすごくたくさんある。
そこで作り続けている工務店・ビルダーと、研究者の距離、
こういった部分が鎌田紀彦先生の真髄なのだと、
あらためて強く思わされた次第であります。 以下は、あした以降に。

最北・稚内の移植された京都的文化痕跡

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きのうの稚内・瀬戸邸の続篇です。
北海道の日本海沿岸地域には、江戸期から昭和までの時代の
大型収奪型漁業で財を成した人々の痕跡が建築として残されています。
同じ北海道でも、内陸地域の農業を基盤とした生活文化痕跡などとは
かなり色合いが違います。
北海道には、まずネイティブとしてのアイヌの人々、あるいはそれ以前の
居住生活痕跡があり、その上にこれら海岸地域での漁業痕跡が積層している。
その後、明治期に入って官による強制的に北米建築が導入される一方、
それとも少し色合いが違う江戸期からの函館開港による洋館文化もあった。
そういった前史的なプロセスがあったあと、ようやく本格的に
明治政府の北辺防衛政策の一面をも持っていた「開拓」文化が始まる。
没落士族救済の側面もあった「屯田兵」入植なども挙げられるだろう。
この「開拓」にしても、基本的には本州地域からの「囚人」による開拓重労働が
森林伐採開発事業として基盤を形成してから、
払い下げのような形で、農民の移住が始められたと言われる。
特に有望とされた農業地帯、道央地域や旭川を中心とする地域が特徴的。
わたしの母の実家などは、日本有数の農業先進地である美濃からの入植で
その農地配分においては、かなり政府側の配慮が見られ、
政策的に農業成功者を出させたいという政治的期待が込められていた。
そして開拓初期の地味の豊かさもあって
比較的早くに移民たちが成功し、自からの故郷から大工職人・技術を導入して
自分たちのそれぞれの「生活文化」の残滓を感じさせる「民家」を作ってきた。
こうした移民たちの出自は千差万別で、
ある特定地域からの文化が主流を形成するということはなく、
寒冷地的な生活合理主義が、比較的に共通性を持って育っていった。
そういう「揺りかご」のなかから、「高断熱高気密」という技術進化が起こっていった。
こういった大まかな北海道の「住」文化の流れの把握からすると、
この写真のような稚内での漁業に生活基盤を持っていた生活者の
「成功痕跡」は、いまの北海道の生活文化の共通性とは
大きく違いがあるスタイルだと感じさせられます。

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この家を建てた大工職人の出自は不明のようですが、
やはり基本的に「日本海文化圏」の匂いを強く感じます。
京都文化の影響が色濃く感じられ、
和の「高級感」基準というものが、基本の考え方として貫徹している。
昭和27年という戦後間もない時に
いわば成金のようにして成功した人間は、
「いい家」を建てたいと思ったら、こうした「京都文化」を移植したかった。
北前船による交易活動のひとつの形が、こうした漁業産業だった。
そういう意味では、江戸期からの和のファッション産業を支えた
綿花生産のための農地に供給するニシンの肥料利用が、
文化のありようを決定づけていたのだと思います。
移植された日本文化痕跡の発掘、
こういった面白みも、北海道の住建築探訪にはあるのだと思いますね。

日本海岸最北の和風漁家、稚内・旧瀬戸邸

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さて、週のはじめ、ふたたび住宅建築的な話題に復帰です。
なんですが、土曜日に弾丸日帰りで行ってきた稚内探訪での見学住居。
この「稚内・旧瀬戸邸」は、平成25年6月21日、国の登録有形文化財に
登録されています。(登録名称:旧瀬戸家住宅主屋)案内の概要は、
●昭和20年~40年代。稚内のまちは、底曳網漁の前線基地として、
国内各地から人が集まり、活気に満ちあふれていました。
そのさなかの昭和27年、「旧瀬戸邸」は、瀬戸常蔵という
底曳きの親方の住宅として建てられました。
建物の外観は、明治期から大正期に見られる旅館建築を彷彿とさせます。
屋根は、切妻形式で赤いトタン葺きと頂部の棟飾りが特徴的で、
外壁は分厚いモルタル掻き落とし仕上げが施されています。
戦後まもない昭和の建築物であり、稚内漁業の歴史を伝えています。●
というものであります。
多くの北海道西部海岸地域での「番屋」建築のような
出稼ぎ人と親方の共生空間という建築ではなく、
基本的には親方個人の住宅であり、多くの旅人を接遇するというのが
主要なテーマになった住宅建築なのだと思います。
印象としては、日本海交易や漁業文化の残照を伝えている最北の建築。
外観の印象が、寒冷地建築として瓦ではなく鉄板屋根になったり、
分厚いモルタル仕上げになったりして目がくらまされるけれど、
建て方のつくりようは和風建築であり、随所に「造作大工」の匠を感じます。
というか、本当はもっと絢和風に仕立てたかったけれど、
寒冷地だからこんなふうに「対応してみました」という大工の思いを感じます。
外観から受ける印象は、「あ、こんな家、よく見たなぁ」であります。
建築が昭和27年ということで、わたしの生まれた年。
戦後すぐの時期で、札幌などでもこうした様式のデザインがよくあった。
基本は和風なんだけど、表皮が寒冷地様式を取り入れている的な。
たぶん、トタン屋根とモルタル外壁に「寒冷地仕様」を任せて
内部空間では、思い切って「高級和風住宅」を追求しようとした。
そんな作られようが、見ていて面白いほどに伝わってきます。

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きっとこの施工を受けた大工さんは
相当の資金規模を施主である瀬戸さんから受けていたのだろうと思います。
張り切って、随所に和風デザインを追求しています。
そういった意味合いからすると、小樽に遺っている青山別邸と類似する。
さすがに稚内では、小樽青山別邸のように
思い切って外観まで純和風にはできなかった、というようなイメージ。
内部デザインに使われたディテールからは、繊細な感受性が伝わってきます。
ほぼすべての部屋に床の間が設えられていて
主要な造作建材はすべて本州地区から移入してきた材のようで
そうした建材を自慢するという「文化」が健在だったのだろうと思います。
施主さんは大の相撲好きで、横綱の大鵬を泊めるために
わざわざ、1階に贅をこらした部屋を作ったりもしています。
展示の仕方がやや雑然としすぎていますが、
面白く雰囲気を楽しむことができた見学でした。

利尻富士、遙拝

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本日は、閑話休題。
先週はいろいろな住宅関係の集まりが連続していまして
一度に多くのみなさんと出会えるということでは、ありがたい。
のですが、あまりにもたくさんだと状況対応のみに流れてしまう。
ということで、休日にはアタマを本来のからっぽに(笑)。

最近、道内をあちこちとクルマで逍遙するのが習慣化。
運転をカミさんとシェアすれば、遠距離でも苦にならない。
で、きのうは日本海岸を一気に北上。
大してあてはなく飛び出しましたが、
途中から好天に恵まれ始めて、写真のような利尻富士を
あちらからこちらからと、拝ませてもらっておりました。
最初のスポットは、天塩川河口の街・天塩海岸から見たところ。
この天塩川というのは、アイヌ語語源の名前で
川での漁撈、サカナたちを追い込むのに適した地形「簗〜やな」が
自然の岩盤で形成されている、というような意味とか。
でも、なんとなく当てた漢字の「天塩」という文字の感じの方が
こころにぴったりとイメージされます。
北海道の固有名詞の中でも、かなりの豊穣感のある地名。
河川としてもかなりの河口の雄大さがあり、
また流域でも護岸工事がそれほど行われてもいない、
自然状態が保たれているようなイメージがあります。
その河口から海に注ぐ水の流れの先に、
砂州的な陸地を挟んでの、利尻富士の遠景であります。

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つづいては、もうちょっと北上して
稚内までの無料で通行できる高速道路に向かう前のポイント。
ここでも川と、湿原的なエリア越しに拝むことができました。
っていうか、時間的にはこっちの方が先に撮影した次第。
裾野に蓑のような雲がまつわりついている利尻富士。
海から直接立ち上がった火山島という
なかなかに印象が劇的な山で、ファンが多い山ですが、
どちらのポイントでも、まことに癒されます。
アイヌの人々は、中国で元の国が強勢だった時期に
勇猛果敢にサハリンに進出したという事実が発掘されてきています。
この利尻富士を見ながら、この周辺のオトンルイという
これも砂州に守られた河岸地域から、出撃していったのではとされています。
北東アジアと列島社会、アイヌ社会の交流のなかで、
この利尻は、時の流れを見つめ続けていたことでしょう。

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最後の写真は、北海道西部海岸地域を代表する古建築、
小平の「花田家番屋」建築であります。
もう何度も訪ねている大型木造建築。
ニシン漁の栄華が残照のように蘇ってくる建物であります。
最近は、観光スポットとして開発されてきていて、
近隣にデザインが統一された施設が2棟新築されていました。
ということで、本日は逍遙スポットのご案内でした。

東京脱出移住者の「資産価値」観

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面白いテーマ性をもった住宅を見学してきました。
ブログではふれられなかったのですが、
今週火曜ー水曜には、北海道の工務店ネットワーク・アース21の
旭川での例会に参加しておりました。
この会の例会では毎回、会員工務店の住宅を見学します。
最近、旭川市近郊の東川町は、移住先としての人気が高まっていますが、
見学した住宅は、そういうケースで
建て主さんは、東京の足立区に保有していた住宅を売却して
この町に移住を決めたという方。
お仕事はIT関係で、ブロードバンドの環境があれば、
どこにいても仕事はできるという仕事だそうです。
選ばれた土地は、東川でも人口密集地ではない山の中で
2つの山を包含した広大な土地を購入されました。
片方の頂のあたりを土木的にも「開発」されています。
近接する道路まで、自分で接道させる私道すら土木工事が必要な場所。
インターネットへのブロードバンド接続は地元のケーブルテレビが提供している。
仕事の関係で必要な「電波環境」的には、好立地だということ。
しかしたぶん、ヒグマの生活圏とも高い確率で重なることが想像できる。
また、冬には、除雪している道路まで、自力での除雪作業も必要になりそう。
っていうような環境を選択されたのです。
そして、そこで「資産価値の減衰しない家」を志向されて
住宅を建築されたと言うことなのです。

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見学にうかがった時間にちょうど、強烈な雷雨が襲ってきて
外観写真は、上の1枚しか撮影できませんでした(笑)。
まさか雨が来るとはほとんどの人が予想もしていなかったので
この写真を撮り終わってからは、全員、全力疾走で建物まで駆け上って行った(笑)。
室内は、大きな平屋空間で素材の質感が迫ってくる空間。
山暮らしの静寂観のなかで、薪ストーブの存在感がきわだつかのようです。
高窓から自然採光を取り、塗り壁の質感を通して
この地での日の光のうつろいを、室内からやわらかく感受することができる。

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そういった暮らしの価値感を支えているのは、
重厚な断熱という北国住宅の技術力。
窓は全部が木製3重ガラス入りサッシで、断熱は壁で300mmという仕様。
こうした「資産価値の減衰しない」住宅の中で
自然の営み、四季の輪廻と共生するような「生活の価値感」が伝わってきます。
東京から脱出移住される方には、こういう暮らしの素器が
確かさのある「資産価値」というように認識されるのだと感じました。

一方で、北海道にいると、人口は減少していくし、
住み続けていく家の資産価値という側面を考えると、
同時に過疎の問題というものが眼前の壁になってくるととらえるのですが、
このような移住決断者のみなさんは、少し違う認識。
どうやら地震の多発などから、大都会での暮らしに危険を感受して
そこからの脱出を考え、その上で住み暮らす「資産価値」というものについて
北海道人とは違う考え方をされるのですね。
いわゆる「住む」ということ自体についての価値感に於いて、
そんなふたつの「資産価値」への考えが、渦を巻いて想念として駆け巡っていた。
そんなユニークな住宅の見学体験でした。

北海道ビルダーズ協会発進

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きのうは夕方から、表題の通りのセレモニーに出席。
北海道では、独自の住宅技術・文化の進化が見られていますが、
その基板になっているのは、官学民の強い連携というもの。
さらにその中核は、民の側、地域工務店のグループ力がきわめて強く、固いこと。
北海道開拓使の昔から、暖かく暮らせる日本人の家を
どうやったら合理的な価格で作れるのか、それこそ、
継続的な努力が、いまやDNA化したような形で存在しています。
たぶんこのパワーは、同じ日本人が、この北海道の厳しい気候風土に
さらされ続けてきた中から、いわば同志的な協同力として
自然発生的に形成されてきたものなのではないかと思っています。
そこには、先人たちの苦闘の蓄積があり、
目的の共通性が、いろいろな個別の利害を乗り越えて存在した。
長期優良化住宅など、国が住宅政策の舵を性能向上に向けてきたとき、
いわば日本全体をリードする集団力として、
大いに機能を発揮してきました。
国の住宅施策の展開に当たって、それを先導するように
なんなくその基準をこなせる技術蓄積、情報交流組織力がある。
そういった中心にあるのが、この「北海道ビルダーズ協会」のメンバーたち。
これまで国の先導的な住宅施策、事業を契機に立ち上げられた組織の
今日的な再編結集の形が、こういう組織になったという経緯です。

きのうの発進セレモニーでは
こうした地域工務店のパワーを培ってきた大きな部分、役割を担ってきた
室蘭工大名誉教授の鎌田紀彦先生のインパクトに満ちたスピーチもありました。
先生の、まさに実践的な工学的研究開発努力が、
多くの工務店の建築技術の現場力・共通認識として、
脈々と息づいていることが、いまさらのように再確認できました。
現場的な直感力から共有できるものが、北海道には存在しています。
最近打ち出されてきた「札幌版次世代基準」というものの、
作り手たちの現場とは、やや乖離したと思われる部分に
単刀直入、剛速球のようなきわめて率直なご意見を開陳され、
それは一気に会場が弾けるような「開放力」を持っていました。
逆に言えば、こういった部分が、実践的なスタンスを生んでいるのでしょう。
まぁ、前菜として「Replanの三木さんのデザイン重視は、ちょっと・・・」
という辛口のジャブは、これもいつもと変わらないスタンス(笑)。
あ、誤解なく・・・。先生には次号から、
「Q1.0住宅デザイン論」という新連載企画を執筆いただいています。
ぜひ、ご期待ください。

ということで、まさにパワフルな住宅革新の動きが再着火したような、
そういった熱気が充満した夜でありました。
わたしのこのブログでも、継続的に動きをお伝えしていきたいと思います。