

日本の文化をいろいろに感受し続けてきて、
だんだんと自分自身のことについて、いわば回帰的に見つめるようになる。
1960年代からのニッポン文化の潮流はリアルタイムで体験した。
その当時の基調を構成していたのは、
いまふり返って見ると、やはり圧倒的に「マンガ」だったと思う。
それ以前の日本人には活字文化がなにより支配的だった。
そういう「既成概念」から、低俗極まると酷評されていたのがマンガだった。
しかし戦後以降、テレビメディアの映像が洪水のように流れ込んでくるなか、
情報のスピード感は、文字文章の読書から、
画像映像による即物的把握に情報世界の主流が移ろっていった。
ビジュアル情報革命があの時代の特徴だった。
まずは少年マンガの情報摂取感が子どもたちに先験的に刷り込まれ、
そのあとから文字情報摂取が後追いしてきたのが、
わたしたち年代の精神生活の基調を作っている。
そういう意味では団塊に属する兄から
「おまえは、元祖オタクみたいなヤツだ(笑)」と揶揄されてきたけれど、
あとに続く後輩たちのいちばん最初の年代ともいえるのかもしれない。
情報摂取の仕方の変化は、その感受力をも変えるのだろう。
まずは直感的把握がはじめにくる世代。
わたしたちより前の世代は、豊かなリアル世界での経験知が、
少年期などにたっぷりと刷り込まれているのに対して
わたしたちは、まずはビジュアルによる「仮想現実」のほうが存在した。
バーチャル経験が、現実の経験と同時平行して存在した。
この石ノ森章太郎さんの「萬画館」という「文化」施設が生誕地に
ほど近いとはいえ、このように存在し得るようになった社会の変化は
しかし、かなりの衝撃・インパクトだとは言える。
文化は社会の中の人間の生き様を強く反映して変容していく。
低俗だとか、くだらないとか言われるけれども圧倒的に受容されるもの、
そういうものの影響力が、社会を変えていくのだと思う。
俵屋宗達の「風神雷神図」は、彼の生きた江戸初期には、
あのようにマンガっぽい表現だけれど、はたしてどう思われていたか、
「あぶな絵」というような言い方で出現当時、蔑まれたものが、
文化へと昇華していった日本での流れなどを見れば、
ひとびとの生き方の変化が大きく文化発展を促進するモノであることは
疑いようがないのだと思いますね。
わたしというちっぽけな存在が生きたこの数十年でも、
社会変化は確実に生まれるのだと、いろいろ思いが深まった次第です。
だから、面白いのでしょうね(笑)。なにが起こるのか?
Posted on 2月 25th, 2018 by 三木 奎吾
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なにを隠そう、わたしはマンガ少年でありました(笑)。
小学校高学年から中学校時代にかけて、
友人たちともそういう雰囲気を共有していて、
当時一般商業マンガ雑誌とは別に、マニア向けに出されていた
「ガロ」とか「COM」とかのマンガ雑誌を読み、
そのムーブメントの中心的な作家として手塚治虫とか
その弟子的な存在であった、石ノ森章太郎や藤子不二雄、赤塚不二夫など
「トキワ荘」に連なるマンガ作家たちが醸す空気感のなかにいた。
さらにはやや異端の白土三平、つげ義春などが創造した世界。
そういうなかで、石ノ森章太郎が出版した「マンガ家入門」を
それこそ、惑溺的に読みふけっていた。
いわば、青春前史としてそういった意識の中にどっぷりと浸かっていた。
どうもこういう青春期前史のようなことって、
まことに血肉にかかわってくるような部分であって
容易には近寄りがたい、DNAの深層を見るような、
首から上に出来た腫瘍をまざまざと正視させられるような
名状しがたい生々しさがあって、怖ろしい(笑)。
自分自身はそういったマンガ家志向のようなモノには整理を付けて
まったく別の人生行路に向かっていたと思っていた。が、
東日本大震災で、石巻にあった「石ノ森章太郎漫画館」が被災し、
その様子が建築雑誌などで良く取り上げられていた。
それまでそういった博物館が存在することすら知らずに過ごしていた。
「そうか、石ノ森章太郎はそういえば石巻周辺には縁があったなぁ」
というくらいは漠然と思い出してはいたけれど、
よく仕事で東北に行くとは言え、おおむね拠点は仙台であり、
この地に足が向くというようなことはあまりなかった。
しかし、2−3年前に震災視察バス見学会で周辺に来て、
ちょうど昼飯時だったので、この「漫画館」をふと訪れてみた。
・・・以来、今回訪問で3度目になる。
今回はふと目にした写真のパンフからある記憶が鮮明になってしまったのです。
きっと誰にもこういう類の「前史」的なモノはあるでしょうね。
見学していて、どんな博物館見学ともまったく違う
いわば自分自身の内面と語り合い続けるような時間を過ごしていた。
ニッポンのマンガは、きわめて重要なサブカルチャーだと
思い定めてはいるけれどここまで自分自身の内面に関わっているとまでは
正直、考えてはいなかった。
見終わって、まことに静かな衝撃に打たれ続けている。
この漫画館のスタッフのみなさん、今回の企画展示挑戦にあたって、
ほんとうによく頑張ったと思わされました。
すばらしかったです。ぜひ多くのみなさんにも見ていただきたいです。
Posted on 2月 24th, 2018 by 三木 奎吾
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写真は一昨日の札幌での住宅見学会から。
イゼッチハウスさんのモデルハウスの様子です。
きのうも触れた積雪地での「ロードヒーティング」熱源について、
ここでは暖房熱源としてのヒートポンプ加温空気の余剰熱を
約50㎡ほどの駐車スペース用の融雪にも利用している。
あくまでも「余剰分」なので、本格的に雪を融かすことを主目的にはしていない。
なんとなくダラダラと、気がついたら雪がなくなっていた、
みたいな融雪装置になっている。
これからの高齢化時代を北海道の戸建て住宅で考えると
雪への対策はなかなかに悩ましい問題。
・・・っていうのは、わたし自身にとっても考えさせられること。
いまのところは元気だし、健康に留意して自己管理をしていく上で
雪かき運動は冬場の健康管理的にはすばらしい機会だと思います。
40代早々で建てた家では当初はロードヒーティングまで装置したのですが、
熱源として灯油を使うので、ランニングコストがやはりキビシイ。
どうしても本格的に使うと4-5万円程度は飛んでしまう。
逆に、健康維持のためには定期的な降雪は
神さまの贈り物のようにも思われてくるようになるのです。
北国育ちの人間は、雪が降ってくるとスイッチが入って
カラダが反応するように出来ているモノなのでしょうか?
わたしの息子も高校時代まで、大して言ってはいないのですが、
自発的に雪が降っていると父といっしょに雪かきをするようになっていた。
これって大切な雪国の生活文化だと思えるようになるのですね。
口ではあーだこーだと愚痴りあったりするのだけれど、
どうもその語る口もとからは、微笑も感じられる。
雪かきって、やっているとまったく無心に「雪を整理して片付ける」
みたいな達成感がハンパないのですね。
そのうえ、適度な運動量というのがオマケで付いてくる。
しかし、今後の高齢化を考えると装置の側での準備はしておきたい。
ことし、事務所では久しぶりに、というか10数年ぶりに
灯油熱源のロードヒーティングを稼働させてみましたが、
これはまったく問題なく動作した。
機器としてはローテクなものであまり経年劣化要因は考えづらい。
そういう現実を見て、やはりバックアップ用として
こういう設備を考えておくことはムダではないと思えました。
よりローテクで交換容易な装置、ライフスタイルとの見合いで
大いに研究開発努力をウォッチして行きたいですね。
Posted on 2月 23rd, 2018 by 三木 奎吾
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きのうは仙台に移動して、東北フォーラム主催の公開シンポジウムに参加。
主題は「ZEH」であります。
ZEHという国の施策に深く関与されている早稲田大学の田辺新一教授の
基調講演を受けて、いわば民の側というか、
寒冷地で住宅を作る立場からのナマの声を具申するような役割として
わたしにお鉢が回ってきて、参加させていただいた次第。
わたしは、なにやらZEH反対派の急先鋒のように擬せられているのでしょうか。
東大・前真之先生から「トランプ三木」と挑発もされていますが(笑)。
まぁ論議の活性化にとって、スパイスも必要ということでしょう。
寒冷地・北海道東北は、削減可能な家庭内エネルギーという意味では
暖房エネルギーが主要になる。
しかし、それは本然的に寒冷地では欠かしにくい必須要件でもある。
ここを削減するためには基本的に断熱強化しかありえない。
その上で設備設計をより深く検討していくことになる。
ZEHのために現実に起こっていることでは、設計上「非暖房室」を拡大させる
そういう不可解な対応をせざるを得ない。
全室暖房は、住宅のいごこちと耐久性を高めるために
寒冷地住宅が基本課題としてきたことだけれど、
ZEHの制度としては局所間歇暖房を選択する方が合目的的。
寒冷地側からすればまずは最初のボタンから、どうも勝手が違う。
しかし、国際的な目標としてのゼロエネルギー化はまったく同意できる。
理念についてはまったく同意できることを、
困難を乗り越えてどう対応していくのか、というスタンスでしょう。
寒冷地はどういう方向感覚を持ってZEHに対処すべきなのか、
しかしまだ、明確な方向性は指し示されていないと思います。
施策推進側の経産・国交・環境という中央3省の側でも
こうしたZEH受容困難地域に対しての施策は工夫されてきている。
ニアリーZEHなどの柔軟な対応がそれにあたりますが、
来年度での施策を見ると、日照確保の困難な
大都市密集地域への対応も考えられてきている。
こういった「変化」は寒冷地側が真摯に意見具申した結果でもある。
否定するのではなく、よりよい国策に育っていくように家を作る側と
制度設計側の両者がユーザー利益ファーストで協同していくべきでしょう。
どうしても田辺先生との対論的なスタンスにはなったのですが、
そのような結論には同意できた次第です。
セミナー後もお忙しい田辺先生から「飲みながらもう一回戦(笑)」みたいに
ホットに意見交換できてまことに有意義な対話だったと思います。
セミナー最後にあたって、こういった設備設計についても、
ユーザーが長期的にその家に愛着を持てる、
作り手も理念として誇りを持てるアプローチが必要ではと意見しました。
結局家づくりはユーザーと作り手の人間同士の共同作業。
ある通底する共感の部分がそこになければ長続きしないのではと思います。
Posted on 2月 22nd, 2018 by 三木 奎吾
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きのうはPVソーラーハウス協会20周年の特別総会in札幌。
全国から90名以上の参加での住宅見学会+セミナー。
写真はそのなかの住宅見学会のワンシーンであります。
札幌は年間積雪が6mという豪雪地帯。
そういう地域環境のなかで生活基盤としての「除排雪」は欠かせない地域。
札幌市の平成28年度決算では、この支出項目で226億円弱。
年度予算・決算総額は9,796億円なので、2%以上を占めている。
将来とも、自動車の交通確保は欠かせない「都市インフラ」でしょうから、
その負担は覚悟し続けていかなければならない。
そうした公共道路へのアクセスまでの自分自身の土地のなかでの
除排雪は、個人負担として努力し続けなければならない。
そして高齢化社会はどんどんと進展していく。
社会的にはこうした多雪地域では、戸建てとマンションとのトレードの
現実的要因になっていくことも避けられない。
「年取ったら、雪かき、面倒だから」ということになるのですね。
この問題について、一時期は石油や電気など熱源を消費しての
「ロードヒーティング」が一般家庭にまで普及した。
しかし、それは格安な石油価格に支えられた一過性の社会現象だった。
やはり社会全体のコストとして家庭内敷地の雪対策は
寒冷地の将来の大きな課題であることは避けられない。
そういったニーズ対応として、この作戦には希望を持った。
これは玄関から車庫スペースまでの間の通路部分に施されたもの。
他のスペースとはまったく違って雪がきれいに除去されている。
「これ、どうやっているの?」と聞いたら、
表面を覆っているシートは除草用の皮膜シートで、
その下には砂利が敷き詰められているということでした。
砂利は石であり、雪を融かす「蓄熱性」があるけれどそのままでは、
雪が空隙部分に入り込んでそれが凍結して、太陽熱が融かすよりも
優位になってしまって、融雪機能はあまり期待できない。
けれどこのように「黒い」皮膜を張ると、蓄熱・融雪性が期待できる。
この除草皮膜は黒いので太陽光の蓄熱と相性が良いのでしょう。
また、雪かき作業の時の地盤面としての平滑性が確保でき、
ママさんダンプやラッセルの作業効率が向上する利点がある。
砂利の凸凹がなくなって、雪塊を軽く滑らせることが出来るのですね。
設置コスト的には、砂利と皮膜敷設だけ。
砂利はどうせ「犬走り」にも敷設するから埋め込み設置は容易。
わたしのような「生活者目線」的にはすばらしい知恵だと思わされました。
欠点としては、ワンシーズン程度でこの皮膜の耐久性が尽きる点。
上下からの物理損傷要因で皮膜が破れるのだそうです。
しかし、この皮膜の値段はごくわずかで済むそうですから、
(この製品価格は聞き漏らした、「安っすい」ということ)
たとえワンシーズンごとに張り替えたとしても、DIYで各自がやれそう。
なかなか良いアイデアだと感心して見ておりました。
今後、もうちょっとこの「装置」を調べていきたいと思っております。
Posted on 2月 21st, 2018 by 三木 奎吾
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難波京、という日本史上のエポックがあった、ということ、
この大阪の歴史博物館に来るまでほとんど知識がなかった(泣)。
古代の「都」という概念では、大王が住まうところという意味合いが強く、
その「座所」は点々と移っていったという認識だった。
そういうなかに大阪平野地域でも仁徳などの座所はあったという理解。
ようやく奈良に至って、本格的な中国式の条里制都市が営まれた、
というような理解がわたしが学習した40-50年前の常識だったと思う。
王城と都市が一体となったものが実質的「都」だという認識。
そういう時代からもう半世紀も経っているのだから、
歴史理解常識も大きく変わってきてもいるのでしょう。
もう一回小学校からの「日本史教育」を受け直してみたいと思う日々(笑)。
たしかに大阪地元ということで
やや肩入れしている部分はあるでしょうが、
実際に「大極殿」とか、「朝堂院」とかの比定地が発掘され、
復元もされている。(大阪城ともそう離れていないのは面白い。)
なんといまは高速道路の主要ポイントになっている。
時代は変わっても「要衝地」であることには変わりないということか。
やはりこの40-50年で飛躍的に各地で考古的発掘が進展して
文書主義的な行き詰まりを大きく打開するようになってきたのでしょう。
それが、インターネットという知の共有化も進んでくることで
大きくダイナミックな進展が起こってきているということ。
そういう意味ではわたしのような歴史好きには面白い時代になって来た。
北海道島の歴史考古でも、興味深い説が数多く発表され、
アイヌの歴史、みたいな学究も進んできているように
各地域ごとで多様な探究が爆発的に進んでいる。
そもそも歴史というのは、多様性そのもので進展するものなのでしょう。
たとえば、現代という時代を一個人が一刀両断的に「理解」するのは
気の遠くなるような大事だということはすぐにわかる。
過去においても、複雑な社会が時間の経過とともに推移してきたので
混沌とした「事実」と「痕跡」は積層していくものなのでしょう。
「大極殿」「朝堂院」などが比定されたとしても、
必ずしも「都」といえるのかどうか、権力の質も考えなければならない。
最近の教育では、知識の「詰め込み」には力点を置かず、
自ら「考える力」の涵養に務める方向に変わってきているとされている。
「どうしてこうなるのか」について学ぶ側で討論したり、
仮説を立てて検証していくという「学習」に変化しているようです。
そんな様子を見ていて、やはり再度小学校からやり直したいというのは(笑)
さて、わたしだけの思いでしょうか?
Posted on 2月 20th, 2018 by 三木 奎吾
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さてしばらくは北陸などのみなさんには申し訳ないほど、
やや小雪であった札幌ですが、ここにきて大雪です。
本日は目視で約30cmくらいは積雪深度があったようで、
早朝6時前から7時過ぎまで、約1時間半ほどたっぷり除雪作業。
やはりシーズン終盤に向けて、帳尻はしっかり合ってくるようです(泣)。
先日の日本建築学会・地球の声委員会見学の折、
中国南部揚子江よりも南から来ていた留学生の平(ピン)さんという女性。
たまたま、帰りのクルマで同乗できたので、
いろいろ楽しく会話をすることができました。
お国はまさに南国で、雪なんかもちろん見たことがないそうです。
また、中国全国としても積雪の地域はごく限られていて
中国人社会として、積雪への感受性はほとんど持っていないようでした。
そこで出てきた質問です。
「サッポロには1年間でどれくらいの量の雪が降るのですか?」
ということで、積雪量の計量単位を説明して、垂直方向で約6m超であると説明。
これは世界の都市の中でも飛び抜けて巨大であること、
そもそもそういう積雪地域に人類は「都市」を作らなかったけれど、
明治政府以来、日本社会が取り組んだ北海道開拓という超長期国家プロジェクトで、
対ロシアの国防の観点からもそれが推進されてきたことなどを
ときどき英語も交えて説明していた。
しかし、どうもわれわれ日本人と受容する感受性ポイントが違うようだ。
どうも彼女は、積雪するその雪の「総量」単位を明確にして欲しいようなのです。
そこで同乗していた建築家の照井さんがやおら、スマホを扱いだした。
「えっと、札幌の平均降雪量は平年で約6m。それに面積が1,121 km²、
掛けていくと、え〜〜と」
ということで出てきた答えが
「約6.2までは良いんだけど、その単位が立方キロメートル・・・」
という笑顔ながら、驚愕の表情であります。
「え、立方キロメートル? それって、」
「そうです、タテ1km、ヨコ1km、高さ1kmの立方体が6つ以上」
「タテヨコはわかるけれど、高さが想像不能(笑)」
というような結果が出て、ようやく平(ピン)さんからニッコリ了解してもらえた。
東アジアでの国際理解、一歩前進であります(笑)。
帰ってきてから、この「立方キロメートル」という単位をなんとか感覚的に、
いろいろ考えてみるのですが、なかなかいいイメージがない。
換算データでは、お米にすると330億石以上ということ。
江戸時代の全国のお米の生産高は3000万石といわれていた。
1石というのは、おおむね人間が1年間に食べるお米の量とされている。
なので、雪をお米に置き換えると江戸期の人間が1000年以上、
食べ続けられる量に相当する・・・、
う〜〜む、なんかよくわからない。
でも、さすがに白髪三千丈の国の人であります。ポイントが違う(笑)。
Posted on 2月 19th, 2018 by 三木 奎吾
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昨年の秋の総選挙以降、現状変更の要素が少ない日本民主主義ですが、
そういうなかで行われた先般の「沖縄県名護市長選挙」。
各種選挙でも最近聞いたことがない76.9%という高い投票率ということで、
たいへん注目度の高い選挙だった。
上のグラフは地元テレビ局のOTVが調査した世代間投票傾向分析。
よく拡散されているグラフのようですが、くっきり世代差が表れていて驚いた。
現職だった稲嶺さんは、米軍基地の辺野古移設反対派で、
それよりも身近な市政を訴えた新人・渡具知さんに敗北した。
投票者数は37,524人。
▽名護市長選開票結果
20,389 渡具知武豊 無新
16,931 稲嶺進 無現
選挙結果はそのままの民意ということですが、
若い世代、50代までとそれ以降の世代間で
まことに明瞭に投票先がくっきりと傾向が分かれている。
ふつうの世代間相違であれば、もうすこしグラデーションを示すだろうに、
世代ごとで、あまりにも真逆の傾向があらわれた結果。
これが全国的な世代間傾向とまではただちには言えないでしょうが、
それにしてもこれまでの「常識」が大きく変わってきていることは明白。
わたし自身は60代なので稲嶺さん支持傾向の大きい世代に属していて
その年代の「気分」は良くも悪くも腑に落ちる部分がありますが、
やはり若い世代の判断には、そこにどういう「社会変化」が見られるのか、
大いに知的好奇心をそそられると思っています。
投票率が高くなれば、若い世代の意志がより大きく結果に反映される。
この「民意」の傾向は大いに解読し続ける必要がある。
よく言われるのは既成メディア世代とインターネット世代の意識差。
高齢世代では朝日新聞とかNHKとかの情報に盲従するのに対して
若年世代ではそういうステレオタイプの情報摂取をしていない。
端的にはYahooトップページのニュースで情報を取捨選択している。
インターネットポータルでは、報道はユーザーのクリック数が
反映されて上下順が変動していくとされている。
いわばユーザーニーズによって、朝日であろうが産経であろうが、
情報の受け取り方にマスのメガ意志が反映される。
ふつうの感覚がふつうに表現されるといった方がいいのかもしれない。
そこには「こうであるべきだ」という教条的ドグマは入り込みにくいのだ。
もうひとつ感じるのは「保守・革新」という仕分けの固陋さ。
いまの世界で、北朝鮮のような狂気の独裁国家があるなかで、
あの国は仕分けで言えば「革新」の側というのが常識的理解でしょう。
この一点だけで「革新」という側は国民大多数の支持は得られない。
コトバの常識的意味合いで、革新という仕分けが無価値になっている。
北朝鮮によって革新の方が狂気に近いという民の常識が育ってきている。
これまでは若者は「革新的」という潜在的刷り込みがあって
その仕分けでは現状は「若者が保守化している」ということになるだろう。
そういう状況を「なげく」というスタンスを取るひともわたしの同世代には多い。
しかしそうではなく、若者が人類史的に未来的であることはいまも不変なのだ。
むしろ、既存の「仕分け」の側に間違いがあるということではないか。
たぶん、朝日新聞などの既存政治的メディアの情報の作り手は
ここの認識で、相当に「守旧派」になってしまっている。
既存メディア側は、一度こういう民意の大変容を謙虚に考え直したらどうだろうか。
Posted on 2月 18th, 2018 by 三木 奎吾
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37年ぶりの豪雪に見舞われている福井県。
ふだんの年では考えられないほどの積雪深に市民生活がマヒ状態という。
福井市で16日現在77cm、平年比513%だという。
同じく札幌市は63cmで平年比83%。平年比がハンパない。
国道8号での道路渋滞で動かなくなった車列の映像は生々しかったのですが、
また、今週も大雪が予想されているという。
北海道は毎年のように積雪が、たとえば札幌では6mを越すし、
ニセコ地区では軽く8mを超えているようですが、
こちらでは常態なので「備え」があり生活インフラが脅かされることはない。
そういう雪国として、北陸の暮らしのたたかいにエールを送りたい。
しかし平年比5倍を超すという事態は想像を超えるでしょうね。
そんななかで、インターネットからの情報で
地域新聞社・福井新聞社の地域情報発信のニュースにふれた。
「全国ニュースと地元紙、この記録的大雪を
どのような視点でとらえて伝えたのか」という視角からの情報。
<以下、やや長文ですがYahooニュースからの要旨抜粋>
〜2月5日朝、同3日から降り始めた雪は福井市にどんどん積もり始めた。
地元の福井新聞社は、雪に慣れている福井県民は積もり方を見ながら
早めに行動すると予測。午前10時15分には福井新聞ONLINEで今後の大雪に
警戒を呼びかける気象情報を掲載。 「これはただごとではない」
その後も目に見えて増えていく積雪に、同社編集局はそう感じた。
午後からは公共交通運休や積雪などのデジタル情報発信を随時続けた。
翌6日、福井市内では1日に50センチを超える激しい降雪となり、
除雪が追いつかなくなった。この日午前から国道8号で動けない車が出てきた。
午後からは立ち往生した車列の様子が全国的に報じられ始め、
福井市の積雪は五六豪雪以来37年ぶりに130センチを超えた。
そういうなかで、福井新聞デジタル版では
2012年本格的にデジタル有料サービスをスタートしてから初めて、
同日から紙面イメージ無料公開に踏み切った(16日現在継続中)。
「雪捨て場やごみ収集の情報は、地元の人しか読まないでしょう」と
スタッフはいう。メールやSNSによる要望の多かった渋滞交通情報の発信を、
できる限りに応じようと判断した。
自分たちも「同じ大雪の中で生活する県民」という視点と、
五六豪雪当時にはなかったSNSの活用が生活密着の情報発信につながった。〜
まことに地域密着での機敏な対応に打たれます。
さらにその姿勢を強く感じさせられたのは、全国情報がいっせいに
国道8号の渋滞について「ほぼ渋滞解消」と報道した時点で
地元県民向けには不適切とスタッフが判断したこと。
〜われわれまでが『ほぼ解消』と報じたならば、地元県民は
『解消した』『間もなく解消』と解釈し、国道8号へ向かうかもしれない。
その結果でどのような悪影響が起きるか、と考えたのだという。
「顔が見える地元新聞社の責任。
当事者にとってのニュースを伝えるのは
地元紙だけだと感じた。一層県民視点で報じたい」
福井新聞の大雪報道はまだ続いている。〜
伝える内容は違うけれど、メディアとしての情報発信の本質の部分で
深く感じさせられるものがありました。
こういう暮らしへの想像力をしっかり持ち続けていきたい。
Posted on 2月 17th, 2018 by 三木 奎吾
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日本人は北海道に集団移住するようになってから
住宅というものの意味についてより深く考えはじめるようになった。
明治以前にはごく局所的にしか、この列島北端の島には日本人は
住んでいなかったのは、日本社会の基本である米作に適していなかったから。
そういう土地に経済的魅力を感じていなかったということでしょう。
長い積雪寒冷期を持っていて、夏場の気候安定期が短い。
なにより、民族的な住宅技術である木造構法には
寒冷気候への対応力がほぼ考えられていなかった。
その日本の住宅建築技術が、多くの先人たちの努力で革新されてきた。
明治の革命政権政府は、北海道への移住を勧めるために
多くの「補助金」を支給したとされる。
その魅力に釣られて移住した人々は、しかしあくまでも「出稼ぎ」根性で
開拓期の社会混乱の中で「一旗揚げて」その郷里に帰還する気分だった。
なので、補助金を与えて永住的住宅建設資金を出しているのに、
建てられた「住宅」は、ごく間に合わせの仮設的小屋ばかりだった。
司馬遼太郎さんの北海道住宅についての取材記述によれば、
そうした小屋で火事が多発したとされる。
それは単に火の不始末だけであったかどうか、という側聞を書かれていた。
そういった経緯まであったように、
北海道では官民を挙げて、この地で人が住み続けられる住宅に
情熱が注ぎ込まれてきたと言っていい。
今日でも「北方型住宅」とか、「きた住まいる」といった
「地域住宅施策」に社会背景的根拠があるというのは、北海道だけでしょう。
積雪寒冷という気候風土条件から自由な居住環境を実現する
「環境性能」努力を、150年以上北海道地域は続けてきた。
世界でもこうした寒冷対応住宅技術は、北欧や北米などで
この数十年において実現された「環境技術」であることは明白。
日本中央の無関心とはまったく別の地平で、北海道は北欧や北米と連携し、
「環境性能技術」を創造してきたと言えるでしょう。
寒冷地で「断熱気密」工法開発努力が重ねられたことが無視されたりする
そういうことには、強い違和感を持たざるを得ない理由です。
結局、住宅がもとめるものは、住む人を安定した環境でつつむこと。
いま、温暖地域でも冬の寒さ、夏の暑さへの室内居住環境対応が
ごく常識的に求められるように変化してきている。
できればそういったみなさんに、あるオピニオンを持った住宅情報を
ぜひ提供していきたい、そんな思いで関西版やWEBマガジンの展開などで
拡散していきたいと思っています。
写真は大阪中心部梅田の大きな書店での「Replan関西」陳列の様子。
Posted on 2月 16th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング | No Comments »