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【ハレとケ 消えゆくニッポンの住空間意識】


伝統的なニッポンの家、民家を見るというのは、
そこで暮らしてきた先人の「空間意識」を感受することだと思います。
空間を作らせ規定したものは先人が持った倫理観や生活観であることは自明。
そこから現代の住宅づくりにひるがえって、
失われたなにごとかを想起するというのは、未来を考えていく手掛かりにもなる。

写真は、ある古民家の床の間のあるハレの空間と
日常生活が営まれただろう、ケの空間を対比したものです。
ケの空間の様子から、人々の日常の暮らしぶりが豊かに想像できる。
この住宅は兵庫県・姫路近郊の大庄屋建築ですが、
なんと採暖としての「囲炉裏」がありませんでした。
代わりに、日常使いの「かまど」が素焼きのレンガで造作されて
板敷きの空間に接合されて存在している。
囲炉裏自体はないけれど、その代替としてのいわばクッキングストーブ。
日本人というのは食卓テーブルを囲んで食事するというよりも、
各自の「膳」に盛られた食物を食べるのが一般的だったとされますが、
そのような日常生活が、この空間で営まれていたのでしょう。
この空間での冬期の生活を想像すると、厳しい。
日本人は寒冷に対して「忍耐」で向かったことが見えてくる。

一方、ハレの方の空間は、床の間がやはり惹き付けられる。
現代の住宅では畳の間自体が稀になってきているけれど、
こうした古民家には、必ずこういった「神聖空間」がある。
畳も、柱、横架材もクッキリと空間を「仕切っている」。
インテリア的な印象とすれば、まことに「筋が通っている」。
こういった空間性から想像される「倫理性」の息づかいがただよう。
こういう空間で人生の節目のようなことが営まれた。
人としてかくあれ、と民族的な「教育装置」として機能したように思える。
現代住宅では、こういった機能を果たしている空間は見出しがたい。
床の間のそのタテ横の空間の仕切り方、その「グリッド」感覚や、
そのなかでどのように置物や装飾品を配置するかという
空間についてのニッポン的感覚の磨き方など、いくつも気付くことがある。
こういう空間にはよく掛け軸などがかけられる。
その題としては絵であったりもするけれど、
よく書が掛けられたりもする。その意味とか、文字の表現力とか、
そのような機会でニッポン人的な内面は構成されたに違いない。
こういった空間の中で、どのようなニッポン人的な感受性が立ち上ってきたか、
そういうことにいつも思いが向かっていく。
こういった空間が持っていた住宅としての
意識醸成機能というようなものについて、どうも現代住宅からは
感じられることが少ない、失われているように思える。
そのことは、いい部分もあるけれどそうでない部分もある。
進化した部分と、退化している部分の両面があるのではないか?

【Facebookページ「いいね」1,000超え、感謝!】

みなさん、ありがとうございます。
一昨日、ふとFacebookページを見たら、ごらんのようなアラート。
おかげさまでみなさんからのページへの「いいね」が1,000突破であります。
「開始: 2016年4月21日」ということですので、
ゼロのスタートから1年半くらいでの到達。
早いのか遅いのか、わたしには比較はわかりませんが、
みなさんから「しょがない、いいね、してやろうか」と押していただいた積み重ね。
感謝の思いをしっかり持って、これからも毎日情報発信をがんばります!

わたしのページの傾向を見ると、
やはり住宅技術ネタの情報発信が、比較的に反応が高い傾向。
きのう発信した内容、【計画的「自然換気」の見えにくい異言語討論】では
Facebookで丸1日の間に1,679人の方がごらんいただいています。
その他自社のHPやそこからのミラーサイトなどもありますから、
読んでいただいている総数はそこから倍くらい上回る。
わたしのページは北海道の住宅雑誌が基本スタンスなので、
技術情報への関心の高さはやはり当然でしょうね、
全国各地のFacebook友だちのみなさんからすれば、
そういう情報に敏感なのだなと、受け取らせていただいています。
あ、「Facebook友だち」2,248人は全国拡散型で、
おおまかには北海道東北で4割。関東が約3割。
その他地域で3割くらい、といった地域構成になっています。
海外の方も2〜3%くらいはいらっしゃいます。ただ日本語文化圏のようです。
住宅技術の実験場的な側面が、北海道は大きいので、
最新の住宅技術動向についてはこれからも情報発信し続けていきます。

しかし、住宅雑誌編集ではそういった技術の情報ももちろんですが、
より生活者的な視点での「住宅への気付き」ということも大きな部分。
さまざまに体験する住宅取材の情報摂取も、感度維持には欠かせません。
こういった幅広の住情報についてを今後ともメインで書き続けたいと思います。
逆に高断熱高気密がふつうの地域から見て、以南地域の住宅から
情報的な気付き、相互理解のポイントもまた見えてくることがある。
全国を歩く機会も多いので、そういう情報「落差」もお伝えしたい。
・・・ということですが、でもまぁ、ふつうに生きている人間なので、
その他幅広いテーマについても、興味と関心を持つのは仕方ない。
ことしはわが北海道日本ハムファイターズはさっぱりの成績に終わりましたが(泣)
これからも調子が上がってきたら、書きます(キッパリ、笑)。
日本列島の北の方で生息している人間がふつうに日々感じていること、
そういうことも、書くテーマとしてお許しください。
ということで、引き続き、よろしくお願い申し上げます。

【計画的「自然換気」の見えにくい異言語討論】


さてきのうの続きであります。表題のような深層論議に立ち至った。
第1部のPHIUS(アメリカパッシブハウス研究所)の視察見学報告に続いて
スウェーデン・REC換気システムについての講演。
この換気装置は日本の概念区分としては「第1種換気」ということになります。
吸気も排気も機械で制御しながら、計画換気を行っていく考え。
RECは、スウェーデンではじめての「パッシブハウス」で採用された換気システム。
こちらの「パッシブハウス」はドイツ基準に適合したもの。
この採用に当たっては、世界的に寒冷地建築研究の最先端と言われる
スウェーデンのルンド大学工学部で試験プロセスを経て選定された、
というように自社の紹介がされていました。
ちなみに、ルンド大学についてはWikipediaに以下の記事。
〜スウェーデン屈指の名門大学として知られ、QS World University Rankingsでは
2013年に67位(国内・北欧圏共に1位)にランクインされている。〜
北海道からも鎌田紀彦先生が客員研究員のような形で行かれたり、
その同期にはドイツパッシブハウスのファイスト先生も席を並べられていたそうです。

そういった実績のある第1種換気の部材であり紹介されていたのですが、
プレゼンの途中で「パッシブ換気」について、相互理解に齟齬が発生。
世界の基本的な潮流は、この第1種計画機械換気であり、日本でも
鎌田紀彦先生がこれがもっとも妥当性が高く、科学的と高く評価されているのですが、
一方で寒冷地である北海道では、いわば「計画自然換気」と言える、
「パッシブ換気」の研究とその実践がユニークに存在している。
概念としては、2枚目のイラストになります。
(これはパッシブ換気を推進する太平洋建業社HPからの引用。)〜
http://www.t-kengyo.com/passive/
唱道者は現在北海道科学大学教授の福島明氏。
冬期暖房によって内外温度差が明瞭なことを利用して、
暖まった空気は上昇する原理を活かし新鮮空気を床下空間にパッシブに導入しつつ、
空気の経路を明確化させて、建物上部から排気させるシステムです。
いろいろな評価はあるのですが、日本・北海道オリジナルなシステムとして
たくさんの事業者・設計者がチャレンジしている工法。

で、この目に見えにくいパッシブ換気についての論議に至ってしまった(笑)。
どうもこの換気方法について、スカスカ自然隙間換気と誤解されてしまい
論議がなかなか噛み合わない状態になってしまった。
北欧やヨーロッパでは、こうした換気方法へのチャレンジは行われていないようです。
たしかに新鮮空気の導入について換気量のコントロールが難しい側面がある。
空気経路の把握について経験が必要とも言われています。
しかし一方で、ほとんど機械動力を必要としないことから、
ある意味、究極的とも言われる考え方。
北海道ではこの方法にチャレンジして、体感的に空気の流れを把握できた、
というような発言も事業者・設計者から聞くことが多い。
最近では秋田能代の西方設計・西方里見さんも自邸で採用していますね。
しかし、先述のように欧米ではこうした概念自体が存在しないようです。
北大の菊田弘輝先生も参加されていましたので、
質疑応答では、かなり突っ込んだ専門的なやり取りが活発でした。
換気は目に見えにくい部分があるので、こうしたことがらについて、
異言語間での通訳を交えた応答というのは、かなり難しいと実感。
でも結果として相互の国際理解は一気に深まったし、面白かった(笑)。
わたしも少し論議にからんだので、事後、REC社のケネットさんとクラウスさんとは
ガッチリと握手して名刺交換し挨拶しました。ちょっと力強かった(笑)。

【PHIUS(パッシブハウスUS)報告札幌セミナー】


きのう13日の金曜日、午後から表題のセミナー出席。
前半はPHIUS(USパッシブハウス研究所)総会に出席されてきた
芝池英樹・京都工芸繊維大学大学院准教授の報告を聴講。
後半は今度はスウェーデンから来日した第1種換気のメーカー・RECの
ケネットさんとクラウスさんによる換気部材のお話しを聞きました。
本日は、前半部分のご紹介を。

芝池先生からは、いまや1000物件を超えるとされる
アメリカでのPHIUSでのパッシブハウスの実際が報告されました。
ドイツパッシブハウス基準では、その発祥地であるドイツの気候に
基準自体が最適化されていて、日本と同様に蒸暑気候が一般的である
アメリカでも、そのままでは断熱仕様が過剰にならざるを得ない。
そこで基準を2015年に見直して以降、飛躍的に実績が伸びているという。
そういった概要説明に続いて事例報告などが行われていました。
実際には、木造での多層階建築が「戸数」を稼いでいるし、
またアメリカらしく、戸数の多くなる「建て売り」物件が主体になっていた。
これらの場合、戸あたりの床面積に対して壁面積が小さくて済み、
その分、断熱コスト負担が小さくなるのが一般的。
日本のように、基本が注文戸建てという場合とは比較が難しいし、
日本では大量販売デベロッパーの断熱意識が低いという側面がある。
しかし紹介された「戸建て住宅」数例は、注文住宅のようでした。
質疑で、蒸暑の気候に適した基準であるということについて、
わたし自身もいくつか、質問させていただきました。以下がその内容。
芝池先生のお答えでは、両基準の違いとは
「ドイツは仕様基準であってアメリカは性能基準という印象」と言われていました。
「非常に精密な計算ツールがあるので、
ドイツ基準より一般的には断熱厚が薄く済むケースも多い」
「アメリカ基準側としては、ドイツ基準は過重になっていると言っている。
断熱投資にお金が掛かりすぎている。手の届く合理性のある価格ゾーンにと。」
北海道では旭川地区などで300mm断熱・UA値0.18レベルの住宅が
「よりあたたかい家」を目標にして普通に建っているが、そうした建物でも
ドイツ基準にはまったく歯が立たない現実がある。こうした住宅について
このPHIUS基準ではどうなるか、という質問については、
「北海道と同等の気候条件のシカゴなどでは一般的なコスト範囲で
この基準を満たす住宅例が多数建てられている」
とされていました。興味津々といったところです。

ドイツ基準では北海道では事実上、戸建てでの基準達成は難しいなかで、
そもそものこの基準対照の論議が本格化してほしいと思っています。
あしたは、もうひとつの「換気」についての異種言語・深層論議について報告します。

【江戸期庄屋の「検見貢納」〜ビジネス現場状況】


写真は、ここのところご紹介している播州姫路林田の三木家住宅。
江戸期を通じて「大庄屋」をやっていた家系伝承につらなる家。
徳川政権というのは、経済的な基盤を農業支配においた重農主義政権。
士農工商という「身分制度」で社会を縛り上げていた。
その支配の基本は、基本的生産細胞といえる「ムラ」の庄屋を単位にしていた。
「農」の支配方法として上級農業者を庄屋にして、
いわば自治的に、別の見方では武家の代理人機能を持たせていた。
そういった上級農民には苗字帯刀を許したりもして、
かれらの支配構造に組み込んだりしていた。
この家を見ると、そういった支配と被支配の関係構図が明瞭にうかがえる。

写真はこの大庄屋の塀で区切られた広大な「中庭」。
この中庭は、その年に生産された米を中心とする農業生産物を、
この場所で貢納させて「検見」する場として機能していた。
中庭からすぐの場所には下の写真のような集積倉庫も併設された。
庄屋というのは農業者の代表、まとめ役であり、
同時に支配者の代理人としても機能した存在だったのでしょう。
まさに武家政権側としては、その存立に直接関わる経済の中核主体。
収奪する米について、生産量の5割にしてほしい、その代わり
現金で数十両支払う、といった武家側との交渉記録文書も確認できた。
武家側で現金の必要が生じたことがあって、
そのような支配ー被支配両者での「手打ち」もあったとされていた。
大庄屋という存在は、こうした農業生産物の「流通」を通して
水運・海運に関わることが大きい商家との関係が深まる。
さらにそこに、こうした農業生産物を「担保」にしての商取引も生まれてくる。
いわば自然発生的に信用取引が生まれてくるのですね。
こうした物流経済の現場では、さまざまな「商品」がビジネスチャンスも生む。
たとえば江戸中期以降、活発化した北前船交易などでは、
蝦夷地で生産されるサケが大きな取引商品になるけれど、
瀬戸内海地域ではその塩蔵のために製塩業が盛んになっていて、
わが家系の消息でもこの時期、製塩業も営んでいた事実があったりする。
さらにその製塩ビジネスでも初期の大儲け段階と末期の投げ売り状況など
まるで現代のビジネス状況と同様のことも見えていた(笑)。
これら庄屋と商家、北前船交易主体などとの間で、こうした商品を巡っての
資本取引・信用取引がさかんになっていくという構図はわかりやすい。
この播州姫路は、北前船の大阪への最終停泊地であり、
情報のやり取りもしやすく、さもありなんといった状況に想像が膨らむ。
はるかに後年になるけれど、こうした商ビジネスを理解していたわたしの父は
遠く北海道岩見沢の農家でありながら「ユリ根」を集積して大阪に送り、
市場で取引をしていたという事実がある。血がつながっている感覚(笑)。
その結果で儲けたり、損を出したりしそうになったという。
情報によってモノの価格が大きく変動する情報社会の萌芽も見えてくる。
秀吉の政権下で確立した「天下の台所・大阪」という流通ビジネスの基本は
江戸の重農主義政権下でもウラで大きく動いていたのだと思う。

江戸期からの経済の連続性のような光景が
こういった住宅を見学することで、パノラマのように望見されてきます(笑)。

【根曲がり材架構による荒々しい構造美】


写真はきのうの続きの姫路林田・三木家住宅です。
先日ご紹介した福崎三木家と同様の大庄屋住宅で、塀に囲まれた広大な屋敷。
千石規模の農業生産物集積機能を持っていて
米などの検見を行う広大な空間が屋敷地を占めています。
この建物はその奥にある「主屋」。

建物の横架材、梁の機能は、柱の連続を受け、
それらに粘り強さ、連続性を与える力学的機能なのでしょう。
粘り強さという必要機能から、北側傾斜面の「根曲がり」材が、
その柔軟性で評価が高いのだろうと思います。
地震に対しての構造耐久性がより高くなるとされる。
しかしそういった材は、北側傾斜面でしかも一定年数の経過した材で、
となるとなかなかに希少で、さらに建築予定地からなるべく近くで伐採し
建築現場まで運び込む必要がある。現代とは違って輸送コスト割合が大きかった。
また戦国期は常に人為的な火事、戦災での焼失が繰り返され、
こういった材は、大変枯渇していたとされている。
いまでこそ日本は森林が使われずに放置された結果、緑豊かで、
国内資源を使うより海外資源を買う方が安いけれど、戦国から江戸初期には
日本の山林資源は相当枯渇し、見る限りハゲ山状態だったとされる。
バイオマス資源争奪はそれこそ命がけだっただろうと思います。
京都町衆が戦国期に北山に杉を植林して森林資源を復興させたのが
「北山杉」ブランドの創始だという。利休さんはこの植林プロセスで発生する
「間伐材」の有効利用を考えそれを茶室として活用し芸術にまで高めた。
・・・というような条件を考えていくと、この建物のようにふんだんに
こうした材がそろえられ構造をつくっているのは、かなり稀有。
インテリア空間として鑑賞すると、まことに粗放な豪快感が場を支配する。
しかも杉のような針葉樹ではなく、より強度の高い広葉樹種。
ただただ立ち止まって、上を見上げ続けざるを得ない。
「ほ〜、すごいですね〜」であります。
一本一本の材の存在感がすばらしく、土間空間全体が力感豊かに表現される。
後は単純に柱を補強するように土塗り壁を作り、土間を丹念に作れば、
千年でも耐えそうな、豪放な空間が仕上がっていく。
新材の時にはまだ人肌のような白木だったかもしれませんが、
経年するなかで、煙に燻されて黒々と艶がかかっていく。
まさに自然な時間経過が、堂々たる化粧をほどこしていく。
こういった根曲がり材の特性をそれぞれに良く把握して、
それぞれに適材適所を考えて活躍の場を与えているように感じられる
この建物の構造設計者、大工棟梁の目利きが静かに伝わってきます。

やっぱりこういう素材の大迫力には、
人知を越えて自然に繋がっていくような安心感がある。
この空気感に襲われ、いつまでも場を去りがたい気分に浸っておりました。
う〜〜ん、すごい。

【江戸期大庄屋住宅建築の「防火対策」発見】


写真は先週日曜日に見学していた姫路林田の方の「三木家住宅」です。
こっちの家も、先日来ご紹介している「福崎・三木家住宅」と同様に
わが家の伝承にかかわっている家系のようなのであります。

で、見ていて驚いたというか、見たことがない光景を発見。
写真のように大きな根曲がりの梁が渡されているのですが、
その梁には、ご覧のように土が塗り込められているのです。
奥の方に行くと、2枚目の写真のような状況でした。
わたしもたくさんの「古民家」建築を見てきていますが、
こんなふうに横架材が塗り土で被覆されているというケースは見たことがない。
この建物は兵庫県の指定有形文化財であり、
公費を使って保存修理された建物ですから、きちんと考証され、
こういった内装仕上げも、きちんとした調査の上で復元施工されている。
見たことがなかったので、ボランティアの説明員さんに聞いたところ、
「くどで火を扱うので、そのために防火仕様にしている」ということ。
「くど」というのは、Wikipediaの記述では以下の通り。
〜京都などでは、竈(かまど)そのものを意味し、「おくどさん」と呼ぶ。
また、土間など住居の中で、煮炊きを行う空間そのものを意味することもある。
山陰地方などでは、煮炊きの設備を「かまど」、空間そのものを
「くど」と呼んで区別している地域も存在する。〜
ようするに台所空間のことのようです。
現代住宅では、法令で台所は「防火処置」がいろいろに義務づけられますが、
目的としては同じような機能を果たせるように工夫しているようなのです。
現代のように「不燃建材」などがあるわけではなく、
燃える木材を素地のまま使う建築材料しかない。
そこで「難燃性」を確保するためにこのように土塗りを施したようなのです。

ふつう、土塗り施工は脱落しないようにするために
小舞いといわれる下地の構成が不可欠になるのではないかと思われるのですが、
このような素地のままの自然木、根曲がり材に対してどのように土を展着させるのか、
そこまでは説明を確認できませんでした。
この住宅は「大庄屋」の住居であり、公的な施設としての側面もあって
多くのひとが参集する建物なので、
くど、かまども大人数のための大型のものが備えられている。
そういう意味で火災への備えもしっかりされていた、ということなのでしょう。
効果のほどや、施工方法などに興味を持った次第。
それと、ほかではあんまり見たことがないので、
なぜこの住宅でこんな技法が採用されたのか、理由にも興味を持ちました。

【規格大量生産が駆逐した「高級住宅」個性的金具】


現代では住宅の「様式」は自由度が高まって、
用とデザインは一致していてシンプルであることが一般的。
いまは普通のこういうことは、しかし昔から一般的であったワケではない。
江戸期までの住宅というのは、身分制社会の制約から自由ではなかった。
門の作り方とか、建築表現についての制約が設けられていた。
建築自体の表面デザインについては、変える必要性を社会全体が感じていなかった。
建築はながく使っていく公共財として考えられて、
そういう部分では合理的な屋根形状、外観で建てられ続けた。
大切な資源を使って建てる以上、長期にわたって資産性が担保されることが重要で
雨仕舞とか、耐久性を第一に考えて安定的なデザインが志向されていた。

そういうなかにあって、比較的自由であった武家もしくは、
大庄屋といった身分制度上一番上位の高級住宅では、
写真のような建築金物、それも表に現れる金物についてデザインが凝らされた。
江戸初期の威信表現建築である日光東照宮の造営などでは、
左甚五郎などのような存在によって建具表現のデザイン性が高められていった。
いわば職人的な手工業の部分が発達したのではないかと思います。
写真は釘隠しや障子の取っ手の金物です。
クギを隠すというメンタリティも今の時代としてはよくわからない(笑)。
床材などでクギが浮いてきて足に引っかかるという機能的な不具合はわかるけれど、
こういった釘隠しは、やはりそうではなく工芸品的嗜好性。
この播州の大庄屋・三木家住宅ではデザインとして「もも」がテーマになっている。
2枚目の写真でもどうやらカタチとして「もも」が意図されているようです。
まぁ身分制社会で住宅建築は「様式」優先だったので、
嗜好表現はこういった部分に集中していったものでしょうか。
現代ハウスメーカー的家づくりでは「壁紙選択」にユーザー意識を向かわせるようですが、
江戸期ではこういった部分にだけ「個性表現」を集約したのか。
身分制度社会としての矮小化されたパーソナライズだったのでしょう。
しかしこういう職人的逸品生産が担っていた建築領域は、
現代ではほとんど顧慮されなくなってきた。
というか、こういったパーツは規格大量生産社会がもっとも得意な部分であり、
どんなに精緻なデザイン表現を作り込んだとしても、
どうせ鋳型で流し込むだけでしょうと、ユーザーからも見限られてしまう。
ものが乏しかった時代と、大量生産社会との認識の違いが
こういった嗜好性に明確に現れていると感じていました。

さて本日は日本の衆議院選挙公示と北朝鮮の労働党創立記念日。
ここ数日の狂想曲がどんな選挙模様になっていくか、注目ですね。
北朝鮮は、またなにかやらかしませんように。

【縁側・中間領域デザインと高断熱高気密】


北海道の住宅で、いちばん渇望させられるのが、
写真のような「中間的領域」であります。
この写真のような「縁側空間」は日本文化の基本ではと思うのですが、
内側とも、外側ともいいがたい空間性を持っています。
空気としては外であって、雨をしのぐように屋根が差し掛けられる。
外なんだけど、濡れることはない安心感を持っているし、
ウチに籠もる閉鎖性ではなく、そとに向かっての「開放感」が感じられる。
日本人はこういう空間での「いごこち」を洗練させてきた。
この空間から庭に向かっての装置群には
さまざまな「意匠性」が主要な工夫進化が計られてきたと思われる。
また、この縁は簡易な「社交の場」でもあり続けてきた。
こういう場所にウチとソトから人が集って、茶や簡易な食で「接待」文化がある。
もっともこの空間から見える庭は、管理された内側的な外でもあり、
そういう意味では日本の住宅というのはいくつものレイアーが重なっている、
心理的にも建築的にも「レイアー」的な住装置であるともいえますね。

こういった生活文化空間を北海道住宅は持ちにくかった。
生存可能環境を作るためには厳しい冬期の環境から人間を守ることが
なによりも最優先条件であり、いわば内側の環境が充実する方向で
住宅の進化が計られてきた。
いま、北海道の住宅は技術的には無暖房住宅も可能ではあるけれど、
ひとのシアワセ実現の道としては、生活文化装置としての
住宅の高度化の方がより求められてきているのではないか。
そういうとき、この写真のような日本文化空間の実現ははるかに難しい。
内側での人間の「いごこち」は十分にコントロールできるけれど、
こういういごこちの住デザインはどんなふうに実現可能か、
そんな問いかけに対して、なにかの出口を求めているように思う。

たぶん北海道の住宅が多く取り入れた居間の「吹き抜け」には、
そんな願望が昇華されているのかも知れません。
空間的にこういった中間領域も「内側化」せざるを得ないなかで、
吹き抜けは、視覚的な「開放感」を上下方向に変換して実現させた。
建物を高断熱高気密化させることで、
抜き抜け空間を作っても上下の温度差をつくらない技術が確立した。
希望そのままではないが、いわば「擬制」的に心理的開放空間を対置した。
まぁさらに進んで温室風にインナーテラスのような空間に挑戦した事例もある。
いま北海道科学大学教授の福島明先生のご自宅では
天窓付きの広大な室内土間空間が実現していたし、建築家の藤島喬さんは、
ガラスで仕切ったボックスを居間から出入り可能な空間として作った。
ただ、一般化にはコストの壁があると思う。
これからの北海道住宅でさらにこういった空間にチャレンジしていく動きが
さらに果敢に出てくるものかどうか、
また逆に温暖地の家づくりも高断熱高気密に舵が切られてきて、
そういった住宅から、この中間領域的な空間性に方向性が出てくるのか?
こうした開放感の進化、ずっと密かに注目し続けています。

【ニコニコ動画と既得権益メディア「エッジ」の違い】

さてあんまりふれないと決めている政治ネタですが、
今度の選挙でいくつか、メディアについて気付くことがあったので、
ご報告しておきたいと思って書くことにしました。

選挙が近づいてきて、インターネットの動画サイト・ニコニコ動画が
Yahooなどの協力も得て「党首討論」を昨日行った。
いまでも動画視聴は可能なようです。
そこではインターネットでの投票による「テーマ設定」が行われていた。
一般から寄せられた2大テーマ「安保問題」「憲法問題」が取り上げられた。
それぞれ28%という占有率だったと明示されていた。
いま、政権選択選挙を行う最大のポイントは確かにここでしょう。
いろいろなテーマはあるにせよ、国民が負託すべき主要テーマ。
これを受けて各党党首も「国益的論戦」を繰り広げていて好感が持てた。
その様子を見ていて、逆になぜこのテーマがこの半年くらい国会で
論議されなかったのか、まことに不思議でならなかった。
11月トランプ来日以降には、戦後70年以上を経て
日本がかつて経験しなかった周辺国安保事態の可能性が高まっている。
今回選挙は、同盟国としての信義・機密を守りながら、
周辺の無軌道国家からの安保危機をいかにして国民に語りかけ、信を問うか?
そういった「大義」をもった選挙だろうと思います。
論戦中では左翼系党派の党首までが、安倍政権の対米、対世界の安保努力に
敬意を払って論議していた。現在の世界情勢で日本の位置取りはおおむね正しいと。
そういった認識が少なくとも「党首」レベルでは共有されていた。
であるのになぜ税金をたくさん使って開く国会では安保問題論議がほとんどなく
「森友加計」がこうした論議に優先したのか?
不可解でゆがんだ政治状況を作ってきたのは既得権メディアだと思います。
それに対して、インターネット空間メディアは常識を持っている、
というか「民意」の所在箇所認識を間違えていない、と感じた。

一方で、既得権益メディアの大手ともいうべき朝日新聞では
選挙を睨んで「世論調査」を行っていた。
~朝日新聞社の世論調査、森友加計問題
「重視する41」「重視しない49」
http://www.buzznews.jp/?p=2111754 より要旨抜粋。
10月3・4日に実施したという朝日新聞社の世論調査結果が10月5日発表され、
そこでは衆院選において「加計学園獣医学部新設や森友学園への国有地売却問題を
重視しますか」という問いが含まれており、その結果はこうだった。
「重視する41」「重視しない49」~
さすがに「掲載しない自由」までは行使できず「僅差」だったという結果を出していた。
「明確な証拠」のない「忖度」とかのあげつらいを紙面を挙げて繰り返し
その上で満を持して繰りだした世論調査質問でなお、多数派からノーといわれた
朝日新聞のやるせなさがしのばれた。

さらに、これも朝日と同一論調だった毎日新聞の記事では以下のような記事。
加計学園問題の地元・愛媛2区ではほとんどの立候補者がこの問題に触れないという。
~愛媛2区 加計問題に沈黙 争点化、共産のみ<毎日新聞>
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171007/k00/00m/010/199000c
・・・愛媛県議時代に獣医学部誘致を推進した(民進党⇒希望)横山氏は、
計画を疑問視する民進党の方針に違和感を持ってきた。
希望の党の公認を得たものの、衆院選で加計問題に踏み込むつもりはない。〜

いかに国民や地元状況と乖離したメディア報道がなされたかの証明でしょう。
今回の総選挙では、こうしたマスコミメディアの作りだしてきた
「実は異常」な言論空間性について、有権者は自覚的でなければと思う次第。
新聞マスコミは私企業であり、どのような報道姿勢を取ろうが基本的に自由ですが、
しかし報道の自由というものと記者クラブ制度などの既得権益の
「情報専有権」を活用し事実上の「権力」として言論空間を寡占してきた。
しかしインターネットで言論空間の自由が大きく広がってから、
こういうマスコミ権力の状況が一般人に露わに表出してきている。
が、ふと気付いたらまたふたたび、現職都知事が「劇場型」の国政介入を行い
その「イメージ操作」を無自覚に大量拡散しているマスコミ状況もある。
ちなみにこの都知事は難解表現が好きなようできのうは「エッジ」が乱発されていた(笑)
確か先日は「アウフヘーベン(止揚)」と称して自らの独裁的専断を言いつくろっていた。
まだ印象操作報道にだまされ続けるのか、ということも今次選挙では問われると思う。