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【オオウバユリ あっという間に開花から「結実」に】


札幌円山自然林のなかの「オオウバユリ」群落。
わたしの場合、つぼみを林の中で発見してから、開花寸前までが
まことにドラマチックだと思っています。
その後は、たくさんの花が面として咲き誇り満開時期を迎える。
この時期になると、不思議と「あとのまつり」的な雰囲気を感じてしまう。
急速に観察行動が緩慢になってしまうのですね。

北国人というのは、夏の暑さを激しく希求するけれど、
その暑さが来て見ると、途端に夏バテしてしまうのにも似ている(笑)。
・・・っていうのが例年の通例なのですが、
ことしは依然として「ステイホーム」的な雰囲気が続いているので、
夏が到来してもイマイチ、海や山やという気分の盛り上がりがない。
ということで、満開からのオオウバユリとも対話しております。
植物というのは、花はいっときの「仮の姿」であって、
人間どもはその美を愛でることが楽しみかも知れないけれど、
植物にしてみたら、この一連の過程で次世代継承することに余念がない。
花から「結実」させて、今度は種を産む過程が本格化する。
下の写真の左側の方に人間の興味は集中するけれど、
かれらにとっては、右側のタネ生産プロセスの方が貴重な時間かも。
オオウバユリはユリ科の花の繊細な造形美もあるけれど、
それらが1本の茎から多数花開く、ラッパのような群生ぶりがオモシロい。
その乱舞が一段落すると、花は急速にしぼんで
枯れた色合いに変わっていって、今度はその花の衣装を脱ぎ捨てた
結実の「タネの揺りかご」のような造形に変わっていく。
写真のように、上向きの「矛」のようなカタチに変容していくのですね。
いのちの変容の不可思議さにこれもまた驚かされる。
しかし、季節は盛夏よりもまだ時間があるけれど、
オオウバユリは季節を先取りして結実の秋に早々と歩を進めるのですね。
たぶん、この先取り変化スピードが速すぎて
人間の側では「もうちょっと夏を楽しみたい」という心理が強くて
観察意欲が薄れていく原因であるのかも知れない。

まぁしかし、わたしの観察の方が「先取り」しすぎで
上の写真のような群生ぶりも、やはり多くの人間を惹き付けてくれる。
花のいのちは短いけれど、その華やぎ、彩りもたのしい。
北国はいちばん遅く夏がやってくるのに、もっと楽しんでと
物語ってくれているようにも思います。

【新型コロナと社会分断・地方の地盤沈下】

昨日は久しぶりに「遠出」しておりました。
梅雨の気候が続く本州地区とは違って、北海道きのうは札幌で28.2度。
ほぼ快晴と言ってもいい天気で午後からカミさんと郊外へ。
久しぶりのドライブで各所で「キャンプ」風景が展開。カミさんのひと言。
「わたしたち子育ての時、いろいろな所に行けてよかったよねぇ・・・」
そうです、キャンプ施設などでは親子連れの行楽風景が見られたけれど、
新型コロナ禍による行動抑制で、ひたすら「Stay-Home」暮らし。
まさに待ちかねていた様子がしのばれてきたのです。
わが家も同様ですが、まだしもわが家は子どもたちは巣立っている。
夫婦ふたりだけ家でのストレスは大きくはない。まぁ夫婦ケンカもあるけれど(笑)
それに引き換え、成長期の子どもさんのいるご家庭は
そのストレスたるや想像にあまりある。どこにも行けない苦しみ。
それがようやくにして天国に一番近い季節の北海道で楽しめるといった様子。

しかし、その矢先にまたもや東京起点の新型コロナの蔓延拡大状況。
キャンプなどは、自然に親しむ行楽であり、
おおむね行動もクルマということもあるのでむしろ奨励すべきと思うのですが、
自粛気分が支配的な社会風潮から「空気を読んで」しまうのがフツー。
さらに、北海道はまだこういった郊外での娯楽に親しめるけれど、
東京などは、梅雨による雨も続いて追い打ちでの滅入るような感染拡大。
心配していたGoToキャンペーンも東京外しでの実施。
いまの感染拡大は「攻めの検査」で若年層の「無症状・軽症」者が多いとのこと。
緊急事態宣言のなかでの感染拡大とは違って、
重症者は少なく、重篤化が懸念される高齢者の割合が低いともいわれる。
しかしどうしても「感染者数」という指標が大きく取り上げられる。
「空気を読む」日本人気質として、ふたたび萎縮に向かう傾向が強まる。

どうも高度情報社会化がはじめて出会った世界規模疫病で
社会の方の「対応の仕方」により大きな経験不足があるのかも。
スペイン風邪とか、結核とかが蔓延した当時には、
このような情報社会、大衆化社会は進展していなかったので、
疫病は疫病の問題として、そう大きくは政治経済の問題にならなかった。
その意味で疫病情報の「社会常識」というものが現代では育っていない。
ひたすら危機発信を「オオカミ少年」のように繰り返すことは
社会収縮の方向をより強めているように思える。
経済基盤は「移動の自由」によって支えられてきたことに、
それが大きく毀損してから気付かされる。

この疫病によって社会の分断、地域ごとの分断が進行するのでしょう。
そのとき、地方はバラバラにされ全国規模での経済参入障壁が高まる。
分断の結果、地方のさらなる地盤沈下が懸念されると思います。

<写真は愛で生き延びるオシドリ一家>

【播州英賀「参入勢力」の産土神利用・人心収攬】



新型コロナ禍でなかなか他地域への交流拡大は難しい。
なんといっても移動にはリスクが伴う。勢いブログ記事も過去に取材の
民俗的建築からの歴史探究に傾倒気味。本日は「鄙」の神社事例。
最近とくに播州の「三木家住宅」など家系伝承に取材した記事が増えております。
こういう現地検証済の身近な事例は、想像力が強く刺激される次第。
中世社会で、他地域からその地に新規参入した勢力側は、
どのように地域への参入・浸透を進めるのか、そのひとつの事例。
播磨国の「飾磨」湊に上陸し地域に根を張ろうと考えた三木氏は
この地域に深く根ざしていた「英賀神社」を利用した痕跡を発見した。
寄進を行い、新規の神さま勧請・社殿造営したと思われる記述が残されている。
地域を開発した産土神の社殿造営で人心を懐柔し経済振興を仕掛けた・・・。

上の写真はまことに古格な英賀神社社殿であります。
鳥居も横架材が掛けられていないで2本の掘立柱だけが立ち、
その間に「注連縄」が連結させてあって「結界」を構成している。
よく見ると社殿本体には上向き湾曲の注連縄もあって、目玉風の仕上げ。
合間から本殿建築が表情を覗かせ、
「唐破風」成立以前の建築様式を感じさせるファサードデザイン。
以前、このブログで神社建築の「ギョロ目デザイン」を書きましたが、
建築デザインにプラスして注連縄が「神さまが見ている」みたいな印象を
正対する人間に受け取らせるように仕掛けられている。
この英賀神社は、かなり古格な神社で、「縁起書き」にも、
英賀の地を開拓開発した古神男女2体英賀彦と英賀姫が書かれ、
伝承的な産土神信仰対象であったことが見て取れます。
1443年頃壮年期の家系の「三木通近」は、河野水軍瀬戸内海海上勢力で
その重要拠点として播州「飾磨湊」の支配権を確立することで
瀬戸内海の物流を抑えようと考えたと思われる。
讃岐地方から麺類の製法ももたらし地域産業振興を図ったとの家系伝承。
播州は「揖保乃糸」が有名で福崎の三木家でも「もちむぎ麺」にゆかりがある。
中世社会において武家という専門職意識は希薄で、たぶん自覚はしておらず、
商業にしろ工業、流通業にしろ地域振興が最大の「勢力」源泉だった。
経済と軍事・政治は一体的不可分であったと思われる。
河野「水軍」というのは戦時における「組織形態」ではあるけれど、
平時には海運流通を担う商業者ネットワークというのが実態。
商業者は、各地の在郷勢力と物流交易関係で深く結びつき、
その物資集散拠点として「湊」の支配を大きな勢力源泉とした。
三木氏は播州でこの飾磨湊を拠点化し、内陸水運要衝であった「英賀」も抑え、
地域の守護勢力、赤松氏と関係を深めていくのですが、
そのことと軍事的な能力云々とは直接関係がないと思われてならない。
まぁ経済を抑えているので、専門的軍事力は傭兵的に雇用していたか?
活発な水運流通展開が一族の主目的と思われる。
中世を通した経済発展「瀬戸内海物流ネットワーク」との繋がりこそが
在地の守護家・赤松氏にも、在郷の庶民にとっても非常に有益で重要だった。
支配を地域の人心に納得させ、平和的に受け入れさせるために
この古格な産土神信仰を利用しその振興に取り組んだようなのです。
社殿造営でさまざまな「産業」が刺激され、利益を地域経済にもたらした・・・。

どうも記事中の三木氏は、武家でこの地を「軍事的に制圧した」というより、
商業者的に、懐柔的に支配を進めていったように思われるのです。
中世史は軍記物より、地域経済史的解析の方が実際的ではと思う由縁です。

【なぜ各地神社ごと注連縄デザインは違うのか?】



宗教建築、とりわけ神社は毎日、北海道神宮に参詣する習慣もあって、
各地を訪れる度に各地域の神社を参拝させてもらいます。
まぁ歳も取ってくると、夜のクラスターのような場所は縁遠い(笑)、
こうした場所が親しい訪問場所になるのは、ごく自然でしょう。
建築としてこれらの神社建築はそれはそれでオモシロいのですが、
東大工学部・内田祥哉名誉教授から親しくご教授いただいたところでは、
神社仏閣建築では明瞭な「様式の違い」というものは確認できない、
というように断言されておられました。
日本の建築学の中枢にいられる先生からのお言葉なので、
そのように素直に受け止めさせていただいておりました。

なんですが、その周辺的象徴デザイン装置として「注連縄」があります。
どうも最近、この注連縄の「デザイン」の違いについて興味が募っています。
まことに全国各神社で個別デザインのオンパレード。
大きなグループ分けは可能だけれど、個別の違いも大きい。
たくさんの神社建築写真がありすぎるので、いわば代表選手的に
上から出雲大社、北海道神宮、そして相模国一の宮・寒川神社であります。
まぁ神社と言えば、伊勢神宮が中核中の中核でしょうが、
ご存知かと思いますが、伊勢では内宮・外宮とも注連縄はない。
榊がそれに代替するとして位置づけられているそうです。
そのこともまことに興味深いなぁと思っていますが、一方で伊勢のすぐ近くに
有名な「夫婦岩」があって、その夫婦は注連縄で結ばれている。

どうもこれの印象が強烈で、地域全体の「注連縄」の代わりではないのかと
思い込んだりする次第。「あれがあるから、ウチはいいだろう」と伊勢は考えた?
歴史年代を通してこの縄は波濤に耐えてきたのですから、
その継続管理努力たるや並大抵ではないだろうと思います。
伊勢地域全体を「引き締める」ような役割を果たしてきたのかもしれない。

おっと、横道にそれる。で、上の写真の注連縄群。
出雲と北海道神宮は、どうもでっぷりとした中太り横綱系のデザイン志向。
わたし的にはこの流れが「正調」と思っていたのですが・・・。
出雲の写真は「神楽殿」ですが、拝殿のものも同じデザイン。
初めて見たのは神楽殿で、その圧倒的な重量感に「おお」と感動した。
神社史からも最古参級の出雲に対して最新の北海道神宮の注連縄は、
上にオマケで俵が乗っかっているデザイン。
こういうのもほかであんまり見たことはない。
開拓の願いを込めて、地域の物なりがよくなるように願掛けしたのでしょうか?
注連縄本体は、出雲とは違ってねじれの少ないシンプルな中太りデザイン。
両端部分に組み紐的な飾りがつけられているのは、ご愛敬か。
で、関東、相模国の寒川神社では、注連縄は真一文字。
気持ちいいほどの「一本気」を感じさせるデザイン。
静岡県の三保の松原の御穗神社(下写真)でも同様の注連縄だったので、
「東海」地域のデザインであるようにも思われるのですが、さて。

神社の注連縄ってその場で「見比べる」ということは出来ない.
「お、注連縄か」と認識する程度で、オリジナリティに気付くことはそれほどない。
わたしは「地域住宅雑誌」を発行し続けてきたので、
こういった地域ごとの「文化の違い」ということが、どういう文脈なのかと
考えることが習慣化している部分があって、地域偏差がどうも気になる。
行方が心配・気がかりな「GoToキャンペーン」ではありますが、
健全な旅行観光の目玉としての神社仏閣の建築周辺デザインについて、
みなさんのご意見もうかがえればとブログに書いて提起する次第です。
お気付きの点を、ぜひ教えてください、どうぞよろしく。

【DNAの不思議なナゾ 人は「縁」を生きる?】


北海道は日本の他地域からたくさんの「移民」が集まって成立した。
「核家族先進地域」と評した人がいたけれど、
初期北海道に、「仏壇を背負って来た」ような家は多くはなかったのでしょう。
大多数は「一旗揚げて郷里に帰る」というメンタルで北海道に来ていた。
祖父は出身地(広島県福山市郊外)と北海道で「分骨」して眠り、
父親がはじめて北海道だけに「骨を埋めた」。
わたしは北海道ネイティブの第2世代。
ただ、北海道人というのはそういった出自を背負っているので
自ずから、北海道以前のルーツについて関心を持つのかも知れない。
あるいは逆に無関心を強く通そうとするのかも知れない。

写真は家族旅行で訪れた「瀬戸内海」の様子と高速道路図。
道路図は淡路島から徳島上陸後、高松自動車道・津田の松原PAで撮影。
このPAの先には「さぬき三木」というICがある。
瀬戸内海を挟んで播州平野には「三木」というICもある。
姫路周辺には三木家ゆかりの古民家などが集中している。
家系伝承では、尾道近辺、福山や四国の愛媛県地域、讃岐地域などに縁があり
瀬戸内海地域で遠くは「河野水軍」の一翼として活動していたと。
そして1440年代に播州の飾磨という湊地域に根拠地を持つに至り
地域の「赤松氏」との縁を深めていったという。・・・
で、行って始めてわかったのが、このPAが「津田」の名を冠していたこと。
なんとカミさんの旧姓は「津田」なのです。
「三木のとなりに津田かよ」と家族で大笑いした(笑)。う〜む偶然か・・・。
DNAの古層でなにか沸き立ってくるように「縁」がざわつく感じ。
こういう「縁が身近」という雰囲気は、北海道では強くは感じない。
祖父や父が住んでいた、自分がそこで産まれたという土地に対しても
格段の「ゆかり」を強く感じたりはしない。
むしろ「通り過ぎてきた場所」という感覚に近い。
これは、個人的には「湿度」が大きく関係しているような気がしている。
北海道地域は基本的に「ドライ」であって、空気に重量感がない。
縁のある土地でも、基本的に空気流動性が良くて、
どんよりと定置的な重量感が希薄なのだと思ったりする。
一方で瀬戸内臨海地域では、海を渡る風も湿潤で、いかにも感情がこもる。
そういった空気感の中で、感受する事物に感じ方の陰影が濃くなる。

いずれにせよ、数度家族旅行で訪れたけれど、
カミさんもこの空気感には自然に浸れるような感覚を共有している。
DNAのどこかの部分が、いろいろな「刺激」を全身で受け止めて、
まったく意識下で反応を見せているのかも知れない。
人間はそういうDNAの意識下の気分に導かれる部分があるのではないか。
未知な謎めいた「気配」に素直に従いそうな自分がいます。
あ、これは別に「GoTo」キャンペーン協賛記事ではありません(笑)。

【庭の美vs自然の美 in北海道】


新型コロナ禍がふたたび不気味な猖獗を見せています。
やむなくSTAY-HOME的な暮らし方で対応することが広がってきて
「庭」への興味関心が高まっているとされてきています。
Replanは北海道を基盤とした住宅雑誌として、
さまざまなテーマを「全国誌」とは違った視点、地域の注文住宅づくり
という視点から考えてきている雑誌です。
地域雑誌とはいえ、その地にふさわしい「深みのある暮らし方」を希求する
多くの注文住宅ユーザーの心理に即したテーマ展開を心がけて来ました。
そのなかで、庭というテーマはなかなか悩ましい領域。

北海道は本格的に「都市」が営まれ、現代的住環境が作られてから
それほどの時間の蓄積がない地域。
200万都市札幌であっても、まだまだ「空隙」の余地が大きく、
年間6m積雪という条件から、残余地の割合がまだまだ大きい。
庭は基本的には「塀」で区切った私有地内で人工的緑を造営する営為。
札幌も日本の一部とはいえ、ものの数十分クルマを走らせれば、
大自然が原始の環境を開放的に見せてくれる。
その魅力の前で人工が果たして敵うものかどうか、ギモンが多くの人にある。
塀で隣接地との間を区切ると、除排雪に困難が伴う。
年間積雪6mを越える地域として、除雪のしやすい平坦な建築同士の空隙が
求められるという事情が大きいのかと思っています。
たとえば上の写真のような「お屋敷」の庭の植栽群に常時1−2mの
積雪があったとしたら、その雪の管理は非常に難しい作業を強いられる。
複雑繊細な「枝ぶり保護」のために雪囲いをしても、
その年の積雪荷重が予想を超えていった場合、破断も避けられない。
そういう危険を覚悟してまで、造園にお金を掛けるのは合理的ではない。
従って繊細な庭造りという志向は弱くならざるを得ない。
ちょっと目を向ければ、都市のごく近くにすら原始の森も保全されて
すさまじいまでの「自然の美」を堪能することが出来る。
下の写真は最近よくご紹介している札幌市中心部の円山自然林。
新型コロナ禍でわたし的に地域再発見は進んでいるのかも知れない(笑)。
札幌市中央区で都心から2−3kmに原始のまま保全された自然がある。
写っているのはカツラの巨木が3本、自然のママにある様子。
幹の途中から上は破断しているけれど、それはそれで
荒々しいこの地の気候条件そのものを表現していて、厳しさの美がある。
箱庭ではない、自然だけが造形できるダイナミックな美感の世界。

しかし一方で、上の写真のような箱庭も、
建築が意志的に造形した、という美感を強く感じさせてもくれる。
この両方の「美感」の間で、まったく新しい「庭の美」というもの、
環境と共生しながら楽しめる「建築的な美感」というものもあるかも知れない。
花鳥風月という日本人的世界観、美感が北海道という大地で
どんなふうに花開くことが出来るかどうか、その可能性は興味深い。

【札幌円山自然林「オオウバユリ開花」宣言】


毎朝の散歩道で楽しませてもらっているオオウバユリ、
ここ数日でほぼすべての群落で各個体がいっせいに「開花」しています。
写真のように、いかにも「ユリ」の花の一種族であることがあきらかな花弁ぶり。
下の写真のような「群落」として目立ってきた次第です。
こういう状態になると、多くのみなさんが足を止めて観察される。
きのうも中高年のご夫婦の散歩中に遭遇。
わたしが「定点観察」している様子をご覧になって話しかけられてきた。
「これは、ユリですよね?」
「そうです、オオウバユリという自然保護された自生植物ですよ」
と、その根茎部分に堆積するデンプン質がアイヌのソウルフードだと説明。
いたく関心を示されたので、つたない説明をさせていただいた。
「いったいどんな味覚がするのでしょうか?」
「一度、苫小牧駒澤大学でのイベントで食べたことがありますが、・・・」
と話したら、目を輝かせて興味津々。
「わたしの味覚からすると、やや淡泊すぎて」と。
おふたりともワクワクと、強く興味を持っていただけたようでした。
お話の感じでは、北海道在住者ではなく本州地域から転居されて早々の様子。
この円山自然林の「価値」について認識を新たにしてくれたようでした。
地元人間としては、このように情報拡散できることはウレシイ。

群落は円山のふもとの川辺に沿って自生している。
たぶん和人社会がもっと興味を持っていたら、栽培食物として
DNA改造に着手して畑で大量生産させたものかも知れないけれど、
歴史経緯としては、そのようになされることはなく、
まるで円山自然林の「シンボル」的な存在として存続してきた。
写真のような、やや疎とはいえ、けっこうな密集群落ぶり。
こういう状況を見て栽培食物として利用しなかったことがやや不思議。
アイヌの人々も一定の耕作は行っていたはずですが、
そういう興味からもややズレがあったのかも知れません。
ただ、自生地は湿潤が条件なので定住地周辺には適さなかったのか。
たしかにソウルフードではあったけれど、主要デンプン質とまではならなかった。
アイヌの食習慣というか、婚礼時に「コメを山盛りでたべる」という
「伝統」があったとされていますが、
和人社会との「交易」でより刺激的な「コメ」文化に遭遇することで
地元の食材としてそこまでは有用性を持たなかったのでしょうか?
そういった文化経緯を経ていまわれわれは、
ごく自然で悠久な大地のいとなみを現代でも体験できている。
オオウバユリの群落が200万都市の中心に近いところで触れられる。
このことの方が、社会文化としてはきわめて価値が高い。
個人的にはそのように考えてきております。
夏の札幌。ビヤガーデンもいいけれど、こういう自然植生も楽しんでいただければ。

【床の間・縁側はDNA的日本人美意識か?】



きのうの続きです。
播州・福崎町の古民家・三木家住宅の「ハレ」の空間。
姫路藩の「大庄屋」として、藩主とか代官とかを接遇する「間」がある。
日本住文化ネイティブのような「南面座敷」であり、庭が造作され
その眺めを、床の間・床柱を背にして茶を喫しながら愛でる。
そういうような武家的精神生活表現として、典型が形成された。
北海道住宅ではこういう「和のデザイン」要素は
ごく初期には「日本伝統文化移植」として一部でつくられたけれど、
そういう文化性以上に本来的な「住性能」に興味が圧倒的集中した。
そもそも「格式重視」という「伝統規範」圧力が社会的に形成されなかった。
新開地である積雪寒冷地域では、住人がほぼ全員「移住者」であり、
伝統もなにも、「仏壇を背負って」移住したようなケースは稀だった。
そういった「家」意識は本州社会に残置させて新天地が北海道では展開した。
伝統規範形成より前に、ここで安定的に生存できるかどうか、
根源的生存環境の克服のほうが緊急的だったのだ。
とくに「縁側」という空間はその過程でほぼ棄却されてしまった。
それに伴って日本的な「庭」空間意識もまったく変容せざるを得なかった。
ごく初期に南面する庭と縁側という「伝統スタイル」を作った住宅では、
半年、積雪に閉ざされた庭を「柱が積雪荷重で折れるのではないか?」と
不安にハラハラしながら「眺める」ということになった。
縁側はヘタをすれば冬にはスケートリンク状態にもなった。
・・・というやむを得ない事情から縁側という日本住文化の
清華のような空間が、北海道ではまったくキャンセルされてしまった。
外部と親和する半外部という存在は忘却の彼方へ飛んでいった。

そういう寒冷地では、住意識では居間中心の大空間化が進展した。
熱環境的な必要性から、空間はなるべく一体的な環境が志向された。
そうすると小間割り思想からの座敷需要も激減し「床の間」も消滅する趨勢。
・・・で、そういう「住宅革命」を経過した新常識を持った北海道人は、
めずらしきものとして写真のような空間を「愛でる」ことになる。
写真のような「暮らし精神」を異郷風景として見るようになっている。
一方で明治以降の「都市化」「文明開化」的な「洋風志向」も
公団住宅LDK文化として日本本州社会全般でも同時進行していったのでしょう。
結果として居間中心型の住文化に移行したのが日本の主流だろうけれど、
その由縁にはこの2つの方向性があったのだと思う。
やはりこうした空間には、蒸暑の夏への対処法が示されていて、
縁側では、緑や周辺環境に対して「開放的」なライフスタイルが明示され、
蒸暑気候を耐えるため庇の長い軒の出での日射遮蔽が工夫された。
一方の床の間空間では「心を静める」みたいな精神性が追究されたように思う。
心頭を滅却すれば火もまた涼し、というような禅的心境で
ここちよい「薫風」が床の間付きの室内に涼を呼ぶ、みたいな。

で、日本人的精神性という部分、北海道人はこの「空間対応」でズレがある。
いわば日本文化として蒸暑気候対応の積層した住文化に対して
受容すべきかどうか、ふと迷ってしまう自分がいるのですね。
「いいけど、北海道じゃムリだよなぁ・・・」という内語はやむを得ない。
そこから北海道での「高級住宅」のしつらいについて、悩むことになる。
しかしこういう寒冷と蒸暑の対話から、次代の「空間性」が始まることもトレンド。
考えてみるとオモシロい住宅の歴史時間にわれわれはいるのかも知れない。

【DNA的出会い・兵庫福崎「三木家住宅」取材】




新型コロナ禍で生活している地域から他地域への移動行動がしにくい。
一時的な移動は別にして、広域への「取材紀行」が難しくなっている。
わたしの場合、仕事で各地域を訪れそこで地域を深く知るために
その地域の「古民家」を取材行脚するのが、ライフワークになっていた。
それがすっかりこの半年以上、叶わなくなってしまっていることに気付く。
写真を整理整頓する習慣があったことも半ば忘却していて
2019年度途中で中断し、更新されていない。・・・。
新型コロナがまた猖獗し始めたことで、再びそういう機会は遠のいてしまった。
たまたまご先祖探索を継続している兄と久しぶりに話し
この写真の兵庫県福崎町の「三木家住宅」のことに話が及んだ。
この古民家はわたしの直系家系と400年ほど前に枝分かれした家系が
江戸期を通して住み継いできた「大庄屋住宅」。
福崎町では「兵庫県指定文化財」として保護されてきていて、
3年ほど前に「復元工事」が完成を見ていた。
その様子、写真は細部まで撮影していて記憶はすぐに再生できる住宅。
いろいろな「縁」を感じて、もう7−8回は訪問し続けている。
で、町の教育委員会がこの古民家の復元に先だって1999年に
「三木家住宅総合調査報告書」「文献民具目録」を上梓してくれていた。


この記録も日々の忙しさにかまけて、入手してから3年以上経つのに
目にすることがなかったのが、兄との久しぶりの会話機会で思い出し、
目を通し始めてみた。・・・その丹念な調査活動ぶりに驚かされ、
遠縁のひとびとの生きた「肉声」のようなものまでが胸に響き渡ってきた。
なんと、わが家家系の文書にも同名の人物が書かれていることも発見・・・。
記録に残る生存年代もほぼ同じであり、周辺的な事跡まで符合している。
本格的に調べないとイケない。ヤバい。深みにドンドンはまる。

播州と尾道周辺という、距離にして150km超の遠隔地ですが、
しかし瀬戸内海運というのは、想像以上に活発な交流圏でもあった。
同族血縁という関係性は、想像以上に強い紐帯で繋がっていたとも思える。
わたしの父親、大正から昭和を生きた世代ですら、
遠隔地の「地縁者」でも生きるための「縁」として大きなファクターだった。
どちらかといえば、商業者と思われる生き方をしてきた家系にとって
その地縁をさらに越える「同族」連帯意識は、きわめて大きかったと推測できる。
さらにことし、息子はある全国企業に入社して、なんと先祖と縁の深い
姫路市英賀保のすぐそばに住み始めている(笑)。
どうも、縁は時間をはるかに超越して巡ってくるのかも知れない。
DNA的な不思議さに驚かされているのですが、それにつけても、
新型コロナの社会「分断力」のすさまじさに深く無念を感じてなりません。・・・

【経済活動中心・東京に不安状況】

実相の定かでない不安の恐怖をまき散らす新型コロナウィルス。
ふたたび東京を起点として、日本の経済再開の足下を揺るがしている。
PCR検査の拡大に伴って、夜の街クラスター関連での感染例が不気味に上昇。
2日連続で200人超という上限張り付き傾向のアナウンス。
首都圏隣接各県などでもその影響から、漸増傾向。
危険回避という心理が強まってくるのは致し方ないところ。
また日本だけで経済回復といってもやはり世界との人的交流の制限が
本格的再開の足かせになることは避けられない。
一方北海道内の状況は、きのうの北海道新聞では要旨以下の通り。
「道と札幌市、新たに6人が感染 新型コロナ」
〜道と札幌市は10日、新型コロナウイルスの感染者を新たに6人確認したと発表した。
感染経路不明は4人。道内の感染者は計1272人(実人数)となった。
道内の日別の新規感染者が5人を上回るのは2日以来8日ぶり。
6人のうち4人は札幌市内で確認。市によると、会社役員の60代男性と非公表の1人の
感染経路が不明で、職業非公表の60代男性と60代女性は同居家族。
会社役員の男性は6月22日以降に東京滞在歴があったが、夜の接待を伴う飲食店は
利用していないという。市は「都内で感染した可能性がある」とみている。〜

こういった制約の厳しい中で、可能な活動でどこまでできるか、というのが今。
停滞状況、不安定状況は覚悟していくしかないのでしょう。
なんとも難しい局面だなぁと思わされます。
日本の地方はやはり東京との関係が最重要でまさに生殺与奪の部分。
地方だけでの経済活動には限界がある。
ちょうど世界に日本全体が制約されるのと同様に、地方は東京に制約される。
極限的な停滞を余儀なくされている旅行・宿泊関係業界への
支援策として「GoToトラベルキャンペーン」が7月22日からとアナウンス。
しかしここから2週間で状況が好転してくるきざしは感じられない。
いましばらくは、あまり打てる手はないのかも知れません。
まずは顧客先、スタッフその家族の健康最優先で企業活動はその制約範囲に。
ホント、手探りのような状況。共存共苦というスタンスで慎重対応でしょうね。

写真は円山公園の明治開拓以前からとおぼしきヤチダモの巨木。
自然のかわりなさがひととき、心の平安をもたらせてくれています。