
きのう、十勝から帰還いたしました。
1泊2日での移動ですが、
行くたびに、ほかの地域と十勝との違いを痛感いたします。
先住民族としてアイヌの方たちもいるわけですが、
北海道は、主に本州地域からの移民によって構成されています。
で、その移民ですが、
いくつかの流れがあると思います。
函館を中心にする道南地域は、江戸期からすでに
多くの自主的な移民が多かったのに対して
それ以外の地域では、基本的に明治以降に植民が進んだ。
で、札幌や旭川を中心として地域では、
開墾を、囚人労働力で行った地域も多く、
そのあと、あらかたの伐採作業が終わった地域を
本州地域から、農業経験の豊富なひとびとを優先的に入植させた。
比較的に、「管理された」開拓が行われたと思います。
それに対して、道東地域・十勝では
依田勉三さんという民間人が、晩成社という開拓団を組織して
独自に開拓を行ってきた歴史がある。
不思議なもので、北海道開拓の基本構想はケプロンさんの建白書ですが、
そこでは米作は不向きなので畑作中心に行え、
とされていたのに、管理された開拓地域ではそれが実践されず、
米作を中心にしていくようになる。
たぶん、米作農家の入植が多く、かれらは日本人として
米作への希求を捨てきれなかったのでしょうね。
一方で、十勝地方では、管理もされていなかったのに、
畑作中心の、ケプロンさんの建白書どおりの開拓が行われ、
いまや、農家所得が他地域と比べて格段に高い、農業王国が実現した。
そして、こういった地域体験が、
独特の「十勝モンロー主義」とでも言えるような
気概や、人間性を生み出していると感じます。
住宅建築でも、
それ以外の地域が、日本的住宅デザインへの郷愁を色濃く持っているのに対して
十勝では、北米的2×4住宅デザインが
多くの人々から自然に受け入れられている。
日本的感受性を超えて、むしろ合理精神が鍛えられていると思います。
このあたり、まだ、意識的にそのような分析なりアプローチはない。
十勝に、建築系の大学がないせいか、
そういった北海道内での地域的デザインの違いについて
研究しようという動きは育っていないと思います。
しかし、確実に、このような変化は十勝で起こっている。
まぁ、しかし、十勝は広い。
写真は、帰り道、芽室の「円山」という場所から一望したもの。
西側は日高山脈、北側は東大雪の山並みに大きく区切られた
台地状地形に、広大な十勝平野が広がっている。
平野を潤す河川も太く長い。
帯広を中心にして、おおむね人口規模は36万人。
独立的な文化を育むのにもほぼ適したサイズなのではないかと思います。
ただ、いま政府が進めている農業自由化、国際競争の激化、
という方針への転換によって、
この地域がどのような変化を遂げていくのか、
不透明な状況になっていくのでしょうか?
Posted on 11月 25th, 2010 by replanmin
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写真はきのう、講演を依頼されて行った
帯広の「とかちプラザ」です。
ちょうど、駅南口側は、再開発されていまして、
とはいっても主に、長崎屋の商業施設と、
市の図書館、ホテル、信金の社屋、この建物などで構成されている街区。
たっぷりとした敷地が確保されて、
これから帯広の街の雰囲気を代表する景観になっていくのでしょうか。
信金社屋と図書館は、ガラスとレンガでイメージが統一されていて、
そのようなデザイン要素に帯広を染め上げる意図が感じられる。
悪くはないけれど、さて受け入れられるのかどうか。
で、この建物は、イメージはほぼガラスと鉄骨。
なんですが、外観の印象とは別に、
このガラスと鉄骨は大きな吹き抜け空間を構成するのが主用途。
内部にはいると、がらんとした大空間が展開しています。
むしろ、アトリウムですね。
建築空間は奥の方に一般的RC建築が立ち上がっています。
こういったコンセプトの建物は、
たぶん、全国で建てられているのでしょうね。
わたしの知りうる範囲でも、仙台メディアテーク、
盛岡駅前のアイーナなど、東京ではそれこそ、こういうのは多い。
日本の建築文化のなかで、ガラスを多用した建築は
いま、ずいぶんたくさん建てられている。
ひとつのプロトタイプがあって、
それを繰り返し採用することで、面としての文化になる。
たぶん、公共的建築の設計採用基準というもの、
だれかの主導的意見で、現代の美が統合される方向に動いていく。
十勝は冬場の日照が飛び抜けていいので、
寒さへの防御性よりも
光の取り入れの方に大きなメリットがある、ということなのでしょうか。
そういったことを、このデザインは表しているのか。
それとも「公共建築」というイメージから、
「透明性」ということが設計表現上、大きなテーマになるものなのか。
まぁいろいろに考えられるところですが、
さて、冬場の暖房用光熱費はどれほどになっているのか、
すこし、興味を持たざるを得ないところ。
日射取得することきはたぶん、少なくて済むと推測できますが、
曇天時から、雪の時など、
どれほど掛かっているものか。
それと、そういったことを含めて設計コンペの
判断基準ってどんなものだったのか、
知りたい欲求に駆られます。
まぁ、こういうアトリウム空間は北国の生活者としては
憧れの気持ちを持つものであり、
建築体験としてはすばらしい。
よく東京にある、壁面全部がガラスというような建築で
日射時は、ことごとくブラインドで遮蔽しているのが多い。
っていうか、日射時が強烈すぎるので、
常時、ブラインド遮蔽している。
それで、エアコンで強制的に温度を下げている。
街中、ガラス面からの反射で、どんどん高温化する、
っていうような光景が展開しているので、
このようなデザインの建物って、
いったい、どうなっていくものか、不安でもあるのです。
みなさん、どう思われるのでしょうか?
Posted on 11月 24th, 2010 by replanmin
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仕事で、いろいろな住宅を巡り歩くウチに
当たり前ですが、
そこにはそれぞれの生き方があって、人間が暮らしている、
っていうことが、みえてくるようになるものです。
そして、個性的に生きたいというような住宅を見ていて、
より「人間」的な部分を、住まいから想像するようになります。
そうすると、時間を超えて、
古民家などに、「取材」的な態度で接するようになってくる。
よく見ていくと、こういうことは、
細部に明瞭に現れたりしてくるようになる。
そういった発見が、面白くなってきて、
古い人間痕跡に、興味が募っていくようになる。
まぁ、そんなことから、写真のような復元住居も好きになっていったのですね。
これは、天塩にあった檫文時代(日本の平安期にほぼ相当)の
竪穴式住居です。
周辺は、日本最北の大河・天塩川河口であり、
漁業的資源には事欠かなかった場所。
そして、カヌーのような丸木船や、外洋航行も可能な船も操っていた
かれらにしてみると、生活の拠点としては
まことに好立地なのですね。
この時代には、すごい大きな集落が営まれていたのではないかと、
想定されています。
ちょうどいまの時代にわれわれがクルマを操るように
かれらは、自由自在に船を操っていた。
そして「交易活動」は、狩猟採集と並んでかれらの基本的営為だった。
日本史の記述でも、
秋田地方や、宮城県地方などに、
この時代の北海道人が来襲したとする記述が見られる。
交易活動には、トラブルも付きものだろうし、
そういった利害関係を清算する意味合いの戦いも多かったと思われる。
かれらは文字を持たず、歴史を記述する意志を持たなかった。
アジアの歴史の中では、中国に発祥した文字記録の世界・社会が
北方「蛮族」と対峙しつづけて来たのが基本的な流れだったと思われるけれど、
日本史においても、その要素はあったと思う。
ただ、元や清のように中華に王朝を樹立するような動きではなかった。
そういうものは、かろうじて、
平泉藤原氏が、そうなる可能性を持っていたけれど、
日本においては、そのようなダイナミックな動きはなかった。
けれども、北方との関係は常に日本史の中で、
ある一定のレベルの影響をもたらしてもいた。
そういう部分が、これまでの日本歴史記述の中に十分に反映されているとは言えない。
そんな思いで、
ひたすら、北方の世界の発掘にこころが向かっている次第です。
さて、本日は帯広で講演を頼まれまして、
これから、クルマを駆って出掛けます。
きのうは、季節外れの雷、雨という天気でしたが、
まだ、北海道、ことしは雪の訪れが遅いようです。
でもまぁ、慎重運転で行ってきたいと思います。
Posted on 11月 23rd, 2010 by replanmin
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金曜日、朝、直行だったのですが、
いつものようにパソコンを肩掛けのバッグに入れて
わが家の階段を下りたところで、
なんと、肩掛けのひもの接続プラスチック部分がはずれて、
あややという間に約1m落下して、階段踏み板に衝突いたしました。
その瞬間の衝撃部位としては、パソコンの短辺部分の目視結果。
時間が迫っている、けれど、これはまずい。
ということで、時間をやや遅らせても、
チェックしなければと思いまして、
事務所にいったん向かって、そこでパソコンを取り出して
起動させてみました。
ラッチを開けるのに、ひっかりがあって、
焦っていたので、そのときは気付かなかったのですが、
どうも、その部分は物理的変形がわずかにあったようです。
遅い、どうも起動に時間が掛かり気味であります。
普段の3倍くらい掛かっている。
そのうえ、一瞬ですが、起動画面に恐怖の画面が・・・。
白黒で、なにやら、表組みのような模様が現れました。
が、ほんの一瞬で、その後、
なんとか、デスクトップが表示され、
通常通り、立ち上がりました。
ブラウザーとメールと、若干ソフトを立ち上げてみましたが、
特段の問題はなさそう。
ということを確認してから、何度か、再起動・PRAMクリアなどを
施して、おおむねの無事を確認いたしました。
で、所用先に向かい、帰ってきてから、再度起動させても問題が出ない。
そういうことで、夜、自宅に戻って再度チェック。
こんどは、落ち着いていたので、
まず、ラッチ部分に物理的変形圧力が加わって
開閉に問題が発生していることを確認。
それはなんとか開けることが出来て、
その後、OSのDVDから起動させて、HDのチェックを掛けてみました。
その結果は、問題がないというご託宣。
HDには問題がなければ、データはすべて問題はない。
ほっとひと安心であります。
起動も、何回か行っているウチに通常的な時間に復帰している。
衝撃はあったけれど、機能不全になるようなものではなく、
一時的なショック症状と、見られる。
まぁ、長期的に見れば、死期はいくらか早まったのは
間違いがないだろうけれど、短期的には影響は少ない。
っていうように結論づけることが出来ました。
であれば、あとは、物理的変形の問題であります。
向かって、左手前角付近にわずかな、2〜3mmの浮きが発見できました。
それが、開閉部分の金具に微妙に影響を与えて
開閉不良の原因になっている、という推定ができました。
いま現在も、このパソコンで作業しているわけですが、
まったく問題はありません。
ただし、これからラッチを閉じて、バッグに入れて移動して
っていうようにするときには、開閉時の問題が発生する。
また、変形部分のわずかな浮き場所から、
パソコン内部にゴミとかの侵入は避けられない。
土日に掛かったので、パソコンレスキュー屋さんは休み。
本日連絡してみて、可能であれば、物理的な修復を試みたいのですが、
まぁ、仕事の進行もあり、
日程の調整が可能かどうか、影響はありますね。
いまや、パソコンはあらゆる仕事のベースなので、
不都合があると、大変ですね。
バッグは、これを機会に替えて、より安全な保護機能のものに
変更したいと思います。
まぁしかし、大事に至らなくて本当に良かった、でした。
Posted on 11月 22nd, 2010 by replanmin
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アース21という地域工務店のグループでは、
年に1回、独自の雑誌を作成して発刊しています。
その編集作業に、参加しております。
まぁ、出版自体は当社が代行・サポートしているわけですが、
あくまでも、編集作業はアース21メンバーの責任作業であります。
長い期間、関わらざるを得ないので、メンバーのみなさんの労力は大変です。
編集の作業って言うのは、
企画のアイデア出しから、進行管理、連絡、
取材の交渉、スタッフ構成、段取り仕事、
写真・テキストの進行管理、レイアウトデザイン、
印刷工程管理、全体予算管理などなどがあります。
このほかにきわめて重要な仕事として、広告予算監理がありますが、
まぁ、こっちは「広告」セクションの領域。
これだけでも、ゆりかごから墓場まで、さまざまな作業が出てくるモノなので、
一回関わると、家を建てるのと同様の作業手間に
みなさん、びっくりされるものと思います。
で、そういったプロセスを経て
出版にいたるものなので、
そのぶん達成感があり、独特の高揚感を得られるものです。
やはり、「ものづくり」という部分なのですね。
ことしの雑誌では、はじめて参議院の国会議員さんたちとの
「懇談会」まで仕掛けて、その模様も収録しました。
参加する、ということもかなりの労力になっていたわけで、
そういう意味では、みなさん、
「やったなぁ」という表情がさわやかであります(笑)。
人に見ていただくと言うことで、
自社の建てた住宅についての写真表現も、
ずいぶん、気を使われるようになって、
格段に、ビジュアル的な部分も向上していくものです。
やはり、いいものををつくっているのなら
その表現にも、大いに気を使って、
それを美しく伝えていく努力も大切だと思います。
それがものづくりの大切な、「コミュニケーション」の部分。
だんだんと、表現のディテールにまで気遣いが見られるようになってきて、
面白みも感じてこられている様子です。
まぁ、そういった総体が、世の中に対するアピールなのであり、
出版と言うことの意味なんだと思います。
生まれ出るのが楽しみだ、という気持ちが持てるのはすばらしい。
Posted on 11月 21st, 2010 by replanmin
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忙しさにかまけて、
わが家には、うるおいというものが不足しているのでは?
っていうことで、先日、ふと再発見していたのが
ごらんのシーサー置物。
沖縄で娘の身の回りのこととかを心配していたころに
買い求めていたもので、
かわいいなあと、買ったのはいいけれど、それ以来4年くらい、
まったく置き場所を得ていなかった。
わが家は、もともとはしっかりデザインされていた建物だったのですが、
職住一体の建物で、仕事の方が予測よりも大所帯になって
増築したりしたので、しわ寄せで玄関は結局、狭くなってしまっておりました。
その後、仕事場の方は結局、別の場所、ほんの5百メートル距離に
新築移転したので、その残骸がちょっと広すぎる自宅として残ったもの。
そのうえ、仕事が忙しくて、家のことを考える時間とゆとりが持てないまま・・・
っていう、よくあるパターンなんですね(笑)。
前振りが長すぎですが、
ようするに、ようやくにして、シーサーたち、
わが家の玄関先に置かれた次第です。
シーサーですから、やはり門とか、入り口とかにいるのが正しい。
で、考えた末に、階段の衝立的な部分の上に置いたのです。
でもそうなると、スペースは狭くやや不安定でもあるので、
足下前後に、枠のようにした小木材を木工ボンドで造作してみました。
万が一、荷物移動の時などでも、
シーサーを移動できるし、また、玄関ドアの開閉時の振動などで
ずれていくようなのも押さえられるのではないか、
そんな工夫をしてみた次第であります。
で、家に帰ってくるとにっこりシーサーが迎えてくれる。
家を出るときには、
「いってらっしゃい、ヘンなヤツが来たら噛みついてやるから、安心しな」
みたいな表情で送ってくれております。
家をことを考えるというのは、
好きなんです、本当は。雑誌を創っているくらいなんで(笑)。
でも、忙しくて、自分の家のことはあんまり考えられない。
パラドックスであります。
こうやって、ほんの小さなことを考えることが出来て、
ややバランスを取り戻したような気がいたします。
前にはよく、仕事の空間でDIY的に作業環境を自作したりしておりました。
そういうことを考えている時間は、本当に大切ですね。
最近は、日本全体がこういう種類のゆとりを失っているのではないか。
景気とか、経済とか、政治とか、
どうしてもそういうことで、不満や不安が襲ってくるのですが、
少しでも心がけて、身近な整理整頓を考えていきたい。
しあわせは、結局、身の回りの小さいことから、でしょうね(笑)。
Posted on 11月 20th, 2010 by replanmin
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きのう夕方、当社2階のオープンルームで
表題の会合が行われました。
このプロジェクトは、GW相当で壁厚300mm断熱の住宅を建てる
という画期的な取り組みを行っているグループ。
中心的には、建築家の山本亜耕さんがまとめ役になっているプロジェクトです。
壁の断熱では、通常のGWを軸間に100mm充填し、
その外側に、新開発の90mm厚の発泡断熱材を付加断熱するもの。
性能的に、壁300mm断熱レベルに達するのです。
でもまぁ、実際に90mmの断熱材を付加するというのは、
在来木造構法住宅としては、施工的には実質的に初めての試みになるので、
試行錯誤を重ねながら、技術標準の開発をしながら出来たものです。
山本さんの言葉で言えば、
1年以前に取り組んだ高性能住宅が、
どうしてもコストアップせざるを得なかったことをスタートに、
どうすれば、コストを上げずに性能の劇的向上を図れるのか、
そういう志でのプロジェクトなのです。
木造建築の工務店から、温熱環境熱計算の専門家、
資材の生産者、暖房器具の生産者などなど、
今日の北海道住宅技術の最先端のみなさんの結集体。
北海道では、いまや、こういった技術要素を組み合わせて
住宅が考えられていく必要があるのだ、ということが実感できる。
まずは、基本的な「駆体」の性能をどう担保するのか、
ということが大前提。
住宅は、永く存続していくべきものであり、
もっとも変化しないベースを作り出す必要性がある。
その上で、出来上がったエネルギーを充分コントロールできる環境に
似合った、ベストマッチの設備機器を検討していかなければならない。
より小さいエネルギー出力、具体的には
微少燃焼という暖房設備というのは、
逆になかなか難しい技術なのだと言うことも見て取れます。
そして、こういった各分野についての
建て主さんの理解力も必要になってくる。
日本では、注文住宅が基本であり、
基本的なデザインや、間取り、仕上げなど、
個別のオリジナリティを求めるユーザーが多いのが現実。
そういうなかで、ユーザー側でも、
こういった技術の組み合わせに対する価値判断力のようなものが
徐々に育ちつつあるのだと、感じられます。
注文住宅とはいっても、その表層的意匠性にだけ目が行っていたのが
これまでのユーザー心理であったのが、
そういうレベルだけではなく、
技術要素に対しても、「作り出す」という意味合いが強まってきている。
住宅の色合いを選択するのと同じように、
室内空間の温熱的な空気質や「体感」までも、判断する感受性が育っている。
また、そのような選択が重要になってきている、とも言えますね。
そういう意味では、
ほんとうに北海道の住宅はレベルが高くなってきている。
そういうことを実感させられた会合でした。
Posted on 11月 19th, 2010 by replanmin
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先日書いた、「築90年の食事処」の名前を
同席していた金田さんからお知らせいただきました。
「お茶の間」というのだそうです。
なんか、まんま、っていう気もしてしまって、むむむですが・・・。
ありがとうございました。
さてライフワークの物語、最近も徐々に進んでおります。
とはいっても、頭の整理整頓が難しく、
遅々とした歩みではありますが・・・。
で、参考にさせていただけそうな考古的学術資料・知見が、
芋づる式に手に入ってきております。
そういうなかで、最近わかってきたのが、
平泉の「黄金文化」についての情報であります。
どうも、平泉の黄金って、その生産地が
奥州ばかりとは限らないのではないかというのです。
思わず、目が点になってしまいましたね。
さらに、奥州藤原氏に繋がっている安倍氏は、
その出自が、渤海国の王族に連なっているという説もあるそうなんです。
金の産出については、
749年に、百済王敬福という
そのまんまの出自の人間が、その配下の人々を手配して
陸奥守の副官としての官位を得て、赴任し、
現地の涌谷の地で発見し、発掘して、
天皇に献上した、という記録が残されています。
その後、かれは官位が7階級特進して、
陸奥守も拝命し、最終的には都で栄華を勝ち得たということだそうです。
金はその後も産出が続いていたことでしょうが、
その年代から、藤原氏の中尊寺金色堂までは、約400年くらいの年月がある。
金の発掘というのは、支配権力側にしてみると
大変貴重な資源であることは明白で、
この時代の金生産では、世界的にも最大の地域にはすぐになったことでしょう。
その後の「日宋貿易」では、中国側から強く金を交換品として
要求されたことは明らかです。
この時代、巨大な商業国家・宋では、
ヨーロッパ世界とのビジネスも盛んであり、
その決済手段として、金の需要が非常に大きかったという。
マルコポーロが、黄金の国ジパングと書いたのは
こういった経緯からのものであったそうですから、
いかに、平泉の金が大きい生産量を持っていたか、を表している。
そういう絶対量をまかなうには、
奥州からだけ、というのでは説明がつきにくい、ということ。
そして、現代の技術で金の生産地をあきらかにできるかも知れない、
っていう可能性が出てきたというのです。
まことに面白い説が出てきたと思います。
わたしにしてみると、まことにうれしい状況になってきたというところです。
大いにこういう動きに期待したいところです。
<写真は、アイヌの丸太船>
Posted on 11月 18th, 2010 by replanmin
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ことしも、臨時増刊にいくつかチャレンジしていますが、
11月18日発売の雑誌として、
「人の住まい 創るこころ」
と題した一冊を刊行いたします。
これは、東北・秋田の「地域一番」ビルダーと言って過言でない
五蔵舎の住宅作品を中心とした特集号です。
同社は、リプラン東北版発行以来、
ずっと紙上で住宅を発表し続けていただいてきました。
その創られる住宅は、まさに地域の作り手らしい
こまやかな感受性に満ちあふれていて
すみずみまで「ていねいに」創られている様子が伝わってくる家。
大手ハウスメーカーと地域の作り手の違いを
よく「地域を知り尽くした」という表現を使いますが、
そういった言い方が、どちらかといえば、
住宅のハード面の性能要件に近いものを感じさせるのに対して
同社の家では、その地域に暮らすひと、に大きくフォーカスしていると感じます。
角館の屋敷群にも通じるような
湿度のある、秋田の人間風土を表現しているかのようなのです。
そうした、五蔵舎の住宅作品代表作を特集した一冊です。
で、同社代表の岩野社長と話し合っている中で
尊敬する作家・倉本聰さんとの対談企画というのが
大きな希望としてあげられたのです。
まったく想定外のことだったのですが、
「北の国から」「風のガーデン」などの氏の代表作品には
北の地で、生きる拠点としての住宅建築への深い思いが
伝わってくる部分があり、
企画として進行させたところ、倉本さんの了解も得られたのです。
今回の「人の住まい 創るこころ」では、
巻頭特別対談として、倉本聰さんの住宅対談が掲載されています。
北の国からでご存知の、「石の家」や、「拾ってきた家」など、
ドラマを飾ってきた住宅について、独自の視点から、
倉本さんの「住宅論」が語られています。
お願いしたとき、二つ返事で引き受けてくれたのですが、
「いいよ、俺、建築、好きだから」
ということなのだそうです。
その言葉通り、セルフビルドの経験の数々は、
凛とした実体験の重みがあり、
聞く者のこころに響いてくる熱さがありました。
「人間の言葉を聞く」という思いを強く印象した対談でした。
その模様をまとめていますが、
氏の住宅論は、いわゆる住宅雑誌としては
ひょっとすると稀有なものであるかも知れません。
地域の気候風土に根付いてそこで暮らし続けてきた、生活者の目線で語られる、
いわば「北の地からの住宅論」としての意味合いも大きいと思っています。
東北と関東の有名書店で販売いたしますが、
それ以外の地域のみなさんには、
下の当社WEBサイトにて販売いたします。定価780円。
当社直販コーナー
一般のみなさんももちろん、とくに住宅専門家のみなさんにも
オススメの一冊です。どうぞ、ご一読いただければ幸いです。
Posted on 11月 17th, 2010 by replanmin
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最近、「細部にこそ神が宿る」というフレーズが
どういうワケか、頭のなかでリフレインしております。
たぶん、先日、1週間前に見学していた室蘭での住宅事例での
竹の紐組みの様子を見て以来、なんだと思います。
なんでもない、組みなんですが、
それが手でしか、手作りでしか実現しないのだ、
ということを理解してから、
どうしても、このフレーズが頭に宿ってしまった(笑)。
古くからの人間の手業の痕跡は、
明瞭にその時代に生きた人間のことを伝えてくれている。
木を削った痕跡であるとか、
石を砕いた様子であるとか、そういうものが
実はいちばん伝わってくるパワーを持っている。
日曜日にも、刺身のツマに出てきた大根が
おばあちゃんの包丁と手で刻み込まれている、と
看破した方がいまして、建築家の丸谷博男さんですが、
やはりそういうものかなぁと、思い至った次第であります。
建築って言うのは、結局「どう作るのか」ということなのでしょうが、
それには、「計画」的な部分から、
細部の職人さんの手仕事まで、
さまざまな領域があって、まことに複層的な評価基準が存在する。
ただ、正直に作られたモノ、
丹念に作り上げられたモノには、自然と
ある、美しさが伴っていくものなのではないか。
そういうものにおいて、その計画者の考えが、
どのように貫徹しているか、が細部を見ればわかる、ということなのか。
そんなような思いが、頭のなかにわき起こっている。
っていうようなことで、
まず、小さなことにしっかり神経を集中し、
丹念に自らを省みて、事に当たる必要を感じている次第。
そこで、本日朝、大根の手刻みに心を配ってみた次第であります(笑)。
なかなか、難しいですよね。
初めと中程は問題ないけれど、終わる頃には、
どうしても押さえるのが難しくなって大切りにならざるをえない。
神はとても宿りそうにない。
でもまぁ、ちょっと混ぜれば、それほど目立たないか、
っていうように、多少のいいかげんさが顔を覗かせる次第。
毎日毎日は、そうやって過ぎていくしかないのかも・・・必然でしょうね。
しかし、家族の健康を守り、
規則正しい生活リズムを作り出すためにも、
こういったなんでもないことこそが、大事なんでしょうね。
まだまだ、道の遠きを思わざるを得ません。
ってなんのことか、大袈裟すぎましたです(笑)。
いつか最後まで美しく、大根、刻んでみたい。
Posted on 11月 16th, 2010 by replanmin
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