


ここのところ、古民家の年代素性の順番に記述しております。
こうやって年代的に古民家をあきらかにすると、
その時代背景、歴史事実とも照合ができて、社会のありように
ある直感力が働いてくる部分があると思います。
中央権力中心地では、宗教建築や国家施設が建築された時代、
建築の先端としては、巨大な木造デザイン建築が建てられ
宮廷や貴族の建築では「床の高い」寝殿造り木造が建てられていたけれど、
平安末期くらいまでは、一般の民は依然として竪穴に住んでいた。
身分社会を表す言葉として「地下人〜じげにん}というコトバがあるけれど、
まさにそのような表現に実質があったのでしょう。
こういった住居形式に一般人はほんの1,000年前くらいまでは住んでいた。
世代で言えば、高々50世代くらいということになる。
その段階からきのう見たような、竪穴と土壁の中間形を経て
近世・江戸期にはこの建物のような農家古民家とその社会が成立した。
以下、この農家古民家についてのWEBでの情報抜粋〜
岩手県内における建築年代の明らかな古民家の中では最も古い。
現在「みちのく民俗村」内に移築復元。旧菅野家住宅は、
伊達藩域内の典型的な豪農農家です。南部藩と境を接する
口内町長洞に建てられ村役人の大胆煎(おおきもいり)を努めた家。
桁行(けたゆき)10間、梁間(はりま)6間、平面積70坪余の寄棟造り直屋。
建物の半分近くが土間(どま)で占められています。国重要文化財。
建築の際の記録から、母屋(おもや)は1728(享保13)年建築。〜
歴史事実を参照すると
この時期は徳川吉宗の将軍就任・享保の改革時期であり、
全国的に租税強化に対しての「一揆」の発生がたいへんに多かった。
たとえばわが家系調査では、その当時、大庄屋を拝命していたが、
焼討ちに遭った事実もある。農村自治の首長は板挟みで薄氷を踏む日々・・・。
この古民家では室内の巨大な土間空間の柱・梁組みの偉容が目につく。
とくに柱は自然木そのままの曲がりぶりを見せていて、
よくぞ架構を持たせてきたと感動させられます。
1本1本の構造材の曲がり特性をきっちりと把握した木組みで
移築はあったとはいえ、創建から300年の時間を耐えてきた。
江戸期もこの時期になると、構造材として利用しやすい
木材資源が入手しづらくなったのか? 曲がり材を上手に組み合わせて
その柱間をうまく木小舞、竹小舞で下地処理して土壁で固めた、
本格的な土壁構造による木造が建てられるようになった。
いや逆に、この曲がり材は高い構造強度を期待していたのかも知れない。
岩手内陸部として気候的に積雪荷重への強度を考えた素材選択だったかも。
堅牢な土壁は竪穴などの前時代住宅と比べ「気密性」の高さが感じられる。
前日までの歴史的住宅群と比較して、住宅性能的技術進化が明瞭。


薬医門(やくいもん)は1720(享保5)年の建築であることが判明。
この門は医者の門として使われたことから名がついている。
門の脇に木戸をつけ、たとえ扉を閉めても四六時中患者が出入りできるように
と言われているけれど、実態としての機能性よりも江戸期の格付様式でしょう。
建築に対しても、たとえば間口の大きさで税金を定めたり、
江戸などの人口集中地域では耐火構造として瓦屋根が推奨されたり、
このような様式で身分制を表徴させたりと、
住宅建築に対して法的権力支配が、垣間見られてくる。
今日に繋がる、さまざまな制度規制が具現化していると言えるのかも。
ただ「いつでも誰でも入れる」という機能性表現としては、
「肝煎」という農村社会のセンター機能を果たしていたことと合わせ考えると
広大な土間空間は、地域の「自治的」な集会所でもあったのかも。
ここで重要なムラ社会の取り決めについて意志決定する
「ムラ全員集会」みたいなものも可能だと思われる。
ムラ経営上の重要事項、とくに年貢問題対応が「いつも」話し合われ、
場合によっては「一揆」の話し合いなどにも利用された可能性もある。
こういう空間にいったいどんな想像力を抱くか、まことに刺激的。
心を凝らせば、300年前江戸期の人々の息づかいも聞こえる気がします。
社会発展の結果、住宅の規模と機能も大きく変化発展したといえますね。
Posted on 10月 1st, 2016 by 三木 奎吾
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さて本日も、古民家特集であります。
今回の特集では、時系列的に東北古民家の流れを跡づけてみています。
この建物は、北上市鬼柳町で発掘された約650年前の建物の復元。
今現在は、北上の「民俗村」に展示されている。
地面を掘りくぼませている点では竪穴住居の流れを汲むものですが、
いまのところ、住居かどうか確定的な判断はついていないとされる。
特徴は、風除室のような突き出し部分があること、
平面がそれまでの竪穴住居と比較して、長方形になっていること、
壁際に立ち並んでいる柱の数が多いことなどがあります。
この時期の東北ではこうしたタイプの建物がたくさん発見されている。
古代的な「竪穴住居」から、江戸時代の「農家民家」に移行する
住宅の歴史でも中間的な位置付けになる例として
きわめて珍しい復元事例だと言うことです。



土台のような材が壁の最下端に置かれている。
壁には木か竹で下地が組み上げられて、そこに粗塗りで
土壁が施工されている。
木をたくさん使うということは、急激に資源の枯渇を招いたに違いなく、
それを避けるために、こうした壁造作が一般化した。
室町期といえば、やがて京都町衆たちが土壁と間伐材利用での
戦災復興からの「応急仮設住宅」としての土壁住宅を量産した。
土壁造作は、職人の手間はたくさんかかったに違いないけれど、
戦乱によって流民化した「労働力」は豊富にあったとされ、
工法の全国的流通は、戦国大名たちの地域生産力拡大努力と相まって
相当の速度で全国に波及していったに違いない。
鉄砲の伝来とそこからの全国波及のスピードの速さを思えば、
こうした想像の現実性は高いだろうと思われます。
ちょうどこの時期は、政治的には室町幕府の初期。
前時代の鎌倉幕府・北条執権家が東北では権力を握っていて
とくに北方交易利権については津軽・安東家支配を通して
強い基盤を持っていたと思われる。
混乱期に、公家の北畠家が東北の武装勢力を引き連れて
京都へも侵攻するなど、東北からすれば都文化との接触が
本格化した時代でもあったという側面はあったと思う。
そういった政治闘争の全国規模化が、あるいは住宅における「技術」も
伝播していくきっかけを提供したのではないか。
塗り壁下地のすだれ模様には、そんな想念が沸き上がっていました。
わたし自身も、過去に見たことのない独特な古民家でした。
Posted on 9月 30th, 2016 by 三木 奎吾
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さて先日は青森県六戸の古民家を観ましたが、
きょうは、岩手県北上の遺跡からの復元古民家です。紹介文は以下。
〜平安時代の「竪穴住居」
地面を掘りくぼめて床を作り、柱を建て屋根を掛ける竪穴住居は、
東日本では平安時代終わり頃(1180年ころ)まで造られていた。
軒先が地面に着くものと、地面からやや離れ壁が立ち上がるものがあった。
いずれも壁際側に煮炊きするための「かまど」があり、
そこから穴を通して外に煙を排出する「煙道」があった。
この建物は平安中期(900年〜頃)の北上市相去遺跡群の
発掘例を復元したもの。正面に切り妻式。〜という事例です。
ちなみにこの900年代の歴史事実の主なものは以下のようになる。
・905年 北東北で環濠集落、防御性集落、高地性集落出現
<前世紀での朝廷の北征とその頓挫を反映か?>
蝦夷側・津軽五所川原にて須恵器生産。南部鉄器などに連なる製鉄も
蝦夷側で行なわれていたと推定されている。
・おおむねこの時期、有史以来の災害・十和田湖火山の大噴火
・935年 平将門の乱。
・939年 秋田城で蝦夷側反乱。<交易利権争闘か?>
・947年 朝鮮・白頭山世界史上最大級の爆発的噴火
・999年 富士山噴火
というような状況であり、平安初期の桓武帝による蝦夷征伐、
境界地域での緊張政策が弛緩しつつあった時代。
しかしそれは800年代後期からの気候「寒冷化」と相次ぐ自然災害の
結果だったとも言えるのではないかと思われる。
この世紀からいわゆる「武士」が成立し始める。
徐々に権力の下降、在地暴力が力をつけた時代といえるのでしょう。



壁の作り方は面白くて、屋根と同じ萱束で基本造作して、
その上で外壁側に土塗り壁を重ねていました。
断熱を強化する意味合いが強い。伝統的な遺跡住居などで、
屋根断熱で土壁を萱束でサンドイッチする工法もあるので、
そういった類推が働いてきます。本格的土壁への過渡的な工法なのか。
たぶん、土壁下地としては萱束は保持力でムリがあったかも知れません。
そのせいか萱と土のツートン外壁で、これはこれでいいデザイン。
住居設備として興味深いのは、囲炉裏がなくてかまどだけであること。
遺跡調査で、囲炉裏跡は燃焼痕跡が明瞭であることから
それが発見されていないと言うことは、
この煮炊きのためのかまどが暖房も兼用したものと考えられる。
復元図面を見ると、投入できるエネルギー(薪)量に応じてコンパクト。
しかし一方でこの「かまど」には、きちんと「煙道」が造られている。
室内側で薪をかまどに投入して燃焼させ、発生する煙を
煙道を通して外に排出する工夫を凝らしている。
この煙道についての説明は細かくはされていませんでしたが、
北海道釧路市郊外のほぼ同時代の遺跡住居では、
石と粘土によって加工造作されていた。
こうした技術は汎人類的な自然の知恵としてあったようなので、
ごく一般的に造られていたのでしょうね。
かまど自体も、丁寧に粘土で仕上げられて、薪の燃焼熱が
この粘土皮質にじんわりと「蓄熱」されて
室内に対して輻射的暖房としても機能したと思われる。
ただ、この建物は土器を生産していた遺跡中の建物なので、
囲炉裏がないのは、常時生活するための住宅としてではなく、
土器生産のための「工場」であった可能性もあります。
この時代のこの地方での生産土器は「須恵器」であり、
ヤマト社会の特徴的生産物で国家管理材でもあったが、それが
だんだんと在地で作られていくようになった時代でもあった。
前段で触れた社会背景、歴史事実を重ねると想像が膨らむ。
モノの証言と歴史事実がシンクロするダイナミズム・・・。
生活を表現する小建築からは、さまざまな情報が立ち上ってきますね。
<おまけ・きのう日ハム、無事優勝できました。
無関係かつ地域的話題にムリにお付き合いいただき、感謝します(笑)>
Posted on 9月 29th, 2016 by 三木 奎吾
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ことしの散歩シーズンが本格的に始まったのは3月からでした。
毎朝、北海道神宮に参拝して、その後、
神宮周辺の円山公園、周辺緑地、動物園周辺などを1周してくる
コースなのですが、途中のグランドで毎朝のように見掛ける父子2人。
最初のウチは、肩の使い方もよくわかっていなくて、
野球の球の投げ方とは相当違いが感じられた坊やの投球が、
段々とサマになってきて、タマに力強さが感じられるようになってきた。
お父さんが受け取るキャッチの音が、小気味よくなってきた。
こころなしか、坊やの投げ方は、大谷君を見習っているかのよう(笑)。
たぶん日ハムの試合を一生懸命応援していて、
知らず知らず、投げ方・取り方を視覚学習しているに違いない。
その「まっすぐさ」に、男の子らしさが香り立っている。
はじめのうちはよちよちとしたかわいらしさが全開だったけれど、
徐々に男子らしいたくましさが出てきたように感じられる。
他人事ですが、その様子を毎日のように見させていただいて、
楽しみにしています。
なぜか、日本の父子の対話で、男の子のケースでは
野球のキャッチボールは、ダントツの定番だろうと思います。
わたし自身の場合は、一番末っ子で兄が多かったので、
男として「壁」になってくれたのは兄たちでしたが、
わたしは、息子に対してその役割を果たすことができていた。
坊主の投げる投球に段々に力強さを感じるようになる歓びは
父子キャッチボールの最大の楽しみ。
ときに意外なほど、ズシッとくるミットの感触は、
受けてみなければわからない野性的な爽快感なんだろうと思います。
たぶん、人類の基本的な生存保証において、
ものを正確に「投擲」して、対象物にぶつけていく行為というのは、
やはり男子としては、ベーシックに存在する不可欠能力。
捕獲したい動物に石をぶつけて打撃を与えてその運動能力の減退を狙うのは、
狩猟採集時代からの人間の基本的能力だったのでしょう。
その「相伝」において、父子の対話的関係は基本的人類記憶。
きっとそういったバイタルな部分が男親としては
強い野生を呼び覚まされる行為なのでしょう。
わが家では、姉弟2人のこどもに恵まれましたが、
弟が父とキャッチボールを始める頃になって、
娘から「わたしも父さんとキャッチボールしたかったんだよ」と
はじけるような笑顔で言われて、何度かしたこともある(笑)。
父としては無性にうれしくて、「なんだそうか、キャッチしたかったんだ」と
ニコニコさせられた記憶もある。
そんな誰もが持っている記憶が
この父子の様子に思い出されて、いつも微笑ましく感じています。
がんばれ男の子! キミは未来の日ハム・エースだ(笑)。
Posted on 9月 28th, 2016 by 三木 奎吾
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古民家を見学するのは、その地域の暮らし方を知るチャンス。
先日も日本最古の古民家住居を見学しましたが、
温暖地域では古民家的な性能要件でもまだ「住む」ことは可能だと思われる。
冬をなんとか「耐えれば」暮らせるのかなぁと思えるけれど、
しかし寒冷地域の方では、さすがにそのままのかたちでは
継続して住み続けるというのはきびしいと思われ、
青森県では、江戸期の住宅というのはあんまり見学機会が少ない。
そういうなか、先日の青森県行脚時に六戸「道の駅」に建てられていたのが、
この「苫米地家住宅」であります。
WEBでの紹介には、以下のような記述。
〜六戸町において、奥入瀬川流域に現存する家屋のうちでは
最古と思われるのが、柳街の苫米地勲氏の住宅である。
苫米地家の由緒やこの家屋の建築年代を示す史料などは一切残されていないが、
上北地方の民家の建築手法の進展状況から比較してみると
おそらく江戸時代後半には建てられたものと推測される。(六戸町史より)
旧苫米地家住宅には、「しきだい(式台)」と呼ばれる施設が設けられており、
当時は武士階級の住宅に限られた出入口(建物正面左側)であったとされ、
身分や家の格式を表現する施設であったとみられる。 」とあります。
当初は六戸町大字柳町字柳町にありましたが平成4年に
六戸町指定有形文化財に指定され、平成17年に現在に移築保存されています。
〜という建物です。
六戸は次世代基準の地域区分で本州地域ながら北海道同等地域に近く、
積雪・寒冷とも列島内でも最高レベルの地域。
茅葺きの屋根の断熱は重厚ですが、外観形状はきわめてシンプルな寄棟。
まるで現代の造形感覚とも似通ったプロポーションでうっとりさせられる。
これは雪の屋根への堆積を考えたときに、もっとも合理的な力学で
受け止めるかたちであるように思われてきます。
また、屋根以外の外皮表面積がもっとも小さくなっているので、
エネルギーの貴重な時代には、もっとも「省エネ」志向の選択だと思える。
屋根が重厚な茅葺きになっているので、積雪で覆われたときに
外壁部分は屋根と外周の「堆積層」が繋がって一種の「かまくら」になる。
はるかな後世ですが、わが家が北海道に入植した当時、大正初年の
家では、かえって雪によって「保温」されていたと聞かされていますが、
どうしても「籠もって」しまう精神性への影響の方が、
積雪地では「寒さ」よりも危惧される「問題」であったのかも知れません。
そういう北国人の性向が、わたし自身の少年期にも、
躁鬱的心理として、自覚的なものがあります。
六戸も年間堆雪データを見ると、100cm程度の垂直積雪深なので、
そのような家と暮らしののありさまが想像されてきます。
そして、暖房と調理が一体化していて、
家庭内での火力の集中が図られていることが見て取れました。
これは他の地域の古民家ではあまりみられない特徴。
北国人にとって、エネルギー「爆炊き」への思いは
やむを得ず耐えなければならない冬の躁鬱的心情解脱への祈り要素もあると
雪に閉ざされた日々の暮らしの思い、様子がつたわってくる。
こうした内部空間を見ていて、呼び覚まされるものがあります。
想像力を刺激される、貴重な寒冷地古民家だと思いました。
Posted on 9月 27th, 2016 by 三木 奎吾
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飛び石で休みが続いた先週でしたが、
今週からは落ち着いたカレンダーで、ことしも追い込み時期の開始ですね。
ということで、きょうは腹が減ってはとラーメンの話題であります(笑)。
身内のひとが炭水化物ダイエットにハマって、
なかなか外食に誘えない状況が続いている方は多いでしょうね。
わが家もカミさんがご多分に漏れずでして、
以前はたくさん楽しめた外食がすっかり機会が減っております。
そういう合間、ひさしぶりにカミさんがその気になってくれての
外食ラーメン紀行。
たまたま石狩方面へサケ祭りシーズンということで外出した道筋に、
そこそこの雰囲気のラーメン店があっての飛び込み。
もちろん、店のチョイスはカミさんの専権事項であります。
なぜか、彼女は「しょうゆ」が好みなんですが、
わたしが写真を見て直感的に選んだのは、この塩味海鮮風ラーメン。
石狩らしく、ホッキがまるごと入っていて、
あさりもむき身が入っての「貝づくし」という触れ込み。
まぁ、「づくし」なら、もう1種類くらいは欲しいところですが、
仕入の関係もあるのかもと大目に見ての注文。
名前もまったく知らずに入ったのですが、「音むら・石狩店」というお店。
POPで選んだので、コテコテと文字が入っていて実際のイメージは
つきづらかったのですが、海鮮、とくに貝は大好物なので・・・。
と思っていたら、カミさんもしょうゆラーメンからトラバーユしてきた(笑)。
で、出てきたのがこのラーメンであります。
そうです、やっぱりラーメンは「見た目」であります。
ホッキやあさりのほのかな彩り、それが引き立つようなトッピングと
背景色のスープの色合い、こういう雰囲気が最重要。
こういうのが整わないと、触発されませんね、やっぱり。
ということで、食味もまずは合格点。
ギットリ系全盛のさっぽろラーメンですが、やっぱり高齢者には
こういう塩味、あっさり魚醬系の風合いがお腹にも、彩りとしても
やさしくささやきかけてくれますね。
海鮮の分、庶民にはややお高く1,000円也の豪華ランチでありました。
Posted on 9月 26th, 2016 by 三木 奎吾
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わたしよく考えるのですが、
日本って、こんなに医療を発展させたのに、
そのメリットについて一体どう考えてきたのでしょうか?
国を挙げて世界に冠たる健康保険制度を作り、社会的生産性も高め、
いわば「生きやすい」国、制度を作ってきたのに、
どうもただひとつだけ、「その目的」について、
きちんとしたコンセンサスを作ってきていない。
長く生きることは、一般的には素晴らしいと思われるけれど、
その永らえた命を「どう使ったらいいのか」については、
あんまり深い社会的論議がなかったんではないか。
そんなことを考えていて、ふと目にしたのがこのデータであります。
内閣府が2013年に調査したものだそうで、
調査対象は全国の60歳以上の高齢者男女で、質問は
「あなたは何才頃まで仕事をしたいですか? 年代で選択してください}
というものであります。
で、一位が「働けるうちはいつまでも」というもので、近接して
「70歳くらいまで」というのが続いている。
まぁ、「働けるうちはいつまでも」というのには、どんな意味があるか、
といった深読みも必要でしょうが、常識的には
きわめて健康的な考え方と思われた次第であります。
そもそも、人間は生まれて成長し、教育を受けて
生きるため、社会のために働きたいと思って仕事・職業を選択する。
なんどか、その選択をチェンジすることもあるけれど、
やがて落ち着いてじっくりと職業的専門領域を選び、生涯の仕事とする。
そういう意味では多かれ少なかれ「生きる意味」なるものを
職業選択というかたちで、明確に「人生の意味」として明確化している。
人間は、だれかのためになることが一番のシアワセ。
そういう「哲学的テーマ」も、ひとは仕事を通して解決していると思う。
そういったひとの生きるシアワセにとって、
医療というのは、マルクスが言うように「労働力商品の再生産工場」。
目的はあくまでも、「働ける」ということに最大目的があるように思う。
このデータ指標を見ていて、いまの社会と人間のズレは、
こういう素朴な声がきちんと反映されていないことにあるのではと、
そんな思いがしておりました。
さて、そんなことを考えていたら、
そろそろプロ野球ではシーズン後の動きも垣間見えてきた。
先日、わが北海道日本ハムファイターズの「育成戦略」に触れましたが、
金満チームはFAに触手を伸ばしている様子。
【札束攻勢の巨人阪神と大違い 日ハム「主力売ります」戦略
〜日刊ゲンダイDIGITAL】という記事。
日ハムは冷徹なコスパ把握で総コスト圧縮を生き残り戦略としていますが、
巨人・阪神はとにかく目先に目を奪われている、という報道。
なにやら、労働の意味・価値感とも似通った部分を感じていました。
企業生き残りと働く環境整備の戦略、なかなか奥が深いものがある・・・。
Posted on 9月 25th, 2016 by 三木 奎吾
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写真は青森県八戸市近郊、福地での朝の田の様子。
前日、夜になってようやく宿泊先にたどりついたので、周辺がどんな景色か
まったく気付かないまま、目覚めた朝、カーテンを開いて
一望に広がった実りの季節直前の稲の光景です。
宿泊した施設は山の裾の里山に位置していて、
平面的な空間はほとんどがこうした稲の海になっている。
ふだんはなにげなく見る景色でしょうが、
印象のあざやかな朝、こんなふうに見せられたら、
おお、と声を上げて魅入ってしまった。
この列島に人間が住み着いて13,000年余りと言われる。
定住が始まったのは石器時代末期にすでに兆候はあったのでしょう。
最近の沖縄での遺跡発掘で、洞窟住居の様子も発見されているけれど、
まぁ常識的には縄文の世が13,000年以前にはじまり、
その後、西日本から次第に米作がこの列島に広まった。
たぶん、2,000年程度の米作文化の積層はあるのでしょう。
個体としての人間個人としては、たぶん、こうした光景は
一生のうちで40〜50回程度体験するくらいだったのでしょうが、
計量すれば、大きくは100世代くらいは経験積層してきている。
民族としては、2000回くらいは体験してきている。
それくらいの積層になると、DNA的な感情レベルでもなにかの呼び声に
変容してこころに訴えかけてくるものがあるのでしょうか?
わたしは北海道ネイティブの人間です。
個体としての視覚経験知、もしくは体験値としてはこういう稲田への
格別の刷り込みはないはずなのですが、
でも3歳まではこういった田園環境の中に生きていた。
そういう部分が反応を見せるのか、やはり強く郷愁に似た気分に落ちる。
1石という単位は、1年間にひとりの人間が必要とする量だという。
この社会ではすべての価値の源泉として、
貨幣としてすら機能してきた。
それにしてもこの美しさには圧倒される。
米を食べ続けてきたこの列島の人間にとって、
この光景は、いのちそのものにも通じる切迫感をともなってくる。
ふと、そんなあれこれに思いが至っていた光景でした。
Posted on 9月 24th, 2016 by 三木 奎吾
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全国のプロ野球ファンのみなさん、
わが北海道日本ハムファイターズ、パリーグ天王山2連戦に連勝しました。
まことに感激であります。
2日間、熱戦の模様を堪能させてもらいましたが、
非常にレベルの高い野球で、まことにしびれておりました。
最後は、追うものと追われるものの心理的違いが
勝敗を分けたのではないかと思いました。
福岡ソフトバンクホークスの強さ、怖さもまた目に焼き付いた。
今シーズンは、開幕早々から快調に白星を積み重ねるソフトバンクに対して
他球団はほぼ全面降伏の状態が続いておりました。
一時は10ゲーム以上の大差をつけられていて、
今シーズンもソフトバンクの独走で終わると、誰もが思っていた。
わたしどもも、半ば以上は諦めていたのですが、
しかし、日ハム指揮官の栗山監督、そして連日悪戦苦闘を重ねてきた
選手のみなさんは、まったく諦めなかった。
ペナントレース最終盤での2連戦まで、まったく互角の併走。
そして相まみえた2連戦。
こちらも大谷君を立てて必勝をめざした第1戦。
大谷君が8回まで1失点に抑える力投の上、打者でも活躍。
その意気に応えるようなレアード選手の乾坤のツーラン本塁打。
そしてさらにドラマは9回裏の守備に潜んでいた。
絶体絶命の走者2人を置いてのSB江川選手の中堅後方への大飛球。
打った瞬間にソフトバンク側は逆転サヨナラを確信したことでしょう。
万事休すと思われた矢先「一回、目を切った」と証言したセンター・陽選手が
前進守備位置から快走して、再度打球を視線に捉えてスーパーキャッチ。
こっちにしてみると、まさに地獄から天国への生還の一瞬でありました。
勝負はここまで非情に勝敗を分けるものなのですね。
野球は全員が戦って行われるスポーツ。
投げるだけ、打つだけではなく、守り切るということも巨大ファクター。
陽選手の「攻撃的守備」は、そのことを再度あざやかに魅せてくれた。
まことに現代プロ野球でも特筆もののビッグプレー。
あの場面、外野手の基本である「打球から目を離さない」を
イチかバチかで、一回かなぐり捨てたのでしょう。
それではフェンス直前までの時間距離計算から間に合わないと判断した。
しかし一方で、一目でそこまで判断した上でなお、
動物的カンで落下位置を想定し、そこまでの最短距離を走ったとも言える。
パリーグ野球がセリーグに優越するかのような状況ですが、
そのひとつの要因として、球場の広さの違いが良く指摘される。
この陽選手の守備のビッグプレーは、そういう優勢を端的に見せた。
このプレーの余韻の残るきのうの第2戦でも、
ソフトバンク側に「ツキがない」という負の心理が働いていたように思う。
そして双方とも4番打者の不振が目立ったけれど、
もっとも効果的な場面で中田選手の1発が炸裂して試合が決した。
本当に高いレベルの野球を見せてくれたソフトバンクにも深く感謝したい。
つねに目標となるプレーを戦ってきてくれたかれらは素晴らしい。
天王山を制したとはいえ、しかしこれからも劇的なたたかいは続く。
たぶん、最後の最後まで歴史に残るようなペナントの戦いは続くでしょう。
大いに期待しながら、応援していきます。
ありがとう、福岡ソフトバンクホークス。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 9月 23rd, 2016 by 三木 奎吾
Filed under: 北海道日本ハムファイターズ | No Comments »

Replan北海道 VOL.114
2016年9月28日発売・2016年秋冬号・A4版
本体価格463円(税込:500円)
〜編集長・わたしのあいさつ文より〜
<緑化率>
本州地域のある工務店経営者から、自社の完成住宅はかならず
WEBでアップする、必ず写真を取って掲載すると聞いた。
で、その写真撮影でもっとも心がけるのは「緑化率」だという。
一般的に緑化率とは都市の面積に占める公園・緑地などの
比率を指している。しかしどうもコトバのニュアンスが違う。
「要するに暮らしの舞台背景として、どれだけ豊かに緑が存在するか」
によってその家の印象が大きく変わり、そのことで
会社のポリシーがユーザーに「伝わる」のだという。
そこから逆算して、家の設計プランが起こされているのだと。
マーケティング論的なアプローチと感じられるかもしれないけれど、
聞いていて、それは「暮らしをデザインする」ことだと感じました。
毎日暮らし始めてみれば、その土地・場所の空気感や時の移ろいを
感受させるのは、自然がさまざまに発信してくるリズム。
緑にはそういう暮らしの背景としての大きな力がある。そう感じ取った次第。
もちろん北海道では同時に緑のない半年の時間がある。
北国の爽やかな緑、自然のリズム感を暮らしに大いに活かしながら
その調和をどう考えるのか。Replanとしてみなさんといっしょに
考えてみたいと企画しました。
〜という「巻頭企画」アプローチ意図であります。
戸建て住宅がマンションなどの集合住宅と違う一番のポイントにも
この視点は重なっていると思います。
【特集】都市で緑と暮らす。
Case.01「コニワノイエ」 中庭✕変形敷地
Case.02「森の家」 自然林✕中古住宅
Case.03「共存する家」 窓景✕緑地造成
Case.04「ミズ・ノイエ」 室内緑化✕狭小敷地
●その他のContents
・十勝で建てるなら、ココ! 2016
・連載 いごこちの科学 NEXTハウス7 <東京大学准教授・前 真之>
・連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
・暮らし豊かに。Re・home
・大好評/新築ルポ〜住まいのカタチ〜
・北の建築家 「呼人の家」堀尾浩 「美瑛の家」川原道崇
WEBからのReplan北海道のお買い求めは こちら からどうぞ。
「いい住宅」という中身が、
読み進めるうちに「つたわってくる」雑誌です。
Posted on 9月 22nd, 2016 by 三木 奎吾
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