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2×4先進地・十勝で「かわいい」在来木造

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きのうから北海道十勝にて、北海道の工務店グループ
「アース21」の十勝例会に出席しております。
おおむね、2カ月に一回のペースで道内各地に集まり
地域の家づくりを見学しあい、お互いの情報交流、地力アップを
図っていく趣旨で継続してきています。
全国規模でも、さまざまなこうした工務店による研鑽組織はありますが、
やはりレベルにおいて、大きく隔絶した活動を行っています。
現場力を持った工務店から、生々しい声を聞ける意味で
わたしの諸活動においても、中核的な情報交流の場になっております。
地域の工務店さんばかりでなく、
さまざまな職方の専門家のみなさん、またメーカーさんなど、
幅広く情報を交換できるのは、まことに稀有。

北海道十勝は、2×4工法が圧倒的に強い土地柄。
地元に根ざした工務店と設計事務所のみなさんが、切磋琢磨してきた
メインカレントの動きがあります。
日本の2×4工法は、最初の段階で「市場占有」的な大メーカーが
初動段階で、技術的な十分な深まりのない中で一気に大量に
市場投入された。
ところが、それらが技術的な困難に直面し、
性能的な欠陥をさらけ出したりしていた。
そういうなかで、北海道十勝では地道に、年に2棟3棟といった
少数のフロンティア的な住宅が建てられ、
それを地域の工務店・設計事務所が徹底的に検証し、
欠点について大いに忌憚のない論議を繰り広げてきていた。
そういった市場導入段階での、技術的試行錯誤が、
建築技術のベースを構築し、揺るぎない工法の確立につながり、
いまや、地域の木造建築で圧倒的な主流になっている。
このことは、地域のものづくりのひとつのプライドと言えるでしょう。

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しかしまた同時に、こうした2×4工法の進化拡大と歩を合わせて
在来工法の技術革新も、少数のみなさんによって追求されてきた。
写真の住宅は、十勝で活躍する水野建設さんの最新住宅。
床面積の小さな住宅ですが、
熱損失計数は、Q値で1を切っている建物。
しかも木材は無垢であったり、集成であったりするけれど、
ほぼ地元十勝産の「カラマツ」が使われている。
構造も、野太い5寸の大黒柱が2本、力強く立ち上がり、
屋根にも登り梁ががっしりとした質感を見せている。
2×4工法とはまた、ひと味違う空間の美しさを感じさせてくれます。
シンプルで3色トーンで「かわいらしく」デザインされた外観。
破風端部がシャープにカットされていて、
軽快感がいっそう際だっている。
また、玄関周りの小屋根と雨樋もまことにバランスがいい。
薪ストーブの煙突もアクセントとして秀逸。
十勝で、在来工法も頑張っているなと、楽しい気分になりました。

縄文の移動交通手段・丸木舟制作

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きのうもご紹介した、新潟県立博物館ジオラマであります。
さまざまな「縄文時代」の生活シーンのジオラマにたいへん力を入れられているようで
その旨、帰り際に館員の方に申し上げたら、ニッコリされていました。
縄文時代は、まさにわたしたちの生活文化のマザーのような
まるで揺りかごを感じさせてくれる時代だと思います。
まだ、言語は解明されていないし、もちろん表記された文字は発見されていない。
たぶんなかったのでしょうが、しかし、火炎土器のデザインや
土偶の表現力、加工力をみれば、その文化レベルの高さは
同時代の世界の新石器時代文化の中でも、特筆できるものでしょう。
わたし的には、あの火炎土器のデザインには、
なにかのメッセージ性、同時代人ならば感受しうる伝達性が
あったのではないのだろうかと、妄想を抱いたりもします。
そうした時代観に、このジオラマはまことにふさわしいリアリティを与えてくれる。
わたしなど、ほとんど夢中になった次第であります。
こういったジオラマは、学芸員さんたちの研究成果と、その到達点を
きわめてわかりやすく、わたしたちに伝えてくれる。

この列島社会において、
いろいろな交流が起こっていたことは当然でしょうが、
その移動交通手段の発展の仕方について
わたしは強い興味・関心を持っています。
人類はそのごく初期から、「交易」ということを社会に組み込んでいた。
世界史の分類で言えば、新石器時代であるこの時代に、
日本各地で、北海道が主要原産地である鋭利な「黒曜石」石器が発見される。
以下、Wikipediaより抜粋。

網走支庁遠軽町(旧白滝村)白滝遺跡群
北海道の旧石器遺跡を語る上で、何といっても一番目に
取り上げなければならないのが旧白滝村の黒曜石採石場跡である。
町内、赤石山(1172m)の山頂付近(800m)から無尽蔵(推定60億トンともいわれる)
ともいえる黒曜石を採取し、山の上から、粗砕き(700m)を行い、
分業で、簡易加工(500m)して各地に運ばれている。
採石場の活用は6千年間に及ぶといわれている。
白滝の黒曜石は、北海道内はもとよりサハリンやシベリア、
縄文時代の青森県三内丸山遺跡にまで及んでいる。

といった事実があるのです。
石を加工した道具を使って、移動交通手段を作り、
より利便性の高い物産を交易していた。
このジオラマから、縄文の人たちの抱いたであろう時空間を超える夢が
なんとなく立ち上ってくるような、妄想を持ちました。
こんな手作りで作る丸木舟を、より精巧につくることで、
より遠くの人々と、よりよい出会いを可能にしたいというかれら先人の願いが、
残照のように、聞こえてくるように思われるのです。
あるいは、隣の集落に交易に行って、
その地の娘さんになにか、プレゼントでもして、
「あら、ステキな丸木舟ね、今度いっしょにどこかへ行きましょう」(笑)
なんていうようなロマンスが、若者の脳裏に浮かんでいたかも知れない。
人類進歩のカギとしての非日常性が、
こうした交易要素には、仕組まれているように思う。
先人を想起する、まことにすばらしい機縁を提供してくれていますね。

ニッポン人の基底文化、非農耕定住・縄文

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歴史というのを、文字に書かれた記録からだけ見るのは
やはりかなりヘンなことなのだと最近、強く思ってきます。
文字記録はたしかに、人類の大きな革命ではあったけれど、
それはどうやら「農耕」とワンセットの文明装置にしか過ぎなくて、
これまでの「歴史」では、その記録以前には、
そもそも「知性」が存在しなかったかのようになっている。
ほとんど半裸のひとびとが、ひたすら野山を駆けまわっているイメージ。
でも、こういう考え方、仕分け方では、
人類進化は、農耕社会化からしか始まっていないようなとらえ方になる。
考えるまでもなく、その段階までに成し遂げられていた生活革命が
文字記録によって書き留められるようになったということでしょう。

日本列島を現生人類の「グレートジャーニー」が通ったのは、
たぶん、3万年かくらいの以前なのでしょうが、
その段階では、基本的に陸上動物の狩猟が食糧確保の基本戦略。
その土地での陸上動物の個体数と人類の個体数バランスで
食糧確保の定量が定まり、それを飽和する数の人々が
さらに北方を目指して、アリューシャン列島からベーリング海に向かった。
基本的には列島内部で、狩猟採集生活を営む人類がいただろうけれど、
そうしたかれらのなかから、生活革命がはじめられたに違いない。
1万3千年前くらいから、海生動物を主要な食糧源とする定住が始まった。
それまでの狩猟生活が主に陸上生物資源の捕獲だったのが、
魚類を主要食源に変えたというのは、たいへんな「生活革命」。
そこから、大陸で始まったコメ農耕技術、社会がこの列島にもたらされる、
直近の2000〜2500年前からの弥生まで、
この縄文社会が、1万年程度継続して、くらしが営まれていた。
たしかに農耕とワンセットである文字記録は、文化としてそれを持たず、
「歴史」ははじめられなかったかも知れないけれど、
この列島でのくらしようの「基底」的な文化伝統は形成された。
読書スピードが遅くて、このブログでご紹介した
「人類史のなかの定住革命」はまだ読み終えていないのですが、
先日の新潟出張でチェックした長岡市の新潟県立歴史博物館で
写真のような克明なジオラマを見ることができました。

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まさにいま、読み進めている「非農耕の定住」世界が、
非常に鮮明なビジュアルで迫ってきておりました。
この縄文の暮らしの中で、発展してきたさまざまな「知恵」が、
わたしたちの血肉の中に、たくさん息づいているに違いないと確信します。
文字記録はそれらを前提にして、それを記録はしただろうけれど、
暮らし方それ自体の創造は、縄文1万年の積層のなかで行われた、と。
この写真で言えば、魚類の種類に合わせた調理・処理の仕方の文化、
その季節的循環を「旬」として認識する生活感受性。
漁撈生活を支える道具の考案とその生産システムの案出。
こういった一例のような「生活文化」が、積層されたのだと思うのです。
そして、そういったなかから、
わたしの基本興味分野である、定住の基本としての
「住宅づくり」も開始された・・・。
まことにくらしようを創意工夫する文化の揺りかごとしての
縄文文化は、いまもわたしたちの生活の基底的部分で息づいていると。

アート表現の社会性と存在意義

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さて越後妻有トリエンナーレで大量の野外芸術に触れてきたわけですが
アートによる「地域おこし」の成功事例として
繰り返し語られてきているのだそうです。
芸術というのは、いわば顕教的な約束事が支配している
覚醒している真昼の世界の論理で考えても仕方がないところがあって、
正しいでもないし、間違っているということでもない。
そこで表現されるものには、一般解はない世界だと思います。
しかし、こういう芸術表現物が、現実世界のなかで共存することで、
人間の創造行為一般の姿の方が、おぼろげに見えてくる。
わたしには、芸術の無用性を見続けることで、
むしろ、人間社会の「有用性」営為の巨大さのほうが浮き立って見えてきた。
アートの旅が終わったとき、ボランティアでガイドをしていただいた方に、
そんな率直な感想を申し上げたら、
「そうなんです、総合ディレクターの北川フラムさんも同じ事を言っていました」
というお答えが返って来ました。
人間の止むにやまれぬ営為、食料生産であったり、
生きていくためのものづくりの営為の巨大さの方にこそ、圧倒的に打たれる。
千年も続いてきた棚田の自然改造努力には、
まことに、人間営為の崇高さが込められていると思いました。
そういう営為の中で無用性が点在することの意味って、
やはりそういうものではないかと思ったのです。
その無用性にも、しかし、作品としてのレベルというものは存在する。

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で、きのうはある映画の上映会に。
「ありがとう農法」というのを実践している方のドキュメンタリー映画。
農薬を一切使わず、雑草まで元気いっぱいに伸ばしている農地で
個性豊かな野菜を作ってきているということ。
子どもさんを不慮に失い、そこから生命の力強さに打たれ、
こうした自然農法にチャレンジをはじめたということ。
そのことは理解出来るし、まことに人としての共感も持ちました。
ただ、それを映画作品としての「表現」としてみたとき、
誰でも感じるであろう、「なぜおいしいのか」「どうして可能なのか」
ということについての当然の「疑問」に対して、
作家・監督に、そういった部分の探求姿勢が、驚くほどに感じられなかった。
ただただ、生産者の談話をつなぎ合わせて作品構成している。
「氷室」を使って出荷管理しているそうだけれど、
その「氷室」の構造についてすら、まったく触れられていない。
お伽噺・ファンタジーとしてはいいかもしれないけれど、
それがひとびとの口に入る食品である以上、
最低限の科学的態度は、欠かせないのではないか、
そこを飛ばして自然のままが素晴らしい、と論理解析を抜きにしてしまっては、
せっかくの農法開発努力に対しても、誤解を与えてしまうのではないか。
作品制作者は、ひとにものごとを伝える立場である以上、
そのような配慮、興味を基本に持っているべきではないか、
そんなちょっと残念感にとらわれておりました。

<写真は現代芸術家・川俣正さんの作品と、新潟空港の硝子絵>

中国経済リスクと世界平和

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経済の動向は、引き続いて政治にも連動する。
すべては経済がどうであるかによって、基底が決まる。
2度にわたる世界大戦は、結局は世界経済の行き詰まりのなかで、勃発した。
とにかく経済をなんとかコントロールするのが、
平和を維持する最大の力になることだと思います。
安倍政権の支持率が、
誰がやっても不人気な安保政策をやっても
それでもなお、過半数近い支持があるのは、
なんといっても、経済立て直しの努力姿勢が明瞭に伝わってくるから。
その経済の世界で、非常にセンシティブな動揺が見られてきた。
中国の経済状況悪化が、どうやら現中国指導部のコントロールを超えて
誰の目にも明らかになってきたことです。

資本主義を、1党独裁の共産党政権がコントロールするという
およそ、誰も考えられなかった未知のことが、現代中国で行われて、
比較的に単純な「開発独裁」段階から次の
「民主化」による自立的な「市場」経済環境形成という段階に至って、
独裁政権にはそもそも「無理筋」。
結果、さまざまな危機の噴出が避けられなくなってきた。
さて未知の領域では、どんなことが起こるのだろうと注視していました。
開発独裁の結果、過剰流動性はどんどんと肥大化する。
経済をコントロールするのが独裁政権ということなので
共産党指導部体制では、汚職腐敗は避けられない。
指導部周辺や成金たちによる金遣いは荒っぽいものになる。
「理財商品」という金融商品が幅を利かせていたそうだけれど、
比較的に市場性のある資産形成市場である住宅不動産も
金融商品という側面だけで発展した結果、
市場の相場を無視したバブル価格になって不動産市場が低迷。
そもそも育ててこなかった中間層ですら、
本来まったく買えるハズのない価格がまかり通っていた。
そこで、バブルの崩壊が顕著になってきて、
行き場を失っていた中国国内マネーが
今年前半、政府の後押しもあって上海市場になだれ込んだ。
しかしその上海市場の株の大暴落、政府による管理、
というような状況に立ち至って、元の切り下げにも手を出すなど
苦境からどうやって脱出しようかと、中国指導部が混乱を見せてきている。
天津では化学製品のコントロールが破綻し、大爆発事故が惹起したが、
どうも中国共産党指導部は、統治方針が見えなくなっているようだ。
共産党独裁という政治形態では、情報が操作され、
もっとも不可欠な情報の「透明性」という経済の生命線が確保できない。
いまの中国の首相・李克強さんが自国発表の経済統計を信用せず
まったく違う尺度で経済をチェックしているという報道があったけれど、
いまたぶん、中国では目を覆うような経済の現実になっているのだと思う。
右肩上がりの時には、「開発独裁」政治はかえってうまく機能するけれど、
その権力の存在自体が、次の段階ではいちばんの障害になる。
民主化され、情報がオープンにされて、はじめて
「経済の処方箋」が明確になってくるのが、人類社会の普遍的経験値。
そして経済的な混乱から自国民の目をそらさせるのに手っ取り早いのが
対外的緊張、排外主義であることも、人類社会の普遍的経験値。
平和はこうして乱されるということを肝に銘じていなければならない。
アメリカからは、元の切り下げを主要な対象として
「輸出主導ではなく、内需主導型に経済運営を切り替えろ」というメッセージが
中国に対して発せられている。
共産主義と資本主義という両性世界を生きてきた
中国共産党指導部は、はたして平和的に混乱を収束させられるのか、
また、中国社会は平和でいられるのか、
非常にセンシティブな領域に
足を踏み入れつつあるように感じられてなりません。

越後一宮・弥彦神社、4拍手の謎

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きのう夜に新潟出張から帰還致しました。
きのうも2軒、興味深い住宅見学をいたしましたが、
越後妻有トリエンナーレの大量見学とともに、
追って、まとめてご報告したいと思います。

わたしは、全国へ出張することがあるときには、なるべくその地の
「一宮」には、参詣したいと考える古いタイプの男であります(笑)。
まぁ、信心深いというようなことではなく、
やはり古社には、民俗としても、民族としても、歴史としても
さまざまな埋め込まれている記憶があると思うのです。
そういったことへのリスペクトの気持ちは強く持っている。
神仏というよりも、その地の人々のリスペクトすべきものが、
そういった場所には存在し続けていると信じているワケであります。
今回は、これまでなかなか時間が取れなかった新潟なので
まずは音に聞く名社、弥彦神社参拝を果たしたかったのです。
とはいっても、事前になにごとか調べてもおりませんで、
ぶっつけ本番、いきなり行って、体感を得てから、
という信長さん的行動主義であります。

高速を新潟空港インターから乗って北陸道を西進、
「巻・潟東」インターで下りて、そこから、日本海岸方面に向かうのですが
なぜか、前方にはふたつの山並みがランドマークに現れる。
おおむねそうではないかという、心証のとおり、
どうも平地に印象的に立つ神体としての「弥彦山」のふところに、
弥彦神社は立地するようなのであります。
位置は違うけれど、出雲大社の立地となんか、似ている感じ。
Wikipediaでの紹介では、(以下抜粋「」内)

「創建年代は不詳。祭神の天香山命は、
『古事記』に「高倉下」として登場する。社伝によれば、
命は越後国開拓の詔により越後国の野積の浜(現 長岡市)に上陸し、
地元民に漁撈や製塩、稲作、養蚕などの産業を教えたとされる。
このため、越後国を造った神として弥彦山に祀られ
「伊夜比古神」として崇敬された。このほか、彌彦の大神は、
神武天皇即位の大典の際に自ら神歌楽(かがらく)を奉奏したとされる。
ただし、尾張国造家の祖神である天香山命が越後に
祀られるのは不自然なため、本来の祭神は北陸の国造家高橋氏祖神の
大彦命ではないかとする説もある。

で、参拝を済ませてからの帰り道、
うしろで耳にする拝礼が、どうも拍手が4回聞こえる。
わたしは、ふつうに2拍手でお参りしてきたのですが、
どうも「愚か者め」と、神さまから叱られているように聞こえて、
あわてて振り返って、再度、2礼4拍手の参拝を捧げてまいりました。
神札を購入させていただいた神子さんに聞いたら、
「そうです。弥彦さんと出雲、それから大分の宇佐さんは、4拍手」
というように誇らしげに教えていただけました。
わたしは出雲大社には深いリスペクトを感じているものなので、
「おお」と、ただただ、恐懼して自らの不知を恥じておりました。
大分の宇佐神宮は、全国の「八幡神社」の元締めで、
源氏の氏神として、武神として名高い神社。
とすると、この弥彦さんも、出雲、宇佐とも同質性のある存在と
にわかに、興味が増してきておりました。
それで、新潟滞在中、この話題を地元のみなさんに聞いていたのですが、
はかばかしい反応はありませんでした。
ではありますが、なにがしか、調査を継続して
4拍手のナゾに肉薄してみたいと念願しております。
なにとぞ、われに疑問解決の道をお教えください、弥彦神社様。
パンパンパンパン。

越後妻有・地域とアートのコラボ

2409

さて、越後妻有トリエンナーレ見学の旅であります。
そのなかには、多くの建築も存在しています。
興味深い建築も数多く存在し、それぞれがまた、地域を形作っている。
地域の環境性と、芸術作品とのコラボレーションが
どんなかたちのイメージを造影するものか、
そんな興味を持って、さまざまな作品世界と触れてきました。

そんななかで一番興味を持てたのが、上の写真。
上の一枚は、「星峠の棚田」であります。
いろいろな「芸術作品」を見る度に、
むしろその背景になっている、地域の風土性と、
その地で長く生きてきた人びとの労働の積層である
「地域景観」とが、強くこころに響いてくるものがあります。
建築もそうだけれど、やはり棚田に代表される農業土木とは
食料生産という明瞭な目的、志向性を純化した人間の営為であり、
その「ものづくり」の姿勢というものが、
最大の「作品」であるということが自ずと知れる。
旅を終えて、いちばん胸に残ったのはその思いであります。
棚田というものの起源というのは、諸説があるそうですが、
Wikipediaでは以下のように記されている。(「」内引用)

「日本の稲作の適地は、安定した水利を得られることに加えて、
流れていく用水の管理が容易にできる土地である。
土地には元々傾斜があるが、傾斜が少な過ぎる土地、
および排水しづらい土地は湿地となるため、
安定した稲作を行うためには、一定の農学・土木技術が
必要であった。また、灌漑をする場合はある程度の傾斜が必要であり、
傾斜があまりにも少ない河川下流域の沖積平野は、
江戸時代以前は稲作をするのに不適当であった。すなわち、
近世以前の稲作適地は、比較的小規模で緩やかな沖積扇状地、
小規模な谷地、あるいは小規模で扱いやすい地形が連続する
隆起準平原上などが主力であり、いずれも河川の中上流域が中心であった。
これらの土地は緩やかな高低差があり、一つ一つの田の間に
明確な高低差が生じて広い意味での棚田を形成することになる。」

というような記載が見られます。
この魚沼産コシヒカリを産む棚田は、こうした合目的性を
叶えている人間による自然改造営為の総合であるワケですね。
そんな風に考えると、このトリエンナーレとは、
こうした営々とした人間営為の素晴らしさを表現するのに、
その機縁として、活かされて存在しているものだと思わされました。
背景としての棚田の圧倒的な量感・質感があってはじめて
アートという世界観もまた、存在し得るのだと思います。

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そんなアート作品ですが、
やはり建築に興味を持つものとしては、
この「ポチョムキン」と命名されたフィンランドの建築家作品に惹かれた。
カサブランデ&リンタラ建築事務所のデザイン。
もとは河原に平行した「ゴミ捨て場」だった場所だそうですが、
周辺にはそれこそ見事な水田も開けていて
背景としての見事な色彩と陰影感、季節感を訴求している。
そういうなかに、白い玉砂利を敷き込めた領域を区切り、
寂びた鉄の壁が空間を切り取っている。
その地にずっと自生してきたケヤキの大木群が林立していて、
意志的な生物感を与えている。
この地域では、河川のコントロール(瀬変え)によって
造形され続けた棚田の別名である「瀬変え田」がもっとも
「土木建築的」な環境景観であると読み取り、
そのなかでそっと置かれるアートとしての穏やかさ、
意志的な存在感を感じさせてもらえました。
2003年の作品完成以来、愛され続けて
玉砂利から自生してくる雑草を地域のボランティアのみなさんが
毎日のように取り続けてきているそうです。
この美しさには、こういったひとの意志が感じられ、
今回の作品群のなかでも、深く心に残った次第です。

越後妻有・大地の芸術祭トリエンナーレ見学

2405

さて、きのうから住まいと環境 東北フォーラムの
視察ツアー・新潟見学であります。
既報の通りわたしは新潟市に前泊して、11時に越後湯沢駅にて
ご一行と合流しまして、そこからは大型車レンタカーでの同乗の旅。
わたしは新潟はほとんど初めてみたいなものですので
見るもの聞くもの、物珍しく見学させていただいておりました。
本州地域で有数の豪雪地帯である、越後妻有<十日町周辺>地域も
はじめて訪れるワケでありまして、それほど予備知識もない。
地域の工務店・フラワーホームさんのお世話になって、
なにやら、建築もあり、芸術もありというツアー程度の認識。
ただ、地域と建築、その関係を掘り下げてみることで、
人間環境への理解を深めるという趣旨。
そもそも、視察のメイン「大地の芸術祭の里」とはということで、
以下にHPから紹介文。

3年に1度の世界最大級の国際芸術祭
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の舞台となる、
越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)を
「大地の芸術祭の里」と呼んでいます。
ここでは、1年を通して、地域に内在するさまざまな価値を
アートを媒介として掘り起こし、その魅力を高め、世界に発信し、
地域再生の道筋を築くことを目指しています。
その成果発表の場となるのが、
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」です。
▼基本理念
「人間は自然に内包される」
越後妻有は、縄文期からの豪雪や河岸段丘といった
厳しい条件のなかで、米づくりをしてきた土地です。
人々は、切り離すことができない人間と自然の関わり方を探りながら、
濃密な集落を営んできました。その祖先にならい、
わたしたちは、「人間は自然に内包される」という理念をかかげ、
美術を人間が自然と関わる術(すべ)と捉え、広大な里山を舞台に、
人と自然とアートが織りなす「大地の芸術祭」を2000年にスタート。
過疎化・高齢化が進む越後妻有の地域再生の契機として、
地域資源の発見や地域の知恵の学習、住民との協働、
空間を息づかせる制作という、アートがもつ力を信じ、
この地域づくりが企画されました。
「人間は自然に内包される」というこの理念が、
「大地の芸術祭の里」のすべてのプログラムに貫かれています。
人間と自然がどう関わっていくかという可能性を示す
モデル地域となることを目指して、越後妻有の地域づくりは進められています。
▼経緯
1994年、新潟県知事が提唱した広地域活性化政策
「ニューにいがた里創プラン」に則り、アートにより地域の魅力を引き出し、
交流人口の拡大等を図る10カ年計画
「越後妻有アートネックレス整備構想」がスタート。
これが出発点となり、地域活性事業の柱として
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が2000年に始まりました。
▼新しい地域づくりのモデル
「大地の芸術祭の里」での地域づくりのあり方は、「妻有方式」として
海外メディアでも多数紹介されるなど、国内外で美術の
枠を越えた評価を得ています。国内では、文化芸術による
創造都市(クリエイティブ・シティ)が関心を呼ぶ中、
徳島、茨城、新潟市、大阪、瀬戸内など全国のさまざまな
地域づくりに影響を与えています。また海外でも、欧米、アジアの
キュレーターや美術関係者、自治体の視察、国際会議、
シンポジウムなどで取り上げられてきました。
▼受賞歴
・「ふるさとイベント大賞グランプリ(総務大臣表彰)」(2001年)
・「地域づくり総務大臣表彰」(2007年)
・「第2回JTB交流文化賞優秀賞」(2007年)
・「第7回オーライ!ニッポン大賞グランプリ(総理大臣賞)」(2009年)
・「地域づくり表彰 国土交通大臣賞」(2010年)
・「第10回エコツーリズム大賞特別賞(環境省)」(2015年)

そんななかですが、さすがに古民家的な建物には感激。
写真はなかなか評判の「うぶすなの家」であります。
築80年を超える茅葺き屋根の古民家。
日本を代表する陶芸家が手がけた器で、
地元のお母さんたちがつくる四季の家庭料理も楽しめるのだそうです。
この地域のひとびとの暮らしよう、生活文化が
肌身に滲みて感じられるようで、まことにすばらしい民家でありました。
っていうようなことでして、
まことに「見学しながら、概要を把握しながら」という旅。
まだまだ、全体像はアタマのなかに像を結んでおりません(笑)。
きょうも、続きを見学していきたいと思います。

工務店の「現場」情報発信力

2404

きのう、札幌から前日泊で新潟に参りました。
本日から3日間、住まいと環境 東北フォーラムの新潟視察の旅です。
ただ、札幌からだとちょうどいい時間のフライトがなかなかない。
それと、気になっていたビルダーさんにお話しを聞きたいと
無理をお願いして、休み明けの夕方訪問させていただいた次第であります。
お伺いしたのは、オーガニックスタジオ新潟の相模社長です。

「新潟といわきを結ぶ線が、住宅性能の最前線ラインなんです(笑)」
という独自の分析で、新潟での家づくりの状況を教えていただきました。
相模社長は、大学では経済が専門だったと言うことで、
卒業後はなんと、住宅FCの会社に就職しマーケティングを専門にしてきた。
その後、そのFC店のひとつに入社し、15年間営業を経験。
中越地震後、独立されています。
工務店さんというと、親の代からの大工さん技能者というのが
基本パターンですが、そのあたりでもちょっと異色。
実は、Facebookなどでの情報発信で「友だち」になり、
そのやり取りの様子から、工務店経営の面などで一度、
北海道東北で、講演その他をお願いしたいと思っていたのです。
住宅づくりでは、正調な新住協の家づくり、なかでも
秋田の西方設計さんに師事されているようで、
スタンダードでまっとうな高断熱高気密住宅を手がけられている。
デザイン的には、社名通り、無垢素材の美しさを際だたせる
風合いが特徴的で、なお、外構計画にも独自なスタンスが見えます。
最近は、YKKAPさんの全国での講演や
住宅専門紙「新建ハウジング」さんでも連載を執筆されるそうで、
いま、全国の工務店さんの注目の的の存在。
しかしわたしが面白く感じているのは、なんといっても
その「情報発信力」であります。
工務店さんのトップの方というのは、
「ものづくり」ということでは、常に現場があって、
最先端の家づくりのそれこそ現場的な、
なまなましくて、誰にでも理解出来る情報に日々接しているけれど、
どうも、その情報を世間に発信することに慣れていない。
そういうなかでは、相模さんの会社はスタッフのみなさんも含めて
現場からの情報発信パワーがすばらしい。
わが社でも、ビルダーさんの情報発信について、
WEBや雑誌などのメディアを通じてお手伝いさせていただくのですが、
その手法のあれこれについて、情報をお聞きした次第であります。
まぁ、そのことのヒントについて私なりの気づきもありました。
相模社長、お忙しいなか、お付き合いいただきありがとうございました。
今後、ご協力をお願いしていきたいと考えています。

さて本日から新潟住宅関連見学の旅。
このブログでも、ご報告させていただきたいと思います。ではでは。

戦後70年談話と朝日による自虐強制

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あんまり興味が強くはなかったので
即座に全文を読んだりはしていなかった、安倍首相の「戦後70年談話」。
きのう、新聞報道で全文を一読してみました。
この内容では、中国側としてもとくに突っ込みようもないだろうし、
韓国側もきわめて静かな受け止め方を見せている。
それなりに批判を加える論調も海外からはあるけれど、
常識的な線に納まっていて、日本外交的にはいい一手になったと思われる。
国際政治では韓国側の対応が、今後の展開を占うものになるのでしょう。
たぶん、北朝鮮との緊張関係もあって、日米韓の協調路線が、
一定の進展を見せるのは、あり得る展開だろうと思っています。
韓国側のメディアからも、日韓関係正常化気運が高まってきている。
これまでの不毛な反日、嫌韓という相互の関係から
やや脱出できる可能性が出てきたのではないかと喜ばしい。

そういった内外の論調の中で、一貫して意固地に
反・安倍、安倍憎しというホンネの魂胆が見え透いているのが、朝日新聞。
以下、朝日の「社説」の冒頭部分。(「」内、引用)
「いったい何のための、誰のための談話なのか。
安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として極めて不十分な内容だった。
侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、
国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。
しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。
反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。
この談話は出す必要がなかった。
いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。」
・・・報道機関らしくない、こうした根拠の薄弱な情緒的論難を加え、
外交的に自国を貶めようという徹底ぶりには、まさに脱帽します。
中国韓国の反日世論も、朝日の姿勢が日本で力を得ることに
大いに期待している状況があきらかだと思われる。
たしかに民主国家では、報道は自由であっていいけれど、
さりとて無用に外交的な自虐状況を作りたい、という姿勢はやはりみにくい。
朝日ってどこの国の立場の新聞なのか疑わしい、とまで思わされる。
戦争は結局、勝者の立場でしか正邪が語られることはない。であるのに、
「戦後」という枠組みの中、日本を自虐的な史観にかたくなに縛り付けることに
そこまで固執したいなにごとかが、朝日新聞にはあるのでしょうか。
安全保障問題論議を提起することが、即「戦争したがっている」などと
レッテル貼りに狂奔している姿は、まことにおぞましい。
そうであるならば、もうすでに朝日新聞は報道機関としての公平原則などない
単なる反安倍政権プロパガンダであるのだと宣言した方が正直だと思う。
たくさん悪罵を投げつければ、いくつかの敵失もあって
徐々に国民を誘導できると朝日は考えていると思わざるを得ない。

しかし昨日発表された共同通信の世論調査では、この安倍談話について
●「評価」44%、「評価しない」37% 
〜共同通信世論調査、内閣支持は43%に上昇
共同通信社が14,15両日に実施した全国電話世論調査によると、
戦後70年に当たって安倍晋三首相が発表した
首相談話を「評価する」との回答は44.2%、「評価しない」は37.0%。
内閣支持率は43.2%で、前回7月の37.7%から5.5ポイント上昇した。
不支持率は46.4%だった、とされていた。
また、Yahoo!ニュースの意識調査では、8月16日時点で約10万票が集まり、
「(談話を)大いに評価する」が最多の57%となっている。
与党推薦の「憲法学者」の反乱というオウンゴールや
毎日記者の壁に耳を押しつけての盗聴による百田発言スクープなどからの
洪水のような反・安保法制キャンペーンの流れに対し
やや冷静に目を覚ましつつある国民世論状況が見えてきて
安倍政権への支持率がふたたび上向いてきている。
この間朝日や、毎日が流し続けた「経済的徴兵制」など
意味不明で根拠薄弱な、悪意に満ちた「戦争法案キャンペーン」報道が
はたしてどのようなものであったのか、
これからハッキリしてくるのではないかと注視しています。
戦後70年、そろそろオオカミ少年に欺され続けるのは卒業としたい。